#08 ”ナシ”と”アリ”のボーダーライン

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「どうでもいいシーンは全部すっ飛ばして、今日は涼ちゃんと遊ぶわよー!」

「それはいいけど京ちゃん、誰に向かって話してるの?」

「誰って、画面の向こうの人よ。ほら、向こう向こう」

「わ、ダメだよ京ちゃんっ。わたしたちは向こうが見えないって決まりなんだから」

えー、めんどくさい決まりねえ。ま、しゃーないか。

それはともかく、今日は日曜日の朝。前もって約束してた通り、あたしは涼ちゃんに常磐を案内することになった。北地区のポケモンセンターで待ち合わせてさくっと合流。

さてさて、まずはどこから攻めましょうか。

「涼ちゃんはどっか行きたいとことかってある?」

「うーん……それなら、常磐の森の辺りまで、連れてってほしいな」

涼ちゃんに希望を訊いてみると、常磐の森へ行ってみたいってことだった。常磐の森はあたしもしょっちゅう遊びに行ってる場所だし、涼ちゃんを連れてってあげたい場所の一つでもあった。よっしゃ、これで決まりってやつね。

「まっかせなさい! こっからだとすっと歩いていけるし、いいところよ」

「ありがとう京ちゃん。日和田の姥目の森が好きだったから、今から楽しみだよ」

「ちょうどあんな感じの森よ。さすがに祠はないけどね」

あたしは涼ちゃんを後ろに連れて、常磐の森を目指して歩き始める。

国道沿いにしばらく歩くと、だんだん道が細くなってきて、ついでに人通りも減ってくる。代わりに増えてくるのが、木々のような植物と、ニドランやコラッタのようなポケモンだ。森に近付けば近付くほど、それはどんどんはっきりしてくるのが分かる。

「今はだいぶ整備されてるけど、昔はもっと木とかが生えまくってて、こう、モリモリしかったのよ、ここ」

「姥目の森と同じだね。あっちも結構道とかができてきて、前と印象が違う感じがするし」

少なくともあたしが引っ越してきた直後くらいには、いろんな人から「天然の迷路」なんて言われるくらいガチの森だった常磐の森だけど、今は歩道もあるし案内板も立ったしし休憩所もできたしで、森というよりかは自然公園みたいな場所になってる。休みの日に散歩してるじいちゃんばあちゃんやおっさんおばさんを見掛けるようになったのも、割と最近のことだ。

あれこれ人の手は入ったけど、元々この森に住んでたポケモン……まあ大体虫ポケなんだけど、そいつらは大体そのまま住み続けてるみたい。なんだかんだで長年住み慣れた場所だし、ちょっぴり人が入って来たくらいじゃ、まあどうとも思わないんだろう。ただ、ねずみポケモンのピカチュウだけは違って、森を出て街に住むようになったみたい。常磐の森が全体的に狭くなったのも、出て行った理由の一つだって言われてたっけ。

ピカチュウはこう、よく「可愛い」って言われてるポケモンなんだけど、前に一回家に忍び込んできて、電気の線から電気をチューチューやって扇風機をぶっ壊されたことがあるから、あたしはなんとなく苦手だったり。こんなことをされたのはあたしん家だけじゃなくて、この近くじゃよくあることみたいだ。あと、あのギザギザの尻尾が雷をおびき寄せちゃって、住宅街のど真ん中に雷が落ちる原因になったりしてる。なかなか扱いに困ってるのよね、実際。

「近くにこんな森があるっていいね。お休みの日の散歩にはうってつけだよ」

涼ちゃんは持ってきた水筒のフタ兼コップをカラカラやって、キュポンって真ん中を押して水を汲むと、ごくごくと一息で飲み干す。繰り返すけど、水筒に入ってるのはお茶じゃなくて、水だ。昔から涼ちゃんは何の味もついてない普通の水が大好きで、何か飲むって時は必ず水にしてた。ちなみにあたしは麦茶が好き。逆にウーロン茶は苦いから嫌い。

額に滲んだ汗をタオルで拭いながら、涼ちゃんはそうやって時々水を飲んでいた。隣で見てたら、あたしも喉乾いてきちゃった。てなわけで……。

「あたしも飲み物買ってきちゃったー!」

「わ、やっぱり『みつばちレモン』だった。京ちゃん昔からそれ大好きだったよね」

「そうそう。この甘酸っぱさがやめられないのよ」

近くにあった自販機で「みつばちレモン」買っちゃいました。てへぺろ。

涼ちゃんの言う通り、あたしはこの「みつばちレモン」が大好きだ。一番好きな飲み物だって言ってもいい。カルピスも麦茶も好きだけど、でも、一番好きなのはこの「みつばちレモン」。そこは絶対に揺らがない。

