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壁はゆめの五階で、どこにもゆけないいっぱいのぼくを知っていた

ぼくはいつものように、道を歩いていた。マサラからトキワへつながる、通いなれた道だ。

時々草むらがあって、段差をつなぐための小さな坂がある。それ以外には、本当に何も無い。

「ここはいつ通っても、ちっとも変わらないなあ」

ぼくはそんなことを考えながら、いつものように道を歩いていく。途中で何度かポッポやコラッタと出会ったけど、ぼくはそんなのよりもっと強いポケモンを連れているから、全然気にならない。

「もうちょっと、変化が欲しいなあ」

ここはいつ通っても、ポッポやコラッタがいる。それだけじゃない。ここで顔をあわせるのは、いつも同じトレーナーだ。出会っても挨拶をするぐらいで、特にどうってことはないんだけど、いつもいつも同じ顔を見ていると、なんだか少し飽きてくる。

少しぐらい、変化があってもいいのに。

退屈な気持ちを抱えながら、ぼくはふと、隣の道に広がる草むらを見た。

(そう言えば、あんなところにも草むらがあったんだっけ)

ぼくは長い間マサラタウンに住んでいるけど、あの草むらへは一度も行ったことが無い。高い塀に囲われていて、入れないのだ。

ぼくだけじゃない。あの草むらの中に誰かが入っているのを見た事も無い。ひょっとしたら、誰も入ったことが無いのかも知れない。

(あそこにも、ポケモンがいるのかなあ)

草むらを見ているうちに、ぼくはだんだんそれがすごく気になってきた。誰も入ったことの無い草むら。周りを高い塀に囲まれている、あの草むら。それは見渡す限り、どこまでも広がっている。

(気になるなあ)

ぼくの草むらへの興味はどんどん増えてきて、だんだん入りたくて仕方なくなってきた。もしかしたら、この辺りでは出てこないような、すごく強いポケモンがたくさん住んでいるのかも知れない。だから、子供が入っちゃ危ないからって、大人の人が塀をこしらえて、入れなくしてしまったのかもしれない。

(でも、今のぼくならきっと大丈夫。塀だって越えられるし、強いポケモンもたくさん連れてる)

そう思うと、ぼくはもう、草むらに入る気持ちが固まっていた。

(ようし。入ってみよう。向こうの草むらを通って、トキワシティまで行こう)

ぼくは塀に手を掛けると、草むらの中に入った。

 

「すごいや。どこまでも草むらが広がってる」

ぼくは草むらに入ってから、草むらが思っていたよりもうんと遠くまで続いていることに気がついた。見渡す限り、ずっとずっと草むらだ。

「ちょっと向こうまで行ってみよう」

そう思って、草むらの中を歩き出した。

草むら自体は、ぼくがいつも通っている道の草むらと何も変わらなかった。背の高い草むらがずっと続いていて、今にもポケモンが飛び出してきそうな感じだ。違うのは、いつも通っている草むらとは違って、草むらがどこまでもどこまでもずっとずっと続いているということだけだった。

「何か出てこないかなあ」

ぼくはすごいポケモンが出てくるような気がして、胸をわくわくさせながら、しばらく草むらを歩き続けた。

「……………………」

背の高い草むらがずっとずっと続いている。一歩踏みしめるたびに、じゃり、じゃり、という音が、やけに大きく聞こえてくる。この草むらは、どこまで続いているんだろう。

「でも、どうして誰も入らなかったのかなあ」

ぼくはそんなことを考えながら、草をかき分けてどんどん進んでいった。ひょっとしたら、見た事も無いような珍しいポケモンが、驚いて飛び出してくるかもしれない。楽しみだなあ。

「……………………」

ぼくはそのまま、草むらを進んでいった。

 

「……おっかしいなー。ちっとも出てこないや」

でも、ずいぶん長い間草むらの中を歩いてみたけど、ポケモンは一匹も出てこなかった。珍しいポケモンどころか、この辺りにたくさん住んでいるはずのポッポやコラッタも、一匹も出てこなかった。本当に、一匹も出てこなかったのだ。

