1. 牙
水のようにたゆたう動き。腰を振り、腕をゆらゆらとなびかせて。
舞台の上で、私だけ。後ろには、三匹の同じ囚われ者がいる。
踊る事なんてちっとも楽しくなかった。こうして囚われないで、自由きままに踊れていた頃は何て楽しかったことか。
ニンゲンの観客達が、私の踊りを色んな目で見て来る。
興味のある目から、興味のない目まで様々。
そんな目に対して、私は馬鹿にする目で見返したかった。嫌々踊っている私達を興味のある目で見られるのも、興味のない目でただ見ているのも、私にとっては馬鹿らしかった。
でも、それがばれるともっと馬鹿らしい事になるから、やらない。
私の踊りが終わると、次は黄色の番だった。
パチッ、パチッと静電気の音を鳴り響かせて、表面上だけは元気一杯な素振りをしてピッピピッピ歌いながら踊り出す。
馬鹿らしい。
けど、やらなきゃ生きられない。
今日は、赤色の調子が悪く、何度か転んでた。いつの間にか足を痛めていたみたいだった。
ぱち、ぱち、といつも通りのちらほらとした拍手の後に、私達は舞台の上から退場する。
舞台から観客の目の届かない所に来た瞬間から、赤色がびくびくと怯えだした。
このまま主人の元へ戻りたくない様子だったけれど、このままここに居ても私達も巻き添えになるだけだから、押していく。
ピィピィと恐怖に震えて鳴いていた。足を痛めたあんたが悪いんだ。
暫く歩いて、観客の声も聞こえなくなってくる頃、暗闇の中で赤く光る目が八つ、見えた。
ぞく、と体が震える。
ぽた、ぽた、と涎が垂れる音、それをじゅるりと吸う音。唸る声。
明かりがついて、目の前のルガルガン四匹の姿が露わになる。頭と胴のとても硬そうな岩と、血のように赤い毛皮と凶悪そうな赤い目。一様に自分達の事を美味しそうな獲物と見る目。
何度見ても慣れない。主人に従ってさえいれば、踊りさえちゃんとやっていれば何もして来ないと分かっていても。
程なくして主人がやって来た。
太り気味の、つやつやしたニンゲンだ。とても酷いニンゲンだ。
私達を捕えて、ここで無理矢理躍らせる、とても酷いニンゲンだ。
そのニンゲンが、ぽつ、と言う。
「ルガ。赤が悪さをした」
一匹のルガルガンの腕が振り上げられた。赤色は体を縮こまらせた。
鈍い音。強く叩きつけられた腕の下で、赤色は血を吐いた。
「三度、だ。転んだ分だけ、な」
その言葉が、びく、と赤色を震えさせた。疳高い鳴き声を鬱陶しそうに眺めるニンゲンの元で、ルガルガンに命令が下された。
爛々とした目で、ルガルガンがまた、腕を振り上げた。
足を引き摺るように赤色はふらふらと歩いていた。
三度、ルガルガンに強烈に叩かれた体は、とても汚い。
「さっさと歩け」
どうしても遅れてしまうのを、必死に痛みを堪えながら歩いていく。
いつもの頑丈な小屋に着いて、最後に赤色が倒れ込むように入った所でドアが閉められ、鍵を掛けられる。
中にはそう大した量でもない飯がいつものように置いてあった。
変わらない日常。
外からは、海辺で人間やポケモン達がはしゃぐ音が聞こえる。忌々しくて仕方がない。
飯を食べ終えた後に出来る事は、寝る位しかない。
次の日。
扉を開けられ、ルガルガン四匹が目の前に居る中、飯を置かれた。
赤色は足が更に悪化しているみたいで、ずりずりと痛んだ足を引き摺りながら歩いて来た。
主人がそれを見て、赤色をルガルガンに捕えさせる。
両足を持たれて、逆さになったままどこかへ連れて行かれていく。必死に泣き叫んでいると、主人がそのルガルガンに命令をした。
赤色が岩に叩きつけられる。
その瞬間、唐突にチャンスだと思った。
主人はその泣き叫ぶ赤色に集中しているし、目の前にはいつも四匹居るルガルガンが三匹しか居ない。
ふらり、ふらりと私は踊った。私を見た全てが、正気を保てなくなる踊り。
とても久しぶりに、私は本気で踊った。命を賭けて、私自身のこれまで踊って来た歴史を賭けて、私は一心不乱に踊った。
ほんの短い時間だったけれど、その後、ルガルガン達の目があらぬ方向を見た。足取りが覚束なくなる。紫色と黄色も含めて、全員混乱した。
その瞬間、私は翼を広げて飛び出した。
広い、広い青空に。とても眩しい太陽に向かって、心地良い自由に向かって。
とても気持ち良い。空を飛ぶ事がこんなにも気持ち良い事だったなんて、私は忘れていた。
一度、二度、羽ばたく。高く、高く。
……あれ? 落ちてる。
そう思った時、私の目の前には、巨大な岩が迫っていた。
何故、何故という思いがぐるぐると巡る。
片方の翼が折れている事にやっと気付いた。もう、体も動かなかった。飛んで来た大岩は、私にとって致命傷になってしまった。
真っ逆さまに落ちながら、涎を垂らして走って来るルガルガンの一体が見えた。混乱してなかった。
混乱が解けるのが早過ぎる。
どうして? なんで?
