第三十九話「Present a Play with Firefly」

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「……………………」

「……………………」

佳乃ちゃんは視線の先にいる女の子を押し黙ったまま、ただ見守るように見つめている。誰かを見つけるとすぐに声をかける佳乃ちゃんが、こんな反応を見せるのはちょっと珍しい事だ。僕もそれに倣って、隣で静かに見守ることにした。

女の子はそこに佇んだまま、静かに言葉を紡いでいく。

「……空から、『光』が降りてきました」

「たくさんの、優しい『光』です」

「『光』は、女の子と人形にささやきました」

 

「君らに、絆のあらんことを」

「君らに、永遠のあらんことを」

「君らに、奇跡のあらんことを」

「君らの過酷な日々に、終わりのあらんことを」

「君らの幸せな記憶に、始まりのあらんことを」

「君らの行く先に……『光』のあらんことを」

 

「その言葉に導かれて」

「女の子と人形は……『願いの叶う場所』へと、たどり着きました……」

そうして言葉を紡ぎ終えると、女の子は満足したように目を閉じ、少し俯き加減になった。その表情には、何かをやり遂げた後のような、はっきりとした満足感が現れていた。口にしていた詩の言いようのない儚さと、街灯が照らし出す女の子の幻想的な光景が相まって、この場をとても不思議な場所に変えてしまっていた。

(ぱちぱちぱち)

その時、小さな拍手が起こった。あえて音を抑えているような、とても穏やかな拍手だ。その拍手の音に気付いて、女の子がこちらを向いた。

「古河さん、すっごく上手だったよぉ」

「えと……霧島さん、ですか?」

女の子は天体観測会の時にも出会った、あの古河さんだった。佳乃ちゃんの存在に気付くと、優しげな視線を佳乃ちゃんへと向けた。佳乃ちゃんはそれを合図にして、ゆっくりと古河さんへ近づいていく。

二人はお互いがはっきりと確認できるところまで近づくと、いつものようにおしゃべりを始めた。

「霧島さんは、お散歩ですか?」

「そうだよぉ。今日は涼しかったからねぇ。古河さんは練習中だったのかなぁ?」

「はい。ここだと、集中して練習できますから」

古河さんは何かの練習中だったらしい。一人でしゃべっていたのを見ると、演説か何かの練習だったのかなあ。少なくとも、歌ではないと思うけど。

「すごいねぇ。ぼく、見惚れちゃったよぉ」

「ありがとうございますっ。そう言ってもらえると、がんばった甲斐があります」

「なんだか、すっごく不思議だったよぉ。天使さんみたいだったねぇ」

佳乃ちゃんが古河さんのことを「天使さん」みたいだと例えた。確かに、街灯に照らし出されておぼろげにその姿を映し出しているその光景は、高い高い空からふらりと舞い降りた、一人の天使を思わせた。佳乃ちゃんの例えは、言い得て妙だ。実際、僕も同じようなことを考えてたし。

「そのお話は、古河さんが考えたお話なのかなぁ?」

「これですか? えと……実は、ちょっと訳ありなんです」

「わわわぁ〜! 何かなぁ? ぼく、ちょっぴり気になるよぉ」

「えと……そんなにすごいことじゃないんですが……」

古河さんは両手を組んで、少しはにかんだ笑顔を見せて、おもむろに口を開いた。

「実は……」

 

「少し前、これとそっくりな夢を見たんです」

 

「夢? 古河さんが、さっきみたいな夢を見たのぉ?」

「はい。女の子と……詳しいところはよく覚えていないんですが、『人形』が出てきたんです」

「そういうのはぼくもありありだよぉ。細かいところは覚えてないんだけどぉ、とにかく夢の中に『何かが出てきた』っていう感覚は、ばっちり頭の中に残っちゃってるっていうことだよねぇ」

