「……そうですか。今日、行かれるんですね……」
「ああ。今まで、色々と世話になった」
廃駅の古びたベンチに腰掛け、私は国崎さんと言葉を交わす。
暑い夏はもう、終わりを迎えようとしていた。
「……いえ。お世話になったのは、私も同じです……」
「……お互い様、ってとこか……」
国崎さんと過ごした、この夏。それは、いつもとはまったく違う夏。
……永い永い夢から覚めた、終わりの夏。
「……国崎さんの探している人が、見つかるといいですね……」
「見つけるさ。遠野が夢から覚めたように、そいつも夢から覚ましてやらなきゃいけないからな」
「……ねぼすけさん?」
「お前の言えた言葉じゃないだろ」
苦笑いを浮かべながら、国崎さんが言った。
「……国崎さん」
「どうした?」
「……その人は、私と同じように、ずっと夢を見続けているのですか?」
「……………………」
「悲しい夢を、ずっとずっと繰り返しているのですか?」
「……………………」
国崎さんが探していると言う、「空の少女」。
それは、ずっと同じ夢を見続けていて、今もこの空に囚われている。
いつか、そんな話を聞いた。
「もし、それが本当なら」
「……………………」
「国崎さんの手で、起こしてあげてください」
「……………………」
「終わらない夢は……例えどんなに楽しい夢でも、いつか、悲しい夢に変わってしまいますから……」
「……分かってる。あいつにも……同じようなことを言われたからな」
「……みちる……ですか……」
みちる。
ほんの少し前まで、私の隣にいた、私の「夢」。
あの子が私を、「美凪」でいさせてくれた。私が「美凪」であることを忘れてしまいそうになった時、あの子が傍にいてくれた。
……けれど、もしそうならば。
あの子は、私が「美凪」であるためだけに、此処に来たのだろうか。
あの子は、私の逃げ道だったのだろうか。
あの子は、私の幸せだけのために、生まれてきたのだろうか。
「……国崎さん」
「……………………」
「……あの子は……みちるは、本当に幸せだったでしょうか……」
「……遠野……」
「……私は……みちるのおかげで、『美凪』でいることができました」
「……………………」
「けれど……みちるは、それで幸せだったでしょうか……?」
確かに、私はみちると一緒にいて幸せだった。私が、「美凪」でいることができたから。
けれど、みちるはそんな私と一緒にいて、本当に幸せだっただろうか。
私だけが幸せで、みちるはただ、私の幸せのためだけに生まれて、生きて、還ったのではないか。
「……遠野。お前は何か、根本的な勘違いをしているぞ」
「……勘違い……ですか?」
「お前の幸せは……あいつの幸せだぞ」
「……………………」
「お前が幸せなら、あいつは幸せなんだ」
「……分かるんですか?」
「あいつが……そう言ってたからだ」
国崎さんは、静かに言った。
「そうですか……」
「あいつが言ってた言葉なんだ。信じてやらなきゃ、あいつが怒る」
「……そうですね……」
私と国崎さんの間に、一陣の風が吹いた。
風は木々を鳴らし、暑気を散らし、空気を乱し、私と国崎さんの髪を揺らした。
「そう言えば……こんな夢を見ました」
「夢?」
「はい。少し前に、見た夢です」
「にゃはは。遅いぞ国崎住人!」
「お前が早すぎるだけだ」
夏。
私とみちると国崎さんが、夏の空の下で駆けている。
「というか、どうしてこんなに暑いのに外に出なきゃいけないんだ……」
「にゃはは。暑いから外に出るんだぞー。国崎住人はそういうことも分かってないから、トーヘンボクって言われるんだぞー」
「誰が唐変木だコラ」
「にょめれっちょ」
みちると国崎さんがじゃれあっている。みちるの頭にちょっと大きなこぶが出来ているような気もするけど、それも、いつものこと。
「んにー……みなぎー、国崎住人がみちるをキズモノにした……」
「国崎くん、みちるをいじめちゃダメ」
「先に手を出してきたのはそっちだぞ」
「やーいやーい! 国崎住人の意気地なしー!」
「遠野、お前はどっちの味方なんだ?」
「にょわ! みなぎはみちるの味方だぞー! 国崎住人は人類共通の敵だー!」
「みちるも、国崎君に悪口言っちゃダメ」
「んにー……ごめんなさい……」
こういうときは、喧嘩両成敗。どっちかに味方したら、味方しなかった方が傷つくから。だから、喧嘩両成敗。
「みちる、ちゃんと謝って」
「んにー……分かった……」
「ほら、国崎くんも」
「……俺もか……」
二人の間に立って、謝るように促す。
「それじゃ、一緒に」
「うー……ごめんなさい……」
「悪かった」
二人はまったく同時に、頭を下げた。
(ごちん)
「痛っ?!」
「にょはっ」
お腹にずっしり来る、いい音が響いた。
「にょわー! 脳みそが、脳みそが揺れてるーっ!」
「いってぇ……こんの石頭め……」
「にょが! 誰が石頭だーっ! 国崎住人は鉄頭だーっ!」
「鉄ってどういう意味だ鉄って! 俺はお前よりかは柔軟な頭してるぞ!」
「どこがだーっ! 目から星が出たぞーっ!」
また、二人がいつものようにけんかを始めた。
「今日という今日は絶対に許さないんだからなー! ここで決着をつけてやるー!」
「お前がそう言うなら俺もやってやるぞ! 覚悟しろよ!」
「にゃはは! 覚悟するのは国崎住人、お前の方だー! 食らえーっ! ちるちるキーック!」
「今更そんな見慣れた攻撃が当たるとでも思ったか!」
二人はいつも、こんな調子。
私はそれを、ちょっと楽しそうに見ている。
こんな関係で、いいと思う。
