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そーどふぃっしゅ

「……………………」

(しゅっ……しゅっ……)

こんにちは。伊吹風子です。風の子と書いて「ふうこ」と読みます。ご近所の皆さんからは「ふぅちゃん」と呼ばれています。皆さんも「ふぅちゃん」と読んで、「ふぅちゃん」と呼んでください。「かぜちゃん」じゃありません。「かぜちゃん」と呼ぶ人はぷち最悪だと思います。あくまでも「ふぅちゃん」です。

「……………………」

(しゃっ……しゃっ……)

今風子はとある作業に没頭中です。神経を使う作業なので気が抜けません。一瞬の気の緩み、気の迷い、気の遅れが、大惨事に直結するです。

「……………………」

(しゅっ……しゅっ……)

今風子が右手に持っているのは、鋭く尖った彫刻刀です。これを上下にしゅっしゅっと動かして、左手に持っている木を少しずつ削っていきます。

「……………………」

(しゃっ……しゃっ……)

木が少しずつ削れていきます。この瞬間はなんともいえません。私服、じゃなかった至福の瞬間です。宙を舞う木の粉が華麗で鮮やかです。風子感激です。

「……………………」

「……………………」

(しゅっ……しゅっ……)

木が少しずつ削れてきて、ちょっとずつですが形が見えてきました。いいです。実にいい調子です。これなら今日中にあと二個ぐらいはできそうな気がします。順調です。

「……………………」

「……………………」

(しゃっ……しゃっ……)

今風子が作っているのは、とーっても可愛らしい木彫りのヒトデです。星じゃありません。ヒトデです。海の星と書いてヒトデと読みます。人の手じゃありません。そんな読み方をする人はぷち最悪です。お空のお星さまになっちゃえばいいと思います。風子は海のお星さまが好きなのです。

「……………………」

「……………………」

(しゅっ……しゅっ……)

風子がどうしてこのとーっても可愛らしい木彫りのヒトデを作っているのかというと、それにはちょっとした訳があります。ちょっとした訳があるのですが、ここで皆さんにお話しするわけには行かないです。何故なら、それはちょっと大事な用件だからです。むやみやたらに言うと、いろいろとややこしいのです。大人の事情なのです。風子はどちらかと言うとちょっと大人っぽい大人の女性だと自覚しています。

「……………………」

「……………………」

(しゃっ……しゃっ……)

そうこうしているうちにもう後少しのところまで漕ぎ着けました。後は仕上げです。ちょっと出っ張ったところとかをさっくりと削りましょう。芸能人は歯が命、ヒトデは形が命です。

「……………………」

「……………………」

(しゅっ……がっ!)

「……んっ……!」

「……あっ……」

……手に鋭い痛みが走りました。思わず顔をしかめます。

「……んー……っ!」

「……………………」

切った所がちくちく痛みます。涙が出てきそうです。すごく痛いです。

「……んー……」

「……………………」

でも、風子は大人の女性ですからこれぐらいでは泣いたりしません。風子はどちらかと言うと大人っぽい大人の女性です。これぐらいで泣いたりしません。目から汗が出てきます。これは汗です。涙なんかじゃありません。

「……んっ……」

「……………………」

風子は大人っぽい大人の女性ですから、涙はそう簡単には見せないです。おねぇちゃんは泣きたい時には泣かなきゃだめといっていましたが、今は泣き時ではありません。ぐっとこらえて大人の対応です。

「……んー……」

「……………………」

それにしても、左手が痛いです。今日はいつもより深く切ってしまったみたいです。風子はキズモノになってしまいました。大変です。どうしてくれるんでしょうか。最悪です。ばんそうこうを貼らなきゃいけません。

「んー……」

「……じっとしてて」

「はい」

「……これでよし」

「ありがとうございます」

あ、気がついたらばんそうこうが貼られています。ちょっと痛みが治まりました。良かったです。これで一安心です。では、作業を再開しましょう。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……って、知らない間に目の前に人がいますっ」

大変ですっ。知らない間に目の前に人がいましたっ。全然気付きませんでしたっ。風子、とってもうかつですっ。

「……………………」

「……………………」

目の前の人は……えっと、制服を見るとどうも風子より先輩の人みたいです。顔立ちはとっても綺麗です。風子と同じように髪の毛をリボンでまとめています。何気におそろいです。

「……………………」

「……………………」

あと、ちょっと目が怖いです。風子、たじろいでしまいそうです。ついでに、身長も高いです。本物の大人の女性です。風子、びっくりです。

「……………………」

「……………………」

(かちゃん)

あ。今何か物音がしましたね。そっちを見てみましょう。

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………!」

……た、大変ですっ!

