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青作戦さんの「夏の終わりに」(作者:フィッターRさん)

 それは、暑さもいくらか落ち着きを見せはじめた、夏の終わりのある日の事だった。




「おねがい! そのフォッコをつれていかないで! いいこにするから! なんでもいうこときくから!!」

 薄暗い納屋の中。顔を涙でぐしゃぐしゃにしたニンゲンの女の子が、屈強な男にしがみついて必死に叫んでいる。だが男は顔色一つ変えずに、女の子を力ずくで身体から引き離す。そして相手が小さな子供だというのに、渾身の力を込めて蹴り飛ばした。

 ごめんよ。本当は僕が、君を守ってあげなきゃいけなかったのに。僕を沢山幸せにしてくれた、奴らから僕をずっと守ってくれていた、君に恩返しをしなきゃいけなかったのに。

 奴らが連れた大勢の強いポケモンに囲まれた僕は、ほとんど何もできずにボロボロにされた。そして今は、奴らにずだ袋のように抱えられて、主人の女の子が屈強な男に嬲られる様子をただ見ている。

 助けに行きたかった。あんな奴、骨も残らないくらいに焼きつくしてやりたかった。でも、もう体が動かない。半分は、体じゅうに走る痛みのせいで。もう半分は、奴らに傷ひとつ付けられなかった無力感のせいで。

 泣きながらうずくまる女の子に、男は唾を吐きかけた。悔しくて悔しくて、涙が止まらなかった。

 僕を抱えた男が歩きだす。きっとどこかへ連れていかれるんだ。僕の知らない、どこかも分からない場所に。それだけは、なんとなく理解していた。

「おねがい……かえして……リシャールを……かえしてよお……」

 女の子が、泣きながら僕の名を呼んでいる。

「リシャール……リシャールっ……うう……うああ……ああ……」

 行きたい。行かなきゃいけない。でも、行けない。もう二度と、行けないかもしれない。

 僕の名を呼ぶ女の子の声は、ずっと、僕の中で響き続けていた。耳で聞くことができなくなった後も、ずっと、ずっと――




「――ャール、リシャール」

 女の子のものではない、誰かの呼ぶ声で、俺は目覚めた。

 光が差し込んでいる。ハッチは開いているらしかった。降り注ぐ日光が、防弾鋼に囲まれたこの空間を、そして煤と泥で黒ずんだ俺の毛皮をじりじりと熱している。

 そうか、もう朝か。

「……おはようございます、少尉」

「おはよう。今日は平和だ……少なくとも、今のところはね」

 煤けた笑顔を浮かべながら、目の前の黒い帽子を被ったフローゼル――イザーク少尉は答える。

 今のところは、か。確かにそうだな。外の空気を吸いたくて、俺は少尉と一緒にハッチから身を乗り出した。

 丘の上にいる俺達の前に広がるのは、見渡す限りの草原。そして、遠くに浮島のように見える、大きな街。カロスにいた頃には見られなかった風景だ。

「おはようさん、リシャール! いい夢は見れたかい?」

 砲塔の影から、ひょっこりと紫のポケモン――レパルダスのイェジが顔を出す。

「お陰さまで」

「そっか。んじゃ、今日もひと頑張りするとしようぜ」

「ああ、言われなくても」

 うっとうしいイェジの声を、俺は適当にあしらう。つまんないやつ、とでも言いたげに、イェジはむくれた顔をこちらに向けるのだった。


 頭上から、虫の羽音をうんと低くしたような轟音が響く。

 見上げると、済み渡った青空の中を、朝日を照り返して煌めく飛行機の群れが飛んでいくのが見えた。数は……数える気にもならない。沢山、とにかく沢山だ。

 また、遠くに見えるあの街を焼きに行くのだろう。俺が一生かけても出しきれないほどの焔を、あの飛行機達は毎日あの街に放り込んでいるのだという。

 あのうち、帰ってこれるのは何機なのだろう。そんなセンチメンタルな考えが頭の中で浮かんで消える。

「あーあ、どうせなら俺も空軍に入りたかったなあ! 今いる所を空から見たら、きっとすげえいい風景だろうしなー!」

 のんきなイェジが空を見ながら言った。その気持ちはなんとなくわかる。

 泥にまみれて地べたを這うのと、どこまでも広がる大空を翔けめぐるのとでは、絶対に後者の方が気分が良いに違いない。例え、同じ明日をも知れないこの世の地獄に身を置いているのだとしても。




 俺の住んでいたカロスに攻め込んできたよそ者、オーデンス陸軍に連れ去られた俺は、今、カロスから遠く離れたこの土地で、あろうことか俺をさらった連中の仲間になって……というよりさせられて、ニンゲン同士のやっている戦争に駆り出されている。

 俺の仕事は、硬い鎧に身を包んだ自動車――戦車に乗り込み、積んでいる大砲を敵に向かってぶっ放す事。

 カロスで暮らしていた納屋が豪邸に思えるくらいに狭く、ハッチを閉めてしまえば、ちっぽけなペリスコープか照準器からしか、外を見る事は叶わない。そんな場所が、今の俺の生きる世界だ。

 そこにいるだけで気が狂いそうになる世界から、さらに見ているだけで気が狂いそうになる世界を、今の俺は見ている。これが、あの女の子と一緒に過ごしていた世界と同じ世界だというのだから、全く驚きだ。

