燦々と輝く太陽の光を反射して、せせらぎの丘の奥地にある湖は、きらきらと輝いていました。その煌めく湖の姿とは反対に、どんよりと落ち込んでいる一匹のオニシズクモがいました。
湖のほとりでため息を吐いては、水に反射して移る自分の姿をかき乱しています。しばらく同じことを繰り返していると、その後ろの草むらからひょっこりとアメタマが現れました。
「こんなところにいた! 探したよ!」
「アメメ!」
オニシズクモは、現れたアメタマの見るなり後ずさりして距離を開けました。その様子に、アメタマはいぶかしみました。
「何? なんで遠ざかるのよ」
友達によそよそしい態度を取られて、アメタマは不機嫌になりました。しかし、オニシズクモの深刻そうな表情に怒りが消えていきます。なにかいつもと様子が違うことに、心配になりました。
「シズズ?」
アメタマが名前を呼ぶと、オニシズクモはゆっくりと口を開きました。
「もう……アメメとは遊べない。僕に近づかないで欲しいんだ……」
波模様のある目に涙をためて、顔を俯かせながらオニシズクモは言い放ちました。その言葉の意味を、アメタマはすぐには理解できませんでした。
固まったアメタマをおいて、オニシズクモはサッと湖に飛び込むとその場から逃げ出してしまいました。
「えっちょ、シズズ!?」
アメタマは後を追うために湖に長い足を踏み入れましたが、先ほど言われた言葉が頭の中でこだまして動けなくなりました。
――もう近づかないでほしい。一方的に言われた言葉は、深くアメタマの中に残りました。
「……何よ。なんでこんな」
アメタマは訳が分からず、ただただ悲しさだけが湧き上がりました。
◇◇◇
湖に飛び込んだオニシズクモは、そのまませせらぎの丘の奥地の、さらに奥の林の中まで逃げ込んで、ようやく足を止めました。言葉を振り絞って言ったあとの、アメタマの顔を思い出して涙がさらにこみ上げてきました。
「これでいいんだ。のけ者にされるのは、僕だけでいいんだから。アメメがいじめられなくなるなら……」
自分に言い聞かせるようにつぶやくオニシズクモは、進化してから起こった、周りの変化を思い返しました。
シズクモから進化した途端、周りのポケモンたちが自分を避けるようになりました。周りにいるのはわかるのですが、誰も話しかけようとはしないのです。異様に思いながら、仲間のシズクモに近づくと、慌てて繁みのなかへと逃げられてしまいました。仲間たちの突然の変化に、オニシズクモはショックを受けました。そんな状況の中、アメタマだけは変わらずに接してくれたのです。しかし、最近になってオニシズクモと遊ぶアメタマさえも、のけ者にされていじめられるようになったのです。
怪我の増えたアメタマを見て、オニシズクモは心を痛めました。どうにかいじめを防ごうと、アメタマと一緒にいる時間を増やしました。けれどもオニシズクモが居ない隙を見計らって、アメタマはいじめられました。そしてオニシズクモと一緒に居る時間が増える分だけ、怪我が増えていったのです。
そうして思いついた解決策が、自分からアメタマを引き離すことでした。自分のせいでアメタマが傷つくことに、耐えられなかったからです。
けれどもオニシズクモが、アメタマを引き離そうとした本当の理由は、別にありました。オニシズクモと関わったことで嫌な思いをし続けているアメタマが、いつか自分を嫌いになってしまうのではという恐怖からでした。
進化して、姿形が変わった途端に、仲間や他のポケモンからのけ者にされたことは辛いことでした。それでも、アメタマに嫌われるよりかは我慢できる辛さでした。
「これでいいんだ。これでうっ……ぐす」
オニシズクモはなんども自分に言い聞かせますが、次第に涙があふれて、頭を包む水泡の水とまざりあいます。力なく足を折りたたんで、その場にうずくまると声を押し殺して泣きました。
