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#1

作者:カニサラダ

 ――けたたましいライブキャスターのコール音が積み上がっていく。随分しつこいものだから、仕方がなく元凶を止めるべくのろのろと毛布の中から腕を伸ばす羽目になった。これでもかと自分に向かって飛んでくる呼び出し音をかき分けながら眼鏡を探り当てて応答のボタンを押すと、かつてのクラスメイトが画面に映し出された。
「……ぉはよぅ」
『ちょっと! まさかこの時間まで寝てたわけ!? 何回コールしたと思ってんの?』
 びしびしと画面の向こうからの声が顔面に物理的に当たって来る。大量のバブル光線もかくやという言霊の速度と通話越しの声量から、どうにも結構なボリュームらしかった。
 かぶっていた布団を押しやる様に座り込みついでに、出来上がった“葉っぱ”の山を見渡して、3秒。
「量からして20回くらい?」
『数えてないけどそれくらいは鳴らしたわね。もう朝の10時を回ってるっていうのに、随分と良い御身分じゃない』
「ホリデーなんだし、いくらでも寝かせてくれていいと思う」
『呆れた! いくら単位が足りているからって、随分と余裕じゃないの』
 その様子だと、悠々自適な実家暮らしからしばらく帰ってこないつもりなんじゃないのかしら。ハイスクールの頃からそうなんだから。折角の休日だというのに、何が悲しくて寝起きからつらつらと口の回る知り合いに説教をされないといけないのだろうか。ぼこぼこ吐き出される言葉の山で布団が溢れそうになる前に、無言で通話終了の操作をしようと手を動かしかければ、慌てたように相手は本題を切り出した。
『ところで、ちょっと頼みがあるんだけど』
「やだ」
『そう言わずに聞いて! この私が“嗅ぎ付けた”とっておきの情報によると、なんでもプラズマ団とかいう』
 有無を言わさずにライブキャスターの通話を落とす。間髪入れずに再びコール音が鳴り響く。
『なんで切ったの!?』
「面倒そうだったから」
「もう! 私の“嗅覚”の良さは知ってるでしょう? ぜ~~ったい怪しいのよ、あの団体。まだ小さいけど、これから何かやらかすに違いないわ。それこそ、このイッシュ地方中……いえ、世界を巻き込む大陰謀にだって発展しかねな」
 通話終了。再三のコール音。
『だからぁ! なんで!! 切るの!?』
「どうでも良いから」
『そう言わずにお願い! 私一人だと嗅ぎ付けるだけで精いっぱいなの! アンタの“目”が欲しいんだってば!』
 画面の向こうで必死に手を合わせて頭を下げる相手の言葉には嘘が無いようだった。
 まあ、だからこそ余計に。
「じゃあね、スクープがんば」
 関わり合いになりたくないのだが。
 こうしてさらにダメ押しで何かを続けようとする相手の言葉が画面から吐き出される前に通話を終えると同時に、ライブキャスターをひっくり返して裏のカバーを外し、バッテリーを取り外す。もうこれでやかましいコール音を耳にすることはないだろう。
 それは、それとして。
「……」
 布団の中にはライブキャスターから溢れた透明な葉っぱが小山となって散らばっていた。この環境で二度寝する気分にはなれるはずもなく、ため息が出ると同時にころりと自分の口から一枚の葉っぱが転がり落ちていく。あたり一面にとっ散らかっているのは先ほどの通話相手が散々訴えた文言の欠片であり、欲しいと訴えられたてほやほやの“視力”の話に繋がるというわけ。
 なんともいえずにありきたりに、かつ普遍的に言うのであれば。
 まさに、文字通り。“言葉”が“ことのは”として見えるという――視覚的にも感覚的にも、非常に厄介な“目”を持っているという話なのだ。

