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或る管理者の嘆き

「……はぁ。またこんなに『逃がし』依頼来とるやんけ……」

その青年はぼそりとつぶやき、キーボードをカタカタとたたき始めた。その表情は、曇っている。

「最近、同じポケモンをどさーっと一杯捕まえて、一匹だけ残して後は逃がす、ってパターンの人、ごっつう増えた気ぃするわ……」

青年はぼやきながらも、要求された処理を淡々とこなしていく。

「はぁ……しかしあれやなぁ。皆同じようにどさーっと一杯捕まえて、皆同じようにどさーっと一気に逃がすから、ほら、こいつなんかもう三十五回目や。他のヤツが逃がしたのんを捕まえたりしとる」

画面に映し出された情報を横目に、青年はキーボードを叩く手を止めない。手を止めれば、また大量の処理が溜まっていくのが目に見えているからだ。ちなみに、彼はもう六時間ほどずっと仕事を続けている。

「なんや、なんでこないに同じポケモンばっかり大量に捕まえて、そんでもってほとんど逃がしてまうんやろなぁ。単にサーバーに負担かけたいだけと違うんか。どないなんやそこ」

青年はぼそぼそぼそぼそ呟きながらも、画面に次々と表示されていく彼の「仕事」を捌いていく。その手つきは手馴れたものというより、もはや彼の中の一部と化したかのような動きだった。

「で、ニックネームの付け方もすごいんやわ、これが。まず『いち』『に』『さん』とか。これはまあええわ。後で見るときに役立つさかいな。わいが気になるんわ『ああああ』とか『いいいい』とか付けてるヤツや。こんなん、絶対ニックネームなんかとちゃうで。名前の神様もきっと怒るわ」

青年の独り言は、彼が口を開くたびに長くなっていった。無理もない。彼は手の方は忙しい作業に追われながらも、口の方は暇で暇で仕方なかったからだ。

「わいが一番見てて怖いんは、やっぱりアンノーンだけ入れたボックスやな。あの一つ目の文字軍団がなんやわいを見てるような気がして、ぞっとするわ。前なんか夢にまで出てきよった。あれは怖かったなぁ」

彼はぼそぼそ呟きながらも、キーを叩く手はまったく止めていない。ちなみに、今この部屋――多数のコンピュータが互いに接続されあった、いわゆる「コンピュータ室」を思わせる部屋――にいるのは、当然のごとく彼一人だけだ。彼以外に人がいたなら、彼は遠慮無しにその彼以外の人間に話しかけたであろう。

彼の独り言は止まらない。

「あと、タマゴだけがずらーっと並んだボックス。これもぞっとするわー。中に一体何が入ってるかさっぱり検討もつかん。ありえへんけどや、夜中に急に中からポケモンが生まれてきて、わいに襲い掛かってきたらどないせーっちゅうねん」

ちなみに、パソコンの中ではポケモンの「生体時間」が止まっているので、彼の言うような現象は起きるはずがないということを付け加えておく。

しかし、そんな事はどうでもいいのだ。彼は単に、「パソコンの中にあるタマゴが突然孵って、それが自分に襲い掛かってくる」というB級ホラー(B級サスペンスでも可)的想像をして愉しんでいるに過ぎないのだ。

「でも、見てて楽しいボックスもあるで。ボックス一や。ボックス一は皆が最初の方で使うボックスやから、どこか初々しさが残っとる。レベルが八十とか九十のポケモンがおるボックス五とか六とかよりも、わいは初々しさの方がええな」

一般大衆にはそろそろ理解不能レベルに達しつつあるこの発言であるが、これが彼の正確かつ一番適切な心情の吐露である。そこのところは了承していただきたい。

彼が作業を続けていると、

(ピルルルルルル!)