「ポッポやコラッタぐらい、出てきてもいいのになあ」

ぼくはちょっとがっくりしながら、これ以上進むのをやめて、トキワシティへ行くことにした。方向を変えて真っ直ぐ進めば、また塀を超えてトキワシティに出られるはずだ。

「ちょっと期待しすぎたのかなあ」

どこまでもいつまでも広がる草むらを見ながら、ぼくはトキワシティのある方に向かって歩いていった。

「……………………」

しばらくすると塀が見えてきて、草むらが終わっていた。あの塀を乗り越えて中に入れば、またいつも通りの道に戻ることになるのだ。またちょっと退屈な、あの元の道に。

「よいしょ」

ぼくは塀を乗り越えて、トキワシティに入った。

 

「あれ? どうしてこんなところに自転車屋さんがあるんだろう?」

トキワシティに入ってすぐ、ぼくは見慣れない建物があることに気がついた。看板を見てみると、「ミラクル・サイクル」と書いてある。ハナダシティにあるはずの、自転車屋さんだ。

「ここにもお店を出したのかなあ」

ヘンだなあ。昨日来た時は、こんなのなかったのに。一日でお店を建てちゃうなんて、きっとすごい大工さんがいるんだろう。

外から眺めていると、ぴかぴかの自転車がたくさん見えた。

(いいなあ。すごいなあ)

ぼくは自転車を持っていないから、見ているうちにすごく気になってきた。せっかくだから、中に入ってちょっと見ていこう。

(見ていくだけなら、お金はいらないもんね)

ぼくはドアを開けて、自転車屋さんの中に入った。

 

「……?」

ぼくは中に入ったとき、思わず目を丸くしてしまった。ぼくはどこへ入ったんだろうと、思わず周りをきょろきょろと見回してしまった。

「ぼくはどうして、ポケモンセンターにいるんだろう?」

周りを見回してみても、そこはぼくがいつも使っているポケモンセンターだった。

ぼくの前には看護婦さんがいるし、中にいる人たちも、ぼくのよく知っている人たちばっかりだ。間違いなく、ここはポケモンセンターだ。それも、ぼくがいつも通っている、トキワシティのポケモンセンターだ。

「おっかしいなあ。ぼく、自転車屋さんに入ったはずなのになあ」

そうだ。ぼくはついさっきまで、ぴかぴかの自転車を外から眺めていたはずだ。それで、見るだけならいいやと思って、自転車屋さんのドアを開けて、その中に入ったはずだ。

(でも、ぼくはポケモンセンターにいる)

でも、ぼくが今いるのは、間違いなくポケモンセンターだ。自転車屋さんじゃない。自転車の姿なんて、どこにも見当たらない。

(見間違えたのかなあ)

ぼくはおかしな気分になりながら、でもせっかくポケモンセンターに来たんだし、ぼくのポケモンたちを回復させておこうと思って、看護婦さんの前まで歩いて行った。

「すいません」

ぼくはいつものように、看護婦さんに話しかけた。

……でも。

看護婦さんは、ぼくにこう答えたのだ。

 

「通信ケーブルクラブへようこそ。こちらは通信ケーブルをお使いの方を、特別にご案内しております」

 

今度は、ぼく耳がおかしくなったのかと思った。ぼくは看護婦さんに話しかけたはずなのに、看護婦さんはお隣の、通信ケーブルクラブのお姉さんの言うような言葉を言った。

(……おかしいなあ。どう見ても看護婦さんで、ちゃんとリカバリーマシンもあるのに、言っている事が滅茶苦茶だ)

ぼくはちょっと薄気味が悪くなって、もう一回話しかけることにした。ひょっとしたら、看護婦さんは寝ぼけていて、お隣で仕事をしているものと勘違いしちゃったのかも知れない。もう一回話しかければ、きっといつもと同じように返事をしてくれるに違いない。

ぼくはそう考えて、もう一回話しかけた。

「すいません」

「通信ケーブルクラブへようこそ。こちらは通信ケーブルをお使いの方を、特別にご案内しております」

……さっきと、まったく同じ返事が返ってきた。今度は間違いなく、ぼくの耳にもしっかりと聞こえた。目の前の看護婦さんは、確かに、お隣のお姉さんがいうようなことを言ったのだ。

「……………………」

今度こそ薄気味が悪くなって、ぼくは何も言わずにそこから離れた。

(今日は、なんだかヘンなことが多いや。気味が悪いよ)

