#14 ”今まで”と”今”のボーダーライン

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いかにも遠くにヤミカラスが飛んでそうな、真っ赤な夕焼け空をバックにして。

「どんな風に言えば良かったんだろう……」

今日は涼ちゃんが別の子と一緒に帰ったから、あたしは一人でとぼとぼ帰り道を歩いていく。赤い空とあたしの重たい足取りっぷりが見事にマッチしている、そんな気がして仕方ない。ホントに困ったことになった。

勢いで涼ちゃんを風太に紹介するって言っちゃったわけだし、どうにかしなきゃいけない。どうにかして、風太には涼ちゃんのことを諦めてもらうしかない。もし二人が中途半端に仲良くなったら……多分、どっちも悲しい思いをすることになる。それなら、あたしが全部引き受けるしかない。

涼ちゃんも風太も悪くない、あたしがちゃんとしてなかったせいで、こんなことになっちゃったんだから。

「だけど、風太が誰かを好きになるなんて……」

涼ちゃんのこともそうだけど、それよりもまず、風太が「誰かを好きになった」っていうのが驚きだった。あたしの知ってる風太は、真面目だけどどことなく幼さの抜けない、いつまで経っても小三くらいのイメージだった。だから今日風太から話を聞かされたときは、意外というか驚いたというか、とにかく面食らった。

確か、これに似たことが最近あった。琴樹だ。カビゴンをもじって「コトゴン」なんて呼ばれて、ニブくてぼんやりしてるってイメージしかなかった琴樹が、くだらない話をしてた男子たちにびしっと注意して止めさせたって光景を見たばっかりだった。あれにもすごく驚かされたっけ。琴樹があんなにしっかりしてたなんて、思いもしなかったから。

風太も琴樹も、昔のままずっと変わってない――そう思ってたのに、知らない間に変わっちゃった。それを間近で見たときはただ「驚いた」って気持ちしかなかったけど、今こうやって落ち着いて思い返してみると、言いようの無い寂しさや侘しさが沸いてくる。変わることは悪いことじゃない、それが普通なんだって、あたしの常識が心に訴えかけてるけど、そんな言葉が届く気配は微塵もなく。

身が入らないまま歩いてると、この前涼ちゃんと一緒に歩いてたときに使った自販機が目に留まった。なんだかちょっと喉乾いちゃったし、またこの前飲んだ「みつばちレモン」でも買おうかな。そんなことを思い浮かべながら近づいて行ったあたしを、自販機は意外な形で出迎えた。

「……あれ? 『みつばちレモン』、なくなってる……」

二段に分かれた商品の列、そのどれを見ても、「みつばちレモン」の姿は無かった。代わりに、今まで見たこともないデザインの炭酸ジュースが入ってて、前まで「みつばちレモン」がいた場所を占領してた。

見間違えたんだ。そう言い聞かせて右から左、上から下へ舐めるように確認してみても、自販機の商品列から「みつばちレモン」を見つけ出すことはできなかった。そうして思い浮かんできたのは「商品入れ替え」「商品の撤去」、そして「生産中止」という言葉だった。

「お気に入り、だったのに……」

あたしは思わずそう呟いた。「みつばちレモン」はもう十年以上も前に発売されて、それからずっと変わらない味で売られ続けてきた。日和田にいた頃、幼稚園の帰りにママに買ってもらって、一口飲んですっかり気に入ったのを今でも覚えてる。それからずっと、自販機で買う飲み物といったら「みつばちレモン」が鉄板だった。常磐に引っ越してきた時も、この自販機で売ってるのを見て大喜びしたっけ。

手に持ってた財布をすごすごとカバンの中へしまう。喉の渇きは、「みつばちレモン」が無くなったっていう目の前の光景を見てから、すっかり消えてしまっていた。がっかり感を抑えられなくて、肩を落としたまま再び歩き始める。元々すっとろかった足取りが、一気に重みを増した気がした。

正直、ショックだった。

(どうして、変わってくんだろう……)

歩いてるうちに、そんな気持ちが膨らんでいくのを感じた。

街の風景も、人の心も、気付かない間にどんどん変わっていく。天然の森が人工の公園になった常磐の森、撤去された「みつばちレモン」、しっかりしたところができた琴樹、好きな女の子のできた風太。

そして――男の子になった涼ちゃん。

何もかも変わらずにはいられない。そんな言葉をどこかで聞いた記憶がある。聞いたときは、当たり前の事で、わざわざ言わなくてもいいじゃんって思ってた。街並みは変わっていくし、人の心もどんどん移り変わっていくから。だけどそれは、自分の周りは変わらないっていう、根拠の無い思い込みがあったからかも知れない。実際に周りが変わっていくのを見て、あたしはただ戸惑うばかりだ。

(変わってないのは、あたしだけ……?)

