「黄アバ討伐 求H/B/N 22:00まで」
まるでルーチンワークをこなすかのように、コスモス平原にある大樹の下に旗を立てて、仲間が訪れるのを待つ。かつては人が多く集まっていた場所だけれど、今は実に閑散としている。人通り自体が少なく、通りがかる人も足早にどこかへ去っていくばかり。私の元に来る気配は少しもない。慣れてしまった光景ではある、けれど慣れてしまったこと、それ自体に侘しさと寂しさを感じずには居られない。
もうログインする人もだいぶ少なくなったらしい。掲示板に貼られていた同時接続数のグラフは見事な右肩下がりだったし、こうして世界の中にいると数字以上に人がいなくなったことを感じてしまう。運営はログインボーナスで熱砂のルビーを配ったりしているようだけれど、今となっては多くの人を惹きつけるようなものではないのだろう。黄アバターを即座にポップさせられるから、私はありがたく頂戴しているけれど。
でも、この日課もいつまで続くか分からない。できれば最後までいたいと思う反面、この場所が消えて無くなる瞬間を見るのは辛いという思いもある。もしかすると、現実の世界よりも思い入れのある場所かも知れないから。
「――サービス終了、か」
口から零れた言葉を彩るのは、青年男子の声色で。
ソード・アンド・スペル・オンライン(S.A.S.O.)。今から五年前にサービスインした仮想現実(バーチャル・リアリティ)型のロールプレイングゲームだ。良くも悪くも昔ながらのオンラインRPGの作りをしていて、今となってはちょっと古くさいところも目に付く。でも、私はそれも含めてこのゲームとこの世界が好きで、始まった直後から月額課金を欠かしたことは一度もない。
見ての通り、私は男のキャラクターでプレイしている。スクリーンネームは「xCecilx」、職業はウォーロード、得意武器は大斧だ。レベルはシステム上の限界、簡単に言うとカンストまで上がっていて、戦闘で必要なスキルも上げきった状態になっている。その分、生産に関わるスキルはからっきしだ。ゲームを始めて以来、ずっと戦闘一筋でやってきた。見る人が見ればすぐに分かる。心無い人から脳筋と揶揄されたりもしたけれど、気にするようなことはなかった。結局誰かが戦いに勝って戦利品を獲て来なきゃ、経済だって動かないんだから。
わざわざこんなことを書いたから、私がどんな「中の人」なのかは想像が付くと思う。普段は制服に身を包んでスカートを履いて、取り立てて目立つこともない「高校生の女子」の一人を演じている。それが退屈で窮屈で、仮想現実の世界では現実とはまったく違う自分で居たい、そういう思いがあった。だから精悍な男性キャラを選んで、武器もそれらしい、とにかく強そうなものを選んだ。大斧で敵の攻撃をいなして強烈な一撃を叩き込む瞬間、私は「自分」を感じられる、そんな気がした。
だから、ショックだった。S.A.S.O.がサービスを終了すると聞いた時は。初めはアンチや引退したプレイヤーの煽りやデマの類だと思ったくらいだ。それから間もなく公式サイトでアナウンスがされて、サービス終了が事実だと知った。ゲームの世界でも張り紙と言う形で彼方此方に掲示されている。プレイ中に知った人間も少なくない。ここまでハッキリ終了が示されてしまっては、本当だと信じるほかなかった。ここ一年あたりプレイヤーが右肩下がりで減っていて、バージョンアップもめっきり少なくなっていたから、予感はあった。予感はあったけれど、現実を突きつけられるとやっぱりショックは大きかった。
この世界は消える定めにある。最近、やっとそれを自覚できるようになった。
「……来ないなぁ、誰も」
旗を立ててかれこれ二十分。以前なら数分と経たずにパーティメンバーが集まっていたのが、今となっては待てど暮らせど来ないことの方が多い。純粋に人が減ったことに加え、サービス終了間際ということで運営が強力な装備やレアアイテムを大放出していて、ソロでも楽にプレイができるようになったのが大きい。パーティが組めない人のためにコンピュータ操作のアシストキャラクターも付けられるようになったから、尚更人とパーティを組む理由がなくなってしまった。
それでも私は、中の人がいるキャラクターと一緒にパーティを組んで闘うのが好きだった。連携を取り合ってモンスターを仕留めたときの達成感は格別だった。スポーツはやらないけれど、団体競技はきっとこんな感じなんだろうなって思うことがしばしばある。もちろん上手くいかないこともある、嫌な気持ちになることだって少なくない。でもそれ以上の楽しさと気持ちよさがあったから、私は誰かとパーティを組みたかった。
サービス終了がアナウンスされた今となっては、ずいぶんと高嶺の花になってしまったけれども。
三十分が経った。やはり誰も来る気配がない。このまま待っていても時間を無駄にしてしまうだけだろう、この辺で切り上げてソロ狩りに出るしかないか、と諦めかけた時だった。
「よう」
「カインか」
レジェンダリー級のプラチナ系統装備に身を固めたナイト職の男。見慣れた風貌、すっかり見慣れた風貌。
カイン。スクリーンネームは「Kain078」。私と同じ時期からずっとゲームを続けている古参プレイヤーの一人だ。私とももちろん顔見知りだ。どうだろう、顔見知りと言うには関係が近すぎるかも知れない。ほとんど毎日のようにパーティを組んで狩りに出かけているのだから。以前はカインのほかにも固定の面子がいたのだけど、今となってはご覧の有様。私とカインしか残っていない。だから、と言うわけではないけれど、私とカインはお互いのことを知り尽くしているといっても過言ではない。
「またお前か」
「もう残ってるのは俺たちくらいだろ?」
「ま、それもそうだな」
「この間六人制限のダンジョンがとうとう自由開放になったからな。もう増えることはないって運営も思ってるんだろ」
言われてみると、確かにログイン時のメッセージにそんなことが書かれていた気がする。あのダンジョンは低レベル時代の壁と言われていて、ソロではまず突破できないにもかかわらず、メインクエストの進行にはクリアが必須になっていた。要はここでパーティの組み方を身に付けなさいという運営からのメッセージだ。実際、私もそこでパーティを組むためのイロハを学んだ。そんな名物ダンジョンすらも時流には逆らえずに、ソロでクリアできるように調整されてしまう。一抹の寂しさを感じてしまう。
カインと出会ったのは、ちょうど私がパーティを組み始めるようになった頃だった。
「ウィス高でいいか?」
「元からそのつもりだったんだろ。付き合うさ」
ウィス高というのは、ここから遠く離れた別の地方にある「ウィステリア高地」という高難度の屋外フィールドのこと。ウィステリア高地へ行く理由はただ一つ。奥にあるバトルフィールドでポップする「アバター・オブ・トパーズ」、通称黄アバを討伐して戦利品を獲ることだ。本来レア枠になっているアイテムが、サービス終了間際ということもあってドロップ率が跳ね上がっているとのこと。目的はそれだった。
今まで戦ってきたボスモンスターたちが集まる上級者向けバトルエリア。ウィステリア高地はそんな触れ込みで実装された。私もカインも新しいバトルエリアをいつも欲しがっていたから、これ自体は素晴らしいバージョンアップだと感じていた。ただ、その「全部出します」感が、この先に新しいものがもうないことを暗示しているような気がしていて、そしてその予感が当たってしまったことに、一抹の寂しさもあった。
「行くか」
「ああ」
ウィステリア高地には、麓の村から上がっていくルートが一番近い。カバンからスクロールを出して、テレポート先を指定する。
光に包まれる見慣れた演出を経て、私とカインはその場から消えた。