 今でも、俺はここが軍隊に連れ去られる前の世界と同じだとは信じていないのかもしれない。

 これは悪い夢。目を覚ませばいつもの納屋にいて、俺もまだフォッコのままで、女の子はそばで微笑んでいるのだろう。そう思う事が、今でも時々ある。

 身体がフォッコからテールナーに変わっても。自分の事を『僕』ではなく『俺』と呼ぶようになっても。外の世界の季節が2週し、3度目の夏の終わりを迎えようとしていても。

 俺の時間は、女の子との幸せな生活を奪われたあの日から止まったままだ。俺にとっての"夏"は、あの日から今までずっと続いている。

 この"夏"が終わることがあるのだとすれば、きっと戦いを生き延び、あの納屋に帰る事ができた時なのだろう。

 終わらない夏など、この世界にあるはずがない。だから、俺の"夏"もいつかは終わる。そう信じて、俺は今を生きている。




 * * *




 照準器の中で、敵戦車の主砲が火を吹いた。

 衝撃。けたたましい音。そのふたつが、何度も俺の身体に襲いかかる。鐘の中に閉じ込められて、その上で外から叩かれているみたいだ。

 でも、それだけだ。相対する敵軽戦車、T-60の主砲は口径20mmの機関砲。俺達の戦車からすれば、あんなのは豆鉄砲と変わらない。

 衝撃でぶれる照準を補正する。

「照準よし!」

「撃てえッ!!」

 少尉の声に合わせて、引き金を引いた。

 炸薬の弾ける音と共に、顔のすぐ右隣の砲尾が揺れる。

 相手の倍の口径――40mmの徹甲弾は、T-60の車体装甲を紙切れのようにたやすく貫く。

 貫通した砲弾は燃料区画を貫いたらしく、車体から焔が上がった。中からヒトは出てこない。貫通した砲弾の破片を浴びて即死したのか、それとも動けなくなって生きたまま焼かれているのか。どっちにしろ俺には大した問題じゃない。

 照準器から目を離した所で、上から光が差し込む。少尉がハッチを開けたようだ。

 右上に視線を移すと、ハッチから身を乗り出した少尉が、双眼鏡を持って辺りを見回しているのが見える。撃ち漏らしがいないかどうかを確かめているのだろう。

「残敵は撤退中、こちらを見ている敵は確認できない。みんな良くやってくれた。ハッチを開けていいぞ」

 少尉の声。大したことはしていないのだが

「ふーっ、やっと外の空気が吸えるゥ……」

 ここからは姿の見えないイェジの気の抜けた声が、通信機に飛び込んできた。聞いているだけでこっちまで力が抜けてきそうだ。

 まあ、無理もないか。外の暑さに、砲弾の炸薬から出た熱、更には被弾による摩擦熱まで加わって、車内はとてつもなく暑くなっている。

 ずっとここにいたら、体中が煮えてしまいそうだ。隊長に続いて、たまらず俺もハッチから身を乗り出した。

 涼しい風を体に受けつつ、後ろを振り返る。だだっ広い草原を貫く、1本の道。そこにトラックが列を組んで止まっている。俺達が護衛している、味方の輸送部隊だ。

 3、4台ほどのトラックが蜂の巣にされて燃え上がっていて、周りで兵士たちが消火器を持って走り回ったり、動かなくなった仲間を運んだりしている。これは、また動けるようになるまで少しばかり時間がかかりそうだ。

 俺は煙草を咥えて、尻尾に挿した枝を取る。そして、枝に灯した焔を、煙草の先に移す。

 煙草が吸いたい、ってあの子に言ったら、どんな顔をするだろう。そんなことを、煙を味わいながらぼんやりと考えていた。




 昼過ぎになって目的地の小さな集落に着いてから、俺達は悪い知らせを聞くことになった。

 さっきやられたトラックは、なんとも運の悪いことに食材を運んでいたトラックだった。おかげで、俺達がここで食えるはずだった昼飯がなくなってしまったのだという。

 幸い、日持ちのする糧食は持ち合わせがあったらしく、集落に布陣していた歩兵部隊の隊長が、俺達にもそれを分けてくれた。次に食材が運ばれてくる明日までは、これで持たせられる、らしい。

 ……だが。

「明日まで飯は全部コレかよ……」

 配られた、赤くて平べったい円盤形の缶を見ながら、俺は思わずそう呟いた。

 ショカコーラ。ニンゲンの作る"チョコレート"という食べものの1種であるらしいこの缶の中身は、正直に言って俺はあまり好きじゃない部類に入る食べものだ。

 まず、今まで食べたどんな果物にもない、ねっとりとしていて、おまけにやたらと長く口に居座るくどい甘み。こいつがどうにも気に食わない。ショカコーラはチョコレートの中でも甘くない部類に入るらしいのだが、これが更に甘ったるくなったものなんて想像したくもない。

 それに、コイツは食べるとなんだか変な気分になる。空腹に耐えかねて、背に腹は代えられず1缶をまるごと平らげたことがあるのだが、心臓の鼓動がやけに早くなって、変に気分が高まって落ち着けなくなった。何かヤバい毒でも盛られたんじゃないかと思ったほどだ。イェジの野郎は食えば眠気が吹っ飛ぶから好きだ、とか言うが、眠気覚ましにしたって限度というものがあるだろう。




 そんなわけで、昼飯にと寄越されたショカコーラの缶を、俺はぼんやりと眺めながら戦車に戻っていた。

 食うものはコイツしかない。そう思って缶を開けるが、あの甘ったるい香りが鼻にこびりついてきて、結局すぐに缶を閉じる。それでも腹は減るから、食べようかと思ってまた缶を開け、甘い香りに気圧されてまた缶を閉じる。そんな堂々巡りを何度も何度も、俺は繰り返していた。


「ねえ、そこのテールナーさん」

 聞き慣れない声がした。ここに俺以外のテールナーなんていただろうか?