みんなはどんどん変わっていく。新しい姿に生まれ変わろうとしてる。だけど、あたしは何も変わってない。中身が何も変わらないまま、ただ歳を重ねて、背丈だけが伸びていってる。ここに越してきた頃から、何かが変わった実感が全然持てない。本当に、これっぽっちも。

急に不安になってきたのは、どうしてだろう? あたしだけ何も変わってないって、よく考えたらおかしいんじゃないか、間違ってるんじゃないか。変わらなくてもいい、今までのままでいい、ついこの間までそんな風に思ってたはずなのに。

変わらないことに不安を抱いて、変わることに怯えている。今のあたしはどっちつかずで、変わらないことと変わることの狭間に立っている。どっちへ転ぶことも怖がっていて、ただただ震えるばかりで、一人ぼっちで群れから取り残されたレディバのような心境だった。

真っ直ぐ家に帰ってたつもりが、いつの間にか道を外れていたみたいだ。考えすぎて重たくなった頭を上げると、あたしの視界に小さな児童公園が飛び込んできた。

(ここ、初めて智也と風太に会った……)

公園に足を踏み入れると、懐かしい記憶が蘇ってきた。

 

「なんだよ、またお前かよ」

夏休みの真っ只中に常盤市へ引っ越してきたあたしは、とにかく一緒に遊ぶ友達が欲しかった。ホントは女の子の友達が欲しかったけど、この近くには誰も住んでないみたいだった。寂しかったけど、でも、遊べるなら男の子とだって構わない。そう思って声を掛けてみたけど、なんだか上手くいかない。

「お願いだから、一緒に遊んでよ」

「やだよ。女子はすぐ泣くし、走るの遅いし。なあ風太?」

「うーん……僕たち、男の子としか遊ばないから、あんまり楽しくないと思うよ」

男の子たちはそう言って、あたしと一緒に遊びたがらない。そりゃ言いたいことも分かるけど、あたしだって譲れない。一人で部屋に篭もってDSやるのはもう飽きた、みんなと一緒に外で遊びたい。だから、ここはどうにかして仲間に入れてもらわなきゃ。

公園で遊ぶ男の子二人をじっと、じーっと、じぃーっと見つめてたら、風太って呼ばれたちょっと大人しそうな方の子が、もう一人の男の子に何か話し掛け始めた。もう一人の、風太って男の子よりやんちゃそうな子が、あたしの方をちらちら見て、何か言いたそうな目をしてる。もしかして、仲間に入れてくれる気になったのかしら。あたしが二人の様子を見守ってたら、揃ってあたしの方へやってきた。

「ねえ、一緒に遊んでくれる?」

「そんなに言うなら考えてやってもいいけど、一つ条件がある」

「条件って?」

「付いてこい」

あたしが男の子の言う「条件」を訊ねると、男の子はあたしに後ろへ付いてくるよう言った。

公園の奥へ回り込んで、壊れたフェンスをくぐって、林の中へ足を踏み入れると、鬱蒼とした茂みをかき分けて奥へ奥へ進んでいく。一体何があるんだろう、あたしは期待と不安に胸を膨らませながら、男の子たちに遅れないように速歩きで付いていった。

たどり着いた先にあったのは、一本の大きな木だった。

「うわぁ……でっかい木」

「僕たち、この木に登って遊ぶのが好きなんだ」

「お前が俺たちのいる木のてっぺんまで登ってこられたら、一緒に遊んでやるぞ」

男の子はそう言うや否や、木にしがみついて器用に登り始めた。それに続いて、風太も同じルートを辿って登っていく。あたしが下でぽかんと口を開けて見ていると、二人はどんどん高いところまで登っていって、あれよあれよと言う間にてっぺんまで登りきってしまった。二人は太めの木の枝に座って、あたしを上から見下ろす形になった。

