#11 男子と女子のボーダーライン

586

一時間目の授業を別段何事もなくさらっと終えて、のんびり休み時間タイムに突入ー。

「あのね、京香ちゃん。橋本さんと一緒に、向こうまで来てくれないかな?」

休み時間タイム、突入した瞬間終了。あっきーはあたしと涼ちゃんに何か用事があるみたいだった。あたしは涼ちゃんに声を掛けて、一緒にあっきーの席まで向かうことに。

「お、来た来た。涼子ちゃんも一緒ね」

「やっほー。二人揃ってご登場ねえ」

そこはかとなく予想通り、あっきー席付近にはかっちゃんとなおちゃんもセットで陣取ってた。まあ、あっきー・かっちゃん・なおちゃんは大体いつも一緒に固まってるし、別に不思議でもなんでもないけど。

「勝美ちゃんたちの用事って、何かな? できることならなんでもお手伝いするよ」

「どうしたのよ、かっちゃんになおちゃんまで。あたしと涼ちゃんに用事?」

「さっきの続きっていうか、それに絡んだ話なんだけど」

かっちゃんの言う「さっきの続き」っていうのは……あれだ、女の子に見える男の子とかの、そういう話だ。最後に出た話題がそれだったし、そうとしか思えない。そうとしか思えないけど、それちょっとまずい気がする。なんと言っても、あたしの隣にはそのものズバリの爆弾があるわけで。

チラーミィよろしく涼ちゃんの顔をチラ見。これから何の話が始まるのかサッパリ分かってないみたいで、きょとんとした顔で小首を傾げている。あら可愛らしい、どう見ても女の子だ。でも男の子なのよね、現実は。これから一体どうなることやらと、あたしは一人で気を揉んでいた。

「なーんかこう、京香の様子見てて思ったんだけど」

「な、何よう」

「朝話してるときに、やたら暴れたり叫んでたりしてたじゃない。自覚ない?」

無いわけ無い。朝のドタバタ劇がえらい有様だった事は、あたしが一番よく知ってる。

こ、ここからどう話が転がるのかしら……。まさかアレ? あたしがあんまりヘンな様子を見せてたもんだから、涼ちゃんに疑いの目が向けられてるとか、そんなんじゃないわよね……?

「あのね、京香ちゃん。私たち思ったんだけど」

「……ごくっ……」

早く来て、焦らさないで……ってちゃうわ! そういうシチュエーションじゃないでしょうが! ええい、とにかく一思いに言いなさい、なんとか乗り切って見せるわ!

「京香ちゃんが慌ててたのって……何か、隠してるからじゃない?」

「あ、あたしに隠し事!? そんなもんあるわけないでしょ! あたしの心はいつでもウェルカム、社会の窓もフルオープンってやつよ!」

「おーい、京香ー。なんとなく言いたいことは分かるけどー、それ人間としてアウトだぞー」

うん。隠し事なんて無い(あるけど)、いつでも対話受付中よってな意味のつもりだったんだけど、口に出して言ってみてから気付いた。ただの変質者だ。逮捕・拘留・書類送検ルートもありえる。かっちゃんの「人間としてアウト」って言葉が適切極まりない。

「京ちゃん、どうしたの? なんだか眉間に皺が寄ってるけど……」

「きっ、気のせいよ気のせい! あたしって普段からこんなんだし!」

涼ちゃんはやっぱりよく分かっていないみたいで、いつも通りのほんわかした口調であたしに声を掛けてきた。うーん、やっぱりどう見たって女の子だ。これが男の子だなんてことがバレたら、マジで一大事だわ。

「ふーむ。やっぱり口を割らないわねえ。ならば――ねえ、橋本ちゃん。一個訊いてもいい?」

「わたしに? うん、いいよ。どうしたの?」

ああ、やばいやばい。やばいぞこれ! 涼ちゃん全然慌ててないけど、あたしはもう冷や汗たらったらだ。体がふよふよ浮いたみたいになって落ち着かない気持ちになってくる。そわそわ、ごそごそ。のんびりした涼ちゃんの隣で、あたしは田舎から都会に出てきた子のごとく上下左右を特に意味なく見回しまくる。

あのさ――と前置きし、かっちゃんがついに口を開いた。

「実は……」

 

「京香ってさ、ホントは男子だったりしない?」

「にゃろっぱ!!」

「うわすげえ、香港スピン決めて吹っ飛んでら」

 

香港映画のやられ役よろしく豪快にスピンを掛けながら吹っ飛びながら、あたしはその場にぶっ倒れた。そっちかよ! 涼ちゃんじゃなくてあたしかよ! 先にそう言えよ!

