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ウルトラ・ディープ・ブルー

作者:メメントス渋谷

 どこまでも晴れた空の下、キャモメの歌を道連れにフェリーは悠々と海原を闊歩する。イッシュ地方出港時の分厚い雨雲を抜けてからの旅路は順調で、フェリーは予定時間よりも早く眼前にアローラの島々を捉えた。

 「お客様にご案内いたします。後十分程でマドラス号はアーカラ島カンタイシティへ到着いたしますので、下船の準備をしてお待ち下さい。どなた様もお忘れ物などございませんようお気をつけ下さい」

 船室に響くアナウンスの声に起こされたゾロアは、テーブルからひょいとベッドに飛び移り、枕を抱きだらしない姿で眠りこける人間にやれやれと頭を振ってから、鼻をかぷりと噛んだ。これでも自分では甘噛みだと思っている。
 
「いってぇー!」

 痛みに飛び起きた少年は、鼻を押さえながら壁掛け時計に目をやる。

「なんだよ、まだ時間じゃないじゃん。もうちょっと寝かせてくれよ」「わうわう!」

 ゾロアはだめだと吠え、ズボンの裾を乱暴に引っ張る。
 
「はいはい、わかったよ。準備するって」

 少年が頭を掻きながら大きなあくびをして荷物をまとめていると、そのうちに船体が大きく揺れて止まった。

「おっ、着いたみたいだな。アローラ地方、楽しみだな!」「わうっ!」

 少年はリュックを背負いゾロアを肩に乗せて、デッキに出た。寒空のホドモエシティとは打って変わって常夏の熱気が体を包み込む。澄んだ青空と海が広がり、清々しい風が歓迎するように吹き抜けていく。

「すっげぇ、写真で見たのと全然違う」「わふっ」

 少年が感嘆のため息を漏らす横で、ゾロアは飛んでいく小さな虫ポケモンにちょっかいを出し、しびれごなを喰らっていた。
 
「マスターズリーグツアーでお越しの皆様、アローラ! お名前の確認をしますので、こちらまでお越しくださいませ~」

 旗を振る陽気な女性の元に、船から降りてきた客が次々と受付をする。少年もその列に並んだ。

「ユウヤです。ホドモエシティから乗りました」

 順番が巡ってきて少年が名乗りトレーナーカードを渡すと、ガイドは名前と顔を確認して手元の名簿にチェックをして戻した。このフェリーに乗っているのは、皆ポケモントレーナーの頂点を決める大会、マスターズリーグ決勝トーナメントの観客だ。今年は建設されたばかりのラナキラマウンテンポケモンリーグで開催される。

 各地方から名のあるトレーナーやチャンピオンが集結する大規模な大会だけにチケットは熾烈な争奪戦となり、決勝トーナメントともなれば倍率は凄まじく高い。ユウヤは見事ネット抽選で観戦チケット付きのツアーを引き当てた。フェリーとホテルも一括予約の旅費はバッジ四つのトレーナーには厳しい額だったが、バトルをしたり換金できそうなものをかき集めたりしてなんとか工面した。
 
 大枚を叩いた甲斐あって、訪れたアローラの風景は想像を絶する程美しかった。ポケモンと共生している話を噂程度にしか聞いていなかったが、舗装された道路に人を乗せたケンタロスが走っている姿、しかも隷属しているのではなく自らの意思で乗せている様子を見て、事実だったと感動した。生息環境に配慮されて作られたというホテルは、個室だが価格は安くオーシャンビューを望めない。それでも静かで、波の音が聞こえる居心地の良さそうな部屋だった。トーナメントは明日からの開催で、今日はこれから自由時間だ。
 
「夕食の時間までにはお戻りくださいね。では、いってらっしゃ~い!」
 
 ガイドに見送られたユウヤは、観光案内所に立ち寄りマップを貰った。どこか遊べるところはないかとアーカラ島のおすすめスポットを見る。カンタイシティから歩いていける距離に広いビーチがあり、旨い料理店も並んでいると記載されていた。ふわふわのパンケーキと可愛らしいポケモンが描いてあり、ゾロアがパンケーキの絵をぺろりと舐めた。

 「南の島って言ったらやっぱ海だよな。食べ物も美味そうだし、行ってみようぜ」「わうん」

 ユウヤはハノハノビーチを目指して歩き始めた。道行く人々はポケモンとの距離が近く、イッシュ地方もこうだったらよかったのにと思った。ポケモンと人間は別れて生きるべきと理想を掲げる、プラズマ団を名乗る奇妙な集団につきまとわれていたからだ。様々なしがらみから開放され、楽しいひとときを楽しもうとする足は、意識せずとも早まっていった。

