#07 ポケモンとトレーナーのボーダーライン

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「よーし涼ちゃん! 今日の授業も終わったし、帰りましょ!」

「うん。交差点の辺りまで、一緒に行こっか」

授業終了・終わりの会終了・掃除終了。三拍子揃ったところで、あたしは涼ちゃんと一緒に帰ることにした。部活はやってないし、他に学校に残る理由もない。それはあたしも涼ちゃんも同じだった。

階段をすたすた降りて、下足室でスニーカーに履き替え。涼ちゃんが靴箱を閉めるのを確認してから、開け放たれたガラスのドアを潜る。グラウンドを横目に見ながら歩いていけば、校門はすぐ近くだ。

「涼ちゃん、今日も前に出て答え発表してたわよね。答えもバッチリあってたし、冴えまくってるじゃん!」

「大したことじゃないよ。でも、褒めてくれてありがとう。京ちゃんが側にいるって思ったら、勇気が沸いてくるよ」

「いやいや、すごいって。だって日和田にいた頃の京ちゃん、当てられたらすっごい驚いてたし」

「うん。やっぱり、前に出るのが嫌だったよ。目立っちゃうし、答えが間違ってたらどうしようって思うし……」

涼ちゃんが前に出て発表するようになったのは、あの一回こっきりってわけじゃなかった。むしろしょっちゅう手を挙げて、黒板で答えを披露してるくらいだ。毎回きちんと正解してるし、字も丁寧だから、クラスのみんなもちょっとずつ涼ちゃんを見る目が変わってきていた。

前からは考えられない。純粋にそう思う。やっぱり、涼ちゃんも成長してるんだ。あたしの背が伸びて、喋るのも流暢になってきたのと同じで、涼ちゃんも変わってきてるんだ。四年顔を合わせてない間に、色々あったんだろうって思う。またその話も聴いてみたい。

「あれ……?」

「お、涼ちゃんどうしたの?」

さあもうすぐ校門――ってところで、涼ちゃんがいきなり立ち止まった。あたしは涼ちゃんの視線をぐいぐい追っかけて、涼ちゃんが何を見てるのかを確かめてみた。

「ねえ京ちゃん。あれって、バトルフィールド?」

「そうそう。この学校さ、ポケモンバトル部があるのよ」

涼ちゃんの目を釘付けにしていたのは、背の高いフェンスで覆われた中にある、やや小さめのバトルフィールドだった。

あたしが涼ちゃんに言ったとおり、この中学校にはポケモンバトルをするための部活がある。ポケモンバトルって言っても、ポケモンリーグでやってるような大掛かりで派手で何でもありなタイプとはちょっとイメージが違う、「スポーツ」としてのバトルだ。ポケモンリーグの子会社みたいなところが、えーっと、学生ポケモンリーグだったっけ。そういう名前で季節毎に大会を開いてて、このクラブみたいなところはそれを目標にして練習してるって聞いた。

名前だけじゃなくて、ルールも全然違ってる。本職のポケモントレーナーがするバトルは、トレーナー一人につきポケモン三匹の個人戦になることが多い。それに比べてこっちは、一人のトレーナーが一度の戦いでフィールドに出せるのは一匹だけ。それで先鋒・次鋒・中堅・副将・主将ってな具合に五人でチームを組んで、順番に戦っていくって寸法。大会が始まると順番の入れ替えができなくなって、最初に登録した順番で最後まで戦い抜くことになる。

もっと変わってるのが、使えるポケモンや出してもいい技なんかがすごく細かく決まってるところ。ある程度実力を揃える必要があるとかそういう理由で、全部で六百五十種類くらいいるポケモンのうち、半分くらいが使用禁止って扱いになってる。技も同じで、例えば「かみなり」や「ふぶき」「じしん」、あるいは「たつまき」なんかの、言い方はアレだけどほとんど災害みたいな技は使えないし、「だいばくはつ」とか「はかいこうせん」「どくのこな」みたいな、間違って使うと死人が出掛ねない大技も禁じ手。このルールがあるから、大技で相手をねじ伏せるって展開はまず起きない。大抵細かい技を積み重ねて行って、頭を使って勝つ流れになる。