「ちゃうわ! 誰が男子か!」

「うわわわわ……京香ちゃん、埃まみれになっちゃって……」

「んもー、男子ったらしょっちゅう掃除サボるんだからー」

香港スピンからのダウンというスタントコンボからよろめきながら立ち上がり、かっちゃんとあっきーに埃を払ってもらう。なんちゅう展開だ。よりにもよってあたしに矛先が向くなんて。いや、涼ちゃんに向かなかっただけでも吉とすべきか。とりあえず涼ちゃんの秘密は守れそうね、どうにか。

「ええっ!? もしかして、京ちゃんも男の子……」

「しゃらーっぷ!!」

隣でなぜか意味不明な自爆テロを敢行しようとした涼ちゃんの口をカウンターで押さえ込んで無理やりごまかす。どうしてそんなにしれっとヤバいことを言いそうになるのか、涼ちゃんが天然なのは知ってたけどちょっと天然過ぎないか。性転換しても天然はそのままだったのか。天然は男女共通なのか、そうなのか。

またしても怪しい動きをしたあたしに、かっちゃんはもちろん疑惑の目を向ける。

「ねえ涼子ちゃん、今何か言おうとしなかった? てかなんで京香が口押さえてんの?」

「何も無い何も無い! 幻覚か錯覚か蜃気楼か陽炎よ! きっと!」

「うーん……陽炎はなんか違う気がするけど……ニュアンスは分かるけどね」

あっきーは国語が得意なので、こういうツッコミは割と鋭い。そして今はそんなことを気にしている場合じゃない。

「うぐうぐ……き、京ちゃん……息、くるしい……」

「京香京香、橋本ちゃん割とガチで死に掛けてる」

「へ? って、ごめん涼ちゃんっ!」

しまった、口と一緒に鼻も押さえ込んでたっ。

「……ぷはっ! はぁーっ……びっくりしたぁ。わたし、気が遠くなりそうだったよ……」

「ご、ごめんね涼ちゃん、ちょっと、加減が分からなくて……」

いかんいかん。危うく涼ちゃんを窒息させてしまうところだったわ。こういうの気をつけなきゃって思ってるけど、なかなかうまく行かないものなのよね……。

「やっぱり違うかー。でも、京香って本当に男子みたいだからねー」

「ホントホント。橋本ちゃんと仲いいのが不思議なくらい。京香が男子だったらピッタリな感じなのに」

「あれかな? ボーイッシュで男勝りってところが、逆に橋本さんと合ってるのかな」

かっちゃん達が勝手にいろいろ言っておりますが。

(いやあ……実際は逆なんだけどね……)

ホントに男の子なのは、涼ちゃんの方なんだけどね――そんなことを口に出して言えるわけもなく、あたしはただ場の流れに身を任せることしかできなかった。

これから一体、どうなっちゃうのかしら……。

 

お昼休み、職員室にて。

「はい、これでよし。天見さん。次からは、きちんと期日までに出してくださいね」

「はーい。反省してまーす」

理科のプリントを提出しなきゃいけないのを完膚なきまでにころっと忘れてて、文字通りの後出しでどうにかセーフにしてもらった。危ない危ない。こういう細かいのが積み重なって、通信簿に響いてくるのよね。今度からちゃんと気をつけなきゃ。って、言ってるそばから忘れるのがあたしなんだけど。

とにかく面倒くさいことは片付いたし、さっさと教室へ帰ろう。今日はなーんにもする気が起きないから、五時間目が始まるまでボーッとしてよっかな。うん、それがいい。あたしだってたまにはエンジンが掛からない日があるのよ。それなりにデリケートな部分もあるんだから、多分。

(涼ちゃん……)

あたしの頭を支配してるのは――やっぱり、涼ちゃんのことだった。

昨日の涼ちゃんのカミングアウトは、本音を言うとショックだった。まさか涼ちゃんにそんな秘密があるなんて思ってなかったし、昔一緒にいたときもそんな素振りは少しも見せてなかった。多分、あたしが日和田にいた頃は、涼ちゃんも知らなかったんだと思う。涼ちゃんの家に行っても、見かけたのは涼ちゃんのママだけで、パパは見た記憶無かったし。

繰り返してみる。涼ちゃんはポケモンのマリルリとのハーフで、去年の今頃に性転換が起きて、女の子から男の子になった。今の涼ちゃんは、性別で言うなら、男の子だ。

(……これ、夢じゃないのよね。ホントのことなのよね……)

常磐に涼ちゃんが引っ越してきたって知ったときはすごく嬉しくて、これは夢じゃないかって思うくらいだった。今は全然別の方向で、これは夢じゃないかって思ってる。なんかこう、未だに実感が沸かなくて、でも昨日見た光景は、あたしの脳裏にしっかり焼き付いてて。

もやもや、というよりぐるぐるした気持ちをお腹に抱えながら歩いていると。

「涼、ちゃん……」

教室から出てきた涼ちゃんが、向かって右側、あたしの進行方向に向けて歩いていくのを見た。あたしの姿は目に止まらなかったみたいで、そのまま真っ直ぐ歩いてく。向かった先にあるのは、理科室と理科準備室、それからトイレだ。次の時間は国語だから、理科室に行く用事は多分無い。

(だとすると……)

涼ちゃんは止まること無く歩いて行って、トイレの前で立ち止まる。立ち止まったのは、二つ並んだ入り口の真ん中辺り。わざわざ言うまでもなく、それぞれ男子トイレと女子トイレの入り口になる。左が男子で右が女子だ。他の生徒はみんな涼ちゃんのことなんて気にも留めず、すぐ横や後ろをすいすい通り過ぎていく。

