――幸せに、決まったカタチは無いと思う。
「さぁ、どうする気? もうアンタに逃げ場はないわよ。おとなしく降伏したら?」
袋小路にネズミが一匹……ああ、どちらかというとニャースが一匹。どこかで聞いたけど、確か光り物が好きなんだっけ? それが理由ね。こいつがあたし達にちょっかいを出してきたのは。
「も、元よりそのつもりですっ! おっ、お願いですから許してくださいっ!」
「ふーん。なかなか素直じゃない。まあ、許してあげてもいいわ。あたしはこう見えても寛大な性格だから」
「そ、そうですか! それでは……」
「ただし……」
「ただ、し……?」
「……アンタをいっぺん叩きのめしてから!!」
「ひいいぃぃいいっ?!」
タダより高いものは無し。こいつにはこれを叩き込んであげなきゃね。右手と左手それぞれに、あたしは自慢の「武器」を構える。
「じゃ、覚悟してね♪」
「ま、待って! 話せば分か……!」
「……せーのっ!」
なら、最初から言葉でどうにかすべきだったわね。お馬鹿さん。
「ひとつ! ふたつ! みっつ! おまけっ! 埋まっときなさいっ!!」
掛け声のたびに上がる爆炎・轟く爆音・揺れる大地。それが五回続いた後に、あたしは音も無く地面に着地して、朦々と煙の立ち込める爆心を眺める。
煙が晴れると、そこには。
「……ぎゃふん」
「分かったでしょ? これに懲りたら、二度と人のモノを盗ろうなんて考えるんじゃないわよ」
馬鹿でかいクレーターの中心で目を回すニャースを尻目に、あたしはあいつが盗もうとした「大切なもの」を拾いに向かう。あいつが投降する間際に投げ捨てたのを、あたしは見逃さなかった。
「あったあった。まったく、手間掛けさせてくれるんだから」
草むらに落ちていた、ツヤのあるタマゴのような形の石。さっと拾い上げて、くっついてきた土を丁寧に払ってあげる。盗られたのは許せないけど、これを狙うのは分かる気がするわね。
「サチおねいちゃん! あたちの石、みつかりまちたか?」
石を拾い上げてからそんなに間を空けずに、物陰から妹のアイちゃんがよちよち歩いてくる。その懐は、いつもより少し寂しい。それはもちろん、本来そこに収まるべきものが収まっていないから。
「大丈夫大丈夫。ちゃーんと見つかったわよ、ほら」
「それでち! あたちの大事な『まんまるいし』!」
「もう盗られたりしちゃダメよ。ま、盗られてもあたしが取り返してあげるけどね」
大事な「まんまるいし」を見て、ピョンピョン飛び跳ねるアイちゃん。そのポケットに、そっと「まんまるいし」を入れてあげる。アイちゃんはようやく安心して、頬をにま~っと綻ばせた。この顔を見ると、あたしは幸せを感じずにはいられない。
「ありがとうでち! サチおねいちゃんはやっぱりすごいのでち!」
「どうってこと無いわよ。今日もあたしの必殺技が決まっただけだから」
「あたちも見たかったでち! サチおねいちゃんの『タマゴばくだん』!」
「ふっふーん。どんな悪いやつも、これに掛かればイチコロよ!」
ポケットからタマゴを取り出して、あたしは得意げに掲げて見せる。悪いヤツをやっつけて、あたしたちの「幸せ」を守る――大切な物だ。
「まーた派手にやったみたいね。私に似て、おしとやかな子に育つと思ってたんだけど」
「お母さんがおしとやかだなんて、悪い冗談でしょ。あたしは間違いなくお母さん似よ」
家に帰ると、お母さんがいつものようにタマゴ料理を作って待っていた。アイちゃんを一段高い木の切り株に座らせてから、あたしとお母さんも食卓につく。ほっとする幸せな瞬間だ。
「今月はこれで五回ね。最近変なのがうろついてるから、気が休まらないわ」
「この里で爆弾片手に悪い子を追い払ってるのなんて、サッちゃんくらいだものね」
