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UNKNOWN

最近、このような患者が多くなってきた。

「鍵?」

「はい。これ、どう見ても鍵でしょ? でも、どこにも差し込めないんですよ。これって変じゃないですか。どこにも差し込めない鍵なんか、あっても仕方ないでしょう?」

「……君、これは『アンノーン』という歴としたポケモンなんだよ。よく見てみたまえ。ここに目があるだろう」

「そうですね。しかし、私には鍵にしか見えません」

携帯獣の中の一種「アンノーン」を、何か別のものと錯覚してしまう症状だ。今私の目の前にいる患者は、アンノーンの「Q」を「鍵」と錯覚している。言われてみればそう見えなくもないが、やはりアンノーンはアンノーンである。鍵などではない。

私はとある町で開業医をしている医者である。近くにはいくつかの携帯獣研究施設が隣接し、患者の多くがそこに在籍している携帯獣研究者である。

アンノーンはアルファベットの「A」から「Z」までに近似した合計二十六の形状を持つ携帯獣で、その生態は未だに謎に包まれている。平均身長五十センチメートル、平均体重五キログラム。真っ黒な体に、体のどこか一部分に必ず「目」がある。

「とにかく、君は疲れている。しばらく仕事を休んで、体を休めたほうがいい」

「はあ……分かりました」

患者の若い白衣の男はアンノーンを掴んだまま、私の診察室を後にした。彼のいでたちを見て分かるとおり、彼は研究者だ。特に若い研究者でアンノーンに関する研究に携わっているものに、この症状は多い。

症状といっても、アンノーンを別のものと錯覚してしまうだけで、特に肉体や精神に異常をきたすわけではない。ただ、この症状が出た場合、患者は相当疲れを溜めている事だけは間違いない。

「やれやれ……ポケモンをモノと間違うとは、罪作りな症状だ」

こう見えて私は根っから、携帯獣は生物だと考えている性質だ。中には携帯獣をプログラムだのデータだのと抜かす輩がいるが、私はその考えに断固反対である。ポケモンが生物でないという輩は、往々にしてどこかおかしいのだ。そういう輩とは、はなから付き合わないに限るのだ。

「先生。次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者も同じ症状だった。

「先生、私にはこれが釣り針にしか見えないのですよ」

「君ね、こんな馬鹿でかい釣り針があるわけないだろう」

「しかし、この形ですよ。これが釣り針でないとしたら、なんなのですか」

「君ね、これは『アンノーン』という歴としたポケモンなんだよ。よく見てみたまえ。ここに目があるだろう」

「そうですね。しかし、今の世の中はモノが溢れています。目がある釣り針ぐらい、普通にあると思うのですが」

この患者はアンノーンの「J」を「釣り針」を錯覚している。患者は四十代前半の男性。さっきの若造と同じように、白衣のままここに来ている。

自覚症状がないのがこの症状の特徴で、多くの場合近くの者がその異常行動に気付いて病院に連絡してくる。この男もそうだ。看護士によると、この男の妻が連絡してきたらしい。妻の話によると、この男の趣味は釣りだそうだ。実に単純明快簡潔極まりない錯覚構造である。

「君ね、目のある釣り針なんか、何の役に立つというのかね。さあ、君は疲れているんだ。少し休みなさい」

「はあ……分かりました」

男はアンノーンを腕に引っ掛けて、私の診察室を後にした。まったく、腕に楽々引っ掛けられるような馬鹿でかい釣り針など、この世の中にあるはずがないだろう。そんな単純なことにどうして気付かないのか、まったくもって理解に苦しむ。つくづくおかしな症状である。

大体、携帯獣研究者というのは無闇やたらに働くからよくない。働いても生活が楽になるわけではないというのに、よくもそんなに働けるものだ。無駄に働きすぎるから、そんな症状に陥るのだ。私はそんな症状など真っ平ごめんである。

「先生。次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者も、また同じ症状だった。

「……君ね、こんなので船や車が動かせると、本気で思っているのかね?」

「だって、これはどう見てもハンドルでしょう。持つところもちゃんと四つあります」

「持つところが四つあるといってもだね、実際にどこかへつなぐためのところがないじゃないか」

「それはあれですよ。中に赤外線センサーか何かが内蔵されてるんです」

「証拠はあるのかね、証拠は」

「私は機械はさっぱり分からないので」

「それだったら、そんなはずはないだろう。とにかく、これはハンドルじゃなくて、『アンノーン』という歴としたポケモンなんだよ。よく見てみたまえ。ここに目があるだろう」