 ある程度の片づけを終えてから自室を出て、リビングに降りれば母上殿がフレンチトーストを焼いていた。その隣では呑気なバチュルが優雅に乾電池に噛り付いており、どうやら似たようなタイミングでの朝食となったらしい。
「あら、おはよう」
 ぱちんと胸のあたりで当たって弾ける様はシャボン玉のようにも思えた。言葉が葉っぱなら、呼びかけられる言霊は珠になってこちらへ飛んでくる。
「ん」
「自分から起きるなんて珍しいじゃない。いつもは声をかけるまで寝てるのに」
「色々あって叩き起こされた」
 用意された遅めの朝食を済ませてしまいつつ、横目に入った回覧板を眺める。最近、街では不審火が相次いでいるらしく、ボヤ騒ぎに乗じたポケモンの盗難騒ぎが頻発しているから注意するようにとよく目立つ箇所に書いてあった。
「ちぢっ」
 ぺしぺし、っと小さな声が腕にぶつかる。よじよじとバチュルが遅れて登ってきて、くいくいと窓辺へしきりに小さな前足を向けていた。これから日向ぼっこをするから連れて行け、という事らしい。流しに食器を持っていく途中で運んでいけば、よくやったと言わんばかりに満足そうにこちらに一声ぶつけて昼寝を始めた。このように、完全にポケモンの言葉が分かるというよりも、ニュアンスである程度の理解が出来るので多少便利であると言えば、ないこともない。
「今日はどうするの? 外出するのなら、一緒に回覧板も回してきて欲しいのだけど」
「ジムバトルの見学に行くから、ついでにもっていっとくよ」
 皿を洗いながら、本日の予定についての会話も交互にぶつけあいつつ口から落ちていって一緒に洗い流す。世界に言葉があふれているのは随分前から知っていたが、それでもどんどんかさばっていくそれらに窒息するんじゃないかという杞憂は、言葉の脆さに助けられているのと一緒だった。人に届いた言葉はあっさり砕け散るし、独り言や呟きは知らないうちに歩いて踏みつければ粉々になる。今もこうして、やり取りをしながら排水溝に泡と一緒に吸い込まれていった。

 外に出れば、今日も近未来都市なソウリュウシティの青白い光のラインと深い青色で統一された景色が広がっていた。路上で演奏しているお兄さんの超絶技巧は本日も絶好調だったし、近々また工事が増えるかもしれないらしい。新しいものに目がない――のは、ここよりかなり離れたブラックシティとかいう街の方が極端らしいけど。
 街のキャッチコピーは「過去と未来が絡み合う街」。現状としては過去の要素を完全に土台にして何も見えないレベルではある。
 眼鏡越しの世界は相変わらずやかましかった。高所から降って来るのは空を飛んだり屋根の上をゆくポケモンのつぶやきだし、道行く人々のやりとりは順序なんかめちゃくちゃに転がっているので前後の会話なんてわからない。人もポケモンも知らぬうちに見えない言葉を足蹴にしては、それらが雑踏にまみれているので、さながら無差別に流れてくるSNSの画面の方がまだ統制が取れているように思える程には、溢れかえっては消え去っていた。
 次の家のチャイムを押すと、インターホンの返事より先に庭先にいた女の子の声が肩にぶつかった。
「あ! かいらんばん!」
 野生児張りの機動力で柵をひらりと飛び越えたのは、この家――この街の市長さんとこに留学生としてやってきているアイリス嬢その人である。今ではすっかり街のマスコット、いや看板娘、とにかく色んな意味で有名人。噂によればこの子が街のジムリーダーを務めたかもしれないというレベルだと言えば、主にバトル方面の実力が伺える。
 竜の里とかいう田舎からやってきているらしく、大学のレポートを書く時に家が近所なのを理由に取材と称して話を聞きに行ってからは、こうして顔見知りになったという具合。
「はい、確かに回しました」
「はーい! うけとりました! ところで、きょうはおじーちゃんのバトル、みにいくの?」
 その予定だと答えると、自分も一緒に行くと言うが早いか、電光石火もかくやという速度で回覧板を中に持っていき、あっという間に出て来てしまった。からりとした彼女の言葉は人柄を示す様にぽこぽこと飛んで来ては綺麗に弾けていくもので、その反面、背中に背負っている紙束はなかなかどうして、結構な厚みが見えていた。まあ、これから見に行く市長さんの数を見たらまだかわいいものなのだろうと思いつつ、一緒に向かう。
 ジムでは見学の旨を伝えてバトルフィールド横の観戦エリアに行くと、既にぱらぱらと他の見学者でいくつかの席は埋まっており、適当な席について数分もしないうちにがらりと扉の開く音がしてジムリーダーの入場を告げた。
 『スパルタンメイヤー』とでかでかと書かれた二つ名を文字通りに背負った……もとい、バカでかい張り紙がマントの様に張り付いたシャガさんが入場してくる。同時に『市長』『ジムリーダー』といった具合にぱらぱらとその顔や腕や脚や体に張り紙が増えていき、既に自分の目には立派なお髭どころかその姿が多種多様な価値観から派生し張りたくられた“レッテル”で見えなくなってしまっていた。
「おじーちゃん!」
 ぶんぶんとアイリスが手を振って呼びかけるのに気づいた市長さんらしき紙の塊がこちらを向くと同時に、古めかしい紙でぺたりと『アイリスのおじーちゃん』の張り紙が追加されたものだから、思わず吹き出しそうになるのを堪える羽目になる。
 まだチャレンジャーが入場していないので、これからてっきりウォーミングアップが始まるのだと思っていたのだが。
『ご観戦中の皆様にお知らせします。本日のソウリュウジムのジムチャレンジは、不審火の出火により、中止とさせて頂きます。お気をつけてお帰り下さい。繰り返します――』
 突然のチャイムと共に流れた館内放送に、あちらこちらから驚きの声が積み上がっていく。隣のアイリスも呆気に取られているし、なによりポケモンを出そうとしていた市長さんの元へ慌ててジムトレーナーらしきスタッフの人が駆け寄って何か事情を説明している様子が見えたから、本当に緊急時案のようで。
 ジムの外まで案内してくれたスタッフさん曰く、裏手の関係者専用入り口付近で火の手が上がり、警報装置が鳴ると同時にどたどたと逃げていく不審者がいたらしく、念のために今日は中止になったのだ、という事を教えてくれた。
 バトルの見学はまた今度という具合にお流れになってしまい。致し方なく、ひとまず家に帰ることになったのだった。

