〜第二十二話:「一撃でクリアー」〜

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「……それこそ、あいつに別の人間が入っちゃってるんじゃないのか……?」

俺はそんなことをぶつぶつつぶやきながら、商店街の道を歩き続けていた。俺にぶつぶつつぶやかせている理由はただ一つ。さっき出会って話をした、北川のことだった。

「……というか、昨日の香里が北川で、北川が香里だったなんて……香里はまぁ言われてみればずいぶんとおかしかったとは思うけど、北川は……」

俺は未だに、北川の口から語られた「昨日は俺が香里で香里が俺だった」という言葉を上手く解釈できずにいた。昨日の香里は、一昨日や今日の香里と何の違いもなかったからだ。そしてそれ以上に気になることが、

「なんでよりにもよってあの二人が入れ替わったんだ?」

そう、それだった。この二人の間に、何か入れ替えのきっかけになるようなことがあったのだろうか。大体、何がきっかけでこんな意味不明な現象が、しかも三件も立て続けに起きてるんだ? まったく分からない。

入れ替えの組み合わせも謎過ぎる。真琴とみちる、一弥に聖先生、それから北川と香里。北川と香里はともかく、残りの二組は面識すらろくに無い。該当人物の性格や性別、住んでるところとか年齢もバラバラのバラバラ。理解不能の極致に達してる気がしてならない。

「……ひょっとしたら、その内俺も誰かと入れ替わったりして……」

ふと、そんな不吉な考えが頭を掠めた。悪い考えというものは一端浮かぶとなかなか消えてくれないもので、おまけに俺の潤沢な想像力がその悪い考えをさらにわけの分からない方向へ持っていってしまう。

「そうだな……例えば名雪辺りと入れ替わって……」

名雪の姿になった俺と、俺の姿になった名雪の様子を同時に思い浮かべる。

……名雪と、俺……

………………

…………

……

 

朝の風景。

「祐一、起きてよ祐一。朝だよ。学校だよ」

「うにゅ……もう少し寝かせてくれ……」

「うー……祐一、いつも大変な思いをしてるんだね。これからはちゃんと起きるようにするよ」

「うにょ……」

登校風景。

「わ〜、待ってよ祐一〜」

「遅いぞ。俺はいつもそんな風に走ってるんだ」

「うー……祐一、いつも大変な思いをしてるんだね。これからは早く家を出るようにするよ」

「ああ、そうしてくれるとありがたい」

放課後。

「おう名雪。今日はお前のおごりな」

「えー……しょうがないよね。今日はわたしが祐一だからね。これからはなるべく無理は言わないようにするよ」

「ああ。そうしてくれるとすっごく助かるぞ」

「うー」

 

……おおっ! 俺を悩ます名雪の問題がたった一日で全部綺麗に片付くぜっ! そうだよっ! 名雪も一度俺の立場に立ってみればいいんだよっ! こうすれば俺はもっと毎日が快適になるんだよっ! 滅茶苦茶名案じゃ

……いや、待てよ……?

………………

…………

……

 

登校風景。

「名雪、今何時だ?」

「祐一、今日は祐一がわたしだよ。わたし祐一だから、腕時計、持って無いよ」

「ぐはぁ……そう言えば俺、腕時計持ってなかったんだ……」

「頼むよ祐一〜」

授業風景。

「名雪、後でノート写させてくれよ」

「祐一、今日は祐一がわたしだよ。祐一、全然ノートとってないから、どこから取ればいいのか分からないよ〜」

「ぐはぁ……そう言えばそうだった……」

「頼むよ祐一〜。後でわたしが写さなきゃいけないんだからね」

放課後。

「それじゃ名雪、帰るか」

「ダメだよ祐一〜。今日は部活がある日だよ。ちゃんと行かないとダメだよ」

「ぐはぁ……そう言えば名雪、陸上部の部長さんだった……」

「祐一に言われて始めたことなんだからね。ちゃんと部長さんしてきてね」

 

……なんか、悪いこともずいぶんあるような気がするぞ。そう言えば俺、なんだかんだで結構名雪頼みの部分が多いような気がしてきた……いや、最後のはちょっと違う気がするが、遠因になってるのは俺だし。ううむ。ちょうどプラスマイナスゼロ、ってとこか……

「そう上手くはいかないもんだな……」

そうつぶやいた時、ふと目に何かが飛び込んできた。すかさず視界に捉え、それを注視する。

「……?」

さらに目を凝らし、じっくりとその姿を確認してみると……

「……秋子さん?」

それは、俺のよく知る人だった。

 