私は死ぬの? どうしてこんな事にならなきゃいけないの?
私は何かしたの?
嫌だ、嫌だ。
どさり、と私が地面に落ちた音が聞こえた。体はどうしてか、もう全く痛まなかった。
ルガルガンがやってきた。
乱雑に掴まれ、口元に持っていかれる。
嫌だ。嫌だ。微かに声が出たけれど、ルガルガンは聞いちゃいなかった。
食べないで。死にたくない。
大きな牙が私の腹に食い込んだ。ぶちぶち、と音がして、血がたっぷりと出た。
とても美味しそうな顔をしていた。
2. 包丁
そとのけしき。あおいそら。しろいくも。あかいりゅうが、ひとをのせて、とんでいる。きもちよさそう。
ざざーん、とうみのおとがする。みんな、たのしんでる。
ぼく、ぼく。ぼくは。
あたまがいたい。
とっても、いたい。なんだか、くらくらもする。
がたん、がたん。くるまがゆれた。ゆれると、あたまがいたい。ずきんずきん、なんか、ぼく、こわれちゃったみたい。
あしもいたい。はねもおれてる。
あれ、あれ、うごけない。
どうして。うごかない。そとのけしきがみえてるだけ。
くびもうごかない。どうして。
「……ええ、はい。5ドルですか。……いえ、いいですよ、それで」
こわいひとが、ぼくにひどいことをしたひとが、とんとんと、おとをたてている。
こわいよ。どうしてこんなことするの。
ぼくは、ぼくは。
くるまがゆれて、あたまがいたい。とてもいたい。ずきんずきん、あしも、からだも、やっぱりうごかない。
こえもでなかった。いたいのに。
いたいよ、たすけて。
あかいいぬがとなりにすわっていた。
そとをながめてた。いつもみたいに、ぼくをおいしそうなめでみてなかった。
おとなしかった。
たすけて。ぼく、いたいよ。
たてものがながれていく。くもがながれていく。ひとがながれていく。まどのそとで、みんなしあわせ。
みんな、ぼくいがい、しあわせ。
「ったく、また捕獲しに行かなきゃしゃあねえじゃねえか」
ほかく。ほかく。いやなことば。あたまがいたい。
「一匹5ドル。一匹5ドル。十匹捕まえたら50ドル。百匹捕まえたら500ドル。そっちもあんまりいい稼ぎじゃねえな」
いやだ。はなばたけにかえして。あかいはなばたけ。ぼくのこきょう。おとうさん。おかあさん。
まいにちたのしい、ぼくのこきょう。
まいにち、たのしかった。
おとうさん。
おかあさん。
おにいちゃん、おねえちゃん。
ぼく、ぼく。
「一日数回仕立てて躍らせるだけでそれ以上だしな」
ぼく、がんばったのに。
がんばってたのに。
あしがいたかっただけなのに。
ぼく、ぼく。
「あー、ガルルも美味しそうに食べちゃってさ。後の二匹も今日は使いもんになんねえ。
あいつ今日飯抜きだな」
「ウォン!」
「駄目ってか。まあ、そうだよな。俺が指示したもんな。
でもさ、あんな、鳥の目の前で美味そうに食う奴があるかよ」
「クゥン」
ぼく、ぼく。
しにたくないよ。どうしてあたまがいたいの。どうしてからだがうごかないの。
どうしてぼくは、こんなことになってるの。
おとうさん、おかあさん。
「なあ、ルガ。お前やっぱり車は苦手か?」
「ウゥ」
「そうか。慣れないもんだな」
