#01 夏休みと新学期のボーダーライン

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九月一日。長い長い夏休みが明けて、最初の登校日。

「京香、忘れ物してない? 宿題は全部入れたの?」

「入れた入れた。昨日死ぬ気で全部終わらせたんだから、忘れるわけないっしょ!」

「来年はもっと計画的に片付けるんだぞ。父さんが子供の頃は、八月の頭にはもう終わってたからな」

「昔は昔、今は今。比べたって仕方ない仕方ない!」

あれこれお小言を並べるパパとママをさくさく流して、履き慣れたスニーカーの紐を結ぶ。

さあ、久しぶりの学校だ。

あたしは京香。天見京香(あまみ・きょうか)。静都の常磐市に住んでる中学一年生。取り柄? 元気な所とかじゃない? そういうのって自分で言うもんなのかどうかは分かんないけど。

「それにしてもまあ、よく焼けたわねえ。真っ黒じゃない」

「今年は日差しが強かったんだから、仕方ないわよ。そうでしょ?」

「あら。中学生にもなって、朝から晩までテッカニンを追い回してたのは誰かしら?」

「えっとお、智也と風太に琴樹に……あっ、あと公介? 他にもいたかも」

「ちょっとちょっと、あなたもでしょ、京香。外で遊ぶのはいいけど、少しは女の子らしくなさい」

「えぇー。だってあたし、今のままの方が楽しいし。別にいいじゃん」

「あのねえ、京香。秋穂ちゃんや勝美ちゃんを見てご覧なさい。あなただけよ、そんなことをしてるのは。だいたい京香は落ち着きが無さ過ぎるのよ。それに……」

げえ。また始まっちゃった。ママのぐちぐちお小言タイム。こりゃダメだ、さっさと退散しよう。

「あーはいはい、分かった分かった。今度ゆっくり聞くから、今日はここまでっ! もう、学校遅れちゃうし」

ま、その「今度」とかっていうのは、たぶん来ないんだけどね。

「もう、まったく。仕方ない子ねえ。じゃあ、そろそろ行ってらっしゃい」

「んじゃ、行ってきまーすっ!」

地面を蹴って一気に駆け出す。さんさんと輝く太陽が、目に眩しい。

「相変わらずだなあ、京香は。元気なのはいいが……」

「元気いっぱいなのはいいけど、ちょっと元気に育てすぎたかも知れないわねえ」

玄関に来たパパとママが何か話してるけど、聞こえない聞こえない。

目指すは、学校だ。

 

「あ、いたいた。おーいっ、風太ぁ!」

「やあ、天見さん。おはよう」

家を出て五分くらい経ったところで、風太の姿を見つける。本名は今宮風太(いまみや・ふうた)。あたしが背中に向かって声を掛けると、風太はこっちにくるっと振り向いた。

「おはよっ。あれ? 智也は?」

「寝坊したんだって。宿題ずっと溜め込んでて、二時までかかってやっと終わらせたって、LINQ(リンク)に流してたよ」

「LINQかあ。あれってさ、あたしのケータイじゃ使えないの?」

カバンのポケットからケータイをするりと取り出す。もう二年くらい前に買ってもらった、パカパカ開くタイプのケータイ。何回も地面に落っことしたり壁にぶつけたりしてるせいで、あちこちが傷だらけ。それでも電話もメールもできるし、いいやって思ってたけど、何か最近、LINQってのが流行ってるらしい。

LINQって何? 友達のあっきーにそう訊いてみたら、なんか小さいグループみたいなものを作って、そのグループにしか見えないメッセージのやりとりができたりする(これは便利そうだ)、らしい。あと、顔文字みたいに可愛いアイコンを送ったりできる(これはどっちでもいい)、らしい。

というわけで、今のあたしのケータイじゃ使えないのか訊いてみた。

「あれだよ、パカパカのケータイ用のもあるらしいけど、すごい不便らしいよ」

「えー、ちょっと何それ。スマホに買い換えなきゃ使えないってこと?」

「そうそう。天見さん、ケータイもうボロボロだし、買い換えればいいんじゃないかな。あと、扱いが雑すぎだと思う」

「いいじゃん。ちゃんと動いて、電話もメールもできるんだから」

「うーん……僕は、見てくれも大事だと思うけどなあ……」

あたしのケータイじゃ使えないのか、LINQ。気になるんだけど、そのためにスマホに変えるのもなんかめんどくさいし、ママが「まだ三年経ってないでしょ」と目をひん剥く姿が目に浮かぶ。こりゃダメだ、諦めよう。

