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ナイトメアの理由 第一話「終わらせるみちを始めましょう」

作者:ごるだっくん

「トモヒ、起きなさい。トモヒ」
 母さんの声。まだまどろみの中にいる僕の背にそっと触れるあたたかな手。意識のフォーカスが少しずつ合ってくる。
 そうだ。今日は町の博士にポケモンを貰いに行く日だった。ゆうべ遅くまで漫画を読んでいたせいでまだ眠い。でも、ずっと夢見ていた日だから、早く起きなきゃ……。
「見て見て。母さんがポケモンを貰ってきてあげたわよ」

 は?

「なんで?」
 僕はベッドから跳ね起きた。
「なんでって、あなた今日博士のところに行く約束をしてたでしょう?」
「いやだからなんで母さんが」
「やあねえ、自分のになんてしないわよ。あなたのポケモンだもの」
「だーかーらー! なんで勝手に!? なんで僕に選ばせてくれなかったの!?」
 怒りで沸き立つ僕に、母さんはのほほんと、少し宙に視線を浮かせながら言った。
「だって、削るところは削らないと収まりきらないものねえ」
 ??? 言ってる言葉はわかるのに、意味が全然わからずフリーズしてしまう。
「まあまあ、素敵な子を選んできてあげたから。トモヒなら絶対に気に入るわよ」
 そう言って母さんが、手にしたモンスターボールをぽんと放り投げた。中から光をまとって現れた姿は――あれなんかでかいなこれみるみる光が膨らんでいってああやばい部屋に収まりきらないよもうあー天井があー床もあー全部あー。

 さっきまで家だった瓦礫の中、空へとそびえる緑の巨体を見上げて母さんは不敵に笑った。
「紹介するわ、テッカグヤよ」
「……はは」

 博士、母は一体いかなる手段でこれを貰ってきたのでしょうか。

      *

「息子のポケモンが大きすぎるせいで家が崩壊しました」
「ああそれはねえ、君がいけないねえ、やっぱり大きすぎるとねえ。そんな子は旅に出てしまいなさい」
「トモヒ。警察の方もこう仰っていることだし、そんな子はそうしてしまいなさいね」
「そりゃそうじゃ」
 なんか色々言いたいことがありすぎて逆にどうでも良くなってきた。どのみち博士からポケモンを貰ったら旅に出る予定だったわけだし。ところで今「そりゃそうじゃ」って言ったのがその博士だ。もう居なくなった。
「茨の道を行くあなたに何もできないお母さんを許してね。せめて、少ないけどこれを……」
 母さんが両手で掬うようにして渡してくれたのは、大量のコイン……じゃなくて大量の金属製のワッシャー。どうしてかピッカピカに磨きあげられて、外周が刃物みたいに研がれている。というかほぼ刃物。なにこれめちゃくちゃ指とか切れそう。怖いからとりあえずリュックに放り込んどこう、次の金属ごみの日くらいまで。
「じゃあ、行ってきます」
 旅立ちの空は、くもりぞら。

