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ダークボールさんの「夏の終わりに」(作者:天波 八次浪さん)

 ヨマワルから奪った霊界の布は冷たく湿っている。

 触れると体温が奪われていく。

 コトネは右腕を伸ばす。つぎはぎの霊界の布に覆われ、斑の染みが点々と刻まれた腕に新たな布をあてがう。

 浅い呼吸、震える手。指先には細く糸を引く、銀の針。

 ぷつり、と針を刺す。ぷくり、と鮮血が盛り上がる。

 縫い付ける。

 これは新たな皮膚だ。

 コトネが求めるそこが、人が触れられぬ領域だというのなら。

 人であり続ける理由など無い。

 冷たい汗が頬を伝う。

 カタカタ、とモンスターボールが揺れる。

 不安げに見上げるマッスグマのベガと、目が合う。

 口の端に力を込める。今までどうやって笑顔を作っていたのか、思い出せない。

 糸を留め、コトネは人の左手でベガのモンスターボールをそっと撫でた。

「………………」

 ごめんな、とコトネは胸中で唱える。

 もうすぐ夏が終わる。

 焦燥が全身の血を冷やす。

 それまで、だ。

 だから。

 もう少しだけ……つきあってくれ。



 湿った風が吹き抜ける。

 ヒナは花束を墓石に供える。

 白に包まれた紅の花、鮮やかな緑の茎。

 リュディと同じ色だ。

 墓石に名は彫られていない。

 リュディの遺体も眠ってはいない。


「好きにしなよ、君に必要なら墓を作ればいい、事実とやらを受け入れるための儀式をすればいい」

 リュディのパートナーだった少年は、ヒナに向かって言い放った。

「君には見えなくてよかった」

 皮肉な言い回しにムッとして、ヒナは喧嘩腰で問い返す。

「何が?」

「ごっそり抉れたこの傷跡が」

 歯を剥き出し苦しげに顰められた少年の表情に、ヒナは怯む。

「君に僕の気持ちがわからなくてよかった」

 むかむかむか。ヒナは拳を握り締める。

「私が悲しくないとでも思ってる?」

 言いながら、的を外しているという確信は強まり、語尾は弱々しく萎む。

「僕は、悲しい、じゃない。痛い、痛い……ただ痛い、虚ろな激痛……それだけ」

 言葉を重ねる毎に少年が遠ざかっていくような錯覚を覚えて、ヒナは強引に問う。

「もし、時を戻せたら……」

「戻せない」

 きっぱりと、少年は言った。

「時は戻せないし、止まらない」


 白に包まれた紅の花が揺れる。

 踊るリュディに似て、無垢で可憐で、ヒナの心を温かく染める。