不意に電話のベルと思しき音が鳴った。青年はここでようやくキーを叩く手を止め、机の上においてあった電話に手を伸ばす。音源はその電話のようだった。

「なんや。また切り替え忘れか。しゃあないやっちゃなぁ。ホンマ」

電話を取り、受話器の横に付いたボタンを押す。すると、こんな音声が流れた。

「ボックスがいっぱいなので、ポケモンをつかまえることができません」

いわゆる、「オーバーフロー警告」だった。

ポケモンを預けて管理しておけるポケモンボックスは、データ管理の都合上、一つのボックスに最大でも三十匹までしかポケモンを預けることしか出来ない。これにはファイルサイズの制限やディスク領域の問題、果てはファイルシステムの根源的制限などが絡んでいるのだが、ユーザーの方はそこまで知る必要はない。とりあえず、「一つのボックスには三十匹までしかポケモンを預けられない」とだけ覚えておけばよい。

「はぁ……頼むからちゃんと確認しといて欲しいわ。あれやで。わいに電話一本かけてくれたら、一秒で返答したるのにや。どっかのお母さんもびっくりの一秒返答や。わいの特技やで」

青年はそう呟きながら、作業を再開した。

「しっかしあれやなぁ。この人はすごいボックスの使い方しとるわ。いやもうこれはちょっと尊敬もんやで」

画面を見ながら、再び青年が独り言を始めた。

「ボックス一にはナンバー一から三十、二には三十一から六十……で、八番には二百十から二百四十や。こんな几帳面な人、初めて見たわー。驚きやなあ。ごっつう暇人とちゃうか」

さりげなくひどいことを言いながら、青年は作業を続行する。彼の様子を見る限り、作業はまだまだ終わりを見ないようだ。彼に課せられた作業量の多さを改めて感じずにはいられない。

青年はまたも、ぼそぼそと独り言を呟く。

「なんやこりゃ。名前はガーディやのに中身がゴルバットやったり、名前がミュウやのに中身がメノクラゲとかになっとる。このトレーナーよほどのひねくれ者やなぁ。わいやったらあれや。名前はウィンディやのに中身がガーディとか、名前がルギアやのに中身がエアームドとか、そういうのにとどめとくけどなあ。わいって謙虚やわ。ホンマ」

ちなみに言うまでもないが、そのひねくれもののトレーナーと青年の間には、そう大きな差はないことを付け加えておく。

「ん~? またけったいなボックスやなぁ」

青年がまた独り言を始めた。口の方はよほど暇らしい。

「このボックスに入ってるポケモン、皆他の人と交換したやつやんけ。なんや。これは一日中部屋ん中に引き篭もってだらだら作業してやなあかんわいに対するあてつけかいな。けっ。ええわええわ。わいにはどうせ変身ネタしかないやっ」

わけの分からないことでカッとなる青年。ある意味、現代社会における「キレやすい青年」を体現していると言えなくもないかも知れないが、言うまでもなく、それはただの勘違いである。

「でもあれやで。わいのお陰で、『人間もコンピュータで転送できる』っちゅう設定が出来たんや。こらめっちゃおいしい設定やと思うで。これ以上の設定はわいちょっと思い浮かばんわ。これ使うたらきっとすごいもん書けるで。間違いないわ」

青年はキーを叩く手を止めない。体の首から上と首から下がまるで別人のようだ。

「せやのになんでや。わいが出てくるとなったら確実にチケット渡すだけの役回りやんけ。こんなんありかいな。そりゃまあ役がないよりはずっとええけどや、わいはイーブイ進化系見せてチケット渡すだけの役回りなんかいな。なんかこうもうちょっとわいで捻った話書いてほしいわ。むしろわいを主人公にしてやな、感動の超スペクタクル巨編を書いて欲しいぐらいやで。ホンマ」

だんだん危険なことを口走り始めた青年。(いろいろな意味で)大丈夫だろうか。

「せやな。まずはわいが生まれた時から話は始まるんや。そいで苦難の子供時代を描い」

(ピルルルルルル!)

「……って、人が楽しい想像に耽ってる時に……」

青年は楽しい想像(妄想)を途中で止めて、電話を取った。

「はいもしも……って、また確認不足のボックスいっぱいエラーやないけっ。なんでちゃんと確認せぇへんのや。もし相手が伝説のポケモンやったらどないするつもりなんや。リセットかっ。リセットするんかっ。人生をそない簡単にリセットしてええんかっ。わいは認めへんでっ。人生は一発勝負やからおもろいんやっ」