風子、大変なものを見てしまいました。

(け……)

 

(……け、剣がたてかけてありますっ)

 

剣ですっ。鞘に入った剣が立てかけてありますっ。風子、目が点ですっ。

見た感じ真剣ですっ。真の剣と書いて真剣です。人とかものをばっさり斬っちゃう剣です。とてつもなく恐ろしいです。風子、怖くて意識不明になりそうですっ。

「……………………」

風子がたてかけられた真剣を見つめたまま硬直していると、女の人がちょっと聞き取りにくい声で、

「……気にしなくていい……」

と言いました。そんな事言われても気になることは気になります。

(ふ、風子はあの真剣のサビにされてしまうのでしょうかっ)

風子が一瞬目をそらしたスキに、あの剣でばっさり行かれてしまうのではないでしょうかっ。それは怖いです。怖すぎます。怖くて夢に出てきそうです。それは困ります。

「……………………」

「……………………」

「……続けて……」

「……………………」

女の人は風子が作業を続けることを望んでいるようです。でも、こんな状態で作業を続行できるほど風子は無神経じゃないです。どちらかというと繊細できめ細やかな性格だと思っています。近所の人からもきっとそう思われているはずです。多分です。

「……………………」

「……………………」

ああ、女の人はこっちのことをじーっと見つめています。そんなに見つめないでください。風子に穴が開いてしまいます。それは困るです。

「……………………」

「……………………」

と、とりあえず作業を再開しましょう。風子も頑張ってヒトデを彫らなければなりません。いつまでも硬直していてはヒトデは彫れないのです。作業、再開です。

「……………………」

「……………………」

(がりっ……がりっ……)

妙に歯切れの悪い音が響きます。

「……………………」

「……………………」

(ごりっ……ごりっ……)

さっきまでの流れるような音はどこへやら、とてつもなくダメそうな音が響いています。

「……………………」

(じーっ)

だから、そんなに見つめないでくださいっ。見つめられると緊張して無駄に力が入ってしまいますっ。上手く手が動きませんっ。風子、絶体絶命の大ぴんちです。風子ちんぴんちですっ。

風子は少しでも視線から逃れようと、咄嗟に目を閉じることを思いつきました。名案です。これなら視線を感じることは……

「……………………」

「……………………」

ああっ、ダメです。ばっちり見られているような気がしますっ。このままだと風子はここで硬直したまま一生を終えてしまいますっ。ダメです。風子にはやるべきことがあります。この木彫りのヒトデもそのやるべきことの一つです。でも見ていられると全然手が動きません。どうしたらいいのか分かりませんっ。

「……………………」

(がたっ)

……と、風子が目を閉じている間に、何かが動くような物音が聞こえました。あ、ひょっとして出て行ってくれたんでしょうか。きっとそうです。風子安心です。これでようやく風子も自由の身に

 

(ぴたっ)

「!!!」

 

時間が止まった気がしました。

風子の背中に、何かが触れる感覚が走りました。

「……………………」

「……………………!」

恐る恐る、後ろに目を向けてみます。

「……動かないで」

「……!」

さっきの人が風子の後ろに立って、風子の肩に手を回していました。風子はもうカチカチになってしまって、少しも動けません。後ろの人の視線が、風子の背中に突き刺さっているような気がします。

「……………………」

「……………………」

後ろの人の手が、少しずつ風子の手に伸びてきます。これから風子に一体何をするつもりなのでしょうか。風子はこれから一体、どうなってしまうのでしょうか。怖くて怖くて、泣き出しそうです。でも風子は大人の女性なので頑張らなければなりません。

(ぴとっ)

「……………………」

「……………………!」

風子と後ろの人の手が重なりました。ちょっと冷たい感触が伝わってきます。風子の全身が熱くなったり冷たくなったりして、なんだか別の世界に行ってしまったような気がします。生きた心地がしません。

「……………………」

「……………………」

後ろの人の手が、風子の手を掴んでいます。このままだとどうなるか分かりません。手にすごく力がこもります。彫刻刀を持った手に、じんわりじんわり汗が滲むのが分かります。

風子はもう一回、後ろの人を見てみます。

「……力を抜いて」

「……………………」

力を抜いてと言われました。そんなこと言ったって、風子はもうカチコチです。力を抜こうにもどこから抜いたらよいのやら、さっぱり分かりません。ぷちパニックです。いえ、大パニックですっ。

……と、その時でした。

 

