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ゆきをかたる

作者:真夏の雪精

 冬の兆しを見つけるのは、そう難しいことはない。朝晩が冷えてきたり、赤や黄色に色づいた木の葉が茶に染まり、カラカラに乾いて落ちていったりするのを、住人は幾度となく経験してきた。とはいえ兆しはあくまで兆しに過ぎない。ある朝窓を開けて、外が真っ白に輝いていたらもう手遅れ。暖かい春がやってくるまで、周辺一帯は雪に閉ざされる。
 元来寒い地方であるからであろう。キッサキシティ周辺では氷タイプのポケモンが多く草むらから顔を出す。ユキワラシが集まって体を震わせていたり。悪戯好きのニューラが雪玉を投げつけてきたり。雪をかぶった切り株だと思ったらユキカブリだったり。
 この地方に伝わる昔話にも、雪や氷に関するものが多い。
 雪に閉ざされた旅人を救ったユキノオーの話。
 悪い子の頭を齧りに来るオニゴーリの話。
 中でも最も有名なのが、ユキメノコの話である。




 昔々、まだ人間とポケモンが同じだった頃の、寒い北国のお話。
 猟師の親子が、冬の雪山に猟に出た。親はモサク、子はミノキチといった。
 途中、猛吹雪に襲われた二人は、偶然見つけた猟師小屋で一晩を明かすことにした。
 夜、ミノキチが寒さに目を覚ますと、小屋の中にはモサクの他にもう一人いることに気付いた。見れば美しいポケモンが、モサクに白く輝く息を吹きかけているではないか。
 モサクの身体は見る見るうちに凍りついていった。それは、雪山に迷い込んだ男を凍らせて住処に持ち帰るというユキメノコだったのだ。
 恐怖のあまり動けないでいるミノキチに、ユキメノコは言った。

「お前はまだ若い。それに綺麗な目をしている。お前は助けてあげよう。その代わり、今日のことを喋ったら、お前の命はないと思え」

 凍りついた父の身体と共に、ユキメノコはすぅっと消えていった。

 あくる朝、ミノキチが目を覚ますと、小屋には彼以外にもう誰もいなかった。凍り付いた父も、父を凍らせたユキメノコも。

 それから一年が過ぎた、ある大雨の日のこと。
 ミノキチの家の前で、美しい女子が雨宿りをしていた。その姿を見るなり、ミノキチの背筋は凍り付いた。

(あれは、いつぞやのユキメノコではないのか)

 何故かはわからないが、そんな考えがミノキチの頭をよぎった。ミノキチは真っ青になって立ち尽くすが、女子はどこからどう見ても人間の姿をしていた。

「あの、もし」

 ミノキチに気付いた女子が、声を掛けてきた。

「この雨で困っております。どうか雨宿りをさせていただけないでしょうか」

 ミノキチは女子が何を考えているのか分からず恐ろしかったが、差し当たって危険はなさそうだった。それに、ユキメノコとの約束通りあの吹雪の日のことは口には出さなかったから大丈夫だろうと、女子を家に招き入れた。

 女子は「オユキ」と名乗り、親兄弟に死なれて独り身になった境遇など、様々な身の上話をした。
 はじめは多少警戒していたミノキチだったが、話を聞いてオユキの身の上を案じ、次第にお雪に心を許していった。

 やがて二人は夫婦となり、幸せな時を過ごした。ミノキチは時折、オユキがユキメノコではないかと疑うことがあったが、次第に「お雪がユキメノコでもそうでなくとも、どちらでもよい」と思うようになった。

 ある吹雪の晩のこと。酒を飲んでいたミノキチは、いい気分になってこんなことを言い始めた。

「こんな吹雪の日には、あの不思議な晩のことを思い出すなぁ」
「不思議な晩?」
「親父がいなくなった晩のことさ」

 話し始めたらもう止まらない。ミノキチは、かつてユキメノコに会ったときのことを包み隠さず喋ってしまったのだ。

「今からしてみれば、あれはただの見間違いだったのかもしれない。だが、お前の姿を見て、ひょっとしてお前はあのときのユキメノコに似ている気がして、疑ったこともあったっけ」

 すっと、オユキの表情が消えた。

「喋ってしまったのですね」
「え?」
「あれほど喋ってはいけないと言ったのに」

 同時に、オユキの姿も薄れていった。

「おい、待っておくれ。冗談だろう? 今のことは忘れてくれよ。酒の上のことだから。俺はお前がユキメノコだろうとそうでなかろうと、もうどちらだっていいんだ! ただお前と一緒にいたいだけなんだ!」

