#02 転校生と在校生のボーダーライン

586

退屈の極みに達していた始業式をあくびを連発しながらどうにかやり過ごして、あたしたちは教室に戻ってきた。

「ねー風太、始業式退屈だったでしょ? なんか面白いことしてくれればよかったのに。突然歌い出すとかそういうの」

「確かに退屈は退屈だけどさ、そんな面白いこととかする場面じゃないよ、始業式は」

「えー、やだー。退屈だしー」

「うーん、暴れん坊の京香ちゃんには、確かに退屈な時間かなあ」

「ちょっと琴樹、誰が暴れん坊よ。口に出して言っていいことと悪いことがあるわよ」

「僕は、いいと思ったんだけどなあ」

「よくないよくない。全然よくないに決まってるっしょ」

がやがやと落ち着きなく騒いでいると、遅れて白鷺先生が入ってくる。国語を担当してる、若い女の先生。若手の割に落ち着いてて、授業を取りまとめるのも上手いから、みんなからは結構人気がある。あたしもいい先生だと思う。

そういえば、中学に上がって一番ビックリしたのは、科目毎に担当する先生が違うことだったっけ。今はもう慣れたけど、最初のうちはなんだか新鮮な気持ちがしたのを覚えてる。変わったんだなあ、そう思った。

「はい、皆さん。おはようございます」

「おはようございまーす」

「えー、夏休み明け初日で、ほとんどの人がテンション低いですけれども、おはようございます」

あたしは一応お腹から声出したけど、まあそりゃそうだ。昨日までずーっとお休みだったのに、今日からまた学校が始まるんだもん。憂鬱になる子だって多いだろう。あたしは学校好きだから、別にどうってことはないけど。

夏休みで乱れた生活リズムを早く元に戻しましょうとか、まだまだ暑い日が続くから体調には十分気をつけましょうとか、始業式に校長先生が話してた内容をまるっとまるまる復唱する感じの話がだらだら続いて、こりゃダメだ、また眠くなる――あくびをかみ殺しながら、ぼんやりそう思い始めた時だった。

「では、続いて――新しくこのクラスに加わる、転校生の子を紹介したいと思います」

きたっ! とばかりに、ゆるゆるに緩んでいた教室の空気が瞬時にシャキッと引き締まる。一体どんな子が来るんだろう、今から気になって仕方ない。みんなの顔を見回すと、揃って同じことを考えてるみたいだ。そりゃ当然か。

教室の前側にある扉に目配せすると、白鷺先生が声を上げた。

「橋本さん、入って来てください」

……橋本? 先生、今「橋本」って言わなかった?

(もしかして……)

ずいぶん懐かしい、でも忘れたことは一度もない名字。不意に昔の懐かしい記憶が沸いてきたかと思うと、今いる教室の風景がぼやけていく。記憶のリンクがどんどんつながって、頭の中で洪水が起きる。あんな光景もあった、こんな出来事もあった……取り留めのないいろんな場面が、浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返した。

いつも隣にいて、一緒に遊んだ友達。おとなしくて、おしとやかで、泣き虫で、怖がりで、でも……可愛くて。とても素敵な友達だった、今でも変わらずに、ずっとそう思ってる。

ああ、懐かしいなあ。

(でも、橋本なんて名字、よくあるし……)

光り輝く旧い記憶の海を悠々と泳いでいた意識が、殺風景な教室の中にいる今へとすっと引き戻される。名字は同じでも、別人っていうか、まあ全然関係ない人だよね、常識的に考えて。でも、懐かしい気持ちになれたのはよかった。久しぶりに、すっごくいい気持ちだった。

(がらららっ)

お、いよいよご対面ね。さてさて、転校してきた「橋本」って人は、どんな人――

 

「……こほん。えっと、皆さん、初めまして! わたし、『橋本涼――」

「りっ……りりっ、涼ちゃん!? ちょっ、マジで!? マジで涼ちゃんなの!?」

「……えっ!? きっ、京……ちゃん……!?」

 

――涼ちゃんだ。涼ちゃんが、あたしの目の前にいる……!

目の前に突然涼ちゃんが出てきた。その光景が信じられなくて、目を目一杯見開く。たかだかほんの数秒が、何倍、何十倍、何百倍もの長さに感じる。あたしは水飴のように引き伸ばされた時間の中で、視線の先にいるのが確かに涼ちゃんだってことを、改めて実感した。

「はいはい、天見さん。ちょっと座りましょうね。話があるなら、後でゆっくりしてちょうだい」

「あ……は、はい……すいません」

突然立ち上がって、裏返った素っ頓狂な声を上げたことに気付いたのは、先生に穏やかな声で諭されてからだった。身体が無意識のうちに跳ね上がって、声が喉の奥から勝手に飛び出していた。仰天した、驚いた、びっくりした。そんな言葉じゃ全然どんくさくて追いつかないくらいの超スピードで、電撃があたしの全身を駆け巡った。

