*七月二十一日*
……白い。
それがあたしが最初に抱いた感情だった。
見渡す限りの白。混じりけの無い、白。
どこを見ても、白。
……暖かい。
それが二番目に抱いた感情。
理由は分からない。でも、何か暖かいものを感じる。
この暖かさの理由は、何……?
……懐かしい。
理由は、この感情なのかも知れない。
記憶には無い。でも、どこか懐かしい。何が懐かしいのかも分からない。でも、懐かしい。
暖かな懐かしさを思わせる、白。
……悲しい。
でも、その次に抱いた感情は、悲しさ。
この白は、確かに暖かく、そして懐かしい。でもその懐かしさは、何か悲しいことを想起させる悲しさ。
この白には、何か悲しい記憶がある……
そんな記憶、あたしのどこに……
(パァン!)
「……って、何よっ?! 何なのよっ!」
あたしの耳元で、突然何かが破裂するような音が聞こえた。それがあまりに突然だったから、あたしは急に飛び上がって起きてしまった。
「うっ……頭が……」
急に飛び起きたものだから、当然のごとくふらつく足元、消え行く視界、重たくなる頭。体温が自分でも分かるぐらい下がっていくのを感じる。うう……元々朝は超苦手だってのに、一体何なのよっ。
「あ、愛子さん、起きたんですねっ」
「……………………」
あたしの隣に、パジャマ姿の渚の姿を発見。あたしが起きたのがうれしかったのか、表情はいつもにも増して、嫌な位明るい。
だがそんなことよりもまず、あたしは渚に指摘しなければならないことがあった。
「……渚」
「はいっ」
「……今日はあんたの誕生日なの?」
「違いますよ~。渚っちの誕生日は、七月の三十日ですよっ」
「……じゃあ、その手に持ったカラフルなブツは何よ」
あたしが指差す、その先には……
「これですか? これはですねー、クラッカーっていって、こうやって後ろの紐を」
「それは知ってるわよっ。何であんたが今! この朝! あたしの近くで! それを! はれ……ぜぇぜぇ……」
「わ、愛子さん、大丈夫ですか?」
「だ……大丈夫も……へったくれも……ないわよ……ぜぇぜぇ……」
つまりだ。あたしは朝っぱらから耳元でクラッカーを盛大に鳴らされて、それでお目覚めと相成ったわけだ。間違いなく、この世で最悪の目覚めだ。ある意味では昨日のよりたちが悪い。
「あんたねぇ……どうして普通に起こせないのよっ」
「えーっ? でも、テレビとかでこうやってよく……」
「真似していいことと悪いことがあるわよっ」
「わ、愛子さん朝からすごい顔」
「この顔は元々よ……って、何言わせんのよっ」
「たははっ。冗談ですよっ」
渚はからからと元気に笑って、台所の方へとてとてと駆けて行った。
「どーして普通に起こせないのかしらねぇ……」
フライパンにフライ返し、その次はボールとお玉。そして今日はクラッカーだ。明日には近くでネズミ花火でもぶちまけられるんじゃないだろうか。
(……いや、案外豆腐とかこんにゃくとかを投げつけられたりするかも……)
心底どーでもいいことを考えながら(あたし自身なんでこんなことを考えたのかよく分からない)、あたしは未だにぼやける視界といつもの二割増しぐらい重たい頭を抱え、渚が走っていった方向へのっそいのっそいと歩いていった。
台所に入ってみると、渚が朝食の準備をしている真っ最中だった。とは言っても、後はもうパンが焼けるのを待つだけで、他の準備は全部終わっている。うーむ。一体渚は何時に起床してるんだろ。
「あ、愛子さん。もうすぐできますから、もうちょっと待っててくださいね」
「ん。分かった」
あたしは短く言葉を返して、椅子を引いて腰掛けた。そして何気なく、渚の方を見つめてみる。
「……………………」
いつも思うのだが、渚は何をするにしても手際がいい。皿を洗う時も、料理をするときも、買い物をするときもそうだ。普段はワンテンポどころか一小節ぐらい遅れた感じなのに、手際そのものは同年代の子より間違いなくいい。
「分からないものね……」
あたしがそんなことを考えているとも知らず、渚はてきぱきと準備を進めていった。
朝食を食べ終え、いつものように外へ。
「渚、あんた今日も講習なの?」
「そうですよっ。お休みはあさってです」
「他の子はみーんな夏休みで遊びほうけてるってのに、大変ね……」
「たははっ。渚っちは、勉強が好きですからっ」
渚を学校へと送っていく道すがら、あたしと渚はいつもの他愛も無い会話を交わしていた。
そして、いつものように照り付ける太陽。ひっきりなしに聞こえてくるセミの合唱。当然のように飛び出す、あたしの言葉。
「それにしても、毎日どーしてこんなに暑いのかしらね……」
「うーん……渚っちは、これぐらいがちょうどいいですよ」
「あんたの体がうらやましいわ……」
額に汗を滲ませているあたしとは対照的に、渚の体はさらっさらだ。水分摂ってないんじゃないの? って思うぐらいだ。が、出掛ける前に渚がコップ一杯(それも相当でかい)に麦茶を入れて、おいしそうに飲み干しているのをこの眼でしっかり見ているから、それはありえない。
「ところで愛子さん、愛子さんは、今日はどうするんですか?」
「んー。今日はなんとなく気分的に図書館だから、図書館に行ってみる」
「わ、そうなんですかー。渚っちもよく図書館に行くんですよっ。図書館って、楽しいですよねっ」
「や、あんまり楽しいとは思ったことないけど」
「ええーっ?! 絶対に楽しいですよっ。いるだけで心がばくばくしてくるじゃないですかっ」
「や、そんな場所行きたくない」
そりゃあ、勉強熱心な渚にとって、図書館はそれこそものすごく楽しい場所かも知れない。本は唸るほどあるし、中は基本的に静かだ。それに、外と比べると断然涼しい。この辺は認めてもいい。
が、生まれてこの方まともに本を読んだ記憶が無いあたしにとって、図書館はそこまで面白い場所だとは思えない場所だった。別に嫌というわけでもないけど、積極的に行くべき場所でも無い気がする。
……でも。
「……んだけど、今日はなんだか図書館な気分なんだよねー。なんか無性に本読んでみたいというか」
「本ですかー。それだったら、うちに帰ってから、渚っちが愛子さんに本を貸してあげる、っていうのはどうですか?」
「んー。渚がどんな本を読んでるか分かんないけど、帰ったらとりあえず一冊貸してほしい」
「わ、了承してくれた! はいっ! 渚っちのお気に入りの本、貸しますねっ」
「ん。分かった」
成り行きで本を借りることになった。ま、家でいる間はずーっとヒマだし、その間本を読むってのは全然悪い選択肢じゃない。寝る前にちょっと読むってのも悪く無いだろう。
そんな風に、二人で歩いていた時のことだった。
「あっ、愛子さん。ちょっといいですか?」
「ん? どしたの渚」
不意に、渚からあたしに話しかけてきた。あたしはぐるりと首を回して、渚の方を向く。渚は鞄を手に提げたまま、おもむろに口を開く。
……そして。
「渚っちがずっと同じ夢を見てるってこと、もう……お話しましたよね」
その口から出てきたのは、渚の「夢」の話だった。あたしの背筋に一瞬、薄ら寒いものが走る。それを渚に気取られまいと、ごくごく普通を装って返事を返す。
「……うん。昨日聞いた。確か……渚が、空の上にいる夢だって言ってたわよね」
「はい。小さい頃からずっと……ずっと同じ夢を見ていたんです」
「……見てい『た』……?」
「……はい」
渚は小さく、小さく頷いて、ゆっくりと空を見上げる。
「昨日は、違ったんです」
「違った……?」
「はい。いつもと……全然違う夢を見たんです」
「空の夢じゃなかったの?」
この問いかけに、渚は首を横に振る。
「空の夢でした……でも、今まで見ていたのとは、まったく違う夢でした」
「……どういうこと……?」
渚の顔が曇り、その瞳が微かに震えた。何か、思い出したくないことでもあるのだろうか。
「……空に、ぽっかりと月が浮かんでいました」
「月……ってことは、夜……?」
「はい。月が光り輝いて、とても綺麗で、明るい夜でした」
「……………………」
「わたしはその月を目指して、空を昇っていました」
「……………………」
渚の語りかけが始まる。あたしは黙ったまま、渚の紡ぐ言葉の一つ一つを聞き逃すまいと、すべての神経をそこへ集中させる。
「体中に痛みが走って、動かなくなって、ばらばらに壊れそうでした」
「それでもわたしは、空を目指して昇り続けました」
「そうしているうちに……誰かの声が聞こえてきたんです。たくさんの人の声でした」
「何を言っているのかは分かりませんでした。けれども、それを聞いているうちに分かったんです」
「誰かが、わたしを閉じ込めようとしてる」
「狭いところに、わたしを閉じ込めようとしてる」
「ひどい耳鳴りがして、耳の中がきんきん鳴って……」
渚はそこまで語ると、俯いていた顔をゆっくりと上げた。
「……もうこれ以上昇れない、って思って、目が覚めたんです」
「……そんな夢を見たの?」
気が付くと、震えていた渚の瞳が元に戻っていた。
「すごく怖い夢でした。起きた時、いつもよりもたくさん泣いちゃってました」
「……確かに、怖くて悲しい夢ね……」
「はい。本当は……思い出すのも、怖いくらいです」
渚は鞄をぶら下げて歩きながら、いつもの口調であたしに語りかける。あたしは渚の姿を見ながら、渚が見たという「夜の空の夢」に思いを巡らせる。
(……なんか……妙な夢ね。物語の一節っぽいとでもいうか……)
「起きた時隣に愛子さんが寝てくれてて、渚っち、すごく安心しましたっ」
「あたしがいてもいなくても、そんなに変わらないでしょ」
「違いますよっ。誰かが隣にいてくれるだけで、渚っちはすごくうれしいんですっ」
「そういうもんかねぇ……」
渚の顔を見ながら、あたしは呟いた。
さて、そんな感じでしばらく歩きながら話をしていると、
「あ、校門が見えてきましたっ。そろそろ、お別れですねっ」
学校にたどり着いていた。
「今日も昨日と同じ時間でいいの?」
「はいっ。間違いないですよっ」
「分かった。そいじゃ、昨日と同じ時間に同じ場所で待ってるから」
「はいっ。それじゃあ、行ってきますっ」
