「……嘘、だよね」
そうつぶやいた幼馴染の声は、低く沈んでいて、暗くくぐもっていて……
……強い、悲しみの色を帯びていた。
「……こんなの、嘘だよね……」
「名雪……」
俺はただ、そんな悲しげな名雪の姿を見つめたままだった。
何か言葉をかけてやらなきゃいけない。俺が、こいつに何か言ってやらなきゃいけない。
だけど。
「その……」
かけるべき言葉が見つからない。
悲しみに沈む名雪の顔を見つめていると、どうすればいいのか、まったく分からなくなる。
ただ、焦りと苛立ちと、悲しみだけが募ってくる。
「祐一……こんなの、嘘だよね……」
「……………………」
「わたし、ちゃんとお願いしたよ……ちゃんと……上手く行くようにって……」
生気の抜けた名雪の顔が、少しずつ近づいてくる。
それは、まるで蝋人形のよう。
何かに取り付かれたように、「嘘だよね」「嘘だよね」と繰り返している。
あまりにも、悲しい姿。
「祐一も……お願いしたよね……?」
「……ああ。俺も……お願いしたさ」
「そうだよね……二人で一緒に……お願いしたよね……」
そう言って、また目線を横に向けた。
何かにすがるように、一心に一点を見つめている。
今目の前で起きたことが、嘘であれと願うように。
今見せ付けられた光景が、一炊の夢であれと願うように。
……けれど。
現実は、どこまでも残酷だった。
「……嘘だよ……」
「名雪……」
「先生のこと……信じてたのに……」
信じていたものに裏切られた。
願っていたことが裏切られた。
名雪のまっさらな心に、突然、どす黒い現実が襲い掛かったのだ。
何も考えられなくなって、当然だった。
「祐一」
「……………………」
「わたし、どうしたらいいのか分からないよ」
「……………………」
「わたし、もう何も信じられないよ」
俺の腕にすがり付いて、名雪が今にも消え入りそうな、弱弱しい声で言う。
そんな変わり果てた幼馴染の姿を見ていると、まるで俺まで、あがくことももがくことも出来ずに、何か大きなものに飲み込まれていくような気持ちになった。
現実は、あまりにも過酷過ぎた。
「祐一……わたし、もう笑えないよ」
「名雪……」
「どんなに頑張っても、わたしもう笑えないよ……」
それは、痛々しい本音の言葉。
いつも笑っていた名雪が。
どんなに苦しいときでも、笑顔を忘れなかった名雪が。
永遠に、笑顔を失いそうになっている。
その心を、永遠に凍りつかせようとしている。
何もかも、失おうとしている。
「名雪……」
「……………………」
だったら。
何もかも失ってしまう前に。
俺があいつの凍てついた心を、解かしてやらなきゃいけない。
もう二度と、あいつに悲しい顔をさせたくない。
いつまでも、心の底から笑っていて欲しい。
「名雪……」
「俺には、奇跡は起こせないけど……」
「でも、名雪の側にいることだけはできる」
「約束する」
「名雪が、悲しい時には、俺がなぐさめてやる」
「楽しい時には、一緒に笑ってやる」
「白い雪に覆われる冬も……」
「街中に桜の舞う春も……」
「静かな夏も……」
「目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も……」
「そして、また、雪が降り始めても……」
「俺は、ずっとここにいる」
「もう、どこにも行かない」
「俺は……」
「名雪のことが、本当に好きみたいだから」
「……祐一っ……」
「名雪……っ」
名雪の華奢な体を、腕の中にしっかり抱きこむ。
凍り付いていた名雪の顔に、笑顔が戻った。
「どんなことがあっても、俺たちが二人でいれば乗り越えられる」
「うん……」
「険しい道も、辛い日々も……お前と一緒なら、きっと乗り越えられる」
「うん……!」
「これからは、いつまでも一緒だ。ずっとずっと、いつまでもだ」
「祐一……!」
俺はもう一度強く、名雪を抱きしめた。
もう二度と離すまいと、心に誓って……
俺は目の前で展開される光景を見ながら、何となく、やるせない気持ちになっていた。
それは隣の美坂もまったく同じようで、腕組みをしたまま、何度も何度もため息をついている。
「お姉ちゃん、北川さん。どうして相沢さんと水瀬さんは、あんなところで抱き合ってるんですか?」
状況の飲み込めない栞ちゃんだけが、きょとんとした表情で疑問を口にする。
「……美坂、言ってやれよ」
「……あたしが言わなくても、大体分かるでしょ?」
美坂の表情は、諦めの境地に達していた。
「……あれだ。とりあえず、今回の理由は何だ?」
俺が尋ねてみると、美坂は一際大きなため息を吐き出して、呆れ気味につぶやいた。
「……クラスが違ったんですって」
「……マジか」
「ええ。相沢君が三組で、名雪が二組だったのよ」
「えっ? お二人さんは、クラスが違うと何か問題なんですか?」
「……まぁ、あの二人には問題なんだろうなぁ」
「……ええ。多分、そうなんでしょうねぇ」
「えっと……よく分かりませんけど、分かりました」
戸惑い気味の表情で、栞ちゃんが返事をした。
「ちなみに、俺は二組だったぞ」
「あたしもよ。ということは、相沢君だけ三組になったわけね」
「とりあえず、今年もよろしく」
「ええ。こちらこそ」
美坂がふっと表情を緩めて言った。
「祐一……」
「名雪……」
二人が展開するラブラブフィールドを見せ付けられながら、美坂がつぶやく。
「……今年いっぱい、あれを見せ付けられるのよね……」
「……なんか、春とか夏とか秋とか冬とか言ってるしな……」
「うーん。ちょっと羨ましいです。あれぐらいの大胆さも必要ですね」
「栞ちゃん、モノには限度があると思うぞ」
「そうよ栞。見習うものはちゃんと決めておかないと、後で後悔するわ」
これから一年のことを思うと、頭痛のしてくる思いだった。
そんな、入学式の日だった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。