〜第二十四話:「名子ルルは観子ルル」〜

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「……は?」

俺は素の状態で聞き返していた。ごめんちょっと待って欲しい。今秋子さんは、俺になんと挨拶を返しましたか? なんかちょっと……いやちょっとどころじゃなくて、相当おかしくないですか? よしちょっと待て。今秋子さんがなんと言ったか、もう一度思い出してみるんだ。

「おはよう。祐一っ」

……うん。どう考えても何かがおかしい。これは秋子さんのセリフじゃない。いくら秋子さんだからって、いきなり普段の口調をここまで一気に崩すようなことは考えられない。秋子さんお得意のいたづらかも知れないが、なんかそれにしては雰囲気がおかしい。何かが違うっ。

と、そこへ。

「祐一さん、どうしたんですか?」

名雪が歩いてきた。助かった。これでこのもやもやを相談する相手ができた。

「ああ、名雪か。聞いてくれ。秋子さんの様子がおかしいんだ」

「あらあら……それは困りましたね。どういう風におかしくなってしまったのですか?」

「なんていうか、秋子さんなんだけど、秋子さんじゃないみたいなんだよ」

「あらあら……そうなんですか……」

「そうなんだよ名雪……って、ええっ?!」

……いや、ちょっと待て。名雪も何かおかしいぞ。名雪って俺にこんな口調で話しかけてきたか? むしろさっきの秋子さんの口調の方が名雪っぽく無いか? で、今の名雪の口調のほうが秋子さんっぽい気がするぞ……あれか? これは二人で俺に仕掛けている新手のいたづらなのか?

そ、それとも……もしかして……

……もしかして……

その時、台所の方から秋子さんがとてとてと歩いてきた。

そして発した言葉。

 

「あ、お母さん。お皿並べておいてくれた?」

「ええ、並べておいたわよ。名雪」

 

時が止まった気がした。

 

「……つまり、朝起きてみたら、名雪と秋子さんが入れ替わっちゃったんですね……?」

「うん。そうだよ。わたし、びっくりしちゃったよ」

「ええ。私もびっくりしました」

席について話をする俺と名雪(秋子さん)と秋子さん(名雪)。朝から恐ろしく衝撃的な出来事と遭遇してしまった。なんだか今日も疲れそうだなぁ、俺。

「それで……見た目は秋子さんだったのに、口調は名雪だったのか……」

「うん。祐一ならきっとすぐに分かると思って」

「そ、そうなのか……」

……それにしても、心が入れ替わっちゃったってのに、二人ともすげー落ち着いてるなぁ……いや、これは落ち着いてるというよりむしろ、いつも通りと言った方が正しい気がする。昨日言ってたことは、どうやら本当だったみたいだな……

「それで……今日はどうするんです?」

「えっ? 何が?」

「いや、何が? って、秋子さんに学校に行ってもらうつもりなのか?」

俺は当然の質問を投げかけた。いくら二人が親子だからって、そう簡単に親が子になりきれるものなのだろうか。二人の性格はよく似ているようで、実は細かいところでかなりの違いがある。もしそこを不審がられたら、何か厄介ごとが起きそうな気がしてならなかった。

この俺の問いに対し、秋子さん……いや、名雪はこう答えた。

「うん、そうだよ」

まったく事も無げである。最初からそういうことに決まっていたかのような感じだ。

「いやお前、『うん、そうだよ』って簡単に言うけどなぁ……」

「大丈夫だよ。お母さんなら、きっとうまくやってくれるよ」

「秋子さん……いいんですか?」

「了承」

名雪……いや、秋子さんはそう言って返した。やはり一秒である。見た目が変わっても、中身は秋子さんだ。

「……………………」

……ううむ。どう見ても名雪にしか見えない(というか、見た目は名雪そのものなんだが)のに、中身は秋子さん……うわぁ、なんか滅茶苦茶だぞこれ……

「それじゃあお母さん、今からはわたしがお母さんで、お母さんがわたしだからね」

「うん。分かったよお母さん。わたしが名雪で……」

「私がお母さんですね。それじゃ名雪、祐一、朝ごはんを食べましょう」

「あ、は、はい……」

二人はあっという間に完全に入れ替わってしまい、一人付いていけない俺だけが残されてしまった。というか文字だけだったら、どっちがどっちとかちっとも分かんねぇ。声色も(当然だけど)同じだし。

 

