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桑田ぱせりさんの「夏の終わりに」(作者:黒戸屋さん)

 ☆


 蝉の鳴き声が降り注ぐ。

 お日様の光に焼かれ、広場はじりじりとした熱気で満たされている。

 なんて気持ちの良い季節なんだろう。

 僕は空を見上げて、湿気を含んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。青い青い、夏の匂いがした。

 夏真っ盛り。僕の季節。キマワリにとって、最高の季節だ。


 僕はキマワリ。ポケモンリーグを目指すご主人と共に旅をするポケモンのうちのひとり。今は夏真っ只中、ということで、僕が手持ちに入れられている。

 夏場のバトルフィールドは、無条件で僕の味方だ。刺すように空から降り注ぐ光は、葉脈を伝って、身体中に力を湧き上がらせてくれる。目にも留まらない速さで打ち込んだソーラービームで、勝利が決まったときの爽快さったら! 他のポケモンには痛いほどの光も、僕にとっては力を与えてくれる恵みの光だ。


 ……なんて。「だった」、と言った方が正しいのだけれど。


 元々、僕たちキマワリは戦う力に優れたポケモンじゃない。どちらかと言うと、ペットとか、そういう形で人間の下にいる仲間の方が多い。

 だけど、僕のご主人は、その意識を逆手に取った。キマワリでも条件を整えれば強いポケモンと互角に渡り合える方法を編み出したのだ。

 それは、お日様の光を利用するスタイル。僕はキマワリの中でも、強い日光を浴びれば素早く動けるタイプだ。素早い動きで相手の意表を突き、チャージなしでソーラービームを打ち込む。本来なら、『にほんばれ』でお日様の光を強くする必要があるこの作戦。でも、光を呼び込むそぶりを見せれば、たちまち僕たちの作戦はバレてしまう。

 そこで、ご主人が目をつけたのは『季節』だった。

 一年中日差しが強い地域は限られているし、たくさんの大会に出て良い成績を残したいご主人には、一ヶ所に留まることは難しい。それなら、屋外であればリスクもなく日光の恩恵が受けられる夏に、僕を使えば良い。

 実際、僕らの作戦は隙を突くことが出来た。ご主人が「行くぜ、相棒!」「俺のとっておき!」なんて言えば、相手は「ははぁ、このトレーナーはキマワリを使うことがポリシーなんだな」と勘違いする。

 その油断を、僕らは叩く。

 悪く言えばずる賢い。良く言えば抜け目がない。目を白黒させる相手を見るご主人の、イタズラが成功した子供のような笑顔を見るのが大好きだった。

 たとえ、夏の間だけでも。ご主人の隣に立てるのは幸せなことだった。

 ただ、この作戦も、失敗することが増えてきた。何故って? 単純に、不意を突いても通用しなくなったから。


 貴重だったはずのポケモンも、ブリーダーを通して簡単に手に入るようになった。

 貴重だったはずの技マシンも、改良が進んで何度でも使えるようになった。


 要するに、僕はもう、ひと時のピークを過ぎてしまった『一発屋』のポケモンなのだ。


「今日も負けちゃったなぁ」

 その日の僕は、野良試合で手痛く負けて、酷く落ち込んでいた。ご主人には外に出たい、と伝えて、ひとりで散歩する。言葉は通じなくても、色々と察してくれるご主人の優しさがチクチクと胸をつついて、余計に足は重くなる。

 散歩とは言っても、あまり遠く離れるわけにはいかない。僕は、拠点にしているポケモンセンターに隣り合う公園に足を向けた。

「八戦、五敗……かぁ」

 今年に入ってからの僕の成績が、ため息と一緒に口からこぼれ落ちる。

 八戦五敗。三勝五敗。白星三つに、黒星五つ。現時点で、負け越し。現時点でとは言っても、これから勝っていく自信もすり減って来ていた。

 夏の終わり頃には、この街で大きな大会があると言うのに。こんな調子で、果たして僕はどれくらいやれると言うんだろう?

 ボックスから出てきたばかりで、思ったように身体が動かないのも確かにあった。でも、それ以上に、自分の実力不足をじわじわと感じていた。ご主人は、僕を責めない。「あちゃー、俺の判断ミスだなぁ」と、僕を抱き起こして苦笑するだけだ。

 本当は、きっと僕に対して限界を感じ始めているはずなのに、ご主人はどこまでも優しくて。それが、僕には辛かった。

 僕が見たいのは、ご主人の苦笑いじゃなくて、くしゃくしゃの笑顔だ。お日様も、ご主人も、変わらず僕の味方だと言うのに、僕はどちらの期待にも応えられない。ああ、まったく、情けない。

 ごめんなさい、とご主人に伝えられたら、少しは気持ちも軽くなるのかもしれない。でも、同じ言葉を持たない僕には不可能だ。神様はどうしてこんな風に生き物を作ったんだろう。……なんて、ただの八つ当たりだ。

 日向ぼっこをする気にもなれず、僕は木陰のベンチに腰掛ける。なんだかとても、後ろめたかったのだ。「はぁ」ぽかりと、ため息がもう一つ。


「お兄さん。そんなにため息ばっかりだと、幸せが逃げちゃうよ」


 突然、頭の上に降ってきた声に、僕はびくりと身を震わせる。

「ごめんね、驚いちゃった?」

 声の主を見上げると、そこには。

 お日様がいた。

「はじめまして! 私、フワンテ!」

「あっ、ううん、こちらこそごめんね。僕はキマワリ」

 フワンテ? フワンテって、確か、紫色じゃなかったっけ?