「ん。気をつけて」
あたしは校門へと駆けて行く渚を、しばらくの間見送っていたが、
「あたしも行きますか」
ちょうど学校とは反対方向にある図書館を目指して、ゆっくりと歩き始めた。
夏の日差しは、今日も強い。
「……あづい」
セミじーりじーりじーり。
「……あづい」
日差しぎーらぎーらぎーら。
「……あづい」
陽炎ゆーらゆーらゆーら。
「……あづい」
汗たーらたーらたーら。
「……あづい」
炎天下の元、ひたすらに来ない客を待ち続けるあたし。今日はすこぶる不調だ。
朝から図書館に来るだろう子供を狙ってずーっと張ってるんだけど、来るのはみーんな人形劇には興味無さそうなマジメそーな子供ばっかり。たまにこっちを見たかと思うと、次にはもう図書館に入ってる。
「……ううぅ」
図書館の中であんな劇をやるわけにも行かないし(そもそも係員が見たら一瞬でつまみ出されるのは火を見るより明らかだ)、仕方ないので外で待ってるわけなんだけど、これがまた全然ダメ。この前商店街で劇を見てくれたお二人さんみたいな子は、ちっともよってこない。
やはり、これが現実なのか。だったらヤだなあ。
「……暑い時は人形劇でも見て涼を得る、これが日本の伝統でしょ……」
自分でもよく分からないことを言ってみる。そうでもしてないと、暑さで気が遠くなりそうだ。いや、実際ちょっと遠ざかりつつあるような気も少々。
「うー……水飲みたい……」
朝渚に水筒に麦茶を入れてもらってそれを持って来てたんだけど、そんなのはもうとっくの昔に飲み干しちゃった。振っても何の音もしない水筒が、とてつもなく虚しい。
「……あー、肌が焼けるー……」
日差しはいつもにも増して厳しい。これぐらいでちょうどいいと言う渚は、よほどの夏体質としか思えない。
「……おー、目がぼやけるー……」
あまりの暑さに、あたしの意識がどこか遠くへ行こうとした……
……多分、その時だった。
(ぴとっ)
「ひゃっ?!」
あたしのほてった頬に、冷たいものが当たった。遠くに行こうとしてた意識が、慌てて戻ってきた。
「戻ってきた?」
「……………………」
声のしたほうを見やる。
「顔、覚えてるよね?」
「……………………」
見覚えのある顔だった。
「ひょっとして、ここで人形劇してた?」
「……………………」
ついでに、昨日見たばかりの顔でもあった。
「暑いのに、よくやるね」
……真っ白なカッターシャツを着て、下は黒い長ズボンだ。顔立ちは悪くない。痩せ型で、身長は高め。まー、あれだ。いわゆる「どこにでもいる高校・大学生」とでも思ってくれれば問題なさそう。
「……しょうがないでしょ。これでご飯食べてるんだから」
そいつは……右手にサイダー(冷たいのがここから見ても分かる)を持って、あたしのまん前に立っていた。さっきあたしの頬に触れたのは、きっとあのサイダーだろう。
「……で、何? 冷やかしに来たわけ? あんたもヒマね」
「別に冷やかしじゃないよ。こう見えても、キミの事一日探してたんだから」
「……やっぱヒマじゃない」
あたしはため息を吐いた。こいつ、一体なんなのかしら。昨日会った(しかも時間にして五分もないぐらい)ばっかだってのに、こんなに馴れ馴れしく話しかけてくるなんて、ちょっと普通じゃない。
「……冷やかしじゃないなら、このお寒い光景で涼を得に来たとか?」
「まあ、涼を得るのは間違って無いかな」
「……じゃあ、何が間違ってるってのよ」
「やだなあ。キミが言ってたじゃないか」
「何を」
「暑い時は、人形劇で涼を得るもんだ、って」
「……聞いてたの……」
一体いつからここにいたんだ。あのあたしの独り言を聞いて、しかもそれをあたしに言ってくるなんて。
間違いない。こいつはヘンなヤツで、なおかつヤなヤツだ。あーもう、どーしてこんなのと出会った
……って、あれ?
「……人形劇?」
「そうだよ。僕は人形劇を見に来たんだ。キミの人形が動くのを見たくてね」
「……どこであたしが人形師だって情報を得たのよ」
「近所の子供からだよ。キミが人形劇を見せてるって聞いてね。女の子だったかな」
「……あの子か……」
確か……紅葉ちゃんだっけ? こいつがあの子から(きっと)無理やり聞き出したんだろう。
「それで、その子が言ってたんだよ」
「何を?」
「キミは手を触れずに人形を動かせるんだ、ってね」
「まぁ、それは間違って無いけど」
「それじゃあ、僕にもその人形劇を見せてくれない?」
「……本気で言ってんの? それ……」
「本気さ。見せてくれるよね?」
「……まぁ、見せないわけじゃないけど……」
さっぱり分からない。何でわざわざ人形劇を見るためだけに、一日中あたしを探し回ってたんだろ。まったく分からんヤツだ。あんまり係わり合いになりたくない。
あー、もうきっと考えるだけ無駄だ。ここはさっさと人形劇を見せて、撤収するに限る。
「そいじゃ始めるよ。一回しかやんないから、しっかり見といてよ」
「もちろん」
あたしは手提げかばんから人形を取り出すと、
「……世にも不思議な人形劇……開演!」
人形に念を込め始めた。
………………
…………
……
「……私はお前の敵にならざるを得ないのだぞ!」
……こんな感じで、あたしは一通りのネタを披露した。その間あの男の子……多分、あたしと同い年か少し下ぐらいだろう。その子は黙ったまま、じーっとあたしの人形劇を見ていた。
「……持ちネタはこれでおしまい」
「なるほど。確かに手も触れてないのに、動いてるね」
「もういい? あっつい中ずーっと人形動かしてて、あたし疲れちゃったんだけど」
「うん。もういいよ。十分見せてもらったからね」
「……んじゃ、あたし行かなきゃいけないとこがあるから」
あたしはそう言って立ち上がり、その場を後にしようとした……
「もう行っちゃうの?」
「そうよ。行かなきゃいけないとこがあるから」
「何か忘れてない?」
「人形はちゃんと持ったわよ」
「本当に何も忘れてない?」
「忘れて無いわよ。もういい?」
あたしがちょっとムッとしながら、そいつに言ってやった。もう、一体なんなのよあいつはっ。忘れ物なんか無いって言って
「これは?」
(ぴらっ)
「……はっ!!」
そう言って、あいつは一枚の紙切れを取り出し、あたしに向かって突き出すように見せてきた。
「……くっ……あたしとしたことがっ……」
それは、あたしが喉からはおろか耳からでも手が出るぐらい欲しい、今一番欲しい……
「僕的には、これぐらいの価値はあったかな」
「そりゃどうも。千円は高い方よ」
「へぇ。初耳だよ」
……お金、それも千円札だった……
あたしとしたことが、あろうことか御代を取りこぼすなんて……ううっ……あたし、もう人形師としてやっていく自信なくしちゃいそう……
「いらないなら、別にいいけど……」
「いるわよ」
「それじゃあ、忘れないうちに」
「どーも」
あたしはそいつの手から千円札を受け取り、硬貨が四枚しか入っていなかった財布にきっちりと入れた。なんだかんだで、でかい収入ではある。でも、気分は最高に最悪だ。
「それと、これも」
「どーもどーも」
で、今度はさっきのサイダーをもらう。喉が渇いてたから、これは純粋にありがたかった。もらうなりプルタブを開けて、一気に喉に流し込む。炭酸の泡が舌をつついて、死に掛けていた喉が一瞬にしてよみがえる。舌は舌で泡と甘さに飲み込まれ、喉は喉で泡の感触を愉しんでいる。
あたしはそれを一息で飲み干すと、改めて相手の方を見やった。
「ごちそーさま」
「今度からは気をつけてよ」
「……言われなくても分かってるわよ」
収入こそあったが、気分は落ちるとこまで落ちた。あーもうっ。どーしてこんなことになるのよっ。
あたしは陰鬱な気分になりながら、何気なく、その男の子のもう片方の手を見やった。
「……………………」
そこには、一冊の文庫本。古ぼけていて、背表紙にはテープで補修した跡も見える。黄ばんだ色が、その本が新刊だった時代はもう相当前だということを如実に示している。
「……………………」
あたしのいる位置からでも、その本のタイトルを読み取ることができた。
「……………………!」
背筋に走る、冷たい感覚。
あたしが何か大切なものを見つけたとき、必ず感じるこの感覚。
あたしに冷たい感覚を与えた、その原因は……
「……『翼人伝』……」
……見てはいけないものを見てしまったような感覚。
触れてはいけないものに触れてしまったような感覚。
でも……見るべくして見てしまったような気もする。
触れるべくして、触れた気がする。
翼人。翼持ちし、人。
あたしが今、当ても無い旅の中で当てもなく探し続けている、文字通り手の届かない存在。
……本のタイトルに、その言葉があった。
「あれ? 見えてたの? そうだよ。さっき図書館で借りてきたんだ」
「……それ、何の本?」
「興味があるの?」
「……ある」
「読みたい?」
「……読みたい」
あたしは今すぐにでも、あいつが手に持っている本を読みたいと思った。なぜかはまったく分からない。それがあたしの「探し人」と何か関係があると決まったわけでも無い。ただの御伽噺かも知れない。
でも……
あたしは何故か、それを読みたくて仕方なくなった。
「うーん。困ったね。僕も読みたいんだよ」
「……あたしも読みたい」
うー。でも本を持っているのはあいつだ。あいつが読みたいと言えば、あたしはそれに従うしかない。
今から図書館に行って同じのを借りる? いや、あたしは身分証明証を持ってないから、そもそも図書カードが作れない。それ以前に、同じ本が二つあるということ自体が考えられない。
「一日だけ貸して欲しい」
「これ、結構長いから、一日じゃきっと読みきれないよ」
「……うー……」
「ところで、今キミは誰かのとこで厄介になってるの?」
「……そうだけど。それがどうしたの?」
「それじゃあ、こうするのはどう?」
というと、その男の子はあたしの一歩前に出て、
「僕が今からそこに行く、っていうのは」
「……なんでこんなことに」
「キミが本を読みたいって言ったからだよ」
「……あうう……」
……どうしてこんなことになってるんだろ?