 広々としたハノハノビーチは観光客や地元のサーファーで賑わっており、波に乗るもの、バトルをするもの、写真を取りまくるものなど多種多様な人がいた。案内看板に【ここでは手持ちのポケモンを出してもOK!】と書かれている。
 
「それなら! よーし、みんな出てこい!」

 ユウヤは腰のベルトからボールを外し、手持ちのポケモンを外へ出した。カノコタウンを旅立った日に貰ったミジュマルが進化したダイケンキ、プラズマ団の研究施設から助け出したランクルス、リゾートデザートで迷子になっていたところを案内してくれたワルビルの三匹だ。海に来るのは初めてで、ダイケンキは広い場所でのんびり泳ぐのを楽しみ、好奇心旺盛なランクルスは誰彼構わず話しかけて嫌がられ、ワルビルは海水を舐めて悶絶していた。ユウヤとゾロアはダイケンキたちと水を掛け合ったり、砂の山を作ったり、ビーチボールを投げて遊んだ。現在のイッシュ地方では不可能に近いことだ。

 
「アローラ! そこのお兄さん、ナマコブシ投げやっていかない? 遠くまで飛ばせれば賞金ゲットのチャンスだぜ」

 遊び疲れて木陰で休んでいると、声をかけられた。ナマコブシと呼ばれる黒くてピンク色のトゲの生えた、もっちりしたポケモンを掴んで投げることらしい。他にも挑戦者がちらほらいるが、ナマコブシというポケモンは気まぐれなのか掴まれても逃げ出したり、口からにゅっと手のようなものを出して、挑戦者の顔面を叩いたかと思えば自分から海に飛び込んでいく。難易度は高そうだ。
 
「ルールは簡単。浜辺に流れ着いたナマコブシを、どいつでもいいから掴んで、海に向かって投げるだけ! 距離が長けりゃ長いほど賞金も多くなるぜ! さあ、レッツトライ!」

「よーし、やってみるか!」

 チャレンジ精神を煽られたユウヤは適当に拾い上げたナマコブシを力一杯投げたが、波打ち際から離れない近場に落ちた。不満そうに口から飛び出した手でサムズダウンされ、去り際に水を吹きかけらてた。ゾロアは小馬鹿にしたように笑った。

「ちえっ、ちっとも飛んでかないでやんの」

「ハッハー! 残念だったね。ま、そういう時もあるさ。また参加してくれよな!」

 参加賞としてパイル味のクッキーを五つ貰って、ポケモンたちと食べた。よく土産で貰うものと同じ味がして、ユウヤはより一層がっかりした。
気分も落ちてきて、そろそろビーチから上がろうとした時だった。何かを感じ取ったゾロアはピンと耳を立て、浜辺の奥の方へ走っていく。

「どうしたんだよゾロア、そっちは何にもないぞ」「わうっ、わうわうっ!」

 ゾロアはユウヤの方を振り返りつつ浜辺を駆けていく。追いかけてこいと言っているように見えたユウヤは、ゾロアの後を追う。
 
「あっ」

 波打ち際に誰かが倒れているのを見て、ユウヤは息を呑んだ。大きな白い帽子と白いワンピースを着た、長い白髪の少女が横たわっているのだ。ふわりと甘い匂いがする。

「ねえ君、大丈夫!?」

 迷うことなく駆け寄ろうとすると、ゾロアが急に顔へ飛びついてきて強めに鼻を噛んだ。

「いでででで!! 何すんだよ!」

 顔面で暴れるもふもふを引き剥がすと、少女だと思っていたものが違って見えた。腰まである長い白髪は触手で、ワンピースは胴体。帽子だと思っていたのは頭部で、顔がない。どこからどう見ても、その姿は人間ではなかった。

「うわっ!」

 ユウヤは驚き後ずさった。ゾロアは何度か吠えて威嚇したが、相手に動く様子は見られない。

「もしかして、ポケモン、なのか?」

 顔のないポケモンなど、ユウヤの持てる知識には存在しない。目の前にいるのは、見たことも聞いたこともない未知の生き物だ。今度は警戒しながらゆっくりと近づく。身じろぎもしない未知の生き物は、かすかに息をしているだけだった。