 僕は混乱した。目の前でぷかぷかしている彼女の身体は僕の花びらと同じ黄色で、僕が知っているフワンテとは正反対の明るい色だ。そう。まるで、お日様のような。

 どうやら、僕の顔には思っていることが全部出ていたらしく、「私、他の子と身体の色が違うんだ」フワンテはくすくす笑いながら言った。

「おかしな色でしょ?」

「そんなことないよ。お日様みたいで」

 とっても綺麗だと思うよ、と言いかけて、僕は思わず口をつぐむ。

「あら……ありがとう。そんなこと言われたの、初めて」

 彼女の笑顔に、僕は少しほっとする。危うく、初めて会う女の子にヘンなやつと思われるところだった。

「でも、キマワリもお日様みたいだよ」フワンテは僕の目線まで降りてきて、続ける。「お揃い!」

 彼女の「お揃い」という言葉に、お腹の奥がくすぐられてムズムズした。知らない感覚に、僕は少し動揺する。

「お兄さんは、お散歩中?」

「う、うん。ちょっと、気晴らしに」

 こちらの様子を尻目に、フワンテはにこにこと僕に問う。

「私は、ちょっと休憩中」

「ああ、今日も暑いからねぇ」

「そうなんだー。色が薄いからかな、他の子より日の光に弱いみたいでさ」

 彼女はぱたぱたと、小さな空色の手で顔を扇ぐ。けれど、あまり効果はなかったようですぐにやめてしまう。

「でも、いつまでも休んでるわけにはいかなくって」

「忙しいの?」

「うん、本当は」フワンテはにんまり笑う。「仕事中なの」

「お仕事かぁ、体調が悪いのに大変だね」

「うふふ、でもね」

 黒い瞳を細めて、彼女は言う。

「キマワリとお話ししてたら、元気が出て来ました!」

 どきりと。また心臓が跳ねた。でも、それはさっきの驚いたときのものとは別の感覚で。

「私、この時間によくここにいるの。キマワリさえ良かったら、またおしゃべりしよ!」

 ふわりと彼女は空へ舞い上がる。

「それじゃあ、また!」

 逆光に遮られてフワンテの表情は見えない。きっと、笑顔なんだろう。

「うん、またね」

 僕は生まれて初めて、少しだけ、お日様を恨めしく思った。


 勝っても、負けても。良く晴れた日には、僕はひとりで出かけるようになった。

 夏休みの子供も、旅のトレーナーも、バトルに疲れて一息入れるおやつ時。その時間帯にあの場所へ行くと、フワンテは必ず、木陰でぼんやりと空を見つめていた。

「こんにちは、キマワリ!」

「うん、こんにちは」

 取り留めのない話を、ゆるゆるとふたりで話す。今日はバトルでチャンスがあったのに、うっかり転んでしまって隙を突かれてしまった、だとか、ご主人を驚かせようとヒマワリに紛れて隠れていたら、うっかり眠ってしまって大目玉を食らっておやつを減らされた、だとか、その後どうしてもお腹が空いて、こっそり広場の隅に生えていた木の実を食べたらとんでもなく苦くて参った、だとか。

 フワンテは僕の話でころころと笑った。

「そんなに笑わないでよ」

「ごめんなさい、でも、おかしくって」

 涙を拭いながら、彼女は言う。

「キマワリって面白いねぇ」

「むぅ、そうかなぁ」

 なんだか腑に落ちなくて、僕は唸る。

「えっ、あれっ、怒ってる?」

 僕の様子を見て、彼女は慌て出した。どうやら、怒っていると勘違いさせてしまったらしい。違うよ、と言いかけて……僕の中の悪い部分が、むくりと顔をもたげる。

「うーん……」

 僕はわざと、曖昧な返事をして、ぷいと他所を向いてみた。慌てる彼女を、もう少し見てみたい、そんな子供染みたイタズラ心だった。あのあのとフワンテが慌てふためく声が聞こえる。彼女が目を合わせようと、僕の周りをくるくる回る。

「あの、キマワリってば!」

 いつもの大きな声より、ずっとずっと大きな声。からかい過ぎたかな。僕は顔を背けるのをやめて、彼女の方を向いて――

 とても、近くに、フワンテの顔があった。

 息が出来なかった。何か返事を、と思ったのに、夜空のように真っ黒な瞳に射抜かれて、口も、身体も動けない。なのに、心臓は身体の中がめちゃくちゃになりそうなほど暴れている。