人里離れた山奥にあるラッキーばかりが住んでいる里、それがここ。あたしは里に入り込もうとする悪いヤツを追い払う警備員のような仕事をしてる。他にそんなことをするラッキーはいなかったから、あたしが一人でやっているようなものだけど。
「頼りにしてるけど、無理はしちゃダメよ」
「無理なんかしてないわよ。あたしはこれが性に合ってるんだから」
「昔からケンカが強かったものね、サッちゃんは。男の子顔負けね」
お母さんは少し白くなり始めた巻き毛をちょいちょいと弄ってから、あたしとアイちゃんのお皿にできたて熱々のスクランブルエッグを盛っていく。
「そうでち! サチおねいちゃんは泣く子も黙る地獄の処刑天使なのでち!」
「まあまあアイちゃん、どこでそんなに難しい言葉を覚えたの? えらいわね」
「えぇっ?! 『地獄の処刑天使』には突っ込まないわけ?!」
ここに住んでるのはラッキーだけじゃない。お母さんのようなハピナスに、アイちゃんのようなピンプクも住んでいる。アイちゃんはこの間生まれたばかりのあたしの妹だ。最近は歩けるようになったおかげで、どこへ行くにも一緒にくっついてくる。
「まあ、私はサッちゃんが幸せなら、それでいいんだけどね」
「幸せに決まってるじゃない。悪いヤツを爆弾で遠慮なくぶっ飛ばして、それでみんなに喜ばれるんだったら、なんにも言うことなしよ」
マグカップのタマゴスープをすすりながら、あたしがポケットのタマゴを撫でる。悪いヤツはいつでもぶっ飛ばせる状態。臨戦態勢とはこのことね、と我ながら思う。
「そうそう。町内会の寄り合いで聞いたんだけど、ユキちゃんとコウちゃんが帰ってくるそうよ」
「えっ、本当に?! いつ、いつなの?!」
「多分、もう帰ってきてるんじゃないかしら。今日には里に戻るって言ってたから」
ユキちゃんとコウちゃんはあたしの親友だ。ユキちゃんは山をひとつ越えた先にあるプクリンの里に嫁いでいて、コウちゃんは山を降りた先にある人里で「ラッキー看護学校」に進学した。そのユキちゃんとコウちゃんが、久々にこの里に帰ってくるらしい。
「久しぶりね、ユキちゃんもコウちゃんも。二年ぶりくらいかしら?」
「もうそんなになるのね。どっちも元気にしてるといいなぁ……」
「こっちに帰ってくるくらいだから、元気なはずよ。明日にでも会いに行ってらっしゃい」
「言われなくたって」
どんぶり鉢いっぱいのタマゴかけご飯を掻き込みながら、あたしはユキちゃんとコウちゃんの顔を順繰りに思い浮かべた。
「やはー☆ さっちん久しぶりっ」
「さちちゃん、元気そうだね。よかったよかった!」
「お互い様ね、ユキちゃんにコウちゃん」
翌日。里の一角にある広場で、文字通り里帰りしたユキちゃんとコウちゃんと待ち合わせる。二人とも最後に別れたときからほとんど変わった様子が無い。あえて言うなら、どちらもちょっとだけ丸くなったような気がするくらいだ。
「二人ともさ、なんかちょっと丸くなってない?」
「ありゃ、分かっちゃう? さっちんの目はごまかせませんネ☆」
「さすがだね。さちちゃんの言うとおりだよ」
ラッキーは幸せを感じると、体に丸みを帯びてくる、なんて言われてたりする。二人の体つきを見ると、ふわふわ感が二割増しくらいになっている気がする。ユキちゃんとコウちゃんの言い口からして、丸くなっているのは自覚してるみたいだった。
「二人とも、何かいいことあったわけ? せっかくだから、あたしにも教えてよ」
「そうですネー。んじゃ、ユキちゃんの方から話しちゃいマスっ!」
「いいわね。聞かせて聞かせて」
先陣を切ったのはユキちゃん。確か、山の向こうのプクリンの里に嫁いだんだっけ。向こうで何があったのか、ちょうど聞いてみたかったところだった。
「一ヶ月くらい前なんだけど……」
