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殺人鬼の告白

作者:b接点

 女は怯えていた。
 アパートのドアが殴りつけられ、重苦しい音を立てる。怖くて無視をすると、また殴られる。ドアが壊れそうだ。怒号も響く。女は耳を塞ぎ、ベッドの上で布団に包まった。それでもドアを殴られる音は、女の身体に響く。にぶい音が増えた。ピンと張りつめた心を直接握られ、いつ破裂してもおかしくない恐怖に襲われる。布団に包まって耳を塞いでいるのも、すぐに限界が来る。
 どれだけ堪えても、今日は帰ってくれない。
 女はそれを察していた。いつものように、無視を決め込むだけでは切り抜けられない。じっとしていてもただ恐怖が増すばかり。ガンガン、とドアを殴られ、「おい! いるのは分かってんだよ!」と張り上げた声。包まっているだけでは、もう、どうしようもない。
 殴る音が強くなった。人間のものとは思えない。ポケモンまで使って、本当にドアを破る気なのか。
 もう、耐えられなかった。
 気付けば飛び起きて、すっぴんで、髪もぼさぼさのまま、スウェット姿で、モンスターボールを引っ掴んで、窓を開け放つ。暗い。もう、明るい光の差し込む朝は来ないだろう。暗い暗い夜を前にして、ゴクりと唾を飲み込む。下をちらと確認して、女は自室二階のベランダから飛び降りた。
 アパートの敷地が土だったから軽傷で済んだのか、恐怖で感覚を失っているからか、何にしても痛むはずの素足を女は飛ばす。春先でまだ肌寒いが、そんなものは問題ではない。息は上がっても足は止まらない。後ろを振り返る余裕もない。いくつ街灯を通過したか分からない。とにかく人のいるところへ行けばなんとかなるのかもしれないが、わずかに残っていた女の羞恥心と、どうしても変えられない見栄っ張りな性格が邪魔をした。人気のない、けれども隠れられそうなところを探す。隠れたって、今日だけ逃げられたってどうしようもない。女がそれを一番良く分かっているはずだった。それでも足を止められない。捕まったら、身ぐるみを剥がされるだけでは済まないだろう。走って走って走って、女は公園にたどり着いた。カントーでも一番の大きさを誇る公園だ。夜は人が少ない。この中に隠れればそうそう見つからないだろう。迷わず公園内に入り、より暗く隠れられそうな場所を探した。
 公園内を大きくぐるりと回る、ジョギングコース周辺は明かりがある。まだ走っている人がいる。さらに奥へ。公園内の林へ入っていく。光が遠い。暗闇が濃くなる。ここが一番暗いだろうと思われるところで、女は木に寄りかかってしゃがみこんだ。
 何故こんなことに。こんなはずじゃなかったのに。両手で握りこんだモンスターボールは、静かで、何も答えてくれない。
 


 女は、見栄っ張りな自分を理解していた。友人から見て、できる、強い女でありたかった。
 カントーの名門、タマムシ大学に入学した女は、友人たちの優秀さに劣等感を感じていた。それまで勉学においては自分が頂点だったのに、入れば凡百な人間なのだと気付かされた。勉学だけにとどまらず、ポケモンバトルまでうまい友人も多くいた。気付いているのに認められず、どうしようもなく悔しくて、どうにかして自分を高い位置におかないと気が済まない。
 のっぽで真面目なゼミ長が開催する、親睦を深めるためのささやかなバトル交流会で、良いところを見せようと女は思った。自分のパートナーであるニャースは、小さい頃から一緒にいるが、バトル向きではない。なんとかそこで活躍したい女は、アパートまでの帰路、暗い路地に落ちていて、街灯に照らされた一枚のチラシを見た。

 ”ポケモン、レンタルします”

 そんなサービスが流行り始めているのを、女は知っていた。強いポケモンを借りれば、交流会で良いところを見せられる。欲望に忠実だった。ただ、有名な会社のサービスを使って、バレた時のことを考えると怖い。そんな女の前に現れた一枚のチラシ。よれて汚れが目立つそれを拾い上げると、