      *

 町を離れ、草木豊かな街道をテッカグヤを連れて歩く。
「かわいい!」「大きい!」
 あちらこちらからテッカグヤに歓声が上がる。その度にテッカグヤは照れた様子で腕からガスを噴射して辺り一面を焼き払ってしまう。度を越した照れ屋で秩序がやばい。危ないからボールにしまっておこうと――思ったけれど、リュックに手を突っ込むなり、剥き出しで詰めこまれた無数のワッシャーで指を切った。うわあ血が出てる、なんて罠だ。
「おやボウヤ、怪我してるじゃあないか。……ふむ、これはワッシャー傷。放っておくと取り返しがつかなくなることうけあいだぜ」
 いつの間にか背後から現れた黒ずくめのお兄さんが僕の手を取って言った。うけあいは嫌だ、と涙をにじませていると、お兄さんは「いい薬があるぜ」と自分のショルダーバッグを探りはじめた。僕は直感した。このお兄さんはきっと、昔読んだおとぎ話に書かれていた「おおざらのりょうりをきちんとにんずうぶんとりわけてくれるタイプ」だと。
「これだ。これで、よし」
 お兄さんは、何らかの木の実を何らかに漬けこんで何らかの手段で細切れにしたようなものを慣れた手つきで僕のこめかみに貼り付けた。ちゃんと両方のこめかみに貼ってくれるなんて、やっぱりこの人は素晴らしい黒ずくめだ。そう思った僕は熱病に浮かされていたのだと思う。……まさしく相手の思惑どおりに。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「フ……ボウヤ、この世は等価交換だ。これからキミは、助かった命相応のものをオレに差し出さなきゃあいけないんだぜ。こめかみに二つ……ダブルテンプルでざっと三十億万円」
「ダブルテンプルで三十億万円!?」
 あわてて財布を見てみたが一億万円しか入っていない。そんなべらぼうな金額……。
「どうした? 払えないんなら――死んでもらうしかないな」
 不意にお兄さんから放たれた強大なプレッシャーに僕は思わず何歩も後ずさった。その拍子に、こめかみに貼りつけられた何らかの木の実のようなものが無残にも地面へと落ちる。途端、僕の意識は一気に現実へと還った。
「だましたな! そんな黒い格好して……!」
「黒に罪はない。罪深きは代償を払えないオマエ……。そしてこれが、オレから与える罰、だぜ!」
 お兄さん、いや、黒ずくめの男がモンスターボールを放ち繰り出したのはサザンドラ。三つの頭を持つにしてもぎりぎりドードリオぐらいの感じかと思っていた僕は面食らい、相手の殺意が本気であることを悟った。やらなきゃ、やられる。
「テッカグヤ!」
 振り向いて、愕然とした。
 テッカグヤが怯えている。十メートル近い巨体をふらふらさせて、ぶるぶる震えている。人間で言えば完全に腰が引けちゃってる状態だ。
「嘘でしょ……」
「ハッ! この世に弱者の居られる場所なんて無いんだぜ! くらえ、『ダメおし』!」
 男のわざのチョイスがそれで良かったのか若干引っかかったものの、サザンドラは圧倒的な殺気を放って――テッカグヤではなく、僕目がけて一直線に襲い来る。だめだ、終わってしまう。漫画とかで言えば第一話でもう……。
 きらめく磨き抜かれたワッシャーの走馬灯が見えた。その時、何か大きな影が僕の視界を塞ぐように飛び込んできた。
「ぐわあーーー!!」
「!? おじさん……!?」
 サザンドラの凶悪な攻撃から僕を庇ったのは、僕に旅に出ろと言った警官のおじさんだった。何とかしなきゃ――極限状態で思考が高速回転する。思わぬ介入で男もサザンドラも面食らっている、この隙に僕はリュックを手探った。
 縋った先はさっきの走馬灯。僕はワッシャーを勢いよく掴み取り、思いきりサザンドラに投げつけた。
「ぐわあーーー!!」
 今のは巻き添えを食らったおじさんの声だ。冷静に考えたらこんなもんがサザンドラに効くとは思えないけれど、今は冷静になっちゃいけない。何度も何度も、指が血まみれになるのも構わず僕はワッシャーを掴んでは投げつける。
 とうとう投げるワッシャーが尽きかけた時、無機質な鳴き声が耳をつんざいた。
「テッカグヤ……!」
 僕のすがたを見て勇気を奮い起こしてくれたのかはわからないが、テッカグヤが筒状の両腕を大砲のように真っ直ぐ構える。すぐに砲口へ光のエネルギーが密集して……あ、これ僕もやばいやつ。
 