くるまが、とまった。あたまが、いたい。ずきんずきん、いたむ。とっても。
「ルガ。持ってけ」
うごかさないで。いたくしないで。
いたいよ。あしをつかまないで。
ぼくをもたないで。
いたいよ。あしがいたいよ。あたまがいたいよ。うごけないよ。
おにいちゃん、おねえちゃん。おとおさん、おかあさん。
たすけてよ。たすけてよ。
ぼく、しにたくないよ。
「そんなに状態も良くないですね」
「ええ、ガソリン代位にはしてくれよ」
「……4ドル50セント」
「……分かった」
いたいよ、いたいよ。はやくぼくをたすけて。
おとうさん、おかあさん。
にんげんのめがいきなりぼくのめのまえにきた。
こわいよ。なんでそんなめでぼくをみるの。
なんでぼくをたあすけてくれないの。
たすけてよ。いたいよ。たすけてよ。いたいよ。
おとうさん、おかあさん。
たてもののなか。おいしいにおいがする。
じゅわじゅわ、ぱちぱち、とんとん、ばきぼき。
いろんなおともした。ひとのこえも。
あたまがいたい。あれをたべさせてくれるの? ぼくをあれでげんきにしてくれるの?
とびらがあいた。
ちのにおいがした。とてもつよい、ちのにおい。
え、ぼくは。ぼくは。
いやだいやだ。いやだいやだ!
たすけてたすけて、おとうさんおとうさんおかあさんおかあさん、おねえちゃんおねえちゃんおにいちゃんおにいちゃん。
いやだよいやだよ、しにたくないしにたくない。
たすけてだれか。きいろ、もも、むらさき。どうしてここにいないの。
どうしてぼくはこんなところに。ぼくは、ぼくは、どうして。
いやだよしにたくないよ。しにたくないよ。いやだよ。
いやだいやだ。
いやだいやだ。
「あんまり質良くないが出して大丈夫だろ?」
ひっ。
かおをちかづけないで。
こわいよ。おとうさんおとうさん。たすけて。やめてよ。やめてよ。
そんなめでぼくをみないで。そんなめでぼくをみないで。
「……うん、大丈夫だろ。なあ、ラッタ?」
「ヂュウッ!」
「大丈夫だってさ」
やっとよこになった。すこしだけ、らくになった。
でも、でも、せなかがぬるぬるしてる。とてもこい、ちのにおい。
ぼくのせなかに、たくさんのちが。
たくさんの、とてもつよい、しのかんかく。
しにたくない。しにたくない。いやだ、おとうさん、おかあさん。
おとうさん、おかあさん。おねえちゃん、おにいちゃん。
ぼくをたすけて。たすけて。たすけてよ。
うごかないんだ、ぼくのからだ。
うごかないんだよ、ぼくのからだ。
ぼくは、ここからにげられないんだ。ぼくは、このままだとしんじゃうんだ。
だから、だから。たすけて。たすけて!
「じゃあ、さっさと捌きますか」
こわいよ。
えっ、なにそれ。なにそれ。
あのあかいいぬのより、とてもするどい、つめ。
ひかってる。つるつるで、するどい、とてもおおきい、つめ。
いやだ。おとうさん。おとうさんおとうさんおとうさんおかあさんおとうさんおにいちゃんおねえちゃん、きいろももむらさきたすけてたすけてたすけてたすけて!
いやだいやだいやだいやだいやだ
だんっ。
「こちら、炎のチキンステーキになります」
3.