ぼくは何も見ないように目をぎゅっと閉じて、早足で歩いた。

そのままポケモンセンターのドアを思いっきり開け放って、外へと飛び出した。外に出れば、きっといつも通りの光景が広がっていると思ったのだ。

ぼくは外に出て、初めて目を開いてみた。

 

「……? あれ? ここはどこ……?」

ぼくは外に出て初めて、そこはぼくの見慣れているトキワシティではないことに気付いた。

「……ひょっとしてここは……ニビシティ……?」

ぼくは恐る恐る、辺りを見回してみた。

するとどうだろう! ぼくは外に出て初めて、ここがニビシティだということに気がついたのだ。周りを見回してみても、トキワシティに住んでる人の姿は一人も見えないし、街の構造は、どう見てもニビシティだった。

ぼくは、ニビシティにいるのだ。

「ぼくはどうして、こんなところにいるんだろう?」

あまりに意味が分からなくて、ぼくは気がヘンになりそうだった。ぼくはさっきまで、間違いなくトキワシティのポケモンセンターにいたはずなのに。絶対に、間違いなく、トキワシティのポケモンセンターにいたはずなのに。

ぼくが今いるのは、紛れも無くニビシティだ。周りの風景もそうだし、看板を見ても……

(……あれ?)

ぼくはふと、看板に目を止めた。そこには、こんなことが書かれていた。

 

「ぜんりょくをつくしたんだ。くいはない!」

 

……街の案内が書かれているはずの看板には、まったく意味の分からないことが書かれていた。それが余計に薄気味悪くて、ぼくには訳が分からなかった。

だから、ぼくはわざと大きめの声で、

「街の看板にいたずらするなんて、ひどい人がいるんだなあ」

そんなことを言って、この意味の分からない言葉を、落書きにしてしまうことにした。そうだ。こんなことになったのは、きっと誰かが落書きをしたからに違いない。そう思うと、ぼくは少し落ち着くことができた。

(まったく、ひどい人がいるんだなあ)

そう思って、ぼくはもう一度看板を見てみた。それが落書きであることを、もう一回確かめておきたかったのだ。

ぼくは、看板の正面に立った。

 

「それいじょう もちきれませんね。いらないモノを せいりしてください」

 

……看板には、そんなことが書かれていた。

(……うそだ……)

ぼくは、今度こそ震えが止まらなくなった。今さっきまで見ていた看板と、ぼくが見ている看板はまったく同じ看板のはずなのに、まったく違うことが書かれている。まったく同じ看板なのに、まったく違うことが書かれている。今度はもう、見間違いでもなんでもなかった。

ぼくの見ていないほんのわずかの間に、看板に書いてあることが変わってしまったのだ。

(……どうして……どうしてこんなことに)

ぼくはあまりの薄気味悪さに、思わず看板から離れた。とにかく、誰か人に会いたかった。ぼく以外の人に会って、ぼくが見た光景を誰かに伝えたかった。看板に書いてあることがいきなり書き換わるなんて、無茶苦茶だ。ああ、どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

早歩きですたすた歩いて、人を探してみた。でも、知っている人は誰もいない。ぼくはあまり、ニビシティまで来ることはないからだ。そのことが、ぼくを余計に不安にさせた。

(あっ、そうだ。ニビシティには、トモキ君がいたんだっけ)

ぼくはそこで、ニビシティには友達のトモキ君が住んでいることを思い出した。そうだ。トモキ君に会おう。トモキ君に会って、ぼくが見た光景を伝えよう。そうしよう。

(こっちだったっけ)

ぼくはトモキ君の家に進路を変えて、また歩き始めた。トモキ君なら、きっとぼくが見た滅茶苦茶な光景も信じてくれるはずだ。そうすれば、ぼくだって少しは安心できるはずだ。

(早く会わなきゃ)

ぼくは早歩きしていたのをもっと早くして、半分ぐらい走るような感じで、トモキ君の家を目指した。

 

「……………………」

でも、そこにトモキ君の家はなかった。トモキ君の家だけが、そこになかった。

(どうして……つい一週間前に、会ったばっかりなのに)

トモキ君の家のあった場所は、何もない、綺麗な更地になっていた。草もぼうぼうに生えていて、まるで昔からここだけが空き地だったみたいに、何にもなくなっていた。右隣の家や、左隣の家は、ぼくがこの前来たときのまま残っているのに、トモキ君の家だけがなくなっていた。

