#10 アウトとセーフのボーダーライン

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で、明けて月曜日。

「ふわぁ……あぁ……」

でっかいあくびを繰り返しながら、あたしは一人学校への道を歩いていく。いつもなら風太や智也と合流する所だけど、今日はどっちの姿も見当たらない。一瞬寂しいなって思ったけど、今の状況を考えると、隣にあの二人がいなくて正解だったかも知れない。風太はともかく、智也はバカだから、あくびしてるあたしにちょっかい出してきたりするに違いない。

アホの子のように大口開けてあくびを繰り返してるのには、一応ちゃんとした理由がある。「一応ちゃんとした」ってよくよく考えたら日本語としておかしいけど、雰囲気的にそう言うしかない感じがするのも事実だ。

(涼ちゃん……)

ご覧の通り、涼ちゃんについて考えてたからだ。涼ちゃんの何を考えてたなんて、今更言うまでもなく。昨日までと今日からで、あたしの中の涼ちゃんのイメージがガラリと変わってしまった。実はポケモンとのハーフでした、しかも男の子に性転換してました。こんな風に言われて、落ち着いている方が無理だと思う。実際今日の朝になってもまだ、涼ちゃんから言われたことがホントのことなのか、どこか信じきれてないあたしがいる。

とは言っても、涼ちゃんが嘘を付くとも思えないし、それに……あたしは涼ちゃんに「ある」のを見ちゃったわけだ。この目でしっかり目撃したわけだから、やっぱりあれは全部ホントなんだろうって思う。男の子のこともそうだし、昨日涼ちゃんが道端でコラッタの死骸を見ちゃったときに口から「水」を吐いたのも、マリルリとのハーフってことの有力な証拠だって考えていい。

涼ちゃんは半分人間半分ポケモンで、見た目は女の子っぽいけど実は男の子だった。それが、昨日分かった事実だ。

(と、とにかく……あたしと涼ちゃん以外に、この事がバレないようにしなきゃ……!)

こうなったら、何がなんでも隠し通すしか無いわ。涼ちゃんは普通の人間の女の子だって、みんなにそう思わせなきゃ!

あたしはとにかく、そう決意した。

 

あれこれ考えながらえっちらおっちら歩いていたら、いつの間にか教室へご到着。

「そうだよね、見た目もかわいいし……あ、京香ちゃん。おはよっ、京香ちゃん」

「おっはよー京香。となると、今日はかつみんが一番遅いみたいねえ」

「あ……なおちゃんにあっきー……おはよ」

あっきーとなおちゃんに挨拶するも、露骨なまでに元気が無いあたし。なんて言うか、二人に挨拶をするだけの気力がいまいち沸いてこなかった。

「どうしたのよ、京香ったら。なーんか元気無いわねえ。いつもだったら『おっはよー!』ってビックリマーク付きで声を張り上げる場面なのに」

「京香ちゃん大丈夫? なんだか眠たそうだけど……」

「あ、いや……昨日ね、ちょっと夜更かししちゃってね、寝るの遅くなっちゃって」

「あら、珍しい。京香も夜更かししたりするんだ」

曲がりなりにも夜更かしは夜更かしだけど……多分、なおちゃんが考えてるような夜更かしじゃないと思う。楽しいものでもなかったし。

てか、ずっと涼ちゃんの事考えてて、眠れなかっただけだし。

「直恵ちゃん、さっきの続きだけど……」

「うんうんいいわよ、続けて続けて」

通学カバンを机に置きながら、寝ぼけ眼で二人の話を耳に入れる。

「男の子って言われても、どう見たって女の子だよね。あの、日和田の……」

「はああぁぁあっ!?」

しれっと耳に入れた話が頭の中でマルマインばりの大爆発を起こして、あたしは一気に目が覚めた。寝ぼけ眼がフルオープンになるくらいの破壊力だ。多分ちっこい町なら地図上から消せるくらいの威力がある。

見た目女の子の中身男の子、しかも日和田どうこうって……誰がどう考えても涼ちゃんのことじゃない! なんだってこんなセンシティブ情報があっさり漏洩してるのよ!