耳に悲痛な声が入って来る。助けてと叫んでる。生きていたいと叫んでる。死にたくない、と叫んでいる。
私は、悪くない。
だって、私のパチパチが赤に当たっちゃっただけだもの。
私は何もしていない。私は悪くない。
赤が、岩に叩きつけられた。
嫌な音がした。赤は、動かなくなった。
私は、私は、悪くなんかない。私が悪い訳ない。
桃がその瞬間、踊りを始めた。何故、こんな時に踊るの? どうして、そんなにいつも以上に真剣に踊っているの?
すぐ後に、その理由は分かった。ふらふらと踊っていた。
私の足がふらつき始める。ルガルガン達の足もふらつき始める。
その隙に逃げようと飛び立った、桃が見えた。
あ、待って。私も連れて行って。私も行きたい。
けれど、ふらふらとしてる最中、同じく混乱したルガルガン達が、隠し持っていた木の実を食べたのが見えた。
「ガルル! 仕留めろ!」
木の実を食べた瞬間に、ルガルガン達の混乱は解けていた。
じゅるり、と涎を吸う音。やっと、食べられる。そんな、喜びに満ちた音。
ガルルと呼ばれたルガルガンは、近くの岩を砕き、その砕けた岩を桃に向って思い切り投げつけた。
それは、桃の羽に直撃した。
落ちていく桃は、自分の羽が折れているのにも気付かずにまだ空を飛ぼうとしていた。
そこに、二つ目の、更に大きい岩が投げつけられた。
くるくると落ちていく桃。飛んで行く岩。
まだ、何が起きたか理解出来ていないような、顔。
体に直撃した、岩。
ああ、ああ。私が、私が、こんな、こんな。
私のパチパチが赤に当たっちゃったからこんな事になったの?
嘘だと言ってよ。誰か、私は悪くないって。私は。
ルガルガンが涎を垂らしながら走って行く。全速力で、落ちていく桃に。
桃が落ちた。びくともしなかった。
逃げようともしなかった。
嫌だ、嫌だ。
ルガルガンが桃を掴んだ。乱雑に、そしてそのまま口に持って行く。
桃の首が僅かに動いた。私の方を、一瞬、向いた気がした。
血が、噴き出した。
肉を引き千切り、桃の体が一瞬震えて、死んだ。
一心不乱に食べていた。血を撒き散らしながら、肉を引き千切りながら。
ああ、ああ。
私が赤も、桃も殺したの? 私が悪いの? 私が、私が。ああ、ああ!
「……ああ、仕留めろって言ったら、そうだよな、うん」
悪びれもしない、デブの声が聞こえた。
……そうだ、悪いのはあのデブだ。
……でも、でも。私のパチパチが当たっちゃったから。
ああ、もう、でも、いや。
「……押し込んどけ。俺はこいつを売っぱらいに行く」
赤も、連れて行かれる。もう、戻っては来ない。あのデブの事だ。
デブめ。デブめ。くそ、ちくしょう。
ああ、嫌だ。デブが居なければ私も紫も、赤も、桃も、こんな目に遭ってない。
ルガルガン達がこっちにやって来た。
桃を食べ尽くしたルガルガンも。
血の臭いがした。口周りは、桃の血で塗れていた。桃の死んだところには、砕けた骨と血の跡だけが残っていた。
でも、でも、私が。
私が、デブに殺させた。
ああ、ああ。
どうして、私達はこんな目に遭っているのだろう。
私と同じオドリドリが、外を楽しそうに飛んで行くのも見る事があった。
私達と、空を飛んでいるのとは、何が違ったんだろう。私達だけが、どうしてこんな所で、こんな目に遭っているんだろう。
どうして、どうして。
この狭い小屋の中。力づくで壊そうとは何度もした。でも出来なかった。うるさくしてると、あのデブがルガルガンを連れてやってきた。殴って動けなくなった。
ずっと、死ぬまで? ここでただひたすらに、生き続けるしかないの?
何の楽しみもなしに。どこにも行けずに。自由に羽ばたく事さえ出来ずに。私は、そうして死ぬまで生きなきゃいけないの?
本当に、どうして、私達だけが。
私達、何かしたの? 生まれてから、私、生きていただけだよ。そりゃ、生きる為に殺したりもしたよ。
でも、みんなしてるよ。海で遊んでる誰もが。空を飛んでいる誰もが。
じゃあ、なんで?
なんで、私達はこんな目に遭っているの?