「そこのテールナーさんだよ。戦車の上に座って、ショカコーラの缶を開けたり閉めたりしてる、戦車兵の黒いお帽子がよく似合うテールナーさん」

 ……待てよ。戦車の上に座って、缶を開け閉めしてて、戦車兵の帽子を被ったテールナー、というのは。

 思い当たるフシは、ひとつしかない。

「……もしかして、俺のことか?」

「そう! キミだよキミ!」

 かけっこで1番になった子供みたいに朗らかな声が、俺に向かって投げかけられた。

 声の主は、だいたい俺と同じくらいの背丈を持つ草ポケモンだった。

 顔を彫ったカボチャに顔を描いた杭を打ち込んで、ピンクのカツラを被せたみたいなポケモン、パンプジン。何者なのかはわからない。見知った顔ではないし、俺の所属している部隊にパンプジンがいるという話を聞いたこともない。

「誰だよアンタ。俺になんの用だ」

「いやいや、恨めしそうな顔でショカコーラの缶を開けたり閉めたりしてるのを見てね。もしかしたら苦手なのかなーって。ショカコーラ」

 俺の質問を鮮やかに無視しながら、パンプジンはその身体を宙に浮かせ、俺の隣まで寄ってくる。初対面だって言うのに、随分と馴れ馴れしいことをするヤツもいたもんだ。

「実はさ、ボクも苦手なんだよねーそれ。美味しいんだけど、それに入ってる"かふぇいん"ってのがどうもダメみたいで、1缶の半分食べただけで頭が痛くなっちゃうんだ。だからコーヒーもあんまり飲めないの」

「そいつはご苦労なこったね……」

 そんな微妙に小難しい身の上話を急にまくし立てられても、どう返していいのやら。とりあえず、同意の言葉を適当に返しておいた。


「でさ、提案なんだけど……そのショカコーラ、分けっこしない?」

「……は?」

 こいつ、どこまで馴れ馴れしいんだ! ショカコーラが苦手とか言っといて、食い過ぎで頭がおかしくなってるんじゃないのか、こいつ?

「いや……お前もこいつ、貰ったんじゃないのか? そいつを食えるだけ食えばいい話だろ?」

 俺が出せる限りの1番熱い炎をぶつけたくなる気持ちを抑えて、罵倒をオブラートで3、4重くらいに包んだ言葉を俺はパンプジンに返した。

「えー、分けっこしたほうが楽しいじゃん」

「楽しいって、お前……ここは戦場だぞ。俺たちゃピクニックをしにきたわけじゃないんだ」

「いいじゃん、何も無い時にちょっとくらいピクニック気分になったってさ。誰かが褒めてくれるわけでもないのに、そんなにクソ真面目になってどうするの?」


 大きなため息が、ひとつ口から飛び出した。

「……そこまで言うなら、やるよ」

 缶のふたを開けて、セロファンで包まれて中で2段重ねになっている円盤型のチョコレートを1枚、パンプジンに手渡した。

 別にヤツの言葉に納得したからってわけじゃあない。動機の4分の1くらいはそうかもしれないが、残りの4分の3は、これ以上面倒くさい問答を続けたくなかったからだ。

「ありがとう! 晩はボクがボクのを半分キミにあげるからね!」

 ご機嫌な顔で、パンプジンはショカコーラを包むセロファンをはがしていく。これだけ見ていると、あんまり苦手なようには見えない。頭が痛くなるというだけで、味はむしろ好きだったりするのだろうか。

「場所、わかるのか?」

「この戦車のとこにいるんでしょ? あんまり見かけない戦車だからすぐにわかるよ」

 そう言ってパンプジンは、むしゃむしゃとショカコーラをほおばりだす。やっぱり苦手そうには見えないな、と思いながら、俺も手元に残ったショカコーラに嫌々ながらにかじりついた。


「これ、なんていう戦車なの?」

 俺がようやく半分くらいまでこの忌々しい円盤を食べたところで、パンプジンがまた話しかけてくる。

 見ると、ヤツの手からは忌々しい円盤が消えている。もう食い終わったのか。食べるの早いな。

「バレンタイン、って言うイギリス製の戦車らしい」

「イギリス? そんな所の戦車を何でまた?」

 教えてはいけないような事ではないので教えてやると、サーカスのピエロみたいな素っ頓狂な声が返ってきた。まあ無理もない。イギリスってのは、今オーデンス軍がこことは別の所で戦っている別の敵なのだから。

「敵さんがトラックに乗っけて運んでた所を、俺達が襲って生け捕りにしたのさ。足は遅いが、前に乗ってたやつよりずっと打たれ強いし、攻撃力もある。ただの弾避けから動く城壁くらいにはなれたから、悪いもんじゃあないぜ」

「へーえ、じゃあボクが使ってる大砲と一緒だ。アレも敵だったところからぶんどって、改造して作った対戦車砲なんだって」

「そっか。どこなんだ、その"敵"ってのは」

「カロス」

「そっか……カロスか」


 カロス、という言葉がパンプジンの口から"敵"として出てきて、なんだか複雑な気分だった。

 カロスが敵だって言うなら、カロス生まれの俺はなぜカロスから遠く離れたこの場所で、オーデンス軍の一員になっているんだろうか。

 まあ、カロスだのオーデンスだの、そういう"コッカ"という概念も、ニンゲンが勝手に作り出したものだ。ポケモンである俺たちには、大して関係のないものなんだろう。ニンゲンどもも、俺たちがポケモンである限り、どこの生まれだろうが関係ない、利用できるものは利用する、と考えているのかもしれない。

 ……ショカコーラが効いてきたせいか、考えるだけで頭が痛くなってきた。これ以上はやめよう。面倒くさい。

 口中に広がる脂っこい甘みと苦味に耐えて、俺は残ったショカコーラを口に押し込むのだった。




 * * *




「今日は、アンタのおかげで助かったよ。ありがとな」

「えー何? ヤブから棒に」

「お前たちが撃ち漏らしを始末してくれたおかげで、歩兵部隊の損害を防げた」

「やれやれ、相変わらずクソ真面目だねーキミは。ボクなんてただ大砲に弾を詰めてただけなのに」

 ちょっと目を離した隙に、いつの間にか勝手に戦車に座り込んでいるパンプジンに俺が話しかけるのは、4日目にしてもはや日課になりつつある。

 こいつのおかげで損害を防げた、というのは事実だ。今日はこの前飯を台無しにした連中の生き残りが町に来て、俺達戦車隊と対戦車砲が迎え撃ったのだ。

 そしてこいつはというと、自分の砲が敵戦車を仕留めたからか、ごきげんな様子で糧食のビスケットを頬張っている。全く何度見ても、苛立たしいほどに子供っぽいやつだ。その割に、なぜか嫌いになることもできないのだけれど。