 手を合わせて目を閉じて、ヒナはリュディの姿を鮮明に思い出す。その隣の、少年の笑顔を思い出す。

 つう、と透明な滴がヒナの瞼から溢れて、音もなく頬を伝う。

 花の匂いが強くなった。しゃく、しゃく、と音がする。

 目を開けると、カクレオンの呑気な顔が至近距離にあった。

 ヒナのパートナーのかげまるだ。

 口の中に白と紅の花弁の残骸を覗かせて、墓石に背を預け、不思議そうにヒナを見詰めている。

 そしてヒナの頬を伝う涙をぺろりと舐めた。

「こら」

 ヒナは人差し指でかげまるの額を突いた。

 かげまるは口を半開きにして仰け反ると、ひらひらと両手を泳がせた。踊るように。

 何と言っているかはわかる。元気出しなよ、だ。

「うん」

 ヒナはかげまるの両掌に揃えた指を当てて、言った。

「行こう」

 ヒナが見上げるのは、煙たなびく送り火山。

 死者の霊魂が集う場所。



 赤い鬼火はサマヨールの目。

 霊界の布で覆われた異形の人の顔の中心にひとつ穿たれた赤い鬼火がベガを捉えて明滅する。

 草間を這うように駆ける流線型の獣に、幻覚は利かない。

 触れられぬ筈の霊体の在り処を、ベガの鋭敏な鼻は嗅ぎ分けていた。

 影の手が伸び、背後からベガに振り下ろされる。が、真っ直ぐな線模様が一本入った背に影が貼りつくのみ、ベガの体は揺らぎもしない。

 小さな耳を倒して、頭を下げて鬼火を睨み上げ、頭突きを食らわせる。

 鬼火が明滅し、朧な人型はふらりとよろめく。

 そして突如、爪先立って胸を反らせ、絶叫する。

 洞窟を抜ける風に似たその声に、ベガは怯みもせず、油断なくその挙動を伺う。

 サマヨールの腹を裂いて、霊界の布に覆われた指が這い出る。

 サマヨール自身の平たい手とは違う、人の……コトネの手だ。

「こいつも違う」

 サマヨールの背後から、コトネの声が吐き捨てる。

 どさり、とサマヨールが地に崩れる。

 背から貫かれた腹を抱えて地に響く強風の声で呻く。

 背後に立つコトネは肩までが霊界の布で一回り肥大した腕を突き出したまま、冷たい眼でもがき苦しむサマヨールを見下ろしている。

 サァアア、と草が鳴る。

 コトネはサマヨールから離れると、背を向け、斜面を上っていく。

 ベガは呻くサマヨールを視界から外さず迂回してコトネの後に続く。

 低く響く風に似たサマヨールの泣き声が、夜闇に覆われた送り火山の中腹にこだまする。



 冥府の門、と呼ばれる洞窟がある。

 夏の半ばに冥府と通じ、死者の世界と現世が繋がる。

 夏の終わりに門は閉じ、此岸と彼岸は分かたれる。

 そのように言い伝えられている。

 