(引っ越したなんて、ぼく聞いてないよ)

トモキ君のほかに、ぼくはニビシティに知り合いはいない。そのトモキ君が、今はもうここにはいないのだ。つまりぼくは、あまり来たことの無いニビシティで、独りぼっちにされてしまったのだ。

その途端、ぼくは足がすくむような思いがした。ここからマサラタウンまでは、トキワの森を抜けなきゃいけないから、ものすごく遠い。一日かかって、やっと抜けられるかどうかっていうぐらいだ。家に帰れるか、不安になってきた。

(とにかく、家に帰らなきゃ。家に帰れば、きっと元通りになるはずだ)

ぼくはそう思って、今度はトキワの森に足を向けた。

(家に帰って、お母さんのご飯を食べて、ぐっすり眠れば、みんな忘れられる)

そうだ。今日起きたヘンなことは、一日経てばみんな元通りになるはずだ。ぼくはそう思って、とにかく急いで家に帰る事にした。家に帰って、今日は早く寝よう。

ぼくはなるべく早く歩いて、思ったよりも早く、トキワの森へとつながるゲートまでたどり着いた。ゲートをくぐれば、そこはもうトキワの森だ。

ぼくはゲートのドアに手を掛けてから、今までに起きたことを思い出して、

(ちゃんと、ゲートにつながってるよね)

ちょっと不安になりながらゲートの扉を、恐る恐る開けた。

すると……

(ああ、よかった。ちゃんと、トキワの森へつながってるゲートだ)

今までに何度か顔をあわせたことのある守衛さんと、いつもゲートにいる女の子がいた。よかった。ここは、ヘンなことになってない。きっともう、あんなヘンなことは起きないんだ。ああ、よかった。

ぼくはなんだか安心して、守衛さんに挨拶をしたくなった。

「こんにちは」

守衛さんはぼくに気付いて、こんな返事をしてきた。

 

「このきは なんだか きれそうだ!」

 

そう言ったきり、守衛さんはまた、ぼくから視線を外してしまった。ぼくは呆気に取られて、しばらくぽかんと口を開けたままにしてしまった。

(やっぱり、まだどこかヘンなんだ)

ぼくは心臓をいきなり鷲掴みにされたような、すごく怖い気持ちになって、夢中でドアを開けた。やっぱり、まだどこかおかしいんだ。

(でも、このドアはちゃんとトキワの森につながってるはずなんだ)

そうだ。ぼくが開けたさっきのドアは、ちゃんとここにつながっていた。だから、このドアもちゃんと、トキワの森につながってるはずなんだ。そうだ。そうに、違いない。

(早く、行かなきゃ)

ぼくはドアを開けると、一気に外へ出た。

 

「……………………」

でも、ぼくの思いは、あっけなく裏切られてしまった。

(そんなあ……ここ、タマムシシティのデパートじゃないか……)

ぼくがゲートを開けた先に出たのは、ぼくの住んでいるマサラタウンから遠く遠く離れた、タマムシシティのデパートだった。前に何度か来たことがあるから、すぐに分かった。

ああ、ぼくはもうどうすればいいのかさっぱり分からない。確かにトキワの森につながるドアを開けたはずなのに、ぼくが今いるのはタマムシシティのデパートだ。何から何まで、滅茶苦茶だ。

(ああ、やっぱり、どこかヘンになっちゃったんだ。ぼくの知らない間に、滅茶苦茶になっちゃったんだ)

ぼくは泣きたい気分だった。周りを見回してみても、知っている人は誰もいない。皆、見知らぬ人ばっかりだ。

と、ぼくがふと隣を見てみると。

「……………………」

「……………………」

ぼくと同じぐらいの男の子が一人、釣竿を持って立っていた。デパートの中で、釣竿を持って立っていた。

その光景が、ぼくにはすごくおかしな光景に見えた。だからぼくは知らない間に、その男の子に声を掛けていた。

「ねえ、何でそんなことしてるの?」

「見りゃ分かるだろ。釣りをしてるんだ」

「でも、ここデパートだよ」

「いいんだよ。此処じゃないとできないから」

男の子はそう言って、また釣りをし始めた。

「あっ!」

「……?」

「かかったみたいだな」

そう言うや否や、男の子は釣竿を上げた。すると、そこには。

「な、なにこれ……」

「何って、ミュウだよ。伝説のポケモンの」

「で、でも……」

男の子の指さす先には、メノクラゲが引っかかっていた。どう見ても、メノクラゲだった。

「それ、メノクラゲじゃないの?」

「いいんだよ。後で見た目を元に戻すから」

「……………………」

そう言うと男の子はモンスターボールを取り出して、あっという間にメノクラゲを捕まえてしまった。周りの人は、それに別に何も気にする様子は無い。ぼくだけが、その光景をおかしいと思っている。

