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邪悪の化身佳乃!!

ある日、俺はいつものように、日差しの照りつける商店街を歩いていた。

「あづい……」

もう何度目か分からないこの言葉。正直暑いとかそういうレベルじゃない。むしろ焼ける。何でも焼ける。それぐらいの勢い。

「ぴこぴこー」

「……………………」

そして、いつものように唐突に現れるあの毛玉。鳴き声なのか尻尾を動かす音なのか、はたまたモーターの駆動音なのか分からない音を響かせながら、そいつは現れる。

どうでもいいけど、あの「ぴこぴこー」とかいう音の正体は一体何なんだ? 鳴き声にしては妙だし、尻尾を動かす音にしては無駄に音量がでかい。モーターの駆動音なら即修理工場送りだ。

「答えは電波を受信する音だよぉ」

「おお、なるほど。それならあんな変な音が出るのも頷けって何でお前俺の心を」

「かのりんは魔法が使えるんだよぉ」

それは一般的に魔法じゃなくて超能力と呼ぶと思う。

「お前、バンダナ外したじゃないか」

「かのりんは往人君に大人にしてもらったからねぇ」

「さらっとこのSSの対象年齢を大幅に引き上げるようなことを言うな」

こいつはいつも突然出現するから気が抜けない。こいつは佳乃。見方によっては中学生にも見える高校二年生だ。

「そんなこと言ってると暗い夜空で瞬くこともできない惨めで寂しい星屑にしちゃうよぉ」

「地の文を読むな。あと、さらっと怖いことを言うな」

「かのりんは魔法が使えるから、何でもできるんだよぉ」

「それは魔法とは言わない。ご都合主義って言うんだ」

……って、普通に会話してるが、一体こいつは何をしに来たんだ? 確か今日は飼育当番だったはずだが。

「ピョンタとモコモコは邪悪な夢になっちゃったんだよぉ」

「なんだその妙な言い方は」

「邪悪な夢、略して邪夢だよぉ」

「一つだけ言わせてくれ。あえて言うならここは海辺の町であって冬場になると最高気温が氷点下になる街じゃない」

「かのりんにかかれば、今からだって氷点下にできるよぉ」

「本当にできそうだからやめてくれ。って、だから、お前は何をしに来たんだ」

「夏休みの自由研究で、往人さんの生態をノートに付けに来たんだよぉ」

そう言いながら、佳乃はノートに何かを物凄い勢いで書きこんでいる。その勢いがあまりに凄過ぎて、ここから見ると逆に止まっているようにすら見えてしまう。

「こんな感じだよぉ」

と言って、佳乃が俺にノートを見せる。そこには、

「これを文字で説明しろというのは、雑誌からダイアモンドを作るよりも難しいぞ」

「大丈夫。往人君だったらきっとできるよぉ」

「その根拠の無い自信は何なんだ」

「それは、往人君が往人君だからだよぉ」

「もうちょっとシチュエーションが違ったらきっと名台詞になっただろうな。それ」

口では説明できないとしか言いようのないものが書かれていた。あえて言うなら、俺の体にナイフが三十二本ぐらい突き刺さってて、頭には猫耳とうさぎ耳が装備されてて、右手にはワイングラスを持ってて、左手にはメガホンを持ってて、足は拘束具でつながれてて、バックには惑星直列。これを説明することは、ノーベル平和賞を獲得する数千倍は難しいと断言できる。

「なんでこんなものが書けるんだ」

「ポテトが受け取った電波をかのりんが目に見える形にしたんだよぉ」

「ぴこぴこー」

「なるほど。お前の頭の中では俺はこんな世紀末状態になってるわけだな。よし。お前にいいものをくれてやろう」

俺はポテトを足元に置くと、一足で五~六メートルは軽くジャンプすることで有名なサッカー少年張りのドライブシュートを華麗に決めた。

(ずどーん)

「ぴこー」

ポテトはあの日風船が飛んでいった空に消えて、夜空に輝くお星様になった。もうこれでヤツと会うことは無いだろう。

「行っちゃったねぇ」

「そうだな」

「ぴこぴこ」

……あれ?