生まれてから、ここに閉じ込められるまでの記憶をどんなに思い出しても、なんでか分からなかった。
どんなに、何度、思い出しても。
その次の日には、新しい赤と桃が連れて来られた。何にも知らない顔。
ただただ、困惑してるだけの顔。
脳裏に甦る。
叩きつけられる赤。食べられた桃。食べられる直前に私を見た桃。
もう、いやだ。もう……いやだ。踊りたくない。
こんなところ、もう、いやだ。でも、どうしたらいいのか、私、分からない。
殴られたくない。叩きつけられたくない。食べられたくない。踊りたくない。死にたくない。
ただただ、ここから出たいだけなのに、それがどうしても、どうしたらいいのか分からない。
でも、外に出て、今日も踊らなきゃいけない。そうじゃないと、生きられない。
踊りたくないけど、そうしないと死んじゃう。殴られちゃう。食べられちゃう。叩きつけられちゃう。
ああ。
味気ないご飯。食べないと、お腹が減る。楽しい事なんて、これっぽっちもない。
楽しい事なんて、これっぽっちもない。嫌な事はたくさんある。
私は、私達は、嫌な事ばかりの中を、それから逃げる為だけに生きてる。楽しい事なんてない。
嫌な事ばかり。
ああ。
リハーサル。ルガルガン達に脅されながら、一連の流れを叩きこまれる。
入場、それぞれ踊って、退場。ただそれだけの流れ。
失敗すれば、殴られる。踊りが上手く行かなくても殴られる。使い物にならなくなったら、捨てられる。
そんな流れ。風に乗れなきゃ、落とされる。海の上、落ちたら待っているのは大きな口を開けて待っている鮫達。
食べられたらもう、残るのは、血の痕だけ。
血も、その内消えてしまう。
今日も踊らなきゃいけないときがやってきた。
紫が踊る。周りには体をぞわぞわとさせるような光を纏って。ふらふらと、ゆらゆらと。妖しく。
いつも通りのように踊っていた。赤が死んだのも、桃が死んだのも、全く堪えてないようだった。
そう言えば、紫は、死者の魂を操れるってデブが言っていたような気がする。
……紫は、死者の声が聞こえるんだろうか。紫は、死んだ赤と桃が何を思っていたのか、分かるんだろうか。
私を恨んではいないだろうか。私のパチパチが当たらなければ、赤も桃も死んでいなかったのに。
デブを恨まずに私を恨んでるなんてことあるなんて、いや、ない。
でも、そうだなんて、言いきれない。
ああ、怖いよ。怖いよ。私の事恨んでない?
私は、私は。
紫の踊りが終わった。
とととと、と足を小刻みに滑らせながら戻って来る。
ちらり、と私の方を見て来た。こっそり見るように。
え、何それ。赤と桃が何か私に言ってたの? 許さない? お前のせいだ?
よくも殺してくれたな? お前も死ねよ?
ああ、ああっ。
でも、次は、私の番だった。踊らないと殴られる。踊らないと生きられない。踊らないと、踊らないと。
ピィーッっと、私は無理矢理鳴いた。
ピッピピッピ、私は元気に鳴く。これからも、ずっと。
あはははは。
あっはっはっは! 楽しいよ! 踊ることってこんなに楽しかったんだ!
腕も足も振り回して! ピッピピッピバカみたいに胸からはち切れるばかりに歌って!
ピッピピッピ! ピッポパッポピッポパッポ! ピピピピピッピピピピピピピピ!
たのしいたのしい踊りだよ! みんな私をみてる! みんな私のことが好きなんだ! ぴっぴっぴっぴぴぴぴぴぴっ! ぽぽっぽぱっぽぽぽぽぽっぽ!
たのしいぴっぴ! たのしいぴっぴ! ポポポッポポぱぽぽっぽっぽ!
みんな、みんな、わたしのおどりが大好きなんだ! わたしって愛されてる!
楽しいことはここにあったんだ! ぱっぽぽぱっぽピポぽっぽッ!
ばちっとほら、そこのきみ! 元気ないよ! わたしの元気の源、電気を分けてあげるからさ!
ぴっぴぴぽっぽぽぴぴぴっぽ!