ここまで来てみろよ、と男の子が言う。あたしは上を眺めてみて、ちょっと足が竦んだ。日和田にいるときも外ではよく遊んでたけど、木にはあんまり登った記憶が無かった。高いところ苦手だったし、涼ちゃんが登れないからあたしも登らないって感じだった。だけどあの子たちと一緒に遊ぶためには、てっぺんまで登りきるしかない。あたしは覚悟を決めて、木の枝に手を掛けた。

「ここをこうして……きゃっ!?」

次は向こうに――って思って手を伸ばしたら、いきなり足が滑って地べたに尻もちを付いた。高さは無かったからケガは無いけど、地面に打っちゃったお尻がずきずきして痛い。

「おいおい、全然だめじゃん! そんなんじゃ仲間に入れてやらねえぞ!」

痛いところを手でさすってると、上から男の子が笑う声が聞こえてくる。あたしはムカッときて、砂を払うのも忘れて立ち上がる。なによ、そんなに言うなら登ってやろうじゃない。てっぺんにいる男の子をキッと睨みつけると、あたしはもう一度木の枝に手を掛けた。

「うわっ!?」

「そっちじゃねえよそっちじゃ!」

「うぐぐぐ……手が届かないぃーっ……」

「あーあー、見てらんねえ! もっとしっかりやれしっかり!」

上に登りたいのはやまやまだったけど、木登りが得意じゃないあたしは、同じところで何回も滑り落ちたり、変な登り方をして手が届かなくなったりで、ちっとも先へ進めなかった。木にしがみついたままずるずる下まで落ちたりしたから、着てきたワンピースはもうどろどろだ。あちこち木に引っ掛けて、軽く穴が開いちゃってるところもある。

もう何十回って失敗して、疲れたあたしはその場にへたり込んだ。立ち上がれずに座り込んでると、木の上から二人がするする降りてきて、あたしの前に立って見せる。

「やっぱりだめだな。お前じゃ無理だ」

「ごめんね。やっぱり……別の子と一緒に遊んだ方がいいと思うよ」

そんな風に言うと、二人はあたしを置いて走って行った。ぽつんと一人にされたあたしが、二人の背中を縋るような目で見つめるけど、男の子たちは振り返ったりすることもなく、そのまま真っ直ぐ林を抜けていく。

後に残ったのは、どろどろのぼろぼろになったワンピースと、ただただ悔しいって気持ちだけだった。

(何よう……こんなことさせて! あたし、ただ一緒に遊んで欲しいだけなのに……!)

一緒に遊びたいだけなのに、無理難題を突きつけられて、全然手の届かないところで笑われる。信じられないくらい惨めだった。すごく理不尽な気持ちになって、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。口を歪めて、目を赤くして、もう……今にも泣き出しそうになって――。

『約束だよ、京ちゃん』

『わたしも……絶対、約束守るから』

だけど、その時だった。常磐へ引っ越す直前に涼ちゃんとした約束を思い出して、あたしは顔を上げた。涼ちゃんの顔が頭に浮かんできて、涼ちゃんの声が聞こえてくるような気がして、高ぶってた気持ちが落ち着いてきた。

こんなところで……泣いてちゃダメだ!

「もう、こうなったらとことんやってやるわ」

「意地でも……この木に登ってやるんだから!!」

あたしは立ち上がる。顔をぐいっと上げて、大きく目を見開く。手をごしごし擦り合わせて泥を落とすと、もう一度木の枝をしっかり掴む。

目指すは、あのてっぺんだ。

 

一晩明けて、次の日。

家族で一番に家を抜け出して、昨日の公園までやってきたあたしは、朝の冷たい空気を胸いっぱいに満たして、晴れ晴れとした気分を味わっていた。朝早いとそれだけで気持ちいいし、高い場所だともっと気持ちがいい。

それからしばらくすると、あたしの読み通り昨日の男の子たちがやってきた。視力は抜群によかったから、こんなところからでもどんな顔をしてるかしっかり見える。やっぱり、すっごくビックリしてるみたい。こりゃ愉快愉快と、あたしは楽しい気持ちになった。

「……おい風太。見てみろよ、あれ……」

「うわっ、あの子、あんなところに……」

そうそう、耳もいいから、言ってることもしっかり聞き取れるのよね。ふふっ、驚いてる驚いてる。

ま、仕方ないか。こんなことになるなんて、絶対思ってなかったでしょうしね。

「やっほー♪ 昨日あんたたちが言った通り、てっぺんまで登ってやったわよ!」

木のてっぺんにいるあたし、それを見つめる男の子二人。あたしは男の子たちから言われた通り、あの背の高い木のてっぺんまで登って見せたってわけだ。

昨日日が暮れるまで何回も何回も何回も挑戦して、だんだん登り方のコツをつかんで、七時ぐらいになってついにてっぺんまで登り切ることができた。もう飛び上がるくらいうれしくて、遅くまで遊んでた&ワンピースを台無しにしたのコンボでママがカンカンに怒ってたこともどうでもよくなるくらい爽やかな気持ちだった。

