#22 ボーダーラインを越えて

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「皆さん、朝はびっくりさせてしまってごめんなさい」

「これから――僕について、本当のことを話したいと思います」

涼が白鷺先生に「自分のことをみんなに話す時間が欲しい」と頼むと、先生はそれを快く承諾してくれて、ちょうど先生がやる予定だった国語の時間を丸々使わせてくれることになった。朝の出来事で騒然としていたクラスメートの前で、涼は自分のことを洗いざらい話した。

「ポケモンの中に、みずうさぎポケモンのマリルリっていうのがいるのは、みんなも知ってると思います」

「僕のお父さんはそのマリルリです。それで、人間のお母さんとの間に出来た子供が僕なんです」

父親がポケモンのマリルリで、涼はマリルリと人間の間に生まれたハーフだってこと。

「マリルの系統で一番子供の段階のルリリは、進化するときに♀から♂へ性転換することがあります」

「僕も……去年の夏休み頃に、女の子から男の子へ、性転換したんです」

ルリリからマリルへ進化するときに起き得る性転換が、涼にも起きたってこと。

「――そういう理由で、初めは女の子のふりをしていたんです」

「ですけど……これからは、男の子として生きていきたい、そう思っています」

女の子のふりをするのはやめて、これからは男の子として生きていくってこと。

「突然のことで、驚かせてしまったと思います。皆さん、ごめんなさい」

「これからもクラスメートとして仲良くしてくれると、僕はうれしいです」

最後にそう言って、涼は深々と頭を下げた。

あたしは自分の席から、みんなの前で堂々と話す涼の姿を見ていた。そこにはもう、かつてあたしの背中で怯えていた?涼ちゃん?の姿はない。背筋をぴんと伸ばして、自分の意見をしっかりと言う、強い意志を持った?涼?の姿があるだけ。

変わったんだ。?涼ちゃん?は、?涼?に。

「皆さん。橋本さんにはこんな事情があって、これからは『男の子』として、みんなと一緒に勉強したりしていくことになります」

「けれど、女の子であろうと男の子であろうと、橋本さんが橋本さんであることに変わりはありません」

「先生からもお願いします。橋本さんと、仲良くしてあげてください」

先生が涼をフォローするように言ってから、教室のあちこちから声が聞こえてきた。

「そんな事情があったんだ……」

「橋本も大変だったんだな、女の子から男の子になるなんて」

「あんな話初めて聞いたけど、でもあってもおかしくないんだよな」

さすがに驚きはしたみたいだけど、みんな意外とすんなり受け入れてくれているように感じる。

「ははー。京香があの時あんなにドタンバタン暴れてた理由、分かったわ」

「わたし、てっきり京香ちゃんが男の子じゃないかって思ってたけど、橋本さんだったのね」

「なるほどねえ。通りで橋本ちゃんの名前がしょっちゅう出てたわけだわ。納得納得」

「でもって、橋本さんが男の子だったってのは、ちょっと驚きね」

「そうだよね、わたしも驚いたよ。でも先生の言う通り、橋本さんは橋本さんだから」

「そうそう。これからも仲良くやれるに越したことは無いわ。可愛い男子って貴重だしねえ」

あっきー・かっちゃん・なおちゃんの三人も、今までのことに納得して、涼を受け入れてくれようとしている。

みんなの様子を見ていると、あたしが抱いていた不安――涼はポケモンとのハーフで、しかも身体が男の子の物だだってことが分かったら、みんなから気持ち悪がられるんじゃないか、いじめられるんじゃないか、無視されたりするんじゃ無いか――が、少しずつ消えていくのを感じた。

(よかった……これなら、涼も安心して学校へ行けるわね)

