#18 友情と恋愛のボーダーライン

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涼ちゃんからメールが届いたのは、土曜日の午後五時ちょっと前、夕方になってからだった。家でゴロゴロして無為な時間を過ごしていたあたしは、メールの受信音でいっぺんに意識を覚醒させられた。

「『今から、あかね台の頂上にある、第三公園まで来てほしいな』」

「『少し前から考えてたことを、京ちゃんに話したいんだ』」

それが、涼ちゃんから来たメールに書かれていた内容だった。

外装がボロボロになった携帯電話のディスプレイを眺めながら、あたしは胸騒ぎを抑え切れなかった。涼ちゃんはあたしに何を話すつもりなんだろう、あたしは一体何を言われるんだろう。焦りや不安が風船のようにぶわっと膨らんで、小さな針でつつかれるだけでも大爆発を起こしそうな心地だった。

とにかく公園へ行かなきゃ。いつも着てる半袖のシャツとデニムのショートパンツに速攻で着替えて、くたびれたスニーカー に足を突っ込んで履くと、準備もそこそこに家を飛び出した。あかね台の第三公園はすぐ近くにあって、走れば十分くらいで着く。涼ちゃんの家からはかなり離れてるはずだけど、あたしを呼び出すからにはあたしの家から近い方がいいと思ったのかも知れない。ホントはそういう細かいトコにも感謝しなきゃいけないけど、あいにく今はそんな余裕を持てる状態じゃない。

涼ちゃんの姿、涼ちゃんの声、それからこの間聞いた涼ちゃんの話。涼ちゃんに関わるあらゆる記憶をとり留めなく思い起こしながら、あたしはひたすら走った。周りの風景なんて全然目に入ってこなくて、辺りの音なんて何も聞こえなかった。今はただ、公園まで急がなきゃいけない。

そこで、涼ちゃんが待ってるはずだから。

公園の入り口を見つけて、あたしはひと思いにそこへ飛び込んだ。軽く乱れた呼吸を落ち着いて整えながら辺りを見回してみると、公園の隅、眼下に常磐市の平地にある住宅を一望できる開けたスペースに、見覚えのある人影を見つけた。

「涼、ちゃん……?」

ここは普段ろくに人も来ない場所だ。いるのはせいぜい、小さな子供かおじいちゃんおばあちゃんくらいのもの。ましてや子の時間になれば、さっき挙げたような人たちだってろくすっぽ姿を見せなくなる。そんな辺鄙な場所にいるのは、ここにいるって連絡をくれた涼ちゃんくらいしかありえない。背格好だって、明らかに涼ちゃんだ。絶対間違いない。

あれは、涼ちゃんに間違いない。そう、はっきり言いたかったのだけど。

(オーバー……オール……?)

涼ちゃんにしか見えない人影は、青いデニム地のオーバーオールを着て、あたしに背を向けて立っていた。

どうってことない、そう思うかも知れない。だけど実際に目にしたあたしにとっては、不可思議な感覚が拭えない、もっとはっきり言うと、違和感を感じるような服装だった。

なぜなら、あたしの知ってる涼ちゃんは。

(スカートでも、ワンピースでもない……)

丈の長めのスカートか、もしくはワンピースか。そのどちらかしか、着ていなかったからだ。泳ぐときはともかく、普通のときにひらひらしたところの無い服を着ている涼ちゃんは、今日になって初めて見た。

後ろで突っ立ってたあたしに気付いたのだろう、涼ちゃんが首をこちらに向けた。

「京ちゃん。来てくれたんだね。ありがとう」

「う、うん……それより、その服……」

「これ? これね、今日の朝買ってきたばかりなんだよ。新しい服が欲しくて、お小遣いはたいて買ってきちゃった。似合ってるかな?」

似合ってるか。涼ちゃんにそう訊ねられて、あたしは答えに窮した。

いつもなら即答で「似合ってる、涼ちゃんならどんな服でも似合う」って答えられる。だけど、スカートでもワンピースでもない涼ちゃんを見るのは、今日が初めてだ。だから、なんて言えばいいのか戸惑う。あたしの中にある涼ちゃんのイメージとは、うまく噛み合わない。

じゃあ、似合って無いのか。そう言われると――それも違う。オーバーオールを着た涼ちゃんは、びっくりするくらい様になってる。涼ちゃんのようで、涼ちゃんじゃない。そんな曖昧な言葉が、一番しっくりくる。

あたしが答えあぐねていると、涼ちゃんは気にせず身体を翻して、しっかりとあたしと対峙する形になる。

「新しい服を買ってきたのは、欲しかったのもあるよ。けどね、それよりもっと大事な理由があるんだ」

「大事な人に、大事なことを伝えたい。だから、綺麗な服を着て行こうって思って」

涼ちゃんの瞳に映し出されているは、紛れもなくあたしの姿。涼ちゃんの言う「大事な人」は、間違いなくあたしのことだろう。

じゃあ。

(大事なこと……?)

あたしに伝えたい大事なことって、一体何なんだろう?

