記憶の中にある風景。そう遠くない過去に、眼前で繰り広げられた光景。
瑞穂の胸の中で、沙絵が泣いている。泣きじゃくる沙絵を抱きしめながら、瑞穂もまた涙を流している。自分はただそれを見ていることしかできなくて、慰めることも、涙をぬぐうこともできない。
そんなことは――最初から、許されていなかったかもしれないけれど。
「泣いていいよ、沙絵。いっぱい、泣いていいから」
沙絵が少しでも楽になれるようにと、瑞穂が言葉をかける。自分も苦しみの最中にあるというのに、その眼差しは妹に注ぐため優しさを湛えている。傷付いた心で、痛みに耐えながら、ただ一人になってしまった肉親に精いっぱいの情愛を掛けている。
瑞穂の背中に、何かがぼんやりと浮かび上がる。形を成したそれは――仏壇。敬愛していた人の死の象徴。
「お父さんはいなくなっちゃったけど、お姉ちゃんは側に居るから」
瑞穂と沙絵、ふたりの父。今はもう、声の届かない場所へ行ってしまって。
「それに、ほら」
瑞穂が静かに顔を上げて、私にそっと目を向ける。
「新しい家族が、増えたからね」
それは紛れもなく、疑いの余地もなく。
「アブソルの――シラセだよ」
海から現れた私に、掛けられた言葉で。
父の消えた海から現れた、私に向けられた言葉だった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。