「それにしても、今日は暑いねぇ」

「いや、ちょっと待て。その前に言うことがあるだろう」

「かのりんはかのりんっていうんだよぉ」

「……もういい。それで、そんな誰も理解できない絵が自由研究になるのか」

「大丈夫だよぉ。理解できない人はかのりんが理解できるようにしてあげるからぁ」

こいつは魔法や超能力だけでなく、マインドコントロールまで使いこなすらしい。この世に悪魔がいるとしたら、きっとこいつのことに違いない。

「悪魔じゃなくて天使だよぉ」

「……って、何で俺の心を読めるんだ」

「往人君、口に出してしゃべってなかったよぉ」

「ああ、それで……って、それでいいはずだが」

「かのりんはかのりんっていうんだよぉ」

「それはもういい」

いちいち心を読まれてはたまらないので、とりあえず何も考えないことにする。

「ぴこぴこー」

「あっ、ポテトがまた電波を受信したみたいだよぉ」

「ぴこぴこー」

「わわわ~、今度の電波は大きいよぉ。往人君、今から一緒に電波うぉっちんぐにれっつごー」

「断る」

「もう、逃げられないんだよぉ」

「さりげなく別人の台詞を使うな」

「それじゃあ、往人君を電波観測部隊隊員三号さんに任命するよぉ。ちなみにかのりんが一号さんでポテトが二号さんだよぉ」

「なんでお前が一番なんだ」

「それでは、でっぱつー」

俺は佳乃に首を引きずられながら、電波ウォッチングに駆り出されることになった。どうでもいいが、電波はウォッチするものじゃなくて受信するものだと思った。

「とうつき~」

俺は気が付くと足首を引っ張られていた。たどり着いた先は、俺の永遠のライバル・武田商店の前だ。そして、例の殺人自動販売機の前には人影が一つ。このロケーションにいるのは間違いない。み……

「……あ、国崎さん……」

「あーっ、国崎往人だーっ」

「なんでお前らなんだ。読者の期待を裏切るつもりか」

「……不意を突いた登場、基本です」

「そうだぞー。国崎往人は勉強不足だーっ」

「うるさい。俺の視界にも入らなかった分際で」

「それは往人君の目が悪いからだよぉ」

「ぴこぴこー」

何が悲しくてポテトにまで突っ込まれなければならないのか。そもそも、武田商店の自動販売機といったら普通に考えたら観鈴のポイントじゃないか。そこになんで美凪とみちるがいるんだ。しかも両手にあの殺人ジュース「どろり濃厚」を抱えている。それも大量だ。大体そもそも一体全体、こいつらの出現ポイントは駅じゃないか。

「……それは、秘密です」

「そうだそうだー。ヘンタイゆうかいまなんかに秘密は教えないぞーっ」

「お前も読心術の使い手か」

「……ええ。国崎さんに大人にしてもらいましたから……ぽ」

「お前までこのSSの対象年齢を大幅に引き上げようとするな」

「大丈夫です。日本人は、お米族ですから」

「そうだぞーっ。わかったかー」

「お前が一番分かって無いくせに言うなっ」

「大丈夫だよぉ。かのりんは100%分かってるからぁ」

「そうだろうよ」

ダメだ。このペースで会話してたら、終わる前にカップラーメンが百個ぐらいできてしまう。百個ならまだきっと短い方だ。ここは素早く話を進めることだけを考えよう。そうしよう。