「弱ってるみたいだ。とにかくポケモンセンターへ連れて行かなくちゃ。ダイケンキ、手を貸してくれ」

 一人では運べないと判断したユウヤは、ダイケンキの背に乗せて運ぼうと考えた。未知の生き物の体に触れると、ゼリーのような弾力性があり、氷のように冷たい。思わず声が出た。

「冷たっ! ごめんな、痛いかもしれないけど起こすよ」

 抱きかかえて起こそうとすると、息も絶え絶えに伸ばすのもやっとの触手が一本ゆっくりと伸びてきて、ユウヤの胸部に触れる。かといって痛みもなく変化も見られないが、触手は使命を果たしたのか力なく落ちて、それきり動かなくなってしまった。


「お、おい、どうしたんだよ」


 問いかけに答えることなく、未知の生き物の体は崩れて白い砂になり、夕暮れの風に攫われていった。

 
「なんだったんだ、今の」「消えちゃったね」


「そうだな。砂みたいに……って、ゾロア!? 今、喋ったか?」


 隣にいるゾロアが突然人の言葉を喋ったことに驚いた。たまに人間に化けてからかうことはあるが、まさか喋るなんてとユウヤは目を丸くする。


「んお、ユウヤがオレたちのことばしゃべってる、へんなの」

 
 ゾロアはユウヤの顔をみて、首を傾げた。


「は? え? 嘘だろ、どうなってんだ。なあダイケンキ、俺の言葉がわかるか?」


 先程呼んだダイケンキに話しかけると、驚いた顔になった。


「これは異な事! ユウヤ殿が我らの言葉を話すとは!」


「なになに、面白いことあったー? あたしも混ぜなさいよー」

 
 後からワルビルとランクルスがやってきて、ユウヤは今起きたことを説明した。


「すっごいねぇユウヤ! ボクらと会話出来るなんて、”王様”だけだと思ってたよ。ぐっふっふ、興味湧いてきた! これだから外の世界はたまんないねぇ!」

 ダイケンキから殿と呼ばれていたことや、ワルビルがメスだったことや、ランクルスが饒舌だったことなど諸々ツッコミたいところだが、夜の帳が下り始めてきていたので、三匹をボールに戻してホテルへ帰った。夕食はアローラの名物が所狭しと並ぶ豪華なビュッフェだったが、消えてしまった未知の生き物のことが気になって、少しも喉を通らなかった。シャワーを浴びると遊んだ分の疲れがどっと来て、ベッドの上に倒れ込んだ。
 
「今日は色々あったな」「そだね。明日も楽しいことあるといいね」


「そうだな。おやすみ、ゾロア」「うん。おやすみユウヤ」
 
 その晩ユウヤは悪夢を見た。最初は綺麗な海の中で気持ちよく揺られていたが、段々と深いところへ沈んでいく。必死に上がろうともがいても体が思うように動かせずに光は遠ざかって、深い青に視界を奪われる。無限に続く冷たく真っ暗な、音も届かない空間に閉じ込められて息が苦しくなってくる。もう限界だと手を伸ばした先にあの未知の生き物の触手が伸びてきて、よく見れば何十体もの群れに囲まれていた。

 「どこにいるの」
 
 聞き覚えのない声が聞こえたところでユウヤは目を覚ました。息苦しさの原因は顔の上に乗っかっていたゾロアで、現実に戻ってこられた安堵のため息をついて押しのけた。暑かったのか、汗でシャツがびっしょり濡れている。

「ユウヤおきたかー?」「お陰様で。悪い夢を見ちゃったけどな」

 目が覚めてもゾロアが喋っていて、昨日のことは夢じゃなかったと実感した。ベッドから起き上がって窓の外を見ると、晴れやかな空が広がっている。今日はトーナメントの第一試合。朝食を取ったら、ラナキラマウンテンのあるウラウラ島行きの船に乗る予定だ。昨日は昨日、今日は今日と気持ちを切り替えて、客室を後にした。
 
 ところが、エントランスへ行くとツアー客たちが集まってざわついていた。どうするんだよと不安げな声が聞こえてきて、ガイドの女性が何人かに詰め寄られて困惑していた。

「どうしたんだろう」「なんかさわいでるよ」

 人々の中心にはテレビがあり、アナウンサーが緊迫感のある表情でニュースを伝えていた。

「繰り返しお伝えします。ウラウラ島、ラナキラマウンテンで本日から行われる予定のマスターズリーグ決勝トーナメントですが、ウルトラホールの出現により、中止となる可能性が高くなりました。現場から中継です」

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