気が付くと、「あたしがあの男の子と一緒に渚を迎えに行って、おまけにヘタをするとそのまま渚の家まで直行」という、ちょっと信じられない展開になっていた。
何故? どして? こいつとは、昨日偶然会っただけじゃん。なのに気が付くと、なんか渚の家まで付いて来ることになってる。一体、なんでこんなことに?
「キミはずっと旅をしてるの?」
「……まあ、そうなるわね」
「ふぅん。どうして旅を?」
「……人には言えない理由」
「逃亡生活?」
「……やったのは電車のキセルぐらいよ」
あー、なんかもう会話するのもかったるい。日差しがぎらぎら照ってめちゃんこ暑いのはちっとも変わらないし、隣には人を食ったような話し方ばっかりする男の子。気分は最悪だ。
「それじゃあ、自分探し?」
「……今時自分探しぐらいでこんな辛い旅する人なんかいない」
「だろうね。僕だったら辛くて嫌になるよ」
「……………………」
「自分探しでもないか。じゃあ……」
「……………………」
「……人探し、かな」
……ひょっとしてこいつ、分かっててやってるんじゃないか? 確かに、ある意味では人探しとも言える。こいつの言ってることは、間違ってるわけでもない。
が、探してる人があまりに突拍子過ぎて、とても言えたもんじゃない。言ったらこいつに何言われるか分かったもんじゃない。
「……………………」
「……正解、みたいだね」
あー、もう一緒にいるだけで疲れてくる。ここまで人を食った態度ができるなんて、ちょっとした才能だよ。ホント。
「ところで、まだ聞いてないことがあったね」
「……何」
「キミの名前さ」
「……殺村凶子」
「偽名はよくないよ。『殺』とか『凶』は名前に使えないからね」
くっ。偽名で逃げ切る作戦は失敗した……そりゃあ、「殺村凶子」じゃ偽名だと思われても仕方ないか……
「……神崎愛子」
「神崎さん、か。いい名前だね」
「……そりゃどーも」
けっ。ちっともそう思ってなんか無いくせにっ。ホント人を食うことにかけては右に出る者なんかいないな。いっそマジで人でも食っとけばいいと思う。
「あんたの名前は?」
「僕の名前? なんだと思う?」
こいつ……人の名前なんか分かるわけねーだろっ。
「……殺村凶介」
「まあ、悪くは無い名前だとは思うよ。実際には使えないけどね」
「……分からない」
「……僕の名前は『国崎英二』。国語の『国』に、キミと同じ『崎』、あとは英語の『英』に『二』だよ」
「国崎英二……」
国崎英二。どーってことない名前だ。神崎愛子。これもどーってこと無い名前だ。国崎愛子。足してみても、ちっともぱっとしない。というか、足すな私。考えてみろ、あたしとあいつの名前を足すってことはだな……
「……あーやだやだ」
「どうしたんだい? 急に……」
「……なんでもない」
やな想像を振り払いながら、学校への道を歩いてゆく。時間は今十一時四十五分。今から行くと、ちょうど渚の授業が終わる頃に向こうにたどり着くはずだ。
隣に人食い少年を連れて、あたしは歩き続けた。
「ここがキミが厄介になってる場所?」
「んなわけあるかっ」
「だよね。いくらなんでも、学校に寝泊りするのはまずいと思ったよ」
「こいつ……っ」
あたしと国崎は、渚がいる高校の前まで歩いてきた。予定よりかはちょっと早い到着だけど、まーもうすぐ出てくるだろう。
「ここにキミが厄介になってる人がいるんだね?」
「……そうよ。渚って女の子。二年生の子よ」
「渚ちゃん、か……うん。悪くない名前だと思う」
「……………………」
「なるほど。ということは、キミは彼女の送り迎えをしてる、ってわけだね」
「……まー、そうなるわね」
なんとも気まずい会話だ。というか、こいつはペースを握るのが上手すぎる。あたしはひたすら守りに入るばっかりだ。くっ。なんでこんなことになったんだか……
「あ、人が出てきたね。そろそろかな」
「……………………」
国崎がそう言うと、学校の正面玄関からじわじわと人が流れ出てきた。時刻は十二時十二分。講習や補習が終わる時間だ。さて、渚はどこにいるのかな……?
と、あたしが目を凝らしていると。
「一人、走ってくる子がいるね」
「……別に走ってこなくてもいいのに」
探すまでもなく、渚の方からこっちに向かってぱたぱたと駆けて来た。暑いのに、よくやるなぁ。
「あ、愛子さ~ん! 迎えに来てくれたんですねっ」
「言ってるでしょ。あたしはこう見えても約束はちゃんと守るタイプだって」
「たははっ。そうですよねっ」
渚はいつもの笑顔で、あたしの傍に寄ってくる。
と。
「あれれ~? 愛子さん、この人、お友達さんですか~?」
「違う違う。ただの道連れ。ちょっと、事情があって」
「キミが渚ちゃん? 初めまして。僕は国崎英二。よろしくね」
「あっ、はいっ! 国崎さんですねっ! 渚っちからも、よろしくですっ!」
「渚っち……キミ、かわいい一人称を使うね」
国崎が「かわいい」という単語を出した途端、
「え、えええっ?! そ、そ、そ、そんなこ、こ、こ、こと、ななななないですおっ!」
「何でそんなに慌ててるのよ、あんたは」
渚が顔を真っ赤にして、両手をぶんぶん振りながら答えて見せた。ここまで慌てた渚を見たのは、二回目だ。
どーしてだろ? どこの馬の骨かも分からん男にちょっと「一人称がかわいい」って言われただけで、そんなにうれしいもんなんだろうか。あたしだったらむしろ鳩尾辺りに殺人キックを食い込ませるところなんだけど。
「はははっ。仕草とかもかわいいね」
「あ、いや、えっと、その、あの、な、えっと」
「こらこら。これ以上混乱させるな」
一瞬で手玉に取られてしまう渚。
あーあ。これじゃあ……
「ところで渚ちゃん、一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
きっと……
「えっ? あ、何ですか? 何でも言ってくださいっ」
間違いなく……
「僕も神崎さんと一緒に、キミの家に行きたいんだけど……いいかな?」
考えるまでもなく……
「了承♪」
「……だと思った」
「国崎さんって、どこに住んでらっしゃるんですか?」
「そうだね。図書館からちょっと離れたところにあるアパートに、一人で住んでるよ」
「わ、国崎さんも一人なんですねっ。実は、渚っちも一人なんですよっ」
「キミが一人? それ、どういうこと?」
「えっと……お母さんが出張に出掛けてて、それで一人なんです。今は愛子さんがいてくれますけどねっ」
「まぁね」
道すがら、どーってことない話をして歩く。
それにしても気になるのは、
「国崎さん、背がすっごく高いですねっ」
なんというか、なんと言えばいいんだろう、
「あ、あ、あ、あの……」
うーむ。
「と、と、と、隣で一緒に歩いても……い、いいですか?」
「いいよ。さあ、おいで」
「あ、あ、あ、ありがとう、ご、ございますですっ!」
「なんだお前ら」
あれだ。渚は……たった、たった、たった! たったあれだけのやり取りで、国崎に完全に「ほ」の字だ。すげぇ。渚がこんなに単純な子だったなんて。あたしはもうちょいややこしい子だと思ってたのに。
「うう~……国崎さんのお隣で、一緒に並んで歩ける……渚っち、今とっても幸せですっ」
「こんなちっぽけな幸せでいいんだったら、いくらでもあげるよ」
