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マリーンライン・メモリーズ

作者:ぴくぜろ

「――これは」
「これは、なに?」
「――ナベブタ、じゃな」
「ナベブタ」
「………」
「………」
「おじい、ナベブタって、なに?」
「――ナベブタ、は」
「………」
「………」
「おじい――」


「で、あとはいつもの空寝?」
 そう聞いてくるのは、ランターンに付き合ってくれるサニーゴ。一緒にいるだけで実際は何もしておらず、いつもの日課をいつもの表情で見守っているだけだ。ランターンも振り返らず、きょろきょろと寝床の闇を見渡し、戦利品のベストポジションを探っている。
「うん、都合が悪くなるとそうやって逃げた」
「答えられないのが恥ずかしいのか、デタラメ言っててからかってるのか、あのじいさんのボケもいよいよってことね」
 しっかしねえ。そうサニーゴはナベブタと称された物質を、水中で器用にふやふやと回して見つめる。球ではなく円だ。薄いようで若干ながらもたわんでおり、世にも謎な突起物が中心にひとつだけ生えている。
「本当に飽きないなあ。こんなもののどこがいいの?」
 ランターンは今度こそ頭上の提灯ごと振り返り、頭上の提灯ごと首をおかしげにかしげる。寄越してきたナベブタを抱きかかえて、
「え、なんかこう、神秘的だとは思わない? 独特で」
「そうかなー。あたしからすれば、」
 新参者であるナベブタを含め、ランターンが集めてきたものを睥睨して総括した。
「どっからどう見ても、ただのガラクタとしか」
 ガラクタって。ランターンは自身に言われたように思いつつも、ナベブタを他の物のそばに置いた。
 ランターンは、これら『奇物(きぶつ)』を集めるのが趣味だった。
 チャプター56の世代を生きるランターンは、提灯を器用に使い、独自のパルスを発生させるのが得意だった。水と生物を通り抜け、姿見せぬ特定の物体だけが跳ね返すという周波数のパルスを、まるで前世からの宿業とばかりにそこら中にまき散らしている。
 ランターンも、サニーゴも、そのほかのポケモンも暮らしているこの広大な海の中。そのうち、海域45・エリア72がランターンたちのすみかだ。散策を兼ねて泳いでいると、やがてターゲットからパルスから跳ね返ってくる。その反応をたぐり寄せて底に接近してみると、稀にだがこういう上物(と、ランターンは信じている)が見つかる。
 野蛮な輩もいない、穏やかな性格の海域のためか、お気楽な面持ちで泳いでいるランターンの様ときたらもうスキだらけである。小言をたれつつも律儀に付き添うサニーゴもまたサニーゴなのだが、ふと思い出したように、
「ねえ、ランターン。エンド、って知ってる?」
 ?
「聞いたことない」
 だよねえ、とサニーゴも生返事気味につぶやいた。
「じゃあさ、この海の世界って、上には何があるのだと思う?」
 ――?
「上にも海でしょ?」
「いやだから、そーじゃなくって。海の終わりよ。左右もそうなんだけど……ずっと、もっとずーっと、上のエリアへ向かって泳ぎ続けたら、海の終わりってものがあるかもしれないじゃない?」
 そんなのあるわけないじゃん。ランターンはにべもなく思う。うまく表現する言語をランターンは持ち合わせていないが、海は海だ。自分たちを包んでくれる優しいこの流れがない世界など存在するものか。この世界の底ですら、まだ誰も完全に把握しきれておらず、それにそもそも、そんなところで生きていけるはずがない。
「じゃあ、『ライズ』は知ってる?」
「精霊さん?」
「あらかわいい名前。そっかそういうスラングもあるのね」
 さすがにライズくらいなら知っている。どこの場所の底でもいい、岩などを揺するなりすると、運が良ければ中から大なり小なりの球体が連なって現れる。精霊さんは恥ずかしがり屋だ。途端に上を目指し続け、体で受け止めようにも掴み所がない。そして触られることが嫌いなので、すぐに分裂して小さくなり、また上へ行ってしまう。チャプターが数えられるはるか昔は、もっとたくさんのライズが発生していたらしい。今ではそれなりに珍しいものとなっていたが、その気になればいくらでも見つけられる。自然と生み出す海草があったりもする。海溝の奥へ進んでみると、休むことなくあふれてくる場所すらあるらしい。
「それがどこまで上に行くのかなって話の延長が、エンド。この海の上の上の上、ライズがいっぱいつまってて、全部つながっちゃってて、もう一つの世界になってたとしたら?」
「わ、ちょっとやめてよ怖い。海がまったくないところなんて、私たち、どうやって暮せばいいの」
 だよねえ、とサニーゴはまたもつぶやく。
「でも、誰かがそう名付けたんだって。海の上を目指した果てには、エンドっていう世界があるって」
「──サニーゴは、信じるの?」
「うーん、微妙。ただ、その奇物ってヤツ。それがエンドからやってきたものって説はちょっと信じるかも。海の産物にしては美的センスに欠けるもの。それならいっそ別の世界からの物って考えたほうが気が楽。とはいえ、仮にその話を頭から信じて上を目指したとしても、水圧差で体がもたないだろーし」
 うえええ、とランターンは暗澹たる気分になり、
「──統率者とか、ウォーヘッドは知ってるのかな」
「それそれ。きっと知ってるはずだよ。で、おそらくあたしたちのようなエリア41以下に住んでる者たちには知られちゃまずいネタ」
「えっ」
「ライズのこと精霊さんって言ったでしょ? つまり名前を伏せるべきという理由がある。誰に? つまり統率者に。どうして? きっとすごくヤバいわけが」
「わあっ、聞きたくない聞きたくない!」
「伏せられるってことは本当ですって言ってるようなものじゃない? もしくは、バレちゃお仕置きされると思ったから事前に伏せたのか、はたまた」
「もうやめてよー!」
 ランターンは辛抱たまらず、提灯でサニーゴのツノをばしばしと叩いた。