テレポートで最寄りの場所であるジラソーレ村まで移動した。ここから先は徒歩での移動になる。以前カインから聞いた話だと、ウィステリア高地のような「ダンジョン扱いのフィールド」には直接テレポートができないようになっているらしい。カインはゲームの裏側と言うか、そういう事情に詳しかった。私はあまりそういったことを気にしないタイプだから、情報を提供してもらえて助かると思っているし、話を聞いていると物事の仕組みが分かって楽しかった。知識を蓄えているけれど、それをひけらかさずに必要な時に必要な分だけ出してくれる。カインはそんな性格だった。
私はカインに何か還元できてるのかな、そんなことを思わないわけでもない。いつもカインからいろいろなものをもらっているから、尚更だ。
「ルートはいつも通りでいいか?」
「ああ。黄アバ以外に興味はないさ」
マップを出して目標地点を設定し、ガイドラインを引く。ウィステリア高地は上級者向けマップだけあって構造が入り組んでいる、初めにルートを決めてから向かうのが得策だった。私もカインもそれを理解している。昔からゲームを続けている人間なら、基本になっている動きだった。今はもう真面目にマップを探索する人も少なくなって、サポートキャラクターの支援に任せて前へ突っ込むプレイが横行している。ゲームが変わってしまった、と感じざるを得ない。
「準備はいいか?」
「いつでも」
ルート決めが終わったところで、カインと私がほぼ同時に懐からスクロールを取り出す。
「前はクレリックがいないと、おちおち外も歩けないもんだったが」
「今じゃ紙ぺら一枚で気配を消せるからな。スネークもビックリってやつだよ」
スクロールには気配遮断の呪文が刻まれている。使うだけでどんな職業のプレイヤーでも気配遮断の魔法を使用したのと同じ効果を得ることができる。一年ほど前に実装された道具だ。その頃から過疎は始まっていて、パーティ全体を補助するクレリックの絶対数も減りつつある時期だった。これはクレリックの負担を減らすために実装されたアイテムだけれど、結果的に「クレリックがいなくても何とかなる」という空気ができて、さらに数が減ってしまったのは否めない。人の操作するクレリックが担っていた役割をアイテムが代替するようになった訳で、寂しいけれど当然と言えば当然ではある。便利なことは便利なので、クレリックではない私やカインは堂々と使っているのだけれど。
ジラソーレ村を抜けて山道に入る。ウィステリア高地までには一本道をしばらく歩く必要がある。この区間は敵が出ることもなく、何かイベントが起きるわけでもない。時折画面の読み込みが遅れるのを見ると、ウィステリア高地のデータを読み込むための時間を稼いでいるのだろう。とは言え、そんなに長い区間でもないし、気が付けばウィステリア高地に出ている、その程度の道ではあった。
霧の立ち込める山間部。ウィステリア高地に入った。辺りには毒々しい色をした既存モンスターの亜種が方々をうろついている。単独なら私とカインで楽に倒せる相手だけれど、この辺りの敵は戦闘範囲の認識能力が極端に高く設定されている。戦闘中にワラワラと他のモンスターが集まってくるわけだ。そうなるとさすがに捌ききるのは困難だ。だからよほどの理由がない限り、この辺りの雑魚モンスターは無視するのが正解だった。
「こうやって横を普通にすり抜けても気付かないのは、最後まで違和感あったな」
「モンスからは俺たちをまったく認識できない状態になってるからな。せっかくの仮想現実なんだから、もう少し現実に寄せても良かったと思うが」
雑談しながらモンスターのひしめく広場を抜けて、ガイドラインに沿って歩いていく。モンスターたちはすぐ側を通り抜けられてもまったく気づかない。こちらから接触、もっと言うと攻撃を仕掛けない限り気付くことはない。ゲームだからと言ってしまえばそれまでだけれど、現実を鑑みると不自然な光景ではあった。とは言え、これもまたもう五年も見続けた風景。今更、という気がしないでもない。二十分ほど歩いた頃、目標地点である山頂の泉に辿り着いた。
「準備はいいか?」
「ああ。バフは掛け直した。いつポップさせてもいい」
「なら行くぞ」
カインに合図を送り、泉に「煌めくトパーズの欠片」を投げ込む。目標である黄アバ――アバター・オブ・トパーズをポップ(出現)させるためのキーアイテムだ。ちょっと前まで随分とレアなアイテムだったのが、今じゃこうやって気兼ねなく放り投げられるくらいにまで価値が落ちてしまっている。こういった細かなところでも、この世界が終焉に向かって一歩ずつ歩いて行っていることを実感してしまう。
煌めくトパーズの欠片を投げ込まれた泉が輝きはじめ、辺りがぐらぐらと揺れ始める。初めは緊張したこの演出も、ここ一ヶ月毎日通っているせいですっかり見慣れてしまった。オフラインのロールプレイングゲームなら、スタートボタンを押して演出をスキップしてしまうような場面だろう。それでもこれから戦う黄アバはそれなりの強敵ではある。斧を構え直して、その時を待った。
泉の水を割って、中から眩い光を纏うドラゴンが姿を現す。
「『我を呼び覚ましたは汝らか 愚かなり、か弱き人間共よ』」
歪んだ声でそれらしいセリフを吐く。もう何度となく聞いた、決まりきったセリフだ。今更怯むようなこともない。もちろん攻撃力や体力といったステータスが高くて、強力な技を使ってくる強いボスだってことは分かっている。それでも私たちは、幾度となくこいつに勝利してきたという「経験」がある。日次でリセットされてすべてを失うこいつとは違う「経験」が、私たちにはあった。
「行くぞ!」
「おう!」
私とカインはほとんど同時に、アバター・オブ・トパーズにターゲットをロックした。
カインが前に出て、敵に「ダークマター」を投げつける。敵に暗闇と猛毒の状態異常をもたらす弱体アイテムで、効果の大小はあれどどんな敵にも通用する優れた性質があった。その分使用者に対する敵のヘイトも高く設定されているが、私とカインはむしろそれが狙いだった。敵の狙いが盾役のカインに向けられることで、アタッカーを務める私の攻撃が通りやすくなる。立ち回りの基本ともいえる行動だった。
アバター・オブ・トパーズは宝石の名を冠する最強クラスのボスモンスター群の一体だ。トパーズをモチーフにした様々な攻撃を短い間隔で仕掛けてくる。攻撃の属性は大半が雷、故に雷系統のダメージを軽減する装備が有効だ。今のカインの装備はもちろんそれに対応したものだ。戦闘は戦う前の準備で勝敗の八割が決まるとはよく言ったものだろう。
「セシル!」
「見てる! 範囲外に下がった!」
けれど、残りの二割は自分の腕にかかっている。それもまた疑う余地のない事実だ。
「どうした蛇野郎! 出し物はそれだけか!?」
カインがアバターにきつい挑発を入れる。挑発はスキル単独でも高い効果があったけれど、音声を認識して敵に追加効果を与える隠し性能があった。要は敵が怒りそうなセリフを合わせて口にすると挑発効果がアップするという仕組みだ。そうしてカインが敵の攻撃の矛先を自分に固定させながら、私が敵の認識範囲から外れつつ斧の一撃を叩きこんでいく。敵の身体から飛び散る眩しい飛沫を全身に浴びながら的確に斧を振り下ろしていると、言いようのない心地よさに包まれる。全力で戦っている、その感覚が私を奮起させた。
「カウンターが来るぞ!」
声を張り上げたカインを見た私が、すぐさま斧をガードポジションで構える。敵がカウンターを仕掛けてくることはある程度予想できていた。あらかじめ心の準備をしておいて、防御スキルのタイミングを合わせる。敵の動きが分かっていれば、決して難しくはない動きだった。
「てやぁっ!」
横にいた私に反応して繰り出したなぎ払いをブロックして敵をいなす。怯んだ敵にカインが片手剣の大技を叩きこむと、敵の怒りは再びカインに向けられた。カインが私からターゲットを取り返してくれたわけだ。こんな立ち回りができるのは、やはりカインしかいない。
カインが攻撃を受け、私がその隙に敵を削る。この動きの繰り返しだった。緊張感は持続しているけれど、このパターンに入るとある程度先の展開を見通せるようになる。少し余裕ができたところで、ふと私がカインの様子を見ると、魔法力が黄色ゲージ――五十パーセントを切っているのが見えた。カインが攻撃を受け続けるためには回復魔法が必須、その為には魔法力の維持が欠かせない。普段なら装備品の追加効果で発動する「被ダメージを魔法力にコンバート」が、敵の固有技で封印されているのが原因だろう。