 次の瞬間、テッカグヤの両腕から強烈なエネルギー弾が放たれた。閃光。爆発音。
「ぐわあーーー!!」

      *

「う……」
 今度は僕が警官のおじさんを庇うかたちで地面に突っ伏して、ひとまず僕は無事のようだった。辺りの様子は……ああ、きれいさっぱり。テッカグヤは自分のせいじゃないもんとばかりにそっぽを向いている。さっきからそこらじゅう焼き払ってただろうが。
「おじさん、しっかり」
「うぅ……。偉大なる母の愛……しっかりと見せてもらったよ」
 この状況、そのまとめかたで合ってる?
「俺はもう――助からんようだ。最後にひとつ、君に言っておきたいことがある」
「そんな、おじさん……!」
「君は本当は俺の子じゃないんだ」
 知っています。
「だが君を、この手でここまで立派に育ててこれて本当に良かった……」
 ええ、つい先ほどはじめましてでしたが。……って、まずい。このままこの人を死なせたら、まるで三話目あたりの山場みたいな空気を作られてしまいそうな気がする。だってまだ第一話――いや、なんだろうこれ。なんだかすごく混乱している。
 青ざめて動かないおじさんの顔をどこか遠いよそごとのように見ていると、爆発でボロボロになった男とサザンドラが覚束ない様子で近づいてきた。
「これが人の絆……」
 そのまとめかたも違う。
「オレにもそんなものがあれば、もっと違う生き方が出来ていたかもしれない……」
 待って。お兄さん泣いてる? あーあー、これはきっと大変な話の蓋が開いてしまった。指の止血しながら聞いてて大丈夫かな。
「でも……今更戻れないぜ。オレはこの手を血に染めて組織の幹部にまで昇りつめた男……」
 そんなにまで昇りつめた男なら最初に出会う鳥ポケモンみたいなノリで出てきてこちらの手まで血に染めないでほしい。己の境遇を呪いながらさめざめと泣く男。と、そんな男にサザンドラが小さく呼びかける。右の頭に何かくわえていて――男はそれを受け取るなり目を丸くした。
「これは……! オレ達が出会った日の……そうかお前、今までこれを大事に」
 え、どうしよう普通に輪ゴムにしか見えないそれ。
「この輪ゴムがオレ達の始まり。どうして忘れていたんだ……」
 輪ゴムで合ってた。
「――わかった。ボウヤ、オレはお前の旅に付いていくぜ」
 は?
「一緒に組織を壊滅させよう。ヘッ、とんだ裏切り者になっちまったぜ」
 ならなくていいですけど。
「決意は固まったようね」
 あなたは誰ですか?

 テッカグヤの高い鳴き声が空に響き渡る。刹那、立ち込めていた暗雲が開けて晴れ間が覗いた。祝福だ、と思った。私は相棒のカイリューでトモヒくん達を順番にテッカグヤの肩のところへと導く。そうして今度は私自身がカイリューの背に乗り浮上すると、テッカグヤは再び鳴き声を上げた。巨大な腕と脚の下側にエネルギーが集まる。翔ぶ合図だ。私は心の中でカウントダウンを始めた。このカウントダウンはゼロへと向かうものだけれど、終わりのゼロではない。無限の未来へと繋がるゼロだと私はそう信じている。私はこの先へは付いては行けないけれど、二人なら必ずやり遂げてくれると……。

「せめて語りの主導権は取らないでください」
 ああ、もうとっくに三話目どころの話じゃない。あれこれ考えている暇もなく爆音とともに身体に猛烈なGがかかる。唐突に空へと打ち上がったテッカグヤから振り落とされないよう全身に力を込めてしがみつく。地獄のような感覚だけれどこの道は本当に未来へ続いているのか。僕は、信じるしかない。

 一路、最後の戦いの場、宇宙へと――。

      *

「――ふざけやがって……」
 ベッドで目覚めるなり地獄のような感覚だった。なんだ今の夢は。自分の子供の頃の旅立ちの夢……なのだろうが、「なんだこれは」と言わざるを得ない。あまりにも滅茶苦茶が過ぎる。
 しかも今回が初めてではない。もうここ三年ほど毎日、こんな悪夢が続いていた。
 悪夢――こう言うと多くの人は「そんな大げさな」と反応する。ただの夢ならそうかもしれない。だが、この夢によって自分は、小さき日の思い出そのものを侵食され壊され続けているのだ。出鱈目な夢の出来事だけが止め処なく頭に詰めこまれ、自分が本当はどんな子供時代を過ごしてきたのか、どんな旅をして誰と出会ったのか……自分がどんな人間だったかすら分からなくなっていた。おまけに日に日に内容がぐちゃぐちゃになっている。
「くそっ」
 不意に気が狂いそうになって、髪を、髭を、顔じゅうをありったけ掻きむしる。こうして思い出を壊された生き物を果たして人と呼べるのか。自分はこのさき人として生き続けてゆけるのか。
 キュゥ、という鳴き声とともに一匹のリーフィアが身を寄せてくる。漂う落ち葉に似た香りに心が幾分か安らいだ。
 このリーフィアは自分が小さい頃から連れていたらしいと、記憶でも理屈でもない部分でそう理解している。事実、リーフィアが一度も悪夢に出てきたことがないのも、それが「本物」である証明であるように思う。――今となっては唯一、自分をこの世に繋ぎ止めてくれている存在と言っていい。
 リーフィアの為にも、悪夢を終わらせ思い出を取り戻さなければ。その為に自分は今日から旅に出ると決めていた。
 狙うは一匹のポケモン。この悪夢の元凶となった幻のポケモンだ。過酷な道のりになることは分かっている。だが――絶対にやり遂げてみせる。
「……待ってろよ、ダークライ」

 これは、夢を終わらせる冒険の始まりだ。

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