前置きしてから、ポケットからタマゴを取り出しつつしれっと一言。
「ユキちゃん、お母さんになっちゃいました☆」
「えぇっ?! ユキちゃん、子供生まれたの?!」
がたっ。あたしは思い切り前に身を乗り出して、ユキちゃんの顔を覗き込んだ。得意満面のユキちゃんの顔が、視界に目いっぱい広がる。
「そうだよ。わたしもびっくりしちゃった。ユキちゃん、赤ちゃんのタマゴを産んだんだって」
「ユキちゃんがお母さんに……それで、男の子? 女の子? お母さん似? お父さん似?」
「えっへん! ユキちゃん似の可愛い女の子でござる! 今日はダーリンが面倒を見てくれてるけど、次にこっちに来るときは顔を見せてあげられると思いますヨ☆」
ユキちゃんそっくりの女の子、ということは、アイちゃんのようなピンプクが生まれたに違いない。
「ユキちゃん、すごいじゃない。大変じゃなかった?」
「いやいや。これがね、朝起きたらいつもよりちょーっとタマゴが大きい気がしたから、おや~? と思ってポケットから出して置いといたら……あらあらびっくり天使の誕生、ってワケでございっ!」
「え? そんなもんなの? なんか拍子抜けね」
「でも、安産が一番だよ。ユキちゃんは、一番いい形で赤ちゃんが生まれたみたいだからね」
ユキちゃんは目が覚めると、いつの間にか赤ちゃんのタマゴを授かっていた……らしい。今は看護師をしているコウちゃんの言葉が、ユキちゃんの幸運ぶりを物語っている。
「もうすぐポケットのスキマが広がるから、この間ダーリンと一緒に『まんまるいし』を探しにいってきやしたっ!」
「うんうん。子供のときにきれいな『まんまるいし』をあげると、その子が幸せになれるって言われてるからね」
「そういえば、お母さんもアイちゃんの『まんまるいし』をわざわざ隣の山まで探しにいってたっけ……」
ラッキーはピンプクが産まれると、その子の幸せを祈願してとっておきの「まんまるいし」をプレゼントする、という習慣がある。アイちゃんの「まんまるいし」も、お母さんが方々を探して見つけ出した貴重な一品だ。といっても、河原に落ちてたのを「目利き」で見抜いてさくっと拾ってきただけみたいだけど。
「ダーリンも子守唄を歌ってくれるし、ユキちゃんによく似て可愛いしで、もう何にも言うことないっす!」
「幸せそうね。ユキちゃん見てるだけで、こっちにまで伝わってくるみたいよ」
「お母さんが幸せいっぱいなら、赤ちゃんも一緒に幸せになれるね」
プクリンの旦那さんは、ユキちゃんの子供のために子守唄を歌ってあげているとか。プクリンの声でゆったりとした子守唄を聞かされたら、さぞ赤ちゃんは幸せなことだろう。ユキちゃんと旦那さん、それにユキちゃんの子供。ユキちゃんの家族は、いっぱいの幸せで包まれているみたいだった。ユキちゃんの輝いている姿が、それを如実に表している。
「ユキちゃんが幸せなのは分かったわ。じゃ、コウちゃんはどうなの?」
「わたし? わたしも幸せだよ。話してもいい?」
「そうね、聞かせてちょうだい」
翻って、隣のコウちゃんを見る。こっちもこっちで、今にも空へふわふわ飛んでいきそうなくらい幸せそうな顔だ。
「看護学校の実習で、隣町の病院まで行った時だったっけ……」
コウちゃんのような看護師を目指すラッキーは、就学中に必ず病院なんかの福祉施設で実習を受ける、らしい。お母さんの友達も同じだったとかどうとか聞いた。コウちゃんもまた例に漏れず、実地研修に出かけたってわけだ。
「そこで、ちょっと元気の無い男の子がいたんだよ」
「まあ、病院は元気のある人の来る場所じゃないしね」
「ふふっ、それもそうだね。あ、それでそれで、わたしがその男の子の面倒を見てあげることになったんだ」