と、言いながらも、青年の首から下は忠実にいつもの業務をこなす。やはり別人説は相当有力だ。

「ったく、次は気ぃつけてや。ホンマ」

受話器をがちゃんと置いて、青年は作業を再開した。

「しっかしあれやなあ。この人のボックス、色違いのポケモンがごっつう一杯おるわ。しかも、皆同じIDやないけ。こら相当やりこんでるなぁ。あ、ひょっとしたら自然」

しばらくお待ちください。

「……んに行ってあーしてこーしてるだけかも知れへんけどな。ま、わいはボックスのデータさえ壊せへんかったらこんなバ」

しばらくお待ちください。

「……ざもええと思うで。あ、ひょっとしたらさっきのメノク」

しばらくお待ちください。

「……もあーしてこーしただけかも知れへんけどな。ま、わいには関係のないことや。わいはいつだって正統派、真正面から当たって砕けろやからな。これこそが男の美学や」

とりあえずそう言っておけばなんでも片付きそうな「男の美学」という言葉でセリフを締めくくり、一人悦に入る青年。どこまでも常人離れした男だ。

「で、次のボックスは……なんや。こらまたけったいなネーミングセンスしとるなあ。これ皆人の名前やんけ。しかも皆女の子や。どーいうセンスしとるからに。わいやったらこうもっと硬派なニックネームにするで。例えばやなぁ」

(ピルルルルルルル!)

「って、わいがセリフ言おうとしたらタイミングよくかかってきよるからにっ! なんやねんこのタイミングのよさはっ」

青年は声を荒らげながら電話を取る。また警告だろうか。

「はいもしも……って、ちゃうわボケ! 誰と勘違いしとるねんっ! ここはポケモンやっ! 確実に電話をかける相手を間違えとるわっ!」

どうやらただの間違い電話だったようだ。それにしても「ここはポケモンやっ」とはまたずいぶんあれな言い草である。

「ホンマに……次間違ったら蜂蜜と練乳のかかった煎餅パンにオレンジ色のジャム塗りたくってゲル状の飲み物と一緒に吐くまで食わしたるからなっ。タマムシシティの食堂におる連中もビックリのシロモノやからなっ」

さりげなく危ないことを口走りながら、受話器を物凄い勢いで置く青年。怒り心頭のご様子だ。

「はぁあ……ったく、最近変な電話多いなあ。世の中が物騒になってきてる証拠やで。ホンマ」

青年はため息を一つ吐いてから、また作業を再開する。相変わらず、手際は最高にいい。

「で、今度は何や……このボックス、ポケモンが一匹しかおらんやんけ。ああ、あれか。あれやな。間違いないわ。これがいわゆる『VIP待遇』っちゅうやつやな。一ボックス一ポケモン。うはぁー。これは超VIPやで。驚きやなあ。こんなえげつないボックスの使い方してる人、初めて見たわ」

ちなみに、この青年はこのボックスの一つ前のボックスが一杯になっていて、単にそこに最初の一匹が入っていただけとは露ほどにも思っていない。素敵な勘違いだった。

「せやなあ。わいもそろそろVIP待遇にして」

(ピルルルルルルル!)

「……って、また電話かいなっ。ええいっ。誰やねんホンマっ」

青年はまた電話を手に取る。その間もちゃんとキーは叩き続けているから、ある意味ではすごい。

「もしもし……って、また警告かいなっ! ええ加減にせえよホンマにっ! なんでみんなわいに連絡してこんのやっ! 連絡すれば一発で分かる言うてるのにやっ! 世の中間違うとるわっ!」

(ガシャンッ)

青年はいつものメッセージを流してから、受話器を叩き付ける様にして電話を切った。

「ホンマに……」

青年が作業を再開しようとすると、

(ピルルルルルルル!)

「って、間隔短すぎやっ! 今度は誰やっ!」

青年は電話のディスプレイに目をやる。よく見ると、さっきと同じ番号だった。

「ええ加減にせいっ! 無理なもんは無理なんやっ!」

青年は受話器を取ってメッセージを流すと、また電話を切った。

その直後。

(ピルルルルルルル!)

「なんや! これはわいに対する嫌がらせか何かか! 何やねん一体っ!」

電話を取る、メッセージを流す、電話を切る。

(ピルルルルルルル!)

「ぐああああああっ! どーいうこっちゃねんホンマ……」

青年がディスプレイに映し出された、電話番号の下の部分を見てみる。

そこには……

(from トキワシティ)

「……………………」

青年の顔面が硬直した。まさか、こんなことがあっていいのか、というような表情。

「……だ……」

青年がガタガタと震えながら、こう声を上げた。

 

「誰やあああああああああっ! ボックス一杯のままあのじいさんに話しかけたのはぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

ピルルルルルル。電話のベルは、無情にも鳴り続けた。

「誰やあああああああああっ!」

青年の叫びを、かき消すかのごとく。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。