「あーあ、やんなっちゃうよね。毎日毎日めんどいことばっか。早く終わっちゃえばいいのにねー、こんな事」

「……そうだな」

「だいたいさ、おかしいよね。ボクらポケモンはもう武器を持ったニンゲンに敵わなくなっちゃって、それでもなんでボクらポケモンが戦争を続けなくちゃいけないんだろうね?

 ワザを使って戦うならともかく、大砲の弾を詰めるだけなんてニンゲンでもできることなのに」

「全くだ」

 俺は煙草を取り出して、枝で火を付ける。思えば、俺が生来持っている焔を操る力も、ここに来てからの使い道といえば煙草に火を付けるばかりで、戦う為に使った事など一度もない。

「あれ、キミ煙草なんて吸うんだ?」

「変か? こんなの誰だって吸ってるだろ」

「僕はやなんだよねー、それ。だってさ、食べる物でも飲む物でもない、ニンゲンしかやらないものじゃん。それに手を出しちゃったら、なんか体も心もニンゲンになっちゃうんじゃないかなー、って気がするの」

「変なこと考えんだなお前……」

 煙草を咥え、息を吸う。思えば、ただのポケモンとしてカロスで暮らしていた時は、こんなものが世に存在するということすら知らなかったし、こいつの言う事も間違いじゃないかもしれない。吸ったらニンゲンになっちゃうなんて馬鹿げた妄想を除けば。

「まあ、俺も初めて見た時は、だいたいそんな事を考えてたと思うよ。でも一度やったら、そんな考えは吹っ飛んだ。こいつを吸ってるうちは、嫌なこと忘れて、前向きになれるんだ」

 煙を吐く。夕日に照らされて煌めく煙は、風に流されてすぐに空気へ溶けていった。

「こいつが無かったら、このクソッタレな場所で、ここまで生きてこれたかどうか分からない。途中のどこかで正気じゃなくなって、殺されてたかもな。こいつを作ってくれたことに限っては、ニンゲンに感謝してるよ」

「ふーん……」

 相槌を打ちながら、パンプジンは手にくっついたクリームを舐め取っていた。

 手が綺麗になったところで、パンプジンは水筒に口をつける。そして、少しばかり中身を飲んだところで、そいつは俺を一瞥して、言った。

「ねえ、キミはさ、なんでそこまでして生きることに執着するわけ?」




「なんで……って」

 俺は驚いた。半分は、子どもっぽいパンプジンが急に哲学的な事を話し出したことに。もう半分は、なぜ生きたいのか、なんて事をわざわざ訪ねてきたことに。

 俺は周りを見て、立ち話に聞き耳をたててそれをニンゲンにチクりに行くようなクソ真面目がいないか確かめてから、話を続けた。ずいぶん馬鹿馬鹿しいことを聞くんだな、とも思っていたけれど、ちゃんと答えてやらないと、パンプジンに失礼なんじゃないか、という気持ちのほうが強かった。

「決まってんだろ。俺は……俺は、帰りたいからさ」

「どこに?」

「カロスだよ。カロスの……俺の暮らしてた町だ。小さい納屋があって、女の子がいて……母さんがいなくなって、行き場を無くした俺を、拾って面倒見てくれてたんだ」

 穴の開いた堤防みたいに、言葉が次から次へと溢れ出ていた。これ以上言って、それを誰かに聞かれたらマズいんじゃないか、とも思ったけれど。

 ふと不思議な気分になった。たかだか会って4日しか経ってない相手に、こんな込み入った事を話すなんて。初めて話をした時、とても面倒くさい気分になっていたことが、今となっては嘘みたいだ。

「俺はその子に恩返しがずっとしたかった。ずっとずっと……けどよ、2年前、2年前だ! 夏の終わりに、オーデンスのクソッタレニンゲンどもが来て……力ずくで俺をこんなところまで連れてきやがったんだ、無理矢理にな……!

 だからさ、死ねないんだ。死にたくないんだ! 2年前からずっと止まったまんまの俺の時間は、あそこに帰んなきゃ二度と動かねえんだよ……!」




「ホント、真面目なんだねえキミは。ボク、キミのそういうとこ好きだよ。ボクにはできないことだもん」

 けらけらと笑いながら、パンプジンはそう返した。

「できないって……?」

「そうやって、生きることに一生懸命になること」

 嫌な予感がして、俺は唾を飲み込んだ。

「……お前、まさか」

「違うよ。死にたいわけじゃない。なんだかんだで、生きてるのは楽しいしねー。まあ、生きたいってわけでもないけど。

 生きてても死んででも、どっちでもいいかなって感じ、かな。死んじゃえば、こんなめんどいことをもうしなくてよくなるかもしれないしさ」

 子供みたいに無邪気な声のまま、そんな声とはえらく雰囲気の違う死生観を、パンプジンは語る。

 そういや、パンプジンはゴーストタイプのポケモンだったか、と今になって思い出す。ゴーストタイプのポケモンには、生死にまつわる言い伝えをよく聞く。

 コイツがこんな死生観を持っているのも、コイツがゴーストポケモンであるが故なのだろうか。


「……変わった奴だよ。お前は」

 いろいろ考えたあとで口から出た言葉は、そんな当たり障りのない、ありきたりなつまらないもの、だった。

「へへへー、ほめてもなんも出ないよー」

 こっちをからかっているようないつもの物言いで、パンプジンは返した。




 なぜだろう。コイツ相手だと、あまり話さないようなことまで話してしまいたくなる。

 なぜそう思う。こいつに対して、俺が抱いてる感情はなんなんだ、と考えた。でも、はっきりした言葉は思い付かない。

 しぐさは本当にガキっぽいくせに、言う事ときたら小難しいことばかり。おまけに生意気で、馴れ馴れしくて……

 なのに、なぜ嫌いになれないんだろうか?