「そうですね。しかし、これは目のデザインをしたクラクションではないでしょうか」

この患者はアンノーンの「X」を「ハンドル」と錯覚している。患者は三十代後半の男性。また白衣の男だ。もういい加減、見飽きた。何が目のデザインをしたクラクションだ。もしそんなものがあったら、この私がグッドデザイン賞ならぬバッドデザイン賞をくれてやる。欲しければラズベリー賞もくれてやろう。

「君ね、そんな趣味の悪いハンドルなんぞ、今や犯罪組織のボスが乗るような悪趣味な車でも使わんよ」

「はあ、そうですか」

「君は疲れているんだ。薬を処方しておくから、少し休みを取りなさい」

「はあ、分かりました」

男はアンノーンの突起を両手に掴んで、私の診察室を後にした。ああもう見ているだけで嫌になる。ポケモンをああいう風に変な持ち方をされると、無性にむしゃくしゃしてくる。手近に何か捨てていい紙があれば、ビリビリに引き裂いてゴミ箱の中に叩き込んでやりたい気分だ。

この症状は「ポケモンがモノに見えてくる」点において、私が最も忌み嫌う症状だ。ポケモンは生物ではないか。テレビなどを見たまえ。どこでもポケモンが元気に走り回っている。何が鍵だ。何が釣り針だ。何がハンドルだ。もう少し自分の目を大切にしろと言いたい。

私は主張する。ポケモンは生物だ。断じてモノなどではない。私はあんな症状にだけは、絶対になりたくない。なりたくないったらなりたくないのだ。いや、私に限ってなるはずがないのだ。ああいう症状は、常日頃から何か邪な考えを持っている人間がなるのだ。そうに違いあるまい。

「先生。次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者も……また、同じ症状だった。

「先生はこれがレコードじゃないっておっしゃるんですか?! 目、大丈夫ですか?!」

「君ね、今時レコードなんか持ってる人のほうが少ないだろう。それに、こんな隙間だらけのレコード、もし再生でもすればどんな音が出るか分かったものじゃない」

「言われてみればそうですね。しかし、今は何事も軽量化の時代です! これは無駄な部分を省いた、理想的なレコードなのではないでしょうか!」

「君ね、レコードに無駄な部分なんてあるわけないだろう。それに見たまえ。これがレコードだとして、こんなにくりぬいてしまって、再生できる場所のほうが少ないじゃないか」

「はあ、言われてみれば……」

「いいかね。これは『アンノーン』といって、歴としたポケモンなんだよ。

「そうですね。しかし、レコードは昔から中央の部分にいろいろなデザインが施されてきました。目の一つや二つ、珍しくもなんともありません」

この男はアンノーンの「O」をレコードなどと勘違いしている。なんと言う品性下劣な男か。もしアンノーンが間違ってプレイヤーにセットされていたらと思うと、背筋が冷たくなる。プレイヤーにはこのような男がセットされればよいのだ。そして身の毛もよだつような音を自分で奏でて自分で聞いていればいいのだ。

「君ね、真ん中に目のあるレコードなんか、誰も欲しいなんて思わないよ。君だってそうだろう?」

「いえ。私はそのようなデザインのレコードがありましたら、ぜひとも……」

「馬鹿なことを言うもんじゃない。さあさあ、君は疲れているんだ。ビタミン剤を出しておくから、飲んで休みなさい」

「はあ、分かりました」

男はアンノーンをケースに入れて、私の診察室を後にした。ああもうイライラする。ポケモンはモンスターボールに入れてこそポケモンだろうが。何をレコードのケースに無理やり押し込んでいる。馬鹿かっ。間抜けかっ。このろくでなしっ。

私はこの症状になった人間をすべからく失笑嘲笑軽蔑する。ポケモンがモノに見えるなど、常日頃からポケモンに対してろくな感情を抱いていない証拠だ。眉間に皺が寄る。まったく、世の中腐りきっている。ろくな人間がいやしない。

