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BLACKBORDER FRONTLINE

作者:花家



【 BLACK side 】

 ユピテルシティは現代的なビル群と伝統的な街並みで構成された、ある種のキメラのような街だ。この街の象徴であるユピテルタワーと商業施設が壁のようにそびえるメインストリートに挟まれた旧市街地は、条例によって保護された古臭い建物がひしめき合っている。
 その入り組んだ路地は観光客を何度も泣かせてきた。名前以外はどれも似たり寄ったりの広場は待ち合わせには最悪だ。同世代の中で頭一つ分だけポケモンバトルが上手い地元の悪ガキから、かつては世界滅亡を企んだイカれた連中まで抱えていた場所だ。だが今は、ユピテルの闇の中で真実に辿り着こうとしている俺たちの隠れ蓑になっている。

「ごめんなさい……遅れました……!」

 旧市街地の中にある「トイター広場」のベンチに腰かけていた俺たちに、街灯のぼんやりとした明かりに照らされたグルナさんが息を切らしながら小走りで寄ってきた。ギブソンタックで束ねられた黒髪が少しだけ乱れている。品の良いパープルのシャツワンピースの奥でかすかに揺れている二つの膨らみは、未婚の俺の目にはあまり良いものではない。
 俺もパトリックも立ち上がる。現場主義の老刑事がポケットから携帯灰皿を取り出し、指に挟んでいたタバコをその中に入れた。レディーに対する最低限のマナーのつもりだろうか。もっとも、旧市街地エリアは景観保護の為に公共スペース全面禁煙だが。

「パトリックさん……ジョセフさん……本当にごめんなさい……私……また……ヘマしちゃって……ペリドちゃんにまた助けられて……やっぱり私はペリドちゃんみたいに……うまくいかなくて……」

 俺たちの前で頬を赤らめたグルナさんが俯き、息も切れぎれにそう謝った。出会ってから、かれこれ41回目の謝罪だ。これであの世界一マイペースな名探偵の母親なんて、今でもにわかに信じられない。その母親を労うように、彼女の肩にパトリックが優しく手を置いた。

「無事に戻ってきてくれて何よりです。慣れないものをグルナさんが懸命に頑張っている事は、俺もジョセフも重々承知しております」

 どうもパトリックはグルナさんに甘い。「型破り三人衆」の仲間である俺やペリドにそんな言葉を投げかけた場面なんて一度もなかった。しかし白髪混じりの爺さんが言ったように、グルナさんの努力は俺も認識している。

「ごめんなさい……せめて……足手まといにはならないように……頑張りますから……」

 顔だけを上げたグルナさんがそう答えた。向こう見ずな体力と行動力と推理力で難事件を突破してきた「型破り三人衆」と違って、グルナさんは数日前までのどかな地方都市で暮らしていた主婦だ。こんな女性をこんな事件に巻き込んでしまった罪悪感を、口には出さないが俺もパトリックも胸に抱いている。

「……ひとりで抱え込まないでください。今の俺たちはチームです」

 フォローのつもりだったが、少し棘のある言い方になってしまった。グルナさんから手を離したパトリックに睨まれる。

「ありがとうございます……ジョセフさん……本当にごめんなさい……」

 それでもグルナさんには真意が届いたようで、43回目の謝罪を口にした彼女の顔は少しだけ晴れていた。それを見たパトリックは何も言わずに、一歩だけ後ずさった。
 身も蓋もない言い方をすると、今の俺たちには時間がない。「TA」の蔓延はこの数日間で爆発的に広まりつつある。くだらない口論を避ける意味でもパトリックは口を噤んだのだろう。
 息が整ってきたグルナさんが背筋を伸ばして、肩から吊るしているポシェットからハンカチを取り出して額の汗を拭った。その姿には女性としての気品がある。世の中の女性の全てがそうだとは限らないが、とにかくグルナさんにはペリドに足りないものがある。もう我慢できない。

「おい! ペリド! 臭いぞ!」

 俺は広場の中心、狭い芝生地帯にそびえる石碑の裏に向かって叫んだ。先ほどから断続的に聞こえてくる汚い音が止むと、モニュメントの裏からフライゴンが頭だけを出した。

『いや〜ごめんごめん! だってウンチするヒマなんて全然なかったし〜!』

 しょうもないウインクをこちらに投げかけたフライゴンがもう一度隠れると、広場に大きな放屁音が響き渡った。俺もパトリックも無意識にグルナさんを見つめる。フライゴンになっても恥知らずな名探偵の母親は「娘が本当に……ごめんなさい……」と、真っ赤な顔を俯かせて44回目の詫びを消え入りそうな声で呟いた。グルナさんよりも数分ほど先に来て、いきなり隠れた理由がこれだった。