「秋子さん」

「あら、祐一さん。どうしたんですか?」

「秋子さんこそ、どうしたんです?」

俺はそこまで走っていって、秋子さんに声をかけた。秋子さんはくるりとこちらを振り向いて、いつもポーズで俺を見た。

「ええ。ちょっと、真琴を迎えに行っていたんです」

「ああ、そうですか……って、肝心の真琴はどうしたんです?」

「先に帰りましたよ。私は少し遠野さんのお母さんとお話をしていましたから」

「なるほど」

「みちるちゃん、やっぱり自分の家が一番いいんでしょうね。私が連れて行ってあげたら、すぐに家の中に入っちゃいましたから」

「……………………」

秋子さんはにこにこ笑顔で言うが、どう考えてもあの朝の惨殺処刑がみちるの心に深い深いオレンジ色の傷をつけたとしか思えない。で、可能な限りその原因から離れたいと思ったんだろう。うはぁ。めっちゃ同情。

「それで、ずいぶん遅くなったんですね」

「ええ。遠野さんのお母さんがとってもお話し上手な方で……ついついしゃべりすぎちゃいました」

「そういうことだったんですね」

「ええ。うふふ……」

秋子さんが微笑みとは違う、何か本当にうれしそうな表情を浮かべたので、俺はふと気になって尋ねてみた。

「……どうしたんです?」

「いえ、大したことじゃないんですよ。ちょっと、遠野さんに言われたことを思い出して」

「何か……いいことを言われたんですか?」

「ええ。私のこと、名雪と見間違えたんですって。私もまだまだ現役ですね。うふふ……」

「なるほど。それは良かったじゃないですか……正直、俺もそう思いますし」

俺がぼそりとつぶやく。そりゃあ無理も無い。秋子さんは、名雪という娘がいるにもかかわらず、何かこう間違ったみたいに若々しくて綺麗だ。当然、そんな秋子さんの娘だから、名雪もよく見てみるとなかなかの美人だったりで……って、何言ってんだ俺。

「……? 祐一さん、何か言いました?」

「あっ、い、いいえ。何も言ってませんよ」

「あらあら。そんなに慌てなくてもいいんですよ」

秋子さんは再びにっこりと微笑んで、俺を見つめている。ううむ。やっぱりこの人に隠し事は出来ないな。とは言っても、隠すようなことなんか特に無いわけだが。

「それじゃあ、帰りましょうか。名雪もそろそろ帰ってくるころですし」

「そうですね……あっ」

「……? どうしたんですか? 祐一さん……」

俺が帰りかけた矢先、俺がとある人にから重大な任務……いや、そんな大それたことでも無いけど、とにかく頼まれごとを一つされていたのを思い出した。秋子さんに言わなきゃな。

「すみません秋子さん。帰りにちょっと、霧島診療所まで寄っていっていいですか?」

「いいですよ。でも、どうしてです?」

「……えっと、ちょっと聖先生に頼まれて、様子を見てきて欲しいって頼まれたんです。聖先生、今日ちょっと出張するみたいで」

「あらあら……そうなんですか。いいですよ。私も一緒に行きますね」

「そうしてくれると助かります」

と言うわけで、途中で出会った秋子さんと共に、一路霧島診療所に向けて歩き始めた。

 

幸い、秋子さんと出会った場所は、診療所からさほど離れていない場所だった。五分もしないうちに、診療所にたどり着く。

「特に変わったところは無さそうですね。妹さんがいるみたいですし」

診療所の中を見てみても、誰もいる気配はしない。きっと、もう中に戻って二人で団欒しているのだろう……いや、片一方は恐らく滅茶苦茶困惑状態だろうけど。

「そうです……あら?」

と、秋子さんが何かを見つけたように言った。

「……どうしたんですか? 秋子さん……」

「祐一さん……あそこにいる人、その、妹さんじゃないですか?」

「えっ?!」

驚いた俺がその方向を見てみると、

「……佳乃?」

あの佳乃がいた。しかも、なんだか様子がおかしい。というか、どこか落ち込んだような表情をしている。

「秋子さん……俺ちょっと、話聞いてきます」

「分かりました。私も行きますね」

秋子さんと俺は短く言葉を交わして、壁に寄りかかってしょぼんとしている佳乃のほうまで走っていった。

 