「やめた方が良い」

 通りかかった男に声を掛けられた。大柄で、顎ひげを蓄えている。ドブ色のロングコートが怪しさを助長する。男は手のひらを上にして、にゅっと女に向かって伸ばした。チラシを寄越せ。そう言っている。客観的に見れば、怪しげな男が手を出そうとしているように見えるが、女は良いところを見せるチャンスを、潰されそうになっていると思った。チラシを一度折り曲げ、手にしっかり握った女は、無視して歩き出す。後ろから付いて来る様子はない。

「駄目だよ、そこからレンタルしたら」

 見栄を張り、自分を大きく見せたい女に、その声は届かない。

 チラシに載っている番号へ電話を掛けると、女性の受付が出た。レンタルしたい旨を伝え料金を聞くと、簡潔に答えが返って来た。レンタルする上で、身分証明書のコピーと、細かい注意事項の読み合わせ、同意書へのサイン等が必要だった。すぐに全て了承し、レンタル会社へ行く日取りを決める。来てほしいと言われた住所は、チラシに書いてある場所とは異なっていたが、女は何も怪しまず、当日指定された場所へ向かった。

 会社はタマムシの中心街から外れた雑居ビルの四階だった。簡素なパーティションで区切られた席に案内され、快活な女性スタッフが応対する。レンタルの期間と、ポケモンの種類によって異なる料金設定を説明され、注意事項を読み合わせる。詳細で細かい字が並んだ同意書は、最初の一行だけ読んでサインした。女がレンタルを決めたポケモンは、リングマ。
 かわいいポケモンだけ連れている訳じゃない。強くプライドの高いポケモンもしっかり育てられると、見栄を張るにはピッタリのポケモン。もっと凶暴そうなポケモンは準備に時間がかかるそうで、今日その場に用意があって一番女の眼鏡に適ったのが、リングマだった。

 金を支払いモンスターボールを受け取ってすぐ、女は一般開放されているバトル場へ向かった。リングマの技や特性、性格は説明書に記載されていたので、試したくなった。目が合った男にバトルをふっかけ、リングマを繰り出し、技を叫べばバトルが終わった。確認を終えた女は、すごいすごいと持て囃される自分を想像した。普段ゼミでの立ち位置がいまいちな女は、嬉しくなって、当日が待ち切れない。

 ジョウト地方、チョウジタウン北部にあるいかりの湖へのゼミ旅行。バトル交流会は、その最中に行われた。うかれた仲間たちの前で良いところを見せられる。女は楽しみで仕方がなかった。最初のバトルに名乗りをあげた女は、今までゼミ仲間に見せたことのないリングマを繰り出す。皆が声を上げ、それぞれに騒いだ。女は気を良くし、勢い良く技を叫んだ。リングマは女の声に従って技を出した。腕を横に薙いで、相手のサーナイトを吹っ飛ばした。まだ場が温まっていない、バトル開始直後。女の考えでは、これでバトルに勝利した強い女となり、皆に称賛されるはずだった。だが、リングマはそのままサーナイトを八つ裂きにし、締め上げ、踏みつけ、生命さえ奪おうと暴走する。確認した時は、こんな様子ではなかった。女は焦ってリングマをボールへ戻そうとするも、焦りからか、ボールから出るレーザーポイントが当たらない。当たらなければ戻らない。サーナイトがいよいよ絶命しそうなところで、やっと当たり、リングマはボールへ戻る。
 ただの交流会が、とんでもない流血騒ぎ。女は当然責められ、トレーナーとしての責任を問われた。皆から罵られ、白い目で見られるようになり、立場を失った。サーナイトが一命を取り留めたのだけが、幸いだった。
 めちゃくちゃになったゼミ旅行から戻ると、女はすぐにリングマを返却しにレンタル会社へ向かった。苦情を入れてやろうと顔を赤くして向かったが、女の顔はすぐ真っ青になった。

「レンタルされたポケモンは、暴走するようなポケモンではありませんでした。再び矯正し、躾けるために掛かる金額は、負担いただきます。その間は未返却扱いとなり、延長料金が加算されます」