 送り火山の頂近く、冥府の門にコトネとベガは踏み入る。

 コトネの右腕と一体化した霊界の布は、鳩尾から上を、首まで覆い尽していた。

 洞窟の中なのに風が強い。

 奥から吹き上がってくる。

 急な傾斜は山の底へと口を開け、巨体の体内を思わせる。

 足をかけ、滑り降り、呑み込まれていく。

 ベガが空中に向かって頭を上げ、張り詰めた面持ちで匂いを嗅ぐ。

 ぼうっ、とベガの鼻の遥か先、岩の天井近くに鬼火が浮かび上がる。

 クッ、とベガが小さく強く喉を鳴らす。

 コトネは鬼火を睨み、囁く。

「あいつか」

 体温の失せた右腕の拳を握り、開く。

「いけるか? ベガ」

 しゅっ、とベガが細く息を吐く。

「頼むぞ」

 鬼火を挟みこむように、コトネとベガは散開した。

 コトネの眼に映っているのは、鬼火の眼を揺らすサマヨールの、中身だけだった。

 岩の洞を吹き抜ける悲鳴に似た風の音が、暗闇に響いていた。



 ヒナは迷っていた。

 コトネをそっとしておくべきなのか、放っておいてはいけないのか。

 せめて近くに居よう、あの様子は心配だ。

 リュディの墓の前でようやくそう心が決まって、コトネの後を追った。

 遅かったのかもしれない。

 ゴーストポケモンが襲われている、と送り火山の麓で勝負したオカルトマニアから聞いて、ヒナは背筋が寒くなった。

 考えたくはなかったけれど、コトネが……復讐を始めたのかもしれない。

 リュディを奪った、ゴーストポケモンというもの全てに、無差別に。


 くいくい、と鞄を引かれる。

 見ると、かげまるが呑気な顔できのみポケットに手を突っ込もうとしていた。

 ヒナは人差し指でかげまるの額をていっと押す。

 腕をぱたぱたさせて巻き尻尾を伸ばして振って、転びかけを楽しんでいたかげまるは、傍らの草の上に飛んできたバッタを素早く掠め取って、あむっと口に放り込んだ。

 幸せそうにもぐもぐしている。

 そしてヒナに残ったバッタの脚を差し出す。

「いらない」

 ちょいと首を傾げて、かげまるはバッタの脚も口に放り込む。

「ふふふ……こういうの……食べる……?」

 オカルトマニアが蔓付きのチーゴの実を取り出して、かげまるに差し出す。

「それはね、大好物よ」

 かげまるはひらひら踊ってチーゴの実を受け取り、くんくん匂いを嗅いでははぁあっと溜息をつく。

「この子……可愛い……」

 オカルトマニアがにまにま笑って呟く。

「この呑気さには正直、救われるわ」

 ヒナは心からそう思う。

 一緒に踊る相手がいなくなっても、かげまるは以前と変わらないように見える。

 リュディと戯れていたのと同じように、ひとりで戯れている。

「それじゃ、行くね」

 オカルトマニアに手を振って、ヒナはさっさと歩きだす。

 暫くして、かげまるはとてとてと追いついてくる。

「かげまる」

 ヒナは前を向いたまま、独り言のように言う。

「一緒に来てくれて、本当に……ありがとうね」



 切り裂かれたサマヨールの腹が、霊界の布を弾けさせて開く。

 火傷を負ったベガがそのまま急斜面の下へと転がっていく。

 ベガの眼に映る鬼火は数を増やしていた。

 サマヨールの眼と、彼を横目に捉えながら右腕をサマヨールの腹に抉りこむ、コトネの双眸と。

 ごつごつの岩肌に打たれながら、ベガはコトネに向かって鳴いた。

 コトネは肩の奥までをサマヨールの腹に埋めて、そして。

「……間に合った」

 凄絶な笑みがコトネの頬に刻まれる。

 コトネに腹の奥を掴まれたサマヨールの体が、萎んで裏返るように力なく垂れ下がる。

 眼の鬼火の明滅が薄れていく。

 コトネは左手で……霊界の布も噛ませていないはずの素手で、サマヨールの表皮を払い除ける。

 朧な白い霧に似た塊を、コトネは右手に掴んでいる。

 ベガは狼狽えた。

 コトネの匂いが、肌の質感が、急速に変化していく。あのゴーストの外皮のように。

「リュディ」

 白い霧の塊を、コトネは両手で挟んで、柔らかな声を掛ける。

 あの日以来、聞くことの出来なかった、優しく満ち足りた声。

 リュディ? ベガは混乱した。

 リュディとは似ても似つかないソレからは、この距離なら確実に鼻腔をくすぐるはずのリュディの匂いはしない。

 白い霧はコトネの手の中で少しずつ希薄になっていく。

「そうか」

 コトネは白い霧を見下ろして、優しい眼差しを細めて言う。

「大丈夫、これからも一緒だから」