「あの、キマワリ?」

 彼女の問いかけで、僕の金縛りはようやく解ける。

「冗談だよ」胸いっぱいに溜まった空気を吐く。「ごめんね、びっくりさせちゃって」

 僕が謝ると、良かった、と彼女の顔がほころぶ。

「もう、からかっちゃ嫌だよ」

「あはは、ごめんって」

 いつものようにふたりで笑う。でも、僕の心の中はゆらゆらと波打って、気持ちはふわふわと落ち着かなくて。初めて出会った日に微かに感じたこの気持ちが、今はもうはっきりと胸の中に『居た』。知らない感覚。知らない感情。こいつは一体、何者なのか。

「そろそろ、時間だ。それじゃあ」

「うん、またね」

 さよならと手を振って、彼女の背を見送る。僕の胸は、きゅう、と悲しく鳴き声を上げる。「なんてことだろう」僕は、一つの答えにたどり着いた。

 お日様は、僕にとって神様みたいなものだった。勝利に導いてくれる、見守ってくれる神様。手の届かない、手を伸ばそうとも思わない存在だった。それなのに、僕は。


 僕は、お日様に恋をしてしまった。


 僕と彼女の逢瀬は続いた。逢瀬、だなんて、彼女は思っていないだろうけど。天気が良いと、それだけで僕の心は弾むようだった。

「キマワリお前、最近やけに張り切ってるなぁ」

 ご主人は嬉しそうに言う。最近は負けてばかりだったから、僕が落ち込んでいないか心配していたんだろう。

「ここしばらくはずっと晴れてるしな」

 確かにそうだ。そうなんだけれど。ご主人の言葉は、ある意味で合っていて、ある意味で間違っている。僕が晴れていて嬉しいのは、バトルが有利になるからじゃなくて……。本当の理由なんて、言えるわけがない。伝える手段がないことを、今だけ、ちょっとだけ、神様に感謝した。

 決まった時間。晴れた日の、おやつ時。あの場所に行けば彼女に会える。

 バトルの失敗が気にならなくなった。明日の天気が気になるようになった。

 雨の日はつまらなかった。曇りの日はもどかしかった。風の日は……彼女がときどき僕に捕まろうと手を絡ませてくることがあるから、少し、どきどきした。

 フワンテに会うと、心も身体も暖かくなった。

 僕は、幸せだった。



 その日は、重たい雲がぱらぱらと雨を降らせていた。

 僕はご主人と一緒にポケモンセンターで情報収集をしていた。情報収集とは言っても、ネットで調べ物をしたり、旅のトレーナーと雑談したり、要するに休息日だ。

 僕は文字が読めないし、人間のゴシップとかはあまり興味がないから、暇で暇で仕方ない。だからと言って外に出ても、日差しが弱い日はフワンテも活動しやすいようで、あの場所には来ない。

 ああ、退屈だなぁ。せめて部屋の中で出来るようなトレーニングとか、ストレッチをするなら気も紛れるのに。

 ぷらぷらと、ロビーの中を歩く。雨の日でもやっぱり暑いようで、ちらほらと涼みに来ている人たちの姿があった。ボードゲームをするおじいちゃんたち、ナースさんにずっとしゃべりかけているおばちゃん、遠い地方でやっているバトル大会の中継にかじりついている男の子。

 ふとテーブルの方を見ると、真面目そうな女の子が図鑑を広げている。夏休みの宿題ってやつかな。僕がぼんやり見ていると、視線に気付いた女の子がにこりと頬を緩ませた。

「こんにちは、キマワリ。あなたのマスターは?」

 僕はお辞儀をして、ご主人を指差す。おしゃべりに夢中で、僕がそばに居ないことにも気付いていない。

「あらあら」女の子はくすくす笑う。その笑い方が、少し、フワンテに似ているような気がした。

「それじゃあ、一緒にお勉強しましょ?」

 女の子はぽんぽんと隣の椅子を叩く。邪魔にならないか心配になったけれど、ご主人はこちらに一向に動く気配もないし、お言葉に甘えることにした。僕の退屈は深刻だったのだ。

「今はね、自由研究をしてるところ。この街に住んでいるポケモンを調べて、マップにまとめるの」

 テーブルの上を見ると、分厚い図鑑だけじゃなく、たくさんのポケモンの写真とメモ用紙が所狭しと置いてある。

「最初に、この写真の子たちのことを図鑑で見てから、気になるところをもっと詳しい本で調べようと思うの」

 ぱらぱらとページをめくってみる。旅の間に見たことがあるポケモンもいたけれど、それよりも知らないポケモンたちの方がずっとずっと多くて驚いた。

「いっぱいいるでしょ。これ、今見つかってる全部のポケモンが載ってるの。ただ、その分、説明が簡単なのが難点かな」

 へぇ、全部のポケモン! ということは、僕のことも載ってるはず。一体、なんて書かれてるんだろう?

