「……さ、佐祐理さんが? なあ舞、佐祐理さんは具体的にどういう風にヘンになったんだ?」
舞の言葉はあまりに唐突過ぎて、俺は状況がよく飲み込めなかった。舞の言葉から、佐祐理さんに何かあったのは間違いない。ただ……あれだ。いきなり「なんだかヘンになった」と言われても、どうヘンになったのかちっとも分からない。
「……佐祐理は……」
「……?」
「……『倉田家の教育方針が云々』って、朝からずっと言ってる……」
「……そ、そりゃあ……ヘンだな……」
……なんというか、あれだ。舞の言葉には何の偽りも無かった。こりゃあ、「なんだかヘンになった」と表現せざるを得ない。というか、教育方針って何? 佐祐理さん、親子喧嘩でもしたのか?
と、俺と舞が話をしていると、
「おーい、相沢ー。そろそろ席に着けー。授業始めるぞー」
教師が教室に入ってきた。と言うわけで、これ以上話をすることはできそうになかった。
「とりあえず……昼休み、昼休みまで待ってくれ。昼休みにお前のところに行くから」
「……………………」
舞は納得したようにこくこくと頷いて、すたすたとその場を立ち去った。やれやれ。一体どうなってるのやら……
授業中。最近ようやく進度が追いついてきて、授業内容もそこそこ理解できるようになってきた。
(……とは言え……)
とは言え、授業そのものにはイマイチ身が入らない。元々勉強はあまり好きなタチではないし、仮にノートを取り忘れても名雪や香里に頼めば快く写させてもらえる。後ろ盾があるというのはいいように見えて、その実本人の怠惰を誘発してしまうのではないだろうか……
……などと俺が半分哲学半分暇つぶしの考え事をしていると、
(つんつん)
後ろから軽く突付かれたような感覚。北川だな。
(どうした?)
(相沢……窓の外、見てみろよ)
(……?)
北川に言われ、教師の目が黒板に向いているのを確認してから、恐る恐る窓の外を見てみる……そう言えば、前はこうして外を見たとき、栞が立ってたんだよな……あれももうずいぶん昔のことのように思えるな。本当はごく最近あったことなんだけどな。
さて、俺が窓の外を見てみると……
(……聖先生?!)
……予想外を通り越し、ありえない人物がグラウンドに立っていた。それは遠目からでもはっきりと、間違うことなく確認することができた。そこに立っていたのは、霧島診療所の所長兼医者兼看護士兼薬剤師兼佳乃の姉(我ながら長いな)である、霧島聖、その人だった。
(……あの人、診療所の女医じゃなかったか?)
(ああ。間違いない……昨日、ちょっとあの人と話す機会あったからな……)
(あんなとこで何してんだ……? 霧島さんに伝えたいことでもあるのか?)
(いや……あの人の性格だと。授業中でも飛び込んで行きそうな気がするぞ……)
まったく意味が分からなかった。妹の佳乃のことを待っているのだろうか? 何かすぐにでも伝えなければならないことがあるのだろうか? それとも……何か別のことがあったのだろうか?
大体、誰かを待つにしても、別にこの寒空の下にあるグラウンドで待つ必要はない。聖先生はれっきとした佳乃の保護者なのだから、中に入って待てばいいだけの話だ。それなのに、外の聖先生は一向に中へと入ろうとしない。何故だろう?
(……分からん)
俺はそれっきり、窓の外へ視線を向けるのを止めた。見たところで、疑問ばかりが増えていくからだ。
(……ここ最近、妙な出来事が続いてるな……)
真琴とみちるのこと、舞と佐祐理さんのこと、そして聖先生のこと。何かこう、日を追うごとに厄介ごとが増えていっているような気がしてならない。しかも、それが起きた理由が分からないと来ている。なんだかなぁ。
(……とりあえず……舞と佐祐理さんからだな……)
俺はそう思い、とりあえず再び授業を聞く体勢へ戻った。
「なあ相沢」
「おう北川。どうした?」
「お前、さっき川澄先輩と何話してたんだ?」
一時間目が終わった直後、北川にそう聞かれた。
「ん? いや、大したことじゃないんだがな……」
「気になるわね。聞かせてくれないかしら?」
「なんだか相談してるみたいだったね。祐一、どうしたの?」
北川に続けて、名雪と香里も興味を示しだす。しょうがない。話すとするか。どうせ俺にもよく分からないことだから、あいつらにもよく分からないことだろう。
「俺もよく分からないんだが……ま……じゃなかった。川澄先輩の友達が、なんだかヘンなことになっちまったんだよ」
……「舞」と言いかけ、慌てて言い直す。いくらなんでも、先輩を(本人がそう呼んでいいと言っているとはいえ)下の名前、しかも呼び捨てにするのはまずい。大体、この三人だと確実に深読みしてきそうだ。そーいう仲ってわけじゃないんだが……
「ヘンなこと?」
「ああ。何でも『教育方針が……』とか朝からずーっとぶつぶつ言ってるとかどうとかで……」
「……相沢君、それは確かに『ヘンなこと』としか形容できないわ……」