三人一緒にいられれば、それでいいと思う。
「んにー……ちるちるキックが当たらないなんてー……」
「どうした、それで終わりか。今度はこっちから行くぞ!」
「にょわー!」
でも、そろそろおしまいにした方がいいかな。
怪我をしちゃったら、大変だから。
こういうときは、あれを使おう。
「ごそごそ……」
「……いや、別に口に出して擬音語を言う必要は無いと思うぞ」
「んに? みなぎー、何してるんだー?」
どんなけんかも、すぐに止めちゃう、不思議な魔法。
「ごそごそごそ……じゃじゃーん」
「あーっ! しゃぼん玉セットー!」
「……お前、いっつもそれ持ってるよな……」
私はポケットからしゃぼん玉セットを二つ出して、二人にひとつずつ渡した。
「誰が一番遠くまで飛ばせるか、競争」
「にゃはは。みちるが一番に決まってるぞー!」
「負けるかっ、俺だって!」
二人はしゃぼん液をかしゃかしゃ書き混ぜてから、棒を中に突っ込んで取り出して、一緒に口につけた。
「高く飛べーっ……わぷっ!」
「下手だなー。いいか見てろよ……いてっ!」
しゃぼん玉はちっとも膨らまずに、割れてその場で消えた。
「にゃはは。国崎住人のへたくそー」
「下手なのはお前も同じだろ」
「みちるはちゃんと形にはなったぞーっ!」
「俺のだってもうちょっとで飛ばせたんだ!」
「言い訳がましいぞー!」
「うるせーっ! ……って、あれ?」
(ふわり、ふわり)
私が二人の間に、無数のしゃぼん玉を飛ばしてみる。
二人は口をぽかんと開けたまま、間を流れるたくさんのしゃぼん玉に目を奪われている。
「遠野……お前、上手だよな……」
「んにー……みなぎー、みちるにも教えてー……」
「それじゃあ、二人ともこっちに来て」
これから二人に、しゃぼん玉の飛ばし方を教える。
「ゆっくり息を吹き込んで……」
「こうか?」
「んに、こうかー?」
二人は真剣になって、私のほうを見ている。私はできるだけ分かりやすいように、しゃぼん玉を吹いてみる。
「おおーっ! たくさん出てきたぞーっ!」
「よし……俺もやってみよう」
「みちるもやってみるぞー」
それから、しばらくもしないうちに。
「コツを掴めば大したこと無いな」
「にゃはは。かんたんかんたん……わぷっ」
「のっけから失敗してどうするんだ、お前」
「んにー……いちいちうるさーい!」
周りは、しゃぼん玉でいっぱいになった。
小さなしゃぼん玉、大きなしゃぼん玉。
そのすべてに、この風景と、私達が映りこんで。
不思議で。
幻想的で。
夢のような。
そんな光景が。
私たちの目の前に、どこまでも広がっている。
(いつまでも……)
いつまでも。
(いつまでも……二人と一緒にいられたらいいのに……)
二人と一緒にいられたらいいのに……
「……………………」
「……そんな夢でした」
私は見た夢の内容を、国崎さんにありのままに話した。
国崎さんは少しの間黙っていたけれど、ゆっくりと顔を上げて、
「……もし、何かが少しずつずれていたら、お前の見た夢は……夢じゃなかったかも知れないな」
「……………………」
「俺が……ここに生まれて、お前や……みちると知り合っていたら……」
「……………………」
「多分……いや、絶対そうなってただろうな」
顔に、小さく笑みを浮かべた。
「でも、これは夢です。私が見た、短い夢です」
「……………………」
「私はこれから、一人で歩いていかなければいけません」
「……………………」
「国崎さんの、みちるの手も借りずに、私、一人の力で」
私がそう言うと、国崎さんは顔を上げて、
「確かに、お前は一人になったかも知れない」
「……………………」
「けどな遠野、俺はいつでも、お前のことを想ってる」
「……私のことを……ですか?」
「俺だけじゃない。みちるだって……姿が見えないだけで、お前のことをちゃんと想ってくれてる」
「……………………」
「お前はもう、一人じゃない。手は借りられなくても、貸してやれなくても、心はいつもお前と一緒にある」
いつからだろう。
国崎さんが、こんなことを言ってくれるようになったのは。
国崎さんに言われると、不思議と、それが正しいような気がしてくる。
……きっと国崎さんが正しいことを言っているから、私もそれを信じられるのだと思う。
「そうですね……何かあったら、私やみちるのこと……ここであったことを思い出してください」
「ああ。そうさせてもらう」
「私も、いつも国崎さんのことを想っていますから」
「……お互い様、ってとこか……」
国崎さんはそう言って、ゆっくりと立ち上がった。
「行かれるのですか?」
「ああ。そろそろ、バスが来る」
「そうですか……それでは、最後に……」
「……………………」
最後に、国崎さんに預けたいもの。
私が夢の中にいた時に、いつも持っていたもの。
「……進呈……いつかまたきっと会えるで賞……ぱちぱちぱち……」
「賞なのか、それは」
私は、最後に一枚だけ残った「夢の欠片」を、国崎さんの手に預けた。
これでもう、本当に夢は終わった。
私は、「遠野美凪」になった。
「それじゃ、世話になった」
「……はい。これからも、お気をつけて……」
私は、国崎さんを見送って。
「……空の向こうのねぼすけさん。この世界で一番人を起こすのが上手な人が、今からそっちに行きます。ですから……もう少しの辛抱です」
雲の流れる青空を、ゆっくりと見つめた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。