元旦。
「今年も残すところあと三百六十四日となりました」
「往人さん、新年からヘンなこと言ってる」
俺と観鈴は元旦の早朝から、例の山の上にある神社にいた。
「……二千六年も、あとマイナス九時間二十一分五十七秒を残すばかりとなりました……」
「あーっ! 遠野さんに先に言われちゃったよぉ」
そしてその隣には、当然のごとく遠野と佳乃の姿もあった。
「で、揃ってるのはいいが……お前ら、一つ言わせてくれ」
「どうしたのかな?」
「……?」
「一つじゃなくて百個くらい言ってもいいよぉ」
俺は目の前にいる三人娘の姿を見つめながら、この場にいれば誰もが抱くであろう疑問を、素直に口にしてみることにした。
「お前ら、何で巫女さんの格好してるんだ?」
「……という訳で、神社は人手不足だったのでありましたぁ」
「で、まず佳乃に話が行って、そこから観鈴に移って、最後に遠野にまで感染したわけか」
「にはは。そういうことだよ」
佳乃によると、神社は慢性的な人手不足と人材不足に悩まされており、お正月の初詣でにぎわう神社に欠かせない巫女さんも当然頭数が揃っていなかった。神主は散々考えた挙句、手当たり次第見つけた婦女子に声をかけることを敢行。その第一発目が佳乃だった、というわけだ。
「お前ら、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だよぉ。いざとなったら観鈴ちゃんがいるからねぇ」
「うん。もし観鈴ちんが危なくなっても、遠野さんがいるから」
「……はい。緊急事態になっても、霧島さんが私を支えてくれますから……ぽ」
「お前ら、めっちゃ不安だからな」
全員、いざとなったら友人頼みなのが恐ろしく不安である。
ちなみに、当初の予定では晴子や聖の袴姿も拝める予定だったが、土壇場で神主の意向により裏方へ回ることになった。正直なところ少々残念ではある。
「俺は観鈴に連れてこられた訳だが、もしかして俺も何かやらされるのか?」
「うん。向こうでお神酒を配ってくださいって言われたよ」
「他には誰も来ないのか?」
「そうみたいだねぇ。神主さん、男手が足りなさ過ぎるって泣いてたよぉ」
「……仕方ない。そんなに忙しくはならんだろう」
この分だと、どうやら俺も手伝わされるようだ。観鈴たちだけが仕事をして俺だけやらないのも忍びなかったので、それほど嫌な気はしない。
「服とかはどうすればいいんだ?」
「神主さんが持ってきてくれるよ。向こうにいるみたい」
「分かった」
俺は観鈴に指示されるまま、神主のいる境内の奥のほうへと歩いていった。
「……ようこそお参りくださいました……」
「往人さん、ちょっと声が低いよ」
「仕方ないだろ。元々が低音なんだ」
神社には朝から大勢の人が詰めかけ、普段では見られないような賑わいぶりだ。ささやかだが屋台も出て、境内の中はさながらちょっとしたお祭りといった風情だ。
「思ったよりは忙しくないねぇ」
「まあそれでも、この神社にしては多いほうだろ」
隣にいる観鈴や佳乃と適当に話をしながら、初詣に訪れる人々をもてなす。
その中には、いくつか見慣れた顔もあった。
「神尾さん、あけましておめでとうございます」
「わ、古河さん。ようこそお参りくださいましたっ」
まず最初に訪れたのは、商店街でパン屋を営んでいるという古河だった。最近観鈴の家に遊びに来るようになったので、顔は覚えている。落ち着いた赤の晴れ着が、雪景色の神社に良く映えている。
「今年もよろしくお願いしますっ」
「にははっ。こちらこそ……あれ? 早苗さんとお父さんはどうしたの?」
「えと、それは……」
観鈴が訊ねると、古河の表情に影が差した。どうやらなにか訳ありらしい。
「……実は、十二月の終わりに、お母さんが新作のパンを作ったんです」
「わ、また新しいの作ったんだ」
「はい。クリスマスの夜にアイデアが思い浮かんだらしくて、その日の内に試作品を作っちゃったんです」
風の噂に聞いたが、古河の母親……早苗と言ったか。早苗の作るパンはどれもこれも常軌を逸した独創性を誇っており、あまりに独創性を誇りすぎていて誰も寄り付かないということらしい。平たい話が、ゲテモノパンというわけだ。
そして今回もどうやら、常人では理解し得ないとんでもないものを作り上げたようだ。大方、まったく売れなくて困っているというところだろう。今回は一体、パンの中に何を入れて焼き上げたのだろうか……?