 

「おっと、もうそろそろ持ち場に帰んなきゃヤバい! 今日はここまで! また明日ねー!」

 そして、バネみたいに跳ねあがって戦車を跳び下りる。そして、まばたきする間に一目散に走り去っていく。

 こいつは押し掛けてくるのも突然だけど、去っていくのも突然だ。

「……ああ、また明日、な」

 小さくなっていくパンプジンの背中を見送りながら、俺は届いているかどうかも分からない返事を返した。ああ、今日も肝心な事を聞きそびれた。明日こそ、きっちり聞きだしてやんなきゃな、と考えながら。


 すっかり短くなっていた煙草の火を、戦車の装甲に押し当ててもみ消す。

 吸殻を放り投げて顔を上げると、地平線の影に姿を隠そうとしている太陽が見えた。毛皮を撫でる風は、既に涼しさを通り越してうすら寒い。

 こっちの夏は、ずいぶんと短い。カロスじゃ、今の時期はまだもう少し暑かったんだけどな。

 あの太陽が沈んでいく先に、カロスはあるらしい。あの子は今、どんな気持ちであの太陽を見ているのだろう。

 考えると、また心が締めあげられる。今は忘れよう。そのために、俺は次の煙草に手を伸ばすのだった。




 * * *




 翌日。俺達は1週間弱暮らした町を出た。

 遠くに砲撃の炸裂を見ながら、鉄条網を踏みつぶし、塹壕を乗り越え、歩兵や車両に砲弾や機銃を浴びせて黙らせていく。いつもと何ら変わりない、いつもどおりの仕事だ。

 午前中には、先日俺達の飯を台無しにしてくれた連中の本隊を包囲し、トドメを刺す事が出来た。これで1日じゅうショカコーラを食べて暮らす日も終わってくれればいいのだけれど。

 昼食を取って、午後からは前進が始まる。今度は威力偵察。相手の防衛陣地が何処か探り、見つけ次第軽く殴って相手の力量を確かめる。そんな仕事だ。

 基本的には、装甲車に乗った偵察部隊のお守になる。偵察隊は、旧式と鹵獲戦車しかないこの部隊を頼りなく思っちゃいないだろうか……と、そんな心配が心の中に浮かんでいた。




「戦車隊へ、こちら偵察小隊1号車。1時方向、距離1000に敵戦車発見。数は2、車種は不明。先行を願う」

「戦車隊、諒解した。私が先行する。コンラート車は防風林の陰から援護を頼む」

 無線機に飛び込む、知らない声とイザーク少尉の声。どうやら偵察部隊の装甲車が敵を見つけたらしい。

「聞こえたなイェジ。敵を迎撃するぞ。11時方向の馬小屋を目指せ。そこで迎撃する」

「諒解。こいつは責任重大ですねえ!」

「リシャール、2時方向に砲を向けておけ。撃ちあいになるぞ」

「諒解」

 戦車が向きを変え、速度を上げるのが分かった。イザーク少尉の指示通りに砲を指向する。

「リシャール頼んだぜ、戦車戦じゃ俺達の運命はお前にかかってんだ」

「分かってるさ。いちいち脅すな。そのせいで外したらお前のせいだぞ」

 バレンタインとかいうこの戦車に乗ってから、イェジはいつもこうやって俺に発破をかけてくる。

 コンラート曹長が指揮する2号車は、俺達がコイツの前に乗っていたのと同じⅡ号戦車。戦車相手には心もとない火力しか持っていないポンコツだ。

 ゆえに、戦車とまともにやりあえる戦車を使っているのは、ここでは俺達だけということ。そしてその主砲の引き金を引くのは俺。まったくとんでもない役を任されてしまったものだ。

 照準器の中に、目印の馬小屋が映った。手に力がこもる。今引き金に指をかけたら、間違って撃ってしまいそうだ。

 積み上げられたままの藁、木の壁、それら全てが、照準器の右側へ流れて、姿を消す。

「いた、20度右、攻撃を許可する!」

 少尉の声に合わせて、砲塔を回す。

 捉えた。畑の中に1輌、こちらに真正面を向けている。もう1輌は後ろに隠れていた。

 距離を測るため、相手をよく見て、車種を確かめる。

 雑魚のT-60だったらよかったのだけれど、どうやらそうではないようだ。正面から見たT-60は四角っぽくて、砲塔が向かって右に寄っている。だが今狙いをつけている戦車は、砲塔がど真ん中に乗っかった、三角っぽい形の戦車だった。