 ミノキチは必死になって叫ぶが、オユキの表情は変わらなかった。

「あなたと過ごした日々は忘れません。本当に、幸せでした」

 ちょうど、ミノキチの家の戸が外れて、吹雪が吹き込んだ。そして――
 オユキの姿は吹雪の中に溶けて、消えた。

 あとにはただ、モサクが死んだあの日のように呆然とへこたれたミノキチだけが残された。



 とまあ、こんな具合に。
 こんな昔話があるお陰で、男子たちは親にこう脅されるのだ。暗くならないうちに帰って来ないと、ユキメノコに連れ去られるぞ、と。中には「俺」とか「僕」とか、自分が男子であると主張するような一人称を禁ずる家さえもあった。



 ユウキはどこにでもいるごく普通の子であった。夏だろうが冬だろうが関係なく、他の子供たちと野山を駆けずり回るやんちゃっぷりである。更に言えば、遊び相手が人間だろうとポケモンだろうと関係なかった。ユウキには人やポケモンを引きつける、不思議な力があるのではないかという者もいた。とにかく、遊んでいるユウキの周りにはいつも誰かがいた。はじめは少数でも、帰る頃にはその輪が随分と広がっていたものだった。

 ユウキは母と祖母と三人で暮らしていた。
 ユウキの母、ミズキは優しくも厳しい人であった。ユウキがどこへ行っても恥ずかしくないようにと、ありとあらゆる礼儀作法を叩き込んだ。うまくできた時には褒め、よくない振る舞いをした時には叱る。ユウキが反発することは少なくなかったが、おかげできっちりした場では、ユウキは誰から見ても礼儀正しい子に育っていた。
 ユウキの祖母、サヨは物知りな人であった。特に各地に残る伝承に詳しく、娘のミズキや孫のユウキには絵本の代わりに語り聞かせたものだった。同時に、サヨは良き先生でもあった。ユウキが何か疑問を抱えてやってくると、サヨは決して、はじめから答えを教えるようなことはしなかった。代わりに小さなヒントを少しずつ与え、自力で答えに辿り着けるように仕向けるのだ。おかげでユウキは筋道を立てて考えることを学び、大抵のことは自分の力で解決できるようになっていた。
 
 ある日のこと。ユウキはいつも通りに外で遊び、元気に疲れて家路を歩いていた。辺りは一面雪が積もっていて、ユウキが一歩踏み出すたびに、ザクザクと音が鳴った。小さな足跡が、ユウキが歩いた道に残っていた。
 その足跡を追うように、一匹のポケモンが歩いてきた。――否。漂ってきたといった方が正しいかもしれない。そのポケモンが歩いた後には、足跡は残されていなかった。
 後ろから誰かが近付いてきているとも知らず、ユウキは歩き続けた。
 途中で、ユウキは後ろを振り返った。何かがそこにいると気付いたわけではなく、ただ何となく、自分が歩いた軌跡を瞳に映そうとした。雪で覆われた真っ白な道には、ユウキの足跡以外に目立ったものは見当たらなかった。
 ユウキはそのまま仰向けに倒れ込んだ。雪は適度に柔らかく、ユウキの頭を傷つけることなく、かといって呑み込んでしまうこともなく受け止めた。

「帰りたくない」

 ユウキは誰にともなく呟いた。友達と別れ、一緒に遊んだポケモンたちとも別れ、たった一人で帰る家路は、大して心細くはなかった。いつも歩いている道だから、もう慣れてしまった。けれど、ユウキは寂しかった。誰かと一緒に帰ることができないのは、ユウキの家だけ他の子たちの家と反対方向にあるからだ。その立地を何度恨んだことだろう。恨んでもどうしようもないことだと、ユウキは分かっていた。分かってはいても、寂しいのは本当だからどうしようもない。何度か友達を引き留めて帰りが遅くなった時には、母のミズキにも、友達の親にも散々に怒られた。だからもう、引き留めることはすまいと決めたのだ。

