コンテストのページへ戻る

POKeMON Global Operations #1:2019年12月19日

作者:細巻きツナマヨ315



 『認識が対象に従うのではない。対象が認識に従うのだ』

  ――イマヌエル・カント(1724~1804)




 仕事がない日とはいえ、起きたらもう昼前だった。
 外は少し雲はあるもののいい天気。小春日和という奴か。散歩にはちょうどいい。短めのコートを羽織り、マフラーを巻いて、ボディバッグに財布とスマホとバッテリーを突っ込む。今日は一日晴れそうだし、自転車でいいか。アパートの駐輪場から青色の古いクロスバイクを引っ張り出す。近所をぶらぶらと歩いてもいいけど、どうせなら街中に行った方が何かと楽しいだろう。

 錆びかけたペダルを踏んで、近所のファミリーマートに行く。プライベートブランドの麦茶とシーチキンマヨの細巻き寿司を買ってバッグに詰め、繁華街の方へ自転車を走らせる。
 公園裏の自転車が雑多に置かれた駐輪場の隙間にクロスバイクを捩込む。ちょっと暑くなったのでコートを脱ぎ、公園のベンチに座る。バッグからスマホを取り出す。LINEやらTwitterやらは今は置いといて、紅白に彩られたボールのアイコンをタップする。
 そういえば、と、この前知り合いに押し付けられた試作品の存在を思い出した。ボディバッグの奥から、やたら重くてごちゃごちゃと機械のついた眼鏡を引っ張りだす。伸びているケーブルをスマホに接続し、メカメカしい眼鏡をかけてみる。耳がちぎれそうな重さだった。仕方なく左手で支えながら、視線を上にあげる。
 公園のど真ん中から、上空にまっすぐ伸びる細い棒と、その上に乗ったお椀型のフィールド。さらにその上に円筒状の外壁が浮かび、二色の半球型の屋根の上に銀と紺色の斑模様の卵が浮かんでいる。その上では「0:46:27」と示されたカウンターが、じわじわと数字を減らしている。
 へえ、いつも画面内で見ている「ジム」、現実に存在したらこんな感じなのか。拡張現実の映像に感心しつつも、あまりに重く、スマホをシャツの胸ポケットに突っ込んで眼鏡を両手で支えた。



 2016年7月6日。この日、世界中のあらゆる電子的な情報伝達システムが、突如として使用不能になった。
 解決までの一週間、パソコンやスマホを使ったインターネットはもちろん、テレビやラジオ放送、電話、無線など、身近なものから知らないところで動いているシステムまで、あらゆる情報のやりとりができなくなった。単にニュースが届かないとかSNSが使えないとかいうだけではなく、公共交通機関からコンビニのレジまで、情報集積を行って稼動しているあらゆるものがまともに動かなくなった。高度情報化社会なんて言われて久しいが、あの時世界中の人々が、電子情報のやりとりはもはやインフラの一部なのだと痛感した。
 大事件の原因は一体何なのか、人々は様々な予想をした。曰く、世界中のサーバが一斉にダウンしただとか。曰く、どこぞの天才ハッカーが作ったウィルスのせいだとか。曰く、某国の秘密兵器が稼動しただとか。曰く、原始的な社会を望む団体が起こしたテロだとか。曰く、神の怒りだとか。
 様々な予想や陰謀論が復旧した電子情報の海の中で好き勝手に語られる中、発表された原因は、あまりに予想外のものだった。

 電子情報の中に棲息する、目に見えない未知の「生物」。それらが突如出現したことによる不具合である。
 世界中あらゆる国の政府のお偉いさんが、至極真面目な表情でそう発表した。

 実存主義者も陰謀論者も、大人も子供もみな困惑した。だってそんな、まるでフィクションみたいなことを、突然真顔で突きつけられても困る。世界中の人々の混乱をよそに、解明された「原因」についての説明は続けられた。
 それはコンピューターウイルスのように、誰かが作ったプログラムではない。それは大量破壊兵器のように、誰かを傷つける目的で存在しているものではない。それはただ、ネットワークの、電子情報の中で、我々と同じように「生きている」生物なのである、と。