「ううう~……渚っち、うれしさで天に昇っちゃいそうですよ~……」
「キミって、やっぱりかわいいね。それに、すごく面白いよ」
「うううう~……渚っち、感激ですっ」
「なんだお前ら」
というかあれだ。あたしがいることを完ッ全に忘れられてるような気がする。渚はもう完全に「恋する乙女」みたいな顔してるし、国崎も国崎で(あたしから見るととてつもなーくヤな感じの)ニコニコ笑顔だ。あたし、必要なし。
と、そこで。
「ふふふ……愛子さんっ」
渚がとてとて走ってあたしの前に立ち、びしぃと人差し指であたしを指差すと、
「今日から渚っちは、愛子さんの愛のライバルになりますっ」
「……………………はぁ?」
唐突にわけの分からないことを抜かしてきた。いや、分かるけど、もうどっちでもいいというか。
「渚っちと愛子さんによる、壮絶な国崎さんの取り合いですっ。仁義なき戦いですっ」
「……………………」
「渚っちは負けませんよー! 国崎さんは、渚っちがゲットしちゃいますからーっ!」
「……………………あんた……」
渚は……
……何かこう、想像を絶する大勘違いをしているような気がする……
……そう。それこそ、あたしが渚のことを「中学二年生」だと思ってたみたいに……
「渚っち、ふぁいとっ!」
「……………………」
「お昼ごはんまでご馳走になっちゃって、なんだか悪いね」
「たははっ。たくさんありますから、気にしないでくださいねっ」
家に着くと、渚がすぐに昼食の準備を始めた。あたしは特にすることもなく(渚が「ふふふ。渚っちが女の子らしいところを一人でアピールしちゃいます! ですから、ライバルさんの愛子さんはそのまま座っててくださいねっ」と言ってきた。本人が言うのでなんとも気楽にぼけーっとしてられる)椅子に腰掛けて座っていた。
渚はいつものようにてきぱきと準備を進めると(しかもしゃべりながらだ)、あっという間に三人分の食事を作ってしまった。今日は昨日に引き続いて素麺だ。こんな暑い日は、もう素麺一択だと本気で思う。
「すごいね。もう準備できたんだ」
「たははっ。これぐらい、お昼ご飯前ですよっ」
「時間帯によって変わるのか、あれは」
そんなことを言いながら、
「それでは、いただきます、ですっ」
「ん。そいじゃ、いただきます」
「いただきます」
めいめいに素麺をつつき始める。
「……………………」
「おいしいですか?」
「うん。すごいね。ゆで方が完璧だよ」
「たははっ。素麺は大好きですからっ」
「……………………」
ずるずるずる。あたしは黙って素麺をすする。別に会話に混ざりたくないわけじゃない。ちゅるちゅるちゅる。単に、しゃべる暇があったらこの素麺を味わっていたいだけだったりする。つるつるつる。うーむ。渚の素麺は国崎の言うとおり、あらゆる方向性において完璧だ。もぐもぐもぐ。うん。それは間違いない。ごくん。
……しかし、奇妙な面子だなあ。
母親が長期出張でいないちょっと変わった女の子と、そこに勝手に入り込んで住まわせてもらってるさすらいの人形師(あたし)、それから正体不明の謎の男。
渚とあたしと国崎には、ホントに何の関係も無い。渚とあたし、あたしと国崎、渚と国崎。二人単位で見ても、ちっとも関係ない。大体、あたしはここの人間じゃない。ただの流浪人だ。
あたしたちには、つながりらしいつながりは何にも無い。渚とあたし、あたしと国崎、渚と国崎。どの関係をとってみても……間違っても家族なんかじゃないし、友達というにはちょいと関係が妙だし、知り合いというにしてもやっぱりしっくり来ない。無理やり関連性を導くなら……
……あー、ひょっとして、前世で一緒だったのかも。
どーいう関係かは分かんないけど。そんぐらいしか思いつかない。
「前世……」
「……? 愛子さん、どうしたんですか?」
「……いんや。なんでもない」
まー、そう都合よく前世一緒だった人間が出会えたら、苦労しないわな。
「ごちそーさま」
「はい、ごちそうさま、でした」
「ごちそうさま」
ほとんど同時に素麺を食べ終えて、一息つくあたしたち。
「さて……これからどーしよっかな……」
「今日は特に予定もありませんから、渚っちはお家でごろごろしてますねっ」
「それがいいね。僕もそうさせてもらうよ」
「わ、まだいてくれるんですねっ。渚っち、うれしいですっ」
「そんな喜ぶことでもないと思うけどなぁ」
あたしは目をキラキラと輝かせる渚を見ながら、やっぱり渚ってわかんない、そんな気持ちで一杯だった。
と、そんな時……
「あっ……」
渚が急に声を上げた。
「……どったの?」
「ご、ごめんなさい……渚っち、急用を思い出しちゃいましたっ」
そう言って渚が急に椅子から立ち上がり、そのまま歩こうとした。
「急用?」
「すぐに戻りますから、ゆっくりしててくださいねっ」
「え、あ、ちょっと……」
「すぐに戻りますからーっ」
渚はそのまま走り出し、戸を開けて外へと出て行ってしまった。
「渚……」
唐突。あまりに唐突。渚は急に「用事がある」と言ったかと思うと、あっという間に外へ出て行ってしまった。一体、何を思い出したんだろう?
「……………………」
「……………………」
国崎も様子が分からないみたいで、渚が消えた方向をじーっと見つめていた。
……あ、ちょっと待って。ちょっとタンマ。状況を整理してみよう。
……渚がいなくなったってこたー、今この家にいるのは……
「……僕とキミだけになっちゃったね」
「言わなくても分かってるわよっ」
……まあ、あたしと国崎だけ、っていうことになっちゃうわね……
……って、
「渚あああああっ! 戻ってこおおおおいっ!」
「何もそんな全力でこの状況を否定しなくても」
「あんたと一緒にいること自体が嫌なのよっ」
渚めぇ……さっきまでと言ってる事とやってることが違うぞっ。お前はこの変な男をゲットするんじゃなかったのかっ。いつも一緒にいるんじゃなかったのかっ。
「まぁまぁ、怒ると血圧が上がってよくないから」
「……怒ってなんか無いわよ」
「そう言えば、落ち着いて話をしたことも無かったしね」
「……話すようなことなんか、ある?」
「あるさ。少なくとも、僕には」
一体なんなんだこいつは。あたしに一体どんな興味があるんだか。あたしはこいつになんかちっとも興味ないってのに。
「……例えば、どんなこと?」
「そうだね。例えば……」
「……………………」
わずかな沈黙の後。
「……どうしてキミが、『翼人伝』に興味を示したのか、とかかな」
「……………………」
「ただの興味本位とは、思えなかったけどな」
「……………………」
こいつ……一体何考えてんだ?
「……ただの興味本位よ」
「そうか……それならちょっと残念だよ」
「……何が」
「ひょっとしたら、キミの……」
「……………………?」
「キミの探し人と、何か関係があるから、っていう答えを期待してたんだけどね」
「……………………!」
こいつ……一体何考えてんだ?!
「あんた……それ、どういう……!」
「いや、ただの僕の思い過ごしだよ。気にしないで」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……女の子はいつまでも大人になれなくて……」
「……………………!」
「……いつも一人ぼっち……」
こいつ……一体何考えてんだ!