「はいっ。霧島さんの言ってるのと、まったく同じです」

真剣な顔つきをして、古河さんは佳乃ちゃんの言葉に答えた。佳乃ちゃんの言っていることは、ぼくも覚えがある。細かいところ……例えば、どういう状況でそれが出てきただとか、それが夢の中でどんな見た目だったかとかは全然覚えていないんだけど、とにかく、それが出てきたことだけははっきり覚えてる。

「それで、その夢を見終わって起きた後、思い出したことがあるんです」

「思い出したことぉ?」

「はい。もうずいぶん前のことなので、本当にあったことかどうかは自信が無いのですが……」

「むむむ〜?」

古河さんは自分が見た夢から、何かを思い出したらしい。佳乃ちゃんが身を大きく乗り出して、古河さんの話を聞こうと待ち構えている。

「まったく同じかどうかは分からないんですけど、よく似た話を、ずっと昔に聞いた記憶があるんです」

「へぇ〜。なんだかすごいよぉ。運命的なものをずびずばと感じちゃうねぇ」

「それで、お話の筋も良かったので、今度演じてみようと思うんです」

そう言うと、古河さんがにっこり笑った。佳乃ちゃんもうんうんと頷いて、同じようににっこり笑った。

「そう言えば古河さん、今度一人舞台をやるんだよねぇ」

「はい。前座で少し時間をもらって、短い劇をするんです」

「演目が決まってよかったねぇ。これならみんな大満足だよぉ」

「はい。私も、これなら本編に恥じない、立派な前座になると思います」

ああ、そうだったんだ。僕は古河さんの言葉を聞いて、ようやく合点がいった。古河さんは演説でも歌でもなく、演劇の練習をしていたんだ。それも一人舞台の、どちらかと言うと語り掛けに近い演劇だ。古河さんの話によると、これは前座に見せる短い劇らしい。だから、古河さん一人で演じていたんだろう。

それでも、僕は前座には勿体無いと思うぐらい、古河さんの劇に心惹かれていた。あの時、古河さんの儚げな姿と、とても深遠な響きを持つ台詞とがお互いを高めあって、素敵な……というよりも、不思議な空間が出来上がっていた。あんな空間は、見たくて見られるものでもない。

何だか……そう。あの空間だけが切り取られて、別の世界へと置き換わったような……

そんな感じがした。

「それで今度、皆さんの前で一度披露しようと思っています」

「本当ぉ?! 今から楽しみだよぉ。どきがむねむねしちゃうねぇ」

「明々後日に皆さんで集まりますから、その時に皆さんにも見てもらって、感想とか、ここはこうしたほうがいいんじゃないか、っていう部分を聞いてみるつもりです」

佳乃ちゃんのお得意の表現「どきがむねむねする」が飛び出した。この様子だと、佳乃ちゃんも古河さんの劇が見られるみたいだ。僕も全部見てみたいけど、ちょっと難しいかなぁ。

古河さんはこくりと頷いて、佳乃ちゃんに返事をした。佳乃ちゃんも頷き返して、納得したような表情になった。

 

「そう言えば……」

「どうしたのかなぁ?」

ここで一旦話を切って、古河さんが少し複雑な表情を見せた。

「霧島さん、ここへ来る途中に、小さな女の子を見かけませんでしたか?」

「女の子……あーっ! 見たよぉ! 確か、黄色いリボンの子だよねぇ」

「そうです。やっぱり、霧島さんも見かけましたか……」

古河さんが言っているのは……間違いなく、佳乃ちゃんと僕がさっき見かけた、あの「消えた」女の子の事だ。この公園は僕らが見かけた場所のすぐ近くだったから、古河さんが目撃していても全然おかしくはない。