「いろいろ考えたけど、でも、思ってることを素直に言うのが、きっと一番いい」

「京ちゃんが同じ立場になっても、きっと同じようにするに違いない。そう思ったよ」

ゆったりした足取りで涼ちゃんがあたしに歩み寄る。あたしのすぐ前、手を伸ばせば届きそうなところまで、涼ちゃんが接近する。頬が熱くて、胸がドキドキしてる。どんな顔をすればいいのか分からなくなって、無意識のうちに身体も表情も固くなる。

「あのね、京ちゃん」

「二人とも日和田に住んでた頃から、京ちゃんはずっと側にいて、優しくしてくれた」

「一緒に遊んでくれて、苛められそうになったら助けてくれて、いつでも側にいてくれて」

「それが、すごく嬉しかった。京ちゃんは、一番の親友だ――ずっとそう思ってた」

ふっ、と涼ちゃんが目を閉じる。あたしがまじまじとその様を見つめていると、涼ちゃんは再び口を開いた。

「でも――それが、変わってきたんだ」

「別の形に、変わってきたんだ」

「子供から大人になっていこうとする中で、変わってきたんだ」

「女の子から男の子になって、変わってきたんだ」

涼ちゃんはこれから、あたしに何を言おうとしているんだろう。

涼ちゃんの中で、あたしのポジションが「変わってきた」。じゃあ……それは、「何」に変わってきたの?

子供から大人になる中で、女の子から男の子になって――どう、変わってきたの?

「京ちゃん、?わたし?は……」

「……ううん。そうじゃない」

「もう、この言い方は、卒業しなきゃ」

――それって、どういうこと?

(……「卒業」って……?)

ほんの数日前の、教室での出来事が、目の前の風景にオーバーラップする。

「京ちゃん」

涼ちゃんの、あたしへの呼び掛けの後。

 

「――?僕?は」

「?僕?は、?男の子?として、京ちゃんのことが……?好き?なんだ」

 

とてつもなく唐突で、あまりに突拍子もない涼ちゃんの言葉に、あたしはただ戸惑うばかりで、ろくな返事もできなかった。

「僕、決めたんだ。無理して?女の子?のふりを続けるのは、もうやめようって」

「この間京ちゃんと話したあとから、少しずつ考え初めて、やっと、決心が付いたんだ」

「身体が男の子になったことを受け入れて、もう一度、自分をやり直してみよう」

「これからは、?男の子?として生きて行こう。そう思ったんだ」

しっかりとした口調で、涼ちゃんは言った。

「今宮くんのことがあってから、これからどうするか、本気で考えなきゃ行けないって思って」

「それで、あの時京ちゃんの言った『他に好きな人がいる』って言葉が、すごく心に残ったんだ」

「気持ちを整理して、自分の気持ちを正直に、正確に捉えてみて、あれは、本当のことかも知れないって思うようになった」

「僕が好きなのは――他でもない、京ちゃんだって」

あたしが涼ちゃんから告げられた、二つの?大事なこと?。

それは――身体が男の子になったことを受け入れて、これからは身も心も男の子として生きていくってことと。

涼ちゃんが?男の子?として、あたしのことが?好き?だってこと――だった。

「それって、どういうこと……?」

夕暮れの公園。赤く染まった涼ちゃんの顔を、あたしはまじまじと見つめる。

「京ちゃんが戸惑うのだって分かるよ。でも……それでも、伝えたかったんだ」

あたしの頬が紅潮しているのは、夕暮れのせい――そう思い込もうとしても、目と鼻の先にいる涼ちゃんの瞳はまっすぐで、ただ純粋で。

そんなつまらない言い訳を持ち込むなんて、できっこなかった。

「あ……あのね、涼ちゃん! あたし、涼ちゃんのことが嫌いだとか、そんなんじゃ、そんなんじゃないの! ただ……!」

「心配しないで。ちゃんと分かってるよ。自分が京ちゃんの立場だったら、きっと、もっとどぎまぎしちゃってたと思う。だけど、言わなきゃ、伝えなきゃ、そう思って……」

あたしがキョドってるのは、涼ちゃんが気に入らないとか、一緒にいたくないとか、そんな理由じゃない。間違っても、そんなんじゃない。全然違う、正反対もいいとこだ。

涼ちゃんとずっと一緒にいたい。それはあたしの素直な、一番真ん中、センターピンの気持ち。絶対に間違いない。間違いなんてありっこない。

間違いない、はずなのに。

「違う、違うのよ……! あたしだって一緒にいたいけど、でも、でもっ……!」

「そんな、すぐに答えを出せなくたっていいよ。よく考えてから、返事を聞かせてほしいな」

「涼ちゃん……」

涼ちゃんは、あたしのことを?好き?だって言ってくれてる。涼ちゃんからそう言われるなら、あたしだってうれしいに決まってる。

けど……?今?の涼ちゃんからそう言われるってことは、?今?の涼ちゃんから?好き?って言われるってことは、それは――。

(?今まで?とは、違う……)

あたしと涼ちゃんが、二人で一緒に、ボーダーラインを越える。

そういう、意味になる。

「京ちゃん、待ってるからね」

「この気持ちを、京ちゃんがどう受け止めてくれるか。その答えを、聞かせてほしいんだ」

涼ちゃんはあたしに答えを預けると、公園からさっと走り去っていく。

出口へ駆けていく涼ちゃんの背中に目が釘付けになって、でも、その姿ははっきりと見えていた訳じゃなくて。

(?今まで?のままじゃ……いられないの?)

涼ちゃんが、そのまま世界の果てまで走っていっちゃう。あたしの手の届かないところへいっちゃう。小さくなっていく涼ちゃんを見ていると、そんな気持ちがぼうっと浮かんでくる。

はっとして呼び止めようと手を伸ばした先には、もう、涼ちゃんの姿はなかった。

虚空を切る手が……ただ、侘しくて、虚しくて、寂しかった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586