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#76440 考える貝

Basic Informations:

Subject ID:
#76440
Subject Name:
考える貝
Registration Date:
1994-03-23
Precaution Level:
Level 2

Handling Instructions:

エリア#76440は事実上の自己収容状態にあるため、最低限の警備を除いては特別な対応は必要ありません。対応の主軸としてはむしろ住民#76440の精神衛生を保つことを優先しなければならず、そのためにカウンセリングの能力を持った人員を可能な限り多く配置すべきです。案件担当者は必要に応じて追加の人員を要請するための特別権限を付与されます。住民#76440からカウンセリングの要請があった場合は、必ず応じるようにしてください。

住民#76440に寄生しているシェルダーを安定した状態に維持するため、住民#76440は一般的に想定されるよりも多くの栄養を補給する必要があります。これに伴いエリア#76440は慢性的な食糧不足に陥っているため、現在は当局主導の下に住民#76440及びシェルダー向けの食糧供給を行っています。住民#76440の特徴から老衰や病気による死亡が滅多に見られず、観測開始から本稿執筆時点に至るまでエリア#76440内の人員の総数はほとんど変化していません。

Subject Details:

案件#76440は、携帯獣の「シェルダー」に寄生されたことで特異な能力を獲得した携帯獣(住民#76440)の群れと、彼らが生活を営んでいる人気の無い山村(エリア#76440)、及びそれらに掛かる一連の案件です。

当局がエリア#76440及び住民#76440について認識したのは、1993年末頃のことです。別案件の対応に当たって近隣を捜索していた局員が、偶発的に住民#76440と接触したことが端緒となっています。住民#76440の特異性を認識した局員は直ちに上席に報告、初期調査で多数の異常な点が見られたため、数日後には案件の立ち上げが決定しました。複数の住民#76440からのヒアリングにより取り扱い手順が定められ、本稿執筆時点に至るまで収容が続けられています。

エリア#76440は、ジョウト地方ヒワダタウン南東の山間部に位置する、海に面した小さな山村です。かつては人間が暮らしていたと思しき痕跡が残されていますが、過疎化が進んで多くの住民が退去し、少なくとも1980年代には廃村となっています。その後いずれかのタイミングで住民#76440が住み着き始め、現在のエリア#76440が形成されています。エリア#76440は住民#76440が居住する地域以上の意味を持たず、エリア#76440そのものに何らかの異常特性があるわけではありません。

住民#76440はエリア#76440内に居住している携帯獣であり、これまでのところ36体が確認されています(住民#76440-1から-36と指定)。住民#76440に共通する特徴は、体のいずれかの部位(ほとんどの場合は尻尾になります)に携帯獣の「シェルダー」が寄生していることです。寄生はシェルダーが部位に噛み付くことで行われており、その様態は携帯獣の「ヤドラン」に類似しています。ただしヤドランとは異なり、寄生しているシェルダーは一般的な二枚貝タイプのものに限られています。

ヤドランはシェルダーから注入される毒素により知能を飛躍的に発達させることで知られていますが、それと同じ現象が住民#76440にも見られます。住民#76440の知能向上はヤドランのそれよりもさらに著しく、局員の教育によりすべての個体がごく短期間に日本語をほぼ完全に習得したという事例が確認されています。住民#76440は物事を論理的に、かつ深く洞察する能力に長けており、自分たちがどのような状況/環境に置かれているかを正確に把握しています。

すべての住民#76440は、ほとんどの感染症に対して強い耐性を示しています。これは体内を循環するシェルダーの毒素が、侵入した異物を攻撃して速やかに駆逐する性質によるものです。加えて身体の老化もある一定のレベルで停止しているようであり、住民#76440は高い知性と共に極めて長い寿命を獲得しています。通常個体と比較して身体能力も強化されていることが分かっていますが、住民#76440の思慮深い性質から、戦闘へ発展するケースはまずありません。

発達した知性と長大な寿命のために、ほとんどの住民#76440は一日の大半を思索に耽ることに費やします。ヒアリングを通して、彼らは自分自身の生まれた理由や、シェルダーに寄生されて知性を得たことの意味について深く追求しようとしていることが分かりました。これは住民#76440の知性の現れと言えますが、しかし同時に大変に不毛な思索であり、かなりの数の住民#76440が人間で言うところの抑鬱状態に近い症状を呈しています。彼らは決してエリア#76440の外へ出ようとはせず、当局による収容下に置かれることを強く望んでいるようです。