「このまま、誰かと遊んでいたい」

 心に浮かんだ言葉が、そのまま口をついて出た。同時に、冷たい、と思う。雪の上に倒れ込んだのだから、当然と言えば当然である。体が冷え切ってしまわないうちにと起き上ったユウキの目に、ポケモンの姿が映った。
 ユウキが着ているような洋服ではなく、昔の人が着ていたような着物を着けているようだった。腰のあたりに赤い帯を締め、後ろでリボン結びに留めてあった。振袖のような手は、目元と額に穴が開いた頭蓋のような頭の両側から伸びていた。頭には氷でできていると思しき角が二つ。
 木陰から顔を覗かせたそのポケモンは、ユウキと目が合うとさっと木陰に顔を隠してしまった。
 綺麗だ。目にしたのはほんの一瞬だったが、子供心にそう思った。

「出てきなよ。出てきて、俺と遊んでくれよ」

 ユウキは明るく呼びかけたが、ポケモンは顔を出さなかった。そのポケモンが隠れていた木に近付いて、後ろを覗き込んでみたが、もうそこには誰もいなかった。

「へんなの」

 胸に膨らんだ期待が、すごすごと萎んでいった。せっかく遊び相手が見つかったと思ったのに、その相手がいなくなったのでは遊びようがない。
 家路に戻ってしばらくして、もう一度後ろを振り返ってみた。けれど、見えるのは自分が歩いた足跡ばかりで、人影もポケモンの影も見当たらなかった。

 その日の晩、帰り道に見かけたポケモンのことを話したユウキは、途中で母ミズキに言葉を遮られた。

「そのポケモンに関わってはダメ」

 ミズキはいつになく険しい顔をしていた。

「どうして?」
「あの世へ連れていかれるよ」
「そんなふうじゃなかったよ。小さな女の子みたいだった。じっとこっちを見てたんだ。俺……私が振り向いたら、木の陰に隠れて消えちゃったけど」

 言ってから、ユウキはしまったと思った。ミズキはユウキが自分のことを「俺」というのを酷く嫌うのだ。
 だが、今回ミズキはそのことには全く触れようとはしなかった。そんなことも忘れるほどに、ユウキが出会ったポケモンとの接触を大事と見ているようだった。

「そうやって誘いこんで、誰にも気づかれないように連れていくのよ」
「連れて行くんだったら、お、私は今頃、ここにいないでしょ」
「そうなったかもしれないって話をしているの」

 ミズキはユウキの言葉を頑として受け入れようとはしなかった。子供は大人と比べて知識が少ない。分からないことに対して多分そうだろうという推測しか持てない子供は、自分の意見が確固たるものだと妄信してやまない大人に対して無力だった。

「あなたのお父さんは――」
「ミズキ」

 ミズキが口に出しかけた言葉を、今度は祖母のサヨが遮った。

「その辺にしておきなさい」
「お母さん、でも」
「ユウキはユウキさね。自分の目で確かめればいい話だ。偏見を与えるんじゃないよ」
「……」

 さすがのミズキも、サヨには頭が上がらなかった。じろりとユウキに目をやり、低い声で尋ねた。

「何もされてないでしょうね」
「言っただろ、見ただけだって。何かされる前に消えっちまったよ」
「そう」

 ミズキは素っ気なく言って、小さくため息を吐いた。普段はとやかく言われる言葉遣いの悪さを咎めることもなく、ミズキは静かに言った。

「この話はおしまい。さあ、早く食べてしまいなさい」

 そこで会話はぷっつりと途切れた。サヨもミズキも、無論ユウキも、黙々と晩御飯を平らげた。 

 その後、あのポケモンの話が出るたびに、ミズキはユウキに食ってかかった。最初は何故かが分からず、随分と食い下がったものだ。しかし何度もこのような対応をされるうち、ユウキはそういうものなのだ、と思うようになった。母の言葉が嘘であれ真であれ、母の中であのポケモンはそんな風に思われているのだと、そう思うことにした。
 聞けば、一緒に遊ぶ友達も、みな親にそう言われているらしい。ユキワラシと遊んでいただけでも、注意されたという者もいた。ユキワラシの頃に遊んだ男子を見初めて、進化した後で迎えに来るかもしれないから、ということらしい。
 そんなのは嫌だな、とユウキは思った。それではあのポケモンだけ仲間外れではないか。しかし母の前でそんなことを口にしては、口酸っぱく叱られるのがおちである。ならばせめて、親の目の届かない所では反発してやろうと、ユウキは強く心に決めた。

 実際、ミズキはユウキの身を案じてこのような発言をしたのだが、この時のユウキは知る由もなかった。

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