一方、アメタマの方もオニシズクモと別れた後、その場に佇んで泣いておりました。黒くて丸い目から、ぽろぽろと涙を流しています。こぼれた涙が湖の水面に波紋を作っては消えています。
「おやおや、アメタマのお嬢ちゃん。そんなに泣いてどうしたんだい?」
通りすがりのヨワシが、水面に顔を出してアメタマを覗き込みました。
「ぐすっ、主さん?」
「あらま、アメメじゃないか。お前さんが泣いてるなんて珍しい」
せせらぎの丘の奥地に住まう主のヨワシが、目を丸くしてアメタマの泣き顔を見つめました。
「私、シズズに嫌われちゃった!!」
うわああんと、こらえきれずに大きな声でアメタマは泣き声をあげました。その姿にびっくりしたイワシは、あたふたしながら宥めました。
「あわわ。まあそんなに泣くんじゃないよ。シズズに嫌われたって? あんなに仲の良いお前さん方が? それは何かの勘違いじゃないか。なにがあったかワシに話して御覧」
ヨワシに優しく語りかけられて、アメタマはしゃっくりをあげながらぽつぽつと話し始めました。静かに話を聞いていたヨワシは、胸鰭を顎にかけて考え込みました。
「突然だったの。もう遊べないって、近づかないでって!」
言われたときのことを思い出して、アメタマは思わず声を震わせます。
「事情は分かったよ。しかし、嫌われたと決めつけるには、早いんじゃないかな」
「そうしたらなんで近づくなって言ったの? なにか私に嫌なことがない限り、言わないでしょ?」
せせらぎの丘の主であり、また幼いころから二匹を知っているヨワシは、オニシズクモの心境が手に取るように理解できました。
「きっとお前さんのためさ」
「どういうことよ!?」
わけがわからないと憤慨するアメタマに、ヨワシは静かに告げました。
「お前さん。最近怪我が絶えないだろう。誰かにいじめられているね?」
「っ、別にそれとこれとは関係ないでしょ」
「いや、大いに関係あるさ。シズズは、お前さんがいじめられている原因が、自分にあると思っているのだろう」
「はぁ? なにそれ」
「あやつが進化してから、周りのポケモンたちはよそよそしくなっただろう? シズズを避けるようになった。そんなのけ者にされるような自分といるから、アメメも仲間外れにされてるんだと思っているのさ」
ヨワシの説明に、アメタマは肩を落としてため息を吐いた。
「のけ者ね……。あいつ、自分の人気わかってないのね……」
「というと?」
「私がいじめられる理由は、あいつと一緒に居るなんて、釣り合わないからやめろとの嫌がらせよ! 特にメスの、シズクモたちからのね! 臆病野郎となじってた輩があいつが進化した途端、手のひら返しで平伏してんだからふざけたもんよね!」
「ならあやつを避けているっというのは……」
「メスどもは周りをけん制して動けないのと、オスどもは復讐が怖いからと逃げてるだけよ。あいつはそれをのけ者にされてるって思ってるわけなのね」
ずっと側に居たからこそ、アメタマはオニシズクモの周りの変化を正しく感じ取っていました。なので、当の本人がのけ者にされて落ち込んでいるとは、つゆにも思わなかったのです。
アメタマは本当のことを伝えようと考えました。しかし、理由もなくそれは嫌だと思う気持ちがありました。もやもやする心に、アメタマはいら立ちます。
のけ者の件は、今は話さなくていいと思い直して、別の解決策を考えました。そして、自分がいじめられることで、オニシズクモが離れたというのなら強くなるしかない――単純なアメタマは、そう結論付けました。
「――主さん。頼みたいことがあるんだけど」
「なにかね?」
「シズズには内緒でね――」
ヨワシは目を見開き、れから真剣なまなざしてアメタマを見返します。
「言っておくが、辛いぞ。今までの怪我がかすり傷みたいに感じるだろう」
アメタマは分かってると力強く頷きました。その決意に満ちた瞳に、ヨワシは自然と口角を上げました。
「よし、なら今からはじめるぞ! ついて来い!」
「お願いします!」