「カイン! 受け取れ!」
中空からクリムゾンエーテルを出現させると、カインに向けて放り投げた。魔法力を全回復させる秘薬だ。いざという時のために持ち歩いていたものが役に立った。
エーテルを受け取ったカインが即座にそれを飲み乾し、魔法力を全身にみなぎらせる。助かった、表情がそう物語っている。私は小さく頷いて返すと、アバターの尾に渾身の一撃を叩きこむ。
二人だけで十分ほど戦い続けただろうか。激しい攻撃を繰り返していたアバターが悲痛な声を上げ、その場に轟音を立てて崩れ落ちた。
「『我が斃れるとは……これが人の力……見事なり……』」
アバターの煌めく返り血を全身に浴びた私とカインが、力尽き消えゆくアバターを眼下に見下ろす。
私たちの――勝利だった。
「戦闘時間は?」
「十分三十二秒。ま、平均レベルってとこだな」
「今日は敵の固有技の引きが悪かったな。直接攻撃ならいくらでも受けられたんだが」
今までの最速記録は九分四十七秒。それと比べると一回り時間はかかったが、私の言ったように平均レベルではある。カインはできる範囲で効率を優先するタイプだったから、少しばかり残念そうにしている。
常に全力を尽くそうとするカインの姿勢が、好きだった。
敵が斃れた場所から宝箱が現れる。鍵を使って開錠すると、中に入っていた戦利品を確かめる。手に入れたのはカインが装備している盾に対応する強化アイテムと、ウォーロード専用の頭装備。それからレアリティの高い素材アイテムが六つほどと、私たちには使えない高位魔法のスクロール。事前準備含めて四十分ほどで手に入るものとしては、悪くない質と量の戦利品と言えた。
「雫は俺、兜はセシル。それでいいな?」
「ああ、異論はない」
互いに自分の役に立つものを手に入れ、素材とスクロールは適当に山分け。二人だけなら、戦利品の分配でもめるようなこともない。相手がカインなら尚更だ。
「帰るか」
「用は済ませたからな」
今度はカインが懐からスクロールを取り出し、行き先を指定してテレポートの準備をする。行きと帰りで双方それぞれ一本ずつスクロールを使う、昔ながらのプレイヤーにはおなじみの習慣だった。
行きと同じように光に包まれて、私とカインがこの場から消える――。
コスモス平原。最初に集合した場所へ。私たちは戻ってきていた。どちらともなく歩き出して、まっすぐに目的地へ向かう。言葉は必要なかった。言わずとも理解できている、そういうことだ。
平原の北東部にある大樹、その下まで移動する。自分たちの他に人影はない。往時は待ち合わせやパーティ結成に使われていたけれど、人のいなくなった今となっては随分と物寂しい場所になってしまった。その分、二人でじっくり話をするには向いている、と言うこともできたけれど。
「ここに来るのも何度目だろうな」
「ログを漁れば入場した回数は分かるだろうけど、そういうのじゃないからな」
「マメに記録を残してるからな、お前は」
何度目か分からないほど訪れた場所。人気のなさに一抹の寂しさを覚えつつも、場所自体が何か変わったわけではないことを感じて少しばかり安堵する。もうここに来られる回数もそう多くは無い。今ある時間を大事にしたかった。
樹に寄り掛かって腰を落ち着ける。隣にカインも座る。じっくり話したい時は立っているより座っている方がいい。カインも座ったということは、私と同じ意見を持っているということの証左。
「覚えてるか? 初めてパーティを組んだ時のこと」
「忘れるはずがないさ。途中でリーダーが落ちちまって、俺とセシルで火竜の相手をしたんだからな」
別のプレイヤーをリーダーにして、私とカインが同じパーティになった。他のメンバーのことは正直もう覚えていないけど、それがカインとの初対面だったことは今もハッキリ覚えている。まだサービスが始まって一ヶ月が経つか経たないかというところで、他のプレイヤーが持っていないような褒賞アイテムの装備品を持っていた。それだけ熱心に打ち込んでいるということが分かる装いだった。
正直、最初は効率を何よりも優先するタイプのプレイヤーだと思って、ちょっとだけ敬遠していたような気がする。本当に、少しだけだけど。この手の効率重視のプレイヤーはどこにでも、どんなゲームにでもいて、私みたいに自分のペースで進めたい人としばしば衝突している、そういう話はフレンドや知り合いの体験談としてよく聞かされていた。高レベルの装備品を集めて無表情で立っているカインには、どうしてもそういう先入観を持ってしまう。せめて足を引っ張らないようにしよう、それだけを考えて、斧を持つ手に力を込めたのを覚えている。
その時のパーティは、初期エリアの北部にあるアマリリス火山を行き先に選んだ。自分たちにとって適正なレベル帯の雑魚モンスターが多く生息していて、レベル上げのための狩りにはうってつけのポイントだった。まだ狩場としてあまり認知されていないこともあって人も少なく、敵の取り合いを避けられるという利点もあった。パーティメンバーの一人である男性クレリックがテレポートの魔法を唱えて、私たちをアマリリス火山まで移動させた。
「悪いクジを引いたよな、アレは」
「確か三十二分の一だっけ? メンバーが散り散りにされるのって」
「ああ。初期のテレポートにあった冗談みたいな性能だよ」
当時はサービスが試行錯誤の段階だったせいか、今では考えられないような効果が付いているアイテムや魔法がたくさんあった。テレポートもその一つだ。ごくまれにテレポートの対象になったパーティメンバーが同じエリアの別々の場所に転送されることがあって、そうなるともう一度集まり直さなければならなかったのだ。さすがに不便だったせいか実装から一年くらいで削除されたけれど、今思えばあれはあれでその場の判断が求められて、ゲームとして楽しかったように思う。
「で、俺とカインが同じ場所に転送されて……」
「その場所って言うのが、モブの火竜が湧くところだったんだよな」
私とカインが転送されたのは、アマリリス火山の奥地にある火竜の巣だった。名前通り火竜が出現するポイントで、転送地点がまずかったせいか到着するや否や戦闘に突入した。火竜は当時パーティ全員で役割をしっかり決めたうえで挑むような強敵、私とカインだけでどうにかなるような相手じゃなかった。
撤退戦にしよう、カインがリンクリング――全プレイヤーに配布される指輪アイテムで、装備していると遠く離れた相手とも通信ができる。いわゆる「チャット」を世界観に馴染ませるための小道具だ――経由で話し掛けてきた。私もそれに同意した。そうするしかなかったと言った方が正しいかも知れない。火竜とまともにやり合っても勝ち目はない、隙を作ってこの場から離れるのが得策だった。
盾役のカインが敵のターゲットを取り、私が火竜の隙を窺う。絶体絶命のピンチではあったけれど、私にはひとつ、試してみたいことがあった。
「まさか、あんな事があったなんてな」
「ギルドのメンバーが冗談めかして言ってたんだ。火竜の設定値は火鼠をちょっと弄っただけだから、弱点も同じなんじゃないかって」
火竜と同時期に実装されたモブに「火鼠」というモンスターがいた。こちらもパーティ全員で挑むような強敵だったけれど、かなり早い段階で「腹部が弱点」という情報が知れ渡っていた。火竜は種族補正で強さは火鼠より数段上だったけれど、内部的な能力値は全部同じじゃないかという噂があったのだ。私はそれに賭けてみることにした。火竜の腹部を狙ったのだ。
カインがヘイトを稼いで敵を引きつけている間に、覚えたてのスキルだった「精神統一」で攻撃力を底上げする。恐らくチャンスは一度しかない。カインもそう長くは耐えられないことは分かっていた。私が失敗すればどちらも一巻の終わり。高鳴る鼓動を懸命に抑えて、私は時が来るのを待った。
