#01 のろい

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窓の向こうには、今日も今日とて代わり映えのしない風景が広がっている。

お昼休み。お弁当を食べた後、普通の休み時間よりも長くボーッとするための時間。ただでさえ学校は気怠い場所なのに、この長さは気怠さをますますパワーアップさせてくる。ちょっと昼寝でもしよっかな、そう思って前の時計に目を向けると、あと十分ほどで五時間目の授業が始まる。ビミョーだ。十分しか無いと、寝た瞬間に起きることになりそうだ。これじゃあ全然意味が無い。寝るのはやめとこう、多分後悔しかしない。

しょうがないので、時間が経つに任せることにする。寝ようとすると短い時間だけれど、ただ待つとなるとやたらと長い、この十分という時間。せめて何かすることがあればいいけど、あいにく暇つぶしになるようなものは何も持ってない。こういう時のことをなんて言うんだっけ、そうそう、思い出した思い出した。「手持ち無沙汰」だ。あたしは今手持ち無沙汰だ、手持ち無沙汰なのだ。心底どうでもいい。

こんな風にぼんやりした、これといって変わったことの起こる気配の無い毎日は、いったいいつから始まったんだっけ。中学に入った頃からのような気もするし、四月に中二になった頃のような気もする。あるいは、小学校の五年くらいからこんな感じかも知れない。だいたい起きることは決まっていて、小さな世界の中で全部完結している。

ポケット。そう、ポケットの中にいるような気分だった。

「五時間目が英語で、六時間目が数学……ホントにだるい」

次の時間は英語で、最後は数学。三時間目に体育があって、夏だからってことでプールで泳いだ。見学したかったけど、別に体の具合が悪い訳でもなく、他に何か休める理由があるっていうわけでもなかったから、普通に受けるしかなかった。多分合計で200メートルくらい泳いだんじゃないかと思う。おかげでもうヘトヘトだ。一秒でも早く帰って寝たい。体育は苦手だ。なのに週に三回もある。一回で十分だってつくづく思う。

ぼんやりしながら顔をお隣、右手へ向けると、ポケモンを抱いた同級生の姿が目に入った。

「エリちゃんエリちゃん、ニャスパーちゃん触ってもいい?」

「うん、いいよ。優しくしてあげてね」

「可愛いねー。毛もふわふわだし、おとなしいし」

「いつもブラッシングしてあげてるんだ。夏になるとよく抜けるから、お手入れが大変で……」

「分かる分かる。うちのムーランドも暑くなると抜け毛がすごいよ」

「夏になると、ポケモンも衣替えするんだね」

時折パチパチとまばたきしながら、紫色の瞳をしたニャスパーと、ニャスパーを抱っこしたクラスメートをぼんやり見つめる。

(……城ヶ崎さん、今日もニャスパー連れてきてる)

空いている席を一つ挟んだところに座っているのは、城ヶ崎さんだった。膝の上にニャスパーを座らせて、周りの子たちがしきりに「かわいい」「かわいい」と言ってるのが見える。ニャスパーはこんなシチュエーションに慣れっこみたいで、ちっとも怖がったりしていない。

ニャスパーの姿を、遠巻きに、見ていることを悟られない程度の距離から遠巻きに、じーっと見つめる。ニャスパーの姿を見つめている間だけは、時間の流れがやたらと早く感じられる、気がした。

薄目を開けてニャスパーに見入っていると、遠くから廊下をパタパタと走ってくる音が聞こえてきた。この時間にこの音、思い当たるのは一つしかない。廊下を叩いて音を立てながら走ってくるような同級生は、一人しか思い当たらない。どうやら戻ってきたみたいだ。

「サチコー、ただいまー」

「おかえりネネ。お昼食べ終わったの?」

「うん。サチコは?」

「見りゃ分かるでしょ。とっくに食べ終わってるし」

ネネは走ったまま教室へ飛び込んできて、そのままノンストップであたしの前までやってきた。うなだれていたあたしはむくりと体を起こして、ネネの顔に目を向ける。

「ネネったら、まーた髪ボサボサんなってる」

「だって、とかすの面倒くさいもん。ネネ、朝いそがしいし」

「ま、それならしょうがないか。ネネんとこいろいろ大変そうだし」

せっかくだから、ネネについてちょっと話をしようと思う。あたしとネネが出会った経緯とか、そういうのだ。

 

ネネに初めて会ったのは、確か小二の時だ。クラス替えで同じ組になって、たまたま隣同士になった。初めのうちはホントにただそれだけで、ろくに話しもしなかったはず。ちょっと他の子とは雰囲気が違ってて、なんとなく何考えてるのか分からない感じがあった。ちなみに、今も時々何考えてるのか分かんなくなることがある。そういう意味では、昔からほとんど変わってないとも言える。

最初のうちはそんな具合で関係が薄かったんだけど、アレは確か五月ぐらいだったはず。寝坊して慌てて学校に来てみたら、筆箱を入れ忘れたことに気付いた。前の日に遅くまで宿題やってて、終わった後ランドセルに直すのを忘れたみたいだった。どうしよう、って迷ったままきょろきょろしてたら、いつの間にかネネが横に立っていたのを覚えている。

「サチコ、わすれもの?」

「えっ」

いきなり名前で呼ばれたら驚くし、忘れ物したなんて一言も言ってないのに向こうから言われたらもっと驚く。ネネは筆箱を出していなかったあたしを見て、家に忘れてきたと見抜いたようだった。