他にもポケモンへの指示の出し方(必ず声を出して指示を出す、とか)やトレーナーの振る舞い方(礼に始まり礼に終わる、的な)なんかが事細かに決められてて、とにかく普通のポケモンリーグのバトルとはいろいろ違う。細かい点を挙げ出すとキリが無いから、まあこれくらいにしとこう。

(あたしも興味あったんだけど、ルールが細かすぎて「こりゃダメだ」ってなっちゃったのよねー)

中学に入った頃は入部してみようかと思ったけど、さっき言った通り何から何まで決まり事が多すぎるって知ってげんなり。結局入部は見送って、さっさと家に帰るようになったのが今の状況ってこと。

とはいえ、ポケモンバトルそのものは見るの大好きだし、それは学生同士のバトルだって同じこと。あたしと涼ちゃんが見た先にあるフィールドでは、今まさに、部員同士の練習試合が始まろうとしていた。

「よーし、行っくよー! 出てきて、アクアリルっ!」

「リル!」

「ならこっちも! 頑張れっ、フルートっ!」

「きゅいっ!」

こっち側の男子のトレーナーが出した「フルート」ってのは……あれ? なんだっけ、あの頭に花乗っけたポケモンは……。

「あ、思い出した! キレイバナよキレイバナ!」

「惜しいね京ちゃん。大体合ってるけど、ちょっとだけ間違ってるよ」

「えっ、マジで? 正解は?」

「正しくは、キレイハナ、だね。発音が濁らないんだ」

「なるほどー。綺麗だけに濁りがない、ってわけね」

何かあたし、微妙に間違って名前を覚えてるポケモンが多いのよね。ゴローニャを「コローニャ」だと思ってたり、クイタランを「クイラタン」って信じて疑わなかったり、ガブリアスがどういうわけか「アグリアス」に化けてたりとか、そんなんばっか。我ながらちょい恥ず。

で、向こう側の女子トレーナーの「アクアリル」ってのは……おお、あれは知ってる。名前もちゃんと覚えてるやつだわ。

「向こうのは……あっ! マリルね、マリル! みずねずみポケモンの!」

マリル。みずねずみポケモン。ねずみって言っても、耳から体から尻尾まで全部丸々した、漫画とかアニメに出てきそうな可愛いタイプのねずみだ。水辺や海に生息してて(ポケモンは海水でも淡水でも変わらずに棲める種族が多いとか)、泳ぐのが大得意、らしい。

あたしはデカくてゴツゴツしててカッコいいポケモンの方が好きだけど、その正反対、ちっこくて丸々してて可愛らしいマリルもかなり嫌いじゃない、てか好きだ。ぴょんぴょん跳ねる姿も愛嬌あるし、首を傾げるポーズなんて最高に愛くるしい。側に連れてるだけで楽しそうだなあって、見るたびに思うもん、実際。

「先制っ! アクアリル、相手にのしかかって!」

「フルートっ、右に回避だ!」

そうこうしてるうちに戦いが始まって、マリルのアクアリルが先手を取って攻撃を仕掛けた。男子も女子も結構経験者みたいで、指示の出し方も手慣れた感じがする。アクアリルとフルートはすぐに指示に従って、アクアリルは攻撃を仕掛ける、フルートがそれをかわすって流れになった。

アクアリルは水系、フルートは草系のポケモン。草は水を吸い取るって言われてるから、普通に考えるとフルートの方が優勢だ。あたしはそう思うし、それはフィールドにいる男子も女子もとっくに分かってるだろう。だから、そこからどう攻めるか・守るかがポイントになって来るに違いない。あたしはフェンスのすぐ側まで寄って、二人のバトルの行方を見守った。

アクアリルが体を「まるくなる」で柔軟にしてから「ころがる」を繰り出して、防御を固めつつ威力を底上げした攻撃を繰り出したり、フルートも「はなびらのまい」で文字通り乱舞した後にすぐに木の実を食べて興奮状態を抑えたり。絵面はそこまで派手とは言えないけど、一線級のトレーナー同士の戦いでも見られるコンボがちょくちょく出てきたりしていて、あたしの目はますます釘付けになった。