「ど、どどどっ、どういうこと!? おおお、女の子よ、女の子だって、絶対っ!」

「どうしたの? 京香ちゃん。汗すごいことになってるけど……」

「女の子に見えるけどっ、ホントのホントは男の子って、一体誰の話なわけ!?」

「日和田市のジムリーダーを務めてる、筑紫さんのことだよ」

「へ?」

「京香ったら知らないの? いっぺん写真見てみなさいよ。ぜーったい女の子だって思うから。でも、ホントは男の子なのよねえ。不思議なもんだわ」

ど、どうやら違ったみたいね……めちゃくちゃピンポイント過ぎて、涼ちゃん以外考えられなかったわ……とにかく、涼ちゃんのトップシークレットがだだ漏れになってるわけじゃなくてよかったわ。

「あと、これとちょうど逆のパターンもあるよね。男の子に見えるけど、実は女の子っていう……」

「いるいる、いるわねえ。どっちもいわゆるギャップ萌えってやつだわ」

「私が知ってるのだと……ほら、あのポケモンの漫画に出てた、麦わら帽子を被った黄色い服の男装少女!」

「おおー、知ってる知ってる。うちさ、あれ小学生の時めっちゃ読んでたわ。周りにもあれ読んでトレーナーになりたいって思った子も結構いたしねえ。今何巻まで出てるんだっけ? 四十巻くらいだったかしらねえ」

ショックがでかすぎて、その後のあっきーとなおちゃんの話はろくすっぽ入ってこなかった。

どうにかこうにか呼吸を落ち着けて、さて着席。やっと一息つけそうね。

「誰だったっけ? あの、見た目はどう見ても女の子で、女の子として育てられたけど、実は男の子っていう……」

「はいぃいいいいっ!?」

着席して約三十フレーム(約〇・五秒/60fps時)後に再度バーンと起立する京香さんことあたし。頭が上へ行ったり下へ行ったりで大変忙しいせいか若干ふらつき気味。地味に吐きそう。

「それっ、それはブラフよブラフ! ほ、ほんとは女の子に、決まってるじゃないっ!」

「京香ちゃん……なんか顔色悪いけど、大丈夫? 唇青紫色だよ?」

「そ、そんなに顔色悪い……?」

「ひーきょーおー♪ それがおいらのすべてさー♪ って悲しいテーマソングを持ってる某男子並には悪いわね」

それ相当じゃん。病院行けってレベルで青紫じゃん。あたしヤバいじゃん。死に掛けじゃん。

朝から心臓の悪さがハンパじゃないんだけど、どーなってんのこれ。

「あれでしょあれ。ヨーヨーとクマのぬいぐるみが武器のさ」

「そうそう、こないだ直恵ちゃん家に遊びに行ったときに、よく分かんないけど面白いって言ってたあれだよ」

「あっちゃんすごい楽しそうにしてたわよねえ。初めてだった割にはたまに青決めたりFB使ってコンボしたり要所で覚醒ぶっぱしてきたりで、結構センスあったわよ」

「えーっと……なんかよく分かんないけど、ゲームかなんかの話?」

「うん。なんかね、ぴかーんって光ってから、どーんって突っ込んで、相手が壁にびたーんってなる技がすごく強くて、まぐれだけど何回か勝てちゃったんだ」

あっきーのオノマトペに満ち満ちた説明がすごい分かり辛い。なんだ? ぴかーんって光ってどーんって突っ込んで壁にびたーんって。ジェット噴射してぶん殴るとかそんなん? 壁張り付きからさらにコンボに行けるとかそんなん? ぶっ放されるとクソゲーとかそんなん?

まあ、それは置いといて。どうやらこれも、涼ちゃんの話とかじゃなかったみたいね……いけないわ、完全に敏感になっちゃってる。どうでもいいことでいちいち反応しすぎよ、あたしったら。

落ち着くのよ天見京香。ここは冷静に、心穏やかに。静謐な水面のような気持ちで、二人の会話をするりと受け流すのよ。

「いやあ、最近特にああいうのが流行ってるのかしらねえ。女の子みたいな男の子って」

「増えてきた気がするよね。なんか、漫画とかでも見るようになってきたし」

「そうよねえ。うちの兄貴も最近涼ちん可愛い涼ちん愛してるってうるさくってさあ」

「はあぁぁあああぁぁぁぁーっ!?」

がたんがたんがたんずどーん。派手な音と共に派手に椅子から転げ落ちて派手に背中を打ち付けるあたし。大ダメージだ。歴史的大ダメージと言ってもいい。静謐タイムあっさり終了。