「……………………あんた、一体……?!」
「いや、何でもないよ。ふと頭にそんなフレーズが浮かんだから、言ってみただけ。僕のクセなんだ」
「……………………」
「本当に何でもない、ただのフレーズさ」
「……………………」
「……キミがそんなに反応する理由は、ちょっと分からないけどね」
「……ほっといてよ」
「そうそう。言ってた本、貸しとくね。はい」
「……………………」
無言で国崎から本を受け取る。
こいつ……一体何考えてんだ。
まるで……あたしの旅の理由を……何もかも知ってるみたいに……
「……………………」
この場にいること自体に何か猛烈な嫌気が差してきたので、あたしは無言のまま立ち上がり、和室に向かった。
「……………………」
国崎はそれを、無言で見つめていた。
「……一体、何だってのよ……」
国崎から受け取った本を手の中でいじくりながら、あたしはなんとも言えない胸のつかえを感じていた。
「……………………」
あいつの発した言葉が引っかかって、あたしの胸の中で跳ね返っている。何度も何度も跳ね返って、鈍い音が響いてくるよう。
「……彼女は……」
気が付くと、
「……いつも一人きりで……」
あたしは、
「……大人になれずに……」
同じ言葉を、
「……消えてゆく……」
……口に出していた。
「……………………」
あたしはそのフレーズに、聞き覚えがあった。聞き覚えがあるとか、そんな話じゃない。何度聞かされたか分からない、そんなフレーズだ。
……それは、母さんから聞かされた文言だった。
「……この空の向こうには……」
何度聞いたか分からない。
「……翼を持った少女がいる……」
何度聞かされたか分からない。
「……それは、ずっと昔から……」
聞き覚えがあるとか、そんな話じゃない。
「……そして、今この時も……」
あたしが、旅をする理由。
「……同じ大気の中で……」
言葉のすべてが手の届かないもののようで。
「……翼を広げて……」
それが本当なのかどうかも分からなくて。
「……風を受け続けている……」
それが本当に理由なのかも分からなくて。
「……そこで少女は……」
でもそれは……
「……同じ夢を見続けている……」
あたしの心の中で……
「……彼女はいつも一人きりで……」
消しがたい大きな存在で……
「……大人になれずに……」
あたしを衝き動かす最大の理由で……
「……消えてゆく」
あたしを衝き動かす唯一の理由で……
「……そんな悲しい夢を……」
それだけが……
「……何度でも繰り返す……」
あたしの道しるべ……
「……………………」
母さんはいつも、あたしにいろいろな話をしてくれた。話をしてくれたことは間違いないけど、ちゃんと覚えている物は少ない。話の中身が難しすぎたり、単に眠たかったりで、ところどころ抜けているのがほとんどだ。
でも。
この文言だけは……ちゃんと覚えている。
「……この空の向こうには、翼を持った少女がいる」
「……それは、ずっと昔から」
「……そして、今、この時も」
「……同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている」
「……そこで少女は、同じ夢を見続けている」
「……彼女はいつでもひとりきりで……」
「……大人になれずに消えてゆく」
「……そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す……」
忘れたくても、忘れられない。……忘れたいと思ったことなんか、一度も無いけど。
母さんは言った。あたしたちは、「翼を持った少女」を探さなきゃいけない。探し出してどうするのか、どうやって探し出すのか、どうして探さなきゃいけないのか。対処・方法・理由。そんなのは何も分からない。
ただ、探さなきゃいけない、という観念だけが、あたしに強く残った。理由なんかどうでもいい。方法なんていくらでもある。対処なんて出会ったときに考えればいい。細かいことは、探すことを止める理由にすらならなかった。
……「翼を持った少女」を探すこと。
それが、あたしたちの「道しるべ」だった。
「…………はぁ……」
あたしは大きく息を吐いた。なんでこんなこと考えてるんだろ。
「……わっかんないわねー……なんであいつが……」
壁にもたれかかりながら、ゆっくりと目を閉じる。考えることに疲れた。あいつが何を考えてるんだとか、あいつがどうしてあたしの母さんの言ってたフレーズを知ってるんだとか、大体あいつは何者……
「……………………」
……そこまで考えた時、あたしの意識が、電気のブレーカーでも落したみたいに、ふっ、と途切れた。
「……うぐぐ……また寝ちゃったみたいね」
再び目を開けたとき、あたしの背中に鈍い痛みが走った。そりゃあ、土壁によっかかって、しかもちょっとヘンな体勢で寝てたんだもん。痛くないほうがおかしい。
「……えっと……今は何時……」
壁にかかった時計に目をやる。寝たのが一時半ぐらいだから、まあ大体、三時ぐらい――
「……ちょ」
――だと思っていたら、実際には……
「……や、冗談でしょ、これは……」
……実際には。
「……もう晩御飯の時間とか、ありえないから……」
……あと五分で、夕方の六時になるっていう、そんな時間だった。
「いくら何でも、寝すぎでしょあたし……」
昼の一時ぐらいに寝たのに、起きたのが六時だ。すげえ。軽く五時間ぐらいは寝てる計算だ。おいおい。いくらなんでもちょっと寝すぎた。
「渚、帰ってきてるかな……」
あたしは体をよじって立ち上がり、周りを見渡してみた。和室の中は、あたしが起きていたときと何も変わらず、ちゃぶ台とテレビ以外は特に何も――
「うなー」
「……………………」
「にゃーん……」
「……………………」
あたしの視線の先には、妙にでっかいボストンバッグが一つと、
「うなー」
「……なんであんたがいるのよ……」
……人形をくわえて逃げた、あの黒猫の姿があった。バッグの上に鎮座して、糸みたいな目でこっちを見ている。
「……大体、このバッグは一体……」
あたしはバッグにも目をやってみる。見ると、結構ぎっしり中身が詰まっているように見える。猫が乗っていて気持ちよさそーにしてるってことは、きっと中身は柔らかいものだろう。
普通は旅行に使うかばんの中に入っている柔らかいもの。これは間違いない。
「……ヤな予感」
黒猫とバッグから素早く視線を外し、あたしはふすまを開けて外へ出た。
「あ、愛子さん、おはようございますっ」
あたしの予感は、どうやら大的中しそうだった。
このまま的中してしまうのは癪なので、最後の抵抗を試みることにする。
「……一個聞いてもいい?」
「いいですよっ。なんですか?」
「なんであんたが台所に立ってるの?」
あたしは……台所に立っている、とある人物を指差して言ってみた。
「やあ。よく眠れた?」
「……おかげさまで」
「で、僕が台所に立ってる理由だよね」
「……なんとなく分かるけど、言って」
「そうだね……あえて言うなら……」
「……………………」
「……一人より二人、二人より三人、ってとこかな」
「そうですよねっ。一人より二人、二人より三人、ですよねっ」
「……………………」
国崎はしれっと言ってのけた。そして、それに同調するかのように渚も続く。一人より二人、二人より三人……なんだろう。このゲームのキャッチフレーズみたいな言葉は。
「キミが寝てる間に、ちょっと荷物を取ってきたんだ」
「なんで荷物がいるのよ」
「言ったじゃないか。二人より三人、だからだよ」
「……つまり、今日からあんたは……」
「そういうこと。よろしくね、っていうやつかな」
「はいっ! よろしくですっ!」
つまり、こういう事だ。
あたしが寝ている間に……まー、多分渚が国崎を説得するなり国崎におねだりするなりしたんだろう。国崎がここに(多分)しばらくの間泊まることになったようだ。
国崎は一人暮らしだと言っていたので、家を空けてても問題ないはず。で、猫……ネルって名前だったか。ネルを一人にしちゃ可哀想だから、家まで連れてきた。こんなところだろう。
「……あたしが寝てる間に……」
「まぁまぁ、人数が多いほうが、楽しいと思うよ」
「……多けりゃいいってもんでもないでしょ……」
あたしは思わず頭を抱えた。なんだって、こんなのと一緒にいなきゃいけないんだか……渚は渚で目をいつも以上にキラキラさせてあいつの傍から離れようとしないし、あいつもあいつでそれを楽しんでるみたいな感じ。そりゃあ別に構わないけど、あたし、あいつといると息苦しくなって困るんだけど。
……ま、必要以上に気にしないことにしますか。あいつも、渚を取って食おうなんていう鬼畜にも劣るような真似はしないと思うし。あたしの意識の外へ追い出しとけばいいだけだ。
「もうちょっとで出来ますから、そのまま座っててくださいねー」
「ん。分かった」
あたしはそのまま、椅子に座って待つことにした。
「……………………」
夕食(今日は豚のしょうが焼きだ。食べやすい大きさに切ってちゃんと並べてある辺り、さすが渚といったところかな)の配膳が終わった時、あたしはその奇妙な光景に目を奪われていた。
「……渚、これ、どーいうこと?」
「ふふふー。何のことですかー?」
「や、何のことって」
あたしの目を奪っていた、その奇妙な光景というのは、
「なんか、あたしのだけ妙に多くない?」
……あたしのところに盛られている料理の量が、どーみても渚の隣に座っている国崎よりも、ちょっとばかし多いのだ。普通、量で言ったら「国崎>あたし>渚」となるはずが、「あたし>>国崎>渚」みたいなことになっている。これ、ちょっとおかしくない?
「ふふふー。ようやく気付きましたねっ」
「や、ようやくっていうか、今並べ終わったばっかだし」
「ふふふー。これは渚っちの完璧な作戦なのですよっ」
「作戦?」
「そーですっ! これは渚っちの完璧な作戦ですっ」
渚はどどーんという擬音語がバックに出るような、腕を腰に当てて大きく胸を張った姿勢で、あたしに向かってこう言い放った。
「愛子さんにいっぱいいっぱいお料理を食べさせて、その体型を台無しにしちゃおうという作戦ですよっ」
「……………………」
「ふふふー。これで国崎さんは渚っちのものですっ。愛子さん、敗れたりー、ですっ」
「……これ、ホントに全部食べちゃっていいわけ?」