「……怖がらなくていい」

「……?」

「……この持ち方だと、また、怪我をする」

「……………………」

 

そう言うと、後ろの人は風子の指をほぐしていきました。風子はされるがまま、指を預けています。

「……こうやって持って」

「……………………」

気がつくと、風子の手はまた彫刻刀を握っていました。ですが、握り方が変わっていました。

「……持ち方が悪いと、怪我をするから……」

「……………………」

そう言って、女の人は風子の手を離して、さっきまで座っていたところへ戻っていきました。風子は呆気に取られたまま、しばらくぽかんと口を開けていました。

「……続けて」

「あ、はい」

風子は思わず返事をして、彫刻刀を動かしてみました。

(しゃっ)

「……!」

するとびっくりです。さっきまですごく力を入れないと動かなかった彫刻刀が、するすると滑るように動くようになりました。びっくりです。

「……無駄な力を入れないほうが、よく切れる……」

女の人は静かに言いました。風子はよく分かりませんが、なんだかちょっと安心したような気分になりました。

「……………………」

「……………………」

気がつくと、もう風子の体は緊張していませんでした。女の人はじーっと風子のことを見つめているんですが、さっきまでと違って、誰かに見られているというよりも……

「……………………」

「……………………」

 

誰かに見守られているといった方が正しい感じです。

よく分かりませんが、なんだかちょっと、心が落ち着きます。

 

「……………………」

「……………………」

(しゃっ……しゃっ……)

風子はそのままヒトデを彫っていたのですが、ふと気がつくと、

「……………………」

「……………………」

すでに出来上がっていたヒトデを、女の人が手に持っていました。女の人はヒトデをじーっと見つめています。風子も手を止めて女の人を見つめます。

「……………………」

「……………………」

「……これは……」

女の人はこれを見てどう思ったでしょうか。それがちょっと気になります。

これが、何に見えているのでしょうか。

(やっぱり、お星さまでしょうか)

風子にはこれがヒトデにしか見えないのですが、このヒトデをプレゼントした人はみんな「お星さま」と言います。ヒトデとお星さまでは全然違うのですが、やはりお星さまに見えるのでしょうか。

風子は、ちょっと悲しいです。

(やっぱり、お星さまに見えるでしょうか……)

「……………………」

「……………………」

 

「かわいい……ヒトデさん……」

「……!」

 

何かの間違いかと思いました。

目の前の女の人は、風子の彫り物を見て、ヒトデさんと言ってくれました。

ヒトデです。星じゃありません。

これを見ただけでヒトデと言ってくれたのは、目の前の女の人だけです。

風子はびっくりして、思わず声を上げました。

「あ、あのっ」

「……?」

「これ、ヒトデに見えますかっ」

「……(こくり)」

「そ、そのっ」

「……?」

「ほ、本当にヒトデに見えますかっ」

「……(こくこく)」

「え、えっとっ」

「……?」

「本当に、本当ですかっ」

「……(こくこくこく)」

すごいです。

風子は素晴らしい人と出会いました。

風子の彫り物を見て、一目でヒトデだと言ってくれました。

風子は感激の余り、口からどんどん言葉が出てきます。

「あ、あのっ」

「……?」

「ヒトデ、好きですかっ」

「……(こくり)」

「そ、そのっ」

「……?」

「風子も、ヒトデが大好きですっ。世界で……えっと、少なくとも二番目ぐらいには好きですっ」

「……ヒトデさん、かわいい」

「はいっ。他にこんなにかわいいものは、この世にないと思いますっ」

風子、感激です。

素晴らしい人と出会いました。

風子はずっと、こんな人を探していたような気がしてなりません。

風子、不覚にも涙を流しそうです。でも、風子は大人の女性なので涙は流しません。涙は最後の最後までとっておくものなのです。

と、風子が感激していると、

「……あっ」

「……?」

「……ここ、少しささくれてる……」

女の人が、風子の前においてあった彫刻刀をひょいと取って、ヒトデに当てました。

「あっ……」

大変です。この彫刻刀は見ての通り、風子の手も切るような危ないものです。女の人の手が傷ついたら一大事です。ここは風子が止めなきゃいけません。

「……?」

「えっと……危ないですから、風子が……」

「……いい……」

「……えっ?」

「……刃物の扱いには、慣れてるから……」

女の人はそう言って、彫刻刀でヒトデを彫り始めました。

(しゃっ、しゃっ)

風子はそれを見てびっくりしました。

(すごいですっ。手つきが違いますっ)