ぴっぽぽぱっぽぽぱぱぱっぽ!
とんとん足を動かして! ほらほらみんな、元気になろう?
ばっちばっち電気、たくさん分けてあげるから! まだまだたくさんあるよ! ほらほらくるくるまわって!
みんな元気になってきたじゃない! みんな立って走って踊りまわろう! ほらほらもっと! くるくるぐるぐるぐーるぐる! ぽっぽぽぴっぽぽぺぽぴっぽん!
おお、君、元気になったじゃない! そんなに激しく動いちゃって!
やめてくれ? まだまだやるよ! もっと元気になって貰わなきゃ、私、殴られちゃうもの!
私、楽しいことが大好きなの! 君もそうでしょ? そうだよね? 青い海で泳いで、ゆっくり笑いながら彼女と歩いたりするんでしょ?
そこの海カモメくんも! そんなにびくびく動いちゃって! 感極まったってやつかな?
うれしいよ! そんなに私の踊りが好きなんだね? ぴっぴぴぽっぽ、ぱぽぽっぽ!
あっはっはっはっは! たのしいたのしいわたしの踊り!
みんな……あれ? いない。
あれ……。わたし。
なんだか、ねむい。
つかれた。
4. 矢
ルガルガン達が怯えていた。主人は唖然としていた。
狂ったように踊っていた。壊れたように歌っていた。
いや、もう、狂っていた。壊れていた。赤と桃が死んで今まで、おかしかったけれど、何でここまでなったのか、俺には分からない。
俺には、分からない。
「ピィーッピッピッピ! ピィーッピッピッピ! ピピピッ! パポポッポ! ピィーッピッピッピ!」
それは、見た者を元気にさせる踊りなんかじゃなかった。
見れば見る程、その見る者の内側から入り込んでどろどろと、ぐずぐずと、腐らせていくような踊りだった。
そんな踊りだったのに、目を離さずには居られない。
主人が遠くで止めろ、と最初にルガルガン達に命令した。でも、ルガルガン達はその命令に従えなかった。
主人も二度、同じ命令を飛ばす事も無かった。
「ピッピピビィーーーーーーーーッ!! ビィボボバボボボベブッヂッ」
段々と速くなっていく、壊れたリズム。腕と足がバラバラなリズムを刻んでいる。その口から出る言葉はまるで呪詛のように幸せを願っている。
一方的な幸せだ。恨みが、妬みが、裏返って、どろどろな幸せを願っている。
その踊りから電気が染み出してきた。ぱちぱち、バチバチ、と。
オドリドリには普通出せないような強烈な電気だった。
「バッブッヂッボ、ギャッ、ヂュッ、ベンピッ、ブチッ」
その電気は、弾けて舞台の床を焦がした。舞台のカーテンに弾けて燃え始めた。
最前列の人間に当たって倒れさせた。隣のキャモメが助けようとして、逆に更に激しい電撃を食らった。
カーテンが激しく燃え始める。人が逃げ始める。ずっと続いて来た、この劇場がたった一匹の、狂ったオドリドリによって壊れていく。
誰も、止める事は出来なかった。
ただ、俺は唖然と立っていた。
もう、とっくの昔にここから逃げる事は諦めていた。
何匹もの死を見て来た。脱走しようとして食われていったオドリドリ達を見ていた。
もう、無関心になっていた。
踊ってさえいれば、逆にここは平穏だった。外よりも、だ。
どこかへ消えた兄が、蜘蛛に捕えられてか、干からびて死んでいた姿で出て来て、意気消沈している時に捕えられた。
従ってさえいれば安全はあるこの場所と、自由だが安全は無い外。
どっちが良いのか、俺には分からなかった。
大抵、他の捕えられた他の奴等は、そういう事を学ばない内に連れて来られたようで、逃げたがっていたが。
待っていれば、もしかしたら番も出来て、何の脅威も無く、子を為せるかもしれないとか、そういう事も思っていたのに。
壊れていく。
「ビィーッビッビッビッ! ビーィ、ベッ、ブッ、ヂッ、ヂュッ……」
力果てるように、黄が倒れた。人を数人、ポケモンも数体殺していた。
気付けば、新しく来た赤が倒れていた。弾ける電撃を食らっていたようで、身体が黒焦げていた。
同じ、新しく来た桃は、観客の人間やポケモン達といつの間にか逃げていた。
カーテンが黄の上に燃え落ちた。
黄はびくともせずに、そのままカーテンと共に焼けて行った。踊り終えた所で、もう死んでいたのかもしれない。
