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路傍の石

第一印象は、彼はなぜこんなものを集めているのか、という至極単純な疑問だった。

「これは……石、ですよね?」

「そう。石だよ。どこにでも落ちていそうな、"路傍の石"さ」

ありきたりな石ころですよね、と私が二の句を継ごうとしたところに、先手を打って言われてしまった。過去に何度も同じことをされているとはいえ、この鋭さにはいつもヒヤリとする。

硝子戸を引いて、石を一つ取り出す。ケースから出てみれば印象が変わるかと一瞬期待したが、胸元まで寄せられた石は紛れも無く、これといった特徴の無いただの石だった。

「その、何か変わったところがあるとか……ですか?」

「この石がかい? いや、変わったところなんて一つも無いよ」

「一つも、ですか」

「ああ。硬さも形も色も重さも、どれを取っても特徴の無い、普通の石だね」

本人曰く「特徴の無い、普通の石」を、手袋を嵌めた手でもって繁々と眺め回す。その表情がまた童心に返った子供のように楽しげなものだから、首を傾げる回数ばかりが増えてしまう。私を軽くからかっているのか、と思ったが、彼の面持ちを見る限り、私のことは意識の埒外にあるようだった。

ひとしきり石を眺めて、満足感ある表情のまま一端目を離す。すっ、と流れる水のように、彼の視線が私に向けられた。

「そうだね。君が今何を考えているか、当ててあげようか?」

「……」

「どうして僕がこんな石を持っているんだい、そんなところじゃないかな?」

「……そうですね。概ね、それで合ってます」

こくり、こくり。二度に渡って深く頷く。右手に石を載せたまま、彼は話を続ける。

「僕がこの石を拾った理由、僕がこの石を残した理由、僕がこの石を飾った理由。それは……」

「それは……?」

一歩前に出て、彼の言葉に耳を傾けた。

「この石が、十枚の絵を生み出したからだよ」

十枚の絵を生み出したから、彼はこの石を今も大切に保管している。投げ掛けられた言葉の順序を整理すると、以上のような形になる。確実に言えるのは、何のことだか訳が分からないということだけだ。

私が困惑するのを見事に見透かして、彼はようやく本題に入った。

「いつだったか、少し遠出をしたときに、絵を描いている女の子がいたんだ」

「スケッチブックを抱えて、ですか?」

「うーん、そうとも言えるし、そうとも言い切れないね」

「それって、どういうことなんです?」

「持っていたのが、スケッチブック……が映し出された、タブレットだったんだ」

「ああ、今流行の……」

「そうだね。タブレットにペンをカツカツ走らせて、外で絵を描いてた。あれは、今風でいいと思ったよ」

彼が出会ったのは、スケッチブック・アプリをインストールしたタブレットを持って外で絵を描いていたという少女、だと言う。紙のスケッチブックを持ち歩く時代はもう終わったのかなどと、要らないことに思考を巡らす。

「絵を描いていたのは分かりましたが、どうして石が関係するんです?」

「気になるだろう? 僕も気になったんだ」

「そ、それは、どういう意味で……?」

「タブレットに描かれていたのが、今ここにある石だったからね」

再び、私の前に石が差し出される。彼のエピソードを踏まえて、もう一度石を眺める。何かのきっかけがつかめれば、何か目に留まるものがあれば、そんな期待を込めて送る視線。

そして二十秒ほど石を眼に映し出して、込めた期待は見事に空振りに終わったことを気付かされた。眼前の石はやはり何も変わらない、ただの石でしかなかった。

「この石を、タブレットに描いていたんですか」

「そう。一心不乱にね。すごく楽しそうだったよ」

「楽しそうに、ですか……」

「それはそれは、ね。繰り返しペンを走らせて、タブレットの中のキャンバスを作り変えていったんだ」

彼が遭遇した少女は、この何の変哲も無い石を題材に、楽しそうに絵を描いていたという。俄かには信じられないというか、流れの読めない話だ。一体何が、タブレットの少女をそこまで惹きつけたのか。

「気になったから、僕は思い切って声を掛けてみたんだ。『どうして石を描いているんだい』ってね」

「声を掛けたんですか」

他人にいきなり声を掛けるというのが、いかにも彼らしいと思った。以前にもトレーナーに声を掛けて、その後も何度か合っている内に親しい仲になったとか、そういう話を聞いている。

「そう。一度気になったら、調べずにはいられない性質だしね」

「そのことは、私もよく知ってます」

「ラボを空ける一番の理由は、間違いなくそれだからね」

石ころを掌の上でコロコロと転がしながら、彼は穏やかに答える。少女に声を掛けたときの情景を思い返しながら、その様を適切に形容できる言葉を探している。過去の出来事を話すときの彼の姿勢は、いつも同じだ。

