僕のほとんど完璧な彼女について

著者:やまおとこの試練

 僕のほとんど完璧な彼女について、聞いてくれる人は居るかい。ただの惚気話だけれど、そんなに長くはならないから。たぶん。

 あれは、僕とメレシーがアーカラ島のコニコシティに引っ越してきて、まだ数日しか経っていない頃のことだ。僕は美しい女性に出会った。運命を感じた。一目惚れだった。

 アローラのエネルギッシュな太陽を浴びた色黒の肌。胸元から腰回りにかけての柔らかいシルエット。切れ長でクールな眼差し。野生的な力強さと、慈母のような微笑み。見るからに、どこを取っても僕の理想通りだ。完璧。パーフェクト。僕は彼女の前で立ち尽くして、もう、まさに『メロメロ』状態になってしまっていた。そんな僕を見た彼女は、少し困ったような表情をして、「あたし忙しいから」と言わんばかりに去って行ったのだ。これが初対面。

 彼女はどうやら僕の距離感で測ると比較的ご近所さんで、僕が出掛けるたびに、そう低くない確率で出会うことができた。特に、石を見に行った時の遭遇確率は他の場所の比ではなかった。そこが彼女の家だから出会える確率が高いのだ、ということをコニコシティ出身の友人に言われるまで気付かなかったのだから、当時の僕の察しの悪さと知識不足が伺える。しかし、アーカラ島の……もっと言うならアローラ地方についての知識不足は許して欲しい。アローラ地方では常識的でも、他所の地方で生まれ育った僕には初耳の事ばかりだったのだ。

 さておき、とにかく彼女の気を引きたかった僕は、そのうち、彼女に思いつく限りの貢ぎ物をしようと企てはじめた。あれやこれやと発案していたけれど、指輪やネックレスは前述の友人に止められたので、無難に木の実でも送ることになった。万が一に彼女が木の実を食べなかったとしても、それで捨ててしまったとしても、例えば他のポケモンたちが勝手に拾って食べるなり、土に還って芽吹くなりするだろうと、そうポジティヴに考えて毎日のように木の実を彼女の家へ届けた。

「お前、トレーナーでもないんだろ。なのによくやるよな。無駄っていうか、逆に気味悪がられてなきゃいいけど」

 友人はブティック店員の僕にそんなことを言ったけれど、木の実の貢ぎ物は果たして無駄な努力だったのか。どう思う? そうだね。あれは無駄な努力で結局は嫌われたんです、おしまい。なんていうオチの話をこんなに長々とする趣味は僕にだって無い。驚くことかもしれないけれど、なんと効果はあったのだ。

 それまでは木の実を抱えた僕が一方的に彼女を眺めるばかりだったけれど、『あの事件』からは、彼女と僕が相思相愛だと確信できた。ロクに言葉も交わしていなかった僕と彼女が相思相愛になれたのは、どう考えたって貢ぎ物のおかげだろう。

 ここまで来たら全部聞いてくれるね。『あの事件』とは、僕とメレシーが彼女に命を救われた事件のことだ。彼女が容姿だけでなく内面もやはり完璧なのだと僕に知らしめた一件だ。そして、僕と彼女が同じ屋根の下で暮らしはじめた記念日だ。

 メレシーを連れているとはいえ、トレーナーではない僕が街の外をうろつく時は草むらなどの無い場所を探して歩くか、草むらなどを歩かなければならない時には虫除けスプレーを撒いて忍び足で進むのが常だった。万が一にポケモンが飛び出して来ても虫除けスプレーのおかげで連戦にはならず、回復をこまめに挟めば、あまり鍛えていないメレシーでも充分に対処できた。しかし、その事件が起きた時だけは、虫除けスプレーをカバンに一つも入れないままで草むらに踏み込んでしまったのだ。

 しまったと気が付いた時にはもう野生のポケモンが目の前にいた。それでも最初はカラカラ一体だけだったのだ。だから、いつも通りにメレシーで戦って対処しようと考えた。そして考えた通り一体目のカラカラは対処できた。問題は次だ。