狂った末に、死んでいる事にさえ気付いていないまま。
犠牲となった人間から、ポケモンから魂がゆらゆらと出て来ていた。落ち着き、消えていくまでには時間が掛かるだろう。
そして、黄からも魂が出て来た。
呪いや恨みに満ちていた。ただ、それでも驚く事に、そこらにあるそこそこの強い魂と大して変わりはしなかった。
何故か……。
やっぱり、もっとひどい事をしている人間だって居るのだろう。
町中を飛んでいる時、肉を食べている人間やポケモンだって沢山居た。毎日毎日。
思い出せば、色んな言葉があった。
――アマカジ一匹から少ししか取れない貴重な果汁を煮詰めて――
――ぼくのピカチュウが射貫かれて死んじゃった――
――ヤドンのシッポを切り刻んで――
――結束の固い竜達の住処から取って来た子を暗闇の中で育てて――
――何でこの子が死ななきゃいけないの! どうしてダグトリオはこの地下を掘って――
――幾千もの卵の末に出来た最高の個体――
――キテルグマの手の平を蜂蜜に漬けて――
――復讐に燃えたガラガラ達によって惨殺された一家の物語をしましょう――
――私の彼氏、ライドポケモンごとどこかへ消えてしまったの――
――アシレーヌの喉がもう使い物にならねえ、捨てるしかないな――
――私のニャヒート、変なトカゲにメロメロになったまま帰ってこないの――
――とても珍しい色違い達の祭典をやる為に、とにかく子を産ませた――
――いう事の聞かないポケモンを、餌にしてやった――
そんな外は、ここより幸せなのか、俺には分からなかった。
安全という意味では、従ってれば良かった。踊りも毎日疲れ果てるほどやらなくて良い。
どちらが良いか、分からない内に、俺は、強制的に外の自由に出される。
建物が崩れ落ちる前に、外に出た。火を消す為に人間達やポケモン達が集まって来ている。
空を飛んで、逃げた。
でも、逃げたと言えるのか、分からない。
分からない。
逃げた先は、今より幸せなのか。
干からびて死んだ兄の表情は、苦悶に満ちていた。
どこで寝れば良いのかすら俺は忘れかけていた。
どういう場所が安全なのか。
あの頑丈な小屋は安全過ぎた。物音が立とうとも、別に起きる必要が無かった。同じオドリドリ以外がこの小屋に入って来る事は無かった。
外に出れないが、逆に外から予想外に何かが来る事なんてなかった。
毎日、同じ事をしてりゃ生きてられた。
退屈と言えば退屈だが、俺にとっちゃ、どこに潜んでるか分からない死から逃げられるなら十分マシだった。
まあ、生まれ故郷に帰る事にするか、と決めた。
人間の暮らしに溶け込んで生きるのは怖すぎる。そういう事が出来るのは、自らが糧になってしまわないような強さや知恵が必要だ。
俺には、どっちも無い。
花園に帰る以外、そもそも、他に当ても無かった。
風にゆらゆら揺れる紫色、澄んだ香りの満たされた花園。
兄が死んだ場所でもあったが、懐かしくも思った。
同じ仲間も居る。
でも、懐かしく思いながら、その花園がどこにあるのかも分からなかった。
ここに連れて来られるまで、寝かされていた。方角も分からない。
…………。
朝が来た。腹が減った。飯も勝手に出て来ない。
全く勝手の知らない土地で、ちょっと開けた場所に、全く知らない木の実が色々生えている。
周りに誰も居なくなってから、そこに近付いた。
匂いからして食えるものだったが、合わない味だったり、妙に酸っぱかったり。
……ああ。
帰れる気がしなかった。
海も、空も、俺にとっちゃ広過ぎる。
狭い所で暮らしたかった。紫の花園が、あの舞台が、俺にとって丁度良い場所だった。
色々試しに啄んで、やっと好みの木の実を見つけて引っ張り出す。
中から蟹が唐突に出て来た。
青い拳が真直ぐ、自分に飛んで来た。
相性からか全く痛くなかったものの、驚いて転んでしまった。
体も完全に鈍っていた。立ち上がるのにも、体が強張ってすぐに出来なかった。それからどうすれば良いのかも、分からない。体はスムーズに動かない。
どうすれば良い、どうすれば良い? 俺の持っている攻撃手段は何だった? こいつに通じる攻撃なのか?