「それで、次の日からお店に置いてみたんですが……」
「……………………」
「……それが、焼けば焼くだけ売れちゃって、元旦から長蛇の列ができちゃったんですっ」
「……え?」
「……マジか?」
……予想を思いっきり覆す古河の言葉に、俺も観鈴も言葉を失う。今度は別の意味で、一体何を入れて焼き上げたのか気にかかるところだ。
「古河さん。早苗さん、一体どんなパンを作ったのかな?」
「えと……お母さんにしては珍しく、普通のジャムパンでした」
「……ジャム? それだったら、そんなに売れるとは思えないんだが」
「はい。私もそう思ってたんですけど……食べてみて、その考えが間違っていたことに気付いちゃいました」
「……ひょっとして、滅茶苦茶美味しかったりとかか?」
「はい……」
不可解。不可解極まりない。ただのジャムパンが、何故にそんなに美味しくなってしまったのだろうか。ひょっとして、そのジャムに何か原因というか理由があるのではないか。俺にはそんな気がして仕方ない。
「ただ、ジャムのストックがもう無いみたいなので、残念ながら今日いっぱいでおしまいみたいです」
「うーん……ちょっと残念」
「そこまで言われると逆に食べてみたくなるな……」
早苗パンを一級グルメに変えてしまったジャムの正体が気になるものの、この分だと古河も分からないのだろう。これ以上聞いても仕方が無い。
「それでは、これからお参りをしてきます。頑張ってください」
「うん。観鈴ちん、ふぁいとっ」
古河は笑顔で手をひらひら振って、静かにその場を後にした。
「うぬぬ~。話を聞いてたらジャムパンが食べたくなってきたよぉ」
「……謎ジャムパン……」
「謎ジャム? 遠野、それ何だ?」
「……それは、秘密です」
遠野のつぶやいた「謎ジャム」という言葉に妙な引っ掛かりを覚えつつ、少々つかえていた参拝客にお神酒を注いで行く。しかし、それもたいした人数ではない。
「これなら楽勝だな」
「うん。元々、そんなに人がいない街だから」
「ということは、顔見知りの人とばったりしちゃう可能性もおっきいってことだよねぇ」
「そういうことになるな」
そんなことを話していると、前方から再び顔見知りの姿が。
「あーっ! 長森さんだーっ!」
「わっ、霧島さんが巫女さんになってるよっ」
「にはは。ようこそお参りくださいました」
「……とじましてさようなら……」
「わわっ、神尾さんに遠野さんまでっ。わたし、びっくりだよっ」
次に現れたのは、コートを羽織った長森だった。これも観鈴の友人らしい。髪からちらりと顔を覗かせている黄色いリボンがチャームポイントだ。
「もしかして、アルバイトか何かかな?」
「えっと、神主さんにお願いされたんだよ」
「そうなんだ……元旦から大変そうだよ」
「……こういう元旦も、悪くありません……ぽ」
今度は長森と雑談する観鈴たち。神社にもっと人がいたらできなかっただろう。
「あれれぇ~? そういえば、折原君の姿が見えないよぉ」
「長森さん。初詣、一緒に来なかったの?」
「えっと……実は、大変なことになっちゃったんだよもん」
「大変なこと?」
俺が問うてみると、長森はこっくりと頷いて、次にこんな言葉を発した。
「浩平、クリスマスの日からずっと入院してるんだよ」
「に、入院?!」
「ま、マジなのか、それは……」
その場にいた四人全員が驚いた。クリスマスの夜から入院とは、えらく災難な話だ。
「で、でも一体どうして……?」
「わたしもよく分からないんだけど、お医者さんが言うには、何かを喉に詰まらせちゃったらしいんだよ」
「……………………」
「それで呼吸困難になって、一緒にいた住井君が慌てて病院まで担ぎ込んでくれたんだよ」
長森の「喉に詰まらせる」という言葉に、俺はただならぬ寒気を覚えた。
(……どろり濃厚……)
まさか、その折原という少年は、あの殺人ジュースに手を出してしまったのではないだろうか。そんな事はないと信じたいが、どうにも信じられない俺がいる。
「はぁ……まったく、人騒がせもいいところだよ」
「そうなんだ……お大事に、って伝えておいて欲しいな」
「うん。帰りにお見舞いに行ったら、ちゃんと言っておくよ。それじゃあね」
そう挨拶をして、長森はゆっくりと神社の方へ歩いて行った。これからお参りをするところなのだろう。
「それにしても、入院とはな……」
「……そこはかとなく、嫌な予感がします……」
「ぐぬぬ~。今年は波乱含みのスタートだよぉ。かのりん、ちゃんとゴールできるかどうか心配だよぉ」
「が、がお……ゴールは観鈴ちんの専売特許……」
何がどう専売特許なのかはさておき、再び人々がこちらへと集まってくる。この賑わいはまだまだ続きそうだ。
「ようこそお参りくださいましたぁ!」
「はい。おみくじはこちらになります」
「……学業成就のお守りですね。それでは、こちらを進呈……」
三人娘は割とてきぱきと参拝に訪れた客をもてなし、おみくじやお守りを渡していった。
「そう言えば、向こうの人だかりがすごいな」
「そうだねぇ。蚊柱みたいになっちゃってるよぉ」
訪れる人々をもてなしながらふと神社の中央付近に目をやってみると、そこにはかなり多くの人が集まっていた。
「あそこに何かあるのかな?」
「牛の銅像でも置いてあるのか……?」
一部の神社では学問の神である菅原道真を祭っており、その象徴として牛の銅像を置いてある……という話を聞いたことがある。菅原道真は牛天神らしい。
「でもここ、そういうのはなかったはずだよぉ」
「……そうだよな。あったら、すぐに気付くはずだ」
「あっ。ちょっと人がどいたよ」
観鈴に言われて、人が少々少なくなったところへ目を凝らす。一体、そこに何があって、人々は何に群がっていたのだろうか?