「……うん。筆箱家に忘れてきた」

「じゃあ、エンピツと消しゴムかしたげる」

「えっ、いいの?」

「いいよ」

ネネのあっさりした受け答えはこの頃から変わってない。筆箱を忘れた、じゃあ鉛筆と消しゴムを貸してあげる。たったこれだけだ。あまりにあっさりしていて却ってこっちが戸惑っていると、ネネは輪ゴムでまとめた鉛筆のうちの一本と、半分位まで削れた消しゴムをあたしに貸してくれた。おかげでその日はどうにか乗り切れた。あれは本当に助かった。

あたしとネネがつるむようになったのは、たぶん、それ以来だと思う。

 

「ネネったら、服に葉っぱついてる」

「どこにー?」

「こっちだって。あたしが取ったげるよ」

話し方を見ればなんとなく分かるかも知れないけど、ネネは全体的にとろい。ぼんやりしてるわけじゃないけど、なんとなくテンポが遅いと言うべきなのだろうか。仕草や話し方が子供っぽくて背も低いから、制服を着ていないと小学生にしか見えない。ついでに、頭の回転も速くない。あたしが何かちょっと込み入ったことを言うと、思った以上に考えてからじゃないと答えが出てこない。言ってることが理解できない、ってことはあんまり無いみたいだけど。

教室の扉が開いて、明らかにうちのクラスの子じゃない子が入ってきた。あー、これはあれだ。多分ネネに用があるに違いない。あたしがどうしてそう思ったか、理由は単純。何度も同じ光景を見てきたから。

「ねえねえ、このクラスに仲村さんっている?」

別のクラスの子が、入り口近くに座ってた橙花に話しかけている。ほとんどの場合、だいたいこんなところからやりとりが始まる。けれど、あたしのクラスに「仲村さん」なんて子はいない。

「あれ? それもしかして、仲村渠(なかんだかり)さんのこと? こういう字ぃ書くのん」

「あっ、そうそう。なか……なかだかり? さん」

「せやで。難しい漢字やろ? みんな『仲村さん』と間違えよるねん」

その代わり、「仲村渠さん」ならいる。何を隠そう、ネネのことだ。

今の今まで「ネネ」としか呼んでなかったけど、ネネは本名を「仲村渠寧々」という。普通の人は「仲村」を名字だと思うだろうけど、本当は「仲村渠」が苗字なのだ。いかにも単純そうな見た目に反して、名前はかなり難しい部類に入る。「寧々」もそうだし、そもそも「仲村渠」なんて名字はまずお目にかかるチャンスが無い。ネネいわく「仲村渠」というのは「豊縁にはたまにある苗字」らしい。豊縁にしかなくて、そこでも常磐の森のピカチュウ並にレアなんだから、読み方なんて分かんないのが普通だ。あたしも慣れるまで結構かかった。

ちなみにネネは、仮にすぐ近くの人から「仲村さん」と呼ばれても絶対に答えない。普通あんまり「絶対」って使わないんだけど、これについてはもう、絶対って言い切っても問題ない。別にネネは自分の苗字に強いこだわりがあるとかじゃなくて、もっと単純に、「仲村さん」だと自分が呼ばれたと思わないのだ。何度間違えて呼ばれても変わらないから、これはもうどうしようもないことだろう。

こういう風に名字は読みづらい上にややこしいから、あたしも含めてほとんどの子が「ネネ」って呼んでる。これなら分かりやすいし、間違うこともない。ネネも自分のことを「ネネ」って呼んでるし(いわゆる名前を一人称にするタイプだ)、もうネネは「ネネ」でいいんじゃない、って思う。

「よっしゃ、うちが呼ぶわ。おーい! ネネちゃーん! 四組の磯貝さん、ネネちゃんになんか用事あるねんてー!」

「はーい」

応対していた橙花が、通りのいい声でネネを呼んだ。

「サチコ、ちょっと行ってくる」

「行ってらー」

ひらひら手を振ってネネを送り出すと、ネネが四組の磯貝さんなる子の方へ走っていく。やっぱり見慣れない顔だし、聞き慣れない名前だ。これはもう、いつものあのパターンとしか思えない。

ネネはドアの近くに立っている磯貝さんと二言三言話してから、パタパタ走って自分の席へ向かう。机の中を手でまさぐって……あれは社会の教科書だ。社会の教科書を引っ張り出すと、すぐさま磯貝さんのところまで戻って行った。磯貝さんに迷わず教科書を手渡すと、それでやり取りは済んだのか、磯貝さんは自分のクラスへ戻って行った。

で、またあたしの席の近くまでやってきた。

「ネネさあ、さっきの磯貝さんって人、知り合い?」

「ううん、知り合いじゃない。知らない」

「あー……じゃあさ、また知らない子に教科書貸したげたの?」

「うん。社会の本わすれたから、貸してほしいって」

「だからさー、そうやってあんまりホイホイ貸すのやめなって。顔も知らない子なのにさ」

ネネはよく教科書を他の子に貸している。クラスの子ならともかく、全然別のクラスの子にもフツーに貸している。おかげでこのことが全体に広まって、「誰にでも教科書を貸してくれる便利な子がいる」という話になっているって聞いた。そりゃ便利かも知れないけど、なんかネネを都合よく利用してるみたいで、もやもやする。

これに限ったことじゃなくて、ネネは見ての通りどんくさくてトロいから、よく貧乏くじを引かされているのを見かける。教室を一人で掃除してたり、日直のプリントを一人で持ってきてたりとか、そういうヤツだ。ネネ本人は楽しそうにしてるからいいけど、見てる方はあんまりいい気持ちはしない。

「ねえねえサチコー、サチコー」

「何なのよ」

「今日もまた、つきあってほしい」

「あー、いいよ。場所どこ?」

「うら山」

「ほいほい。了解了解」

で、だ。

そんなネネとあたしには、二人しか知らない、ちょっとした習慣みたいなものがあったりする。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586