「自分のことがどんな風に書いてあるか、気になる?」

 僕の考えはお見通しだったようで、女の子はにんまり笑う。僕は素直に首を縦に振る。彼女は「よし来た」と、ページをめくっては指を紙の上で滑らせる。めくっては滑らせて、めくっては滑らせて……。

「あった!」

 小さな歓声。女の子の指先には、確かに僕の仲間の姿が載っている。

「キマワリ。たいようポケモン。暖かい日差しがエネルギー。太陽を追いかけて移動する習性で知られている」

 ああ、確かに。ご主人と出会う前は、仲間と一緒にお日様が当たる場所を探してたっけ。

「お日様が好きなの?」

 僕は頷く。人間の作る図鑑というのも、あまり馬鹿に出来ないのかもしれない。

「他のページも見てみる? あなたのお友達とか」

 そう言われて、僕の頭に浮かんだのは。とても薄情なことに、共に旅をした仲間でも、競い合うライバルでもなかった。

 もちろん、僕が探したいのは、フワンテただひとりだ。

「はい、ゆっくり探して良いよ」ずい、と女の子は僕の目の前に図鑑を寄せる。「どうぞ」

 僕はもたもたとページをめくる。つるつるした葉っぱの手ではめくりづらい、と言うのもなくはなかったけれど。実のところ、緊張していた、と言うのが大きな理由だった。

 彼女のことを知りたい。些細なことでも良い。でも、自分の知らないところで調べられたら、気持ち悪く思われないかな? ああ、でもでも、もっとフワンテのことを知りたい……。

 頭の中で、好奇心と罪悪感がぐるぐるしていた。悪い僕と、良い僕が喧嘩をしているような、おかしな感覚だった。

 ぺらり、ぺらり。ゆっくりと、紙をめくっていく。

 やめなよ、フワンテに気持ち悪がられたらどうするの! と、良い僕。

 なんだ良いじゃないか、黙ってればバレやしないさ! と、悪い僕。

 黙ってたって、ポロっと言っちゃうこともあるだろう! と、良い僕。

 大丈夫さ、そんなつまんないヘマなんかしやしねぇよ! と、悪い僕。

 心臓の音が、耳いっぱいに広がる。迷っているはずなのに、ページをめくるのを、フワンテの写真を探すのを、やめられない。どうしよう、どうしよう……そう思ううちに、僕の手は、あるページで止まった。

「このページの、どれ?」震える手をなんとか動かして、紫色が映る写真を指す。「フワンテ?」

 こくり、と、無意識に、頭が落ちる。

「どれどれ」

 後ろめたさが、ひたひたと頬を撫でているような気がした。それなのに、心はわくわくして、耳は隣の女の子が口を開くのを待ち望んでいる。フワンテ、ごめんね、ちょっとだけ、ちょっとだけだから……。女の子が小さく息を吸って、ゆっくりと、丁寧に文章を読み始める。

「フワンテ。ふうせんポケモン。魂の道標といわれる。フワンテを持っていたこどもは突然消えていなくなる」

 それは僕にとって、想像も、予想もしていない内容で。

「フワンテは、子供の魂を天国に連れて行こうとするって言われてるんだって。でも、逆に振り回されちゃって目を回す、なんて書いてあるのも読んだことあるよ」

 明るい笑顔。からからと笑う声。話しているだけで、隣にいるだけで、心を暖かくしてくれる彼女の姿が、浮かんで、浮かんで。

「あはは、ポケモン図鑑って結構怖いのもあるよね」

 返事をしなきゃ、何か反応しなきゃ、と思うんだけれど、女の子の言葉が、頭に入って来ない。

「どこまで本当なんだろうね? ポケモンにインタビューでもしたのかな」

 だって、つまり。魂を天国に連れて行くってことは。


 彼女の『仕事』は、子供の、命を。


 それからのことを、僕はあまり覚えていない。もやのかかった世界の中で、慌てて駆け寄るご主人の姿と、笑顔で僕に手を振る女の子の姿が見えた気がする。



 蝉の声が降り注いでいる。お日様はいつものように、じりじりと広場を焼いている。

 いつもの夏の日。いつもの晴れの日。いつものおやつ時。

 バトルに負けた。ご主人は悲しい顔をしていた。どうしたんだ、と僕に聞いた。僕は答えられなかった。

 自分はここにいるのにいないような。心をガラスの箱に入れてしまったような。水の中に溶けてしまったような。

 何を言われても、すぐに答えられない。

 何を食べても、ぼんやりした味がする。

 何を見ても、頭に届くのに時間がかかる。

 彼女の秘密を盗み読んでしまった罰なのだろうか。良い僕は冷たい鉄の塊になって、僕のお腹で『ほら見ろ』となじってくる。

『僕の言う通りにしないから』

『自業自得だよ』

『知らなきゃ、こんなにつらい気持ちにならなかっただろうに』

 そう、知らなければ良かった。

 知らなければ、ずっと幸せな気持ちでいられたのに。

 フワンテに会っても、彼女の顔をまっすぐ見ることは出来ないだろう。フワンテと話をしても、言葉はひとつひとつ重りになって僕にのしかかるだろう。

 でも。


 知っていても。わかっていても。

 僕は彼女に会いたかった。


 ベンチの隣。大きな木の下。彼女の指定席。

 フワンテは変わらず、木陰の中で気持ち良さそうに風に揺られている。

「こんにちは、キマワリ」

 彼女は、変わらず。いつもの明るい声で僕を迎えてくれた。

「うん、こんにちは」

 僕は挨拶を絞り出す。声が震えていたかもしれない。今の気持ちを悟られないように、精いっぱい、笑い顔を作ろうとする。大丈夫。おしゃべりが始まれば、心は軽くなるはずだから。