精神統一が終わる。そこから間を空けず、カインがシールドバッシュを叩きこんだ。大きく仰け反って怯む火竜、弱点かも知れない腹部が大きくさらけ出される。狙うなら今しかない。私が前に踏み込んだ。
「今だっ!」
大きく振りかぶった大斧、渾身の力を込めて火竜のどてっ腹に叩き込む。手ごたえはあった、弱点に当たった時の感触だ。急所に痛打を受けて、火竜がその場によろめいて失神する。ステータスウィンドウを見ると、体力ゲージが三分の一ほど減っていた。一度目のダウンを取った証拠だ。
「逃げるぞ!」
「……ああ!」
これ以上の戦闘は危険だ。私がカインに合図を送ると、揃ってその場から逃げ出した。逃げるための時間を稼いだのだから、これ以上戦う必要はない。火竜が回復するまでにエリアを抜けてしまえば戦闘状態は解除される。それは即ち、逃げ切った、ということだ。
エリア間を繋ぐ例の細い道を抜けて、二人で只管走り続けた。ただただ走り続けて、息を切らしてぜいぜい言いながら歩く頃には、火山道の入り口まで戻ってきていた。火竜を振り切ることに成功したのだ。カインと二人顔を見合わせて、互いに間の抜けた顔をしたのを今でも覚えている。
「あったなぁ、そんなこと」
「もうずいぶん前だからな。五年くらいか」
私とカインはほとんどのイベントを共にこなしてきた。新しい要素が実装されれば真っ先に試したし、情報交換も欠かさなかった。あくまでゲームの上での情報交換だけに留めて、他の方法で交流することはなかった。きちんと線を引いて、お互いそこから出ないようにしている。消極的に見えるかも知れなかったけれど、私たちの繋がりを保つうえで大切なルールとして機能したのも事実だ。
それを、五年。私たちは仮面を被って互いに手を取り合いながら、それだけの年月を過ごしてきた。
「五年も経てば何もかも変わる、か……」
サービス終了まで残すところあと一ヶ月。期日が来てしまえば、すべては消えてすべては終わる。私とカインが戦った証も消去されて、どこにも無くなってしまう。
この世界から「セシル」も「カイン」も消えてしまう。ただ、私たちの心に記憶として残るばかりで。
(カイン……)
彼の――少なくとも今見えている姿に従うなら、「彼」の横顔をそっと見つめる。
カインは男性のキャラクターだ。筋骨隆々とした精悍な成年男子、外見に疑う余地なんてない。ステータスウィンドウに表示されている種族情報も「人間:♂」だ。この世界におけるカインは男性、それは事実で、何も間違いない。
けれど、と私は思考を反芻する。カインを操っているプレイヤー自身はどうだろう、見た目通りの人物だと言うことができるだろうか。
(兜を外した時の髪をさっと直す仕草、話す時に手を重ねるくせ、言葉遣い……)
細かなところで、カインに対して時々思う処がある。他のプレイヤーは気付いていなかったようだけれど、カインと共にいる時間が長かった私には、どことなく察せられるものがあって、感じるところがあって。
それはきっと、自分も同じことを――仮想世界の上で性別を偽ることをしているから。自分のしていることをあたかも鏡映しのように見せられるから、カインの振る舞いひとうひとつが記憶に残る。カインと自分が重なって、一つの存在のように思えてくる。
「セシル」
不意に名前を呼ばれる。どうしたのだろう、そう思って振り向くと、兜を取ったカインが私の瞳をじっと見つめていた。まるで瞳の奥に、セシルではない「私」を、少女としての「私」を見出したかのように。
もちろん、私もカインも自分の性別を明かすことはなかったし、仮想世界の上ではれっきとした男性として振る舞っている。現実世界のことには踏み込まない、それが私たちの暗黙の了解だった。お互いの言葉だけを信じるなら、どちらも女の子であるはずがない。
でも、どうしてだろう。私はカインに少女を見出している。私と同じことをしているように思えてならなかった。
確証はあるけど、確信はある。カインが私と同じだという、確信が。
「どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
カインがふっと目を逸らす。何気ないその動きにさえ、私の目は釘付けになり、心が奪われる。
なぜ声を掛けたのだろう、とは考えなかった。
もしかしたら、と私は想う。カインは私と同じくらいの歳の少女で、そしてカインもまた私が姿かたちを偽っていることに気が付いている。同じことをする似た者同士だという意識が、私の中にはある。
(もし、それが本当だったら)
何度口に出して言おうと思ったか分からない。私は女の子なんだよ、って。カインも同じじゃないの、って。サービス終了が決まって、カインと永遠に会えなくなる瞬間が来ると分かってからは、尚更だった。
でも、その度に踏み止まった。躊躇ったのではなく、意志を強く持って言葉を飲み込んだ。もし私が口に出してしまえば、それはもう二度と取り消せない言葉になって、私とカインの間にずっと残り続ける。今の関係を、繊細で緻密な信頼の上に成り立っている関係を壊してしまう気がして、自分を抑えて踏み止まった。
この世界での私たちは、斧を振い盾を構える、戦士だから。
「なあ、カイン。お前はいつまでここにいる?」
「――終わりまでずっと。そっちはどうだ?」
「俺も同じだ。最後までここに残るさ」
長く付き合ったのだから、最後を、最期を見届けよう。
この世界の終わりを、私とカインの終わりを。
「さて、今日はそろそろお開きにするか」
木にもたれかかっていたカインがやおら立ち上がる。後ろ髪を引かれる思いを感じながら、続いて私も立ち上がる。
現実へ還る時が来た。
「じゃあな、セシル。また明日」
明日が来なくなることが分かっている世界で、手を取り合ってダンスを踊る。
「ああ、カイン。明日もまた、この樹の下で」
世界が終わるその日まで、仮面舞踏会は終わらない。
*
「『黄アバ討伐 求H/B/N 22:00まで』……セシル、か」
広場に旗が立っているのが見える。その近くにいる男を除いて、他には人っ子一人見当たらない。以前は接触判定の計算がおざなりになるくらいの人でごった返していた場所だというのに、随分と廃れてしまったものだと感じずにはいられない。その中でも敢えてパーティ募集のコメントを出して待っている辺りがセシルらしい。今もここで足を運ぶ自分も自分だけれど。
数年前から過疎りつつある感触はあった。外部板のスレ消化速度も大分ゆっくりになっていたし、ギルドメンバーのサイトも更新が途絶えたままだ。以前は毎日インしていた人もめっきり見かけなくなった。調べてみると、スマホのゲームに夢中になっているらしい。いつでもどこでもちょっとした時間に遊べるし、一度の狩りで二時間も三時間も拘束される遊びはきついという気持ちも分かる気がした。
かく言う自分も、いつまでここに居るのか分からずにいる。世界が終わる最後の瞬間を見てみたいと思う反面、もう辞めてしまってもいいかな、と感じる時がしばしばある。だけどなんだかんだで来てしまうのは、ここが自分にとって掛け替えのない遊び場だったから。
「言って、もう一か月もないんだけどな。サービス終了まで」
この自分ではない男性の声を聞くことになるのも、あと僅かな間しかない。
ソード・アンド・スペル・オンライン(S.A.S.O.)。MMORPGが流行していた時期に鳴り物入りでリリースされたゲームで、開始当初はそれはそれは多くの人で賑わった。接続までに落ちることもしばしば、一時はまずログインするまでにゲームが発生していた。それも今となっては昔懐かしい思い出となって、再び見ることは到底叶わぬ光景になってしまった。
自分は男性のナイト職でプレイしている。画面に表示されている名前は「Kain078」。数字の部分は初めてログインしたのが七月八日だったから被りを避けるために付けただけだけど、ちょっと収まりが悪い。男キャラを選んだのは、ネットでナンパされるのが嫌だったから。前に遊んでいたゲームは女キャラを使っていたけれど、別のプレイヤーにしつこく付き纏われたことがあって、それが嫌で自衛することにした。ナイトを選んだのは、この手のゲームは火力担当が人数過多でタンクやヒーラーが少なくなると分かっていたから。狙い通り、多くのパーティから誘われることに成功した。