あたしがほっと胸を撫で下ろしていると、隣から声を掛けられた。

「天見さん」

「あ……風太……」

あたしに呼びかけてきたのは――風太だった。

風太の顔を見た途端、あたしは先週の出来事を思い出して、無意識のうちに頭を下げていた。

「風太……公園のこと、はごめんね。ホントにごめん。信じられないくらい、ひどいことしちゃって……」

「ううん。僕の方こそ、きついこと言っちゃってごめんね。許して欲しいんだ」

顔を上げると、風太はいつもの穏やかな笑みを取り戻して、あたしに優しい目を向けていた。

「あの時天見さんは僕と橋本さんの間に挟まれて、すごく辛い思いをしたんだね」

「僕がもし、あのまま橋本さんに思いを告げてたら、橋本さんにもっと辛い思いをさせちゃうところだった」

「天見さんが割って入ってきてくれたおかげで、橋本さんはあれ以上辛い思いをせずに済んだ」

「僕、ずっと思ってたけど――やっぱり、天見さんは優しい女の子だと思う。自分を犠牲にして、大事な人を助けようなんて、そうそうできることじゃない」

「だから、この前のことを水に流して……また仲良くしてくれると、うれしいな」

風太は事情をすっかり飲み込んでくれて、あたしに「また仲良くして欲しい」とまで言ってくれた。

「……こちらこそ! 風太がそう言ってくれて、あたし超うれしいし!」

「よかった。また一緒に遊んだり、相談に乗ったりしてくれると助かるよ」

「まっかせなさいって! 風太との友情は不滅よ不滅!」

あたしは風太と完全に仲直りできた。風太もあたしの言葉に深く頷いて、同調してくれているのが分かる。これでもう、風太との関係は元通り――いや、今まで以上に強くなったはずだ。

とまあ、あたしは風太と仲直りできたことを、純粋に喜んでいたわけだけど。

「でも、びっくりしたよ。橋本さんが男の子だなんて……」

「そりゃそうよね。あたしだってびっくり――」

「あんなに可愛らしいのに、男の子なんだね。これってつまり、今流行の『男の娘』ってことだよね……ああ、橋本さん……」

「……ち、ちょっと風太、どうしたのよ。なんか様子がおかしいんだけど」

「橋本さん……可愛いなあ……男の子なのに、可愛いなあ……」

風太は「橋本さんが可愛い」とうっとりした顔で繰り返す。これ、どういうこと? 一体どういうことなの?

「ね……ねぇ、琴樹。なんか風太がちょっとバグってんだけど」

「うーん。これはきっと、橋本さんが男の子なのに可愛らしくて、風太のツボに嵌まっちゃったんじゃあないかなあ。『男の娘』を生まれて初めて自分の目で見て、それが風太の急所に当たったんじゃあないかなあ」

「そんな冷静に分析してないで何とかしなさいよ! これ別の意味でヤバいんだけど!」

どうしよう、前とは全然別の意味で取り返しの付かないことになってしまった。まったく違う方向で取り返しが付かなくなった。

「ああ、橋本さん……」

どうしてくれようかと、あたしが風太の横で頭を抱えていると。

「京ちゃん」

「涼っ」

壇上での説明を終えた涼が、あたしの席の隣へ戻ってきた。その顔は晴れ晴れとしていて、見ているこっちまで明るい気持ちになるようなものだった。

「上手くいったわね。みんなも納得してくれたっぽいし」

「うん。京ちゃんの言ったとおり、正直に全部話してよかったよ」

あの後保健室で少し話をして、あたしは涼に「今までのこと、包み隠さずに全部言った方がいい」ってアドバイスをした。涼も初めからそうするつもりだったみたいで、それがさっきのみんなの前での説明に繋がってるってことだ。

まだ完璧じゃ無い。もしかしたら、これから何かあるかも知れない。それでも、あたしと涼が一緒なら乗り越えられる。乗り越えていける。根拠の無い自信だって言われるかも知れないけど、根拠が無いからこそ覆ることだって無い。そういう風にだって考えられるはずだ。

「あたしも……変わらなきゃ。涼の側に居られる、ちゃんとした?女の子?にね」

「今の京ちゃんも素敵だよ。でも、京ちゃんがどう変わるのか。それもすごく見てみたいよ」

あたしは変われる。これから変わっていくことができる。間に合わないなんてことはない。

それに、?涼ちゃん?が?涼?に変わっても、関係の形が変わっても――あたしとのつながりは、ずっと変わらない。これからも想い合って行ける。あたしは、そう信じてるから。

と、そこへ。

「……おい、橋本」

「荻原くん?」

思いも掛けない人物が声を掛けてきた。智也だ。

「お前と京香って、幼馴染なんだってな」

「そうだよ。日和田にいた頃は、ずっと一緒にいたしね」

「てかさ、智也どうしたの? やたら肩肘張って」

智也が、この間とはまたちょっと違う意味で、今まで見せたことの無い顔をしていた。あたしの目を時折窺ってみては、すぐに目線を外す。あたしがなんぞやと首を傾げていると、智也が二、三回咳払いをして、それから大きく息を吸い込んで、しばらく溜めてから吐き出した。

「……橋本。京香もいるし、この際だから、はっきり言っとくぞ」

はっきりって……何を?

顔中に疑問符を浮かべるあたしと涼に、智也は――。

 

「――負けねえからな。京香の隣に居られるように、俺だって……変わってやる!」

 

あたしと涼が揃って目をまん丸くして、互いに顔を合わせる。

「これって……その、もしかして……」

「……うん。僕にとっては、?ライバル?ってことになるのかな……」

例え、形が変わろうとも。

これからも、騒がしくて、賑やかで、楽しい日が続くことに、変わりは無さそうだった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586