「で、お前らなんでこんなところにいるんだ」

「……実は、ある方から重大な任務を頼まれたんです」

「にんむだぞーっ。宿無しでヘンタイゆうかいまの国崎往人とは違うんだぞー」

つかつかつか。どごっ。

「にょめれっちょ」

「で、それは誰なんだ」

「……それは、秘密です」

「こらーっ。人の頭を叩いておいて勝手に話を進めるなーっ」

つかつかつか。どごっ。

「にょへ」

「それなら仕方ないな。あんまり危ないことには首を突っ込むなよ」

「……はい。分かってます………………………………………………………………………………………………ぽ」

「ずいぶん間を置いたな」

「……タメ時間が長いほど、威力が増すんです」

「そうだぞーっ。国崎往人も少しは勉強しろーっ」

つかつかつか。どごっ。

「にょは」

「で、その任務ってのは、その殺人ジュースを持ち帰る事か」

「……はい。どうやって使うのか分かりませんが……」

そう言いながら、美凪が例のジュースを次々に袋に詰めてゆく。これからこれで殺人が行われるのかと思うと、あまりの恐怖に身の毛もよだつ。

「ぴぃこぉーっ」

「……何やってんだお前は」

「身の毛をよだててるんだよぉ」

「そうだぞー。国崎往人の目は節穴だー」

つかつかつか。どごっ。

「にょが」

「お前の口が節穴になれ」

「んにー、何するんだーっ。痛いぞ国崎往人ーっ」

「わわわ~。大変だねぇ。かのりんがすぐに直してあげるよぉ」

「『治す』じゃなくて『直す』なのな」

「痛いの痛いの、お空に飛んでけーっ」

そう言いながら、佳乃がみちるの頭を撫でて、手先にためた「痛いの」を空へと放り投げた。心なしか、佳乃の指先からどす黒いエナジーが発せられているようにも見える。

「おーっ。痛くなくなったぞーっ」

「えへへ~。かのりんの必殺技だよぉ」

「そういうのは必殺技とは言わない。というか、何を殺すんだ」

「……進呈。みちるを死の淵から救ったで賞。ぱちぱちぱち……」

佳乃にお米券を進呈する美凪。それをありがたそうに受け取る佳乃。凄い光景だ。大体、死に掛けてない。

「……それではみちる、帰還しましょう。任務は帰還するまでが任務です」

「そういうことだぞーっ。覚えてろよーっ」

その場から立ち去る美凪とみちる。正直、一体なんだったのだろうか。

「ぴこぴこー」

「あーっ! ポテトがまたまた電波を受信したよぉ」

「またいらんもんを受信しやがって」

そして俺はまた首をつかまれ、佳乃に引きずられながら元来た道を引き返した。

「とうつきー」

「……って、ここはお前の家じゃないか」

「そうだよぉ。ここが最終目的地だよぉ」

なぜか「最終目的地」に強いアクセントを付けながら、佳乃が自分の家、つまりは商店街にありながら極度の客不足で悩みこの俺の人形芸に一筋の光明を見出そうとして失敗しつつそれは俺の責任じゃない霧島診療所だ。

「君は命というものを知らないようだな」

「滅相もございませんご主人様」

今日の聖さんはメスが四本。最初からテンションゲージはMAXだ。これなら覚醒必殺技だって撃てる。フォルトレスディフェンスだってやりたい放題だ。一撃必殺技だって、どんとこいだ。

「お帰り佳乃。怪我は無かったか?」

「うん。大丈夫だよぉ」

「そうだな。佳乃は強い子だからな」

「にはは。佳乃ちん、強い子」

「キャラが大幅に違うぞ」

「そんなことはどうでもいい。そうだ、今中であの人が待ってるから、すぐに行くんだ」

「うん。了承だよぉ」

「ちょっと待て。あの人って誰だ。それに観鈴の台詞はどうなるんだ」

「それは秘密だよぉ」

そう言いながら、俺を残して診療所の中へと入っていく佳乃。そして、それに続いて入っていく聖。道路に一人ぽつんと残される俺。

「ぴこぴこー」

「お前は天地がひっくり返ってもカウントしない」

俺がそういうと、ポテトは後足だけで立ち上がり、あの伝説のポテトダンスをおっぱじめた。それは見るものすべてに心地よい嫌悪感と穏やかな怒りの感情を湧き起こさせる、まさに珠玉の逸品だった。

「ポテトシュートッ」

「ぴこー」

俺は掛け声一閃、ダンスで隙だらけになっていたポテトを地平線の彼方へ吹き飛ばした。これでもう、ヤツと会うことは無いだろう。そう思うと、今までヤツと繰り広げてきた激闘の日々が