勢いよく湖の中心へと泳いでいくヨワシの背を、アメタマは力強く水面を蹴って追うのでした。
◇◇◇
アメタマと離れてから数週間たっても、オニシズクモは落ち込んだままでした。
「はぁ……」
今日何度目かになるため息を吐いてから、湖に足を運びました。湖の畔で自分の姿を映した水面をかき乱しては、ぼうっと空を見上げます。
「アメメどうしてるかな」
ぽつりとつぶやいて、オニシズクモははっとして頭を振るいました。もう会わないと決めたんだと、自分に言い聞かせます。けれども、会いたいと思う気持ちは強くなるばかりでした。
「会いたいな……」
オニシズクモは足を前に投げ出して、水泡に包まれた頭をその間にうずめます。
「――だったらあんなこと言わないでよ」
聞きなれた甲高い声が聞こえてきて、オニシズクモは勢いよく顔をあげました。けれども視線の先に、ポケモンの姿はありません。きょろきょろと辺りを見渡していると、呆れた声が頭上から響きました。
「どこ見てんのよ。こっちよこっち」
声に従ってオニシズクモはゆっくりと顔を上げました。するとそこには、その場で胴体にある小さな二対の羽を、一生懸命羽ばたかせてホバリングしているアメモースがいました。
「……誰?」
オニシズクモが首をかしげるので、アメモースはずっこけました。
「私よ! アメメよ!」
「ええっ! アメメ?!」
オニシズクモは驚いて、波上の瞳を忙しく動かします。何度も見まわして、アメタマの時の共通点を探そうとしました。目が同じだなと思いながら、姿形が変わった原因を聞きました。
「えっと、もしかして進化したの?」
「そうよ。苦労したわ。でもこれでお揃いね。それに外野にも、とやかく言われはしなくなったし」
お揃いという言葉に、オニシズクモはこそばゆくなります。紛らわすように、アメタマがぼやいた内容を聞き返しました。
「そっそうだね。うん、進化おめでとう。でも、外野って?」
「ありがとう! つまり、いじめられなくなったってことよ。だから側に居ていいでしょ?」
オニシズクモは、アメモースの言葉を理解するのに少し時間がかかりました。そして理解してから、顔を赤面させて唸りました。
「それはその……」
「それとも、やっぱり私のこと嫌いなの?」
頭の羽を弱弱しく閉じて落ち込んだアメモースに、オニシズクモは慌てて弁解します。
「違うよ! アメメのことが嫌いなんじゃなくて、僕と一緒にいてアメメが傷つくのが嫌なだけであって」
「なら問題ないわね! さっきも言ったけど、私進化したおかげで、いじめられなくなったからね。むしろ、やり返すぐらい強くなったから大丈夫よ!」
落ち込んでいたのが嘘のように、アメモースは晴れ晴れとした笑顔でオニシズクモの周りを飛び回りました。
「本当に良いの?」
「何度も言わせないでよ。私はあなたと遊びたいし、好きだし、一緒に居たいの。シズズは?」
さらりとアメモースから告白を受けて、オニシズクモは水泡に包まれた顔を真っ赤にさせて狼狽えました。
「えっあ、僕もできるなら、アメメと一緒に居れたらいいなって……」
前足をかがめて、気恥ずかしそうに小さな声で答えます。アメモースは目をキラキラさせて、嬉しそうに頭についている羽をはばたかせました。
「やった! ずっとあなたと遊びたかったの! 何して遊ぶ?」
「あっアメメが決めていいよ」
告白の余韻が残っているオニシズクモは、まともにアメモースの顔を見ることができませんでした。恥ずかしさに悶えている友達に気付かないアメモースは、なにしようかと遊びを考えはじめていました。
そんな二匹を、湖の片隅で見ている一つの影がありました。
「これで元通り、かな?」
遊び内容を決めたアメモースが、元気よくオニシズクモに向かって話始める声が、せせらぎの丘奥地に響き渡ります。その様子を、ヨワシは微笑ましく眺めるのでした。
おわり
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。