「どこの子だろうねぇ?」

「はい……夜に一人で歩いていましたから、ちょっと心配になって、声をかけてみようとしたんですが……」

「……そこで、消えちゃったのかなぁ……?」

「……えっ?」

何故か寂しげな口調で言う佳乃ちゃんに、古河さんは些か驚いた様子で返した。

「そこで……女の子が消えちゃって、声をかけられなかったのかなぁ?」

「……はい。何か、溶けていくようにして、すっと……」

「……………………」

佳乃ちゃんは空のように澄み切った瞳で古河さんを見つめながら、ただ、その言葉に耳を傾けていた。

「あの子は……一体、誰だったんでしょう……」

「……………………」

「もしかすると、あの子は……」

「それは違うよぉ」

古河さんが続けて言い出そうとしたとき、佳乃ちゃんはぷるぷると首を横へ振って、ポケットに手を差し入れた。そうして、佳乃ちゃんがそこから取り出したのは……

「これは……」

「道端で拾ったんだよぉ。きっと、あの子が落として行っちゃったんだねぇ」

……さっき道端で拾った、あの長くて細い、黄色のリボンだった。古河さんはそれを不思議そうに見つめて、そのリボンが間違いなく、佳乃ちゃんの手の中にあることを確認した。リボンが風にゆらゆら揺れて、それを見つめている古河さんの頬に微かに触れた。

「今度会ったら、ちゃんと返してあげなきゃねぇ」

「……そうですね。もし私が見かけたら、霧島さんがリボンを持っているとお伝えしておきます」

「うんうん。そうしてくれるとうれしいよぉ」

佳乃ちゃんはまたいつものように、口に手を当てて笑った。

黄色いリボンと黄色いバンダナが一緒になって、ゆらゆらと揺れていた。

 

「それじゃあ、そろそろ帰ろうかなぁ」

「そうですね。私も、家に帰ります」

佳乃ちゃんは古河さんと連れ立って、もうすっかり夜闇に包まれた公園を出た。僕もそれに遅れることのないよう、佳乃ちゃんの足にぴっとりと寄り添って歩いていく。

「そう言えば、今度古河さんの家で新作パンの試食会があるんだよねぇ。早苗さんから聞いたよぉ」

「はい。お母さんが、また新しいパンを作ったんです。来てくださりますか?」

「もちろんだよぉ! 今から楽しみで空にジェット噴射で飛び上がっちゃいそうだよぉ」

佳乃ちゃんが空へと飛び上がる方法がジェット噴射というのは、そこはかとなくリアルでいいとか思ってみた。足からジェットを出してゴゴゴゴゴゴと飛んでいく佳乃ちゃん。恐ろしくシュールだ。

「明日にもするつもりですから、是非……あれ?」

「むむむ? 古河さん、どうしたのかなぁ?」

話をしていた古河さんが突然立ち止まって、一点を見つめたまま動かなくなった。佳乃ちゃんもすぐにそれに気付いて、古川さんの目線を追った。

「……………………」

「……あれは……」

 

「……『光』……」

 

……無数の光。

黄金色に輝く無数の光が、宙を舞っていた。

光は不規則に不安定に動きながら、辺りをうっすらと照らし出している。

時々立ち止まる光もあれば、休まずに動き続けている光もある。

……それはまるで、古川さんの吟じた、あの文言の光景のようだった。

 

「蛍だねぇ。川沿いだから、たくさんいるみたいだよぉ」

「綺麗ですね。なんだか、不思議な感じです」

「うんうん。さっきの古河さんのお話を思い出しちゃったよぉ」

佳乃ちゃんは僕と同じ感想を口にして、古河さんもそれに同意するように頷いた。なんだかんだで、みんな考えることは同じなのだ。けれどもそれはそれだけ、古河さんのお話が印象に残ったということに他ならない。

「此処に来れば、また、蛍を見れるでしょうか」

「きっと見れるよぉ。夏はまだ、始まったばかりだからねぇ」

そうしてしばらく、佳乃ちゃんと古河さん、そして僕は、さらさらという川のせせらぎを聞きながら、空を舞う夏の光――蛍――を眺めて、始まったばかりの夏に思いを馳せていた。

 

そう。

夏はまだ、始まったばかり――

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

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