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Renatus

作者:漂白剤

 かつて、この世界にはポケモンと人間、双方の血を持つ者が多かった。人間と結婚したポケモンや、ポケモンと結婚した人間が多くいたからだ。当時はどちらも同じ存在だったため、どちらと結婚しても特段珍しいことでもなかったという。
 一体誰が最初にそう言い出したのだったか。時が経つにつれポケモンと人間が結婚することは異端と認識され始め、双方の血を持つ者はだんだんと姿を消していった。
 自ら深い山奥へ姿を隠す者、無差別に行われた化け物狩りによって命を落とす者。姿を消した理由や方法は星の数ほどあったものの、千年彗星が最初の飛来をする頃にはその姿を見る者はポケモンであろうと人であろうといなくなっていた。
 しかし、彼ら自身はいなくなったとしてもその血を継ぐ者は残っていた。彼らはその事実を知ってはいたが、既に定着した認識から自らに害が及ぶのを恐れ拒絶した。
 見た目で明らかにそれとわかる者は定期的に行われていた化け物狩りで、見た目は同じでも何かがきっかけで疑われた者は化け物裁判で命を落としていったが、そうではない者は拒絶に成功した。
 当事者達が落命と拒絶を繰り返しているうちに千年彗星は二度目の飛来を果たし、いつの間にか人間は人間、ポケモンはポケモンという考えが世界に浸透していく。かつて当たり前だった事実は虚構とされ、図書館の片隅にひっそりとその存在を置くようになっていった。

∞ ∞ ∞

 いつからか、何がきっかけだったか。ある時から人間だった頃の記憶を持ち人語を操るポケモン、ポケモンだった頃の記憶を持ちその技を操る人間が姿を現し始める。彼らは前世の記憶を持っていることから「レナトス」と呼ばれた。
 人間の記憶を持つポケモンは成長するにつれて生まれた者の記憶を前世の記憶が壊していき、あるタイミングで自我すらも前世のものになる。ポケモンの記憶を持つ人間は通常ではあり得ない力を宿していることにより身体に大きな影響を与え、精神の分裂や自我の消失が起こる。
 それらは普通に生きる者達からすると、ただただ異質としか言えない。身体が体内から異物を排除するかの如く、レナトスは人間からもポケモンからも忌み嫌われる存在となっていった。
 呼び名が与えられる前の彼らも見た目や性質などから苦労したが、それはレナトスであっても変わらない。
 ポケモンの方は人間だった頃の記憶のせいかバトルをしたがらない者や、本来は四足歩行なのに二足歩行をする者などがいた。人間の方はポケモンの血が強く影響しているのか、体のどこかにそのポケモンの特徴が出る者や、髪や目の色がそのポケモンのものと似た配色になる者などがいた。
 ポケモンに関しては種族や性格もあるので見逃されることが多く、本格的にバレない限り大した問題にはならなかった。問題は人間の方だ。彼らの特徴は親からの遺伝を完全に無視したものが多く、それらは家族仲の拗れやいじめの原因となった。
 髪色や目の色を自在に変えられ、コスプレとして本来とは違う特徴を持っていても許される時代になったとはいえ、後からなったのと元からそうだったのでは話が違う。昔のような化け物狩りや化け物裁判こそなかったものの、レナトスと判明した子ども達は総じて存在を隠されたり施設に預けられたり、生まれた直後に捨てられたりした。
 平等を叫ぶ者達によって待遇の改善が何度も求められ、虚構にされた事実すらも持ち出して認識を改める呼びかけがされた。
 しかし、そうした活動も無意識の底にまで張り巡らされた認識が覆るには力及ばず、彼が過ごした時代の中でレナトスの待遇が変わったことは一度たりともなかったという。

∞ ∞ ∞

 時は過ぎ、千年彗星が三度目の飛来をした直後のこと。山奥の今にも潰れそうな廃屋で一人の青年が目を覚ました。肩に届く長さの茶髪は光に当たると赤く染まり、隙間から覗く耳は人の範疇を超える色と形をしていた。
 陽光にうっすらと細められた目は黒にも茶にも見え、分かれた尾こそなかったもののその姿はロコンとよく似ている。