で、今日の朝。あたしはすっかり慣れた手つきで木を登って、二人が来るのを待ち構えてた。それが今の状況ってところ。

「お、おい、お前、いつの間に……」

「えー? 何ー? そっからじゃ聞こえなーい! 話すなら近くまで来てよー! 声張り上げるの大変なんだからー!」

耳を澄ませるポーズをして見せて、こっちへ来るように言ってやる。昨日されたことのお返しって寸法よ。ま、あたしがされたことに比べれば、ぜーんぜん可愛いレベルよね。

男の子たちは慌てて木を登ってくると、あたしの隣へ座った。ふふん、ってな具合で二人の様子を見ていると、どちらも昨日とは全然違う顔つきをしてるのが分かった。

「ホントに登っちゃったんだ……すごいよ!」

「ま、あたしが本気になれば、ざっとこんなもんよ!」

「信じられねえ……お前がここにいるなんて……」

「驚いたでしょ? こー見えても、体動かすのは得意なんだから!」

「ねえ智也、約束だし、一緒に遊んであげてもいいんじゃないかな?」

風太がもう一人の男の子――智也っていうのね。智也に言うと、智也は意外と素直に頷いて、あたしの目を見つめてきた。

「悪い、昨日はちょっとやり過ぎた。ごめんな」

「これで分かったでしょ? あたしのすごさ。ま、許してあげるわ」

「女子には絶対できっこないって思ってたけど、お前度胸あるな。見直したぜ!」

「もう、女の子扱いしないでよね! あんたたちと同じ、男子と同じってことでいいし! 前に住んでたところじゃ、男子と喧嘩しても負けなかったんだから!」

「ますます気に入った! よし、約束通り、俺たちと一緒に遊んでやるよ」

「そう来なくっちゃ! あたし、天見京香っていうの、よろしくね!」

「俺は智也ってんだ。こいつは風太、俺の親友だ」

「風太だよ。天見さん、よろしくね。昨日のお詫びに、今日は目いっぱい遊ぶよ」

「言ったわねー? あたしと遊ぶのは根性いるわよー? 覚悟することね!」

智也と風太と、それからあたし。三人揃って、木の上で笑い合う。

「ここにはいないけど、琴樹って子と、公介って子もいるんだ。今度紹介するよ」

「楽しみにしてるわ! 人数多い方が楽しいし!」

「そう言やあ、琴樹はここまで登れなかったんだよな……あいつが登ったら、枝バキッて折れそうだけどよ」

あたしが仲間に入れた、その記念すべき瞬間だった。

 

そう。この公園は、風太と智也と友達になった場所だ。二人が登った木にあたしも登って、男子顔負けの体力と度胸があるって見せ付けた、あの場所だ。

あれから二人と一気に仲良くなって、毎日一緒に遊ぶようになったっけ。街中を走り回って、ポケモンを追っかけ回して、時には危ないところへ入り込んで冒険したりして……すっごく楽しかった。引っ越してきたばかりで、友達できないかもって不安は、いっぺんに全部吹き飛んだ。

楽しい日がずっと続いてくって、そう思ってた。

(なのに……全部変わっていく)

昔はすごく広い場所に感じてたこの児童公園は、今はとても小さく見える。それはあたしが大きくなって、高い場所からものを見られるようになったから。そして、この街の風景が、どんどん変わっていったから。

そうして昔の事を思いだしていると――数日前に耳にした言葉が、不意に脳裏をよぎった。

『……お前、女子なんだからさ、あんまり教室でドタバタ暴れねえ方がいいぞ』

智也から掛けられた言葉だった。

(もしかして、智也も……)

変わってしまうのか、そう考えようとして。

(……いや、そんなことない。智也は、智也だけは、ずっと昔のままだもん。そうに、そうに決まってるんだもん!)

あたしはまた、強引に考えを振り払った。

いくらそうやって無かったことにしようとしてもみても、不安な気持ちは消えないことくらい、もうとっくに分かってるはずなのに。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586