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Graphite Brightness

作者:ナルミ

「あんたって最低のジムリーダーね」
 罵声が頭の中で反芻する。
 自分でも否定出来ないと分かっているからこそ、言い返せなかった。
 オレはなんであんなことを言ってしまったのだろう。挑戦者には等しく夢を見る権利があるはず。それをあろうことか踏みにじるとは。
 不完全燃焼の想いが拳を握らせ、壁に打ち付けられた。


 【  第1話 ジムリーダー失格  】


「シザリガー戦闘不能。エースバーンの勝利。よって勝者――」
 互いの健闘したポケモンが赤い粒子と化し、吸い込まれた。
 勝者を遠巻きに見つめる。はて、この挑戦者、名前はなんだったか。
「――さん、カグラさん!」
 カグラと呼ばれる男は、バッジケースを差し出されていることに気付かなかった。
 フォーマルスーツの男の眼鏡がクイ、と持ち上がる。忙しなくペンが走り出すが、気に留めないよう努める。
 総じてつまらないバトルだった。ありきたりなポケモン、ありきたりな戦法。
 悟られぬように美辞麗句を並べる。無表情だろうと、向こうは勝手にジムリーダーの威厳だと解釈してくれるのだから楽なものだ。
「おめでとう。シオラジムを制覇した証『グラファイトバッジ』だ」
 バッジを取るよう促す。アシンメトリーな円形を、挑戦者はおそるおそる二本指でつまみあげた。
 グラファイトブラック――石墨、黒鉛を示し、鉛筆の針などに用いられる黒色。
 今回は8つ目のチャレンジという申告があったため、ベストメンバーを動員した。
 ジムリーダーは挑戦者のバッジ取得数に応じ、使用ポケモンのレベルを調整する。とはいえ、カグラは弱い挑戦者と戦うほど優しい性格ではないので、バッジ4つ以下は門前払いだ。
「ボク、リーグでいいところまで行けると思いますか!?」
 そんなことは誰にも分からない。対戦カード、コンディション……不確定要素を管理してこそ一流のトレーナーだ。今になってそんなことを尋ねるようでは、結果は知れている。
 などと言葉に表しては暴言もいいところ。彼はひどく無難に済ませた。
「どこまでいけるかは、ポケモンとの頑張り次第だ」
「そうですよね。ありがとうございました!」
 晴れやかな顔で退出する挑戦者は、あらゆる意味で手を抜かれていたとは微塵も思うまい。

「タイヨクリーグか……」
 地方ぐるみでトレーナーを鍛えようとする方策は御立派だが、結果生み出されるのは面白味のない有象無象ばかり。
 カグラとて熱意を持ち、他に例を見ないあくタイプのエキスパートに就任した。しかし、バッジを奪いに来るのはハングリー精神のないトレーナーばかり。
 理想とは違う、事務的に相手をし、バッジを授けるだけの日々。
 しかし挑戦者側は違う。期待を胸にチャンピオンロードを潜る。中途半端な強さを手に入れたがゆえ、自分は何者よりも上に立ったと思いこむ。
 現実はそんなに甘くない。一度や二度の挑戦で結果を残せる者は、ほんの一握りだ。
 育成カリキュラムに慣らされたトレーナーは誰もが何者かになれると信じている。そして、落差に打ちのめされる。
 かつて自分にもそんな頃があったのかどうかさえ、今となっては思い出せない。
 物思いに耽っていると、足を小突かれる。
「なんだよ」
 構って欲しいのか。白地の毛並みをそっと撫でる。
 いつも試合を隣で見ているし、いざという時にはしんがりを務めてもくれる。
 それでもぷいとそっぽを向かれた。最近いつにも増してアブソルは機嫌が悪い。人間でいうところの女性の心とはなかなかに難しいものだ……と、ぼんやり考えていた。