「――どこだ、ここ」

 寝起きでやや掠れた声は当人以外の耳に届くことなく虚空に溶ける。周囲に誰もいない事実に青年が思わず舌打ちをし、ここにくる前は何をしていたか思い出そうとする。
 思い出そうとして、記憶の層を掘り返し続けて。掘るべき層の中身がほとんど存在しないことを知って呆然とした。自分の名前がタバサであること。自分が普通の人間とは違い、レナトスと呼ばれる存在であることは覚えている。
 逆に言うと、それ以外は何も覚えていない。どうしてここにいたのか。今までどうやって暮らしてきたのか。……前世の自分はどう過ごし、どういう終わりを迎えたのか。それらの記憶が綺麗さっぱりなくなっている。下手な漂白剤よりもまっ白だ。
 思わず頭を抱えたくなったが、記憶がない以上そんなことをしても意味はない。廃屋はいつ潰れてもおかしくないし、さっさと出よう。青年――タバサはそんなことを考えつつ、ほとんど役目を果していない扉に手をかけた。

「!」

 扉が開くか開かないか。その僅かな時間に異形の耳がかすかな音を捉え、反射的に身体を伏せる。直後に頭上を「何か」が空気ごと貫いていく音が聞こえた。鋭い目で音源を睨み、扉を蹴り飛ばすと木々の隙間から武装した人々が姿を現した。
 手には鈍い光を放つ物体――銃が握られている。僅かに煙が上がっているところを見ると撃ってきたのは間違いなく彼らだろう。

(嘘だろ、人と違うからといってここまでするか!?)
 
 タバサは覚えていないが、今の時代では化け物狩りも化け物裁判も至極当たり前のものとなっている。普通の人々にとってレナトスは見かけ次第「ここまで」しても許される存在になっていたのだ。
 どちらも一昔前は古い慣習、あり得ない行動と言われていたが、時代は巡る。長い時間が過ぎるうちにいつの間にか双方ともに復活し、レナトスを精神的にも物理的にも追い詰めていた。
 おいおい、と焦りを零しながらタバサは最善の行動を考える。躊躇う素振りすら見せず銃を撃ってくる集団に対し、話し合いの余地は感じられない。仮にこちらから話し合いを持ちかけたとしても無視され、気付いたらミツハニーの巣になっているだろう。
 レナトスは人間、またはポケモンの記憶を持ってはいるがベースはあくまでもポケモンや人間。技を使えるからとタバサが飛び出しても技が出る前にやられてはどうしようもない。そもそもあの銃相手では、仮にタバサがポケモンのままだとしても危険だ。
 それに、今いる場所は森だ。この環境はタバサにとってよすぎる。いや、この場合は悪すぎると言った方がいいか。薄っぺらい記憶を辿ると、ポケモンのレナトスらしく技を扱うことはできる。
 しかし、タバサの前世――ロコンはほのおタイプ。ほのおはくさに強い。この場所にどれだけのポケモンが住んでいるのか今のタバサには思い出せないが、相手を燃やして山も燃やしたとなればレナトスじゃなくてもまずいことになる。それくらいは記憶がほとんどない状態でも理解できた。
 だからといって、大人しくミツハニーの巣になるつもりは微塵もないが。

∞ ∞ ∞

 空気の叫ぶ音が耳に突き刺さる。覚えきれないほど聞いた音を他所に、タバサはどこまで続くのかもわからない山中を走り抜けていた。直感でやや右にずれた瞬間、頬に熱と痛みを感じる。

(ちっ、掠ったか。俺じゃなくて、あいつらが本当の化け物なんじゃないのか? あれからどれだけ走ったと思っているんだよ!?)

