つい、昨日のこと。昨日の、夕方の事件。
僕は主人に、捨てられた。「お前はもう自由だ、ツタージャ」。たった一言、そう彼は伝えた。そして、きびすを返した。僕の目は、一切見ない。
僕は、その背中を注視した。徐々に背中は、小さくなる。やがて、夕日に溶けた。僕は、追いかけなかった。その資格は、持っていない。
トレーナー、という職業がある。トレーナーは、ポケモンを捕える。仲間にする。その後は、育てる、戦わす、を繰り返す。しかし何らかの事情で、そのサイクルが途切れた。そんなとき、彼らは仲間を捨てる、場合がある。それは奥の手、と呼んでもいい。
主人はこの度、初めて捨てた。そして、恐らく最後にする気だ。苦しい決断だっただろう。こんなことは、誰だってやりたくない。主人なら特に、気が引けることだったはずだ。
六匹いる仲間の中で、僕が外される理由。それは、だいたい自分で判る。
まず自分は、バトルが弱い。野性相手でも、割と苦戦する。ジム戦は、一回出たが惨敗で終えた。連続攻撃を避けられず、即意識を消失した。また自分は、新しい技を覚えても、使えこなせないことが多かった。更に自分は、進化するための経験値が、全然溜まっていなかった。進化を果たせば、ぐっと強くなれる。だが、僕は届かなかった。
かと言って。自分は、特別な技も操れない。特別な技というのは、戦闘以外で役立つ技のことだ。トレーナーを乗せて空を飛び、遠くの町まですぐに向かったり。行く手を塞ぐ巨大な岩を、跡形もなく粉々に砕いたり。こういった技を持っていれば、弱くても活躍の場面がある。
即ち僕には、存在意義がない。ならば当然、捨てられるのは自分。そうに決まっていた。
こんな僕ですら、主人は存外に扱わず、”おや”として大切に育ててくれた。自分は、過度のダメージで、灯火が消えかけたことがあった。そのとき主人は、何日も張り付いて看病した。生死を彷徨っていた僕に、死ぬなって必死に呼びかけた。
弱い僕もトレーニングも、きっちり実施してくれた。岩に向かって蔓が当たらない僕に、細かく角度まで指導を重ねた。更に、僕の身の丈に合った、技マシンも探してくれた。決して、早々には諦めなかった。けれど、やはり限界を悟ったのだろう。
これまで主人が、いかに大変な思いをしていたか。それも、僕は知っていた。最近、ずっと不調だった。バッジが全然集まらない。全く旅が進まない。この間、トイレで何時間も泣いていた。非常に、悔しかったに違いない。親と電話中、「後一ヶ月」という言葉を、幾度も叫んでいた。その姿は、見ていて辛かった。お金だって、足りなくなっていたのだろう。
そんな、真っ暗な状況。それを打破すべく、僕を逃がした。
僕は、主人を一切恨まない。トレーナーの、世界は厳しい。弱い仲間は切り捨てないと、上に上がれない。余程の才能が、ある人以外。だから、仕方のないことだ。そう、思っていた。
そうだ。僕は、あなたを恨まない。むしろ、感謝しているんだ。今まで楽しかったよ。ありがとう。さようなら、”主人”。
野性になってから、四ヶ月。
野性の生活は、相も変わらず、慣れなかった。おいそれとはいかないことは、十分覚悟していた。けれど、完全に予想以上だった。
僕はずっと、人間に飼われていたのだ。人間の下から出た世界の、知識は皆無に等しかった。
まず僕は、自身の種族の特長を知らない。ツタージャが、何を食べる生物なのか、もうそこから不案内だった。そういうのは、本能が示してくれると思っていたが。残念ながら、己の本能は、完膚なきまでに消滅した。ポケモンフーズしか食べてこないと、こうなる。
僕は、雑草すら食べるのを躊躇した。自分には、有毒かも。そんな不安が、過ぎってしまった。変わりに、今まで食べたことがある物を食べた。オレンの実とか、モモンの実とか。それらは、戦闘中にも主人に持たされていた物。安心して口にできる、貴重なものだった。
僕は、他のポケモンと、仲良くできなかった。他のポケモンを嗅ぎ出せても、話かけるということができなかった。他種族と、どこまで距離を近づけるべきか。それが、分からなかった。だから、野性の暮らしなんて、知る術がなかった。同じ種族に出会えれば良いのに、と思った。