「今日も暑いねぇ」

「うん。良い天気だね」

「本当、雲一つない」

 ざぁ、と音を立てて風が吹く。緑の波が、木々を滑っていく。

「気持ち良い風!」フワンテは目を細めて風に身を任せている。か細い手が、ひらひらと踊っている。

 この小さな手で、頼りない手で、子供の魂を運ぶ姿は想像がつかなかった。

 考えるまいと思っても、女の子の声があの文章を囁いてくる。魂の道標。子供を天国へ連れて行く。

 ちらりと、彼女を盗み見る。黄色いその姿は、いつ見ても目の前にお日様が降りてきたみたいだ。この小さなお日様が、優しい光となって子供を導くんだろうか。

 フワンテがこちらを向かないのを良いことに、僕は彼女をじっと見つめる。

 ぴかぴかの黄色い肌。柔らかそうな白い綿毛。可愛らしい空色の手のひら。

 彼女が、どうして。


 あれ?


 ふと、違和感がぽかりと浮かぶ。「フワンテ、大丈夫? 疲れてない?」違和感はそのまま、いつの間にか僕の口から飛び出していた。

 彼女の黒い瞳が、ぱっと僕を見る。「えっ、そう?」不思議そうに、フワンテは首をかしげる。

「うん、いつもよりそんな風に見える」

 ありゃま、と、彼女は困ったように笑う。

「そこまで疲れているつもりは、なかったんだけど」

「しんどいの?」

「そうだねぇ。……最近、仕事が上手くいかなくて」

 仕事、と。小さな口から、重たい言葉が落ちてきて。

「仕事、って」

 聞きたくないのに、知っているのに、僕の口はそう聞き返す。心のどこかで、あれは人間の勘違いであることを願っている。

「うん。魂を天国に運ぶお仕事」

 それなのにフワンテは、事も無げに、あっさりと、迷いなく答えて。

 僕の息が、止まるかと思った。

「……ああ、そっか。びっくりするよね」

 びっくりしたのは、そこじゃないんだけれど。僕が何も言えないでいるのを肯定と取ったのか、フワンテは続ける。

「私たちが生きるこの世界に、存在する魂の数は決まっている、って、キマワリは知ってる?」

 僕は首を横に振る。聞いたことも、考えたこともない。

「実は、決まっているんですね! それはとってもたくさんで、神様にしかわからないぐらいの数なんだけど」

 神様。本当にいるんだ。僕はそんな間抜けなことを考える。

「そして、『この世』と『あの世』では、魂の数が必ず同じじゃないといけないの」

「必ず、同じ」

「そう。人間たちの多くが没頭しているポケモンバトル。それが原因でね、自然に反する形でたくさんの命が生まれてるの」

 ポケモンブリーダー。聞きなれているはずの言葉が、僕の背中をぞくりと冷やす。

「つまり」彼女の声色は、まるでポケモンセンターのナースさんのように優しい。なのに。「今、『この世』は魂に溢れてるの」

 その言葉は、とても恐ろしくて。

「だから、天国に子供の魂を連れて行くの?」

「そうしないと、『この世』と『あの世』の境界が壊れて、世界がめちゃくちゃになっちゃうから」

「連れて行くって、つまり、命を」

「……そうだねぇ。奪うことになるね」悪びれる様子もなく、フワンテは答える。「仕方のないことだから」

「仕方がない、って、そんな」

「仕方ないよ」

 子供に言い聞かせるように、穏やかに、柔らかく、僕の言葉を包み込むように彼女は言う。

「誰かが犠牲にならないと、みんな死んでしまうから。人も、ポケモンも」フワンテは、静かに、困ったように笑った。「……あなたもね、キマワリ」

「それでも、僕は」

 僕は。フワンテに手を汚してほしくなかった。例え、世界が滅びてしまっても。

 彼女に罪を背負わせたくなかった。

 僕とフワンテの間に、風が吹く。青い青い、夏の風。僕の大好きな季節の風。それなのに、今は僕らを分かつ川のように、ふたりの間に横たわっている。

「……そろそろ、時間ね」

 ふわりと、フワンテは風に乗って舞い上がる。

「ばいばい、キマワリ」

 彼女の表情は、逆光で隠されてわからない。笑っているのかも、泣いているのかも。


 次の日、いつもの時間になっても、フワンテは木陰に現れなかった。その次の日も。そのまた次の日も。彼女は、現れなかった。



 フワンテが姿を消して、日常が戻ってきた。そう、あれは夢だった。お日様が舞い降りて、僕の隣で微笑みかけてくれる、素敵な夢。お日様が昇って、目覚める時間になっただけ。