ぼくだけが、何かが違う。

「ねえ……」

ぼくはもう一度話しかけようとしたけど、男の子は振り向かなかった。

「ねえったら」

ぼくはその子の肩に手を置こうとした。

(するり)

「うわあっ?!」

ぼくの手は男の子をすり抜けて、ぼくはそのまま前に大きく転んでしまった。ぼくは驚いて、後ろを振り返った。

(どうして……さっきまで、ちゃんと話ができてたのに)

ぼくの後ろには、相変わらず、釣竿を持った男の子が立っている。でも、ぼくが手を伸ばしても、そこにはまるで誰もいないみたいに、虚しく空を切るばかりだ。ぼくがどんなに声を上げても、手を振っても、男の子はもうぼくのことに気付いてないみたいだった。

(ヘンだ……やっぱり、どこかヘンだ)

何かがおかしくなっちゃったんだ。ぼくがさっきまでいた世界と、今ぼくのいる世界は、何かが全然違っている。ここは、ぼくの知っている世界じゃないんだ。

(誰か、誰かぼくと話せる人を見つけなきゃ)

そうだ。ぼくと話せる人を見つけて、この世界はどんな世界なのか聞かなきゃ。それで、どうすればぼくのいた世界に戻れるのか、それを突き止めなきゃ。

(……店員さんなら、ちょっとは分かるかも知れない)

ぼくはそう思って、カウンターの中に立って店番をしている店員さんに話しかけた。

「あの……」

「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」

「違うんです。ぼく、ちょっと聞きたいことが……」

「ごゆっくりご覧になってください」

だめだった。会話が成立しなかった。ぼくはため息を吐きながら、店員さんが差し出したリストを見てみた。

 

・グリーン     -2147483648円

・?????    -2147483648円

・ざんねんながら  -128円

・ニックネームは? -2147483648円

・ひんやりバッヂ  -2147483648円

・かいがらバッヂ  -2147483648円

・グレーバッジ   -2147483648円

・グリーンバッジ  -2147483648円

・わざマシン55   -32768円

・ちか4かい    -32768円

・プチマスター   -128円

・キャプテン    -32767円

・シルバー     -2147483648円

 

「……………………!」

ぼくはリストを見て、何か見てはいけないものを見てしまったような気がした。夢の中に迷い込んで、おぞましいものを見た後のような気分になった。体が、ものすごく寒くなった。

(ここから……離れなきゃ……!)

ぼくは無我夢中で、その場から離れた。階段を一気に駆け下りて、外に飛び出したかった。

(多分ここは五階だから、とにかく下に降りなきゃ)

ぼくは階段を駆け下りて、四階に出た。

……四階に、出たはずだった。五階から一つ下に降りれば、四階に出るはずだ。

なのに、ぼくがいたのは。

「さ、さっきと同じ場所だ……!」

……タマムシデパートの、五階だった。五階から一つ下に降りたはずなのに、そこはタマムシデパートの五階だったのだ。四階に出るはずが、ぼくは五階に出てしまったのだ。

(見間違えかも知れない)

そうだ。見間違えに違いない。きっとぼくはもっと上の階にいて、それで一つ下に降りて、五階に出てきちゃったんだ。だから、もう一回階段を下りれば、今度はちゃんと四階に出られるはずだ。

(急がなきゃ)

ぼくはもう一度、階段を下りた。

 

「……………………」

ぼくはそうやって、五回ぐらい階段を下りてみたけど。

「やっぱり……五階だ……」

なんど階段を下りてみても、そこはタマムシデパートの五階だった。階段を下りても、階段を昇っても、ずっとずっとタマムシデパートの五階が続いている。ぼくの上と下に、ずっとずっとタマムシデパートの五階が続いているのだ。