一人ぼっちの自分は、今日も暇だった。暇だから、あることした。人間の町に向かった。気の利いた人間が、いないか。その人間が、自分を捕まえないか。そんなことを、考えた。
町は人が、群生していた。
一人の男性がいた。彼は、窒息するんじゃないかというぐらい、ネクタイをキツく締めていた。片手には、新聞紙を握っていた。その新聞紙をたった今、ゴミ箱に向かって投げた。ゴミ箱は既に満タン近くて、新聞紙はギリギリで中に入った。
また、一人の女性がいた。彼女は、ギラギラと光輝く物を体に纏わせていた。窒息するんじゃないかというぐらい、多くのネックレスを首に巻きつけていた。手には指輪をしていた。指輪は光を反射して、すれ違った自分の目を襲った。
この地は明らかに、トレーナーが集う町、という雰囲気ではなかった。
捕まえてもらうのを、僕は早々に諦めた。もう戻ろう。そう思っていた、ときだった。
そのとき丁度僕は、電気屋を通りかかっていた。電気屋の前には、四角い物体が数台あった。
僕は、この物体を知っていた。これは、テレビと呼ばれるもの。テレビは主に、情報を人々に流す。ありのままの情報を、映像として映し出す。そして、ありのままの事実を、淡々とアナウンサーが話す。テレビを通して、人々は真実を認識する。
僕は、そのテレビが放つ、大きな音に反応した。そして、そっちを、ちらっと見た。
すると、そこには。
完全に、立ち止まった。硬直。もう、何も聞こえない。
そこには、恐ろしく見慣れたもの。それは紛れも無く、主人だった。主人がテレビに出て、バトルをしていた。なんという偶然。こんな所で、見かけるとは。
画面の角には、「世紀の天才、ついに出現」、という文字。いったい、どういうことだろう。
自分はずっと、テレビの前にいた。きっと、さぞかし怪しまれた。
主人がボールから出したのは、ギャラドスだった。このギャラドスは、昔コイキングだった。ボールから出した途端、歓声の嵐が巻き起こった。主人の名前を、みんな手拍子と共に連呼していた。会場全員が見方になっている、という感じだった。突然、主人の右手首が光りだした。次の瞬間ギャラドスは、新たな進化を遂げていた。彼の放った破壊光線で、敵のガルーラがお腹の子供ごと吹っ飛んでいった。
分かったことが、いくつか。
主人は、ポケモンリーグで戦っている。かなりの、有名人になっている。数多くのファンも、できている。賞金もきっと、たくさん貰えている。メガシンカが使える。とてもとても、バトルが強くなっている。たったの、四ヶ月の間に。
……。
今まで主人は、苦戦していた。停滞していた。しかし、自分が抜けてから、順調になった。すなわち、それは。それは。
僕が足手纏いだったってことを、証明していた。
勿論、そんなことは、分かっていた。だが、ここまでとは、思わなかった。自分はとてもとてもとても、邪魔な存在だったのだ。
違う。きっと、自分が抜けてから、何かあった。何か、主人を奮起させるようなできごとが起きた、とか。宝くじに当たって、経済的に余裕ができて、バトルに集中できるようになった、とか。そう、考えることも可能だ。
けど、それはただの、こじつけな気がして。
己を正当化させようともがいているように、客観的に見えてしまって。
やはり真理は、自分が悪いのだろうと。
脳内のあちこちに、思考が飛び交う。やがて、真ん中で落ち着いたとき。
自分に巣食った感情は、怒りだった。
この状況はまるで、僕が悪者にされている。テレビから聞こえる声援が、自分を罵倒する声に聞こえる。インタビューしている人の微笑みが、自分に対する嘲笑に見える。主人を賞賛する全ての人間が、自分に悪意を持っている。そんなふうに、見えてきた。
捨てられたポケモン。それは、もっと皆から、同情される存在だと思っていた。
なぜ自分は今、存在価値を否定されている? 罪悪感を、抱かせるようになっている?