「彼女はあなたに、どう答えたんですか?」

話すべき内容を取りまとめたのか、彼がおもむろに口を開いた。

「『どうしてって、石を描きたいから』」

「それが、答えだったんですか?」

「ああ、はっきり言われたよ。それ以外に理由なんか無い、って顔でね」

石をタブレットに描いていた少女が、何故石を題材に採ったのか。答えは、石を描きたいから。石を描きたいから、タブレットの上で繰り返しスタイラスペンを走らせている。

これ以上無い、最大の理由。描きたいから描くという、もっとも容易く理解できる理由だった。

「楽しそうだったよ。ペンをしきりに走らせて、どんどん石を描いていってさ」

「そんなに熱中していたんですか」

「僕も驚くくらいね。一向に止まらないんだよ。ディスプレイの中に、じわじわ石が浮かび上がっていくようだったね」

彼はそんな少女に興味を持って、もっといろいろな事を知りたくなったんだ、と言った。

最初の疑問である「何故石を描くのか」は分かった。けれどそれだけでは満足せず、「何故石を描きたくなったのか」、それも聞き出したくなったらしい。

「石を描きたい理由、それを知りたくなって、僕は続けて質問したんだ」

「どうして石を描きたくなったのか……そういう質問ですね」

「うん。そうしたら、彼女は詳しいことを教えてくれたんだ」

タブレットを操作する真似をして見せながら、彼は少女が教えてくれたという内容を復唱し始めた。

「彼女はインターネットのイラストコミュニティに、よく絵を投稿しているらしいんだ」

「ああ、あの……」

「たぶん、君の考えているところだろうね。そこは絵を投稿できるだけじゃなくて、絵にコメントを付けたりもできるんだ。すごい時代になったね」

「コミュニケーションの手段として絵がある、ということですね」

「その通り。彼女はそこで、好きなように絵を描いていた……けれど」

ふう、と小さく息を吐いて、彼が声のトーンをわずかばかり落とす。

「世の中には狭量な人がいる。それは、君もよく感じているだろう?」

「……そうですね。残念ですが、頷かざるを得ません」

「ああ。彼女もそこで、面倒な人に絡まれたんだ。コメント欄で、一体何を言われたと思う?」

彼は手にした石を掲げながら、ぽつりと一言呟いた。

「『あなたのような"路傍の石"が、知った風に絵を描かないでください』」

ぽつりと、一言呟いた。

「コメントを寄せたのは、彼女もよく知らない人だった」

「見ず知らずの人、ですか」

「そう。調べてみたら、少し前に同じコンテストに絵を投稿していた人だって分かったらしい」

そのコンテストで、少女は審査員特別賞を貰い、コメントした人は選外に終わったという。その構図が明らかになった時点で、彼女はコメントした人の意図が分かったようだった。

「有り体に言えば、彼女に嫉妬したらしいんだ」

「やはり、そうだったんですね」

「ああ。自分の絵が評価されなくて、彼女の絵が特別な評価をもらったことに、嫉妬したみたいなんだ」

評価されなかったのは、自らの努力不足に尽きる──すぐにそう帰結できる人間は、それほど多くはない。大抵はそれを認められなくて、外的要因を探してしまう。

コメント者にとっての外的要因は、少女だった。つまりは、そういうことだ。

「それで、あんなコメントを寄せた」

「……」

「あれっきり一度も顔を見せないから、邪推や推測が山ほど混じってるけどねって、彼女は付け加えたけどね」

そう話す彼の表情は、なぜかまた、楽しげなものに戻っていた。

「けど、ここからが面白くてね。彼女はそのコメントを見て、ふっとイマジネーションが浮かんだらしいんだ」

「イマジネーション?」

「そう。"路傍の石"という部分に、何か来るものを感じたって言ってたね」

「よりにもよって、その部分に刺激を受けたんですか」

「そうだね。いてもたってもいられなくなって、タブレットを持って外へ出た──そうして、僕に出会った」

掌の石を握り締めて、彼が再び話し始める。

「僕に出会うまでに、彼女は九枚も絵を描き上げたって言うんだ」

「まさか、全部石をモチーフにしてですか?」

「その通り。落ちている石を見つけて、何枚も何枚も、絵を描きつづけたんだって。石にばかり目が行って、"周りが見えなくなる"くらい、熱中してね」

「……」

「僕の前で十枚目を描き終えたあと、彼女は、自分が感じたことを僕に教えてくれたんだ」

 

「同じ形の石は存在しない」

「同じ色の石は存在しない」

「同じ大きさの石は存在しない」

「同じ重さの石は存在しない」

「すべての石は違っていて、"ありきたり"な石なんて存在しない」

「"路傍の石"は、すべてがあふれる個性の塊だ……ってね」

 