割といろんなゲームを遊んで、飽きたらすぐに乗り換えたり、お金がなかった頃はβテストを渡り歩いたりしていたけれど、このゲームは自分の中ではとても珍しく、サービス開始からずっと続けている。ゲームのバランス自体が自分に合っていたのと、運営が概ねまともだったこと(過去にナイトが弱体調整された時は恨んだけど、すぐ以前以上に強化されたからもう許している)、その辺りが理由だと思う。
それと同時に、サービスがいつ終わってもおかしくないというか、儲からなさそうだという感じはしていた。クエストのつくりはオンラインゲームだと言うことを踏まえると優しい傾向があったし、リトライに係るコストも低い水準で安定していた。装備品が壊れるという概念もなく、生産の類は高難度になると失敗しても素材が返却される。プレイヤーにしてみればありがたいけれど、長時間ゲームにしばりつけておくと言う意味では効果的とは言えない。サービス終了間際ということもあるのだろうけど、ゲーム中のノンプレイヤーキャラクターをオトモにできるシステムなんてのも実装された。一度もパーティを組まない完全なソロでカンストまでレベルを上げたとか、メインクエストをオールコンプリートしたなんて話も珍しくない。
もうじき終わるんだな、その感じが強くする。
「行くか」
旗を見つけてしばらく待っても、他に誰かが来る気配はない。昔なら即パーティ結成まで行けたのが、今じゃこの様だ。旗を立ててるのはレジェンダリー級の装備一式を揃えたカンストレベルのウォーロード。メンバーに不足は無いはずだし、旗を立てている、イコールリーダーを務める気もあるというのだから、セシルの資質に何か問題があるというわけじゃない。単に人がいないと言うだけ。
今もログインを続けているような自分のような物好きが他にもいる。そう思うと何か可笑しくなった。折角のオンラインゲームだ、人と一緒に組んで攻略した方が楽しいじゃないか。元々そんなゲームデザインなのだから、それに身を委ねればいい。人と関わり合うのは確かに面倒だし、かったるい。そう思う向きも理解する。面倒な人間ならブロックしてしまえばいい。ちゃんとしたブロック機能があるのもこのゲームを続けている理由だ。気の合う人間とは関わり合いたい、それが人間だ。
なんて言ってみたところで、サービス終了間近のゲームを今から始めるような人間はいないだろうけど。
一応、十分くらいそのまま待ってみる。さすがにいきなり自分が声を掛けるのはどうかと思ったから。毎度毎度同じ顔を見てうんざりしてないか、少しだけ気がかりだった。けれど他に誰かが来る気配もない。諦めたのか旗を畳むのが見えた。もういいだろう、一歩前に踏み出す。
「よう」
「カインか」
レジェンダリー級のクリムゾン装備を悠々と着こなすウォーロードの男。兜越しに顔が見えるかのよう。
セシル。画面の表示名は「xCelilx」。呼称はセシルだ。名前の付け方が外国人のそれっぽいから、初めはちょっと警戒したのを覚えている。その十秒後ぐらいに向こうが日本語で話しかけてきたから、名前なんて当てにならないなと思った。セシルとカイン、どこかで聞き覚えがる名前だな、なんてことを言っていたのを覚えてる。ま、職業も得物も、元ネタとはお互い全然噛み合わないんだけど。
「またお前か」
「もう残ってるのは俺たちくらいだろ?」
「ま、それもそうだな」
「この間六人制限のダンジョンがとうとう自由開放になったからな。もう増えることはないって運営も思ってるんだろ」
かつては十二人制限だの、十八人制限だのといった人数制限のあるダンジョンが存在した。これは同時に入室できる人数じゃない、それだけの人間を集めておかないと入場できないって方の制限だ。それが段階的に緩和されて、一番緩かった六人制限、つまり一パーティの基本人数という最小単位の制限もなくなった。今は腕さえあれば、ソロでどんなダンジョンやフィールドにも入れる。その腕と言うのも、オトモを付ければ大分補えるし誤魔化しも効く。
自分やセシルのようなプレイヤーには、無用の長物と言えたけれど。
「ウィス高でいいか?」
「元からそのつもりだったんだろ。付き合うさ」
ウィステリア高地は、去年の末に行われた最後の大規模バージョンアップで解放されたエリアだ。それまでのエリアに居たボスクラスの敵、その強化版を「受肉した亡霊」と銘打ってあちこちに配置した危険な場所。腕の覚えのあるプレイヤー向けのハイエンドコンテンツという位置付けだった。
もう使える予算も無くて新たにキャラクターモデルを追加できない中で、専用モデルを使用するボス格の敵たちはまだ目新しさがある、ゆえにそれを再利用するという、運営の苦しい台所事情が窺える内容ではあった。けれど、かつて鎬を削った強敵たちがさらに手強くなって待ち構えているという構図は悪くない。コンシューマのRPGでもよくある光景だ。だからむしろ、最後のコンテンツに相応しい装いと言える気がした。だから自分は、ウィステリア高地という場所を結構評価している。そしてセシルもきっと同じことを考えている。どうしてか、そう思えてならなかった。
「行くか」
「ああ」
リーダーであるセシルがスクロールを出してワープの準備をする。リーダーが移動手段を確保するという初期に確立されたローカルルールを律儀に守る、それがセシルというキャラクターだった。
光に包まれる見慣れた演出を経て、セシルと自分はその場から消えた。
ファストトラベルの行き先はジラソーレ村、ウィステリア高地へ向かう際の拠点となる村だ。このゲームには裏側に色々と制約や仕様があることが知られている。ウィステリア高地へ直接移動できないのもその一つだ。ウィステリア高地はジラソーレ村から道を一本挟んで一見シームレスに繋がっているが、実際は「道」の途中でエリアチェンジが発生している。エリアチェンジした先のウィステリア高地は、外見は屋外だけど内部的な扱いはれっきとしたダンジョンだ。ダンジョンには直接プレイヤーを移動させられないという仕様がある、かつてそんな話をセシルにしたことがあった。
こういう細かくて人によってはうんざりするような話を一つも漏らさず聞いてくれるから、自分はセシルと話すのが好きだった。
「ルートはいつも通りでいいか?」
「ああ。黄アバ以外に興味はないさ」
セシルが目的地までのガイドラインを出す。こうしておけば道に迷うことはない。後期に実装されたダンジョンは迷路のような構造のものが大半を占めていて、こうやって事前に道を調べておかないと十中八九迷うことになる。セシルはこういう基礎行動一つ一つを丁寧にやれるプレイヤーだった。プレイ歴が長くなってくるとどうしても基本的なところを疎かにしがちだけど、セシルはそういうことがない。結局基本に忠実なのが一番効率がいいことを知っているから、自分にとっては最高の相棒だった。
「準備はいいか?」
「いつでも」
ルート決めが終わったところで、セシルと自分がほぼ同時に懐からスクロールを取り出す。
「前はクレリックがいないと、おちおち外も歩けないもんだったが」
「今じゃ紙ぺら一枚で気配を消せるからな。スネークもビックリってやつだよ」
大抵のMMORPGで人気の職業は前衛、それも火力職(アタッカー)だ。自分のようなタンクや、後方支援を担うヒーラーやバッファーは絶対数が少なくなりがち。特にヒーラーの少なさは深刻だった。運営が取った手段はヒーラーの価値向上、端的に言えばヒーラー無しでは到底踏破できないようなマップやダンジョンを用意するというものだった。厄介なモンスターを多く配置して相互に監視させ、火力に頼った突破を困難にする。プレイヤーは自然と戦闘を回避する手段を捜すようになり、そこで目に留まるのが気配遮断の魔法を習得するヒーラーのクレリックだった。パーティにクレリックが一人いるだけで、目的地への移動が断然スムーズになる。当然クレリックは重宝されて、ポップ即釣りと言われるほどの重要ジョブになる。運営はそうしてクレリックの担い手を確保していたけれど、最近はもうそれでもどうにもならないと判断したようだ。今更モンスターの配置を変えるわけにもいかないから、これまでクレリックの専売特許だった気配遮断の魔法を封じたスクロールを店売りするようになった。おかげでクレリック不在でも自由に移動できるようにはなったけれど、結果的にゲームの寿命を早く縮めたような気もしてならない。ま、使えるものは使うというのは、自分もセシルも共通するところではあったけど。