 当時の記憶をそのまま語れる歌い手は、昔のあまり、もう存在しない。
 ある調査では、状況を逆算して、海域15で始まったとしている。
 それが現在の文明の始まりかといえば、識者の数だけ意見は分かれるし、そもそも考えること自体が無意味なことだと結論づける者も決して少なくはない。今をそのまま生きているランターンたちには詳しくは通告されない、『何者か』との戦いが刻まれ続け、チャプターは50をこえる。この戦いに反撃することを決意し、大規模な撃退組織を作ったのが、海の世界を統べる『統率者』たちだった。精鋭の戦士『ウォーヘッド』たちを駆り立て、何も知らない自分たちには何も知らなくていいままの宣告をした。その実は、体勢を立て直す時間としてチャプター3回分を屈辱的にも消費してしまい、それは正式な勘定には含まれない。いわば、『やられっぱなしのチャプター3』が続いた後、ようやっと『正史であるチャプター56』が並んでいる。これは誰でも知っている。
 しかしその他に至って、例えば敵の具体的な正体などを、統率者たちはまったく知らせない。現在もなお想像するしか他はないというのが事実。
 また、形式的な指揮を委ねるにあたって、安全を約束された側である『その他大勢』も、ウォーヘッドたちの犠牲に改めて異議を唱えたりしない。
 知ることは、死ぬことと同義である。
 日常を脅かされる存在の名を知ることが、怖いのだ。
 与り知らぬ事情を切り離し、かなたへ追いやることが、出来るあがきというものだった。対するウォーヘッドは、統率者同様、エリア41以下の者たちに上昇してくることや接触を禁止し、どこかで生きている。生まれたときから死ぬその瞬間まで一つの運命を背負っている。何も伝えず残さず、海の藻屑となって散ってゆく。常に高いエリアを駆け巡り、水圧差にも懸命に耐え、死に場所を探す生のなれ果てのように戦い続けている。