(ああ、ぼくは頭がおかしくなっちゃったんだ)

階段を下りても、階段を昇っても、そこはタマムシデパートの五階だ。ぼくは、「タマムシデパートの五階」という場所に、閉じ込められちゃたんだ。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

ぼくは、一体どうなっちゃうんだろう。

「ああ、誰か。誰かぼくを助けて!」

ぼくはそう叫びながら、周りを見回してみた。

すると、どうだろう……

「!!!!!!!!!!!!!」

そこには、

 

ぼくが、たくさんいたのだ。

 

ぼくじゃない「ぼく」がカウンターの中にいて、ぼくじゃない「ぼく」が商品を眺めていて、ぼくじゃない「ぼく」がポスターを見ていて、ぼくじゃない「ぼく」がエレベータの順番待ちをしていて、ぼくじゃない「ぼく」が釣竿を持っていて、ぼくじゃない「ぼく」が階段の前に立っている。ぼくじゃないぼくが、たくさんいたのだ。

ぼくは何から何まで訳が分からなくなって、思わず、近くにいたぼくじゃない「ぼく」に、叫ぶように言った。

「君は誰なんだ! ぼくはぼくだぞ! 誰なんだ!」

すると、ぼくじゃない「ぼく」は振り向いて、こう言った。

「……ガサゴソ……なかは ゴミ ばっかり!」

「だから、君は誰なんだ!」

「……ガサゴソ……なかは ゴミ ばっかり!」

「だから、君は……!」

「……ガサゴソ……なかは ゴミ ばっかり!」

「……………………」

そうだ。ぼくの言葉が分かる人は、誰もいなかったんだ……みんな、どこかヘンになっちゃったんだ。ぼくももうすぐ、どこかヘンになっちゃうんだ。

……ぼくも、ヘンになる……

……ぼくも、ここにいる「ぼく」みたいに、ヘンに……

「いやだ! ぼくはヘンになんかならないぞ! ぼくは普通なんだ!! ぼくはヘンになんかならないんだ!」

ぼくはそう叫んで、今度はエレベータに向かって走った。エレベータの前に立っている人を押しのけようとしたら、最初から触れられなかった。

ぼくは無我夢中でエレベータに乗り込んで、ボタンを全部押してドアを閉めた。

「ぼくは帰るぞ! 絶対に、ぼくのいた場所に帰ってやるんだからな!」

ぼくはエレベータの中で、ずっとそう叫んでいた。

エレベータはぐんぐん下に降りて、しばらくすると止まった。

(ピンポーン)

その音と同時に、エレベータが開いた。

ぼくはそれと同時に、一気に外へ飛び出した。もう、どこにつながっていてもいいから、せめてここから出たかった。タマムシデパートの五階から出られれば、ぼくはきっと家に帰れるはずだと思った。

ぼくは目をつぶったまま、思いっきり外へ飛び出した。

 

「……どうして……」

ぼくは思わず、そうつぶやいた。

「……どうして、タマムシデパートの五階から、ずっと出られないんだ……」

ぼくは周りを見回してみた。そこには相変わらず、たくさんの「ぼく」がいた。さっきと変わらない、タマムシデパートの五階だ。たくさんのぼくじゃない「ぼく」がいて、さっきとまったく同じことをずっとずっと繰り返している。ぼくだけが、ここから出ようと走り回っている。

ぼくだけが、周りと何か違っている。

ぼくだけが、ここから出たがっている。

「……いやだ! ぼくはここから出てやるんだ! ここから出て、家に帰るんだ!」

ぼくは大声で叫んで、ここからなんとかして出なきゃと思った。ここから出られなかったら、ぼくはこんなヘンなところでずっといなきゃいけないことになる。それで、ぼくはこんなヘンなところで死んじゃうんだ。誰にも気付かれないまま、こんなところで死んじゃうんだ。

(いやだ! そんなの絶対にいやだ! ぼくはこんなところでなんか、死にたくない!)

お母さん! お父さん! ぼくをここから出して! 何でも言うことを聞くから、ここから出して! 誰か、ぼくを助けて!