「京ちゃんって変わらないよね。だから、一緒にいるとほっとするよ」

「そう、あたしはあたし! 背丈は伸びたけど、他は何も変わってないわよ。ずっとこのままがいいもん」

「このまま、かぁ……わたしもそう思うよ。ずっと変わらずにいられたら、それが一番いいよね」

涼ちゃんの言う通りだと思う。お互いに変わらなくて、昔のままのいい関係を続けて行きたい。あたしと涼ちゃんなら、それもきっとできないことじゃない。ずっとずーっと、このままの二人でいられればいいなって、ホントに思う。

だって涼ちゃんはあたしの親友で、あたしは涼ちゃんの親友なんだもん。

 

森の中をのんびり散歩して、いい塩梅にリフレッシュできたところで、あたしと涼ちゃんは一旦森から出ることにした。

「常磐の森って、京ちゃんの家から歩いて三十分くらいかな? 近すぎず遠すぎずってところだね」

「ホント、歩くのにはいい距離なのよね。智也とか風太と遊ぶ場所にもちょうどいいし」

二人で来た道をそのまま戻っていく。細かった道がだんだん広くなって行くに連れて、人や車の数も増えてきた。

「京ちゃん。ここって、車がよく通るね」

「でしょ? 周りが山に囲まれてるし、ここもアップダウン激しいからね。日和田も似たようなもんだったけど、あっちより人口だいぶ多いみたいだから」

常磐市は山あいの住宅地ってポジションだから、車は生活必需品って言ってもいい。隣の丹備市まで行くのも、石英高原へ行くのも、どっちも車が一番都合がいい。パパもママも運転できるし、あたしも早いうちに免許取れって言われてる。けど、パパの趣味で車はMTだから、オートマに比べていろいろめんどいのよね。坂道発進とか、なんかできる気が全然しないし。

歩道の隣を絶え間なくぴゅんぴゅん通っていく車を横目に、あたしと涼ちゃんは歩き続ける。このまま行けばもうすぐあたしの家の近くまで来るから、次はいつも遊んでる公園にでも行ってみようかしら。あ、その前にどっかでなんか食べてもいいかも。もうすぐお昼だし、あたし結構お腹空いてきたし。いよっしゃ、涼ちゃんにも訊いてみよう。

「ねえ涼ちゃん、そろそろお昼だし、どっかで何か食べ……」

あたしの隣に涼ちゃんの姿は無かった。掛けようとした声は、途中で止まってしまった。

その涼ちゃんはあたしの数歩後ろにいて、そして、身じろぎ一つせずにただ立ち尽くしていた。あたしが反射的に涼ちゃんの顔に目を向ける。涼ちゃんの目を見る。涼ちゃんの表情を読み取る。

「…………」

涼ちゃんの表情は凍りついていた。呆然と、ただ目線の先にあるものを、瞳に映し出し続けている。一体何があったのか分からなくて、あたしはその答えを涼ちゃんの視線が指し示す先に求めた。

「あっ……!」

思わず口元を覆う。胸の奥底から、不快な感触がわあっと沸き起こってくるのを感じた。

あたしが目の当たりにしたもの――それは。

「コラッタが……死んでる……」

血塗れになった、コラッタの死骸、だった。

車道を歩いてたところを撥ねられて、歩道まで吹っ飛ばされた。多分、そんなところだろう。この辺りだとポケモンが普通に道を歩いてることも多かったから、これとよく似た光景は、何度か見たことはある。

見たことはある。けど、だからと言って、慣れるようなものでもなかった。胃から微かに逆流してきた酸っぱい味を、唾をごくりと飲み込んで無理くり抑え込む。

「あ、あ……」

「かわいそうに……涼ちゃん、大丈――」

声を失っていた涼ちゃんに声を掛けようとして、あたしは振り向く。

あたしが後ろへ振り向き終えるのと、涼ちゃんに異変が起きたのは、ほとんど一緒のタイミングだった。

「げほっ! うぐっ……ぐえぇっ!」

涼ちゃんは口元を一瞬押さえたかと思うと、顔を雪のように真っ白くにして、唇をナスのように青紫にして、道端に思いっきり「吐いた」。口からどんどん「吐いた」。これ以上無いってくらい「吐いた」。

「り……涼ちゃん!? 大丈夫!?」

びしゃびしゃって音が聞こえて、辺りに飛沫が飛び散る。涼ちゃんの靴やワンピースにも、その飛沫は容赦なく飛んでいく。それを気に掛ける余裕なんて涼ちゃんには無いし、あたしにもあるわけない。そんなことよりも、涼ちゃんの身体に異変が起きてることが、一番の心配事――。

そう言い切りたかったけど、あたしの本心は、別のところを向いていた。

(これ、どういうこと……?)