「……………………へっ?」
「いいんなら、遠慮なく頂くわよ」
渚が何か言っているが、分量を多くもらえるのは純粋にうれしい。今日はお昼が素麺だけだったし、ちょっとお腹に何か詰めたかったところだ。これだけあれば、十二分にお腹が満たせるだろう。
「え、あ……ど、どうぞ……です」
「ありがと。こんなにもらっちゃって、悪いわね」
「い、いいんですよっ! さ、さあ、ど、どんどん食べちゃってくださいねっ」
「ん。そいじゃ、いただきます」
「それじゃあ、僕も頂こうかな」
よく分からないが、渚は気前がいいなあ。こんなに盛ってくれるなんて。もちろん、渚が作ったものだから、味は折り紙つきだ。それがこんなにたくさん食べられるなんて、どう考えてもあたし、得してるじゃん。
あたしはいつもより多めに盛られたご飯と、三人の中で多分一番多いしょうが焼きを交互に口に運びながら、あー、お肉ってこんなにおいしかったんだなあ、なーんてことをしみじみ思ったりした。
で、あたしの前の席に座っている渚は、
「うー……作戦失敗です……愛子さんをぎゃふんと言わせるはずだったのに、逆に喜ばれてしまいました……ううう」
何かぼそぼそつぶやいているが、あたしはこれといって特に構わず、渚お手製の料理に集中し続けた。あー、おいしいっ。
「……………………」
国崎は渚を横目で見ながら、時折微かな笑みを浮かべていた。
「ごちそーさま」
「ごちそうさま」
「はい、ごちそうさま、です」
なんだかんだで夕食も終わり、渚が食器を片付け始めた。食事の途中から渚も普通の調子に戻って、ごく普通に会話に混ざっていた。それであたしは確信した。あれだ。渚は根がいい子だから、本気で人をいぢめることができないタイプなんだろう。
「それじゃあ、お風呂沸かしてきますねっ」
「あいよ」
渚がたっと立ち上がり、お風呂場の方へとてとてと駆けて行った。
……さて、渚がいなくなったということは。
「……………………」
「……………………」
……またこの取り合わせか。正直、渚が四六時中こいつにくっついててくれたら、あたしはものすごく助かるんだけど。
「……………………」
「……………………」
三分ぐらい、お互いに何も話さずにやーな感じの沈黙が続いた後、不意に国崎が、
「……ちょっと、いい?」
「……何?」
話を切り出してきた。あー、なんだろ。まーた訳わかんないこと聞いてくるのかな。なんか答えるのも億劫。
「……さっきのこと……」
「……………………」
「……まだ怒ってる?」
「…………へ?」
な、なんだ急に? 「さっきのこと、まだ怒ってる?」って、何が? 大体、さっきのことって……
「……キミが知ってるかどうか、気になったんだ」
「……………………」
「……ひょっとしたら、僕はキミの触れてはいけない部分に触れたんじゃないか、って思った」
「……………………」
「……そうだとしたら、素直に謝りたいんだ」
……多分、あたしが昼寝しちゃう前にこいつが言った「あの言葉」のことだろう。あたしが母さんから聞かされたあの文言の一説を、こいつが口走ったこと。あの後あたしは無言で出て行ったから、きっと怒ってると思ったんだろう。
正直、あの時は「怒り」よりもむしろ「不気味さ」を感じたぐらいだった。どーしてあたしのことをそんなに知ってんだ、お前何考えてんだ、って感じで。だから、なるべくすぐにあの場から離れたかった。何も言い返さなかったのも、これ以上話をして疑問を増やすのは御免だと思ったから。
が、今の国崎の表情を見ていると、どうもあれには何かもっと特別な意味があったような気がしないでも無い。本当ならあの時の段階でちゃんと話をしておかなきゃいけなかったのに、あたしが出ていっちゃったからそれができなかった。なんだかそんな気もしてきた。
なのであたしは、話を前に進めようと思った。だから、こう答えた。
「……いんや。別に怒っては無いよ」
「……良かった。あんなこと言ったら、怒られてもおかしくないからね」
「怒っては無いよ……たださあ、気になることがあるのよ」
「なんだい?」
「どーしてあんたが……あんなこと言ったのか、ってこと」
あんなこと、とはもちろん、あたしの「探し人」についてのことや、「あの文言」のことだ。細かいことから聞いていくのは性に合わない。なら、一番気になることをずばっと聞くべきだ。あたしはいつもそうしてきた。
「……………………」
「……………………」
沈黙が続いた。あたしは無理に次の言葉を引き出そうとせずに、国崎が自然に話すのを待った。
国崎は何か思いつめたような表情をして、何を話そうか迷っているような様子だった。
「……………………」
「……それは……」
「……………………」
国崎が次の言葉を紡ごうとした、ちょうどその時だった。
「たははっ。愛子さん、国崎さん、お風呂、空きましたよっ」
いつもの「たはは笑い」と共に、渚が戻ってきた。
「あ、渚……あれ? あんた、もうお風呂入っちゃったの?」
渚は「お風呂を沸かしに行く」と言ったのだが、戻ってきた渚はいつものやたらと子供っぽいピンクのパジャマを着て、顔をほんのり桜色に染めていた。バスタオルでしきりに髪の水をふき取っている。
「ふふふー。これも渚っちの作戦ですよ~」
「作戦?」
「ふふふー。あつあつのお風呂に先に入って、無駄なお肉を減らしちゃう作戦ですー」
「……………………」
「ふふふー。これで愛子さんは二番風呂ですねっ。今度こそ渚っちの勝ちですっ」
「……………………」
そーか。渚がもうお風呂に入っちゃったのか。ってことは、あたしは二番風呂かな。こりゃあちょうどいい。あたし、一番風呂はお湯がかたくて苦手なんだよね。二番風呂だと十分あったかいし、一番風呂みたいに無駄な熱さが無い。一番好きだ。
あたしはそれでよかったのだが、渚はどうもあまりよくないらしく、
「ふ、ふふふー……こ、これで渚っちの勝ちですねっ」
「どーでもいいけど、あんた顔が真っ赤よ」
「……あうう~……ちょっと、のぼせちゃいました~……」
「あーあー。沸かしたてのお風呂にいつもの調子で入っちゃうから」
「あ、目の前が~……」
渚がふらふらしていたので、あたしがそっちまで歩いていって、
「よっと」
渚を支えてやった。こうしてみると、渚は本当に子供みたいだ。渚はあたしによっかかって、なんだかぼーっとした表情をしている。こうしてみると、渚ってかわいい。普通にそう思う。
「あ、愛子さん……ごめんなさいです」
「ほらほら。椅子に座って、冷たいものでも飲んで、ちょっとゆっくりしてなさい」
あたしはぐでんとした様子の渚を支えながら、渚のコップに冷たい麦茶を注いだ。そのまま渚を椅子に座らせ、コップをその前に置いた。
「……あうう。愛子さんを今度こそぎゃふんと言わせるはずだったのに、逆に優しくされちゃいました……」
「もうヘンなことは考えないようにしなさいよ。そいじゃ国崎、あたし先に入ってくるけど、いい?」
「いいよ。僕は渚ちゃんの様子を見ておくから」
「助かるわ」
あたしは国崎と渚を残して、お風呂に入ることにした。
あたしに続いて国崎も風呂に入り、再び三人が台所に集まった。渚はすっかり元気を取り戻した様子で、国崎にしきりに話しかけている。
「国崎さんって、どんな食べ物が好きなんですか?」
「うーん……そうだね。僕は魚が好きだよ」
「魚ですかー。やっぱり、お刺身で食べるのが一番ですよね?」
「そうだね。魚は刺身で食べるのが一番美味しいと思うな」
あたしは二人の話をぼーっと聞いていた。特に混ざりたいとも思わなかったし、渚と国崎が楽しそうに話しているのを見るのも、案外悪くないと思ったからだ。
「そうですよねっ。やっぱり、お刺身ですよねっ」
「ははは。渚ちゃんって、結構渋いね」
「うー……それは褒めてませんよっ」
「気にしない気にしない」
「……………………」
しっかし、やっぱりヘンな取り合わせだよなあ。あたしと渚と国崎。前も考えたけど、共通点らしい共通点も関係らしい関係も何も無い。なのに、今こうして、ごく自然に一緒の空間にいる。うーむ。やっぱりヘンな感じ。
「あっ、そうでしたっ」
「……どったの?」
「愛子さんに、渡したいものがあるんですっ」
渚が急に立ち上がり、二階にある自分の部屋へとてとてと駆けて行った。あたしに渡したいもの? なんだろ、一体……
しばらくすると、渚が戻ってきた。見るとその手には、薄い一冊の本。
「……本?」
「そうですよっ。愛子さん、確か朝『本を一冊貸して欲しい』って言ってましたよねっ」
「あー、そう言えばそう言えば。覚えててくれたんだ」
「たははっ。渚っちは、一度言われたことは忘れませんからねっ」
そう言うと、あたしは渚からそれを受け取った。手にとって見ると、それはとても薄い本だった。何の本だろう?
「お気に入りなんですよっ」
「ふぅん……」
あたしはそれを色んな角度から眺めてみるが、どこにも本のタイトルが無い。ますます謎だ。
「ふふふー」
「……?」
渚がまた、ちょっといたずらっぽい表情をしている。まーた何かヘンなこと考えてんのか、あの子は。
「さー、愛子さんはこれで本を読むので忙しくなりましたねっ」
「うん。まあ、なるべく早く返してあげたいしね」
「ふふふー。これこそ、渚っちの最大の作戦ですっ」
「どこが作戦なのよ」
「ふふふー。愛子さんはゆっくり本を読むために、和室に行かなきゃいけなくなります」
「……………………」
「ふふふー。すると、なんと台所には渚っちと国崎さんだけが残されてしまうではありませんか! ふふふー」
「……………………」
……あー、なるほど。確かに、ここじゃ本を読むにはちっとばかりうるさいな。
「ん。そいじゃ和室に行っとくから、終わったら来てよ。布団、敷いとくから」
「あ、あれれ~……?」
「布団、確か三つあったよね。それ、敷いとくから。んじゃね」
「あ、あのー……」
あたしは椅子から立ち上がり、和室に向かった。
「……あうう~……愛子さんは手強いです……」
何か声が聞こえてきたが、気にしない気にしない。
「さて……と」
あたしは先に布団を敷き終え、あたしがいつも寝ている縁側の布団に陣取った。
「……どっちから先に読もうかねぇ……」
二つの本……国崎がここに来る理由になった「翼人伝」と、もう一冊、さっき渚から借りてきた薄い本。