 白い霧を胸の奥へと抱き寄せるコトネの輪郭が、ごわごわと蠢く。

 抜け殻のようになっていたサマヨールの体は、もはや数本の布切れと化して、コトネの腕に吸い寄せられた。

 エルルキュウウウ、とベガは鳴いた。全身の毛を逆立てて、必死に。

「クルルルーゥ!」

 遠くから、懐かしい声が応えた。

 カクレオンのかげまるの声だ。

「ベガー! どこーっ!?」

 続いて、ヒナの声が吹き上げる風に逆らって聞こえた。


「コトネちゃん!」

 ヒナは奥に見える人影に向かって叫んだ。

 うずくまっていた人影が振り向く。双眸に鬼火を灯して、人の輪郭を崩しながら。

「リュ……ディ……?」

 異形の人の胸に抱かれた朧なキルリアが、優美にヒナを見上げる。

 間違いない、リュディだ。

「ヒナちゃんか」

 洞窟のこだまに似た声で、異形の人影が言う。

「コトネちゃん! どうしちゃったの!? その体!」

 かげまるはヒナの背に隠れて周囲を見回し、ベガの姿を見つけてもう一度声をかける。

「お別れだ」

 コトネは静かに言う。

「だめ! 行っちゃだめ!」

 ヒナは叫ぶ。

「そんな、そんなものになっちゃダメ! コトネちゃん、帰って来てよ!」

「なんのために?」

 鬼火が強く光る。コトネの声音は静かだ。

「……私はコトネちゃんが好きなんだよ!」

 風が鳴く。かげまるがベガの居る坂の下へと降りていく。

「僕は、リュディが好きだ。僕の体の半分を、いまようやく取り戻せたんだ」

「一緒に帰ろうよ、ねえ!」

「ダメだ。見えてるかな、もうそっち側で生きられる体じゃない」

「まだ間に合うよ!」

「ヒナちゃん、聞いて。僕はそっちに戻るつもりは無い。そちら側にはもう、何も無いから。これはね、僕は生き続けるための手段なんだ」

 語る間にもコトネの体はリュディを呑み込んで膨らみ、肥大化していく。その輪郭が人から離れていく。

「何も無いなんて言わないで! コトネちゃんには見えていないだけで……」

「それは無いのと同じことだから」

 コトネの声音が嘲笑の色合いを帯びる。

「言わなきゃダメかな、ヒナちゃん。君にとって大事なものは全部、僕には価値が無い」

 言葉の最後は風の音と同化して、コトネの変化が止まった。

 人とは似ても似つかない姿。人を圧倒する上背。

 リュディを呑み込んだ球体に、甲冑めいた両腕と頭部が乗っている。顔に大きく空いた洞の中央には赤く光る鬼火がひとつ、爛々と燃えている。

 足は消え去り、球体の底に朧な尾が揺らめくのみ。

「ユオォオオオフユェオオオオ!」

 生まれた異形のゴーストは、風に似た声で咆哮した。

 ヒナは声を出そうとした。

 喉が詰まって息ができない。

 絶望が全身に広がって体を弛緩させていく。

 くい、とヒナの手を引く、慣れた感触。

 かげまるが、ヒナの前に出た。

 緊張している。その印に巻き尻尾が縮こまったり緩んだりしている。

 ふさあっ、とベガの毛の感触が脛に触れた。

 見下ろすと、憔悴したベガの眼が、縋るようにヒナを見上げていた。

 脇腹の毛が乱れて奥の皮膚が爛れ、噛み潰したチーゴの実を塗りたくった跡がある。

 ヒナは息を吐いた。

 ぽんぽん、とベガの首筋を撫でる。

「コトネちゃん」

 ヒナは異形のゴーストを見詰めて、言った。

「勝負して。私と」

 くいっ、とかげまるが身構えて、挑発の仕草をする。

 かげまるがこうも乗ってくれたことが、ヒナには意外だった。

「負けたらもう止めない。でも、もし私が勝ったら」

 ヒナは鞄に手を突っ込み、手探りでボールをひとつ掴み出す。

 ダークボール。洞窟にいるポケモンを捕まえるのに適した、ぴったりのボールだ。

「コトネちゃんを捕まえる」

 異形のゴーストの鬼火の眼がヒナを、次いでかげまるを射る。ヒナは口を引き結んでその威圧に耐える。

 次いでベガに移った鬼火の眼が、微かに揺らいだ。

 そして、身構える。

「ありがと」

 ヒナは皮肉に言って、すかさずかげまるに指示を出す。

「かげまる、手加減しないで……かげうち!」


 影からの一撃が異形のゴーストに直撃する。

 コトネは動かない。

 軽い眩暈を覚えて、ヒナはかげまるを一生懸命に目で追う。

 大丈夫、全くの無傷だ。

「次、だましうち!」

 どうやって攻撃してるのか、ヒナにはわからない。

 かげまるはこの一撃を、決して外さない。

 ユォオオ……!