連絡するなら電話もメールもあるし、まあいいっしょ、別に。

「あっ。向こうにいるのは……おーい、琴樹ーっ!」

「あ、ホント。琴樹だ。琴樹ぃーっ!」

風太と合流して十分くらい経った頃。交差点で突っ立ってる同級生・琴樹の姿を見つける。本名は、あれだ、確か三国琴樹(みくに・ことき)。名前がほんのちょっぴり女の子っぽいのは、琴樹が生まれてくる前に親が女の子の名前しか考えてなかったけど、後で男だって分かって、あらかじめ考えてたのを慌てて弄って作った名前だから、ってのを本人から聞いた。

とまあ、その名前を呼びかけてはみたものの。

「……返事がないわね。まーたボーッとしちゃってるのかしら」

「学校でもよくあんな感じになっちゃってるしね。仕方ないから、直接声掛けに行こう」

琴樹は体つきはがっしりしてるけど、しょっちゅうボーッ何かに見入ってる、マイペースな男子だ。どうせ珍しいポケモンでも見かけて、いなくなっても延々同じ場所を見てるとかそんなんに違いない。いつもすっとろいから、時々活を入れてやらなきゃいけないのよね。世話が焼けるわ。

直接声を掛ければ分かるだろう、あたしはバッと駆け出すと、琴樹に背中からぶつかりに行った。

「おらぁ! 琴樹ぃ! 返事しろ返事ぃ!」

「うわっと!? ああ……なんだあ、京香ちゃんか。びっくりしたなあ」

背中をばしっと平手で打ってやると、琴樹はようやくあたしたちに気付いたみたいだった。遅すぎ。

「なぁにこんなとこで突っ立ってんのよ。朝っぱらからなみのりするピカチュウでも見たわけ?」

「いやあ、そうじゃあ、ないんだけど……」

「何か面白いものでも見かけたの? それとも、変わったものとか?」

「うーん。なんていうのかなあ、見たことない子を見たんだ。同い年くらいの。でも、見かけない子だったなあ」

あたしの通う中学には、周辺の三つの小学校から持ち上がりで生徒が通うようになっている。だから小学生のときに知らない子が教室にいるのは当然で、別にどうってことはない。ただ、琴樹の様子は、それとはなんか違う。

「誰それ。転校生?」

「うん。なんか、そんな感じだったなあ」

琴樹の「見たことない」は、多分根本的に雰囲気が違うとか、そういうことを言いたかったに違いない。で、中学校の制服を着てる。ここで考えられるのは、転校生だろう、やっぱし。

「ああ、可愛い子だったなあ。また会えるといいなあ。うっとり……」

「女の子だったの? あんたが見たのって」

「そうだよ。こう、丸っこい顔立ちで、ちょっと小柄で、おしとやかな感じの、すてきな娘だったなあ。あれは、きっと女の子だよ」

「へえーっ、見たことない女の子かぁ。僕らの学校に転校生で来てくれたら、楽しそうだね」

「えー、あたしは女子より男子の方がいいけど。なんかさ、女子ばっかでいると息苦しいし。おんどりゃー! 息つまるんじゃぼけーっ! って叫びたくなっちゃう」

「天見さん……こう言っちゃなんだけど、天見さんって、何も言わなきゃ結構かわいいと思うよ、僕。でも、思い切って言っちゃうと……全部自分で台無しにしてる気がするよ」

風太が隣でぽつり。もちろんそれを聞き逃すあたしじゃない。

「……はぁ? ちょっと風太、それどういう意味よ」

「そのままだよ。天見さん、静かにしてれば割といい線いってるって、難波君とかが言ってたんだ。僕も同じ意見だよ」

「もう、何寝ぼけたこと言ってんのよ。つまんないこと考えてないで、さっさと学校行くわよ」

ホント、何言ってんだか、風太らしくもない。色気のいの字も知らなさそうな子供っぽい顔で、よく言うわよ。あたしは「可愛い」だなんて言われるより、「強い」とか「かっこいい」とか言われる方がいいし。

ぼさっとしてる風太と琴樹を後ろに引き連れて、しゃきしゃき学校へ歩いていく。

「琴樹君はどう思う? さっきのこと」

「うーん、僕も、結構それに近い意見かなあ」

「ねー。そうだよねー」

二人の会話はこの後も続いてたけど、しれっと無視しといた。

 