捨てた人間。それは将来、幸せにはなれないものだと思っていた
こんなふうに、賞賛されやしない、と。ましてや、ポケモンと絆を結ぶことによって可能になる、善いトレーナーの証でもあるメガシンカなんか、使えるようになってはいけない、と。
例えば、ポケモンを捨てたことが発覚して、女性のブリーダーから頬を打たれるとか。
例えば、手持ちのポケモンに失望されて、いつの間にかボールが空になっているとか。
例えば、幾多の激戦を繰り広げたベテランの老人トレーナーに、「お前はトレーナー失格だ」、と言い放たれるとか。
そういう悲劇が生じる、という”前提条件”の元、自分はあのとき、憐れな彼を一切恨まないと誓ったのだ。あの人は良い人だと、全力で擁護したのだ。こんなふうに、トントン拍子で上昇することは、全く計算に入れていなかった。
こんなことなら、一発背後から尻尾で斬りつけるくらいしても良かった。
これじゃあ、割に合わない。
もっともっと、自分は同情されるべきだ。
もっともっと、主人は罵倒されるべきだ。
僕は、考え方を思い切り百八十度変更した。かつての主人を、思い切り恨むことにした。彼は悪く無い、悪いのは全て自分だ、という思想を抱いた自分を殺した。
恨まないと、釣り合いが保てないと思った
恨んでもなお、釣り合いが保てないと思った。
遅かれ早かれ、主人は不幸になる。僕は、そう信じた。因果報応。その四字熟語に希望を託した。絶対今に、調子が狂う。善人でさえ、ときには地に落ちる。主人なら、なおさら。いつまでも、エリートでいられるわけがない。
そう、終わってしまえばいい。主人は。
現在は夜。時折吹く風が、ひんやりと冷たく、容赦なく肌の上を駆けていく。空を見上げると、気持ち悪いくらい丸い月。その月は、自分を真っ直ぐに見降ろしている。
怨念を胸に抱きつつ。あてもなく、ぶらぶら彷徨っていた。辿り着いた先は、丘の上。
この丘からは、人間が住む町が見渡せた。家々が群生し、所々にビルが建つ。ビルが放つ光が、星のように至る箇所に点在していた。夜遅くだというのに、踏切が警告音を響かせていた。
そんな町に向かって。呑気に眠っている人を起こす勢いで、僕は大声で叫んだのだ。
「トレーナーに捨てられた! 人間死ね!」
主人だけじゃない。主人を上澄みまで昇らせた、そんな社会を形成した人間達。全てに向かって、僕は死ねと罵倒した。怒りに任せた、向こう見ずな暴言。それはやたらと反響して、自分の耳に返ってきた。
さすがに、虚しくなった。ずいぶんと、幼稚なことをした。ちょっと反省した。こんな愚痴を吐いても、変化は何も起こらない。後いくらなんでも、「死ね」は言いすぎだ。僕は別に、主人にも他の人間にも、死を望んでいる訳じゃない。
戻ろうと、振り返る。すると、同じタイミングで木が、カサカサと音を立てた。とっさに身構えた。やがて木の先端から、一匹の黒い鳥が飛び出した。
ヤミカラスという、ポケモンだった。
光物を掠め奪う際に使うであろう、研ぎ澄まされた刃物のように鋭利な目。黒一色で塗られた、夜にマッチングした不気味な体。そして、同じく黒い帽子。大きさは、自分と同じくらい。だがその漆黒の烏は、異常なまでのおどろおどろしさを感じさせた。明らかに、襲いかかってくる。そんな予感がした。
ヤミカラスは降下して、こっちに近づいてくる。やはり僕を、捕らえるつもりだ。生命の危機をすこぶる感じた。すぐさま、逃げようとした。が、次にヤミカラスが飛びながら放った一言が原因で、自分はその場に停止してしまった。
「もしかして、捨てられたポケモン?」
意外にも、優しげな声。なぜ分かったのか、一瞬疑問に思った。十秒前に自分が叫んだ言葉を思い出して、納得した。
どうやら、襲う気はないみたい。とりあえず一安心。ヤミカラスは、地面に着地。そして、「トレーナーの名前を教えて欲しいと」言った。急に話かけられて、慌てふためいたが、なんとか僕は答えた。すると彼は、「そいつか」と目を見開いた。
このポケモンは、主人のことを知っている。理由は分からないが、そうみたいだ。
ヤミカラスは、次にこんなことを呟いた。
「あの変な奴が、主人だったのか」
その呟きが耳に入った瞬間、主人のことを詳しく尋ねたくなった。好奇心が溢れた。
意を決して、僕は彼に頼んだ。内気な自分にしては、珍しい積極的な行動だ。
それから何時間も、僕達は会話していた。
最初に僕が、捨てられた経緯を話した。自分は弱くて、特技もないから見限られたこと。その後、主人の旅が急に順調になったこと。それを知ったときの、自分の感情。僕は彼に、全てを晒した。