あたしの心は、涼ちゃんが「吐いたこと」そのものよりも、あたしは涼ちゃんが「吐いたもの」に目が向いていて。

それは……普通に「吐いた」のとは、ちょっと違ってて。

(……「水」……?)

――「水」。涼ちゃんは――無色透明の、さらさらとした、混じりっけの無い、何の匂いもしない、ありったけの「水」を、口から吐き出した。まだまだ強い日差しに焼かれたアスファルトの歩道に、涼ちゃんのぶちまけた「水」が、大きな黒い模様を描いていく。

涼ちゃんは、「水」を吐いた。

もっかい言う。涼ちゃんは「水」を吐いた。吐いたときに口から出てくる、あのぐちゃぐちゃして黄色とも茶色とも言えない色のついたゲロじゃなくて、何の色も付いてない「水」を吐いた。

これって……一体何?

「はぁ……はぁあ……うぇえ……」

「涼ちゃん、しっかりして! 涼ちゃん!」

そんな疑問は、どうにか立っていた涼ちゃんががっくりと膝を折って、その場にへたり込んだのを見てぶっ飛んだ。涼ちゃんがヤバい、大変なことになってる。あたしが慌てて駆け寄ると、涼ちゃんは虚ろな目であたしを見た。

「き、京、ちゃん……」

「涼ちゃん! 大丈夫よ、あたしがいるから、安心して!」

きっと涼ちゃんはあの死んだコラッタを見て、ショックで気分が悪くなっちゃったんだ。どこかで休ませてあげなきゃ。そうすれば、そのうちまた元気を取り戻せるはず。

(水を吐いたのは、きっとさっき水を飲んだから……)

そうだ、思い出した。涼ちゃんは水筒に水を入れて持ってきてて、それを途中で何回か飲んでた。吐いたのが水だったのは、涼ちゃんが水をたくさん飲んでたからだ。そうに違いない。

とにかく! 今はんなこたあ後回しだ! 涼ちゃんを安全な場所まで運ばなきゃ!

「どっか休む場所……あ! てかここ、あたしの家のすぐ近くじゃん!」

ぐるぐるしてた頭がやっと落ち着いて、そもそもここがあたしの家から歩いて五分と離れてないことを思い出す。だったら、あたしの家に連れてって、ソファかベッドかでゆっくり休ませてあげるのが一番いいじゃない。パパもママも映画観に出掛けたし、どうせ夕方まで帰ってこないから、場所は使い放題だ。

これっきゃない。

「涼ちゃん、あたしの家まで連れてくから、もうちょっとだけ頑張って!」

「はぁ、はぁ……う、うん……」

あたしが涼ちゃんに肩を貸すと、涼ちゃんはふらつきながらだけど立ち上がって、足を少し引きずりながら歩いていく。

そうやって涼ちゃんの腕を肩に載せてみて、あたしは初めて気づく。

(涼ちゃん、こんなに冷たくなって……)

冷や汗をかいたからだろうか。涼ちゃんの身体は、はっきり言って信じられないくらい冷たくなっていた。冷蔵庫でみっちり冷やした麦茶入りのペットボトルみたいにひんやりしてる。こんなに躰が冷えちゃうなんて、コラッタが死んでるのを見たのがよっぽどショックだったに違いない。涼ちゃんは繊細だから、倒れちゃっても無理は無い。

あたしは息も絶え絶えの涼ちゃんを支えて、坂の向こうにある家まで急ぐ。

「京、ちゃん……ごめ、ん……」

「謝るよりも休む方が先だし! 今は楽にしてて! 心配いらないわ、あたしが付いてるんだから!」

ちっくしょー……あたしがもし男の子だったら、もっと力も強くなってて、涼ちゃんを担いだり背負ったりして、家まで走れたかも知れないのに! もっと早く涼ちゃんを休ませてあげられるのに!

あたしは歯痒い思いを何回も何回も懸命に噛み殺して、ただただひたすら、家への道のりを急いだ。

 

涼ちゃんを連れて家まで戻ったあたしは、今にも倒れそうな涼ちゃんをどうにかこうにか支えて行って、リビングにあるソファまで運んだ。左手でクッションとかをどけて、涼ちゃんの身体をできるだけ揺らさないようにゆっくり寝かせる。

落ち着ける場所で横になれた涼ちゃんだけど、まだ苦しそうな息遣いをしていた。もう応えるのもしんどいだろうから、声は掛けずにそっとしといた方がいい。それよりも気になるのは、水に濡れて強い風を浴びせたみたいに冷えきっている体温の方だ。平熱が低いとかそういう話は昔聞いたような気がしないでもないけど、なんかこう、そういうのとは明らかに違う。