「それじゃあ、気をつけて行って来てね〜」

朝食を取り、朝の細々とした支度を済ませた後、やはりいつもより早目に家を出る。なんていうか、あんまり落ち着かなかったのだ。

「ダメだよお母さん。お母さんはいつも『気をつけて行って来て下さいね』って言うよ」

「あっ……そうでしたね。それじゃ、気を付けて行って来てくださいね」

「うん。行って来るよ」

「い……行ってきます……」

……やはり、落ち着かない。

何気なく、名雪(秋子さん)の方を見てみると……

「〜♪」

鼻歌交じりでなんだかうれしそうだ。俺は今、今日一日をいかにして乗り切るかということで頭が一杯一杯になっているのだが、秋子さんはどうもそんな感じでは無さそうだ。というか、学校に行けるのを楽しみにしている節すらある。

……とりあえず、何か話すか。

「あ、秋子さん?」

「〜♪」

「秋子さん?」

「〜♪」

「おーい、秋子さーん」

「〜♪」

駄目だ。全然気づいて無い。っていうか、分かってて気付いて無いような気がする。

……じゃあやっぱり、こう呼ぶしかないのか……

「……名雪」

「あっ、祐一、どうしたの?」

……どうやら正解のようです、先生。

「すみません秋子さん。俺、やっぱり違和感でいっぱいです……」

「大丈夫ですよ祐一さん。私はしっかり名雪をやりますから、祐一さんはいつも通りの祐一さんでいてください」

「とりあえず、そうしたいのは山々なんですけど……っていうか秋子さん、心なしかうれしそうじゃありませんか?」

「あら、そんなことはありませんよ♪」

「そ、そうですか……」

思いっきりうれしそうな気がするのは、きっと気のせいとかじゃなくてマジだと思う。

「祐一さんと学校に……きゃ♪」

……絶対うれしそうだ……しかも、何か間違ったうれしさだ……本当に大丈夫なんだろうか。というか、俺と名雪(今は秋子さんの体だけど)は月曜日にちゃんと元通り登校できるのだろうか。すげぇ心配だ。

と、そこへ。

「おはようっ。二人とも」

「おはようございますですー」

美坂姉妹、登場。まぁこの二人なら、秋子さんともきっと面識があるだろうし、問題なく乗り切れるだろう。

「よう香里。それと栞も」

「おはよう香里〜。栞ちゃんも一緒なんだね〜」

「そうですよー。あ、祐一さん祐一さん、今日もお弁当、作ってきたんですよ」

「お、また作ってきてくれたのか」

「今日は私も手伝ったから、適正量になってるはずよ。多分」

「お姉ちゃんっ。それはいつも私が適正量を超えて作ってるみたいじゃないですかっ」

「事実だろ、それ」

よしよし。どうやら上手く乗り切れそうだな。二人とも、これはモノホンの名雪だと信じてそうな雰囲気だ。いい感じだ。

……と、思っていた矢先のことだった。

「……………………」

「……どうした? 香里……」

香里がちょっと難しい顔つきをして、名雪の顔を見た。

「……ねぇ名雪、一つ聞いてもいい?」

「うん。いいよ〜」

「名雪、ひょっとして香水変えたの?」

「えっ?!」

「いつもと何か香りが違うし……そう言えばこれ、秋子さんがいつも使ってるのと同じじゃないかしら……」

「……ぐ」

……早速大ぴんちだしっ! 何事にかけても鋭い洞察力を見せる香里が、いつもの名雪との違いを早速見つけ出し始めた。

「そ、それは……」

「……?」

「き、気分、だよっ!」

「……ぐぐ」

すげぇ。これ以上苦しい言い訳があるだろうか。いつもの秋子さんからはまったくもって想像できない(できるわけがない)ぐらい苦しい言い訳だ。一体どうしちまったんだよっ。秋子さんっ。

「そう……それならいいんだけど……あれ、名雪のお気に入りだったから、ちょっとびっくりしちゃって」

「た、たまにはそんな気分の日もあるんだよ」

「……………………」

……大丈夫かなぁ。いろいろな意味で。

 

一瞬ひやっとはさせられたものの、それから先は特に何事もなく過ごせている。秋子さんも名雪にすっかり慣れた様子で、ごく普通に過ごせている。

「わ、そうなんだ〜」

「ええ、そうなのよ。斉藤君、ああ見えて結構マメなのよ」

……しっかし、やはりあんな朝の短時間のうちに精神入れ替えをちゃんと受け入れて、しかも入れ替わった先の相手に完璧になりきれるなんて……さすがは秋子さん。やっぱり俺たちのお母さ

「それでね香里ちゃん、昨日祐一が……」

「……香里……ちゃん?!」

「ずこーっ!」

「わ、祐一さん、どうしたんですかっ。急に何も無いところでつまづいてますよっ」

あ、秋子さんっ! あなた今誰だと思ってるんですかっ! 本当に分かってるんですかっ!