話している最中、彼は真剣に聞いてくれた。適度に、相打ちを打ってくれた。「それは大変だったね」、と言ってくれた。そして更に、それだけでなく、
「トレーナーの、世界は厳しい。弱い仲間は切り捨てないと、上に上がれない。余程の才能が、ある人以外。だから、仕方のないことなんだよ」
すると、ヤミカラスは帽子を整え、片方の翼のみを開いて、こう語る。
「でも、その人間はポケモンリーグまで行ったんでしょ。なら、余程の才能がある人じゃん」
「そっか、確かに」
彼は、自分が気付かなかった、主人の批判すべき点を指摘してくれた。そうだ、主人は才能に恵まれていた。それなのに、僕を逃がした。
自分が、一通り話した後。今度はヤミカラスが、主人について、知っていることを話した。
「この間、バトルをしているときが面白かった」
「何かあったの」
「あいつのギャラドスって、メガシンカできるじゃん」
「うん」
「その、メガシンカしたギャラドスのことを、あいつはずっと『メガギャラドス』って、そのまま呼んでたんだよ。『いけっ、メガギャラドス、ハイドロポンプ!』とか言ってた。普通メガシンカしたポケモンって、『メガ』をつけないで呼ぶんだけどね。なんか、メガシンカを使いこなせることを、わざわざアピールしているみたいだった」
「うわー」
「後、この間のインタビューも酷かった」
「どんなだった?」
「あいつって、後半のジムバッジを、めっちゃサクサク集めてたじゃん。特に詰まることなく、トントン拍子で。ジムリーダー速攻で倒して、次の町へ、次の町へって。そのことについてインタビュアーに、『凄いですね』って褒められたんだよ。そしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
「なんて言ったの」
「『バッジ集めは、スタンプラリーです』って」
「なんだそれ、ひどすぎるでしょ」
彼の話を、自分は夢中になって聞いた。そして、夢中になって笑った。主人の天狗姿が知れて、僕は大満足だった。
主人がこんなに、痛々しい人だったなんて。主人がこんなに、嫌なタイプだったなんて。こんなにも、馬鹿にできる性格だったなんて。
(こんな奴なら、自分の方が正しかったんだなあ)
話を聞き終えた頃には、とんと気持ちが楽になった。さっきまでの、暗い気持ちが飛んでいった。もう暴言を吐くなんていう、向こう見ずな真似はしない。
ヤミカラスは優しくて、僕の複雑な感情を理解してくれるヒトだった。話もとても面白く、話術が巧みだった。なぜこんな細かい主人の情報を知っているのか。彼いわく、有名人だし、名前が特徴的だから印象に残りやすかったらしい。それにしたって、すごい。
一頻り話してその後。ヤミカラスに、現在の自分の状況を説明した。独りぼっちで、寂しく過ごしていること。今後、特に行く場所がないこと。野性の生活について、何も知らないこと。
するとヤミカラスは、僕をある場所に誘った。
「きっとツタージャでも、楽しくやっていけると思う」
そう、言われた。
辿り着いた先。そこには、たくさんのポケモンがいた。
僕が姿を見せると、一斉に視線を向けてきた。明らかにその視線は、異物の混入を嫌がるものだった。僕は怖くて、逃げたくなった。だがそこで、ヤミカラスが落ち着いて説明する。
「彼らは全員、人間に酷い目に合わされた。君と同じように、捨てられた者もいる」
境遇や過去が似たような者は、自然と同じ場所に集まるのだろうか。そんなことを、ぼんやりと考える。
このツタージャは、みんなと一緒だ、捨てられたポケモンだ。ヤミカラスがそう説明する。すると、彼らの刺々しい視線が、嘘のように柔らかくなった。「やったあ! 自分と同類だー!」。キャモメが、翼をバタバタさせながら飛び回っていた。自分はほっとして、肩の力を抜いた。どうやら、大丈夫そうだ。
それから数分後。さっそく僕は、自分史を語り始めた。ポケモン達は、興味津々だった。円になって僕を囲った。前のめりになってくれたヒトもいた。
主人がポケモンリーグに出場したことを言うと、「えー!」という声が一斉に上がった。
話を閉じると、拍手が起こった。一人残らず同情してくれた。そして、その人間は死ぬべきだって、皆口々に唱えていた。
こんなに不憫だと、思ってくれるとは。正直、凄く嬉しかった。僕がそれを示すと、ヒヒダルマ、というポケモンがこう言った。
「人間に捨てられた、というだけでも、同情の対象に十分なりうる。加えて、元主人が栄光を駆け上がっているともなれば、同情しない者はいない」