まるで職人さんのように、ヒトデのささくれ立った部分を丁寧に掘っていきます。風子はその手つきに、思わず見とれてしまいました。

「……これでいい」

「……………………」

あっという間に、ヒトデは前よりもずっと綺麗な形になって、机の上に戻りました。

「……続けて……」

「あ、はいっ」

女の人に言われて、風子は彫り物を再開しました。

 

結局、今日は四つできました。いつもよりも一つ多く出来ました。

「……………………」

外を見てみると、夕焼けが見えました。もうこんな時間です。

教室の外では、家に帰るほかの人たちの声が聞こえてきます。

「……まだ、続ける?」

「えっと……はい。ちょっと、急がないといけませんので」

そう言うと、女の人はちょっとだけ表情を緩めて、

「……そう。でも、夜になったら、ちゃんと家に帰って」

「……………………」

「……夜は、危ないから……」

女の人は、親切に言ってくれました。

「……………………」

……けれど。

 

風子は、ちょっと、人には言えない秘密があります。

それは、多分、言っても信じてもらえないことだと思います。

風子は今、どうしてもやらなきゃいけないことがあります。

そのために残された時間は、ちょっと少ないです。

ですから、こうやって、ヒトデをたくさん彫っているのです。

 

「……大丈夫。きっと、うまくいく……」

「……?」

「なんでもない……」

風子が女の人の言った言葉が理解できずに首をかしげていると、女の人がゆっくりと立ち上がろうとしました。

「……じゃあ、これで……」

女の人が立ち去ろうとした時、風子は「あっ」と思って、

「あ、あのっ」

「……?」

女の人を呼び止めました。

 

そうです。

風子はこのために、たくさんのヒトデを彫っているのです。

ただ彫りたくて、彫っているのではないです。

これを、たくさん彫って。

 

「あのっ」

「……………………」

「これ、受け取ってくれませんかっ」

「……ヒトデさん……?」

 

たくさんの人に、プレゼントするためです。

風子からの、小さなプレゼントです。

木彫りのヒトデの、プレゼントです。

 

「……くれるの?」

「はいっ」

「……ありがとう」

女の人は、ヒトデを素直に受け取ってくれました。

少し、嬉しそうな表情をしてくれました。

「それでです」

「……?」

 

風子には、しなければいけないことがあります。

木彫りのヒトデをプレゼントして、その代わりにしてもらいたいことがあるのです。

それは、とっても大切なことなのです。

 

「今度、風子のおねぇちゃんが結婚します」

「……結婚……?」

「はい。それで、それを一緒にお祝いして欲しいのです」

「お祝い……」

「はい。おねぇちゃんの門出を、一緒にお祝いしてあげて欲しいんです」

 

風子には、おねぇちゃんがいます。

おねぇちゃんは、もうすぐ結婚します。

風子は、おねぇちゃんに幸せになってもらいたいです。

ですから、たくさんの人にお祝いしてもらって、幸せになってもらいたいのです。

 

「……約束する……」

「本当ですかっ」

「……嘘は、嫌いだから……」

「ありがとうございますっ」

「……気にしなくて、いい……」

女の人はヒトデを胸に抱いて、もう片方の手で、立てかけていた剣を取りました。

「……大丈夫」

「……………………」

「……最後にはきっと……必ず、上手くいくから……」

女の人は最後にそう言って、静かに教室を出て行きました。

 

(そうです。風子はやればできる子です。きっとやってみせます)

女の人の言葉で、風子は勇気付けられた気がしました。

風子に残された時間は、ちょっと少ないかも知れません。

けれども、残った時間をめいっぱい使えば、どんなことでもできそうな気がします。

おねぇちゃんを幸せにするために、風子は頑張ろうと思います。

プレゼントを受け取ってくれた、あの女の人のためにもです。

(風子、頑張ります)

風子はそう心に誓って、本日五つ目の彫り物にかかりました。

 

「あ、舞ー。どこ行ってたのー?」

「……秘密」

「えー? どういうことー?」

「……秘密」

「ふぇー……舞も秘密を持つようになったんだねー。佐祐理びっくりだよー」

「……………………」

「あ、何これ? お星さま?」

「……ヒトデさん」

「ヒトデさん?」

「ヒトデさん」

「ふぇー……かわいいヒトデさんだねー。どこでもらったの?」

「……秘密」

「えー? それ、佐祐理も欲しいよー」

「……大丈夫。ちゃんと、佐祐理ももらえるから……」

「本当? ちょっと楽しみー」

「……その代わり」

「その代わり?」

 

「……その人のお願い、聞いてあげて欲しい……」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。