 ……おい、こいつって、まさかーー

 そう思った矢先、照準器の中の敵戦車が、こちらに狙いを定めるのが見えた。




「後退しろ!!」




 少尉の声が響いたのと、照準器の中の敵戦車の主砲が火を吹いたのは、ほぼ同時のできごとだった。

 刹那、俺達の戦車はエンジン付きの巨大な鐘へと姿を変えた。

 照準器を覗いたままでなんかいられるわけがない、強烈な衝撃。何度も身体を車内のあちこちにぶつけ、口の中に鉄の味が充満する。

「ちくしょう! エンストだ!」

「落ち着けイェジ……ッ、まだ大丈夫だ!」

 イェジの罵声が響く。そして、それをたしなめる少尉の声。

 どうやら、相手の弾丸はこちらをうまくかすめてくれたらしい。鐘になっただけで、挽肉機にはならずに済んだようだ。

 だが油断してはいられない。照準器をのぞき直して、もう一度相手を捕捉する。

 俺達を撃ってきた相手は、次弾を装填中のようで動きを見せない。後ろのさらにもう1台は、幸いなことにこっちを向いてはいなかった。

 それにしてもだ。あの忌々しい、角ばった車体に丸いパンを乗っけたような姿。見間違えようがない。

 T-34。こちらを一撃で仕留めうる火力、生半な攻撃では仕留められない防御力、縦横無尽に大地を駆け回る機動力を併せ持った、戦車の世界のガブリアスみたいなヤツだ。俺達の部隊で一番対戦車能力が高いこのバレンタインでも、正面から相手をするのは相当分が悪い。

 そして今、そんな相手を目の前にして、俺達の車両はエンストして逃げられない。1発目は運よく直撃しなかったけれど、2発目は相手もきっちり狙いを修正してくるはず。

 万事休すか。そう思った時、照準器の中のT-34の装甲表面で、何かが弾ける。それに合わせて、T-34はこちらから目をそらした。

「2号車より1号車へ。相手はこちらで引きつけます。すぐに退避を!」

 通信機にコンラート曹長の声が飛び込む。

「感謝する。リシャール、煙幕弾を撃て。イェジ、後退して丘の後ろへ隠れろ」

「……よっし、いい子だよエンジンちゃん! 諒解です!!」

 静まり返っていたエンジンが再び唸りを上げる。俺も命令通りに、軽く狙いを定めてT-34の手前に煙幕弾を放り込んでやる。その直後、照準器の視界は再び馬小屋の壁に遮られた。


 ハッチが開いて、上から光が差し込んでくる。

「戦車隊より偵察小隊へ。敵車両はT-34と判明。510集落へ至急後退されたし!」

 右を向くと、イザーク少尉が開いたハッチから身を乗り出しているのが見えた。

「リシャール、立てるか? 見張りを手伝ってほしい」

「大丈夫です。やります」

 少尉の声に応えて、座席の上に立ち、ハッチから身を乗り出す。

 空はいつの間にか鉛色に染まり、空気は湿り気を帯びていて、じっとりとした嫌な暑さが身体を包む。

 最悪の気分、のっぴきならない状況、おまけに天気までこれときた。思わず笑いが浮かんでくる。今日の運命は、とことん俺達に意地悪をしたいらしい。

「それで、これからどうするんです少尉? いくらこいつの対戦車能力がそこそこあるからって、2対1じゃ勝ち目はないですぜ?」

 一難去って、最初に口を開いたのはイェジだった。ヘッドホン越しの声は、なんだかこちらを煽っているようにも聞こえた。

「イェジ、こういうことがあったのは今が初めてじゃない。そうだろう?」

「……ハハ、そうこなくっちゃ!」

 それを特に気に留める事もなく、少尉はイェジに返す。そしてイェジは、はじめからそう答えることがわかっていたかのように、笑って返すのだった。


「コンラート、敵戦車の進行方向は分かるか?」

「現在、道路沿いを510集落に向かって進行中です。奴ら、もう勝ったと思ってるんでしょう」

「そうか……フフ、ならば教育してやろうじゃないか」

 イザーク少尉が不敵に笑う。そして、腰に付けた地図入れから地図を取りだして、それを一瞥するなり叫んだ。

「イェジ、419高地の東側の斜面に沿って、全速で510集落へ向かえ。コンラートはそのまま、敵を510集落へ誘導しろ。だが急ぎ過ぎるな、できる限りゆっくりお連れするんだ」

 419高地とは、今自分達が尾根の近くにいるこの丘の事だ。東側を進んでいけば、敵が進んでいる道路から身を隠したまま、510集落――今日、俺達が後にしたばかりの小さな村まで向かう事ができる。だが。

「集落に戻って、どうするんです? 近づけばコイツの砲でもT-34を倒せなくはないですが……」

 俺は隊長に問うた。建物があれば距離は詰めやすくはなる。だが、それでも2対1の状況が変わるわけじゃない。

「リシャール、こう言う時こそ落ち着いて物事を考えるんだ。戦争は我々の戦車部隊だけでやってるわけじゃない。思い出すんだ、集落には今の状況を打開できるだけの力があるだろう?」

 思い出す? 思い出すって、俺は――と自らに問いながら、俺は記憶の糸を手繰り寄せた。

 そう、昨日は……いつものようにあのパンプジンと話をしていた。あいつは妙に上機嫌だったな。なんでだっただろう? たしか、あいつの配属先で、戦車を仕留めたからだ。

 ……戦車を? そうだ、あいつの部隊は戦車を倒せるんだった。なぜなら、あいつがいつも弾を詰めてる大砲は、俺と同じカロス生まれで、それを改造して作った――

「……対戦車砲!」

「そうだ。あれならT-34だって倒せる!」

 白い牙を見せて、少尉が笑った。なんだか、このひとはいつも笑っているような気がする。今は俺が正解を答えたことが嬉しいのか、それとも敵を嵌めることが楽しみでならないのか。