「絵を描いているうちに、彼女は同じ石が一つとして存在しないことに気づいた」

「同じ石は、存在しない……」

「似ているように見えて、手に取ってみるとまったく違う。それが面白くて、どんどん絵にしていった」

「そうして導き出されたのが、さっきの……」

「ああ。晴れ晴れとした表情だったよ。新しいものを見た、って感じのね」

口元に笑みを浮かべて、彼が私に目を向ける。

「そういえば」

「どうしました?」

「君は、僕が石を集める理由を知ってたっけ?」

不意に話を振られて、思わず答えに窮する。石を集めているということは知っていても、「なぜ」石を集めているのかということは、どうも聞いた記憶が無い。

詰まったまま時間が流れるに任せていると、割と早々に彼が助け船を出した。

「僕が石を集める理由は、石が好きだから。けれど、それだけじゃない」

「それだけではない、と……」

「そう。もう一つ、理由があるんだ」

一呼吸置いて、彼が私に"理由"を教えてくれた。

「石に関わる人、それが好きだからさ」

「人との関係、ですか」

「そう。石があって、人がいて、石を軸にして人が関わりあう。それが好きなんだ」

石を掲げて、彼が言う。

「人と石は、よく似ている」

「まったく同じ石が存在しないように、まったく同じ人も存在しない」

「在る場所で、丸くもなるし鋭利にもなる」

「他者とのぶつかり合いで、いかようにも形を変えていく」

「本当に、よく似ていると思うんだ」

人と石の類似性。生まれ持った個性、環境に左右される姿、他者との接触で変貌していく形。なるほど、言われてみれば似ている気がしてきた。

彼が何を言いたいのか。その輪郭が、朧げではあるが見えてくる。

「僕は、珍しい石も好きだ。すごく好きだよ」

「珍しい石"も"?」

「そう。珍しい石"も"だよ。だから──」

「珍しくない石も、また?」

「その通り。外を歩けば道端に転がっているような"路傍の石"、それも大好きなんだ」

さっきも言ったけれど、と前置きした上で。

「この石は、道端に落ちていた石だ」

「タブレットの少女が絵のモチーフに採った、ですよね?」

「その通り。彼女が絵に描いた、"路傍の石"だ」

掌に載せられた小さな石。

「道端に落ちていたところで、誰も気づくことのないような、ありふれた石」

「けれどその石は、一人の女の子に、人としての生き方にさえつながるような、大きな示唆を与えた」

何度見たところで、石がただの石であることに変わりはない。何の変哲もない、ただの路傍の石。

石がただの石に過ぎなかったからこそ、大きな影響をもたらすことができたのかも知れない。

「人は皆、路傍の石だ」

「気付かれなければ意識されることもなく、そして誰かに影響をもたらすこともない」

「僕も君も、あの少女も同じ。すべては、路傍の石に過ぎない」

すべての人は、道端に転がる石に過ぎない。

「それは、実に素晴らしいことだと思うんだ」

「二つと無い存在が邂逅して、融和して、衝突し合う。そうして、また新しい存在になる」

「石も人も、ぶつかりあって変わっていく。それが、すごく面白いんだ」

気にも留めなかったはずの存在が、進む道を変えるほどの存在になり得る。彼は、そこに面白さを見出していた。

「この石を手元に置いておこうと思ったのは、それを思い返すためさ」

「人は皆路傍の石、そして、路傍の石は代わりのいない存在。この石は、それを思い出させてくれる」

「ありふれたものほど、かけがえの無い存在だということをね」

ようやく、彼が何を言いたいのかがはっきりした。そして、あの石ころを手元に置いていた理由も。

「その石には、思い出というか、印象的な光景が詰まっているんですね」

「ああ。あの少女が見出した新しい世界、それがここに詰まっているんだ」

「分かりました。単なる路傍の石に過ぎないそれを、あなたが大切に持っている理由を」

タブレットの少女と彼は、ありふれた路傍の石から、実に多くのものを感じ取ったようだった。

ひとしきり話して満足したのか、彼は石を戸棚に片付けると、椅子からすっと立ち上がった。

「さて、僕はちょっと出かけてくるよ。明日までには帰るつもりだからね」

「明日まで出掛けるつもりですか?」

「何、いつものことじゃないか。面白い石を見つけたら、また土産話を聞かせてあげるよ」

そう言い残して、彼は颯爽と部屋から立ち去って行った。

彼はいつもそうだ。石が好きだというのに、去るときは風のように去って行ってしまう。

「やれやれ……」

ため息混じりに、時間を確認しようとポケナビに目を向ける。

すると……

「……すれ違い?」

ポケナビの機能の一つである「すれちがい通信」。ポケモンのキャラクター商品に関わるすべての権利を持つ大手ゲーム会社が発売した携帯ゲーム機に搭載され、その後後を追うようにポケナビにも実装された。所有者同士ですれ違うだけで、簡単な自己紹介を送り合うことができる通信機能だ。

通信に成功すると、右上部に取り付けられた小さなランプが緑色に光る。この部屋に来るまでは消灯していたから、新しいメッセージが届いたようだ。

「これは……」

して、そのメッセージの送り主と内容は──

 

「けっきょく ぼくが いちばん つよくて すごいんだよね」

 

送り主の名前は……今更、言うまでもない。

すべては路傍の石。悟ったように口にしながらも、心の奥底では、燃え上がる炎のような闘志を滾らせている。

「星の数ほどある石の中でも、一番でなきゃ気が済まない、か」

石集めに熱中する子供のようで、その実石から人世訓を見出す大人で、しかし底の底は無垢で幼い子供。

それがたぶん、"ツワブキダイゴ"という人物の姿なのだろう。

「……本当に、風変わりな人だ」

苦笑いとともに、そんな言葉が思わず漏れた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。