#11 The Fellow

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五分くらい間を置いてから、律儀に制服へ着替えなおした中原さんが姿を現した。肩にはばっちりラケットも提げている。忘れ物はなさそうだ。

「ごめんね〜……すっごく待たせちゃったし、あんなにドタバタしちゃったし……」

「いやあ、僕もあそこまで混乱すると思ってなかったからね……とりあえず、今は落ち着いて話ができそうだね」

「うん。服もちゃんと着替えたし、荷物も忘れずに持ったし。遅くなったけど、帰ろっか」

時刻はもうすぐ六時半。帰るつもりだった時間から一時間も経ってしまった。とは言え、中原さんと帰れるのは嬉しかったし、何より――家に帰りたいという思いは、それほど強くはない。外で過ごせるのならそれに越したことはないと、僕は実際のところ、むしろありがたいとさえ思っていた。あの人だって、家に僕がいないほうが気が楽なはずだ。

お互いに触れずに済むのなら――それでいいじゃないか。

「ホントにごめんね。こんなことになっちゃって……」

「僕は全然構わないよ。けど……部室で居眠りしちゃうくらいだし、疲れが溜まってるんじゃない? それも、結構」

「うん……秀明くんの目はごまかせないね。テスト前だから勉強もしなきゃいけないし、部活のほうも、今ちょっと大変なことになっちゃってるから」

「大変なこと?」

中原さんの口調からは、普段は微塵も無い深刻な空気が感じ取れた。間髪入れずに僕が訊ねると、中原さんは頷いてから続けて話をした。

「一年生の女の子が一人いるんだけど、その子がもうすごく上手で、一年生だけど今度の地区大会に出ることになったんだよ」

「それは凄いね。けど……他の一年生の子との間で揉めちゃってるとか?」

「そう、その通り。他の子達が不満に思ってるみたいでね、何人かがその子に嫌がらせとかをしてるみたい。カバンの中身を荒らしたりとか、靴を隠したりとか」

「なんとなく、そんなところだろうと思ったよ」

「わたしは最近になって気付いたけど、結構前から起きてたみたい。誰が積極的に嫌がらせをしてて、誰が見て見ぬふりをしてるだけなのかも分からないから、まだ表立っては言えないけど、でも、雰囲気が悪くなってるのは間違いないから……」

「嫌だね、そういうの。本当に嫌だ」

疲れるのも分かる気がした。部内で代表を巡る足の引っ張り合い、と言うと語弊があるな。一方的に誰かの足を引っ張る無為な行為が行われていて、中原さんがその対応に追われているというわけだ。真面目で優しい中原さんだから、足を引っ張ってる子たちの気持ちも傷付けないように心を砕いて対応しているのだろう。疲れた顔をする彼女の顔を見ていると、僕の胸もちくちくと痛む思いがした。

「でも、大丈夫。わたしがなんとかするからね。このまま、丸く収められるように頑張るよ」

「あんまり無理したり、一人で背負ったりしちゃダメだよ。いざとなったら、騒いで他の人に伝えることも考えたほうがいいからね」

「うん……ありがとう、秀明くん。今はまだみんなと話ができてるから、たぶん大丈夫。きっとなんとかなるよ」

下がりかかったカバンを今一度持ち直して、中原さんが僕に応えた。

そう言えば、と話題を切り替える意味も込めて意識して前置きし、僕は中原さんと話す段になったら言おうと思っていたことを口にした。

「昨日貸してもらった『ネイティのいた日々』、今日だけで七割くらい読んだよ。あれすごく面白いね」

「わ、もうそんなに読んだんだ! すごいよ〜。ね? わたしが言ったとおり、面白いでしょ?」

「お墨付きは伊達じゃないね。ネイティを『和菓子みたいですねえ』って医者が言うところで、僕もう笑いが堪えられなくてさ」

「あったあった! ふふふっ、あそこ、わたしも笑っちゃったよ。和菓子みたいっていうのが、ああ、あるあるって感じがして」

「ここさ、本当は『お前、さすがに和菓子はおかしいだろ』って突っ込まなきゃいけないんだけど、絵を見れば見るほど『和菓子……だよなあ……』って感じがしてさ、突っ込む気力が失せてくるんだよね」

「なんかさー、ひなびた温泉旅館のお土産とかで『銘菓 ことり饅頭』みたいな名前で置いてそうなんだよね、あのデザイン。もちろん『ことり』はひらがなで!」

「口の中がパサパサになる皮に、一個食べたら渋いお茶が欲しくなるようなごってりした餡が詰まってそうだね、あれは」

中原さんの笑いのツボは僕とよく似ているようだった。そして中原さんの言った「銘菓 ことり饅頭」。本当にありそうだ。わざわざ「ことり」をひらがなにしてくる辺りが、「いかにもありそう」感を無駄に爆上げしている。十中八九パッケージには毛筆体で商品名が書かれ、タイトルの右下辺りに四角い朱印(文字は「謹製」とかそういうの)が押捺(印刷)してあることだろう。ほぼ間違いあるまい。