さて、セシルと自分が例の「道」に入った。この手の疑似オープンワールド系ゲームでよく使われる手法として、一方通行の道を歩かせてロード時間を稼ぐというものがある。いわゆる「Now Loading」画面を出すとプレイヤーの没入感が大きく削がれてしまうし、VRゲームではそもそもやるべきではない。そこで生み出されたのが、ゲームは続行させつつバックグラウンドでロードをさせるための「道」という手法だ。S.A.S.O.はこれをうまく使って、ハードへの負担を減らしつつ一繋ぎに見える世界を作っている。こんな薀蓄もセシルに話した記憶があった。
そうこうしている内に「道」が終わる。ロードが終わったようだ。周りを見ると、既存モンスターの亜種があちこちをうろついている。ウィステリア――藤の花、の名前に相応しく、どのモンスターも毒っぽい紫色のテクスチャが貼られている。その外見はおよそ生き物とは思えない。これも予算がない中の苦肉の策だとは分かっていたけれど、エンドコンテンツに登場する「異様な敵」感は嫌と言うほど出ている。こういうところに運営のセンスを感じたから、ここまでゲームを続けてきたと言えるかもしれない。うんざりするほどの感知範囲の広さとか、数値的なところはいろいろ言いたいことはあったけど。
「こうやって横を普通にすり抜けても気付かないのは、最後まで違和感あったな」
「モンスからは俺たちをまったく認識できない状態になってるからな。せっかくの仮想現実なんだから、もう少し現実に寄せても良かったと思うが」
S.A.S.O.はスタイルこそVRMMOだけれど、ゲーム性は非VRのMMORPGを忠実になぞっている。よく言えば他のゲームのセオリーが通用しやすい、悪く言えばVRらしさが薄く現実味に欠ける。気配遮断の魔法を使用したというフラグが立っているだけでこちらを一切認識しなくなる敵などはその好例、いや悪例と言えた。殺気立った敵の前で平然と雑談しながら、自分とセシルが広場を悠々と歩いていく。二十分ほど歩き続けて、目的地である山頂まで到着する。
「準備はいいか?」
「ああ。バフは掛け直した。いつポップさせてもいい」
「なら行くぞ」
セシルがインベントリからトリガーアイテムの「煌めくトパーズの欠片」を選び、いかにもイベントが発生しそうな感じの湖へ投げ込む。何度も見慣れた光景、セシルも慣れきっていて、もはや躊躇いひとつ感じさせない。「煌めくトパーズの欠片」は別のイベントでも使用されるアイテムで、初めて実装された時はとてもとても激しい取り合いが起きたものだ。一ヶ月かけて入手できれば上出来、運が悪いと数か月もお預けを食らわされる。そんな高嶺の花も、今やログインボーナスのポイントと簡単に引き換えができる。こうやって躊躇なく投げられるようになったわけだ。
轟音と共に泉が揺れて、いつも通りモンスターが出現した。黄アバ、もとい「アバター・オブ・トパーズ」だ。ウィステリア高地のボスモンスターたちは倒されても思念は消えずに残り、二十四時間が経つと再び受肉して再臨する――という設定になっている。要は二十四時間に一度ポップさせられるということでもある。一応イベント戦闘扱いの敵ゆえに、何度でも復活する理由を適当でもいいから付けておかなきゃいけない、そういう事情が窺える。
泉の水を割って、中から眩い光を纏うドラゴンが姿を現す。
「『我を呼び覚ましたは汝らか 愚かなり、か弱き人間共よ』」
か弱いのはそっちだろ、と心の中で言い返してやる。アバター・オブ・トパーズのモデルは中期に実装されたメインミッションのボス敵の一体と同じ、それにトパーズをモチーフにしたパーツやテクスチャを付けて差別化している。元になった敵は様々なギミックを搭載して多くのパーティを粉砕した「壁ボス」だったけれど、装いも新たに登場するこちらは固有技が厄介なことを除けば正統派火力押しボス。体感的なものもあるけど、厄介さで言えばこいつの元になった敵の方が遥かに上だった。
「行くぞ!」
「おう!」
セシルと私はほとんど同時に、アバター・オブ・トパーズにターゲットをロックした。
インベントリから「ダークマター」を引っ張り出すと、敵にぶん投げて思いきりぶつけてやる。ダークマターはジョブを問わずに使える投擲アイテムで、投げつけた相手に暗闇と猛毒の状態異常を付与する。一人一つしか持てない上に生産ジョブの錬成でしか作れない貴重品だったけど、今やほとんどのプレイヤーが投げ売りしている。ゆえに入手は容易だった。どんな敵にも当たればとりあえず効果はあるという安定感に加え、使うと敵のヘイトが瞬時に上がるというのも見逃せない効果だ。それを自分が使うということは、ひとえに敵のターゲットをこっちに貼り付かせるのが目的ということ。
敵が「ライトニングパルサー」の構えを見せた。こいつは見た目のイメージに違わず、雷属性の最強クラスの攻撃をいくつも使ってくる。自分は見た目をプラチナ装備で固めているけど、内部的には雷属性の固有技と魔法に耐性を持つアース装備のステータスになっている。一年ほど前、装備品の能力はそのままに見た目だけ他の装備にできる機能が実装された。それを適用している。もちろん、セシルにはきちんと伝えてある。
「セシル!」
「見てる! 範囲外に下がった!」
ライトニングパルサーは範囲攻撃。自分が受ける分には軽く受け流せたけれど、セシルがそうとは限らない。範囲攻撃が来るときは味方に合図を、タンクをやっていれば自然と身に付く動作だ。セシルは既に攻撃範囲外まで下がっていた。自分が敵のライトニングパルサーを受けて凌ぎ、減った体力を回復魔法で取り返す。もはや慣れきった動きだった。
「どうした蛇野郎! 出し物はそれだけか!?」
セシルが敵の死角へ回り込んで攻撃を再開する。敵のターゲットがセシルへ移らないように挑発を入れてから、再び盾防御の構えに映る。黄アバは宝石の名を冠するアバターたちの中でもドラゴン属の代表のような存在だ。そういう敵には「蛇」と挑発してやるのが一番効く。ドラゴン属にしてみれば、蛇と同類に見られることほど屈辱的なことはない。セシルの斧にぶった切られて輝く血を噴き出させながら、黄アバの怒りはこちらに向けられている。いい展開だ。そう思ったのも束の間、黄アバが髭をピンと立てて帯電させるアクションを見せた。
「カウンターが来るぞ!」
特定の条件――ターゲットしていない相手から一定以上のダメージを受けた後、視覚感知の範囲外から攻撃を受けた場合――に発動するカウンター専用の固有技「ドラゴンテイル」の構えだ。ドラゴン族はこの手のカウンター技を多く取り揃えていて、それは黄アバも例外ではない。ドラゴンテイルを受けるとダメージだけでなく吹き飛びダウンが確定し、高確率で気絶してしまう。構えを見たらすぐに逃げるか、或いは。
「てやぁっ!」
セシルのように、一部のジョブが持っているブロッキング系の技で受けるか、どちらかの対応が必要だ。ドラゴンテイルをブロッキングされた黄アバが大きく怯んで隙ができる。お前の相手は自分だ、そう口で言う代わりに、片手剣を鞘から抜いて弱点を全力で一突きした。ここまで攻撃を受けてチャージされたパワーゲージを消費しての、必殺の一撃だ。ダメージもさることながら、セシルに向けられたターゲットを取り返す意味も込めて。