「ジムリーダー・カグラ。貴方のバトル、拝見させて頂きました」

 片手にボード、胸ポケットにペン。ジムリーダーの運営体制に問題点がないかを報告するため、派遣された監察官だ。
「そりゃどうも」
 あえて感じ悪く対応する。
「長話になるようでしたらお茶でも?」
「いえ、この場で結構です」
 審判がやんわりと部屋での対談を勧めるも、一蹴されてしまう。
「カグラさん、貴方の適性は最低評価のFランクです。まず、貴方は全力のバトルをしていない。それでは挑戦者もポテンシャルを発揮しようがありません。バトル後の対応も杜撰で、無礼極まりない。バッジをただ授与すればいいものだと考えていますね? 協会が貴方を何故合格させたか、もう一度お考えになった方がよろしいかと。また、貴方の戦績ですが……敗北が8回。ジムリーダーは5回以上敗北を続ければ協会から監査が入ることを御存知かと思いますが、これは8人目のジムリーダーにふさわしい成績とは到底言えませんね」
 早口にまくしたてる物言いに耳を立てていたアブソルは、不満そうに吼え立てる。
「ポケモンの教育もなっていませんね」
 監察官はやれやれと首を振る。
 カグラは溜息をつき、庇ってくれたアブソルの頭を撫でる。相棒は納得いかない顔を浮かべながらも下を向いて黙りこんだ。
「つまるところ、オレは失格か」
「協会には不誠実な運営体制を報告いたします。後日、シオラジムを閉鎖、リーダー免許を協会に返却する旨、連絡が向かうでしょう。貴方が辞任すれば、受験生候補の枠が空くのですから喜ばしいことです」
「そうかい。せいせいするぜ」
 カグラと監察官の間には険悪な空気が漂うも、審判は何も言い出せない。
 カグラは孤高のトレーナー、弟子も取らない。審判ともビジネスライクな付き合いを好んでいた。それでもこのジムでずっと仕事してきたからには、同僚意識ぐらいある。
 アブソルはずっと灰色のスタジアムを見つめている。
 カグラはこの結末を望んでいた節すらある。監査中にも関わらず優秀なジムリーダーを演じる素振りすら見せなかったのは、本当に仕事への嫌気が差していたに違いない。
「タイヨクリーグ閉幕までは任期を全うして頂きます。招集会議にて、貴方の口から辞任を発表するように」
 情の片鱗も交えず言い放つ。姿勢すら一ミリも崩さない。
 それから予告通りの連絡が来るまで、一日も経たなかった。

 以上の経緯を経て、ジムリーダー・カグラは死んだ。
 シオラジム、かつて最強と謳われた黒光りはもう、色褪せてしまったのだ。
 一週間後、彼はポケモン協会本部まで足を運ぶ。リーグ準備に伴う熱気をひたすら無視して、まっすぐ会議室に進む。両手をポケットに入れ、ドアプレートを見上げた。
 この扉の向こうには、ジムリーダー人生の苦楽を共にしてきた同志がいる。彼らの反応を思うと胸も痛むが、食い下がる気は毛頭なかった。
 ジムリーダーを辞めたらどうするか。収入源はなくなる。トレーナーをやり直そうにもバイタリティが足りない。
 いっそ、トレーナーごと辞めてしまおうか。
 手塩にかけて育てたポケモンたちがいれば老後も寂しくないし、養っていけるだけの金は稼いだ。とはいえ、生計の立て方は別途考えなければならない。立ち塞がるのは現実的な課題ばかり。
 扉を開けるのが憂鬱だ。思い切って、ドアノブを回す。

「おお、カグラ!」
 迎えた声は『炎より燃え滾る錬鉄』シャクドウ。休火山の町でジムを運営し、キャリアも長い。恰幅良い体格で爽やか。熱水の洞窟ではがねタイプを鍛えている。
「お疲れ様」
 カグラが挨拶すると一名を除き、次々に久しぶり、お疲れ様です、と返って来る。
「愛弟子ちゃんは元気か」
「ジムリーダーになるんだーって言って、猛勉強してるよ」
「ほのおタイプが好きなんだっけ?」
「ああ。将来が楽しみだよ」
「そうか。もしかすると、そいつの枠には困らないかもしれないぜ」
 ぼそりと意味深に告げると、相手は眉を不審そうに吊り上げた。そのままカグラは隣に腰掛ける。
「カグラさん、お疲れ様っす!」
 『自然と育つ緑の子』セオト。新米だが実力は協会お墨付きで、ホープとも呼び声高い。
「しばらくぶりだな」
「また今度バトルしましょう。オレのへラクロスも腕を上げましたからね」
 また今度、か。セオトのまっすぐな視線を無視するのは辛い。
 会議の時間までは各々積もる話もしつつ過ごす。ジムリーダーともなれば個性派揃いだ。勝手気ままに振る舞えるのは、この集団の好きなところだった。
 しかし、それも今日で終わる。
 一斉に役員が入室する。この間の監察官がいるではないか。
「本日はジムリーダー各位、召集に応じて頂き有難うございます」
 会議では、スタジアム維持費、予算分配の確認、各町の課題など、多岐に渡る議題を話し合う。「ジムリーダー集結!」と言えば聞こえはいいが、実際は地味な単調作業の繰り返しだ。
 全員が報告書を読み終えると、遂に最後の番が来る。
「それではカグラさんから、発表があります」
「発表?」
 周囲がざわつく。いよいよか。重い腰を上げた。なんと切り出そうか。
 飾っても仕方ない。これは有終の美などではなく、格好悪い追放なのだ。
 立ち上がるや否や、単刀直入に告げる。
「オレは、今期でジムリーダーを引退することとなった。以下、理由を説明する」
 空気が凍り付いた。
 彼にとっては思い出したくない業績をなぞる、苦しい時間だった。

