あれは夏の終わりのことでした。あの頃、わたしはまだイーブイでした。
あなたもご存じかもしれませんが、イーブイというのは環境に適応して様々に進化するのです。例えば水辺に住んでいればわたしのようなシャワーズに、火山地帯にでもいればブースターに、森にいればリーフィアに、凍えるような寒いところにいればグレイシアに、なれるかもしれない。
まあ、大半は進化する前に死ぬのですけど。イーブイという種が少ないのはそのせいです。
仮に今、わたしが子を産んだとして、大半が生き延びられないでしょうね。わたしは水の中を自在に泳げますが、イーブイではそうもいきませんから。わたしにはここは住み心地がいいけれど、イーブイのままでは生きていけません。でも、だからといって、簡単に進化できるものでもないのです。
そもそも、環境に適応して進化するのは、イーブイという種が弱いからなのです。そうでなければ生きていけないからなのです。けれど、進化して生き延びるのは、ほんの一握りです。
ただ、人に飼われているのは別です。わたしも、こう見えてもかつては人に飼われていたのですよ。イーブイは見目がよいので、人間には人気があったのです。イーブイというのはひどく脆弱な生き物で、すぐに病に罹ってしまうのですけど、それでもなお、飼いたいという人間はたくさんいました。イーブイ自体の人気もあったのですけど、それに加えて、様々に進化するという可能性の多さも、人気の要因でした。
人間たちはイーブイを何に進化させるか、といったことを、それはそれは楽しそうに悩むのでした。進化した状態も、それぞれに好む人間がいて、派閥争いのようなこともあったようです。
わたしの飼い主ですか? ああ、わたしの飼い主は、世話が大変だというのに、イーブイのままが一番だと言って、わたしが進化しないようにしていました。別に、あの頃は不満なんてありはしませんでしたよ。だって、きちんと世話をしてもらっていましたからね。あの人は、ちょっとしたことで体調を崩すわたしに、いつも神経を使っていました。
あの夏のことは今でもよく覚えています。それはそれは暑くて、わたしはずっと室内にいました。人間というのは便利な道具をたくさん持っていて、なかでも暑い夏には冷たい風の出る素晴らしい道具があったのです。まあ、今は必要ありませんけど。ともかく、イーブイの頃は、毛皮もありますし、暑さにはそれはもう弱いですから、そうやって涼しい室内に引きこもっていたのです。
あの頃、人間たちはやけに騒がしくしていました。わたしの飼い主も例外ではありません。あの頃は箱入り娘でしたから、正直な話、詳しくはわからないのです。でも、今ならなんとなくわかります。騒がしいというよりは、なんというのでしょう、みんな落ち着きがなく、焦っていたのだと思います。
どうやら、異常なほどに暑かったようなのです。異常はそれだけではなかったようですが。異常気象、とテレビが言っていました。ああ、テレビはご存知ですか? ご存じならよかった。テレビから聞こえてくる声は日に日に悲壮感と焦燥感を帯びていきました。
そしてある日とうとう、飼い主はわたしを外に連れ出しました。そこは水辺でしたが、どうしようもなく暑かったのをよく覚えています。だからわたしはすぐにでも家に戻りたいと思いました。
そんなわたしをよそに、飼い主はわたしをじっと見つめると、青く透き通った石をわたしに与えました。
先ほど、イーブイは環境に適応して進化するといったでしょう? でも通常では、進化できる個体は少ないとも。人間は不安定な方法を嫌います。だから安全で安定した方法を探すのです。
進化の石、というものがあります。何らかのエネルギーを秘めた石なんだそうです。炎の力を帯びたもの、雷の力を帯びたもの、植物の力を帯びたもの。そして、水の力を帯びたもの。それらに触れると、特定のポケモンは進化するのだそうです。ああでも、進化の石ではリーフィアにはなれないそうですよ。理由までは、知りませんけれど。
ともかく、青い石に触れて、わたしはシャワーズになりました。それから飼い主はわたしを自由にしました。あの頃人間に飼われていたポケモンは、ボールに入れられていたのですけど、それをいじくって、わたしを自由の身にしたのです。
「君だけは」
と飼い主は、ああ元飼い主ですね。元飼い主は言いました。あの人はそう言って、わたしを置いていきました。
あれは夏の終わりのことでした。夏の終わりの、ひどく暑い日のことでした。
それ以来、わたしは一匹で生きてきました。外で生きたことなどなかったわたしですが、案外何とかなるものですね。初めはこの体に戸惑うことも多かったのですが、もう慣れました。むしろ初めからシャワーズだったかのように、ふるまうことができます。イーブイだった頃は泳いだこともなかったのに、です。
それにしても、あの人はあのあと一体どうなったのでしょうね。
まあ、
それはそれとして、世界はダムの底に沈みました。
だからもう、どうしようもありません。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。