「……………………」
俺がそこで見たものは……
「……ミニ猪?」
急ごしらえの石座の上で気持ち良さそうに眠る、小さな小さな猪の姿だった。参拝に訪れる人がぺたぺたぺたぺた触ってもまるで動じていない辺り、相当人に慣れているのだろう。
「……なんであんなところに猪が……?」
「えっと……あっ! 確かあれ、藤林さんのところで飼ってる……」
「ボタンさんだねぇ。元旦から出張サービスで大忙しだよぉ」
「……牡丹鍋……」
観鈴と佳乃の話を総合すると、アレは「ボタン」という名前で、観鈴の同級生の藤林というヤツが飼っているらしい。そして今は神社へ出張サービスへやってきて、皆にご利益を振りまいているということなのだろう。
「しかし、何故ミニ猪……」
「やだよぉ往人君。今年は亥年だよぉ」
「なにぃ?! 亥年の『亥』っていうのは猪のことだったのかぁ?!」
「……子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥……」
「往人さん、何だと思ってたの?」
観鈴に言われて、俺が出した答えは……
「い……いるか」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
この答えに、三人から冷たい視線が一斉に降り注ぐ。物理的に痛みを感じるほど冷たい視線である。
「往人さん、どんなに頑張ってもいるかはないよ」
「往人君、かのりんすごくがっかりだよぉ」
「……国崎さんには、少々夢を見すぎていたようです……」
「お前ら、そこまで言うか。特に遠野」
今までどんな夢を見ていたのかは定かではないが、この程度で壊れてしまうのならお願いだから最初からそんな壮大な夢は見ないでおいてもらいたいものである。
「にははっ。でも観鈴ちん、そんな往人さんが好きだよ」
「そうだよねぇ。往人君はそんなキャラクターじゃないとね」
「……国崎さんらしさは、百ポイントほど上がりました……」
「俺は一体どんなキャラとして認識されているんだぁ!」
そう叫んでは見たものの、なんとなくどういう風に見られているかは分かる。あまり嬉しいものではないが。
「とほほ……」
俺は若干凹みながら、杯にお神酒を注ぎ足していった。
「という訳で、やっと俺たちがお参りできることになったわけだ」
「にはは。みんな、お疲れ様」
「楽しかったねぇ。来年もまた声がかかるといいねぇ」
「……はい。次は、みちるも一緒に……」
お昼を過ぎて日が傾きかけた頃、ずいぶんと人の数も減ったから俺たちはもう外れていいと神主に言われ、ようやく客として参拝できることになった。
「それじゃ、いつか佳乃がやったみたいに、五円玉を放り込んで神頼みと行くか」
「往人さん、なんだか言い方がヘンだよ」
「気にするな」
普段着に戻った俺たちが、神社の本堂に向かって歩いて行く。
「いいか? このお願いの仕方で一年の吉凶が決まるんだ。気合い入れて行くぞ」
「うん。それじゃ、お賽銭しよっか」
「……五円玉には、ご縁がある……なんちって……」
「うぬぬ~。遠野さんのギャグセンスは常に最先端を走ってるよぉ」
めいめい財布から五円玉を取り出し、
(ちゃりりりりーん)
賽銭箱へと放り込む。
そして二度柏を打ってから……
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
目を閉じ両手を合わせ、今年一年のお願い事をする。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
観鈴は何を願っているだろうか? 佳乃は何をお願いしているだろうか? 遠野はどんな願を掛けただろうか?
(……俺は……)
そして、俺は……
(……ま、今の毎日が続くなら、それでいいだろ……)
日々の平穏と、変わらぬ毎日を願った。
今年もどうか、何事もない良い年でありますように……
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。