 飲み会は断り、早々に辞去した。居た堪れない空気に背を向けて。
 目下の話題は最強ジムリーダーの電撃発表で持ち切りだ。
 カグラの穴は四天王が臨時で受け持つそうだが、後継者育成にも時間がかかる。
 口調からも本人が辞めたがっている意思を感じ取れた。
 皆して根拠のない憶測を語り合う空気が嫌になったのか、ジムリーダーがひとり、またひとりと会議室を後にする。

 ホテルにも劣らない、豪勢だが閑散とした空間を出て、外気を浴びようとしたところ。ハイヒール特有の足音が響き、それが公私に渡ってよく知る人物のものだと気付く。
 相手が何も切り出してこないようならば、振り向くことなく別れを告げられたものを。
「ジムリーダー、辞めるって……」
 息が荒い。膝を抑え、肩を上下させるのが見なくとも分かる。
「嘘でしょ?」
「オレの口から言ったことが信じられないなら、そう思ってればいい」
「相談してくれればよかったのに!」
 悲痛な高い声も、自分が一番貴方のことを分かっているという言い回しも、昔と変わらないままだ。
 御洒落にまとめられた金髪、派手な装飾類が眩しい。ドレスは輪郭と身長に対して、素直に似合っている。
 カグラが会議室に入った時、唯一見ようとしなかったジムリーダー『アクアパラダイス』キョーコ。
 相談すれば……、相談すれば解決出来た程度のことだとは思えない。この期に及んでありきたりな励ましを投げかけられるのは癪だった。
「今更彼女面すんなよ」
 邪険に振り払うが、彼女は引き下がらない。
「あんたっていつもそう。周りを俯瞰して、自分は輪の中にいるくせに、関係ないふりして澄ましてる」
「協会の判断だ。それにこれ以上、ジムリーダーを続ける意味が無い」
「あんたほど強いジムリーダーは他にいないと思うけど」
「オレの次にはサイノさんが強い。あの人がいれば大丈夫だ」
 哀れむような目を向けられる。人差し指が苛立たしげに動いている。
「そういう問題じゃないでしょ」
「現に免許は取られた。監察官はオレを目の敵にしている」
「見返してやるぐらいの度量は無いわけ?」
「そんなやる気があったら、今頃お前とこんな話をしてないよな」
 冷笑的に口元を歪め、カグラは踵を返す。
「ばかっ!」
 捨て台詞は閉まるドアの向こうに吸い込まれた。

 それからというものの、タイヨクリーグ開催まで、残り半月に迫った。
 計画性あるトレーナーならば、ジム巡りをとうに終え、リーグに向けた調整期間に入る頃だ。逆に言えば、スケジューリングさえ満足に出来ないようでは、リーグの長期戦を勝ち抜いていくのは難しい。この時点でバッジを8つ取得していない者は見送りすら推奨されるほどだ。
 リーグ開催前は毎年のことだが、挑戦者の気配がさっぱり消え失せる。お祭り騒ぎの世の中から隔絶され、ここだけ違う時が流れているかのようだ。
 任期が終わり次第、カグラはジムリーダーの責務から解き放たれる。
 結局、ジムリーダー仲間からもいくつか心配の電話を貰ったが、返す言葉は同じだった。彼らのことは同僚として誇りに思っているが、冷め切った闘志を再燃させようというなら話は別だ。
 協会の段取りで、シオラジムの解体工事を委託する業者も決定した。
 こうして見ると、なんとあっけないことか。現実は足踏みを知らず、直進し続ける。初めてその意味を身に沁みて感じたような気がした。
 全てが終わりに近付いていく。
 シオラの墓所で眠る魂が、天に召されていくように。
 最後の挑戦者が現れるのは、そのときだった。

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