『ガマンって体によくないし! それよりもさ! フライゴンって人間よりもすっごいウンチ出るよ! 絶対見せてあげないけど〜!』
「せめて土をかけろよ! 出したまま放置なんて野良のニャースでもしないからな!」
『分かってるって〜! あっ! もうちょっと出そう!』

 マイペースなペリドの所為で、この街の命運を左右する事態の最中とは思えない会話を繰り広げてしまう。視線をモニュメントから戻すと、グルナさんの肩にパトリックがもう一度手を置いていた。

「申し訳ない、グルナさん……ペリドを預かっている俺たちにも責任はあります……」
「そんな……謝らないでください……娘の事は……私のしつけ不足です……」
『生き物なら誰だってウンチくらいするでしょ〜』
「お前は黙ってろ!」

 しばらくした後、「おまたせ〜」と呑気な言葉を口にしてペリドが戻ってくる。フライゴンは人間の母親の横に並ぶ。赤いレンズの奥に見える柔らかい目つきだけは、人間である時と変わらず、グルナさんのまさに生き写しだ。
 ペリドだけが「TA」を注射されても人間の心を失わず、俺たちには彼女の言葉が人間のそれに聞こえる理由は、「TA」の出処と同じく目下調査中だ。少なくとも今の名探偵は、相棒と辛い別れをした過去を持つパトリックと、ポケモンを養う金銭的な余裕さえない俺と、特に理由もなく手持ちのポケモンがいないグルナさんにとって貴重な「戦力」だ。

『それじゃあ〜、調べてきた事を照らし合わせてみようか〜。ボクとママはバッチリ証拠見つけてきたけど〜』
「ペリドちゃん……さっきもありがとうね……ペリドちゃんにばかり危険な目にあわせて……ごめんね……」
『そんな事ないよ〜! 今のボクはママの自慢のフライゴン! つっよいつっよいドラゴン名探偵だよ〜!』

 謝るグルナさんの頬に、ペリドが自分のそれを擦り寄せる。グルナさんの接し方から察するに、ペリドの破天荒さの一因は母親にあるだろう。しかしペリドの人懐っこさが、これまで解決してきた事件の被害者の悲痛さを和らげてきた事は確かだ。

「親子の親睦を邪魔して申し訳ないが、俺たちは『TA』をばら撒いている連中から追われている身だ。これからの目的を決める意味でも、早く情報共有をしたい」
『ごめんごめん、刑事! といっても、ボクはどうしたいか決めてるけどね〜!』

 グルナさんに抱きついていた体を離しながら、爺さんの言葉にペリドが返す。それから、俺たちがそれぞれ別々に行動している間に掴んだ情報を出し合った。


【 BORDER side 】

 最初に自分の恥を告白すると、何も収穫を得られなかったのはアマチュア動画クリエイター仲間にオンライン上で情報収集を依頼していた俺だけだった。このマルスシティ旧市街地エリアを自分の足で聞き込みに回っていたパトリックと、最近になって勢力を伸ばしつつあるギャングが運営するクラブに突撃したグルナとペリドちゃんは、あの有名企業である「メテオール・インダストリー」の尻尾を掴んでいた。
 メテオール・インダストリーはこの地方に古くから存在している軍需企業で、鉄道や船舶などの重工業を手がけている組織だ。これまでに「型破り三人衆」の間はおろか、俺が繋がりを持つ動画クリエイターたちや、パトリックの所属先であるマルスシティの警察署でも話題になった事などなかった。
 しかし、その理由はこれから探るとして、「TA」にメテオールが関わっているとなると辻褄が合う部分が浮かび上がる。マルスシティの東の郊外には、数年前に建てられたメテオールの研究所がある。この街だけで「TA」の存在や被害が報告されているのは、「TA」の出荷元がそこだからか。軍需や重工業を生業とする企業ならば、薬品や化学のノウハウもあるはずだ。あの研究所はポケモン変身薬生産工場そのものなのかもしれない。メテオールほどの大企業ならば、メディアや行政の目をごまかす手段も持ち合わせているだろう。