以下は局員による住民#76440-12(♂のオタチにシェルダーが寄生しています)に対するヒアリングを、局員の許可を得てテキストへ書き起こしたものです:

---------- 録音開始 ----------
局員A:
始めてもよろしいでしょうか。
住民#76440-12:
はい。
局員A:
ここ最近、何か思うことがあるとのことですが。
住民#76440-12:
案件管理局の皆様のご厚意により、私たちはたくさんのものを得ることができました。それは言葉であったり、食糧であったり……何より、私たちのことを受け入れてくれたこと、そのものでしょうか。私たちは、案件管理局の皆様のご期待に沿えていますでしょうか。
局員A:
住民の皆様から得られた情報は、他では得られない貴重な知見として役に立っています。
住民#76440-12:
それは……何よりです。皆口には出しませんが、とても感謝しています。
住民#76440-12:
ですから、今なら客観的に、私たちの思いについて話すことができるように思います。聞いていただけますでしょうか。
局員A:
お聞かせください。
住民#76440-12:
知っての通り、私たちはシェルダーに寄生されたことにより、一般的な携帯獣から、知性を持った別の存在へと変貌を遂げました。以前別の局員の方が仰っていましたが、私たちの思考や生活様態は、携帯獣ではなく人間のそれに近しいと。私たちも、そのことについては認識しております。
住民#76440-12:
しかし――見ていただければ分かります通り、私たちの外見は少々異質な携帯獣そのものであり、人間とはまるで異なっています。ゆえに私たちは人間とともに歩むことはできない、仮に私たちがそれを望んだとしても、それを受け入れることは難しいということは十分理解できます。それは厳然たる事実として、私たちの中では既に合意している事項です。
住民#76440-12:
私たちは携帯獣でもない、ましてや人間でもない。では何か。私たちはこの問いに答えを出せずにいます。幾人もの仲間が幾度と無く言いました。私たちは私たちだと。けれどそれは、問いの本質的な答えではない。人間のような知性を持った、携帯獣のような風貌の生き物。私たちが何のために存在しているのか、私たちには分かりません。
住民#76440-12:
以前別の局員の方が仰っていた通り、私たちは長寿です。異常と言ってもいいでしょう。それは言うまでも無く、シェルダーがウイルスや病原体の類を駆逐してしまうためです。そして老いることもなく、傷を負ってもたちどころに治ってしまう。故に私たちは、長い時間を生きなければなりません。
住民#76440-12:
生きている意義を見いだすことができないのに、私たちは長い時間を生きなければならない。他の種族と相容れることなく、ただ私たちだけで生きなければならない。私たちはとても静かな、しかし決して終わりの無い無価値な戦いを続けていたように思います。
住民#76440-12:
けれど、私は局員の方々とお目にかかって、そして考えました。私たちがなぜここに居るのか――この不毛な問いに対する答えを求めることはやめにしよう、と。
住民#76440-12:
案件管理局で働く方々は、多くの、実に多くの、まったく理解しがたいものを扱っている。それが存在している意味を考えるよりも先に、この世界に危機をもたらさないために。
住民#76440-12:
私たちがすべき事は、私たちもそうした「理解しがたいもの」であるということを受け入れて――せめて、この世界に害を与えるような存在には堕さず、ただ静かに生きていくことだと。私はようやく、一つの答えを見たように思います。
住民#76440-12:
他の者はまだ、自らの存在する意味について考え続けています。自分たちが、何か特別な理由を持って生まれてきたのだと思っている、けれどその理由が分からずに苦しんでいる。そうではありません。私たちはただ「理解しがたいもの」に過ぎない。それ以上の意味は、恐らくは持っていないのです。
住民#76440-12:
そして……私たちがただの「理解しがたいもの」に過ぎず、ここに存在していることに何の意味も無かったとしても、この世界を害を為す存在でなければ、ここに生きていて良いのだと――私は、皆に伝えることができればと思っています。
---------- 録音終了 ----------

Supplementary Items:

本案件に付帯するアイテムはありません。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。