 僕はあの日々を忘れようとバトルに没頭した。がむしゃらに相手に向かって、向かって、地面に這いつくばって。欠けたものを埋めたくて、僕は死にもの狂いで戦った。勝てないことの方が多かった。それでも、何もしないよりかはマシだった。

 ご主人に、無理をしないでくれ、と心配されたけれど、動いていないと、僕の中の何かが壊れてしまいそうだった。

 トレーニングをして、バトルをして、作戦会議をして、ご飯を食べて、眠って、またトレーニングをして……。

 余計なものを頭から追い出したくて。僕は必死だった。

 必死に、必死に、必死に、日々を過ごして。

 ふと耳に入る哀しげな蝉時雨に、夏の終わりの足音を聞いた。


 お日様は高々と昇り、バトルフィールドを焼いている。

 人間には堪らなく暑いはずなのに、大会会場にはたくさんの人が詰めかけていた。広場で何度か対戦した男の子。制服を脱いでボーイッシュな格好をしているポケモンセンターのナースさん。テレビで見たことがあるような人までいて、お腹の辺りがきゅっと締め付けられる。

「さあ、一回戦が始まるぞ」

 ご主人が、目の前に広がる舞台をまっすぐ見つめている。

「お前の季節だ、キマワリ」

 僕たちを呼ぶアナウンス。会場を揺らす歓声。お日様はカンカンに照っていて、これ以上ない、素晴らしいコンディション。僕の季節。

「よっしゃ、行くぞ!」

 ご主人の合図で、僕は光の中へ飛び出す。

「暴れてやれ、キマワリ!」『第一回戦、始め!』

 ご主人と、審判の声が耳に届いて。


 すべての感覚がなくなった。


 高揚感も。焦燥感も。恐怖感も。切り落とされたみたいに、全部がぶつりと消えた。

 僕は、一瞬で、一撃で、気付きさえしないで、戦闘不能になったのだ。


 それを知ったのは、救護テントの下で目を覚ましたときだった。一回戦は終わっていた。そして、僕らの大会も。

「目、覚めたか。大丈夫か?」

 ご主人の声は優しい。

「他のみんなも頑張ったんだけどな。あっという間に終わっちゃったよ」

 終わってしまった。

 終わってしまった。

 どうして。こんなにあっけなく?

 努力したのに。頑張ったのに。

 がむしゃらに崖を昇ってきたのに、真っ逆さまに落ちるのは、一瞬だった。

「駄目だったなぁ」

 ご主人は、僕が一番見たくない悲しい笑顔で、僕が一番聞きたくない言葉を言う。でも、そうさせたのは、僕だ。ご主人を期待させておいて、なんの役にも立たなかった、情けない僕。

「なぁ、キマワリ」

 静かな声だった。イタズラものの、やんちゃなご主人の面影はどこにもない。それは、怒っているわけではなくて。毎年やってくる、僕にとって一番つらい時間が来たのを知らせていた。

「夏が終わるな」

 夏が、終わる。お日様の光が弱くなって、僕の力も弱くなる。夏限定のパートナーが、終わってしまう。

 僕は遠く離れたパソコンの世界へと戻らないといけない。

 永遠に、会えないわけではないけれど。それでも、寂しさは抑えられない。

 ご主人は、なかなかその先を言わない。毎年繰り返すことでも、やっぱり同じように寂しいんだろうと、僕は思った。

 思ったのに。

「……あのさ。俺、戦闘方針を変えようと思うんだ」

 大好きなその人の言葉は、僕の世界をぐしゃりとつぶしてしまった。

「この間、ポケモンセンターで知り合った人がさ、色々アドバイスをくれたんだ。新しいことに挑戦した方が良いんじゃないかって」

 ご主人の言葉が、ひとつひとつ、氷の塊になって僕の心を凍らせる。

「正直、悩んでてさ。お前たちとずっと一緒にやってきたから」

 頭がぼんやりとして。頭が上手く回らなくて。

「でも、もう俺も後がない年だし」

 ご主人って、こんなに日焼けしてたっけ、なんて、全然関係のないことを考えたりもして。

「その人が、俺にやる気があるなら、ブリーダーに頼んで、新しいポケモンも手配してくれるって」

 ぴしゃりと。頭から冷や水をかぶせられたような感覚。

 つまり、僕の後釜は、もう決まっていて。その上、ブリーダーによって生み落とされた、ぴかぴかの、将来有望なポケモンだ。

「勘違いしないでほしいんだ。いつかきっと、新しくキマワリが活躍できる方法が見つかるから。そのときにまた、お前の力を貸してほしい」

 そんな、甘い言葉。

 でもね、ご主人。ご主人は、僕のことを見くびっている。

 それはいつのこと? 何ヶ月後? 何年後? その日は、本当にやって来るの?