「あーっ。国崎往人だーっ」

「……国崎さん、おはこんばちわです」

「ぴこぴこー」

「何故お前らは普段いない場所からばかり出現する。そして何故お前がいる」

「みちるはガイルじゃないぞーっ」

「……どちらかと言うと、ザンギエフの方が好みです…………ぽ」

「ぴこぴこ」

あらゆる意味で会話の噛み合わない集団が現れた。ポテトはみちるの頭の上に搭載されている。そのうちポテトビーム(射出口は目)でもぶっ放しそうな勢いだ。

「で、お前らは何故こんなところから出現したんだ」

「……実は、ここが帰還地だったのです」

「そうだぞーっ。国崎往人は世間知らずー」

「ということは、ここにお前らの主がいるんだな」

「……そうです。あるじといっても、いたるさんではありません」

「RF版は強いんだぞー」

「知らない人が見たら面白くないようなネタを言うな」

「……………………ぽ」

「顔を赤くすればいいってもんでもないぞ」

俺はびしっと言ってやった。そうだ。いつもいつも顔を赤らめれば逃げられると思ってるなら、それは間違いだ。ここらで美凪の考え方を矯正してやらねばならん。

「……矯正、つまりは、調教………………ぽ」

「なあ、『つまりは』の前後が思いっきり噛みあって無いような気がするのは気のせいか」

「んにー。美凪ー、調教ってなんだー」

「……それは、調教マスターの国崎さんに聞いてください」

「俺の職業を勝手に設定するな」

俺はふと、また読心術を使われていることに気付いたのだが、もうそんな事は気にしないことにした。

「……というわけで、みちる。そろそろ帰りましょう」

「んに。分かったー」

会話がいい具合に途切れたところを、間髪いれずに立ち去る美凪とみちる。しばらくすると、その姿も消えた。

と、そこへ。

「あ、往人さん」

「ようやくお前の登場か」

「にはは。観鈴ちん、真打ち」

「ある意味間違っては無いが」

ちょっと遅すぎる登場だった。制服のまま現れたのは、きっと今日も遅刻したからに違いない。

「にはは。往人さん、頭いい」

「お前も読心術の使い手か」

「うん。霧島さんに習ったの。お母さんもだよ。ついでに、そらも」

「かー」

ほー。やっぱりあいつが教えてたのか。やっぱりどうか。読心術を標準装備してるのって、あいつぐらいのものだからな。

……って、そらも?!

「あっ、今そらが『カラスが読心術を使えたらいけないのか』って怒ってる」

「俺はそら以下か」

「でも、大丈夫。往人さんはそらで、そらは往人さんだから」

「さらっと核心に触れるようなことを言うな」

何故こいつらは揃いも揃ってこのSSの読者のハードルを上げるようなことを言うのだろうか。

「それじゃあ、もっと上げるね。みちるちゃんは遠野さんの夢の欠片で、霧島さんには何百年前かに亡くなった女の人の霊が取り付いてて、観鈴ちんは翼」

「わーっ! わーっ! わーっ!」

「わ、往人さん、大きい声」

せめて最後の防衛ラインだけは死守せねばならないと、俺は体を張って観鈴の猛烈なネタバレ攻勢を防いだ。こいつは一体何を考えているんだ。今まで出て来れなかったフラストレーションが溜まっているのか。

「あえて言うなら、観鈴ちんだけ大人にしてもらえなかったことが理由かな」

「お願いだ。頼む。頼むからこれ以上ハードルを上げようとしないでくれ」

「にはは。観鈴ちん、怖い子」

「自分で言うな」

これ以上やっているとえいえんに話が進まないので、ここらへんで話を進める。

「で、お前はここに何をしに来たんだ」

「えっと、霧島さんに呼ばれたんだよ。往人さんがここに来るって聞いたから」

「佳乃に? なんでまたあいつが……」

と、俺が疑問を抱いていると、

「お待たせぇ。往人君、準備完了だよぉ」

「一体何の準備だ」

「それは、秘密です」

「にはは。霧島さん、策略家」

「意味が分からないぞ」

「が、がお……」

ぽかっ。

「どうして俺を殴る」

「にはは。観鈴ちんもパワーアップしたんだよ」

「方向性を間違えてるぞ。お前はパワーアップなんかしちゃいけないんだ」

「往人さん、ひどいこと言ってる」

「言うわ」

俺は観鈴を引っ張って、霧島診療所の中に入った。

診療所の中に入ると、普段は待合室に置いてあるあのテーブルの上に、なぜかオレンジ色の物体が山ほど塗りたくられた恐らくはパンらしき物体が、皿の上に並んで二つ置いてあった。きっと、俺と観鈴の分だろう。