「うわっ!? 京香ちゃん、大丈夫……?」

「なななな、何よそれ!? 今すぐ粛正しに行かなきゃ!! なおちゃんどいてそいつ殺せない!!」

「やーねえ京香。涼って言っても、橋本ちゃんじゃ無いわよ。漢字一緒だけど」

「じ、じゃあ、一体誰!?」

「うちの兄貴ったらどーしょうもないヲタでねえ、今アイドルを育てるゲームにドはまりしてるんだわ」

紛らわしいことに、なおちゃんはまたゲームの話をしていた。おかげでこっちは朝からドタンバタンと大忙しの大暴れだ。あたしが一人で暴れてるだけなんてツッコミはしないでほしい。

「そこにまーた見た目は女の子だけど実は男の子ってキャラがいてねえ、その名前が『涼』って言うんだわ」

「そ、そういうことだったのね……て、てっきり涼ちゃんのことかと……」

涼は涼でも背筋が寒くなるわ。二人に聞こえないくらいの極小ボリュームでぼやくあたし。気苦労が耐えない。

「しかもさあ、兄貴の部屋漁ったら、これと同じような感じの少女漫画がわんさか出てきやがって。タイトルはあれだ、少女少げふんげふん」

「あれ? 直恵ちゃん、どうしたの?」

「ごめんごめん、今天から修正入った」

「なるほど。さすがにそのままはまずいよね」

なおちゃんの前に真っ先にお前を修正しろ、とあたしは声を大にして言いたい。音割れするくらいのボリュームで言いたい。

「気を取り直して、お前何買ってんだよってツッコミながら全部読んでやったわ。いやー面白かった面白かった」

読むなよ。

いけない、いろいろな意味で調子が最悪だわ。こんなの何回もやってたら、そのうち保健室に連れていかれちゃう。保健室で治療できる類の症状でもないのに。

叫んだり転んだりしてたら喉が乾いてきた。心を静めるためにも、ここは麦茶でも飲んで一服しましょ。というわけで、ペットボトルに入れてきた麦茶を飲み始める。

「そうだ。この間の話面白かったよ。転校してきた女の子が実は男の子って言う……」

「ぶふぇえっ!!」

飲もうとした瞬間むせた。めっちゃ豪快にむせた。気管に特攻掛けて来た分以外全部戻すくらいむせた。

「げほっ! げほっげほっ……!」

「ど、どうしたの京香ちゃん? さっきからずっとこんな感じだけど……」

物理的な意味で死ぬかと思った。マジで死ぬかと思った。

「あっぎー……げほっ! ああああ……そ、それ、どこ情報!? どっからそんな話が!?」

「え? これ、漫画の話だよ。大好きなお姉ちゃんが女子校へ通う事になったから、弟が女装してそこに忍び込むってお話」

「ええっと、都民だったかミトンだったっけ、とにかく面白い漫画だったわ。もうずいぶん前のやつだけどねえ」

「なんだってそんな漫画があるのよ!? ていうかそいつお姉ちゃん好き過ぎだろ! お父さんは心配性ならぬ弟さんは心配性とかか! そんなんか!」

もう逆切れもいいところだ。自分でもそう思わざるを得ない。

本当にさっきからこんなんばっかりだ。二人はどうしてこんな心臓に悪い話を連発するのか。あたしを心臓麻痺か心筋梗塞で即死させるつもりなのか。保険金をくすねるつもりなのか。本当にやめてほしい。この教室に少年探偵か探偵の孫でも潜伏しているんじゃないか。あたしが被害者役なんじゃないか。本気で勘弁してほしい。