ポケモンは生物だ。まかり間違ってもモノなどではない。大体、生き物をモノとして見るという考え方自体が品性下劣・残虐非道・悪鬼羅刹の結晶の如き所業なのだ。そんなことを考えている人間は、すべてまとめて地獄の火の中に投げ込まれるべきなのだ。何なら私が投げ込んでやってもいいのだ。

まったく、こんなことを考えていると、つい顔が険しくなる。机の上にあった手鏡を取って、表情を確認する。よし、問題ない。いつもどおりだ。やれやれ、表情にまで気を使わねばならんとは、厄介な職業だ。私という人間は忙しい人間である。アイドル真っ青の忙しさである。

「先生。次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者も……いい加減にしてほしい。また同じ症状だ。今度は二十代前半の若造。白衣に金髪。まったくもって似合わん取り合わせである。

「同僚に言われてここに来たんですが、私のどこがおかしいのでしょう。先生、これはピストルでしょう?」

「何を言っとるのかね君は。どこがリボルバーでどこが引き金で、どこが銃身だというのかね」

「先生こそよく見てくださいよ。ここがリボルバーで、ここが引き金で、ここが銃身です」

「よし分かった。君がそれをピストルだと主張するのなら、ここで一発撃ってみたまえ」

「それはできませんよ。私には妻子がいます。こんなくだらないことで捕まるわけには行きません」

この間抜けはアンノーンの「F」を、あろうことか「ピストル」などというたわけたものと勘違いしている。今までで一番重症重篤重体末期症状間違いなしの患者だ。こんなのが同じ人間だと思うと、私は心底情けなくなる。

「撃てるわけないだろう。これは『アンノーン』といって、歴としたポケモンなんだよ。よく見てみたまえ。ここに目があるだろう」

「はあ、言われてみれば」

「まったく。ポケモンをピストルと錯覚するとは……おっといけない。とにかく、薬を出しておくから、二、三日休みを取りなさい。それと、しばらくピストルのことは頭に入れないように」

「はあ、分かりました」

男はアンノーンの足の部分に指を引っ掛けて持ちながら、私の診察室を後にした。畜生。最低最悪の患者だ。ポケモンを人殺しの武器に例えるなど、最低最悪の所業だ。こんなやつはある日爆弾がおちてきて、空高くにでも吹っ飛べばいいのだ。ただの爆弾ではよくない。地球なんとか爆弾だとか、時空なんとか爆弾だとか、とにかくスケールがでかい方がいいのだ。

まったく、こんな患者ばかり診ていると、疲れが溜まって仕方がない。まあ、私は清廉潔白天真爛漫青天白日な心の持ち主であると自覚しているから、残虐非道品性下劣悪鬼羅刹の象徴の如きあの症状になることは絶対にあるまいが。ポケモンはポケモン、アンノーンはアンノーンなのだ。

「先生、次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者も……大概にしろ! また「アンノーンが別のものに見える」症状だ! 今日で一体何人目なんだ! もう数えるのも嫌になってくる! 今度は三十台半ばの男だ。ひょこひょこと猫背を丸めて歩いてきやがる。もっとしゃきっとしろっ!

「先生」

「なんだね」

「私にはこれが洗濯バサミにしか見えないのですが、他の人は違うというのです」

「君ね、こんなにでかい洗濯バサミが何の役に立つのかね。君自身を洗濯して干すというのならともかく、こんなにでかい洗濯バサミは使い物にならんよ」

「はあ、言われてみれば。しかし、やはり洗濯バサミにしか見えません」

この腑抜けはアンノーンの「A」を「洗濯バサミ」などと勘違いしくさっている。私は今こいつを巨大洗濯機に放り込み、洗剤をありったけぶち込み、六時間かけてじっくり洗濯してやりたい気分でいっぱいだ。

「これが洗濯バサミのわけがないだろう。これは『アンノーン』といって、歴としたポケモンなんだよ。よく見てみたまえ。ここに目があるだろう」

「はあ、言われてみれば」

「まったく……薬を出しておくから、休みを取って体を休めなさい」

「はあ、分かりました」

男はアンノーンの足の部分を指に挟みながら、私の診察室を後にした。ええいっ。早く出て行けっ。お前みたいなのと一緒にいると、私までおかしくなってくる。とっとと私の前から姿を消せっ。

まったく、あいつらには常識(コモン・センス)というものがないのか。あんなに馬鹿でかい釣り針や洗濯バサミがあるわけないだろうが。そんなこと、考えればすぐに分かるはずなのに、あいつらは考えようともしない。見ていてこれほど腹の立つものもない。あああああああ。本当にイライラする。

私は断じてあんなやつらとは違うのだ。あいつらとは中身が違うのだ。違うったら違うのだ。

「先生、次の患者さんがお見えになりました」

「分かった。通してくれ」

次の患者は……書くのも面倒だ。男! 四十代前半! 研究者! 以上!