「これは何だ」

「直伝だよぉ」

「いや、そういうことは聞いてない」

「往人君と神尾さんの分だよぉ」

「いや、だからこれは」

「遠慮しないでどんどん食べてねぇ」

「あの、そういうことじゃなくて」

「にはは。霧島さん、ありがとう」

うん。分かる。この状況から想像できることは一つ。あれだ。ネタがなくなって収拾が付けられなくなったヘボ作者が、どんな混沌としたSSでも一撃で締められる問答無用の最終兵器を持ち出したということだ。あはは。よくできてるなあ。

「帰る」

「わわわ~、かのりんはけろぴーじゃないよぉ」

「漢字が違うッ。ついでにゲームも違うッ」

このままでは本当にこれでオチにされてしまう。冗談じゃない。これはAIRのSSだぞ。オチにあれを使うなんて反則だぞ。せめて佳乃の料理で

「ちなみに、材料とかを教えてくれたのはあの人だけど、実際に作ったのはかのりんだよぉ」

あははははー。あれを佳乃が作ったのかー。あの五目やきそばだけで俺を昏睡状態に陥れた佳乃が、あの伝説の逸品をあの人直伝のレシピで作ったのかー。あははははー。

「帰る」

「わわわ~、往人君、ちゃんと責任取ってよぉ」

「何の責任だ何の」

「にはは。往人さん、言い逃れは良くない」

「何故ここでお前が出てくる」

「お母さん言ってた。責任取れない男の人は信用しちゃダメって」

「いや、だから何の」

俺がまだ反論し終わって無いのに、気がつくと観鈴と佳乃に左右を抑えられて、ある意味電気椅子よりも恐ろしい椅子に強引に着席させられた。ああ、俺の人生の終着点はこのしがない診療所だったか。

「最後に一つ言わせてくれ。材料は何だ」

「えっとねぇ、ピョンタとモコモコと、お米10kgと、どろり濃厚ピーチ味マキシマムスペシャル二十個、それから、原液十リットルだよぉ」

「いや、原液って」

「早く食べないとオチが付かなくなるよぉ。もしそうなると往人君はみんなから『オチを付けられなかった星人』って呼ばれるんだよぉ」

「そう呼ばれるだけでこの状況を回避できるんだったらむしろ歓迎だが」

「往人君は強情だねぇ。だったら、かのりんが食べさせてあげるねぇ」

そう言うと佳乃は明らかにパンよりジャムのほうが多いそれを持ち上げると、何かつぶやきだした。

「ふぅん。そうだよねぇ。やっぱりそうだよねぇ」

「何がだ」

「パンも往人さんに食べて欲しい食べて欲しいって言ってるよぉ」

「それはお前の幻聴だ」

「つべこべ言わずに食べるんだよぉ」

佳乃は右手で俺の口をこじ開けると、左手でオレンジ色の物体を押し込んだ。ああ、これでおしまいかと思うと、なんだか人生って安いなあと思う。独創的で複雑な味が、俺の中に広がっていく……

「にはは。観鈴ちんも食べていい?」

「うん。いいよぉ」

「にはは。これ、おいしい」

「そう言ってもらえるとうれしいよぉ」

ああ、世界がオレンジ色に染まっていく……

「あ、往人さん白目向いてる。ちょっとかっこいい」

「わわわ~、ホントだぁ。観察日記に書かないとねぇ」

「にはは。観鈴ちんも絵日記に書くよ」

「今日は白目記念日だねぇ」

ああ、思考がオレンジ色に染まっていく……

……なあ、そろそろ……終わってもいいかな……? もう、いいよなあ?

というか、むしろ……

……もう、ゴールしても、いいよね……?

……俺がそう聞いたとき、目の前に不意に三つ編みの女の人が現れて、頬に手を当てながら、こう言った。

「了承」

*おまけ*

往人ちんがゴールする二十分ぐらい前の出来事。

「いたっ! いたたたた」

「まあまあ、神奈様、どうなさいました」

「うむ……余の下の方から急に『痛いの』が飛んできてな……」

以上。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。