「おっはよー!」

「あっ、京香ー! おはよう」

「いよーっす。あっきーもかっちゃんも元気してたー?」

「うん。何事もなく、無事に過ごせたよ」

「元気は元気だけどさ、京香には敵わないわね」

教室に飛び込んで開口一番お腹から声を出して挨拶。側に座ってた秋穂(あっきー)と勝美(かっちゃん)があたしに気付いて目を向ける。お、二人共元気そうで何より何より。夏休み中はあんまり会えなかったし。

「京香ちゃんは元気に……あ、してたっぽいね、その焼け方だと」

「ホントだ、すっごい焼けてるじゃん。ずっと外でいたとか?」

「そりゃそうよ。夏休みなんだから、遊ばなきゃ損じゃない。違う?」

「うーん、それはそうだけどね。相変わらず元気一杯で、ちょっと羨ましいよ」

「どーしたのよあっきーったら、梅雨時みたいな顔しちゃって」

「そんな、大したことじゃないよ。気にしないで」

曖昧に笑ってごまかすあっきー。何かあったのかな、けど話してくれそうにないし、今はそっとしとくしかないか。ほっときゃそのうちどうにかなるでしょ。

「そうだそうだ京香。今日からさ、転校生来るみたいだよ、うちのクラスに」

「マジで!? なんか噂あるみたいだけど、ここに来るって決まったわけ?」

「見てよ、あっちあっち。ちょうど京香ちゃんの右だよ」

「えっ、あたしの隣……?」

あっきーに言われてみて、あたしは初めて自分の席の辺りへ目をやる。あたしの席は窓際、それも一番後ろの隅っこにある。ぐーっと体を伸ばして、ずずいっと奥を覗き込む。

すると、そこには。

「あの座席……終業式ん時は無かったよね?」

「無かった無かった。今日来てみたら、京香の隣にしれっと追加されてたって感じ」

空いていたはずの隣に座席が一つ。意味なくこんなものを置くわけがないから、ここにはきっと誰かが座ることになる。

それは夏休みになるまでこの学校にはいなかった生徒、すなわち転校生の可能性が大ってことだ。

「うわ、マジかあ……朝に琴樹から見たことない子がいるって話聞いたけど、なんか女子らしいね」

「みたいだよ。直恵ちゃんがこないだ、お母さんみたいな人と歩いてる、同い年くらいの女の子を見たって言ってたし」

「てかさ、うちのクラスうっさい男子ばっかだし、静かな子が来てくれればいいな。もうこれ以上騒がれるのはうんざり」

「え、かっちゃんは女子の方がいいの? 分かんないわね」

「私はどっちでもいいけど、でも、できれば落ち着いた子の方がいいかなあ……」

「あっきーまで? これから体育祭とかあるんだし、騒いでくれる子の方がいいと思うけどねー、あたしは」

どーも、二人とは話がかみ合わない。どうせ来るなら、元気でノリのいい子がいいし。あたしの隣に座るんだし尚更。とは言え、実際にその転校生とやらが来るまでは何も分からない。始業式の後だろうから、楽しみにしときましょっか。

さて、あと数分で朝の会のチャイムが鳴る、ってところで、どたどたとやかましい音が聞こえてきた。

「おっとっと、危ねえ危ねえ。もうちょっとで遅刻するとこだった……」

「遅っせーぞ智也ぁ! 宿題くらいちゃんと片付けとけぇ!」

遅れて教室へ飛び込んできた智也にご挨拶。まったく、宿題で夜中の二時まで起きてるなんて、馬鹿よ馬鹿。せめて十一時までには片付けなさいってとこね。

「はぁ? なんだよ、京香のくせに。可愛げもへったくれもねえ?男女(おとこおんな)?のお前に言われたかねーよ」

「……なんですってぇ!? よくも言ってくれたわねっ、この馬鹿智也ぁ!」

「馬鹿って言った方が馬鹿だよ、ばーかばーか!」

「このぼけぇ! 今すぐ粛正してやるからっ、そこに直りなさいっ!」

ふざけたこと言って、ただじゃ済まさないわ! 一発蹴っ飛ばしてやらなきゃ分からないみたいね。上等よ、やってやろうじゃない!

「あーあ、まーた始まっちゃった。萩原もホント懲りないのね。つきあう京香も京香だけど、まー荻原は確実に馬鹿だわ」

「うーん……あれだよ、京香ちゃん、元気でいいんじゃないかな……? 荻原くんも、まあ……」

こうして、夏休み明け一日目から、教室は喧騒に包まれるのだった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586