 額に汗をかきつつ、ちらりと後方を確認するとずっと前から変わらない光景――例の集団がぞろぞろと追ってくる姿が目に入る。身軽な自身とは違い、彼らは武装している。すぐに撒けるだろうという考えは幸せなマホイップのクリームよりも甘かったらしい。
 走り続けていると突然ふ、と移動速度が落ちることがある。その度に身体の力を抜き、速度を上げる。逃走を選択した時からずっと使っている技、こうそくいどうだ。誰に覚えさせて貰ったかは思い出せないが、今は感謝しかない。
 ずっと使い続けてきたせいで、そろそろこれも使えなくなると本能が告げる。しかし、ここで惜しがってやられていては目も当てられない。
 他の技でどうにかしようにも、囮にしていたかげぶんしんは使い過ぎてもう出せない。かえんほうしゃは加減ができず大事になる予感しかない。じんつうりきも相手を怯ませる前に最悪脳か何かを破壊するイメージしか湧かない。
 こちらの命が危ないのに相手の心配をしている場合ではないのは百も承知だが、ここで彼らをひんしにしたらタバサは躊躇いもなく相手を害す存在――本物の化け物になる。それは何としてでも避けたい事態だった。

「っ!」

 遂に速度を上げることができなくなり、どんどんと距離を詰められていく気配がする。ここはもう身体が覚えていて加減ができる可能性に賭けるしかない。
 振り向きざまに技を放とうとした時、

「――は?」

 タバサを除く全てが凍り付いた。木々も地面も氷に覆われ、吐く息は白く色づいていく。突然の寒さに思わず身体を震わせると、氷の隙間から一匹のキュウコンが姿を現した。

「君、追われていたみたいだけど大丈夫? 怪我は?」

 開かれた口から出たのはポケモンではなく人間の言葉。自力で習得したという可能性もなくはないが、タバサの脳裏に過った答えは一つだけだった。キュウコンの質問に答えつつ、一つの問いを投げかける。

「なあ、お前もレナトスなのか?」

 キュウコンは群青色の目をきょとりと丸くした後、少し困ったような顔をする。しかし、否定はしない。それが何よりの答えだった。そもそも普通に位置する存在なら、追われているタバサを助けようともしなかっただろう。

「確かに、僕には前世の記憶がある。ま、覚えているのは名前と自分がレナトスであることくらいなんだけどね」

 今度はタバサが目を丸くする。タイプこそ違えど進化前と進化後。似ているところがあると思ってはいたが、こんなところも似ているとは。思わぬところで仲間が増えたようで感動していると、反応が気になったらしいキュウコンが尋ねるような視線を向けてくる。
 彼には話してもいいと思ったタバサは事情説明と互いの自己紹介をしつつ、キュウコン――シリウスと共に山を抜けた。
 抜ける際、例の集団も漏れなく全員氷漬けになっているのを見かけた。敵は敵だがここで凍死されても寝覚めが悪い。反撃されない範囲で助けようとしたが、シリウス曰く彼らも「対策」をしているからこれくらいでは死なないらしい。
 何だその対策は、と思いつつそれならとタバサは彼らを放置することにした。本当なら安全のために武器を回収、破壊しておきたかったが氷漬けにされても死なない集団だ。恐らく武器にも相応の対策がされていると予想し、これも放置しておいた。

「全く、これじゃどっちが『化け物』なのかわからねえな」

 先ほどから思っていたことをつい零すと、「確かに」と同意の声が返ってくる。それが無性に嬉しくて、タバサは何だか泣きそうになった。

∞ ∞ ∞

 人気のない道に二つの影が伸びる。一つはロコンに似た青年の、もう一つはキュウコンの。似ているようで正反対な彼らは、目的もなくただ歩みを進ませる。旅の相棒でも何でもない。ただ、色々と似ているから同じ方向に進んでいるだけ。そう言い出したのは、果たしてどちらだったか。
 だが彼らにとって、どちらが言い出したかは関係ない。一人と一匹の関係は、今はそれくらいがちょうどよいのだから。
 何故生まれ変わったのか。どうして記憶がないのか。その理由はまだ、誰にもわからない。

 これは、自分の「最期」を探す物語。

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