学生ポケモンリーグは使えるポケモンや技に制約がある分、その中で様々な工夫が試されている。で、その過程で奇想天外な戦術が編み出されて、中にはとんでもないくらい高い効果を発揮するものもある。学生リーグで出てきた戦法が本家ポケモンリーグに持ち込まれるのは日常茶飯事で、そこからさらに新しい連携に発展することもあるみたいだ。そういう意味でも、学生リーグに注目してる人は多いって聞いた。

二転三転した試合を決めたのは、この一撃だった。

「今よ、アクアリル! ど真ん中に『れいとうパンチ』をお見舞いしてあげて!」

フルートに疲労の色が見えてきたのを見逃さず、アクアリルは小さな体躯を活かして懐へと飛び込み、ちっちゃい腕をフルに使った「れいとうパンチ」をクリーンヒットさせた。水を使った攻撃は楽々耐えるフルートも、植物をダメにするほどの低温を伴うこの打撃は堪えたみたいだ。大きく吹っ飛ばされて、それが決定打になった。

「あちゃー……負けちまったか。相変わらず、椿とアクアリルは息ぴったりだな。さすがだよ」

「大樹とフルートだって、いい線行ってると思うよ。わたしだって、気を抜いたら負けちゃってたと思うしね」

「なら、今度は俺が勝ってやるぜ。そのためにも、またフルートと一緒に特訓だな!」

男子と女子は互いの健闘を讃え合って、練習試合はこれにて終了という運びになった。

「すっげぇー! あの二人レベル高ぇー! 最後の決め技とか超カッコいいし!」

自分でもこれちょっとテンション高すぎかもって思ったけど、あれだけの試合を見て興奮を抑えるなんて無理な相談だった。

「ねえねえ涼ちゃんっ、見てた見てた!?」

隣にいた涼ちゃんの肩を叩いて呼び掛ける。涼ちゃんの感想も聞きたいし、あたしの感想も涼ちゃんに話したかったからだ。涼ちゃんもきっと楽しんだに違いない、あたしはそう考えて、涼ちゃんの反応を待った。

だけど。

「あ……うん。ちゃんと見てたよ。最後まで……」

明らかに平静を取り繕っているのが分かる、端々から不安が滲み出た顔つきをして、あたしに泳いだ目を向けた。

「り、涼ちゃん、どうしたの? なんか、いまいち元気無いけど……」

「えっとね、フルートちゃん、大丈夫かなって思って……最後、思いっきり吹っ飛ばされてたから……」

「あ、ああ……そうそう最後! 最後すごかったわよね! こう、ぐっと踏み込んで、ばしっと一撃で決めちゃってさ!」

「うん……すごく痛そうで、ちょっと、可哀想になっちゃって……」

あたしは固まった。涼ちゃんの言葉にどう返事をしたらいいのか、考えが思い浮かんで来なかった。

さっきまであたしと涼ちゃんが見ていたのは、確かに同じもののはずだった。男子のフルートと女子のアクアリルが戦って、アクアリルが「れいとうパンチ」でフルートを倒した。同じ試合を見て、同じ展開を見て、同じ結果を見た。なのに、あたしと全然別のものを見たような、そんな感想を口にした。

そして――涼ちゃんの言っていることは、別に何か間違ってるってわけじゃない。あたしとまったく違う感想だけど、それが間違ってるってわけじゃ全然無い。

「あ……で、でもすごいね! あんな風にポケモンを戦わせるなんて……」

「そ、そうよね、そうでしょ! いやーホントすごいなーって思うもん」

涼ちゃんは少しぎこちない笑顔を見せて、「すごい」と口にした。あたしは心に残った引っかかりを取り除けなかったけど、涼ちゃんの変化に便乗するような形で、同じように「すごい」と返した。もし自分の顔つきが確認できたら、きっと涼ちゃんなんかとは比べ物にならないくらいぎこちなかったに違いない。