 その生物は「ポケットモンスター」、略称「ポケモン」と呼称する、と間もなく発表された。

 7月22日。先頃の事件を鑑みて、ポケモンが電子情報に及ぼす影響を抑えるべく、とあるアプリを配信するという発表があった。
 そのアプリは「POKeMON Global Operations(ポケモンに関する全世界的な作戦行動)」、通称「ポケモンGO」と呼ばれた。

 開発にアメリカのナイアンテック社や任天堂や……あと何だっけ、何かゲーム会社が関わっていることで早々に騒がれたが、発表から速やかに配信されたそのアプリを起動して、人々の戸惑いはさらに加速した。
 一般的に公的機関が管理するものに対するお堅いイメージとは全く異なり、そのアプリはまるで、いやまぎれもなく、全く新しい「ゲーム」そのものだった。現実に即したマップの上を、自分の分身であるアバターが現実世界の自分と同じように移動する。マップ上に現れるのはポップにキャラクタライズされたモンスター。それこそがあの世界中を混乱に陥れた、目に見えない、電子情報の中で生きる生物、「ポケモン」なのだという。

 何でも、どこかの政府や機関が独力で監視や管理するより、世界中の多くの人たちが協力して情報収集をした方が効率的だ、という考えによるらしい。なるべく多くの人に無理なく、継続的に触れてもらう方法を検討した結果、ゲームという形での配信に至ったそうだ。現実の座標の情報、出没するポケモン、「捕獲」によるデータの収集。それらを総合的にまとめたものが「ポケモンGO」というアプリだった。
 あまりにもゲームとしての出来がよかったせいか、一連の騒動はゲーム開発者が仕掛けた壮大な宣伝なのでは? などという陰謀論も湧き出たが、さすがに規模が大きすぎて一介のゲーム会社にどうこうできるものではないだろう。今では新しく販売されるほぼ全てのスマホやタブレットにプリインストールされていたり、様々な機関が定期的に利用を促す広報を流したりと、ただのゲームアプリとは一線を隔した扱いを受けているので、「ポケモンが電子情報に及ぼす影響を抑える」というのも嘘ではなさそうだ。多分。実際あれから同じような問題は起こらないし。

 だがまあ、俺みたいな単なる一般人としては正直、新しく面白いゲームが配信された、という感覚だったりする。
 何かを蒐集するという楽しさは、俺みたいに昔からゲームが好きな奴だけではなく、子供からお年寄りまで老若男女が「ハマる」要素だった。ポケモンの生態やその他の情報を収集するという名目で後に取り入れられた、ポケモン同士を戦わせる機能も、誰かと交換する機能も、「ゲーム」をどんどん面白くしていく要素だった。
 歩いて、モンスターを捕まえたり、戦ったり。まるで自分がRPGの主人公になったような、そんなゲームだ。



「おっ、ツナ君、来てたの」

 声をかけられ、メカ眼鏡を外す。この両耳破壊眼鏡の制作者であるメロスさんだ。本名は知らない。ポケモンGOのユーザーネームが「DontRunMelos(走るなメロス)」なのでメロスさんと呼んでいる。あとは俺より少し年上の男性で、趣味でスマホのアプリを作ってることと、趣味で機械をいじってることぐらいしか知らない。
 ちなみに俺は「ツナ」と呼ばれているがこれもユーザーネームだ。「HosomakiTunamayo315(細巻きツナマヨ315)」なので「ツナ」と呼ばれている。たまたまゲームを始めた時目の前にファミマの細巻きがあったからそれをつけただけで別に好きってわけじゃ……いや、何だかんだ言って週一以上で食べてるし今も鞄に入ってるしもう好きでいいや。好きだからつけた。
 お互いポケモンGOをプレイ中に知り合った、いわゆるGO友だ。行動範囲や休日が似ているのか、こうやって街中に来ると高確率で遭遇する。一緒にジムでレイドバトルしたりポケモンを交換したりゲーム内でギフトを贈りあったりするけど、LINEすら交換していない仲だ。
 メロスさんは俺が手にしているクソ重眼鏡を指して、ウキウキな声で言った。

「その試作機どう? 結構面白いでしょ?」
「クッソ重いんですけど。耳ちぎれるかと思いましたよ」
「うーん、それでもかなり軽量化した方なんだけどなぁ。やっぱりバーチャルボーイみたいに据置きにするしかないのか?」