国崎の方は通常の文庫本サイズで、読むのにそれなりに時間がかかりそうだ。方や渚の方は……まあ、かかっても二十分ぐらいだろう。根気の無いあたしに、ピッタリの長さに思えた。
「うし。こっちから読みますか」
あたしは渚から借りた方の本を手に取り、ページをめくり始めた。
……と、その時。
「うなー」
「……そういや、あんたもいたんだね」
あたしの傍に、黒猫のネルが擦り寄ってきた。今まで一人で寂しかったのか(でもさ、猫って確か一人の方が好きなんじゃなかったっけ?)、のどをごろごろ言わせながら近づいてくる。
「今度は本をひったくる気?」
「にゃーん」
「……でもなさそうね。おとなしくしてるし」
「うなー」
「よし。それに免じて、この前のことは水に流してやろう。愛子お姉さんは懐が広いからね」
「にゃーん」
「そーかそーか。うんうん。よし。それじゃあたしと一緒に本でも読もう」
あたしはネルを抱きかかえて、自分の膝の上に置いた。ネルはおとなしくしたまま、あたしの膝の上にちょこんと座っている。うーむ。やっぱり猫は可愛い。この前のことは、水に流してあげることにしよう。
「そいじゃ、読みますか」
あたしは改めて、本のページをめくった。
『羽根のある女の子のはなし』
一ページ目には、金色の髪を持った、天使のような女の子が背を向けて立っている絵が描かれていた。
「……これ、ひょっとして……」
あたしは微かな疑念を抱きながら、次のページをめくる。
『むかしむかし。ひとりぼっちの女の子がいました』
『女の子の背中には、まっしろな羽根がありました』
『だから、どこへでも飛んでいけました』
……その文言と共に、さっきの女の子が、さっきよりも近い位置で、やはり背を向けて立っている。視線の先には、雲の流れる青空。
「……予感的中」
あたしの予感は当たった。もう、ビックリするぐらいの勢いで。
「……これ、絵本じゃん」
もはや何も言うことは無い。渚はあたしに、よりにもよって絵本を貸してきたのだ。
「あの子、いつもこんな本ばっかり読んでるのかしら……」
あたしは渚が真剣に絵本を読んでいる光景を想像してしまい、思わず頭を抱えた。あの子は本当に底が知れない。愛読書が絵本とか、逆に何かこうめっちゃ深い意味がありそうな気がしてしまう。
「……ま、せっかく借りたんだし、最後まで読んでみますか……」
渚がどーいう意図でこの本を選んだのかは分からなかったが、あたしはとりあえず続きを読むことにした。
まー、どうせ大したことの無い話だろう。最後はこの子が誰かいい人と出会って、そのままハッピーエンド直行。そんなとこだろう。
「どれどれ……」
あたしは、次のページをめくった。
……さっきの女の子が、海の上を飛んでいる。その視線の先には、三匹の魚の姿が。
『女の子は、海の上を飛びました』
『すると、魚たちが話しかけてきました』
『「羽根があるって、いいなあ」』
『尾ひれをぱたぱたさせて、魚たちは跳ねまわります』
『「だれにもらったの? どこに行けばもらえるの?」』
『「ええと…」』
『こまってしまった女の子は、来た方を指さして言いました』
『「あっちの方」』
『「あっちだって」』
『「あっちだ。行こう」』
『魚たちはみんな、陸地に向かって泳いで行きました』
「この女の子も適当だなあ。そんなのじゃ、あたしみたいになっちゃうぞ」
あたしは入れなくてもいいツッコミを入れ、次のページをめくった。
……場所は、森の上。羽根のある女の子が、大きな首長竜に襲われている。首長竜は大口を開け、女の子を一のみにしようとしている。
『女の子は飛びつづけました』
『海をわたり、山を飛び越えました』
『背のたかい木や草が、見わたすかぎり続いています』
『大きな恐竜がやってきて、女の子に言いました』
『「ここでいちばんえらいのは俺だぞ。おまえなんかひと飲みにしてやる」』
『恐竜はぱくりと食いつこうとしました』
『女の子は逃げまわります』
『恐竜は首をぶんぶん振りまわして、女の子をつかまえようとします』
『とうとう足がもつれ、どしんと倒れてしまいました』
『すごい地ひびきがして、土けむりがもうもうと立ちのぼりました』
『お日さまがかくれ、雨が降りだしました』
「バカだなあ。恐竜は太陽がなくなったお陰で絶滅しちゃったのに」
ネルをなでてあげながら、次のページへ。
……激しい雨。黒い空。見渡す限り、雨しかない。
『雨は降りつづきました』
『びしょびしょになりながら、』
『女の子は飛びつづけました』
「……………………」
次のページをめくる。
……激しい雨は上がり、一転、晴天に。雄大な青空と太陽を背に、一羽のカラスが空を飛んでいる。
『雨があがりました』
『地面は水びたしで、生きものはどこにも見あたりません』
『女の子は、お日さまにむかって飛びました』
『日ざしはとても強く、黒こげになってしまいそうでした』
『一羽のカラスがやってきました』
『女の子はびっくりしました』
『こんなにまっくろな鳥を見たのは、はじめてだったのです』
『「あなたの羽はまっくろね」』
『「きみの羽根はしろくてきれいだね」』
『「ありがとう」』
『「きみみたいな羽根、ぼくもほしいな」』
『女の子は、自分の羽根をカラスにわけてあげました』
「この子、相当の世間知らずだなあ。カラスが黒いのも知らないなんて」
子供が読むような絵本にいちいち突っ込みを入れる無粋なあたし。さぞ嫌な大人だろう。気にせず次へ。
……一枚の、羽根。
『カラスはよろこんで、女の子に聞きました』
『「きみはひとりぼっちなの?」』
『「うん」』
『「おかあさんは?」』
『「おかあさんって、なに?」』
『「ぼくもあんまり覚えてないけど、やさしくて、ふわふわしてるものだよ」』
『「ふーん」』
『カラスも女の子も、おかあさんのことを想い描いてみました』
『すると、とってもふわふわした気持ちになりました』
『「わたし、おかあさんに会ってみたいな」』
『「きみのおかあさんを見つけたら、かならずおしえてあげるよ」』
『白い羽根をくわえたカラスは、ゆっくりと降りていきました』
『やがて水がひき、陸地があらわれました』
「おかあさん、ねぇ……」
「うなー」
あたしもちょっと母さんのことを思い出してみる。やさしい、ってのはあってるけど、ふわふわ、ってのは当てはまらないかも。とりあえず次へ。
……夕暮れを背に、羽の生えた女の子と、物乞いの男が映し出されている。男は跪き、女の子に何かを懇願しているかのよう。
『女の子は飛びつづけて、砂漠にさしかかりました。日が暮れていきます』
『砂の中に、だれかが倒れています』
『ぼろぼろの服をきたひげもじゃの男が、死んだように眠っていました』
『女の子は降りたって、つついてみました』
『男が目を覚ましました』
『口をあんぐりと開けたまま、女の子の羽根を見つめています』
『「あなたは神の御遣いですか?」』
『「カミってなんのこと?」』
『「天におわすお方のことです」』
『男はそう答えました』
『「わたしは故郷を追われ、安住の地を求めてさまよっておりました』
『男の言葉はむずかしすぎて、女の子にはよく分かりません』
『「どうか、わたしにこの土地をお与えください。子や孫に祝福をお与えください」』
『女の子は、だんだん恐ろしくなってきました』
『「地面は、だれのものでもないから」』
『それだけ言って、空に舞い上がりました』
『ひげもじゃの男はよろこんで、何度もお礼を言いました』
『こうして、砂漠に町ができました』
「……そりゃあ、急にそんな乞食みたいな男から『どうか、わたしにこの土地をお与えください』なんて言われたら、怖くもなるわよね……」
あたしは物語の筋を読みきれないまま、次へ進む。
……羽根の生えた天女の石像を、下からじっと見つめている女の子。石像は背を向け、ただ虚空を見つめている。
『砂漠をこえると、朝になりました』
『女の子は飛びつづけました』
『あたたかくておだやかな海の中に、たくさんの島がありました』
『女の子は、ふしぎなものを見つけました』
『羽根をひろげた女の人が、ちいさな家の庭に立っているのです』
『「あれがわたしのおかあさんかしら」』
『女の子は地面に降りました』
『「こんにちわ」』
『女の子が話しかけても、ぴくりとも動きません』
『羽根のある女の人は、石でできていたのです』
「……………………」
一体、これは何の話なんだろう。あたしは不思議と、この話に飲み込まれてゆく。そのまま、次のページへ。
……天女の石像が正面を向いて立ち、微笑みとも憂いとも付かない表情を浮かべている。
『女の子がこまっていると、知らない男の子が話しかけてきました』
『「それはまだつくりかけだよ」』
『「あなたはだれ?」』
『「僕は石工だよ。島でいちばんの腕ききなんだ」』
『女の子の羽根を見て、男の子は言いました』
『「もしかしたら、きみは女神さまかい?」』
『「メガミさまって、なんのこと?」』
『「この像のことだよ」』
『「ふーん」』
『女の子と男の子は、楽しくおしゃべりをしました』
『気づいた時には、日が暮れかけていました』
『「わたし、おかあさんをさがしにいかなくちゃ」』
『女の子は空に舞いあがりました』
『ひとりになった男の子は、また像を彫りはじめました』
『できあがった女神は、羽根のある女の子にそっくりでした』
『町の広場に据えつけると、気持ちのいい風が吹きました』
「……………………」
あたしは黙ったまま、次のページをめくる。
……石造りの長城が、山の上に走っている。
『女の子は、夜通し飛びつづけました』
『どこまでも草原が続いています』
『女の子はまた、ふしぎなものを見つけました』
『石を高く積み上げた礎が、』
『丘をうねうねと走っています』
「これは……」
話の筋がまったく読めない。これは一体、何なんだ? 疑問を抱えたまま……次へ。
……手作りの羽根をつけた少年が、小鳥達と共に、空を飛んでいる。その後ろには……羽根のある女の子の姿。
『ぱたぱたぱた』
『にぎやかな音がして、なにかがやってきました』
『やせっぽちの男の子が、かわった形の羽根をいそがしく動かして、』
『空を飛んでいました』
『女の子を見ると、男の子は言いました』
『「きみの羽根は、ずいぶんとよくできているね」』
『「あなたの羽根は、とってもへんてこね」』
『「僕が作った羽ばたき機械だよ」』
『男の子は自慢げに答えました』
