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第二十五話「影門」

「……はぁ……」

「どうしたんだ相沢? いきなりため息なんか吐いて……」

俺は席に着くと、開始早々いきなり大きくため息を吐いた。そりゃそうだ。朝からあんなにドタバタしてたんじゃ、ため息の一つぐらい吐かせてくれとも言いたくなる。

「水瀬さん、相沢のやつ、どうしたんだ?」

「えっと……うん。大したこと、ないよ」

「そうなのか……?」

とりあえず秋子さんはちゃんと名雪しているが、果たして本当に大丈夫なのだろうか。朝のごたごたがあったせいで、何かこう今日一日大変なことがたくさん起きそうな気がしてならない。というかここ最近、間断なく大変な出来事が起き続けているような気もする。

……だって。

「……………………」

「……美坂、どうしたんだ? じーっと水瀬さんのほうなんか見つめて……」

あのごたごたでうまく曖昧にできたと思っていたら、香里はまだ名雪のことを疑っている。名雪はそれを知ってか知らずか、なるべく香里に目を合わさないよう心がけている。一体どーなることやら。

(……はぁ)

俺がまたため息を吐きながら教科書を出していると、香里が席を立って、俺の横を通り過ぎていった。そして、

「……北川君、ちょっといい?」

「ああ。どうした?」

「ちょっと、話したいことがあるのよ」

「分かった」

北川と共に、廊下へと出て行った。

(……多分、名雪のことだろうな……)

どう考えても、今香里にとって一番「話したいこと」は、名雪のこと以外ありえなかった。そりゃそうだ。朝にいきなり「ちゃん」付けで呼ばれ、その後に聞いたことも無いような「だおー」口調で追い打ちされ、シメに「なゆちゃん」だ。で、俺がトドメに「あき……」である。この時点で疑わないのはよほどのアホちんだと思う。

……とりあえず、名雪に一言言っておいた方が良さそうだな。うし。そうするか。

俺は教科書を出している名雪の肩をポンと叩き、こちらを向か

(くるりっ!)

「のわっ?!」

名雪が超高速でこちらを振り向いたので、俺は思わずのけぞった。こ……これはよほど緊張していて、体の感覚が滅茶苦茶敏感になっているとしか思えない。あれだ。朝の余裕は一体何だったんだ。あれはもしかして、幻覚だったのだろうか……

(……ひゃっ! ああ、祐一さん……)

(あ……秋子さん……本当に大丈夫ですか?)

(は、はい……だ、大丈夫ですっ。秋子、頑張りますっ)

(……とりあえず、頑張ってください)

どう聞いても大丈夫じゃ無さそうな返事を受けて、俺は一日秋子さんをいかにしてフォローするかを考えざるを得なくなった。ホントどうしよう。

っていうか、なんでまた入れ替えが起きたんだ? 真琴とみちるに始まって、一弥と聖先生、北川と香里、それで名雪と秋子さんだ。一体何が起きているのかさっぱり分からない。この入れ替え現象、何がきっかけで起きるんだ……?

……いや、ちょっと待て。俺は何かを忘れているような気がするぞ。忘れてはいけないことを忘れているような気がする。確か、そう言えば、なんとなく、えーっと……

「あっ! 観鈴ちん! おはようだよぉ!」

なんだったか……もう少しで思い出せそうなんだが……あともうちょっとなんだが……

「いよっすかのりん! おはようさんやで!」

……ああ、そう言えばそうだった。観鈴と晴子さん(観鈴のお母さん)の間でも、精神入れ替えが起きてるっぽいんだった……

「わぁ、観鈴ちん、いつもよりすっごく元気だねぇ」

「にははははは! せや、今日のうちは一味違うで!」

晴子さん、観鈴になりきる気ゼロ。いやむしろマイナスっぽい。正直、一味どころか二十八味ぐらい違うと思う。観鈴の数学のテストの点数並に。

「そうだねぇ。いつもとちょっと雰囲気が違うよねぇ」

「せやろ? あれやなー。なんか若返った気分やわ!」

すみません晴子さん。実際に若返ってるんで気分では無いと思います。

と、俺が再び頭を抱えていると、

(祐一さん、祐一さん)

(あ、秋子さん。どうしたんです?)

(……ひょっとして、観鈴ちゃんと神尾さんのお母さんも、私と名雪みたいなことになってるんじゃ……)

(……はい。というか、百パーセントそうとしか思えません……)

名雪(秋子さん)も状況を理解しているようだった。

つまるところ、このクラスには本来いてはいけない人間が二人もいるということになる。おまけに、一人は本来の人物になりきる気が最初からマイナスで、もう一人はいろいろな意味でなりきれるかどうか不安な人だ。ああ、思わず火の海にホップステップジャンプそんでもってかーるいすしたくなる気分でいっぱいだ。ダレカタスケテ!