 とにかく草むらから抜けて引き返そう。戦闘を終えたばかりの僕が急いで振り返ったのとほぼ同時に、つまりメレシーを全く回復させる間も無く、またもやカラカラが現れた。

 ここで「カラカラなら、さっきも倒せたから大丈夫だ。落ち着け」なんて自己暗示していた僕は、それが間違いだなんてもちろん知らない。

 メレシーは僕の指示で技を繰り出す。しかし、技の当たりどころが今ひとつだったのか、それとも体力が高いカラカラだったのか、そのカラカラは倒れなかった。それどころか、突然、聞き慣れない声を上げたのだ。そして何が起きたのかというと。

 カラカラと、カラカラと、カラカラと、カラカラと、カラカラと、カラカラと、カラカラと――。

 アローラ地方のポケモンは自らが窮地に陥った時、仲間に助けを求めるのだと、その時は全く知らなかったものだから、もうパニックだ。倒そうとしても倒そうとしてもカラカラがカラカラを呼び、逃げようとしても回り込まれ、メレシーの体力と僕の精神力は着実に削られてゆく。

 カラカラと、カラカラと、カラカラと、カラカラと――ガルーラと。

 その時はパニックどころの騒ぎじゃない。絶望だ。ガルーラの親子愛はよく知っているし、カラカラが泣くのは親の愛を求めてだとかいう説があるのもどこかで聞いた。つまりはあれだ。子供を虐めた悪役として、僕とメレシーはこのガルーラに鉄拳制裁されてアーカラ島の土になるのだ。おしまいだ。ガルーラの大きな拳が、メレシーと、その後ろに立つ僕へ向かって来た。僕には、それがやけにゆっくり見えた。ああ、せめて、最後に、彼女を、一目、見てから、逝きた、かった――なんて。

 この世に女神は実在したのだ。

 僕とメレシーの命の危機に颯爽と現れた彼女は、ガルーラに向けて一喝。彼女の覇気に圧されたガルーラは、僕とメレシーにダメージを与える前に、ピタリと拳を止めた。

 彼女がガルーラを睨みながら無言で一歩踏み出すと、ガルーラは、それとついでにカラカラも、こちらを振り返ることなく大慌てで逃げて行った。

 わりかし本気で死ぬかと思っていた僕は、心底安心したと同時に震えが止まらなくなった。情けない話だけれど、それを言うと虫除けスプレー無しでは歩けない時点で成人男性として情けない自覚はあるから、僕の情けなさについては諦めてほしい。ともかく、安堵の震えが止まらない僕に彼女がどうしたかというとだ。その温かな両腕で、僕をそっと抱き締めてくれたのだ。信じられるかい。ロクに言葉も交わしていない男性をだよ。彼女の吐息から「怖かったね、もう大丈夫よ」なんて声が聞こえた気がした。

 こうして、彼女は自分が従えているポケモンを使うことなく彼女自身の声だけで僕を救ってみせたのだ。強く、逞しく、美しく、それでいて、情けない僕を優しく許す抱擁力。もとい包容力。こんなに格好良い女性が居るか。惚れ直さない理由が無い。まあ、そもそも女性に抱き締められて惚れない男性が居るのかという話だが。

 そこからは彼女からの猛アプローチで、結局ふたり並んでコニコシティへ戻ることになった。彼女は元の家より僕の家を気に入ったらしく、その日から問答無用で一緒に暮らすようになった。まあ僕としては大歓迎なわけだけれども。そして仲睦まじく数年経過し、今に至るのだ。そんなに強い彼女なら、僕が尻に敷かれているだろうと思うかい。そうだよ、彼女が僕の女王様だ。でも情けないことに、僕は男性優位の関係に興味が無くてね。その点についても、彼女は完璧なのだ。この上なく。

 あとはこの婚姻届が法的に有効ならば、何も言うことはないのだけれど。

 でも、こんな紙切れなんてどうでもいいほどに彼女が大好きだから、どうか安心してほしい。

 愛しているよ、僕のエンニュート。