 しょげるアイリスを市長さんの家まで送り。何か買い物をするものがあるかと親に尋ねようとしてライブキャスターを部屋に置いてきた事を思い出した。
 仕方がないのでそのまま家に帰ろうか、と踵を返しかけた直後。
 ごそり、と物陰にのたのたと歩いていく妙な影が視界の端を横切って行った。
 足跡よろしく、ぼろぼろとこぼれているのはぐしゃぐしゃになった言葉らしき破片。おおむね、どれもこれも「はらへった」「かえれない」「かえりたい」「くうふく」というニュアンスで転がっている。
 変わっているのは、どれもこれもちりちりと焦げていた。変な言葉もあるものだ、とひょいと消えていったらしい路地裏に目をやれば。
 もうもうと上がる黒煙。
 赤々と、ちろちろと、舌のように燃ゆる焔。
 そして、まるで“ついうっかり”みたいな顔して突っ立っているポケモン。
 のっぺりと曲線を描く頭、うってかわって三日月みたいなラインの口もとに、機嫌の悪い半月みたいな目。赤銅に稲妻みたいな色の縞模様が走って、紐のように細い腕の先にはぽこぽこと穴の開いた籠手みたいな先に無骨な爪が生えており、煙突みたいな尻尾には時折空気が吸い込まれているようだった。
 ただ、何より特徴的だったのは。
 背中一面に剣山の如く突き刺さっている鋭利な暴言らしき刃の塊だった。
「ぐぉ」
 泣き声なのか、腹の蟲なのか。ともかく、ぽろりと涙のような音がこぼれおちる。そこには、ただひたすら腹を空かしているという事だけが詰まっていた。
 生息地を脅かされ、群れからすらも追いやられ、とうとう食うに困って人里におりてきたという境遇を全てすべて、その言葉が物語っていた。
「……」
 見てしまった。視えてしまった。まみえて、しまった。のなら、しかたがない。
 はぁ、と思わずこぼれた自分の溜息を踏みにじって。
「おいで。なんか食わしたげる」
 自分の言葉が珠になってポケモンにぶつかった。ぱち、と一瞬怯えたような仕草から、おそるおそる、そいつはこっちに向き直って、のす、のす、のすと、近くに寄ってきた。近くで見ると、まあまあデカかった。
 とりあえず、近場のショップによって適当な飯と、一応ボールも買うだけ買うかなぁ、と考えてから。
(これ、放火魔の保護にあたるのかねぇ……)
 ただぼんやりと、厄介事に首を突っ込んだ気配を感じたのだった。

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