 詐欺だ、と女はやっと理解した。反論したが、自分がサインした同意書や注意事項にその旨が書かれていた。初めから作成済みだったであろう返済計画を提案され、それをそのまま飲まされた女は、茫然自失のままアパートへ戻った。月々の返済金額は、とても普段のバイト代だけで払えるものではない。仕送りをもらっている実家に、こんな返済まで頼めない。あんなことがあった後では、頼れる仲間はいない。なんとか自分だけで解決したかった女は、不安な毎日を暮らし始める。学校への足は遠のき、授業をサボるようになった。ゼミにも顔を出さなくなった。返済金と、暮らせる程度の金を稼がなければならないので、バイトにたくさん入った。家で怯え、バイトで気を紛らわし、その帰路でまた不安が膨らむ。女の心はみるみる疲弊していった。それに合わせて体調も下降。バイトも多くは入れなくなる。返済の督促状が何枚も届き始めた頃には、女はすっかり参っていた。督促状が届く間が短くなり、やがて取り立て人が家までやって来た。最初は無視してやり過ごしたが、やがて過激なやり方が増えていく。大家からも苦情が来ている。もう、どうすれば良いのか女には分からなかった。



 夜の寒さが身に染みるくらいには、女の頭は冷えて来た。田舎で持て囃されつつ送り出され、期待に応えたかった。がっかりされたくなかった。ただそれだけだった。もともと見栄っ張りだった訳ではなかったはずだ。これが本当の自分なのだとしたら、呆れる他ない。もう、元には戻れない。誰にも彼にもバレるのを覚悟で、警察に駆け込もう。
 そう決意した次の瞬間、暗闇の中で半ば全てを諦めようとした女の腕に、強烈な痛みが走った。驚いて腕を振り回せば、ニョロニョロとした長い生物がくっ付いている。

「よう、手間かけさせんじゃねえよ」

 取り立ての男たちが二人、目の前にいた。その足元には、微かに見えるハブネークの姿があった。女は噛みつかれたのだ。ハブネークはするすると近寄り這い上がって、木と女の首を一緒に締め上げる。殺すな、と声がする。抵抗する力が、どんどん失われていく。ニャースが入ったモンスターボールは、微動だにしない。そのはずだ。変わり果てた女に、呆れているのだろう。しょうもない見栄で、人生を台無しにした。その後悔の念が今更込み上げる。込み上げても、もう、かすり声しか出せず、何も言えず、思考する力すら失って、意識が遠のいて。真っ暗闇なはずなのに、目の前が真っ白になって、ぴりぴりと揺れる視界が広がっていく。今度は真っ白な世界がどんどん黒く染まって、全てが真っ暗になりそうなところで、ふと女の視界が戻った。
 ハブネークが女の首からはずれ、そのまま宙に浮いて、一気に地面へ落下。強烈な衝撃にくぐもった鳴き声を上げる。取り立ての男たちは、攻撃の元を察知してそちらへ向かってボールを構える。
 暗い暗いその先を、背の高い方の男がライトで照らす。一体何がいるのか。意識がまだ覚束ないながらも、女はライトの先へ首を向ける。

「四方山! 何でこんなところに!」

 男たちは狼狽える。
 ライトが当たった先には、額がキラリと光ったエーフィが立っていた。その後ろには、いつか会ったドブ色のロングコートを着た中年男の姿が。

「そこの嬢ちゃんに用があるんだ。外せ」

 しゃがれた、渋い声。四方山と呼ばれた中年は、取り立ての男たちを前に一歩も引かない。

「てめえ、俺たちの邪魔をしようってのか?」
「下っ端が騒ぐな。いいから外せ」
「あ、あんまり舐めてんじゃねえぞ、邪魔するってんなら分かってんだろうな!」
「今はフダもガサ状も取って来れねえ代わりに、上の縛りがねえ。お前ら、俺とやる気か?」

 ドブ色ロングコート、四方山の威圧感は、女から見ても明らか。どう見ても格上。相手にならないのが、雰囲気で分かる。

「く、くそ!」

 二、三歩後ずさってハブネークをボールに戻すと、そのまま男たちは走り去っていく。代わりに、草木を踏んで目の前まで四方山とエーフィが近づいて来た。
 一体何者なのだろう。女には誰だか分からないが、お礼を言わなければならない。

「大丈夫だ。まだ、引き返せる」

 その言葉を聞けた安心感からか、体に毒が回っただけか、女の意識は遠のいていく。

(ありがとう、ございます)
「おいおい寝るなよ。運ぶの、俺なんだから」

 声にはならず、女は意識を失った。

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