目論見通り、敵が再びこちらに振り向いた。ただ、さっきの攻撃でスイッチが入ったらしい。いわゆる「発狂」状態になって、これまでより短いスパンで固有技を連発するようになった。そんな状況下で、敵が「磁気嵐」を使ってきた。対処が面倒な固有技だ。装備品の追加効果を強制的に無効化するという技で、これは武器にも防具にも適用される。アース装備は追加効果として「被ダメージを魔法力にコンバート」が付いているけれど、それが封印された。タンクが敵のターゲットを取り続けるには敵の攻撃を受ける必要があり、敵の攻撃を受けたからには体力を回復させなければならない。魔法力はその重要なソースで、これの供給が絶たれるということは好ましい状況ではない。ステータスウィンドウを見ると、魔法力が半分を切っている。危機的状況というわけでは無かったけれど、普段より苦戦しているのは確かだった。
「カイン! 受け取れ!」
セシルから声が飛んできた。飛んできたのは声だけではない、赤い液体の入った小瓶も一緒だ。一目見て、それが霊薬の一種「クリムゾンエーテル」だと気付く。魔法力を最大まで回復してくれる貴重なアイテムだ。この状況でこういう判断を咄嗟にできるセシルを、どれだけありがたいと思ったことか。
受け取った小瓶の封を開けて中の液体を飲み乾す。この感覚も仮想現実なのだろうけど、本当に何かを飲んでいるという感触がする。非VRMMOのゲーム性だというのに、VR部分は本気で作られている。なんでも、家庭用ゲーム機向けのVRタイトルに携わった人材をかき集めたとか。黄アバとの血で血を洗う激しい戦闘中だというのに、ふとそんなどうでもいいことを思い出す。
こちらが攻撃を受け、セシルが敵の体力を削る。体感的に十分ほど戦い続けただろうか。そろそろか、と思った瞬間、黄アバの動きが止まり、その場に大きな音を立てて倒れ込んだ。ノックアウトだ。
「『我が斃れるとは……これが人の力……見事なり……』」
アバターの煌めく返り血を全身に浴びた自分とセシルが、力尽き消えゆくアバターを眼下に見下ろす。
自分たちの――勝利だ。
「戦闘時間は?」
「十分三十二秒。ま、平均レベルってとこだな」
「今日は敵の固有技の引きが悪かったな。直接攻撃ならいくらでも受けられたんだが」
レコードを粗目手確認すると、最速記録は九分四十七秒。いつもに比べて少し手間取ってしまったけれど、セシルが「平均レベル」とフォローを入れてくれた。少しの遅れを叩くわけでもない、さりとて下手に慰めるわけでもない。セシルのコミュ力の高さが実感できて、そのセシルの相棒として自分がいるというこの状況が心地よかった。
決して他人に悪態をつくことがない、そんなセシルの真摯さが好きだった。
例によって敵が宝箱をドロップする。いわゆる固定ドロップってやつだ。セシルが魔法の鍵を使ってロックを解除する。中身を一つずつ確認してみると、自分が使っている盾に対応する強化アイテム(あたり)、セシルが装備できる頭装備(今装備しているものと能力的には大差ない)、それからレア度が高めの素材アイテムがいくつか(特に使い道がないので競売に流す)、それからクレリックしか習得できない魔法が書き込まれたスクロール(はずれ)。まあ、今日はそこそこいい結果だろう。所用時間が一時間足らずということを踏まえれば上等と言っていい。
「雫は俺、兜はセシル。それでいいな?」
「ああ、異論はない」
戦利品を見た時点で配分は決まっていた。セシルに素材を四つ渡す代わりに、残りの素材とスクロールをインベントリに入れる。以前なら欲しがるメンバーもいただろうけれど、今となってはログインさえしなくなってしまった。売りに出すほかあるまい。
「帰るか」
「用は済ませたからな」
帰りのスクロールは自分が用意していたものを使う。行きと帰りで移動にかかる手間をそれぞれ分担するというのは、サービス開始当初のリソースに乏しかった時代の名残だ。自分やセシルはそれを今でも続けている。煙草を吸うように、珈琲を飲むように、一度身に付いた習慣はそう簡単には変えられないってわけだ。
行きと同じように光に包まれて、セシルと自分がこの場から消える――。
行き先はコスモス平原。あるいは戻って来たと言うべきか。辿り着くや否やすぐさま歩き出して、奥に見える大樹の元へ向かう。どうせならあの大樹の側を出現ポイントにすればいいのに、とも思ったけれど、そうなるとあそこに人が集中してしまうという運営の判断がかつて為されたのだろう。今となっては関係のないことだけれど。
セシルが足を止めたのを見て、自分も大樹の根を踏んで足を止める。この感触が好きだった。本当に樹に足を預けているような感じしかしない。人影のまるでないこの場所は、話をするにはうってつけだ。
「ここに来るのも何度目だろうな」
「ログを漁れば入場した回数は分かるだろうけど、そういうのじゃないからな」
「マメに記録を残してるからな、お前は」
何かに使うつもりだったのだろうか、このゲームはとにかく大量のログを取ることで知られている。攻略サイトには「不要なファイルでディスクを圧迫するから定期的に消そう」と書いてることがほとんどだけど、私は消す前に毎回バックアップを取っている。無機質なシステムログを読んでいるだけで、過去を振り返れるような気がしたから。
セシルが樹に寄り掛かって座るのが見えた。続けて自分も座る。セシルが座ったということは、落ち着いて話しをしようというサインに他ならない。それに同意したから、私も座ることにした。
「覚えてるか? 初めてパーティを組んだ時のこと」
「忘れるはずがないさ。途中でリーダーが落ちちまって、俺とセシルで火竜の相手をしたんだからな」
あれは酷い事故だった。完全な貰い事故だって言っていい。なのにこうして笑い合いながら話の肴にできるのは、それがセシルと初めて組んだ記念すべき日だったから。休みをいいことに朝から晩まで入り浸って戦績を貯めて、誰も持ってないような褒賞アイテムを見せびらかしていたのを覚えている。今思うと厨房丸出しって感じだ。そんな自分をセシルは地雷扱いせずに接してくれた。気にならない筈はない。
セシルは基本に忠実なプレイヤーだった。それも気に入ったところだ。ゲームデザイン的に基本に忠実なプレイヤーが結局は得をする仕組みになっていることをなんとなく見抜いていたから、セシルと組めば間違いは無さそうだと思った。何かあればフォローしてくれそうだし、自分もセシルのフォローに回るのはやぶさかではなかった。
行き先はアマリリス火山。最初から実装されていたエリア、いわゆる基本エリアの北端に位置している火山のダンジョンだ。まだ狩場があまり開拓されていなかったけれど、レベル上げに向いた雑魚がひしめいていることが分かっていた。今なら混雑することもない。そこを狩場に選んだあたり、リーダーはできる人だったのだろう。男性クレリックにファストトラベルさせて、メンバー全員でアマリリス火山へ向かった。ここまではよかった。
「悪いクジを引いたよな、アレは」
「確か三十二分の一だっけ? メンバーが散り散りにされるのって」
「ああ。初期のテレポートにあった冗談みたいな性能だよ」
どうも初期の運営はパーティにハプニングを起こしたがっていたようで、魔法やアイテムに珍妙な追加効果を付ける悪癖があった。その最たる例がテレポートだ。解析の結果三十二分の一の確率でテレポートに失敗してしまうことが分かっていた。失敗と言ってもまったく訳の分からないエリアに飛ばされるのではなく、転送先エリアに複数設定された「本来のテレポートの目的地ではないサブ目的地」にランダムで飛ばされてしまうという仕組みだ。少なくとも同じエリアに入るからパーティの再集合はできなくはない。できなくはないが面倒だ。傍迷惑な効果としか言いようがない。
「で、俺とカインが同じ場所に転送されて……」
「その場所って言うのが、モブの火竜が湧くところだったんだよな」
セシルと自分は同じポイントに転送された。到着したのはあろうことか火竜の巣。最悪のケースと言えた。おまけに転送地点の設定が悪くて、すぐさま火竜の生命感知に引っかかった。有無を言わさず戦闘フェーズに移る。当時のセシルと自分では天地がひっくり返っても勝てる相手じゃなかっただろう。