「先生、私はどうかしてしまったのでしょうか」

「なんだね。言ってみなさい」

「私にはこれがストローにしか見えないのですが、皆はそんなはずはないと言うのです」

「君ね、こんな太くていびつな形のストロー、あるはずがないだろう」

「そうかも知れません。しかし、何分流行に疎いもので、もしかしたらこのような形状のストローが流行っているのかと」

このスカタンはアンノーンの「I」を何を取り違えたか「ストロー」と勘違いしている。何がストローだ。こんなストローがあってみろ。世界は核の炎に包まれるぞ。まったく何を考えているのか、さっぱり分からん。分かりたくもない。

「今も昔も未来も、金輪際こんな形状のストローが流行ることはないよ。そう思わんかね?」

「はあ、私もそう思います」

「だったらもっと自分に自信を持ちなさい。とりあえず薬を出しておきましょう」

「はあ、分かりました」

男はアンノーンの突起を指に挟みながら、私の診察室を後にした。何がストローだ。あれのどこがストローに見えるというのだ。お前など海岸沿いの売店にぽつんと置かれている自販機のボタンを押し間違えてゲル状の液体がいっぱい詰まっている紙パック入りの変なジュースでも買って紙パックの端を押しながらストローでちゅーちゅー飲んでいればよろしい。よろしいのだ。

大体アンノーンがモノに見えるという症状自体が、末期的なメガロマニア(誇大妄想狂)なのだ。私は断じてメガロマニアなどではない。正常も正常、正常の鑑である。

まったく頭が痛い。世の中こんな人間ばかりになってしまっては、本当におしまいだ。

私は憂鬱な思いで手鏡を見つめる。私の顔にはさぞ苦労がたくさん刻まれているに違いあるまい。人が見るとそれだけで号泣感涙するような、ドラマティックでドラスティックな表情のはずだ。

……おかしい。私は手鏡を持って自分の顔を見ているはずなのに、なぜか自分の顔が見えない。鏡の部分に見えるのは、なんだかよく分からん黒い丸だけ。なんだこの手鏡は! 私を馬鹿にしているのか! 一体どういうことだ! 責任者出て来い! 訴えてやる!

「どういうことだ! 政府の陰謀か!」

「どうなさったんですか?」

私のセクシーハッスルボイスを聞いた看護士が飛んできた。ちょうどいい。こいつに責任者を呼んでもらおう。そしてこの私に耐えがたき恥辱を与えた罪を、その身を持って贖罪させるのだ。

「まったくどういうことだ! この手鏡は私の顔を映さんつもりだ! 馬鹿げている! どういうつもりだ!」

「……………………」

「誰かが私をハメようとしている! 手鏡から始まり、窓ガラス、鉛筆、CD-R、コップ、アイスソード、たいまつ、たいやきに肉まん、栓抜き、金、財産、土地、世界、すべてを私から奪おうとしているに違いあるまい!」

私のこの完全無欠難攻不落の理論に、我が看護士もいささか感動を禁じえないようだ。私のほうをじっと見たまま、微動だにしない。

「……………………」

……と、看護士がポケットからなにやら紙と鉛筆のようなものを取り出し、何かを書きつけ始めた。どういうつもりだ。そうか分かったぞ。この頭脳明晰で博識な私には、この看護士が何を考えているかなどすぐに分かる。私が与えた感動を、五・七・五の句にして詠むつもりなのだ。そうに違いあるまい。

「先生、今からこちらにお向かいください」

……そう確信して疑わなかったのだが、看護士が見せたのは、何の変哲もない。ただの住所だった。

「……どういうことだ? これは隣町の別の医院の住所ではないか」

「そうです。そこに行ってください。それから、担当の方にこう言ってください」

看護士は私の目を見つめて言った。

「『アンノーンの「Y」が手鏡に見える。体調を整えるための薬を処方して欲しい』、と」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。