『「皇帝陛下にご覧に入れたら、きっとお喜びになる」』
『ぱたぱたぱた』
『男の子の羽ばたき機械は、お城の方に降りていきました』
『お城の人たちはみな、大さわぎをしています』
『やがて、女の子のところまで煙がたなびいてきました』
『「おまえはこの機械でみだりに空を飛び、』
『わが長城に石を降らせるつもりであろう」』
『ひげもじゃの皇帝はそう言って、羽ばたき機械を焼いてしまったのです』
「……………………」
なんだろう……この気持ちは。ページを一枚めくるたび……何か不思議な感覚にとらわれる。
それは懐かしさのようで、穏やかさの様で……
……悲しみのようで。
……草むらに飛び散る、無数の折れた槍、刃のこぼれた剣……
『女の子は飛びつづけました』
『煙はますます濃くなって、息が苦しくなりました』
『草原のそこかしこに、火の手があがっています』
『たくさんの人が二手にわかれて、争っています』
『刀をふりまわし、うめき声を上げ、ぱたぱたと倒れていきます』
『恐ろしさにふるえながら、女の子は飛びつづけました』
「……………………」
……それはまるで……
……今朝見た夢のようで……
……月明かりすら届かない、暗い暗い、暗い街並み。
『日が落ちました』
『やがて、町につきました』
『どこか様子が変です』
『町は壁にかこまれていて、通りにはだれも歩いていません』
『「だれかいませんか。わたしのおかあさんを知りませんか」』
『女の子が呼びかけると、いくつかの窓が開きました』
『「見ろ、羽根があるぞ!」』
『「悪魔だ。悪魔が現れたぞ」』
『町の人は、女の子を見るなり言いました』
『「アクマって、なんのこと?」』
『「悪魔には羽根があるんだ」』
『女の子にはなんのことだかわかりません』
『「悪魔は町から出て行け!」』
『町の人はそう言って、女の子にものを投げつけました』
『女の子がよけようとすると、つむじ風が巻き起こりました』
『町の人はあわてふためき、窓をぴたりと閉ざしてしまいました』
『しかたなく、女の子は町をはなれました』
「……………………」
……遠い記憶の中にある……
……旧い記憶のようで……
……暗い夜闇の中を、一人飛びつづける女の子。
『暗い海をわたり、女の子は飛びつづけました』
『女の子は疲れはてていました』
『「わたしのおかあさんは、どこにもいないのかしら」』
『女の子はかなしくなったけれど、飛ぶことはやめませんでした』
「……………………」
……あるいは……
……大勢の人の手の中に、きょとんとした表情で立つ女の子。
『夜が明けました』
『ゆく手にはまた、町がありました』
『町の人はみんなやさしそうで、女の子を見ると言いました』
『「天使さま、天使さま」』
『「テンシって、なんのこと?」』
『「天使さまには羽根があるのです」』
『女の子には、やっぱりなんのことだかわかりません』
『「どうか降りてきてください。わたしたちを導いてください」』
『あんまり熱心に頼むので、女の子は答えました』
『「ええと、一日ぐらいなら」』
『女の子は地面に降りました』
「……………………」
……そう……
……窓が一つしかない……大きな家。それは……
……塔のようで……
……逃げ場の無い……
……牢獄のようで……
『町の人たちは、それはそれはよろこびました』
『町でいちばん大きな家に、女の子を招きいれました』
『食べきれないほどのごちそうで、もてなしてくれました』
『女の子はすぐに、お腹いっぱいになってしまいました』
『もらった着物も、きれいだけど重すぎます』
『これでは上手に飛べません』
『「わたし、もういかないと」』
『女の子がそう言っても、町の人たちは承知してくれません』
『「天使さまがおられなければ、わたしたちは幸せになれません」』
『「シアワセって、なんのこと?」』
『女の子が訊ねても、だれも教えてくれません』
『とうとう町の人たちは、女の子を部屋に閉じ込めてしまいました』
「……………………」
……何か……何かを……
……窓の外から、小さな月を見つめる……
……羽根のある、女の子の姿……
『むかしむかし』
『ひとりぼっちの女の子がいました』
『女の子の背中には、まっしろな羽根がありました』
『それなのに、どこにも飛べません』
『閉じこめられた部屋の窓から、女の子は空を見つめました』
『まんまるの月が、ぽっかりと浮かんでいました』
『ぽろり』
『女の子の目から、涙がこぼれました』
『きれいな服もごちそうも、ほしくありません』
『女の子はただ、おかあさんに会いたかっただけなのです』
「……………………」
……何かを……暗示しているようで……
「……………………」
最後のページには、直前のページにあった挿絵を小さくしたものが、まるで飾られた絵のように、ぽつん、と描かれていた。
「……女の子の背中には……」
「……まっしろな羽根がありました……」
「……それなのに……」
「……どこにも飛べません……」
あたしが最後のページの一文を復唱した時、ふと……
……頭の中で、こんな言葉が蘇ってきた。
『わたしの背中に、まっしろな羽根が生えていて、それで空を飛んでるんです』
『空の上にいて、空の上から、下をじっと見下ろしているんです』
『空を飛んでるわたしは、ただ悲しくて、悲しくて、涙がこぼれて……でもどうしようもなくて、ずっと同じ場所をぐるぐる回っているんです。それで、悲しくなって目が覚めて、起きたわたしも泣いてるんです』
『どこにも行けずに、ただずっと……同じ場所にいるんです』
……確か、こんな言葉だった。
「……………………」
くだらないこじ付けだと思った。こんなことを考えるなんて、ばかげていると思った。
大したことの無い、突飛も無いただの空想だと思った。
……くだらないこじ付けだと思いたかった。こんなことを考えるなんて、ばかげていると思いたかった。
……大したことの無い、突飛も無いただの空想だと思いたかった。
「……きれいな服も……」
「……ごちそうも……」
「……ほしくありません……」
「……女の子は……」
「……ただ……」
「……おかあさんに……」
「……会いたかっただけなのです……」
……………………
「……そう言えば……」
そう言えば、ここに来て今日で三日か四日になるが、渚の母親とは未だに一度も出会っていない。それほどの長期出張なのだろうか。渚のようなしっかりした子なら、一人にしておいても大丈夫かも知れない。仕事が忙しいのだろう。
「……渚ん家、母子家庭みたいだし……」
渚と初めて出会ったときに、渚は「お母さんと二人で暮らしている」と言っていた。だからきっと、父親はいないのだろう。離婚したか別居中か、あるいは……
「……人ん家のこと詮索するのは、よくないよね」
……これ以上、考えるのはよそう。母さんにも言われた事だ。他人の家の事情を詮索するなんてのは、いいことじゃない。
「にゃー」
「うんうん。そうだそうだ。あんたもそう言ってることだしね」
あたしはネルを抱きかかえて、背中を撫でてやった。やっぱり、猫は可愛い。
しばらくネルとじゃれあっていると、
「そろそろお休みの時間ですー」
「やあ。ネルと遊んでてくれたのかい? 助かるよ」
二人が台所からやってきた。時計を見ると、そろそろ十一時。ちっとばかり早いが、まあ寝る時間といっても問題ないだろう。
「うし。そいじゃ、寝ますか」
「はいっ、そうですねっ」
……と言いながら、あたしの隣(つまりは真ん中だ)のふとんにぼふっと飛び乗る渚。よくはわかんないけど、なんだか妙にうれしそうだ。何がそんなにうれしいんだろ?
「ふふふー」
……おいおい。また何かやらかすのか?
「渚……あんた、まーた何かヘンなこと考えてるんでしょ」
「ふふふー。愛子さんがそこ、渚っちがここで寝る、ということは……」
渚はばっと立ち上がり、
「つまり、国崎さんは自動的にここで寝ることになるんですー」
と言いながら、一番内側の布団、つまりは左・中・右で言うところの「右」を指さした。
「……で?」
「ふふふー。まだ分かりませんか? これはつまり! 国崎さんが、渚っちのお隣で寝るということなんですっ!」
「……………………」
「ふふふー。愛子さんのお隣は渚っちです。そして渚っちのお隣は国崎さんです。ふふふー」
……あー、言いたいことは大体分かった。渚は国崎の隣で寝たい。以上。あたしは正直寝れさえすればどこでも構わないから、ちっとも気にならない。
「ふふふー」
あたしが何気なく、いたずらっぽい笑み(でもいつもの笑みが混ざってどうにも悪い印象を出せていない)を浮かべている渚に目をやる。
すると……
「……………………」
「あれれ~? どうしたんですか? 渚っちの顔、何かついてますか?」
「……あんた、妙に顔赤くない?」
渚の顔が、妙なぐらい赤い。さっきのぼせて倒れかけた時よりもマシだけど、いつもに比べると間違いなく赤い。一体なんでまたそんなに赤くなってんだ?
「ええっ?! き、き、き、気のせい、気のせいですおっ!」
「じゃあなんでそんなに慌ててるのよ」
「そ、そ、それは、それは……そうですっ! 今日は紅い月が出るからですっ!」
「意味が分からん」
じたばたしている渚と、それをちょっと笑みを浮かべながら眺めている国崎。
……こいつら、あたしがいない間に、絶対なんかヘンなことしたな。うん。間違いない。うし。ちょっとからかってやるか。
そうね。例えば……
「……麦茶にストロー二本を差して」
「ち、違いますっ! い、一本だけですっ!」
「そっちの方がたち悪いわっ」
いきなりビンゴを引き当ててしまったようだ。状況を正確に言うと、あれだ。国崎と渚が一本のストローを使って麦茶を交代交代に以下略。アホすぎてなんとも言えない。
「え、えっと、その、あの……」
「あー、いいからいいから。さ、寝るわよ」
あたしはおたおたしている渚をよそに、先に毛布を被って寝ることにした。
「そいじゃ渚、それに国崎、おやすみ」
「あっ、おやすみなさい、ですっ」
「おやすみ。明日もいい一日だといいね」
あたしは二人と挨拶を交わして、そのまま目を閉じた。
あんなに昼寝をしたにも関わらず、あたしの意識はすぐに落ちていって、そのまま……
………………
…………
……
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。