撤退戦にしよう、ボイスチャットでセシルに呼び掛けた。被害を最小限にとどめて生き延びるのが先決だった。当時は戦闘不能ペナルティが今よりずっと重くて、貯めた経験値の一部がロストしてしまう仕様だった。それだけは避けたい。時間をみすみす無駄にするようなものだ。火竜とまともにやり合う気はさらさらなかった。ここから一刻も早く出ることだけを考えていた。
自分がすばやくターゲットを取って引き付けると、セシルが斧を構えるのが見えた。てっきり気絶系のスキルを使うのかと思っていたけれど、実はそうではなくて。
「まさか、あんな事があったなんてな」
「ギルドのメンバーが冗談めかして言ってたんだ。火竜の設定値は火鼠をちょっと弄っただけだから、弱点も同じなんじゃないかって」
これは後から聞いた話だ。火竜と同じタイミングで追加されたボスモンスターに「火鼠」というのがいた。背中に火を点けられたハリネズミみたいなボスだ。火竜ほどではないにしろ結構な強敵だったけれど、廃人組の検証で「腹部が弱点」というのが割と早期に割れていた。そしてそれとは別に、解析班が火竜と火鼠の内部パラメータがそっくりそのまま同じだということを突き止めていたらしい。種族補正で強さを引き上げていたという寸法だ。
薬をがぶ飲みしながら火竜のヘイトを稼ぐ。セシルが隣でスキルのチャージタイムが終わるのを待っている。あまり長くは持ちこたえられそうになかったけれど、不思議とセシルを急かしたりする気は起らなかった。必ず何かしてくれる、無意識のうちにそう思っていたのかも知れない。
セシルのチャージタイムバーがマックスになるのが見えた。隙を作ろう、そう考えて構えたシールドを振う。シールドバッシュだ。大きく仰け反って怯む火竜、蛇腹模様の腹部が大きくさらけ出されるのが見えた。
「今だっ!」
振りかぶった大斧が火竜の腹部を強く穿つ。ヒットエフェクトが弱点にヒットしたときのものだ、セシルが攻撃を当てた瞬間に気付く。セシルは火竜の弱点に当たりを付けていて、一瞬の隙を突いてそこに痛打を叩きこんだ。「ちゃんとした」判断力がなければ、到底できない芸当だった。
「逃げるぞ!」
「……ああ!」
ほんの一瞬垣間見たセシルの能力に圧倒されつつ、すぐに自分を取り戻す。セシルが逃げ出したのに続いて、自分も盾をしまって火竜の元から逃げ出した。火竜は呻いていてしばらく動けそうにない。振り切るには十分な時間がありそうだった。
エリアチェンジしてしまえばこっちのもの、時折振り返りながら道をひた走って、自分とセシルがあのローディングのための細い道へ駆け込んだ。現実世界での距離的に一キロは走っただろうか、火山道の入り口に辿り着いて、息を切らして肩で息をする頃には、火竜の戦闘領域から逃げ出すことができていた。
「あったなぁ、そんなこと」
「もうずいぶん前だからな。五年くらいか」
セシルとは一緒に過ごしてきてずいぶん長くなる。ゲームで開催されたイベントの大半を一緒にクリアしたし、毎日のように情報交換だってした。けれどお互いゲームの中での交流に終始して、外部サイトやリアルで会おうとはしなかった。どちらも口にしなかったけれど、それでよかったと思っている。自分はこの世界にいるセシルという人物が好きで一緒にいる、そうだと考えていたから。
五年、その言葉を口に出してみて、改めて途方もなく長いと感じずにはいられない。
「五年も経てば何もかも変わる、か……」
サービス終了まで残すところあと一ヶ月。期日が来てしまえば、すべては消えてすべては終わる。自分とセシルがここにいたという事実は、綺麗さっぱり消え失せてしまう。
この世界から「セシル」も「カイン」も消えてしまう。ただ、自分たちの心に記憶として残るばかりで。
(……セシル)
兜を外して、彼の――この視覚情報をそっくりそのまま信じるなら、「彼」の横顔をそっと見つめる。
誰がどう見たって、この世界におけるセシルは男性の人物だ。大きな斧を振るう大柄な成人男性、女性的な面は無いに等しい。装備できるアイテムももちろん男性用のものだけだ。実は男じゃない、なんて設定はどこにもありはしない。
でも、それはあくまで「セシル」に関すること。セシルはプレイヤーキャラクターで、それはつまり彼を操作する実在の人物が別にいることを意味していて。
(取り留めもない雑談が好き、女性のキャラクターにもベタベタしない、口元に手を当てるしぐさ……)
端々、ほんの端々で、セシルの本質を感じることが多々ある。豪快で戦闘を貴ぶウォーロードとしての一面だけではなくて、繊細できめ細やかな心。他人はこれといって気に留めることもない僅かな所作にさえ、思う処があって。
なぜなのか、理由なんて分かり切っている。もしかすると――いや、ほぼ間違いなく、セシルは自分と同じこと、性別を偽ることをしているから。セシルの僅かな仕草に自分に通じるものを見出してしまうから、まるで同じ存在のように感じられてしまう。
「セシル」
無意識のうちに名前を呼んでいた。セシルが振り向く。その瞳は澄んでいた。自分が見ているものはあくまで電子情報、ゲームエンジンがレンダリングした二次元情報に過ぎないと言うのに、目を凝らせば奥に潜むセシルの「心」が浮かび上がってくるかのよう。
セシルも自分も本来の性別を語るようなことはなかったし、S.A.S.O.の上では男性以外の何者でもない。現実世界のことには触れない、タッチしない。ゲームを始めた直後から、セシルとの間に生まれた暗黙の了解。自分がセシルのプレイヤーが女の子だとか考えているのは、妄想の類だと思う。
でも、どうしてだろう。自分はセシルに少女を見出している。同じことをしているように思えてならなかった。
確証はあるけど、確信はある。セシルが自分と同じだという、確信が。
「どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
セシルからの返しを受けて、自分は思わず目を逸らした。自分がセシルに何を見出しているかを知られてしまいそうで、それをほんの少しだけれど畏れた。ずっと紡いできた関係が壊れてしまう気がしたから。
意識せぬままその名を呼んでしまうほどに、自分の中でセシルは大きな存在で。
セシルは同い年くらいの子で、自分と同じように外面を偽っている。セシルもセシルで、自分が男性のふりをしていることに本心では気付いている。勝手な思い込みに過ぎないはずなのに、その想いは強くなる一方で。
(もし、それが本当だったら)
幾度となく口を突いて出そうになった言葉。実は女の子なんだ、セシルもそうじゃないの、って。サービスの終了がアナウンスされて、セシルと今生の別れが迫っていることを意識してからは、ほとんど毎日のようにその衝動に駆られた。
だけどその都度、言葉は音になる前に胸の奥へ仕舞われる。理性が本能を抑え込んだ。この世界では現実のことを持ち出さない、現実ではこの世界のことを持ち出さない。ロールプレイングゲームを遊ぶなら、その世界の人物になり切るのが鉄則だ。「中の人」の事を気にするようではいけない。そう言い聞かせて。
この世界での自分たちは、斧を振い盾を構える、戦士だから。
「なあ、カイン。お前はいつまでここにいる?」
「――終わりまでずっと。そっちはどうだ?」
「俺も同じだ。最後までここに残るさ」
長く付き合ったのだから、最後を、最期を見届けよう。
この世界の終わりを、自分とセシルの終わりを。
「さて、今日はそろそろお開きにするか」
名残惜しさを振り払って、ぐっと立ち上がる。隣で歩調を合わせるかのごとく、セシルもまた立ち上がる。
現実へ還る時が来た。
「じゃあな、セシル。また明日」
明日が来なくなることが分かっている世界で、手を取り合ってダンスを踊る。
「ああ、カイン。明日もまた、この樹の下で」
世界が終わるその日まで、仮面舞踏会は終わらない。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。