「ぼくをここから出して! お願いだから、ここから出る方法を教えて!」

ぼくは周りにいたたくさんのぼくじゃない「ぼく」に、大声で叫んで回った。喉が潰れそうになるまで、みんなに叫んで回った。ほとんどの人は、ぼくに気付いてもいないみたいだったけど、

「……………………」

ようやく、その中の一人が、ぼくの方を向いた。

(やったぞ! こっちを向いた!)

しめた! この「ぼく」は、ぼくと話ができるのかもしれない。

「そこの君、ぼくにここから出る方法を教えて!」

「……はんてい ちゅう……」

「判定なんてしなくていいから、ここから出る方法を教えて!」

「……………………」

その「ぼく」は最初に「判定中」と言ったきり、そのまま何も言わなくなった。よく見ると、動きもぴたっと止まっている。息もしてないみたいだ。まるで、石にでもなっちゃったみたいだ。

それでもぼくは、必死に叫び続けた。

「ねえ! 黙ってないで何か言ってよ! ぼくはここから出たいんだ! 出方を教えてよ!」

「……………………」

「ねえったら!」

「0000: 6c707041 74616369 206e6f69 676e6148」

「0010: 69572020 67756d6e 645f6e65 67756265」

「0020: 6578652e 302e3020 302e302e 206e6920」

「0030: 676e7568 20707061 2e302e30 20302e30」

「0040: 6f207461 65736666 30302074 30303030」

「エラー しゅべつ:インデックスの はんいが あたいを こえています(pokedic[152] の さんしょう エラー です)」

最後にそう言ったきり、目の前の「ぼく」は本当に、それしか言わなくなった。言っているのは言葉かどうかも分からない、そんな内容だった。ぼくはもう、肩を落すしかなかった。

「エラー しゅべつ:インデックスの はんいが あたいを こえています(pokedic[152] の さんしょう エラー です)」

「……………………」

ぼくは途方に暮れて、とぼとぼと歩き出した。もう、どうすればいいのか分からなかった。誰にも頼れないし、かと言って、ぼくがここから出る方法も無いのだ。ぼくは一生、ここにいなきゃいけないんだ。

「いやだ! いやだいやだいやだ! ぼくは絶対に出てやるんだぞ! 元の世界に帰るんだ!」

ぼくはまたそう叫んで、無茶苦茶に走った。そのまま壁にぶつかりそうだったけど、もうどうなってもよかったから、ぼくは壁に体当たりすることにした。そうすれば、壁が壊れて、ぼくは外へ出られるかもしれない。

ぼくは壁目掛けて、肩から体当たりした。

すると……

 

(するり)

「???!!!」

ぼくの体は、壁の中にすっぽりと入ってしまったのだ。ぼくは壁の中から、さっきまでいたタマムシデパートの五階を見ている。ぼくの周りは真っ暗だけど、自由に動ける。

ぼくは、壁の中に入って、その中を動けるようになってしまったのだ。

そうなってみて初めて、ぼくの頭にこんな名案が浮かんだ。

(ひょっとしたら、このままずっと走り続ければ、もっと別の場所に出られるかもしれない!)

少なくとも、ぼくはタマムシデパートの五階からは出られたのだ。だったら、このまま壁の中を走り続ければ、もっと別の場所へ行けるかも知れない。ぼくは真っ暗な壁の中を、どんどん走っていった。

すると、突然。

「うわぁっ?!」

どこかに落ちるような感覚がして、ぼくは下へと落ちていった。

 

「……あれ?」

気がつくと、ぼくは自分の部屋のベッドで眠っていた。

周りは真っ暗で、すっかり夜になってしまったみたいだった。ぼくは汗びっしょりで、ベッドの上で横になっていた。

「ああ、よかった。今までのは全部、悪い夢だったんだ」

そうだ。あんなヘンなことが、あっていいわけがない。ぼくはきっとすごく疲れていて、気持ちの悪い夢を見たんだ。まったく、こんなことがあるものなんだなあ。

「それにしても、こんなに汗をかいちゃったから、なんだか喉が渇いたなあ。ちょっと、お水でも飲んでこよう」

ぼくはそう思って、ベッドから降りた。

 

「?!」

 

 

すると、ぼくの足元には、何もない真っ暗闇がどこまでも広がっていて、ぼくはその真っ暗闇の中に、吸い込まれるようにして、どこまでもどこまでも、落ちていってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

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※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。