力強いその言葉に、僕は目頭を熱くした。自分を肯定してくれるヒトがいる。救われた気がした。
勿論、自分が一方的に話しておしまい、とはしなかった。他のポケモンの不幸話も、ちゃんと聞いた。それが、義務だと思った。
「俺のトレーナーも酷かったよ」
ヒヒダルマが、話を開始する。燃え上がるその瞳には、確かな怒りを感じた。
「自分のポケモンを、とことん虐げる奴だった。あいつが課したトレーニングは、どれも過酷すぎた。過労が原因で、仲間は次々と命を落としていった。にも関わらず、あいつは平然として、自分らに今まで通りのトレーニングを続けさせた。このままだと、自分も殺されるって分かった。だから、逃げてきた」
「自分のマスターも、とんでもなかった」
続いて、キャモメが口を開く。さっき騒いでいたときとは打って変わって、真剣な表情。
「バトルで負けるたびに、電流が流れた鞭で叩いてきたんだよ。勿論電気は弱点だったから、尋常じゃなく痛かった。痛い思いをしたくないから、必死になってバトルした。でも全然勝てなくて。結局自分は、捨てられたんだ。しかも、ゴミ捨て場に。あの晩自分はずっと、ゴミ袋からも出ずにずっと泣いてたよ。っていうか、なんで電流が流れる鞭なんか売ってるんだよ。マスターも、あんなの作った人間も、死んじゃえばいいんだ」
「私は、人間の下にいたことはないんだけと、でも」
そう前置きして、今度はキレイハナが過去を語る。
「私は、昔、住処の森を大幅に荒らされたの。ゴルフ場を作ろうとしたみたいで、木がどんどん伐採されて。伐採を止めさせようとしたポケモンは、みんな殺されちゃった。そして、このままだと埒が明かないと思った人間達は、何をしたと思う。炎タイプのポケモンを大量に用意して、森を焼き始めたの。突然の火事で逃げ遅れた子は、みんな死んでいった。友達だったポッポの最期の悲鳴は、ああ、私今も忘れられない」
どれもこれも、酷い話だった。人間がここまで、残酷なことをしていたなんて。自分がこれまで見てきたことなんて、極々一部に過ぎなかった。ヤミカラスがこう言った。「人間はクソ野郎の集まりだ」。まさに、その通りだ。
今日一日で、人間に対する憎しみの気持ちが何倍にも増幅した。そして、人間の一種である主人に対する憎しみもまた、どんどん増幅していく。
僕は、ここに住んでいるヒト達と、無事に仲良くなることができた。ここらで暮らしても良いか聞くと、皆快く承諾してくれた。
自分はこれで、独りぼっちではなくなった。あのときの絶望が、まるで嘘みたいだった。
丘の上で話かけてくれた上に、ここまで連れてきてくれたヤミカラスには、感謝してもしきれない。捨てる神あれば拾う神あり。そんな言葉を思い出した。
仲間達とは毎晩毎晩、人間に対する悪口で盛り上がった。こんな酷い目に合わされた、というのを順番に話していった。自分は早々にネタが尽きた。しかし、他のヒトは次から次へと出てくる。なぜこんなに、彼らには引き出しがあるのか。きっとよほど、酷い目に合ってきたのだろう。
一方、ヤミカラスは、というと。
彼は、自分自身が醜い目に合った話はしなかった。その変わり、人間について多くの情報を得ていた。その情報を、僕らに伝えた。
主に、トレーナーの失言、やらかしたことなど。以前僕に話した、僕の主人についての内容と、同じような感じのものだった。
その話は面白く、皆ゲラゲラ笑った。ヤミカラスは夜行性ゆえに、夜しか話が聞けない。だが、彼の話を聞くために、皆遅くまで起きていた。彼が登場すると、全員一斉に集まった。
なぜこんなに、人間について詳しいのか。彼は、頭が良かったのだ。人間の文字を読めた。捨ててある新聞や雑誌から、情報を取ってこれた。すごいと思ったが、自分らの種族なら、これぐらい普通らしい。人間の言葉を喋れるヤミカラスも、中にはいるんだとか。
そして、一ヶ月が経った。
ある日の、ことだった。
「ツタージャの、トレーナーだった人が……」
遠くから、ヤミカラスの声。突然の声。急に、どうしたのだ。主人の話なんて、久しぶりだ。
木の陰から、こっそり聞いた。主人は何か、やったのか。それとも、トレーナーを辞めたのか。様々な想像を巡らせる。心臓の鼓動が、まるでバトル終了時のように速くなっていた。
次に、ヤミカラスが放った一言。それは一生、忘却の彼方に追いやられることはないだろう。
「どうやら、死んだらしい」
心臓の鼓動が、がくんとずれる。今、なんて言った? 主人が死んだって?