昔から、コウちゃんは誰かに世話を焼いてあげるのが好きだった。それは大きくなってもずっと変わらなくて、めっきり志望者の減った看護師を目指すほどにまでなった。現在進行形で、コウちゃんの世話焼きは続いている。ラッキーだけじゃなくて、人間相手にまで対象を広げながら。
「それで、少し食欲が無いみたいだったから、どうしよう? って考えて……」
さっきユキちゃんがしたのと同じようなしぐさでもって、コウちゃんがタマゴをポケットから取り出す。
「もしかして……コウちゃんのタマゴを?」
「そう! わたしのタマゴを使って、おいしいものを作ってあげることにしたんだよ」
ラッキー、それからハピナスのタマゴは、食欲の無い人でもぺろりと平らげてしまうくらいおいしい、らしい。あたしは産まれてこの方ずっとお母さんのタマゴを食べ続けてきたから、それがびっくりするほどおいしい、と感じたことはなかったりする。そう考えると、コウちゃんが面倒を見ていたという男の子が少しうらやましい。驚きはいつだって、ギャップから生まれるものだから。
「そうしたら、その子いっぺんに元気になっちゃって……体の具合もよくなって、すごく喜んでくれたんだよ~」
「うむうむ。やっぱり元気がないときはおいしいものを食べるのが一番ですよネ☆ ダーリンもよく食べてくれるから分かる分かる」
「なるほどね、コウちゃんやるじゃない」
コウちゃんはまた、持ち前の世話焼き精神で誰かを助けたみたいだった。心からうれしそうなユキちゃんの表情が、言わずともすべてを物語っている。体が丸くなるのも、納得のいく話だ。
「それで、他にも入院してる子供がたくさんいて、その子達にもタマゴを分けてあげたんだよ」
「大忙しね。でも、みんな喜んでくれたんじゃないの?」
「うん! みんな悪いところがよくなったって、大喜びだったよ~」
「さすがはコウちゃん! 悪いところにクリティカルヒット! お得意のコウちゃんパンチ炸裂ってやつですネ☆」
「えへへっ。それで、実習が終わった後に院長先生からぜひここで働いてほしいってお願いされて、今はその病院で働かせてもらってるよ」
両手を合わせながら、コウちゃんが微笑む。なんだろう、顔から輝きが溢れてるというか……さっきのユキちゃんと同じように、輝いて見える。
ユキちゃんもコウちゃんも幸せなんだろうなあ、間違いなく。
「なんだか二人とも、これ以上ないくらい幸せそうね」
「うん。お仕事は大変だけど、わたしは今すごく幸せだよ」
「同じくー! 時々夜泣きしたりして困っちゃうけど、それでも幸せっす!」
二人の顔を代わる代わる見つめる。タマゴから子供が産まれたユキちゃんに、タマゴで子供を元気にしてみせたコウちゃん。二人のタマゴには、間違いなく「幸せ」が詰まっている。誰が見たってそう思う。
……じゃあ、あたしはどうなんだろう?
(あたしは……)
あたしのタマゴ。それには、幸せが詰まっているんだろうか? 子供が産まれてくるわけでもなくて、食べてもらって誰かを元気にするわけでもない。
その使い道は――悪いヤツを追い払うためにぶん投げる「タマゴばくだん」として、だ。
(なんか……あたし、間違ってる?)
二人とは、明らかに毛色が違う。ラッキーらしいカタチじゃない。子供を授かるわけでも、誰かを癒すわけでもない。あたしのタマゴは、何かが間違ってるんじゃないか。そんな疑問が、もそもそと首をもたげてくる。
「さっちんは相変わらず、ここの警備員をしてくれてるんだっけ?」
「――え? あ……そ、そうよ。今月も五回もヘンなのが来て、大変だったわ」
「大変だね~。さちちゃん、大丈夫? 無理してない?」
「……うん、平気よ。あたしは、これが仕事だから……」
――二人は、そのあとも話を続けたけど……
(幸せって……なんだっけ?)