「あーっ! 祐一君! おはようだよぉ」

誰かが話しかけてくるが、俺の耳には届かない。届かないということにしておく。

「ああ……いっそのことつかう>つるぎ>セルフでもしてしまいたい気分だ……」

「わわわ~、祐一君、それはダメだよぉ」

「……って、何で普通に理解してるんだ?!」

届かないはずの声は、一瞬で届いてしまった。

「あ、祐一君が反応してくれたよぉ」

見ると隣に、佳乃の姿があった。観鈴は自分の席に座っているらしい。

「佳乃……お前、どうでもいいこと知ってるんだな」

「そうだよぉ。あのねぇ、お姉ちゃんがねぇ、昔かのりんが似」

「すまん! 俺が悪かった! だから……頼むっ。それ以上は言わないでくれっ」

「?」

いきなり自分のシナリオの核心部分に土足で踏み入ろうとする佳乃。未プレイの人に対する配慮が微塵も感じられない辺りが実に素晴らしいと思った。

「それでね祐一君、今日はお礼を言いに来たんだよぉ」

「礼?」

「うん。昨日のことだよぉ。あの後ねぇ、祐一君と秋子さんに言われたことをみんなやってあげたんだよぉ」

「ああ、あのことか。どうだった?」

「お姉ちゃん、飛び上がって大きな声を出すぐらい喜んでたよぉ。元気に走り回ってたしねぇ」

秋子さんのアドバイスは、どうやら有効に作用したようだった。佳乃は本当にうれしそうな顔をしている。俺らしくも無いけど、誰かのうれしそうな顔、それも自分のしたことで誰かがうれしそうな顔をしているのを見るのは、悪い気はしない。まぁ、佳乃は笑うと可愛いし、それが効いてる部分も多いと思うけどな。

……でも、「飛び上がって大きな声を出す」とか「走り回る」ってのは、ちょっとオーバーな気もするような……

「そうか。それなら良かったじゃないか。でも、喜び方が妙に大げさだな」

「うん。お姉ちゃん、時々大げさになるからねぇ。それでねぇ」

「ああ、どうした?」

「お姉ちゃんがお礼をしたいって言ってるから、帰りに診療所まで来て欲しいって言ってるんだよぉ」

「そんな礼をされるようなことでもないと思うけどな……とりあえず、行かせてもらうか」

「ありがとうだよぉ。かのりんはちょっと行かないとダメなところがあるから、祐一君、一人で行けるかなぁ?」

「それは大丈夫だぞ」

「ごめんねぇ。お姉ちゃん、朝からなんだかいろいろ準備してるみたいだったから、期待してていいよぉ」

佳乃はそう言ってからからと笑って、自分の席へと戻っていった。

「……………………」

「……祐一さん」

「あ、はい」

「どうやら、うまくいったみたいですね」

「ええ。そうみたいですね。良かったと思います」

少しの間だけ秋子さんに戻った名雪に声をかけられ、俺は妙に気恥ずかしい思いになった。

……しかし、聖先生が朝から何かの準備をするなんて……佳乃の話を聞くと、どうも俺への「お礼」の準備みたいだけど、そこまでするほどうれしかったのだろうか……一体佳乃は先生に何をしたのだろうか……そこが気になる。

(……ま、行けば分かる事だよな……)

俺はそう思いなおし、とりあえずその事は置いておくことにした。

 

「……………………」

なんとも言いがたい気分で、一時間目の授業を受ける俺。明日は休みだと分かっているので、余計に授業に身が入らない。

「……………………」

そう言えば、昼休みはまた栞たちと一緒に弁当を食うんだったよな……今日は北川が来るとは聞いていないから、四人で弁当を片付ける必要がある。香里が栞をうまくコントロールしていることを祈るばかりだ。いや、ホントに。

「……………………」

「……………………」

名雪は今のところ問題なく過ごせている。最初はどうかと冷や冷やしたが、この調子ならどうにか一日を乗り切れそうだ。ま、一日経てば元に戻るわけだし、気楽に行くか。

……それよりも。

「ねぇ、今日の神尾さん、ちょっと雰囲気違わなく無い?」

「うん。私もそう思ってた……なんか、話し方が関西弁になっちゃってるし……」

「……どうしたんだろう? 何かあったのかな……」

クラスの女子の一部が、観鈴のことを噂し合っている。

「なんか、神尾さんのお母さんみたいじゃない?」

「そうだよね。確かお母さん、関西の人だって聞いたし」

「だよねだよね?」

しかも、めっちゃ疑われてる。ついでに、ほとんどバレバレになってる。

「……………………」

観鈴、月曜日はきっと質問攻めだぞ。恨むなら俺じゃなくて、お前の母親を恨むんだな。いや、大体俺関係ないし。

 

そのまま時間が経ち、気がつくと昼休みになっていた。香里が席を立ち、中庭へと降りる準備をする。

「名雪、相沢君。中庭で栞が待ってるわ。北川君もどう?」

「お、また行ってもいいのか?」

「来てもらった方がいいのよ」

ああよかった。どうやら北川も行くようだ。これなら、弁当片付け要員は前回と同じ五人である。五人もいれば、まぁなんとかなるはずだ。

「……だろうな。それじゃ相沢に水瀬さん、行こうか」

「ああ」

「あ、待ってよ~」

その頃にはもうすっかり秋子さんは名雪になりきれていて、俺が心配するようなことは何もなかった。朝はやっぱり、ちょっと緊張してただけだろう。そう思うことにした。

「聞いたか? ここに新しく一人現国の教師が赴任してくるんだって」

「ああ。なんでも女の人らしいな。しかも若いとか」

「うは、マジかよそれ。ちょっと楽しみだな」

同級生の噂話を聞きながら、廊下を歩いてゆく。

(若い女の先生か……一体、誰だろうなぁ)

その話は、俺の頭の中からすぐに消えていった。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。