 まあ、そんなことはいい。対戦車砲のお出ましともなれば、きっとあのパンプジンも出てくるのだろう。今日のあいつとの話は盛り上がりそうだ。

「クソッ、もっと速く走れよドン亀! 少尉! 雨降ってますし少尉の力でコイツを速くしてくださいよ!」

「ははは、自分の身体ならまだしも、こいつをもっと速くするならロシア全部が海になるくらい雨が降らないと厳しそうだな」

 冗談のぶつけ合いをするイェジと少尉の声を聞いて、俺は身体にまとわりつく湿り気が水滴に変わっていたことにやっと気づいたのだった。




 湿り気が霧雨になり、いよいよ本降りになりだしたところで、俺たちの戦車は510集落にたどり着いた。

 戦車は今、背の高い茂みの中に身を隠している。俺はその戦車の上で、雨で見通しが悪くなる中、合羽を被って見張りを続けていた。

「こちらコンラート、敵戦車は現在、510集落の北、距離1200の路上を進行中」

「諒解した。そのまま510集落に駆け込め! 対戦車砲小隊、1番砲は距離500まで引きつけてから砲撃を開始してくれ」

 少尉と曹長の通信を小耳に挟みながら、視線を集落の方へ向ける。

 砲撃で一部が崩れた石垣を盾にして、展開している対戦車砲が見える。合羽を被った5,6匹ほどのポケモン達がわたわたと動いていた。戦いをやっているのはニンゲンなのに、使っている武器もみんなニンゲンが造ったものなのに、ここはこうもポケモンだらけなんだな、不思議だな……なんて、今更にもなってそんなことを考える。

 ふと、対戦車砲の脇で暇そうに手を組んでいるポケモンがいるのに気付いた。

 顔を彫ったカボチャに顔を描いた杭を打ち込んで、カツラとついでに合羽を被せたみたいなヤツ。見間違えようもなかった。あいつだ。

 あいつが顔を上げるのが見えた。目が合った。能天気にあいつは腕を軽く上げて、こちらに向けて手を振っている。

 まあ、戦車を見れば分かるって言ってたし、戦車の上からこちらを見ているテールナーが俺だってことくらい――ってそうじゃない! いくら真面目に戦をするのがバカバカしくても、今はそんな事をしてる場合じゃない。

 俺は腕でバツ印を作って、手なんか振ってないで仕事しろ、と言ってやった。ジェスチャーだから、ちゃんと伝わっているかは分からないけれど。


 視界の右手から、灰色の戦車が1輌、勢いよく突っ込んできた。

 戦車の主砲としては貧相な2挺の機関銃が突き出た小さな砲塔から、紫色のカエルポケモン――ドクロッグが顔を出している。コンラート曹長の戦車だ。

 刹那、砲声。空気が震え、遠くの道路の上に落ちる雨粒が跳ね上がった。

 砲弾はコンラート曹長の戦車をかすめて虚空へ飛んでいく。食らえば一巻の終わりな砲弾を紙一重でかわす指揮力、そしてそんな状況でも砲塔から顔を出している胆力。流石は歴戦の先任下士官と言ったところか。

「隊長、完璧です! 奴らはもう網の中だ!」

「ありがとうコンラート! リシャール、持ち場に戻れ! 目標は右40度!」

 少尉の声が響く。俺はその通りに砲塔の中へ収まり、照準器を覗き、砲塔を駆動させる。

 目標捕捉。仲良く並んだ2台の敵戦車が、追い込まれているとも気付かず走っている。

「装填完了、指示するまで引き金は引くな……」

 少尉の荒い息が籠った声。その声に合わせて、唾を飲んだ瞬間。


 右側の敵戦車の正面装甲に、爆風が巻き上がった。

 対戦車砲弾の直撃。元気に前進していたそいつは、たちどころに動きを止める。

「敵戦車1輌大破! 対戦車砲がやった!」

 少尉の声。上機嫌になっているパンプジンの顔が目に浮かぶようだ。

「リシャール、射撃を許可する。冷静にな」

「諒解!」

 落ち着いて、俺も狙いを定める。2輌目は俺がいただいていくぜ。そして――




 生き残った敵戦車の主砲が、火を吹いた。そして、すぐ近くで、ヤツの放った砲弾が炸裂した、ような気がした。




「こちらコンラート! 1番砲がやられました!!」




 やられた? まさか、さっき奴が撃った砲弾で?

 という事は、まさか、あいつは、あの、パンプジンは、まさか、まさか――

「2番砲の位置へ誘導するぞ! リシャール、ヤツを撃て! イェジは射撃後全速前進! 交差点へ向かえ!」

 射撃許可が、出た。そうだ、撃てばいい。あいつを撃って、俺が仕留めればいいんだ。それで、全部終わりだ。

 狙う。いちいち計算してる暇なんてない。撃たなきゃ、こっちが、やられる。あの、パンプジンの、大砲みたいに。


 引き金を引いた。

 放たれた砲弾は、真っすぐ、降りしきる雨を切り裂いて、


 こちらに車体を向けてきた、相手の正面装甲に、あっけなく弾き返された。


「前進!」

 がくり、と戦車が揺れる。戦車が動き出す。

「ちくしょおおおおお! 走れえええええええ!!」

 イェジの絶叫。俺もそのくらい叫びたかった。でも、声が出なかった。

 照準器の中の敵戦車は、こちらに狙いを定めて、その上でこちらを追ってきていた。鈍速なこの戦車じゃ、追いかけっこは絶対に負ける。

 相手の砲が動いていた。こちらを狙っている。きっと、幸運は、2度も味方はしてくれない。

 もう、何も考えられなかった。体の震えが止まらなかった。

「装填いいぞ! 撃てリシャール!」

 少尉の声。どうにか照準を合わせる、でも、砲身をこちらに向けた敵戦車に睨まれて、それ以上、手を動かせなくなってしまった。

 ダメだ。撃ったってどうせ効きやしない。何をしたって、次には相手が俺達を撃ってくる。そう考えてしまって、手の震えを止められない。

 もう弾き返す事を望める距離じゃない。撃たれた俺達は、こんな鉄の塊のなかで、どこにも逃げられなくて、ズタズタに引き裂かれて、焼かれて、グチャグチャになって、灰になって、