 ランターンの取り乱しようがよほど面白かったらしい。慎みに欠ける笑い声でサニーゴが遁走したため、ランターンは気を取り直して本日の2回戦目に挑む。
 いまだ小さく引っかかるものは否定できないものの、やはり信じられない。
 海の終わりとは何か。
 先程の与太話、ランターンにも二つこころあたりがあった。
 ひとつは、自分たちが暮らす場所を示す、海域・エリアのことだ。
 海の上層を目指せば、50、49、48と数値は減少していく。逆に下を目指せば、60、61、62と限りなく上がってゆく。東西南北へ移動すれば、海域が変わる。普段の生活圏としているエリアの水圧になれてしまうと、あまり極端な移動ができなくなってしまうが、きっと海はどこまでも上下に続いていると思っていた。海域とエリアを確認するためには、適当なレンジでパルスを発すればいい。そこに住む者が応答するのがマナーなのだから。あまり元気よく訊ねてしまうと、頭が割れそうなほど一斉に返事が来てしまうから、なかなかこれが難しい。あのときはあえて黙っていたが、エリアの数値が0になったとき、どうなってしまうのか。本当に、海の果てへとたどり着いてしまうのか。想像つかない。
 そしてふたつ、奇物のことだ。ほんの数度だが、落下中のそれをリアルタイムで発見したことがある。海流にあおられて来たのかも、と当時は思っていたが、エンドの説があるならそちらも納得できなくはない。生物にしろ固形物にしろ、抵抗することなく静止した物は下へ落ちる。
 奇物とはどこから発生するのか。
 難しく考えれば考えるほど、集中力が削がれて理想の周波数が整わない。
 自身に喝をくれてやるつもりで気持ちを一新し、頭のマッピングを切り替える。
 もちろんだが、奇物という名称はランターンが名付け親ではない。サニーゴでもないし、ジーランスでもない。統率者が、この世のものとはかけ離れた、得体のしれぬものという線引のもとで下した諱(いみな)でしかない。ランターンが集めているそれらは――パルスや触感で察するに――水圧の働きで原型をとどめていないらしいものが大半だった。そのあたりはジーランスの頭を借りただけであるが、それでもランターンの目には、なかなかどうして、愉快そうに映るものだった。よく分からない硬い成分で筒や、ヒビの入った球体。ミロカロスの鱗よりも複雑な色合い。どういう経緯でできたものなのか、なんのために存在するのか。本質まで知りたいという好奇心はもちろんあるし、想像をふくらませるのもまた楽しかったりする。母にたしなめられようが、サニーゴに呆れられようが、他のポケモンに苦笑いされようが気にしない。海藻やサンゴとかが砂をかぶってるだけの「ひっかけ」には幾度と食わされてきた。有毒の海草をうっかり触ってしまったこともある。あのときはさすがにやばかった。海域35にまで聞こえそうなほどこっぴどく叱られた。それでもランターンはこれっぽっちもこたえずめげず、今日も宝探しに勤しむ。
 海域は47。その場所の底は、エリア82。つまり、海域47・エリア82。
 確認後、地面へ向けて、ターゲットパルスを出す。めぼしいものが見つかったら、持ち帰っていつもの場所に保管。時々眺めてみる。これが楽しみで生きていると言ってもいい。サニーゴも他のみんなもあっと驚くような奇物を見つけてしまえば、誰も頭があがらないだろう。そうなればこっちのものだ。他の奇物たちにも再注目せざるを得なくなる。いつしか自分の集めたものを見たいがために、大勢のポケモンがやってくる。賑やかになる。そんな夢物語をいつか奇物とともに掘り出してやろうと、楽天的にも独りで忍び笑いしていた。
 今日は、そんなすごい発見があるかもしれないのだ。
 この種の予感にはいくらの価値もない。極端な話、「すごい発見があるかも」は「すごい発見をしよう」も同然で、毎回毎回こんなことを呪文のように唱えているランターンにとってはなおさらありがたみの薄いものだ、
 が。
 熱意が強かろう低かろうが、それは実際の「すごい発見」の可能性を少しも減らすものでもない。
 肝要なのは、後々付随される結果である。
 今度ばかりは、良くも悪くも大きく違った。

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