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ツバキモリ相談処営業録 File1-1

作者:おおぶろしき

 コトブキシティの繁華街に佇むビルの5階、扉の取手に触れようとしたその時、扉の向こうから聞こえたのはあからさまにこちらに聞かせるような調子の声だった。
「性別は女。腰のホルスターに2個のモンスターボールを確認。シンオウで支給されたエリートトレーナー用の制服の上からレディースのコートを着用。靴は○○社の最新モデルのスニーカー、推定24.5センチ。ここに近付くに伴って心拍数の増加を観測、緊張していると推察。身長158センチ、スリーサイズは」
 扉の向こうでとんでもないことを暴露されそうになり、シオリは古ぼけた扉をマクノシタのつっぱりもかくやという勢いで押し開けた。

「何を! 暴露しようとしているんですか!」

 からーん、と扉に付いたベルの音が滑稽に響く。
 その音にちょっと冷静になって、それから「しまった」と思う。
 踏み込んだ先は、静かな雰囲気のバーだった。棚には色とりどりの酒瓶が並び、抑えられた照明の下で存在感を放っている。奥には淡くライトで照らされた水槽があり、何故かハスボーが浮かんでいるのが見えた。話の邪魔にならない絶妙な音量で、落ち着いたジャズが流れている。
 ようは、私はそんな大人の隠れ家的な雰囲気を、たった今ぶち壊しにしたということになる。
 真面目一辺倒に生きてきた自分からすれば(たった今、そんな私らしからぬ行動に出たわけだが)、由々しき事態である。住宅街でハイパーボイスを炸裂させたようなもので、こういう場所に初めて来た身でもマナー違反だということくらいは分かる。最悪出禁になれば、上司からの命令に背くことになってしまうのだ。
 いやあのこれは仕方ないでしょういくら依頼相手だからって身長体重どころかスリーサイズまで大声で明かされそうになるとかたまったものじゃないんですからそうこれは不可抗力です不可抗力ですから仕方ないんですそんなのを口に出して言おうとするのが悪いんです私は悪くないんです、などと言い訳する自分の姿が目に浮かぶが、そんな言い訳が通じる上司なら今こんなに心の中で冷や汗を垂らしてはいない。
 そんな様子を知ってか知らずか、
「いらっしゃいませ、何かお飲みになりますか?」
 声の主は、カウンターでグラスを磨いていたマスターの中年男性だった。細身だが鍛えているようだし、黒のベストは仕立てたようにぴったりだった。大声に全く臆した様子がなく、大人の余裕を感じさせる。しかしそれは先程、乙女の知られたくないところまで述べ上げようとしたのと同じ声の主である。
 詰め寄りたい気持ちを一旦ぐっと堪え、上司から教わった通りの言葉を発する。

「"特別なのを1杯"、お願いします」

 もちろんここには仕事の一環で来たのであって、お酒が目的ではない。
 マスターは、聞いた瞬間はやや驚いたような顔をしたものの、
「……チッ、面倒事増やしやがって。あの小娘の差し金だな」
 次の瞬間には"人当たりの良いバーのマスター"の仮面を脱ぎ捨てていた。化けの皮が剥がれるとはこのことか、と言いたくなるくらい露骨な態度。
 つまり先程のは"符牒"なのだ。
 マスターは眼光鋭くにやりとした笑みを見せ、こちらがたじろぐような凄みのある声で、こう言った。

「"ツバキモリ相談処へようこそ、お客様。ウチは高くつきますよ。"」

 †

 店内は少し湿度が高いようであったが、空調の温度は少し低めに設定してあるらしく、不快感は薄い。
 席に着くと、何かがとてとてとカウンターの上を歩いて来ている。それは、このシンオウ地方では珍しいポケモンだった。
「なぜデデンネが?」
 デデンネはYシャツとベストを着ており、首元のチョーカー以外はマスターとそっくりな装いだった。鳴き声で返事をしながら、器用にポットから液体を注ぐ。どうやらロゼリアの花弁を香りづけに使った紅茶らしい。
 口に含むと、ちょうどいい酸味と渋味のミックスされた、とても落ち着く味がした。美味しい、と呟くと、デデンネは可愛らしい笑みで答える。
 マスターはその間に少し店の外に出て、すぐに戻ってきた。カウンター越しに向き合う形となる。
「先程のはなんなんですか」と詰め寄る。「人のプライバシーをつらつらと」
「他に客もいないからな」ととぼけられる。「辻斬りにでも遭ったと思えばいい」
「そういう問題ではありません!」
「正義の心ってのは厄介だね、攻撃力が上がってやがる」
 やれやれ、といった調子で、マスターは紅茶を口に運ぶ。デデンネはポットを抱え、とてとてと奥へ戻っていった。
 この男、バーのマスターが依頼相手、ツバキモリその人だ。