「な、名雪……あなた、どうしたの?」

「な、なんでもないおー! き、聞き違えだおー!」

「……だおー?」

「ぐはーっ!」

「わ、祐一さん、また何も無いところでっ」

秋子さんっ! それは名雪ですけど、普通香里の前そんな言い方はしませんよっ! 落ち着いてくださいよっ!

「名雪……今日のあなた、やっぱりちょっとおかしいわよ。何かあったの?」

「な、なんでもありませんっ。な、なゆちゃんはこれがいつものなゆちゃんですっ」

「どはーっ!」

「わ、祐一さん、今日はきっと厄日ですっ。これでもう三回目ですっ」

あーきこさぁぁぁぁぁんっ! だんだん駄目になっちゃってますよぉっ! なんかもうグダグダだしっ!

「あーもうっ! あきっ……」

「……相沢君……?」

「になったら、みんなで紅葉狩りにでも行きたいなぁ」

「それ、いいですね。私がお弁当を作りますから、みんなで行きましょうよっ」

「……………………?」

や、やばい……俺も今「秋子さん」って言いかけた……火に油を注いでどうするよ、俺……

この言葉を聞いた香里が、さらに追及の手を強める。

「……二人とも、何か隠してない?」

「か、隠してなんかいませんおー!」

「俺はいつだってあけっぴろげのおっぴろげだぞ」

「祐一さん、やっぱり何か隠してます。ちょっといつもと違います。お姉ちゃんの言うとおりです」

「そうよ。栞の言うとおりだわ。二人とも、何かヘンよ」

二人揃って俺たちを追及し始める美坂姉妹。

(ちょ、ちょっと待ってくれよ。普通に大ぴんちじゃねぇかっ。どうするんだよっ。誰か来てくれよっ)

などと考えながら、俺が冷や汗をたらしながら周囲を見回していると……

(……あっ!)

誰かいた。

「〜♪」

鼻歌混じりにこちらに歩いてくる、金髪ポニーテールの女の子。それはよく見ると、俺の見知った顔で、それは……

(……観鈴!)

俺のクラスメート・神尾観鈴だった。幸い、他に人はいない。一人だけなら都合がいいが、二人以上この中に入られると余計に話がこじれかねないからな。それに観鈴なら、この場を上手く収めることができそうだ。

(ぃよしっ! あいつに来てもらって、状況を有耶無耶の曖昧にしてもらおうっ!)

そう考え、すばやく声をかける。

「おーい、観鈴ーっ! お前、一人か? 一緒に学校行こうぜ」

「?」

観鈴がこちらを振り向いた。

「あ、神尾さん。おはようっ」

「おはようございますですー」

美坂姉妹が続けて挨拶をする。それに気付いた観鈴がこちらにぱたぱたと駆け寄ってきて、いつものように「にははっ」と笑いながら挨拶を

 

「いよっす! おはようさんっ! 今日はええ天気やなぁ! 一日張り切って行くでぇ! ははははは!」

 

……しなかった。全然違う挨拶だった。観鈴らしさの欠片もなかった。むしろ別人だった。別人二十八号。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「おはようございますー。朝から元気ですねー」

「せや。うちは朝から元気やでー。なんや、あんた以外の三人、元気ないなぁ」

「本当ですねー。祐一さん、名雪さん、お姉ちゃん、みんなどうしちゃったんですか?」

……あまりにもあまりな事態に、俺も名雪(秋子さん)も香里も、揃って言葉という言葉をことごとく失った。観鈴について何も知らない栞だけが、楽しそうに話をしている。

「あんた、なんて名前や?」

「あ、私は美坂栞っていいます。お姉ちゃんの妹ですー」

「さよかー。これからもよろしゅう頼むで!」

「はいですー」

俺と香里が、まるで油の切れた機械人形のように首をきりきりと動かし、お互いに見つめあう。ちなみに、俺の冷や汗は完全に止まってしまっている。

「……な、なぁ香里……一つ、聞いてもいいか……?」

「い、いいわよ相沢君……聞いて……ちょうだい……」

「……本物の観鈴は、どっかに監禁されてるとかなのか……?」

「……あ、ありえない話じゃ……無いと思うわ……」

俺も香里も……香里はどうだか知らないが、とりあえず、観鈴の身に何が起きたかは大体予想が付いた。そして、俺はこう思った。

 

(この街……出て行こうかな……)

 

素で思った。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586