「試合中、ポケモンの攻撃が脳天に直撃。後もう少しで、チャンピオンにだってなれたのに」
あまりにも、呆気ない最期。死とは、唐突に訪れる。
湧き上がってきた感情を、むりやり押し込めたまま。
僕は、ある場所へと向かった。
ある場所とは、丘の上。あの、人間の町が一望できる地点。
僕は、丘の先端に立つ。町の方に視線を合わせる。大きく息を吸い込む。そして。
あの時の如く、大声で叫んだのだ。
「ざまあみろ!」
とても、とても大声で叫んだ。何回も何回も叫んだ。喉が枯れても、構わず叫んだ。
震えが未だ、止まない。全身全霊で、喜びを味わった。そよぐ風が心地良い。
あの野郎が、とうとう終わった。
因果報応。ポケモンを捨てた罰が、ついに下された。
僕は、一ヶ月前とは変わった。かつては、主人の死までは、待ち受けていなかった。トレーナーを辞めれば、それで良かった。けれど、今はもう違う。死は最大の果報となる。人間共が引き起こした、残忍冷酷、死屍累々なお話達が、いっぱい心に溜まったから。人間の一種である主人に対する憎しみが、極限までに増幅した状態になった。
丘から、戻ってきて。幕開けに僕は、ヒヒダルマに出会った。
やる行動は、決まっていた。
僕は、伝えたのだ。主人が、死を遂げたことを。嬉々として。明るい笑顔で。テンションを高くして。
すると、どうだろう。
ヒヒダルマは、目を見開いた。その後直ぐ様、冷酷な表情。「お前に同情しない者はいない」と背中を押してくれた彼は、やたらと冷たい声で、
「それは良かったな」
それは明らかに、皮肉の意味合いを込めた言い方。
胸に沈殿する違和感。腐り始めた喜び。
他のヒトにも、同じことを報じた。けれど、だいたい同じような反応。失望したような目を向け、冷ややかな言葉を投げかけてくる。
一旦自分は落ち着いた。そして、思考の整理を開始する。
他者が死ぬ。それは、確かに喜ぶべきものではない。しかし、憎むべき人間が殺されたのだ。何匹もポケモンを殺してきた奴の一種が殺されたのだ。それに、
皆、主人のこと死ぬべきだって、言っていた。
そして、ヤミカラスと出会う。
ヤミカラス。自分を、ここまで導いたヒト。いつだって自分を、肯定してくれたヒト。ヤミカラスとならきっと、喜び合える。主人の死について、誰かの誕生日のように振る舞える。
最大の期待を込めて、話しかけた。嬉々として。明るい笑顔で。テンションを高くして。
そしたら、
「流石に、それは引くよ。死んだ人を、笑うことなんてできない」
他のヒトもそうだと思うよ、と彼は付け加えた。いったい、なんで引くのだろう。
でも皆、友達が人間に殺されたりしたのに。僕は、そう反論した。ヤミカラスは、目を見開いて驚いた。
そして、僕に対して、ゆっくりと、述べた。
「だって、皆、話盛っているから。本当は、殺されたりしてない」
尻尾が、抜けるような感覚がした。
「なにそれ……。嘘を付いていたってこと」
「嘘じゃない。盛っているだけ」
「よく分からない。何が違うの?」
「うーんそうだね。例えば、過酷なトレーニングをやらされていたって、言っていたヒトがいたじゃん」
うん。ヒヒダルマのことだ。
「あれ、そこまで酷いトレーニングじゃなかったと思うよ。流石に、死んだポケモンはいないよ。きつかったとは思うけどね」
そう、だったの……。
「後は、バトルで負ける度に、電流が流れる鞭で叩かれたって話。キャモメのことだからせいぜい、言葉の鞭で叩かれたとか、その程度じゃないかな。少なくとも、電流が流れた鞭で叩かれてはいないよ。あんなの、どこに売っているんだよ」
「他にも、住処を燃やされたって、キレイハナが言っていたけど。それについては自分、真相を知っている。あれは、近くの木を数本切られただけ。環境破壊なんてしてない。むしろ逆。ある程度の数の木は切ってもらわないと、増えすぎちゃって困るんだよね」
次々と、塗り替えられていく真実。それらは全て、自分にとって、不都合な真実だった。
「なんで、盛っているって分かるの」
「盛っていることなんて、皆分かっているよ。分かっていて、慰め合っているんだよ。分かっているからこそ、気軽に話せるんだよ。話を盛るなんて、常識だし。後は、そうそう。彼らの体に、虐待の古傷がないことからも気づけるよね」
「だから、人間が死んでもぜんっぜん笑えない。勿論あいつらが、クソ野郎ってことには変わりないけどね。自分の都合でポケモンは捨てるしね。でも、死んで欲しいほどのレベルじゃない。皆『死ね』って言葉では言うけど、心の中では思っていないんだ」
「どうして、話を盛るの?」
「同情されたいんだよ」
「……」
「人間にどれだけ、惨いことをされたか。それはすなわち、ステータスだ。与えられた惨劇が酷ければ酷いほど、他のヒトから同情を得られる。だから話を盛るんだ」