我が心、此処に在らず。ユキちゃんとコウちゃんとは別の意味で、あたしはふわふわしていた。
「はぁ……」
「どうしたの? 似合わないため息なんかついちゃって」
「なによ、どうせあたしはため息なんて似合わないがさつな女の子ですよーだ」
家に帰って一人悶々としていると、洗濯物を干し終えたお母さんがあたしに声をかけてきた。あたしはテーブルに突っ伏したまま、投げやりな返事をするだけ。お母さんはゆるゆると歩いてきて、あたしの隣に腰掛けた。
「コウちゃんとユキちゃんに会ってきたんでしょ? 何かあったの?」
「別に……ただ、二人とも幸せそうだなーって思っただけ」
「コウちゃんは看護師さんで、ユキちゃんはお嫁さんになったのよね。子供もできたんだっけ? 二人とも幸せみたいで、何よりじゃない」
「それは、そうだけど……」
そう、二人は幸せだ。それは何も悪くない。悪くないはずなのに……もやもやした感覚があたしの心の中に勝手に居場所を作って、中からちくちくと突付いてくる。この気持ちをどう処理すればいいのか、分からなかった。
「二人を見てたら、あたし……爆弾抱えて、悪いやつを追っ払って……それでいいの? って思っちゃって……」
「なるほどね。サッちゃんの気持ち、なんとなく分かるわ」
お母さんは氷室のドアをギイ、と開いて、中から木の実ジュースを二つ取り出した。あたしの前に苦い木の実をベースに作ったジュースを置いて、自分の前には薄荷の実をベースに作ったジュースを置く。お母さんがあたしとサシで話をしたいときの、決まったカタチだった。
「薄荷の実のジュースって、お母さん相変わらず子供っぽいわね」
「お母さんはこれが好きだから。これを飲んでると、幸せになれるの」
一口ジュースをすすってから、お母さんが軽く口を拭う。
「ユキちゃんに子供ができて、コウちゃんは仕事に勤しんでる……そういう話を聞いてきたのね?」
「まあ、そういうことね」
「それで、幸せそうな二人を見て、サッちゃんがもやもやしてる……どう? お母さんの予想、当たってるでしょ?」
「それ、さっきあたしが話した内容まんまじゃない」
「あら、そうだったかしら?」
とぼけた顔をするお母さん。この調子のよさが、あたしにも遺伝してればよかったのに。
「そうね。じゃあ、少し整理してみましょ」
「整理?」
「そう。サッちゃんがどうしてもやもやしてるのか、それはどうすれば晴れるのか、ということね」
少し顔を上げて、お母さんの目を見つめる。
「ところで、サッちゃん。『幸せ』って、なんだと思う?」
「『幸せ』? それは……あれよ。嬉しかったり、楽しかったりすること。違う?」
「そうよ。『幸せ』は、楽しいこと、嬉しいこと、優しい気持ちになれること。それは、お母さんもサッちゃんも同じね」
「同じ、って……『幸せ』って、元々そういう意味だと思うけど」
お母さんの問いの意図が分からない。「幸せ」っていうのは、自分が嬉しかったり楽しかったりすること。それ以外に何があるんだろうか。お母さんとの会話は、輪郭をつかむのが大変。
「もう一つ訊くわね。サッちゃんは、今『幸せ』かしら?」
「今? ……そうじゃないから、お母さんと話をしてるんじゃない」
「じゃあ、それはどうして?」
「どうして? だって……コウちゃんは看護師で人やポケモンを助ける仕事をしてるし、ユキちゃんは旦那さんがいて子供もできたし……」
「そうね。それで?」
「……どっちも、『ラッキーらしい幸せ』だな、って思ったの。誰かを助けたり、旦那さんと一緒に子育てしたり」
もやもやが、少し形を成してきた気がする。どうしようもなくつかみようのない霧のような状態から、どろどろとした液体のような形に。いいのか悪いのかは分からないけど、見えてきたのは確かだ。
「今のがサッちゃんのもやもやね。『ラッキーらしい幸せ』。それが引っかかってるんでしょう?」
「……まあ、多分ね」
「そういうことね。やっぱり、お母さんの見立ては正しかったわね」
微笑むお母さんに、あたしは無言で応じる。
「『らしさ』っていうのは手強いわよね。なんといっても、形がないから」
「だけど、はっきりとそこにある気がするわ。目には見えないけど」
「そう、だから手強いのよ。『ラッキーらしい幸せ』って、いかにも答えがありそうに見えるもの」
お母さんが、もう一口ジュースを飲んで喉を潤す。
「ところで、サッちゃんはどうして苦い木の実のジュースが好きなの?」
「え?」
お母さんが唐突に話題を変えた。よくあることだけど、未だにすぐには反応できない。
「どうしてって……もちろん、あたしが好きだからよ」
「でも、お母さんの薄荷の実のジュースのほうがおいしいわよ?」