 そんなの持って屋外出たくないんですけど、と俺は至極まともな意見を上げた。やっぱ完全AR化は難しいかなぁ、とメロスさんは俺の隣に座りながらため息をつく。
 ポケモンGOにはスマホのカメラに映った現実の背景に、ポケモンを登場させるAR機能がついている。メロスさんはそれを超えて、この目に見える光景に、リアルタイムにポケモンを映り込ませたいらしい。それで専用のARグラスを開発中らしいが、なかなか難航しているようだ。

「そもそもポケモンを映り込ませるのに成功してないんだよなあ」
「そういえばジムとポケストップしかなかったですね」
「やっぱポケモンってただのデータじゃないみたいなんだよな。GOのデータ転送しようとしたらめっちゃくちゃ重くって」

 そう言われて、ん? と違和感に気づく。左胸がやたらと熱い。胸ポケットに触るとスマホが信じられないほど熱々になっていた。慌てて引っ張り出して眼鏡との接続ケーブルを引っこ抜く。ほんの数分前満タンだった充電はほぼ空になっていた。
 燃費が最悪なんだよね、とメロスさんは真顔で言う。スマホ壊れたら弁償してくださいよ、と唸るように恨み言を搾り出す。

 そういえば、もうじき新機能が追加されるらしいな、とメロスさんがスマホの画面をタップしながら言う。新機能? とメロスさんからお詫びと奢ってもらったスタバの期間限定のナッツっぽいフラペチーノを啜りながら返す。やっぱり普通にラテにすればよかった。寒い。
 何でも「毎日の冒険をもっと楽しくする機能」らしいぞ、とメロスさんは画面を連打する。へえ、と生返事をしながら俺も画面を連打する。スマホはしばらく放熱させて壊れてないか確認してから充電し直した。大容量のバッテリー持って来ててよかった。
 冒険をもっと楽しく、ねぇ。最初はただの収集ゲームだったのがバトルの機能がついて、今みたいに大勢集まってレイドバトルとかもできるようになって、何が追加されるんだろう。それも「ポケモンの生態や情報を収集する」ための機能なんだろうか。
 リリースされてから三年半ぐらい、もはや完全に単なる「ゲーム」になっているポケモンGOは、これ以上何が変わるんだろう。



 家に帰ってシャワーを浴びて、スマホを見る。日中いろいろあったが不具合は出なかったようだ。やれやれ。
 ベッドに腰掛け、ポケモンGOを開くとお知らせが届いていた。例の新機能とやらだろうか。

『「相棒と冒険」機能が登場!』

 何でも、自分が捕まえたポケモンから一匹、相棒として連れ回ることができるらしい。相棒に選んだポケモンは画面内のアバターの周りをうろつくようになって、いろいろとプラスになることもあるようだ。
 相棒、ねえ。俺は今まで捕まえてきたポケモンが入っているボックスを開く。捕獲した順に並べ替え、一番最初にいるのは、山吹色の毛並みをしたネズミ……ネズミ? のポケモン。ライチュウだ。
 俺がポケモンGOを始めた日、要はリリース当日に出会った。ポケモンの中には進化といって姿を変える奴がいて、ライチュウもピカチュウというポケモンから進化する。でもこのライチュウは道端で出会ったときから進化した姿だった。ポケモンの強さはCPという数字で大まかに示されて、進化すると当然強くなるのだけれど、このライチュウは出会った時点でCPが13だった。最低値は10である。それが何とも言えず哀れで、いじらしくて、何となく手放せずにずっとボックスの中にいた。
 いろいろいじって、何とか相棒ポケモンを設定する。プロフィール画面の俺のアバターの隣に、山吹色のネズミ? が並ぶ。マップに戻れば、アバターの周りをライチュウがちょこちょこ走り回る。なるほど、これは、なかなか悪くない。

 もふ、という感触を膝に感じて、ふと顔を上げた。

「……は?」

 俺は反射的に左手を目元にやった。あのやたら重くてスマホを破壊しかける試作眼鏡はない。
 じゃあ、一体、これは。


 山吹色の、耳の尖った、雷型しっぽの、ネズミとは言いがたい、その生物。
 ライチュウは、俺の膝に手を置いて、きゅう、と鳴き声を上げた。



Tweet