 ご主人はきっと、答えられない。だって、ご主人の目は、『その日が来る可能性が限りなく低い』ことを悟っている。

 それは、ご主人が自覚しているかはわからないけれど。『万が一来た場合に備えて保険として駒を持っていたい』ということに他ならない。

 いつの間に、ご主人はこんなことを考えるようになっていたのだろう。僕が見落としていただけで、その兆しはあったのかもしれない。

 いや、もしかしたら。負け続ける僕がきっかけだったのかもしれない。

 ご主人は、僕が知らない間に大人になっていた。ポケモンバトルが楽しいだけの時期が終わってしまったのだ。それじゃあ、僕は。変われない僕は。


 来ないかもしれない日を、ご主人も、フワンテもいないパソコンの中で待たなきゃいけないの?


 はた、と。僕は思考を中断する。どうして、今僕はフワンテのことを思い浮かべたんだ?

「……お前に好きな子がいるのは、知ってたんだ。野生に返せば、お前には別の幸せがあるかもしれない。だけど、俺はお前を手放すつもりはない。もちろん、ここに留まり続けるつもりもないんだ」

 追い打ちをかけるように、身勝手なことをご主人は言う。

 僕はきっと、ご主人と過ごした数年を、ご主人との絆を信じて、電脳世界で待っているべきなんだろう。でも、無意識に心の僕が叫んだのは、

『外にいてもいなくても、どっちにしたって、フワンテに永遠に会えなくなってしまうの?』

 本当に本当に身勝手な気持ちで。

「彼女にお別れなら、今のうちにしておいで。明日には出発するから」

 僕はいつの間にか立ち上がっていた。引っ張られるように、あの場所へと足が向く。

「早く帰って来いよ。長引いたら、寂しくなる」

 ご主人の声が聞こえる。僕は、返事をしなかった。

 ふらふらと、焼かれた道を歩く。足はだんだん速度を上げて、いつの間にか、僕は全力で走っていた。いるかどうかなんてわからなかったけれど。フワンテに、会いたかった。


 ごめんね、ご主人。僕はキマワリだから。

 キマワリは、お日様からは離れられない。どうしても、お日様を追いかけてしまうんだ。



 ポケモンセンターの隣の公園。木陰の中の、どこにでもあるベンチ。

 人が少ないおやつ時。今日は大会会場に吸い取られて、人の影はまったくない。

 いるのは、僕と、

「キマワリ……」

 ずっとずっと会えなかった、僕のお日様。

「元気だった?」

「ん、なんとかね」

 そっか、と僕は呟いて、ベンチに座る。彼女も静かに降りて来る。久しぶりの、隣り合わせ。

 話したいことはたくさんあったはずだった。それなのに、フワンテの顔を見た途端、全部、全部溶けて消えてしまった。

 好きだなぁ。

 彼女への恋心だけが、ぽかりと、そこにあった。

 僕らはしばらくの間、口を開くことなく、じっと夏の音を聞いていた。

 風の音と、蝉の声。そして、遠く遠く聞こえる大会の歓声。

 ああ、言わないと。そう、思うのだけれど。何かを言えば、この幸せな空間が壊れてしまいそうな気がしていて、僕はなかなか話を切り出せなかった。

「しばらく、ずっと仕事をしてたんだ」

 沈黙を破ったのは、フワンテの方だった。

「私はこの体の所為でね、夏は本当に辛いの。日陰にもぐって、体を休めて、また魂を探して、でも体力がないから上手くいかなくて……身も心も疲れ果ててたの」

 ぽつりぽつりと雨粒を落とすように、彼女は続ける。

「そんなときに、キマワリに会った」

 思わず、フワンテの顔を見る。彼女は俯いたまま、静かに雨を降らす。

「お日様みたいって思った。大嫌いな天敵とそっくりなはずなのに、不思議とね、苦手な気持ちは湧かなかった。その上、忌々しいお日様に似てるなんて言われたのに、嫌な気持ちにならなかったんだよね」