「おい佳乃、どうしたんだ?」

「あ、祐一君……」

「何かあったのか? かず……じゃなかった。聖とケンカでもしたのか?」

あの明るさの象徴のような佳乃が落ち込んでいるのだ。可能性としては、佳乃に一番近しい人物・聖(今は中身が一弥だけど)先生と何かあったとしか考えられなかった。

「ううん……違うんだよぉ……」

「じゃあ……どうしたんだ?」

「えっとねぇ……お姉ちゃん、なんだか元気が無いみたいなんだよぉ……」

「……元気が無い?」

「うん……帰ってきてからずっと、椅子に座ったりベッドで寝たりして、一言もしゃべらないんだよぉ……」

「……………………」

……確かに、言葉を発さないのは招待を悟られない一番の方法だとは思うけど……

「かのりん、お姉ちゃんに何か悪いことしたのかなぁ……」

「そんな事は無いと思うぞ。単に元気が無いだけだって」

「そうかなぁ……かのりん、どうすればいいのかなぁ……」

元気が無い佳乃……なんか俺は今ものすごく珍しいものを見ているような気がするが、なんていうか、元気が無い佳乃って普通に可愛くないですか皆さん。少なくとも俺はそう思いますよ。なんていうか、すっげぇ儚げ、みたいな。

「佳乃ちゃん、大丈夫ですよ」

「えっ? 祐一君、この人、祐一君のお母さん?」

「まあ、そんな感じかな。本当はちょっと違うんだけど」

「へぇ、そうなんだぁ。綺麗な人だねぇ」

「あらあら……今日はなんだかとってもいい日ですね」

嬉しそうにする秋子さん。あれだな。佳乃は思ったことをすぐ口にするタイプだから、あれは本心だろう。秋子さんも多分それを見抜いてるから、余計にうれしいんだろうな。いい事だ。

「それで、かのりん、どうすればいいのかなぁ?」

「簡単ですよ。佳乃ちゃんは、お料理得意かしら?」

秋子さんと佳乃が話を始めた。秋子さんはこーいうのがすごく得意だから、ここは秋子さんに任せてみることにするかな。

「うん。ばっちりだよぉ。お姉ちゃんが『こんな味は他のどこを探しても無い』って言ってくれたからねぇ」

「それなら、お姉さんのためにおいしいものをたくさん作ってあげるといいですよ。元気が無いときは、おいしいものを食べるのが一番ですから」

「うん! そうだよねぇ! かのりん、頑張ってみるよぉ!」

「それと、お姉さんの肩たたきなんかをしてあげるのもいいかも知れませんね。疲れてるときには、本当に気持ちいいですから」

「うん! そうだよねぇ! かのりん、力いっぱい叩いてみるよぉ!」

「最後に、たまには一緒に寝てあげるのもいいと思いますよ。佳乃ちゃんみたいな優しい妹さんと一緒に寝れば、きっといい夢を見られるはずですから」

「それもやってみるよぉ! ありがとうだよぉ! えっと……」

「あらあら。そう言えば、まだ名前を言ってませんでしたね。私は『水瀬秋子』です。どんな呼び方でもいいですよ」

「秋子さんって言うんだねぇ。うん、分かったよぉ。ありがとうだよぉ!」

「それじゃあ、頑張ってくださいね」

さすがは秋子さん。まともなアドバイスだ。俺なんかが出るよりよっぽど良かったな。

「かのりん、頑張ってみるよぉ!」

「おう! 頑張れよっ」

佳乃はすっかり元気を取り戻して、診療所の中へ戻っていった。やれやれ。やっぱり佳乃は元気な姿が一番だな。

「秋子さん、さすがですね」

「あらあら。そんな事は無いですよ。最初に佳乃ちゃんに話しかけたのは、祐一さんの方ですから」

「でも、実際にアドバイスしたのは秋子さんですし」

「そうかも知れませんけど、きっかけを作ったのは祐一さんです。祐一さんは、困っている人を見るとほっとけないんですね。いいことですよ」

秋子さんはにっこり微笑んで、

「それじゃあ、これで帰りましょうか」

「そうですね。名雪や真琴も待ってるでしょう」

「うふふ……そうですね。それじゃあ今日は私も佳乃ちゃんに負けないぐらい、おいしいものをたくさん作りますからね」

元来た道を引き返した。俺もその後について、ゆっくりと歩き出す。

(ああ、なんだかすげぇいい事をした気分だな……いい事した後って、こんなにいい気分になれるものなのか……)

俺はその時、そう考えていた。すごく、晴々とした気分だった。

……そう。その時は……

 

……俺も秋子さんもこの時……「霧島佳乃」という人間を、あまりに……あまりに知らなさ過ぎた……

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586