トップページ 本棚 メモ帳 告知板 道具箱 サイトの表示設定 リンク集 Twitter

Colors.blue

ホッケふ頭、夕刻。

「いい貌してますよ、センパイ」

舌にグッと押し当てられた銃口の先から、ほのかに苦い蜜が垂れてくる。ビリビリと口内が刺激されるのを感じて、意識しないままに眉を顰めていたらしい。

薄目を開けてこちらをまじまじと見つめるヒサメを前にして、アタシは何もできずにただへたり込むばかりで。声一つ上げられなくて、震える歯がヒサメの構えたリッターの先にカタカタ擦れる音だけが響いていた。

確か――そう、半年ほど前だった。ヒサメがレギュラーマッチに潜り始めたのは。海女美大でハイドラをぶん回してたアタシを見て自分も始めたんだとか、そんなことを言ってた気がする。記憶がアメフラシを食らった後の床のように斑模様になって、うまく記憶が整理できない。

「ほら、私を見てくださいよ」

ヒサメはアタシを「センパイ」と呼んでしばしば絡んできた。鬱陶しいっちゃ鬱陶しいけど、そんなに気にするほどのことでもないって思ってた。ただウザ絡みしてくる駆け出しのひとりだって、それくらいにしか思ってなかった。試合が終わった後に話があるって言って、付いてきてみたらこの有様だ。

今のヒサメは、アタシをステージの中央辺りにある袋小路に追い込んで一歩も出られなくして、口へリッターの先端をグッと突き付けている。隠し切れない薄ら笑いを浮かべて、玩具を手にしたコドモのように。

「見てみたかったんです、こんなセンパイの姿」

何も言えない、言い返せない。発しようとする言葉はことごとくカタチにならなくて、出ていく前に喉の奥へ消えていく。まるで敵のインクに足を取られた時みたいに、じれったくどうしようもない感覚だけが広がっていく。それでも目だけはヒサメを見つめていて、目を離すことはできずにいて。

どこで身に付けたのかは分かんない。分かんないけど、ほんの少し前からヒサメはリッターを信じられない精度で敵に命中させるようになっていた。さっきの試合だってそうだ。前線に出るや否や次々に射抜かれてインクを撒き散らす味方、ヤバい、退かなきゃ、人数不利だ――そう思って咄嗟に背を向けた直後に、レーザーサイトが背中をスッとなでる感覚がした。ハッとして振り向いた時、アタシはその目で見た。

アタシにしっかり狙いを付けたまま微動だにしない、口元を歪に緩めたヒサメの姿を。

「覚えてますか、センパイ。海女美術大学で14キルを取った試合」

歯を滑らせるようにして、リッターの先が口の半ばまで中途半端に押し込まれる。壊れ物を摘まむような繊細な手つきでトリガーを微かに引いてすぐさま戻すと、アタシの口内に水色のインクが滲む。アタシが染まっている紫色と対になるそれは、カラダをごく穏やかに、そして疑う余地なく確かに蝕む。けほっ、と咳き込むと、ヒサメが歯を見せて笑った。

ヒサメの言う試合のことは、おぼろげながら覚えている。味方のアシストをもらって中央の高台を取った試合だ。気が済むまで撃ちまくって、やってくる敵を片っ端から撃破して。最後の判定も余裕のダブルスコアで、気持ちよく勝てた試合だったはずだ。

「私、見てたんです。センパイと――センパイに撃たれる友達を、弾け飛んで消えていくその友達を」

「そうしたら……熱くなってきたんです。ココロが、カラダが」

スッ、とパーツが擦れ合う音がして、またリッターの先からインクが零れ落ちた。反射的に飲み込んでしまう。喉が焼けるように熱くなって吐き戻してしまいそうになった。自分の顔は見られないから分からないけど、きっと苦しそうにしていたに違いない。

だって、ヒサメが嬉しそうに目を細めているから。

「私も分かりました。撃ち抜かれるのって気持ちいいんですよ」

「全身が弾け飛ぶ瞬間に――他には何もいらないって思えるんです」

心臓が早鐘を打つように高鳴っている。理由はなんだろう。ヒサメに命を握られているから? 今にも撃たれてしまいそうだから? それとも何か別の理由? 声にならない声を上げようとした刹那、ヒサメが今までよりずっと奥へ、喉の奥へバレルを押し込んできた。息ができない、呼吸ができない、胸が苦しい、胸が痛い。

「センパイ、とっても格好良かったですよ。扱いの難しいブキを使いこなして、たくさんキルを稼いでいく姿」

「私はセンパイに憧れて、それでここまで来たんです」

「ここまで……やっと、ここまで辿り着いたんです」

力のこもる指先。ぐっと強く引かれていくトリガーを見た途端、体の芯が熱を帯びるのを感じて。

「だから、恩返しです」

「センパイにも、教えてあげます」

「身体がはじけ飛んでやられる、キモチヨサを」

ヒサメが浴びせてきた水色のインクに塗れたアンダーウェアの向こうから、それとは違う色の、対になる色の――自分の色のインクが滲んでくる感覚を覚えて。

 

「――いってらっしゃい、センパイ」

 

ここではない遠く、ずっと遠くまで飛んでいく感覚が、頭の先から足のつま先まで、全身を貫いて――。

カラダが内側から勢いよく弾け飛んで、辺りにインクが撒き散らされる。ヒサメの色をした、水色のインクが辺りに飛び散る。

アタシは、今の場所から――跡形もなく消えた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。