「……川澄先輩の友達って、ひょっとして受信が出来るのか? 電波の」
「んなの出来るかっ……って俺もさっきまで思ってたんだが、なんだか自信が無くなって来たぞ……」
「祐一」
「ん?」
「ふぁいとっ、だよ」
「俺がかよっ」
しかしあれだな。口に出して言ってみると、やっぱ相当ヘンだぞ。「教育方針が……」とかぶつぶつつぶやいてるのって。佐祐理さん、一体どうしちまったんだろ。
「というわけで、昼休みはちょっと相談にのりに行かなきゃいけないから、悪いが昼飯は一緒に食えないぞ」
「うん。わかったよ。頑張って解決してきてね」
「後でどうなったか聞かせてくれよな」
「……ま、相沢君の事だわ。きっと、あたしたちが想像も付かないような方法で解決してきてくれるわよ」
「……あれだ、香里。それは褒めてるのかけなしてるのか、どっちなんだ?」
「言葉どおりよ」
「……ぐぬぬ」
香里お得意の「言葉どおりよ」攻撃で俺の追及はさらりとかわされ、俺は佳乃ちっくに歯噛みするしかなかった。悩みの無くなった香里は無敵だと思った。
「……っと、もうそろそろ次の授業始まるな……」
北川の言葉を受けて、教室の壁に取り付けられた時計に目をやる……九時四十四分。あと一分で、次の授業が始まる。
「もうこんな時間か……時の流れは残酷だなぁ」
「そいじゃ相沢、あの話、帰りにでも聞かせてくれよ。長くなるんだろ?」
「ああ、いいぞ。さっきの話もついでに聞かせてやろう」
今日は話すことには事欠かなさそうだ。それ自体は悪くない。
(……まぁ、佐祐理さんの事だ。ひょっとしたら、舞がもう片付けてたりするかも知れないしな……)
俺は楽観的な予測をしながら、次の授業の準備を済ませた。
次の休み時間。俺がぼーっとその場で過ごしていると、
「えっ?! 佳乃ちゃん、それ、本当なの?」
「うん。本当だよぉ。なんだかとっても大ぴんちなんだよぉ」
隣のクラスの佳乃が、観鈴となにやら話をしていた。それにしても、何がどう大ぴんちなのだろうか。そこはかとなく、嫌な予感がする。そう言えば、佳乃と言えば……
「そんなの、初めて聞いたよ」
「かのりんも昨日初めて聞いて、びっくりしたんだよぉ」
「七瀬さんに妹がいたなんて、観鈴ちん、びっくり」
「ぐはぁっ!」
しまったっ。佳乃のやつ、あの(ヘタな)嘘のこと、まだ信じてやがったんだっ。なんか話を聞いてると観鈴にも感染拡大してるっぽいし。観鈴はあんな性格だから、確実に信じてそうだ……
「それで、すごい喧嘩をしてるんだよね」
「そうだよぉ。地球を真っ二つにするぐらいの大立ち回りだよぉ」
「どうしてそんなことになっちゃったのかなぁ……」
……おまけに、してない(というか最初からいないので出来るわけがない)喧嘩についても律儀にキッチリ話してやがる……どうすりゃいいんだ、この状況。
「だからねぇ」
「うん」
「かのりんと観鈴ちんで、二人を仲直りさせてあげようよぉ」
「わ、佳乃ちゃん、それいいアイデア」
……やべぇぇぇぇぇぇぇぇっ! あの二人、なんかマジになっちゃってるし!
「それじゃあ、後で留美ちゃんに話しに行こうねぇ」
「うん。わたしも行くよ。佳乃ちゃん、ふぁいとっ、だよ」
「えへへー。ふぁいとっ、だよぉ」
……どうでもいいけど、名雪のあれ、流行ってるのな……
なんだかんだで昼休みになり、俺は言っていた通り、舞と佐祐理さんのいる三階へと行く。
「……………………」
しばらくこちらからは顔を出していない(と言うか、いつも会う場所があんな場所だからだ)ので、クラスはどこだっけ、などとしばらく歩いていたのだが、
(あっ、ここここ)
すぐに舞と佐祐理さんのいるクラスを見つけることが出来た。
(いるかな……)
恐る恐る、教室の中を覗き込む。すると……
(……いるいる)
舞と佐祐理さんは、自分たちの席に座ったまま動いていなかった。都合がいいと言えば都合はいいが……あの様子だと、どうやらまだ解決はしてないっぽいな……
よし、行くか。
「……佐祐理さん?」
まずは佐祐理さんに声をかけてみる。そして、反応を窺ってみるのだ。
「……………………」
「舞から聞きましたよ。何かあったんですか?」
「……………………」
……返ってきた答えは沈黙。どうやら……よほどのことがあったらしい。
……まさか。
……まさかとは思うが……
佐祐理さんと誰かが入れ替わったとか?
ありえない話じゃない。現に昨日は真琴とみちるが入れ替わってしまったわけだし、もしそうだとすれば、佐祐理さんの様子がおかしいのも一発で説明が付く。
そう。佐祐理さんじゃない。中身が佐祐理さんじゃ
「……ふぇ……佐祐理はちょっと頭が弱い普通の子なんですっ……倉田家の……倉田家の教育方針が間違ってるんですっ……」
佐祐理さんだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。
※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。