ネイティの容貌を和菓子と呼んだ箇所で吹き出したのも同じだったし、僕らは別の箇所でも同じ感想を抱いていた。

「ネイティと話をするところ、『あなたが見えるようになったのは、何か理由があるはず』って何度も言い聞かせてるのが、わたしすごく印象に残ったよ」

「うん、そこは僕も同じ。弘前さんはネイティと真っ直ぐに向き合おうとしてるんだ、真面目に対峙しようとしてるんだ、ってね」

「ポケモンが付いてくるようになって困ったところとか、他の人には見えなくて悩んだりするところとか……なんだか、ありそうだなって思うもん」

弘前さんはあの辺りは面白おかしく茶化して書いてはいるけど、実際は物凄く悩んだに違いない。見たこともないような異質なものが自分の側に寄り添ってきて、しかも自分以外の他人はその姿を見ることができない。だから誰にも相談できないし、自分の中で抱えるしかない。ポケモンと言う概念が確立されていなかった時代のことだから、弘前さんの苦悩や懊悩は察するに余りあった。

僕だってカラカラが見えるようになってすぐは、あいつが一体何なのか見当も付かなかった記憶があるし。

「ちょっと話は変わるけど――あの本にも書いてあって、別の場所でも何回か聞いた覚えがあるんだけどさ」

話の流れが真面目な方向へ行ったのを感じた僕は、予てから言おうと思っていたことを会話の俎上に乗せることにした。

「ポケモンって、そのポケモンの親が抱えてる悩みとか苦しみとか、そういうマイナスの感情がカタチになったものだってする説があるんだ」

「うん。わたしも、それは聞いたことがあるよ」

「有名な説だからね。いろいろな人が意見を言ってるけど、僕の経験からすると、その説はかなり正しいと思ってるんだ」

「つまりカラカラくんは、秀明くんの悩んでることとか、辛いことが目に見えるようになって出てきた、ってことなのかな?」

「そうだね。僕はそう思ってるよ。ずっとあいつと一緒にいて、長くいればいるほど、強く思うようになってきたんだ。こいつは僕の悩みそのものなんだって。弘前さんとまったく同じだよ」

「そっか……やっぱり、そうなんだね」

中原さんの反応を伺いながら、僕は言葉を組み立てる。前々から内々に思案していたこと。それを今ここで、はっきりと口に出してしまおう。僕は意志を固め、思い切って口を開いた。

「カラカラは僕の抱えてる悩みとかわだかまりとか、そういう処理しきれない感情がそのままカタチになったようなポケモンなんだ。それこそ、弘前さんのネイティのように」

「僕が訊きたいのは、チェリンボも同じなのかな、ってことなんだ」

カラカラとネイティは、極端な言い方をすると僕や弘前さんの悩みの発露そのものだった。

だとすると、チェリンボにも同じことが言えるんじゃないか、中原さんにとってチェリンボは、解しがたいほどに絡まった悩みの糸がカタチとなって顕れたものなんじゃないか。前々から、僕はそう考えていた。

「……うん。合ってる、合ってるよ。秀明くんの言ってること、みんな合ってるよ」

「チェリンボは――わたし、そのものだよ」

肯定的な言葉を受けた僕は、少しばかり勢い込んでしまった。

「じゃあ、それは……」

それは一体どういう意味なのか。僕は彼女とチェリンボの関係性について具体的に問おうとして、途中で言葉を引っ込めてしまった。

言葉を投げかける相手先である中原さんに、かつて自宅の門扉の前で見せたような暗く濃い影が纏わり付いているように見えて、言ってしまえば興味に由来する僕の安直な問い掛けは、彼女を傷つけることにしかならない――そう気付いたからだ。

中原さんは僕が言葉を詰まらせた様を、しっかりと捉えていた。

「秀明くん、ごめんね……たぶん、まだもう少し時間がいるよ」

「いや……僕の方こそ無神経なことを訊こうとして、ごめん」

「ううん、大丈夫。弘前さんの本を読んだら、近いうちに訊かれるんじゃないかって思ってたからね。わたしのチェリンボも、悩みがカタチになったものじゃないか、って」

チェリンボの正体や由来にフォーカスを当てられることを、中原さんはとうに予想していたみたいだった。

「だけど、今はまだ、話す決心がつかないよ」

「無理しなくていいよ。中原さんにとって、話すのが一番辛いところだろうしね」

「うん……わたし、今はこのままの方がいいな。秀明くんとわたしにだけ、チェリンボやカラカラくんが見えてる、今のあり方が」

中原さんの気持ちは、僕にもよく分かった。僕と彼女の間でだけ共有している、ポケモンが見えるという秘密。自分達だけがポケモンを見ることができていて、他の人には見えていない。そんな今の状況は、僕にとってもなかなか楽しいものだった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586