同情されたい。その心緒は、分かる。自分も確かに、持ち合わせていたものだった。主人に捨てられて、更に主人は成功しちゃって、自分を否定された気持ちになっていた。そんな状態で、他者から同情されると、相違なく嬉しかった。
ただ僕は、話を盛るまではしなかったけれど。他の皆は、そこまでやったらしい。
「ところで」
ヤミカラスが、今まで見せたことのない、真剣な眼差しを向けてくる。
「他の皆に、このことってもう話した?」
僕は、何も喋らなかった。すると、
「駄目じゃん」
僕は、冷水をぶっかけられた。
「終わっちゃったじゃん」
いや、まだ。
「もう、終わっちゃったじゃん」
大丈夫。まだなんとかなる。
「今更何をしてももう遅いよ」
明日になれば、皆忘れる。
「死を笑ったのはまずかった」
「お願い! 助けて!」
僕は思わず、叫んでしまった。今まで僕を、助けてくれたヤミカラス。彼なら僕の変わりに、上手く弁論してくれると思った。
けれど、ヤミカラスの返答は、
「嫌だよ」
そして、そのまま飛んで行ってしまった。
おかしい。
ヤミカラスって、こんなに冷たいヒトだったっけ。
翌日。僕に声をかけた者は、誰もいなかった。
僕は、恐ろしい程の過ちを犯した。皆からの、信頼を失った。
独りぼっちで、寂しく座る。そんな僕に対して、こんなことを言ってきたヒトがいた。
「お前の主人よりも、お前の方がクズだろ」
その言葉に、激しく胸を抉られた。夜中ずっとその言葉が、脳内で幾度も反復され、眠れなくなった。
クズなのは、主人なのか僕なのか。
同情されるべきは、主人なのか僕なのか。
答えは、明白だった。
独り、とぼとぼ夜道を歩く。
迷路を形成するかの如く、この辺は、木が豊富にそびえ立っていた。苔の生えた木が一本、倒れて道を塞いでいた。地面には、濡れた葉が幾重にも重なっていた。昼間、雨が降った名残だ。
時折吹く風が、ひんやりと冷たく、容赦なく肌の上を駆けていく。空を見上げると、気持ち悪いくらい丸い月。その月は、自分を真っ直ぐに見降ろしている。
そんなときの、ことだった。
木の枝の上に、誰かがいた。正体は、考えずとも分かった。彼は、この辺りに住んでいる。
漆黒の烏が、鳴き声を上げる。その鳴き声に反応して、風が吹いて木の葉が揺れる。彼の背後には丁度、月が浮かんでいた。現在の月は、半分ほど雲に隠れている。
ヤミカラスは月と同じく、僕を真っ直ぐに見降ろしてくる。
もう彼は僕に、救いの手を差し伸べない。頭では、痛いほどそれは理解していた。にも、関わらず。
僕は彼に向かって、我慢できずに。
それは、とても愚かで。
それは、とても滑稽で。
それは、とても痛々しく。
「この前、お前の方がクズだろって、そう言われたんだ。おかしいよね。主人の方が絶対クズだよね。僕は被害者だし。そうだ。そういえば主人って前に、『バッジ集めはスタンプラリーです』って言っていたっけ。あれ、面白かったね」
ヤミカラスが次に放った一言は、とても辛辣なものだった。
「お前、もう出て行った方がいいよ」
ついに、言われた。
出て行くなんて、この上なくしたくなかった。でも、もう。そうするのが、正しくなってしまった。
「分かった。……出て行くよ」
僕は彼の提案に、涙を飲んで頷くことしか、できなかった。
「後さ、君が何回も繰り返し言ってる、スタンプラリー事件なんだけど」
こちらの感情を気にすることなく、ヤミカラスが淡々と話す。
「あれ、氷山の一角だから」
「氷山の一角?」
「僕があいつの、一部分だけを抽出しただけだから。たった一回の失言くらいなら、誰にでもあるよね。人間だもの」
またしても僕は、彼の言っている意味が良く分からない。
「そもそもヤミカラスは、どうして人間の痛々しいことを調べて、皆に教えているの?」
ずっと、引っかかっていたことだった。あんなことをしても、彼には何の得もない。
「じゃあ見せてあげる。この木の後ろを見てごらん」
言われた通り、木の後ろに回った。
すると、そこには。
ネックレスや、指輪など。ギラギラと光り輝く物達が眠っていた。これは人間の女性が、身に着けているもの。他には、水晶玉やアクセサリーの類。
確か烏は、光物を集める習性があった。
「僕は毎晩、情報を集める。人間の”駄目な部分だけ”を、切り取って集める。そして集めた話を、皆に聞かせている」
「……」
「そのお礼として僕は、光物を貰う。人間から、盗んできてもらう。僕は夜行性。でも夜は、人があまりいない。特に、光物を身に着けている女性は。だから、自分で光物を、集めるのは難しい。そこで、昼間の間に、皆に働いてもらう」
「皆を利用していたってこと?」
「皆自発的にやっているよ」
「皆、駄目人間を知って、安心がしたい。こんな人間に、捨てられた。こんな人間に、苛められた。そんな自分達は、正しかったんだ、って。つまりこれは、win-winだよ」
衝撃、としか言いようがない。