蟹は拳が通じないと見るや、泡を吐き出してきた。
空に飛んでやり過ごし、そのまま逃げてしまおうかと思った。
いや、……ここで逃げてはもう、俺は生きられない。逃げてばっかりじゃ、生きられない。腹もまだ全く満たされてない。
こんな、絶望のまま死を迎えたくない。
紫の花園。仲間の居る花園。そこに俺は、帰りたい。
泥水を啜ろうとも、空腹に苛まれようとも、敵に襲われようとも。
帰りたい。
風の刃を生み出し、水の泡を切り裂いた。蟹はその刃を避け、また大量に泡を吐いて来た。
今度は降りてその泡を躱し、踊った。まず、相手を弱らせる。
ふらふら、ゆらゆら、ぐらりぐらり、リズムも姿勢も崩して。
伝播した揺れが蟹を混乱させた。
そして、次にまたゆらゆらと踊る。蟹がふらふらとしている間に自分の力を整えていく。
木の実を隠し持っている様子も無く、近くにある木の実を食う様子も無い。時間はあった。
蟹が次第に正気に戻っていく。その時間で、ずっと使っていなかった自分の力が、完全に形になった。
周りの霊の力を借りて。
蟹が正気に戻って、また泡を吐き出してきた。
力を放つと、泡は一気に全て弾けた。蟹が躱す間もなく、遠くへ吹っ飛んで行った。
……やった。
自分は、弱くなんかない。
戦える。そうだ。弱者なんかじゃない。
戦い方を覚えよう。死なないように、食べられないように。そして、帰ろう。
帰れるだけの力は、自分に十分にある。
でも、まずは空腹を満たそう。
一歩歩いた時、全身に激痛が走った。
痛い痛い痛い痛い!
な、なにが? 新しい敵?
え……周りに、誰も、居ない?
いや、何で攻撃されたんだ? 俺の体に、傷が無い。
振り返って見つけたのは、一本の鋭い何か。それは俺の影に突き刺さっていた。
何だ、これ、は。
動こうとしても、影が固定されたかのように自由に動けなくなっていた。
取り敢えず、これを抜かなきゃ。
いや、そもそも……どこから飛んで来たんだ?
見回すと、また一本、飛んで来ていて思わず身を伏せた。自分のすぐ後ろに刺さった。
伏せてなければ、頭を貫かれていた。
とても遠くから、狙われている。
……逃げなきゃ。敵う訳がない。
死にたくない。嫌だ。矢を抜いて、でも、飛べなかった。
どこから矢が飛んで来るのか、全く分からない。飛んだ瞬間に狙われるような気がした。
動いた瞬間にそこを狙われる気がした。周りを見渡してとにかく警戒に全集中しなければ次は仕留められる気がした。
一発のその激痛で、俺自身の体力も大幅に削られていた。
敵う訳がない。実力が違い過ぎる。
でも、逃げられないとも思ってしまっている自分にも気付いてしまった。
死にたくない。嫌だ。帰りたい。
紫の、澄んだ香りの、花園。
ゆらゆらと、風にゆれる、紫の花々。
また、全身に走る激痛。
ああ。
駄目だ。
とても大きな鳥がやってきた。後から人間もやってきた。
「凄いよジュナイパー! あの距離から仕留めるなんて!」
ジュナイパーと呼ばれた鳥は、人間に頭を撫でられて、気持ち良さそうにしていた。
とても幸せそうだった。
「よーし、私も頑張っちゃお!
うーん。木の実もある事だし、あ、あそこに蟹もいるね。
鳥と蟹のシチューなんてどうだろ? 美味しいかな?
いや、美味しく作らないとね!」
……ああ。
帰りたかった。
帰りたかった。
帰りたかった。
帰りたかった。
帰りた
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。