二つの入り口の間で立ち止まる、見慣れた涼ちゃんの小さな背中を遠巻きに見つめる。あたしのしてることはただそれだけのはずなのに、気持ちがそわそわしてひどく落ち着かない。今こうして様子を眺めてる事自体が、なんだかよくない、恥ずべきことをしているような、そんな気がしてくる。

その場に立ち止まっていたのは、実際の時間だとほんの数秒くらいだったと思う。だけど、あたしには……確証は無いけどきっと涼ちゃんも、その何倍もの長い時間に感じられた。

どちらか迷ってから、涼ちゃんは――右側の入り口を選んだ。

あたしは涼ちゃんが中に入って行くのを少しだけ見て、それからすぐ、目線を外した。

(涼ちゃん、男子なのに……いやいや、でも今は女子ってことになってるし、これで合ってる、合ってるのよ)

歩いてる感覚がちっともしないまま自分の席まで戻る。ちょっとよろめきながら席に着く。たったこれだけの作業で、疲れがどっと溢れ出てきた。なんだかもう、何もする気が起きないくらいの。

机に頬杖をついてから、何気なく、ごく何気なく、周りのみんなの様子を見てみる。

(男子は男子、女子は女子……)

男子は男子で、女子は女子で、お互いほとんど同性で固まってる。

男子と女子が一緒に遊んでたり、喋ってたりしてるっていうのは、教室の中全部を見回しても見つからない。近くにいてもお互いに距離を取って、一つの教室の中で交わらずに共存してる。こうやって教室を眺めてみて、初めて気が付いた。

今までだって、雰囲気としては感じてた。別にそれでいいって思ってたし、今も悪いと思ってるわけじゃない。けど、落ち着いて見てから改めて思う。

やっぱり別物なんだ、男子と女子って。

(当たり前だと思ってた……思ってたけど、思ってなかった……)

そりゃ当たり前じゃん、口ではそう言ってた。だけど、違いをはっきり意識したことなんて無くて、意識しなくたって何も気にしなくていいって、そんな風に思ってて。ホントに今更だけど、男子と女子って違うんだ、全然違うんだ、そんな風に考えているあたしがいる。

男子と女子、見えない壁に仕切られた教室を瞳に映し出しながら、あたしは思う。

(あたしは、女子に入るの?)

(涼ちゃんは、男子に入るの?)

男子と女子、二つを区切るボーダーライン。ほとんどの人は、そのどっちかに必ず入る。クラスにいるほとんど全員が、男子か女子かにはっきり分けられる。

だけど……あたしはそのまま「女子」に入るんだろうか。智也とか風太とかの「男子」と一緒に遊んでて、なおちゃんやかっちゃんからも「男子っぽい」「ほとんど男子」って言われてる。性別だけなら「女子」だけど、ホントにそれで分けちゃっていいんだろうか。

それに、もっと分からない子がいる。涼ちゃんだ。涼ちゃんは、性別で言うなら「男子」、だけど見た目も仕草もどう見たって「女子」で、みんなだって涼ちゃんのことを「女子」って見てる。みんなの中じゃ、涼ちゃんは「女子」のグループに入ってる。その時涼ちゃんは、どっちに分けられるんだろう。

きっとそれは、涼ちゃんだってすぐには答えられないはずだ。その証拠が、さっきトイレの前で見せた仕草だった。二つの入り口のボーダーラインの上で迷って、涼ちゃんは右の入り口を選んだ。どっちが正しいなんて、本人だって分かりっこないと思う。そんな状態であたしなんかが軽々しく決められることなんかじゃない。

ボーダーラインの上にいるのは、あたしだって同じだから。

「おい、京香」

「……何よ、智也じゃない。どうしたのよ、急に」

あたしの終わる気配の無いぐだぐだした考え事は、急に話し掛けてきた智也の声で、一旦お開きになった。

「悪いけど、今日は外出る気にならないの。また今度に――」

「あのさ」

どうせいつもみたいに外で遊ぼうって言いに来たに違いない、そう思って顔も見ずに断ろうとしたあたしに、智也が割り込んできて。

「……お前、女子なんだからさ、あんまり教室でドタバタ暴れねえ方がいいぞ」

いきなり、こんなことを言ってきた。

「えっ……?」

「ちょっとは周り見ろよ。じゃあな」

何がなんだかさっぱり分からないまま、智也はたった一言それだけ言って、あたしの席から離れていく。

女子なんだから、あんまり教室で暴れるんじゃない――あたしが智也から言われたのは、そんな言葉だった。多分、朝にかっちゃんたちと話してた時の様子を、どっかで見てたんだと思う。

(なんで、智也がそんなこと……)

ありとあらゆる感情よりも先に、ただただ不思議で仕方なかった。なんで智也が、なんであたしに、なんであんなことを? 何もかも全然わけが分からなくて、感情よりも先にひたすら疑問ばっかり沸いてくる。なんか理由を考えようと思っても全然頭が働かなくて、うまい言葉が出てきてくれない。

どうして、智也が。

いろんな色のもやもやを胸に抱えたまま、あたしのお昼休みは終わってしまった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586