優しくて良いヒトだと思っていた、ヤミカラス。彼は裏で、こんな狡猾なことをしていた。
纏めると、こういう状況。
ヤミカラスは、人間の駄目な部分のみを、切り取って集める。そしてそれを、皆に聞かせる。皆はそれを聞いて、喜び安心する。その後皆は、不幸話を仲間に話す。その不幸話は、話が盛られている。皆は同情し合う。また安心感を得る。
この地はいったい、何なんだ。安心と自己肯定感を得るために、皆一生懸命頑張りすぎだ。
最も自分も、人のことは言えないけれど。
「ついでに、言ってしまおうか」
そう前置きして、彼は畳み掛けを開始する。
「君の主人は、とっても良い人だよ。だって、」
ヤミカラスは帽子を整え、片方の翼のみを開いて、こう語る。
「君は、オレンの実がある場所に捨てられた。天敵に狙われる心配がない場所に捨てられた。それは、すごく恵まれている。主人はちゃんと、捨てる場所を考えてくれた。良い人だ」
…………………………。
「後、もう一つ言いたいこと。バトルが弱くて捨てられたって、君は言っていたよね。でも、コイキングが手持ちにいたんだよね。おかしくない? コイキングの方が、弱いはずだよね」
…………………………。
僕は、何も言い返せず。ただ黙って、下を向いていた。
そして彼は、トドメを放つ。
「ツタージャって、弱いこと以外に、何か問題があったんじゃないの。何か、やらかしてたんじゃないの」
言い放ったその言葉は、大気をゆらゆらと漂うこともなく、自分の体めがけて一直線。体内を疾風の如く駆け巡り、五臓六腑をしっちゃかめっちゃか。最終的に心底に沈み込んで、確かな懊悩の火種となって蓄積する。
分かっていた、分かっていた、分かっていた。
心の奥底では、全部全て分かっていた!
主人はあんなに、僕を大事にしてくれて。かつ、トレーナーとして成功していて。
そんな主人が、弱いからとか、そんな理由だけで捨てたって考えるのは、どうしたって無理があるんだ。
だから。何か自分の方に、致命的な問題があるんじゃないかって。あるいは、自覚はないけど、何かやらかしてたんじゃないかって。ずっと不安に思っていた。
僕はその不安を、誤魔化したかった。誤魔化すためには、主人を悪者にしなくてはいけない、と考えていた。
そんなとき。ヤミカラスに、主人について教えられた。仲間達に、捨てられたことを同情された。そのときは、すごく嬉しかった。
でもそれらは、どうやら幻想で。ぬか喜びだった。
やはり僕は、同情される存在ではなかった。その証拠に、僕は主人の死を喜ぶような、酷い奴だった。
ヤミカラスに言われなくても、自分の方に問題があることなんて、とっくの昔に気がついていた。ただ、そのことを、表面に出したくなかった。まだまだ、誤魔化していたかった。
僕は手をつき、悲しみを味わう。ただでさえ湿っている葉を、更に湿らせていく。葉は幾重にも重なっているが、その水滴は地面まで貫通しそうな勢いだ。
ヤミカラスは、再び鳴き声を上げる。瞬間強風がやってきて、先ほどよりも葉が大きく揺れる。悲しみに明け暮れている僕を無視し、ヤミカラスは、月に向かって一直線に飛んで行った。月が雲に隠れた瞬間、彼の姿は完全に見えなくなった。彼は、闇に溶けた。
黒い羽が一枚、僕の手の上に落ちた。
僕は、仲間達の元を去った。これでまた、独りぼっちになってしまった。
主人の死がきっかけで、僕は嫌われてしまった。主人の終わりがそのまま、僕の終わりとなった。
僕は、敗れたのだ。
僕はこういう結論を、出すしかなかった。
結局、僕が全て悪かった。捨てられたのは、自分に問題があった。僕は何かしらの、多大な迷惑をかける行為を、主人にしていたんだ。何をやっていたのか、それは分からない。候補すら、思い浮かばない。主人は死んでしまったから、もう確認のしようがない。でもきっと、何かはやっていたのだろう。
主人は、僕の灯火が消えぬよう、「死ぬな」って何回も呼びかけてくれた。弱い僕をなんとかして、強く鍛えようとしてくれた。僕のために、木の実がたくさんある場所に逃がしてくれた。
主人は、良い人だった。
だから僕は、敗れたのだ。
僕はまた、あの例の丘へ行った。丘の先端に立つ。本当にここからは、人間の町が良く見える。とても、気持ちが良い場所。
主人が僕を捨てた、あのときを思い出す。主人は、自分に向かってこう言っていた。
「お前はもう、自由なんだ」。
そう、僕はもう自由だ。僕は自由な野性のポケモンで、主人のポケモンじゃない。とっくの昔に、そうだった。だから、いつまでも”主人”と呼ぶのはおかしい。いい加減、名前で呼ぶべきだ。
そうだ。僕は、あなたを恨まない。むしろ、感謝しているんだ。今まで楽しかったよ。ありがとう。さようなら、”夏”。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。