 気になることがあったらその場で質問すべき、というのは社会人の基本。
「……どうして私のプロフィールを?」
 性別の部分からして扉を開ける前だったのだ。何かあると考えるのが自然だった。
 くく、とツバキモリは笑う。
「いきなり手品のタネを明かせってのは、素直すぎるな」
「はぐらかさないで下さい。はっきり言って不快でした」
 つっけんどんにそう返したとき、ツバキモリはぎろりとした眼光を見せた。

「こっちとしちゃ、そういうレベルじゃねえんだよな」

 覚えずたじろいだ。
 ツバキモリは続ける。
「警察に持っていけばいい話を、わざわざこんなところに持ってくること自体、おかしいと思わなかったか? お嬢ちゃんとは世界が違う。こっちからしちゃ、エリートトレーナーなんて別世界の"余所者"なんざ信用できねえ。そんな相手に"自分の手札を晒せ"なんてのは、それこそ"筋"が通らねえよ」

「それは……」
 言いたいことは理解できた。が、反論はできなかった。
 例えばポケモントレーナー同士のトーナメント戦なら、前の試合で出したポケモンや技の情報を集めて攻略に活かす、というのは常套だ。それは自分と相手の双方が使える手段で、互いにフェアな方法だと認識しているから許される。
 しかし目の前にいるのは、公式試合の対戦相手のような存在ではない。最初から、住んでいる世界が違う。試合のために技量を高める"表"側と、アウトロー然とした"裏"側との間の隔絶。符牒一つで立場は揃わないし、価値観も共有できはしない。
 "とても言いふらすべきじゃない物事"なのか、"たかだか羞恥心を刺激される程度の出来事"なのか。
 "軽い興味本位の対象"なのか、"危機管理のために死守すべき生命線"なのか。
 ねじれの位置にある考え方の軸を、自分の方に曲げてみせるほどの説得力を、ただ頼まれて来ただけのシオリは持ち得なかった。

 押し黙ってしまった私に、ツバキモリは舌打ちを一つ寄越した。
「仕方ねえな……お嬢ちゃんは"蒸散"は知ってるな?」
「え、はい」
「端的に言えば、その水蒸気をセンサーにしてるわけだ」
 カウンターの下からむんずと掴まれて目の前に置かれたのは、タブレット端末と、赤と青のかくかくしたポケモンだった。
「そこの」水槽を指差す。「ハスボーの葉から吐き出された水蒸気に、デデンネが微弱な静電気を纏わせている。このポリゴンが細かく調整して作ったちょっとした磁場を、デデンネが髭で逐一感じ取っている。あのチョーカーは、磁場の変動で生じる脳波をこのポリゴンに送り込んで解析する代物だ。ここに出た情報を見れば、あとは勝手に推察できる」
 タブレットの画面に並んだ情報は大量で、数字と記号の羅列にしか見えなかったが、3Dの立体像が横回転しているのだけはどうにか理解の範疇だった。一応、流体力学とか導電率とか軽い説明はあったが、その辺りは理解できないことだけは理解する。それでも暫く呆気に取られた後、覚えず聞いていた。
「何故そんな面倒な、いえ失礼、手間のかかることを? 監視カメラやエスパータイプのテレパシーを使えば、ひと手間で解決するのではないですか?」
 ツバキモリは一瞬手を止め、目を閉じて紅茶を啜る。

「……"無能"だからさ。エリートトレーナーのお嬢ちゃんには理解できねえだろうよ」

 呟くようにそう言い、ツバキモリは軽く笑って見せた。
 手の内を明かしたことといい、少しでもこちらに歩み寄ってくれているということだろうか。そのために何かした覚えもないが、先程に比べれば心も軽くなる。
「で、今のお嬢ちゃんは時間外労働なのか?」
「はい?」
「いや大したことじゃねえが」
 ツバキモリは意地の悪い笑みを見せ、
「こんな雑談で給料が出るんなら、いいご身分だなと思ってよ」
 前言撤回。
 この紅茶のカップを投げつけてやろうかと一瞬だけ思って、一つだけ溜息をついた。
 どう考えても相容れそうにない、と思った。