 フワンテの言葉の雨は、からからに乾いた僕の心に染み込んでいく。

「キマワリとおしゃべりするのが、本当に楽しかった」

 わっ、と大きな歓声が届く。もしかしたら、どこかの誰かの特大の一撃が決まったのかもしれない。

「今日は、お別れを言いに来たの」

 息を飲む。どうして? やっと会えたのに? 問いただしたいのに、僕の声は喉につかえて出てこない。

「ここのところ、魂がたくさん生まれてくるの、話したよね?」

 僕は頷く。彼女はようやくこちらを見て、「私が今年の夏、天国に連れ帰った魂の数はね、……なんと、ゼロだったのです!」そう言って、明るく笑った。

「それが、どうして、お別れになるの?」

 喉に引っかかった言葉を絞り出して、やっとの思いで尋ねる。彼女は、笑顔とは裏腹に、まるですべてを諦めているように見えた。根拠のない焦りが僕の背中をじりじりと焼く。

「それは」

 フワンテの声が、はっきりと、僕の鼓膜に触れる。

「私もね、一つの魂の持ち主、ってこと」

 頭が理解するのを拒絶しようとしていた。認識してしまえば、僕はどうにかなってしまいそうだった。それなのに。

「数を引く力のない私でも、この世に存在してたら、多過ぎる中の一つ。それなら、私自身を引き算すれば良いこと」

 フワンテは、どこまでも晴れやかで。

 ああ。彼女はなんて、献身的で、犠牲的で、誰よりも身勝手なんだ。

「フワンテは、怖くないの?」

「……怖くはないよ」

「それなら、この世界に、未練はないの? やりたかったことはないの?」

「それは……」

 答えを待つことなく、僕は畳み掛ける。もう離れたくない。彼女を、見失うわけにはいかない。

「僕は、もっとフワンテと話したい。もっと一緒にいたい」

 今度は、彼女が息を飲む番だった。否定の言葉は、出てこない。それならば。

「……どこかへ行こう、フワンテ」

「えっ?」

「どこかここよりもっと遠くの、どこかへ。ふたりで」

 黒い瞳が、大きく大きく見開かれて、僕だけを映している。

「僕は、フワンテさえいたら、どこに行ったってかまわない。それが地の果てでも、地獄でも」

「でも、そんな……」

「フワンテだって、仕事のこと、本当は嫌だったんだろう? お日様に体力を奪われて、さらえない子供に振り回されて、仕方ないって自分に言い聞かせて。そんなのもう、しなくていい」

「……そんなこと言って、ご主人様とかどうするの」

 ちくりと、胸の奥が痛む。多分、戻ってこない僕を心配して、この街を探し回るんだろう。でも、見つけ出したとして、その後、僕の行く先は?

「ご主人は、良いんだ。あの人に僕はもう必要ないから」

「本当に、本当に、良いの?」

「フワンテが望んでくれるなら」

 覚悟は決まった。僕の未来は、バトルフィールドにはない。パソコンの中にもない。きっと、僕の大好きな、お日様の隣だ。

「行こう」

「うん、いこう!」

 フワンテの手を取る。もう、離さない。

「キマワリ、震えてる?」

「……バレちゃったか」

 武者震い、と言えたら良かったけれど、本当のことを言うと、不安もあった。ご主人がどこまでも追ってくるかもしれない、とか、神様の天罰が当たらないか、とか。

「大丈夫かな」

「大丈夫、きっと上手く行くよ」するりと、彼女の細い腕が絡まってくる。「私がいるから」

 格好付かない僕だけど、頼りない僕だけど。お日様が言うなら、きっと大丈夫だ。

 遠くから、歓声が雨のように降ってくる。優勝者が決まったらしい。

 ご主人は、いつか自分が表舞台へ立つために、その光景を目に焼き付けているに違いない。――その想像に、僕はいない。

 長い間、夢を見ていた。それをお日様が目覚めさせてくれただけ。


 誰かの夢が降らせた歓声はいつまでも、いつまでも止まらない。勝者への祝福の雨に隠れて、夏の終わりと共に僕らは消えた。






 ●


 ああ、本当、夢みたい! もう、ぜったい離さない!

 キマワリの告白は、私を天国に連れ去ってしまいそうだった。

 私の手を握る、キマワリの手。出会った日、つるつるで瑞々しかった葉は、無理なトレーニングで、今はもう萎れかけている。どうして彼のご主人様が大会出場を強行したのか、わからないぐらい。


 これなら、彼を連れて逝ける。


 嘘は一度だって吐いてない。お別れするつもりだったのも、死ぬつもりだったのも本当。だって、これはフワンテに生まれた以上、本能で、宿命だから。

 神様の元に帰ることに恐怖はなかった。でも、キマワリに会えなくなるのは、堪らなく寂しいことだった。

 会ってしまえば決意が鈍ってしまいそうだったけど、でも、黙って消えてしまうことは出来なかった。それに、一つだけ撒いた種が芽を出すかもしれないと、小さな可能性に賭けていた。

 私は嘘は吐かなかった。ただ、一つだけ黙っていた。キマワリの、人間たちの勘違いを正さなかった。


 主人を持つポケモンを連れ去らないのは、たいてい人間が傍にいるというだけで。

 野生のポケモンを連れ去っても、誰にも気付かれないというだけで。

 人間の子供ばかり連れ去るのは、力が弱いのに一人でいることが多いというだけで。


 別に、人間の子供じゃなくて良い。

 魂は、全部、全部、平等だから。


 種は芽吹いた。芽を出して、最高の形で実を結んだ。

 キマワリは、私と一緒ならどこへでも、地獄でも行くと言ってくれた。

 キマワリを連れて帰れば、私は消えなくて済む。それどころか、ずっと傍にいられる。しばらくしたら、また仕事に行かなきゃいけないけれど……彼が一緒に居てくれるなら、私はなんだって出来る。もっと残酷なことだって。

「大丈夫かな」

 不安げに、キマワリは聞く。

「大丈夫よ、だって私がいるもの」

 そう。彼の逃避行は、きっと上手くいく。


 だって、夏の終わりにヒマワリが枯れたって、誰も気付きはしないから。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。