寝かせた涼ちゃんを見ると、額や首筋はもちろん、言葉通り全身にびっしりと汗が浮かんでいる。もうほとんどびしょ濡れに近い。プールから上がった直後みたいにさえ見える。手のひらで軽く触れてみると、気が遠くなりそうなくらい冷たかった。今の涼ちゃんの半端じゃない体温の低さは、冷や汗がぶわーっと出て身体が冷やされ過ぎたのが原因に違いない――あたしはそう考えた。

このままほっといたら風邪を拗らしてもっと酷いことになる。それに、涼ちゃんだってこんなぼとぼとのまま寝てたら気持ち悪くて仕方ないだろう。ここはあたしの出番。涼ちゃんが気持ちよく休めるように、体を拭いてあげましょ。

洗面所にある棚からふわっふわのフェイスタオルを二枚持ってきて、すぐさま涼ちゃんのいるリビングに戻る。

「涼ちゃん。冷や汗でびしょびしょになってるから、ちょっと拭いたげるわね」

横になってちょっと落ち着いたのか、涼ちゃんは眠ってるみたいだった。苦しげなのは変わんないけど、とりあえずどん底の状態は脱したみたいだ。安心してよ涼ちゃん、なんたってこのあたしが付いてるんだから。涼ちゃんの大親友のあたしがいるから、何も心配いらないわ。

てなわけで、涼ちゃんの汗拭きタイム開始。額から始まって、首筋、二の腕、くすぐったくないようちょっと慎重に腋の下。ワンピースの外に出てる部分は大体綺麗にした。けど、これじゃ足りない。背中とか絶対冷たくなってるだろうし、もっとちゃんとしたげるべきだろう。

「ごめんね涼ちゃん。ちょっと身体を起こさせてもらうわ。しばらくがさがさするけど、気にしないでね」

よし、脱がそう。って言うとまるであたしが変態(もしくは変質者)みたいだけど、動機は至って真面目なんだから一緒にしないでほしい。涼ちゃんのためなんだから。眠った涼ちゃんの体を起こして腕を上げさせて、ワンピースの袖を潜らせる。それからあれこれ手を回していじくり回して、冷たい汗を吸って肌に張り付いてたそれを涼ちゃんからどうにか脱がせる。ついでに下着も脱がせて、涼ちゃんの素肌に触れられるようになった。

さーてじっくり身体を綺麗に――と二枚目のフェイスタオルを手にして涼ちゃんを見下ろす形になった途端、あたしの身体は不意にその動きを止めた。

「えっ……?」

声も出ない。目の前の光景をうまく飲み込めなくて、パチパチと瞬きを繰り返すあたし。

あたしが見たものを、ありのまま、そのまま言うと、こうなる。

(涼ちゃんって……こんなにがっしりしてたっけ……?)

ワンピースを脱がせて肌を露にさせてみて、あたしは涼ちゃんの体つきがやたらがっしりしてる、もっと言うと、骨ばった感じになってることに気が付いた。日和田にいた頃も一緒にプールとか川とかで遊んで、服を着てない涼ちゃんの姿は割と見てきたはずだけど、その頃はふっくらしてて丸みがあって、あたしとそんなに変わらない感じだったはず。

あと――あれだ。こないだのすっとこどっこい男子たちがわーわー騒いでたように、涼ちゃんの胸は「ふくらみ」ってものがまるで無い。なんかもう発育がどうこうとかそういう次元じゃなくて、根本的に何か違うんじゃないのってくらいぺったんこだ。そう、ぺったんこだ。わざわざ二回も言うことかあたし。

やたらと骨ばった体つきに、ぺったんこ(通算三回目)の胸。ぶっちゃけ他人の体つきなんてそこまで意識してなかったし、別段気にすることじゃないって思ってたけど、涼ちゃんのそれは明らかに「違う」。なんだかよく分かんないけど、猛烈な胸騒ぎがする。涼ちゃんの触れちゃいけない部分に触れてるような気がして、今度はあたしが首筋に冷や汗をかく番だった。いったい、こりゃどういうことだ。

まったく、疑いの余地なしに、完全に無意識のうちに視線が動いて、つつつーって足の方へ寄っていって、あたしは恐る恐る涼ちゃんのお腹の下辺りに目をやる。

目をやった先には、涼ちゃんの下穿きがあって、それで……。

……それで。

 

(なんで――『ある』の……?)

 

一言で言うと、「あった」。

涼ちゃんにあるはずの無いもの、あるとは思えないもの、あった記憶の無いものが――「あった」。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586