転校生も――涼ちゃんも、あたしの姿を見つけて目をまん丸くしてる。これは間違いない。絶対間違いない。天地がひっくり返っても、間違いない。

あれは、涼ちゃんだ。

「ごめんなさいね、橋本さん。そのまま、自己紹介を続けてください」

「あっ……はいっ。えっと、静都の日和田市から引っ越して来ました。ふつつか者ですが、皆さんよろしくお願いします!」

丸みのある顔立ち、少し丸まった背筋、何より、聞き覚えのある優しい声。これが現実のこととはとても思えなくて、なんだか夢を見てるような気がしてきた。不安になってきて、軽く手のひらをつねってみる――いたたたっ、痛い、確かに痛い。今の光景は夢じゃない。夢じゃないんだ。

涼ちゃんが、ここに、常磐市に、この学校に、あたしのクラスに、間違いなく来たんだ。

「はい、自己紹介ありがとう。今日から皆さんと一緒に勉強することになった、橋本さんです。どうか仲良くしてあげてくださいね」

「はーい」

「じゃあ……向こうの、天見さんの座席へ座ってください。天見さんとは知り合いみたいだし、ちょうどよさそうね」

「はいっ。ありがとうございます」

ああ、涼ちゃんがこっちに来る。あたしの隣の席、そこに涼ちゃんが来る……! そう考えただけで、胸が高鳴る、どきどきしてくる、飛び上がりそうになる!

ずずず。椅子を引いて涼ちゃんが座る。一心にその姿を見つめ続けてると、涼ちゃんが自然にこっちを向いた。目が合う、視線が交錯する、気持ちが重なる。

「京ちゃん……!」

「涼ちゃん……!」

声を潜めて、お互いの名前を呼び合う。そこにいるのがあたしで、涼ちゃんで、確かに間違いないことを感じるために。

あたし――また、涼ちゃんに会えたんだ。

 

先生の話が終わって帰る段になると、わあっとみんなが集まってきた。

「橋本さんは、静都から引っ越してきたんだよね?」

「はい、そうです。静都は日和田市、こことは比べ物にならないくらいの田舎です」

「あたしのおばあちゃん家がそこにあるから、どんな場所かは知ってるよ。周り全部山だよね?」

あたしの隣にクラスメートが寄り固まって、涼ちゃんにあれやこれやと質問を浴びせている。クラスに転校生が来たら、まず最初のイベントはコレだろう。涼ちゃんは一生懸命にそれに答えてる。ホント、昔と変わってないなー。

ちょっと気弱で引っ込み思案、だけど何をするにも全力投球。あたしの知ってる涼ちゃんそのまんまだ。健気で素敵、可愛らしい。ああ、よかった、変わってない。何も変わってない。昔と同じ光景を、ここでもまた見られるんだ。

「ねえ、得意な運動とかってある? バスケとか興味ないかな?」

「ごめんなさい、バスケは不得意で……あ、でも、泳ぐのは好きです!」

「水泳かー……水泳部は無いから、ちょっと残念だな」

そうだったそうだった。涼ちゃんは小さい頃から泳ぐのが大得意で、一緒にプールに遊びに行ったときなんか、もう一日中泳いでたっけ。懐かしいなあ、あれ小二の頃だっけ。あの時の涼ちゃん、輝いてたよ、ホント。水を得た魚、って感じで。あたしも泳ぐの好きだけど、涼ちゃんには敵わなかったなぁ。

あれも懐かしい、これも懐かしい。涼ちゃんと一緒にいた時の記憶は、全部が全部宝物。宝石よりもお金よりも、涼ちゃんとの思い出の方がずっと大切。一生忘れたくない、ずっと変わらない、大切な人生の宝物だ。

「橋本さん橋本さんっ、今付き合ってる人とかいないの!?」

「えっ!? そ、それは……」

「はいはーい、くだらない質問しなーい。涼ちゃんを困らせたら……古沢、あたしがあんたを困らせるわよ? 主に物理的な意味でね♪」

「……はい、分かりました」

まったく、男子ったら油断も隙もありゃしないんだから。可愛い涼ちゃんに悪い虫が付かないように、あたしがしっかり見張っとかなきゃね。

こうやって三十分くらいずーっと質問攻めが続いて、ようやく一段落する。ふう、と一息入れる涼ちゃんを見ていると、涼ちゃんがあたしのいる方向へ向き直った。

「京ちゃん……ごめんね、さっきはありがとう。急にどきっとする質問されたから、びっくりしちゃったよ」

「どうってことないって。あいつ古沢って言うんだけど、もう誰に対してもあんな感じの軟派野郎だから、あたしがびしっと言っとかないとね」

ほっとした様子の涼ちゃんを見ていると、なんかこう、あたしの方まで嬉しくなってくる。この感覚も一緒だ、全然変わってない。あの時のままだ。

「ね、涼ちゃん。あたしの家来ない? パパもママも出掛けてるから、やりたい放題だし」

「いいの? だったら、行かせてほしいな」

「いよっしゃあ! 決まり決まりぃ! そうと決まったら善は急げっ! 涼ちゃん、行こっ!」

「わわっ、待ってよ京ちゃんっ!」

お昼から涼ちゃんと一緒に遊ぶことになった。もう待ちきれなくて、あたしは涼ちゃんの手を引いて駆け出していた。

あたしは何から話そうか、涼ちゃんは何から話してくれるか――期待に胸が高鳴るのを感じながら、全速力で教室を飛び出した。

「こらぁーっ、天見! 廊下を走らなーいっ!」

「走ってませーん! 速歩きしてるだけでーすっ!」

先生のお小言なんかじゃ、今のあたしは止められないし!

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586