結局ろくすっぽお茶を飲めなかったあたしがペットボトルの蓋を締めて、いそいそとカバンに片付けていると。

「おっはよー。あら? 直恵ったら、妙に早かったみたいね」

「いよっすかつみん。今日は意味なくさっさと来てみたわ」

いつもより少し遅れて、かっちゃんが教室に入ってきた。

「で、さっきまで何の話してたの? 京香がやたら騒いでて、なんか楽しそうだったけど」

「『女の子に見える男の子』の話だよ。最近そういうの多いよね、って」

「ああ、なるほどなるほど。いわゆる『女装男子』ってやつね。あたしの妹も最近背伸びしちゃってさー、あの、ほら、金髪でさ、双子の姉弟っていたじゃない、動画によく出てる。その弟の方にすっかりハマっちゃって」

「おーっとストーップ。かつみん、そりゃどっちかって言うと『男の娘』の方よ」

「えっ、直恵ちゃん、どういうこと? 何かこう、違うところってあるの?」

なおちゃんがストップを入れて割り込む。その隣で、あっきーがきょとんとした顔を見せていた。

「これすっげ微妙なんだけど、『デフォルトで女の子みたいに可愛い』ってのが男の娘で、そうじゃなくて『女装するとどう見ても女の子にしか見えない』ってのが女装男子、みたいな住み分けがあるらしいのよ。正直区別難しいし、これ以外の分け方もあるみたいだし、一緒くたにされてる感もあるけど」

「後者には『本人は嫌がってるけど女装させられてる』パターンも入ったりするとかでしょうね。他にもいろいろありそう」

「そうなのよねえ。この辺りのボーダーラインが、まーた微妙なんだわ。白と青の間の水色って感じ。これぞまさしく水色時げふんげふん」

「直恵ちゃん、また天からの修正?」

「んむ、まーた修正入ったわ。失礼失礼」

心底どうしようもないこの話の書き手に代わりまして、主人公でありますわたくし天見京香が謹んでお詫び申し上げます。とりあえずあれだ、これ書いてるやつはいっぺん地獄の炎に焼かれるべきだと思う。激しく思う。

「実際、どんな感じになるのかな? 見た目が女の子で、中身が男の子って。不思議な感じだと思うけど……」

「あたし嫌いじゃないわよ、あーいうのも。身近にいたら面白かったと思うんだけどねー」

「同じく同じく。しっかしこの話に付いてこれるとは、かつみんもかつみんねえ」

いや、いるんですけどね、実際。ものすごい近くにいるんですけどね、ええ。とてもじゃないけど口に出して言い出せないわけで、はい。

「ほら、類は友を呼ぶって言うし、趣味が似てるのはきっといいことだよ」

「そうそう。こうやってしょうもない話で盛り上がれるのが一番しあわせ! ってことよ」

「まあ、実際男子と女子じゃ別の生き物だけどねー。ネガとポジみたいな。どっちがどっちってわけでもないけどさ」

この小説そのものがポケモン小説のボーダーラインすれすれをふらふらふらふら彷徨ってるじゃん、ネタ的な意味ではアウトとセーフのボーダーライン越えそうじゃん。ていうか誰がどう見てもアウトじゃん。アウトじゃんこれ。アウトだろこれ。

そんな声なき声が聞こえてきた気がした。

「話は変わるけど、土曜日に従兄弟が家に遊びにきて、ヒトモシちゃんを見せてくれたよ。名前を『ビビアン』っていうの」

「ほぉー。名前からすると、女の子なの? そのヒトモシ」

「ううん。調べてみたら、♂だったんだって。勝美ちゃんの言う通り、名前は女の子だけどね」

「やっぱりねえ。あっちゃん空気読めてるじゃない」

「よく調べずに名前をつけて、変えようかと思ったけど、本人が気に入っちゃったみたいで……って言ってたよ」

ゴクリンのような目とネイティオのような心境(自分でも実際どんなのか分からんけどたぶんそんな心境)でもって終わる気配の無いあっきーとかっちゃんとなおちゃんの話をベルトコンベアに載せて右から左へ輸送していると、

「おはよう、みんな」

「おー、涼子ちゃん。おはようおはよう」

「橋本さんもおはよう。今日もいい天気だね」

「橋本ちゃんいらっしゃーい。京香もいるわよ、こっちこっち」

問題の人物がご登場。

「り、涼ちゃん……」

「京ちゃん。おはよっ」

涼ちゃんは見た感じ、金曜日までと全然変わらない。いつも通り制服を来てきて、短めに切り揃えられた髪もふわっと仕上がってる。仕草も完璧に女の子のそれで、誰がどこからどう見たって、疑いの余地無く女の子に見えるはずだ。