 ――ああ、終わる。俺の"夏"が。何もかも、が。

 リシャール。リシャール。俺の名を呼ぶ声が聞こえる。

 ごめんよ。もう、行けない。帰れない。俺は。僕は。

 動かなくなったポケモンと、主を無くした大砲を踏みつけて、敵戦車はこちらに狙いを定めた。

 そして――




 敵戦車の砲塔の上の、でかいハッチが開いた。否、"開けられた"。

 外側からハッチをこじ開けたのは、ピンク色のカツラみたいな腕。そして、その中に飛び込んだのは、カボチャに杭を突き刺したようなポケモン。

 飛び込んだポケモンは、そのままハッチを内側から閉める。そして。




 敵戦車の砲塔が、盛大な爆炎とともに吹っ飛ぶのを、俺は見たのだった。




 * * *




「そういうわけで、"命の恩人"に何かご褒美は?」

「はいはい、ショカコーラ半分でいいか?」

「……ま、今ん所はこれでいいか。残りの借りはぼちぼち返してもらうよ。利息も付けて!」

「まったくがめつい野郎だな。お前のタイプを"悪"って名前にしたニンゲンに、俺は敬意を表するよ」

 あの日みたいに、戦車の上に腰掛け、隣のポケモンとショカコーラを分け合い、とりとめのない話を俺達は続けていた。もっとも、隣に座っているのはあのパンプジンではなく、おしゃべりでお調子者のドライバー、イェジなのだが。

 なんでこいつが恩人ぶっているのか、というと、昨日敵を殲滅したあとも気が触れたままだった俺が、引きずり出されて少尉の水鉄砲を何度も食らっていたところを止めたから、だそうだ。いくらなんでもその程度で死んだりはしない。そんな程度のことで命の恩人なんて、物事を大仰に言いすぎだ。

 イェジなんかじゃない。俺にとっての命の恩人はあいつ以外にいない。今、本当に隣に座って、一緒にショカコーラを食べていたいと、一番強く思えるあいつ以外には。


「あいつ、なんて名前だったんだろうな……」

「はい?」

「T-34に飛び込んで、そいつを道連れにしたパンプジンの事だよ。ここに来てから、よく話してたんだ。よくわからん奴だったけど……話してて、楽しい奴だったよ」


 ずっと聞きたかった肝心な事を、俺はついに聞く事が出来なかった。

 ガキっぽくて、小難しくて、生意気でずうずうしかったあのパンプジンは、敵戦車が俺達に気を取られている隙に、取りついて中に飛び込んだ。そして、その中で、自らの身体を"大爆発"させたのだ。

 爆発は弾薬と燃料を誘爆させ、敵戦車は爆発炎上し、燃え尽きた。中の乗員4名と、爆発の元凶となったパンプジンと共に。

 かくして俺達は命拾いして、今もこうやって戦車の上でおしゃべりに興じている――というわけだ。


「あいつ、変な奴でさ、こんな事を言ってたんだ。自分は生きることに一生懸命にはなれない、生きてても死んでても、どっちでもかまわない、ってさ……

 そうだったから、あんな事が出来たのかなとか、俺にもあんな勇気があればいいのにとか……なんか、そんな事を考えてる。昨日から、ずっと」

 いつにも増して饒舌になっている事に気付いて、なんだかあいつと話してるみたいだ、と思う。もうあいつはここにはいなくて、話す事なんて絶対にできないのに。

 もしあの時俺が身体の震えを抑え込んで、1発でも相手に砲弾をぶちこめていれば、今日もあいつと話せていただろうか……考えても仕方のないことを考えて、情けなさで胸がいっぱいになっていた。

「あいつ、生きる事に一生懸命になれる所が好きだって、俺に言ってくれてたのにさ……情けないよ。そう言った俺自身が、生きる事をあきらめそうになってた。そうなってなきゃ、あいつは死なずにすんだかもしれないのに」

 悔しくて、悲しくて、歯を食いしばる。イェジは何も言わずに、ショカコーラの最後の欠片を口に放り込んで、まるで探し物でもしているみたいな目で、俺をただ見つめていた。


「過ぎた事は過ぎた事だ。後悔したってなんも変わんねえよ。そんな事してる暇があるなら、まだ生きてる俺達だけでも前向いて進まなきゃ。そいつが一生懸命生きるお前が好きだったってんなら、なおさらさ」

 イェジはおもむろにそう言って、自分の煙草入れから煙草を2本取り出した。片方は自分が咥え、そしてもう片方は。

「ほら、これでも吸って元気出せ。なに、これまで貸しにするとか言わねえからさ」

 左手に持って、俺の許へ差し出してきた。

「……どうしたんだよイェジ、お前がそんなことするなんて? 変な物でも食ったか?」

「おいおい、そういう言い方すること無いだろ……ま、俺の方がちょっと先輩だしな、たまにはそれらしいことしてやんなきゃって、そう思っただけだよ」

 大げさに落胆したような顔で、イェジが言う。こいつには悪いが、今までイェジがこんな事をするような奴だと思っていなかったのは事実だ。今までちゃんと話した事がなくて、ただうるさいばかりのドライバーだとばかり思っていたけど……思ってたより、良い奴なのかもしれないな。

「……そうか、じゃあ」

 断る理由もなかったので、俺は煙草をありがたく受け取る事にする。

 まだ残っていたショカコーラを急いで口に放り込んで、噛み砕いて飲み込む。頭の中をストーブであっためられたみたいな、ぞわぞわとした感覚が走った。

 煙草を咥えて、イェジが点けてくれていたライターの火に、先端をかざして、軽く息を吸う。

 煙を味わいながら、空を見た。最後にあのパンプジンと話した時みたいな、綺麗な夕暮れ空だった。

 やっぱり、煙草はいい。嫌な事はみんな、煙と一緒に空気へ溶かしてしまえる。




 冷たい風が、毛皮を揺らしていく。

 夏は終わった。でも、俺の"夏"はまだ終わらない。俺の止まった時計は、ほんの少し動いただけ。

 煙草の煙が目にしみて、涙がこぼれた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。