 †

 シオリは両手で自分の頬を張り、いつもの調子を取り戻す。依頼相手がどのような人間であれ、本当にどんな人間であっても、任されたことはきちんとこなさなければならない。
「依頼というのは……」
 知らない人はいないだろう大企業、その社長の一人娘が、執拗なストーカーの被害に遭っている、というのが背景だった。
 私立の大学に通うその娘に、ある同級生が無謀にもアタックした。
 お金持ちのお嬢様だ。別に名家の出というわけでもないその同級生など、見る目が肥えてしまった彼女にとっては所詮、熟練トレーナーにとっての201番道路のムックル程度。当然、断られた。
 しかしその同級生は諦めなかった。相手の話を聞くまでもなく断っていた彼女に何度もアプローチし、当然のように撥ね付けられ続けた。
「ははあ、今時の草食系にもその情熱は見習ってほしいね」
「いえ、ストーカーは良くないでしょう……ではなく、話の腰を折らないで下さい」
 2度目以降はもはや眼中にないといった調子だった彼女とて、頻繁にテッカニンが部屋を飛び回っているような鬱陶しさには耐えられなかったようだ。
「バトルで決着、ねえ」
「はい、一騎打ちという形で」
 双方ポケモンを持っていたことから、「勝てば付き合うことを考えてあげなくもないが、負けたら今後一切私に近づくな」という条件で、公開でバトルが催された。
 金に飽かせばブリーダーも雇えるのだから、その娘が負ける道理などなく。完膚なきまでに同級生を叩きのめした。そのうえ、野次馬も大量に詰め寄せている中で、育成がなっていないなどと説教までしたらしいのだ。
「あちゃー……」
「私でも凹むと思います……」
 それ以降、明確なアプローチは音沙汰無しになったものの、常に後をつけられているような視線に脅かされるようになった、と言い始めたということだ。彼女の父親、社長のコネで上司に、上司からシオリに話が回って、今に至る。
「公然と罵倒されりゃあ、目覚ましビンタにもなるだろうがな」
「逆に恨みを募らせてしまった、ということのようですね」
 ツバキモリは、ふう、と煙草の煙を吐き、
「警察からマスコミに漏れりゃ、スキャンダルとしてマスコミに追い回される羽目になりかねん。そんなんじゃ学生生活だってぎくしゃくするだろうし、裏で処理しちまおうってのは妥当な判断なんじゃねえか」
「ともかく、一連の流れは説明の通りです。依頼は、"その男をとっちめて、二度と近づかないよう味わわせて欲しい"ということですが」
「なるほどね。こんな内容だ、警察が動ける段階でもねえ、娘の父親としては事後対応も不満が残るだろう。こっちに持ってきたのは分からんでもない」
 その辺りは上司の判断だ。内容について、それをここに持ってきたことについて、シオリは最初から口を差し挟まないと決めている。
「一応聞いとくが、そりゃあ社長経由の、娘が語った内容ってことだな?」
「え、はい、そうだと思われます」
 へぇ、と誰に言うでもなく呟き、ツバキモリは考え込む仕草を見せた。
 大方伝えるべきことは伝えたので、無言の間は手持ち無沙汰となる。考え込むツバキモリを観察しても、特に得るものはなさそうだった。
 ふと思う。先程、ツバキモリはこの場所のことを"相談処"と言った。このような内容を持ち込むところからして、実質的にここは探偵事務所のようなものなのだろう。
 上司はどうやって、この場所のことを知ったのだろうか。
 どうしてこのツバキモリという男に、この案件を任せてもよいと判断したのだろうか。

「しっかし、」
 ツバキモリはそう言って、やっぱり意地の悪い笑みを見せた。
「いかにも真面目で堅物そうなお嬢ちゃんが、痴情の縺れをどうにかしようだなんて、なかなか傑作だよな!」
 そんなことを神妙な顔で考えていたのか、と言いたくもなったが、私は溜息を一つつくに留めた。
 やっぱりこの男とは相容れないな、と思った。

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