 コトネが呻き、びくん、とかげまるが身を震わせる。

 何を食らったのか、ヒナは目を凝らす。外傷は無い。

「もう一度、だまし……」

 かげまるは尻尾を振ってヒナの言葉を遮る。無理、のジェスチャー。

「金縛りっ!?」

 コトネの鬼火の眼がふっと笑ったように見えた。

 空間が震えるような眩暈がヒナたちを襲った。

 グガア、とかげまるが悲鳴を上げる。

「今のは、リュディの……みらいよち?」

 ヒナが呻く。

 そこで初めて、コトネが動いた。

 甲冑のような手に、闇が凝縮する。

 ベガと同じく、かげまるにもゴーストの攻撃は通じない。

 だが……かげまるの体質は少々特殊だ。

 食らった攻撃と同じ属性を体に得る。

 リュディの……エスパーの攻撃を食らったかげまるは、今はリュディと同じ体質に……ゴーストに弱くなっている。

「かげまる、一旦退いて!」

 ヒナが叫んだ時には、コトネの影の拳がかげまるに直撃していた。


「かげまる……!」

 岩の床に倒れてひくひくと手を震わせるかげまるに、ヒナとベガが駆け寄る。

 異形のゴーストとなったコトネも。

 ハッと顔を上げたヒナの喉元に、コトネの影の手が突き付けられる。

「わかってる」

 ヒナはコトネの鬼火の眼を睨んで、言った。

「もう……コトネちゃんを追わない」

 言葉と一緒に涙が零れ落ちた。

 鬼火の眼がゆらりと揺れた。

 影の手がぽんぽんとヒナの肩を叩いて、冷たい感触を残して消える。

 コトネの球体の胴がかげまると似た模様を残して朧に薄れて、中にいるリュディの姿が透けて見えた。

 くんくん、とベガがコトネの胴に鼻を押し付けて匂いを嗅ぐ。

 そして、きゅうんと鳴いた。

 ヒナに抱き起された瀕死のかげまるは、ヒナが入れようとしたモンスターボールを押し退けて、コトネの胴の中のリュディに手を伸ばす。

 リュディも内側からコトネの胴に手を押し付けて、かげまると掌を合わせる。

 そしてゆらゆらと揺らして、ふっと微笑んだ。

「クルルゥ」

 甘える時の声で鳴いて、かげまるはぱたりと手を落とした。

 かげまるをモンスターボールに入れたヒナは、コトネを見上げ、静かに言う。

「もう追わない。だから、行けるところまで、送って行ってもいい?」

 コトネは頷いた。


 地の底は寒く、コトネの鬼火が唯一の光源だ。

 風は強くなっている。けれど髪は揺れない。ただ体温が奪われる。

 こぉおお……と、広い空間に響く音がする。

 異質な闇が岩壁に、境界の朧な穴を穿っている。


 穴の縁でコトネはヒナとベガを見下ろした。

「ごめん、コトネちゃん」

 硬い声でヒナが言う。コトネがびくりと身構える。

「私はコトネちゃんがこっち側に居る理由になれなかった、ごめん」

 ヒナの頬をまた涙が伝う。

 甲冑の手がヒナの額をぱしっと撫でる。

「なんだよー」

 鬼火の眼が緩く明滅して、コトネはベガに跪くように背を落とした。

 ベガはコトネの匂いをふんふんと嗅いで、

「エゥウ」

 困惑したように鳴いた。

「謝ったって許してなんか貰えないよ」

 ヒナはコトネに意地悪く言う。

「その罪悪感は抱えて行かなきゃダメだよ、コトネちゃん」

 じいっと鬼火の眼が物言いたげにヒナを見上げ、すうっと浮き上がる。

 異形のゴーストの巨体を見上げて、ヒナは言う。

「リュディと喧嘩でもするといいよ」

 コトネは甲冑の片手を上げると、ヒナとベガに背を向け、闇へと続く穴を通った。

 鬼火が消え去り、真の暗闇がヒナを覆った。

 ヒナはコトネの消えた穴へと手を伸ばした。

 手はすぐに、冷たい岩壁に触れた。

 空気はよどみ、遥か頭上で岩を通り抜ける風が千切れる音が響いていた。

 脚に触れるベガの体温が温かい。

 ヒナは暫くの間、コトネの消えた岩壁に背を預けて、ベガと寄り添いながら、風の泣き声を聴いていた。



 送り火山を見上げて、ヒナは銘の無い墓石に腰掛けて塩パンを食べていた。

 草むらではかげまるとベガがバッタを追って跳び回っている。

 バスケットを提げたオカルトマニアが手を振りながら坂を上ってきて、開口一番ヒナに言う。

「うわぁ……罰当たり……」

「大丈夫よ」

 ヒナは笑って答える。

「これ、ただの石だから」

「そうは……見えない……」

 屈み込んで石を覗き込むオカルトマニアに、ヒナは言う。

「この石、私が置いたの」

「なぜ……こんな重そうな……」

 言いながら見上げたオカルトマニアは、ヒナが涙を零していることに気付く。

「どっ……どうし……たのっ」

「あ……ごめん。色々……あって」

 オカルトマニアは居住まいを正してヒナにおずおずと申し出る。

「話……聞くよ……?」

「…………ありがと」

 ヒナは眼を細めて送り火山を見上げると、オカルトマニアに視線を戻して言った。

「長くなるけど、いいかな……?」

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。