だけど……中身は違う。男の子だってことを、あたしは知ってる。

「みんな、何の話してたの?」

「それがねえ橋本ちゃん、今ちょうど『男の……」

「あーっと涼ちゃん!! ちちち、ちょっとこっち来て! 重大な話があるの!!」

うわちょっとこれやばいぞ! なんとかしろあたし! 脳内ブザーが鳴り響き、風雲急が告げられる。あたしは反射的に、涼ちゃんとなおちゃんの会話に割り込んだ。涼ちゃんの目があたしに向く。これはチャンスだ、今しかない。

「えっと、ここじゃあれだから、向こう行きましょ向こうっ!」

「大事な話? いいよ。ごめんねみんな、ちょっと待っててね」

うまいこと三人から涼ちゃんを引き剥がすと、あたしと涼ちゃんは足並みを揃えて廊下に出た。

「……京香ちゃん、今日なんか朝からちょっとヘンじゃない?」

「ありゃなんかあるわねー、絶対。なーんかいつもの京香っぽくない」

「なんかねえ、うちらが話してるときもドタンバタン暴れてたし、隠し事でもあったりするんじゃね?」

あっきーやなおちゃんが何か話してるけど、ここは無視・無視・無視の一択だ。どう考えても怪しまれてるけど、こういうときこそしれっと堂々としてる方がよかったりするのよ実際。

「京ちゃん、どうしたの?」

「いや……あれよ。今ね、ちょっとアレな話題だったから、涼ちゃんは聞かない方がいいと思って」

「へぇー。何か、変わった話してたのかな?」

「そ、そうなのよ。きっとよくないと思うから、ね?」

全然説明になってないけど、とりあえず説明してみる。

「そうなんだ。よく分からないけど、分かったよ」

事情がさっぱり飲み込めずきょとんとしながらだったけど、涼ちゃんはあっさり了承してくれた。よかったよかった、あんな話を間近で聞かされたら、きっと涼ちゃんぶっ倒れちゃうわ。少なくともあたしだったら保健室送りになるレベルの倒れ方をするに違いない。

しっちゃかめっちゃかになりながらどうにかこうにかあたしが涼ちゃんに話を付けたところで、横から別のクラスメートが登場。

「あら、風太じゃない。おはよっ」

「あ……おはよう、天見さ……あっ」

やってきたのは風太だった……けど、なんかまだ様子がおかしい。いまいち覇気も元気も無い。土日の休みを挟めばばっちり回復するかと思ってたけど、どうもそういうわけには行かなかったっぽい。それでもって、あたしに挨拶しかけてぴたりと動きが止まった。

綺麗に硬直した風太の視線の先にいたのは、完璧に見開かれた風太の瞳の中にいたのは、あたしの隣の――。

「今宮くん。おはようっ」

涼ちゃん、その人だった。

「おっ……おはようっ、橋本さんっ!」

うって変わってえらく力の入った声で涼ちゃんに「おはよう」と言う風太。涼ちゃんは何も意識していないのか、いつも通りの朗らかスマイルでもって、ガチガチになった風太を見守ってあげている。

そのまま見つめ合っていた涼ちゃんと風太だったけど、やがて風太が動く。

「……っ!」

風太はとっさに顔を俯かせてこっちから表情を窺えなくすると、一目散にその場から立ち去って教室へと滑り込んでいった。あたしは呆気に取られたまま、風太の一連の行動をただ遠巻きに見つめるばかり。

なんだろう、これ……なんかありそうな気がする。風太の様子が普通じゃない。絶対なんかあるに違いない。涼ちゃんと目が合った瞬間の風太の顔つきは、あたしが今まで見てきた風太の姿とは、明らかに違ってた。なんていうかこう、風太じゃないみたいだった。風太だけど、風太じゃない。そう言えばいいんだろうか。

風太の様子がなんかおかしい、しかも、そこに涼ちゃんが絡んでるっぽい。

(こりゃ……絶対何かあるわ……)

あたしは、胸に生じた「嫌な予感」を、どうしても拭いきることができなかった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586