「すごいね……きっと、わたしにはできっこないよ」

「ポケモンが懐いてくれないからよね? 大丈夫だって、涼ちゃんにも懐いてくれるポケモンはいるよ、絶対」

「うーん、どうかな……なんか、そんな気がしないよ。それに、わたしがポケモンを持つなんて……」

ああ、やっぱダメだ。このまま続けてたら、涼ちゃんのためにもあたしのためにもならない。

思い切って話そう。思い切って話してもらおう。きっとそれが一番いいはずだし。

「ねえ、どうしたのよ涼ちゃん。なんかこう、不安なことでもあるの?」

「京ちゃん……」

「あたしでよかったら、何でも話してよ。ほら、涼ちゃんがなんかモヤモヤしてたら、あたしだってモヤモヤしちゃうし」

「……ごめんね、京ちゃん。心配掛けちゃって。やっぱり、分かっちゃったみたいだね」

涼ちゃんはフェンスに背を向けて、ぽつりぽつりとか細い声で話し始めた。

「あのね、京ちゃん」

「こんなこと言ったら、あれだけど」

あたしは身を固くして、涼ちゃんの言葉に耳を傾ける。

「わたし、ポケモンバトルって……なんだか苦手で」

「ポケモンが戦ってるのに、トレーナーはただ見てるだけでいいのかなって、そんな風に思って」

「さっきの試合も、フルートちゃんすごく痛そうで、見てて心配になっちゃって……」

「でも、そういう風に思ってる人って、そんなに居ないと思うから」

「だから、こんなこと言っていいのかどうか、分からなくて……」

ポケモンバトルはポケモン同士が戦う。トレーナーは指示を出すことはするけど、実際に行動するのはポケモンだ。

もちろん、トレーナーだって今の状況を見て、常に最適な答えを探しつづけなきゃいけないから、ただ見てるだけってわけにはいかない。トレーナーにはトレーナーなりのしんどさがある。トレーナーとポケモンの関係は、監督と選手のそれと同じようなものだって思えば、納得できなくもない。

だけど……いくら学生同士で、ポケモンや技に制限があるからといっても、やってることはホンモノの「戦い」だ。涼ちゃんの「見てて心配になった」って気持ちは、おかしいものでも何でもない、全然自然な感情だって思う。そうしてポケモンが最前線にいるのに、トレーナーは傷つかないところにいる。

涼ちゃんの言うことは、また、尤もな内容だった。

(トレーナー……っていうか、人とポケモンの関係って……なんだろ……?)

人がポケモンに指示を出して、ポケモンはそれに従う。指示に従って、相手のポケモンへ戦いを仕掛けて、撃破を目指す。

ずっと当たり前のことだと思ってた。これを疑う余地なんて、猫の額ほどもないって思ってた。人がポケモンを使う、それが当たり前で、常識で、正しいことだって思ってた。

でも、ポケモンにだって意志がある、感情がある、知性がある。

何より――「命」がある。

(なんだろ……どう言えばいいのか分かんないけど、でも……)

初めてそんなところに考えが至って、あたしの頭はパニックになった。

考えるうちにあっという間に頭がごちゃごちゃになって、順序も整理もへったくれもなくなった。

「ヘンなこと言ってごめんね、京ちゃん。そろそろ、帰ろっか」

「あ……うん。そうね、帰りましょ」

涼ちゃんから声を掛けられて、それでやっと思考を止める有様だった。あたしは涼ちゃんに続いて歩いて、校門を潜る辺りでまたいつものように横並びになった。

「今度の日曜日、一緒に遊べるかな? まだ常磐に来たばっかりだから、案内とかしてもらえると嬉しいな、って思って」

「おっけーおっけー! もちろんおっけーよ! この辺りをばっちり案内したげるから、楽しみにしてて!」

いつものように話す。それだけに意識を集中する。

意識の下では――ああでもないこうでもないと、人とポケモンの関係を考えて、普段空っぽのはずの頭の中を目一杯散らかしながら。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586