「お母さんはそうかも知れないけど、あたしはこっちの方が好きなの」
「それっておかしくない?」
「どこがおかしいのよ。だったら、お母さんはどうして薄荷の実のジュースを飲むわけ?」
「それはもちろん、好きだからよ。このジュースを飲むと、幸せな気持ちになれるもの。だから、サッちゃんも薄荷の実のジュースを飲んだほうがいいわ」
「お断り。あたしは苦い木の実のジュースのほうが――あっ」
――ふと、あたしの手が止まる。
「お母さん、まさか……」
「ええ、そうよ。少し例え話をしようと思ったの。『幸せ』って何か、ってことをね」
白みがかってきた巻き毛を直してから、お母さんが話し始める。
「『幸せ』には、決まったカタチはないの。何が幸せで、何が不幸かは、自分で決めるもの」
「自分で……?」
「そう。お母さんは薄荷の実のジュースを飲むと幸せになれるけど、サッちゃんは違うでしょ?」
「……」
「幸せは、誰かに決めてもらうものじゃないの。サッちゃんが幸せかどうかは、サッちゃんが決めるものよ」
お母さんの言葉が、耳の中にすっと入り込んでいく。
「コウちゃんやユキちゃんは、もちろん幸せよ。旦那さんや子供さんがいたり、お仕事が充実してたり」
「うん……それは、あたしも思う」
「そうね。けれども、子供を育てたり、病気や怪我をした人を助けたりするだけが、幸せのカタチじゃないはずよ」
「……え?」
「今のサッちゃんにも、『幸せ』だって思う瞬間があるんじゃないかしら?」
幸せ、と思える瞬間……
(……そうだ)
……あるじゃないか、あたしにも。
「ある……あるわ! 昨日だけど、アイちゃんのまんまるいしを取り返して、それで……!」
「それで?」
「それで……アイちゃんがすごく嬉しそうにしてくれて、その顔を見たときに、あたし……!」
「幸せ、って思った?」
「それだけじゃない! 帰ってきて、お母さんがご飯を作って待っててくれて、揃って一緒にご飯を食べたときも……!」
「それもサッちゃんの『幸せ』なのね。なら、サッちゃんは今、確かな『幸せ』を感じられる場所にいるはずよ」
お母さんが手を伸ばして、あたしの頭にポンと乗せる。
「幸せは教えてもらうものじゃなくて、決めるもの。押し付けられるものじゃなくて、湧き上がってくるもの」
「あたしの幸せ……」
「サッちゃんが幸せを感じるものって、何かしら?」
「……悪いヤツを懲らしめて、みんなを守ること。それで、みんなを笑顔にすること……」
「満点よ、サッちゃん。サッちゃんにとってそれが一番幸せなら、何も言うことはないわ」
頭に載せた手で、お母さんがあたしを撫でる。
「お母さん、あたし……なんだか分かった気がする」
「せっかくだから、聞かせてみてちょうだい」
気がつくと、あたしはお母さんに抱かれる形になっていた。目を閉じて身を委ねると、お母さんのぬくもりがいっぱいに広がっていく。
「ユキちゃんのタマゴには、旦那さんと一緒に子供を育てる幸せが」
「ええ」
「コウちゃんのタマゴには、患者さんを癒す幸せが」
「うんうん」
「……あたしのタマゴには、里のみんなを守る幸せが……別々に、詰まってる」
「そうね。そういうことよ」
ユキちゃんにはユキちゃんの幸せが、コウちゃんにはコウちゃんの幸せが、あたしにはあたしの幸せがある。幸せにカタチはない。同じタマゴの中にも、まったくカタチの違う幸せが詰まっている。
「こんな簡単なこと、どうして気づかなかったんだろ……」
「それはもちろん、簡単じゃないからよ。幸せにはカタチがないから、時々確かめてあげなきゃいけないの。自分にとって何が幸せか、ということをね」
「今のことは、あたしが幸せを確かめなおしたってこと?」
「そう。コウちゃんやユキちゃんに会って、ぽっと出てきたカタチのない『ラッキーらしい幸せ』に流されかけたのを、元に戻したの」
「そっか……そういうことなのね」
お母さんの胸の中で、あたしが小さく頷く。
「大丈夫? サッちゃん」
「……うん。あたし、もう迷わない」
「いいわ。サッちゃんの『幸せ』を、大事にしてあげてね」
ラッキーは幸せな環境にいないと、タマゴが生まれないと言われている。子供のタマゴも、食べるタマゴも、「タマゴばくだん」も、みんなそうだ。幸せな環境にいて初めて、ラッキーはタマゴを生むことができる。
……そうだ。あたしも「幸せ」だったんだ。
(あたしのポケットには、幸せの詰まったタマゴがある……)
ポケットの中のタマゴを、そっと撫でてあげる。
そのタマゴには――あたしの「幸せ」が、いっぱいに詰まっている。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。