「すごいでしょ〜! これでボクもママみたいな名探偵!」

 ペリドちゃんはツインテールに束ねた黒髪をかすかに揺らしながら、腰に手を当てて胸を張った。

『ペリドちゃんは私の自慢の娘だよ……こんな……名探偵って呼ばれているのに……ポケモンに変えられちゃった不甲斐ないママと違って……』
「ママもすごかったよ! 悪いポケモンをいっぱいやっつけて! 『ポケモン名探偵』って感じだった〜!」

 そう言ってペリドちゃんは、今は紫色のスピアーのようなポケモンの姿であるグルナのお腹に抱きついた。グルナのお腹からは太くて鋭い針が生えているが、ペリドちゃんはそれを器用に避けてグルナに頬擦りしている。引っ込み思案なグルナのいざという時の度胸は、娘にこういう形で受け継がれたのかもしれない。

「グルナ、気づいているか?」

 パトリックが険しい顔をしてグルナの顔を見上げた。まずいな。老刑事がこう切り出す時は、決まってピンチの時だ。

『ええ……ごめんなさい……もしかしたら……私がつけられたのかも……』
「ママ? どうしたの? 刑事さん? ジョセフさん?」
『ペリドちゃん……ごめんなさい……ママから絶対離れないでね……!』
「え? え!?」

 グルナが周りを見渡しながら四つの顎を鳴らして威嚇する。それを見たペリドちゃんは、羽織っている緑色のパーカーのポケットから俺が渡した催涙スプレーを取り出した。パトリックもゴム弾が込められた拳銃を構えて、俺はベルトに差していた警棒型のスタンガンを握る。
 それから何をする時間の余裕もなく、広場の暗がりから真っ黒なコートを着た人間が現れた。確認すると、俺たちの周りを20人ほどで囲んでいる。ご丁寧にフードで顔を隠し、手には金属製の筒のような無針注射器が握られている。グルナの部屋やこれまでの調査の中で見つけた、「TA」、「トランスアプローチ」の注射器だ。

『話し合いができる相手じゃ……なさそうですね……』
「勘弁してくれよ……」

 俺が不満を漏らしながらグルナを見ると、ペリドちゃんはポケモン図鑑に載っていないポケモンの背によじ登っていた。とりあえず、名探偵の愛娘を守らなきゃいけない手間は省かれたらしい。

「ママ! さっきみたいにやっつけてよ! クラブで大暴れした後に厨房の冷蔵庫で盗み食いしてたから元気いっぱいでしょ〜?」
『ペリドちゃん……!? 見てたの……!?」』
「うん! あんなにいっぱい食べるママ初めて見た!」

 今まで気になっていたグルナの口周りにある小さな汚れは、どうやらそれが原因だったらしい。大食い癖はポケモンになっても相変わらずで、娘には隠し事だったか。爺さんの呆れ顔から察するに、ポケモンの無銭飲食は警察にとって無罪放免のようだ。

「俺、ジョセフ、グルナとペリドちゃんで別れて、現地で落ち合う。それでどうだ?」

 奴らに銃口を向けたまま、パトリックが俺とグルナの顔を窺う。「現地」とは、もちろんメテオールの研究所だ。

『異論はありません……』
「同じく。まずはポケモンに変えられずに済む事を祈るよ……」
「あっ! ボク、ポケモンになれるんだったらフライゴンになってみたい! ガオ〜ってカッコよくおたけび上げちゃうの!」

 能天気なペリドちゃんはさておき、徐々に包囲の輪を狭めてくる黒コートたちに向けて俺はスタンガンの電気を散らして威嚇する。そうしながら、メインストリートに停めてある愛車のバイクまでの道筋を頭の中で選ぶ。
 自分の手に注射器を突き立てた奴らが、次の瞬間には大きく跳んだ。フードが脱げた頭はレパルダスのそれに変わりつつあった。奴らを「竜の波動」で迎え撃つグルナを尻目に、俺とパトリックは「フレグ広場」からそれぞれ別方向へと走り出した。

 追ってくるレパルダスにスタンガンを押し当てながら、一切の余裕がない俺は、それでも夜明けを遠目にこれまでの事を思い返し始めた。

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